元 ち ゃ ん の 山 紀 行

医 王 山 (939.1㍍)
富山県福光町、石川県金沢市
平成12年11月27日



 「北から寒気が下りてきて、気温が下がり、予報は雨。」夜中の0時過ぎの空には、未だ幾つかの星も出ており、予報も遅れているのではないかと思うくらいだった。
 雨飾山行きを未だ諦め切れず、カンジキ、ピッケル、アイゼンと共にタイヤチェーンを車のトランクに詰め込んで床に入った。4時半に起床すると、地面は濡れていて、空を見上げると雨こそ落ちていないものの、今にも泣き出しそうな感じで、何もこのようの状態で無理をする事がないだろうと中止を決意した。
  がしかし、未練がましく天気が回復したらどうしようと言う気持があったが、暫くして雨の音を聞き安堵(?)して眠りについた。

 しとしと降る雨を見ながら、面白くもないだろうと思われるが、久し振りに医王山に行くことにした。車でイオックス.アローザスキー場を潜り抜け、夕霧峠に行けば、奥医王山頂上までは30分程の行程だ。5時間もあれば家に戻れるだろうと今日は一人で出掛ける事にした。五箇山に行く途中の「大鋸屋」交差点を左折せずに、医王山山麓の標識の従って真っ直ぐ進む。この頃から雨が酷くなり、ワイパー全開となる。

 この医王山にも青春時代の数多い思い出がある。高1の秋分の日に城端線.福光駅で下車し、祖谷登山口までバスに乗り、国見ヒュッテを経由し三蛇ヶ滝から鳶岩に登り、白兀山を越え奥医王山頂上に着いた。
 その時は、初めての単独行で簡単な案内図一枚と、体力に身を任せ何が何だか分からないくせに、金沢の地名に引かれて湯湧温泉側に下り、国道と思われる道を歩き始めて2時間程経過した時点で、後から来た車のおじさんに、「兄ちゃん何処まで行くのか?」の呼びかけに「金沢まで。」と答えたら、驚いて「どれだけあるのか知っているのか!車に乗れ」と小立野の金沢大学工学部前まで送ってくださって「ここから市電に乗って金沢駅まで行きなさい。」と、顔は忘れたが親切な方を今でもよく覚えている。
 あの時は汽車に乗って、高岡駅に着いた頃は確か暗かったような気がする。

 山岳部に入ってからは、何かと言っては、医王山に行っていた。土曜日の昼からテントを担いで、またお金がなく福光駅まで歩いた事もよく覚えている。社会に出でからも、いろいろなパーティで登ったものだ。でも何時しかこの医王山から足が遠のいてしまった。
 他の山を知ったからもあるが、スキー場を始め、あちらからも、こちらからも開発が進んだからかもしれない。理造新道と言う名もなくなり、あと残された探勝地は鳶岩だけになってしまった。

 スキー場に入ると「クルム」の横からリフト下の道を「ワインホルン」のお店の案内板に沿って高度を上げて行く。途中工事で道を塞いでいたレッカー車に、移動してもらうのに少しの時間を費やした以外は、雨のしかも視界の悪いこの山道を通る車両と一台も出くわせなかった。「ワインホルン」のお店でコーヒーも飲まず通過し、なおも高度を上げると、一番高い所にあるリフトの終点と国見峠への百万石道路、また金沢への分岐である夕霧峠に着く。

 大きな案内板と奥医王山へ50分の標識が目立った。雨の中、一応の用具は揃っていたが、上下の雨具を着込み、登山靴を止め、長靴スタイルに傘をさし、カメラを入れたリックを背負った。
 手作りのような鳥居を潜り、擬似木の階段を一気に登ると「見返しお杉」の標識があった。275段の階段を長靴で登ったのだが、足の裏の感触は、やっぱり登山靴の方がはるかに上回る。2分程下って左手に「龍神の池」が、もう2分程進んだら「頂上へ10分、夕霧峠へ20分」の標識があった。後は、一寸下り、緩やかな起伏を越えれば奥医王山の頂上に着いた。頂上には、昔からあると思われるケルンと櫓、そして立派な標識が建ててあった。頂上へは、菱池と横谷からも繋いでいる。
 雨の中、濡れるカメラを気にしながら、久し振りに、この頂きでの記念写真に収まった。早々に車に戻り、来た道を戻った積りだったが、視界が悪くていつ標識を見落としたのか分からないが、結果的には、クロスカントリーコースの林道を長い間さ迷ってしまった。
 因みに医王山は、日本三百名山です。




  ◇◇コースタイム◇◇

 高岡10:15=夕霧峠(11:40~55)=見返りお杉12:00=龍神池12:02=奥医王山頂上(12:10~18)=夕霧峠(12:30~40)=高岡14:25

 単独行