元 さ ん の 山 紀 行
寺地山(1,996m)北ノ俣岳(2,662m)赤木岳(2,622m)
<富山県富山市(大山町)・岐阜県飛騨市(神岡町)> 平成20年05月18日~19日
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北ノ俣岳をバックに、寺地山にて・・ |
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車はデブリの手前にデボ |
林道に覆い被さる大きなデブリ |
登山口まで10~15分歩かなければ |
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登山口の標識 |
北ノ俣岳まで6時間のコースタイム |
少し登って林道を見下ろす |
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立山連峰が望める |
有峰湖が望める展望台 |
くま洞峠で、カクンとルートが曲がる |
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1842m地点まで、あと30分の標識 |
打保との分岐1824m地点 |
多くの残雪の中を行く |
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北ノ俣岳へ繋がる稜線が望める |
寺地山頂上の標識 |
白く見えるのが黒部五郎岳 |
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北ノ俣岳が大きく広がる |
寺地山を振り返る |
避難小屋との分岐の標識 |
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山の神疲れ果てて到着 |
北ノ俣避難小屋 |
食事はやはり小屋を離れて・・ |
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シェルターを造って腹ごしらえから・・ |
食事処を造れたが、テントは張れなかった。 |
まずは、天ぷらそばから |
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厚い雲が覆ってきた |
ま~るい、お月様が出ていた |
「5/18コラム(山つれづれ・・・より)」
5/18 二人だと、やっぱり出発が遅れた。また登山口まで(102キロ)の所要時間を甘く見過ぎた事や、登山口手前(徒歩15分)のデブリでの通行不能が重なり、予定より1時間半も登山口発が遅れてしまった。
「山ノ神」が15キロ、私が25キロの荷を担ぐのであるが、いつも、「どうして、こんなに重くなるの?」 である。私は、厚手の下着と登山シャツを行動着にしているが、その他の着衣は(リックの中には)、雨具の上下と、30年来使用している薄手のウィンドブレーカーの上衣だけであるのに・・・
前回の「僧ヶ岳・駒ヶ岳」は、これにスノーシュー2組を担いだのであるから、未だ良いとしなければならない。しかし、前回の僧ヶ岳よりは、「急登がないから楽だ!」 と言っていた「山ノ神」であるが、次第に荷が私に方に、移されて来たのであった。
歩き始めて30分程経過すると、すぐに残雪が現れた。スノーシューがあったら、もっと楽だったかもしれないが、後の祭りであるから、コツコツと、ひたすらに歩いた。二人で歩くと、どうしても休息時間が長くなり、寺地山頂には、4時間半経過の午後1時になってしまった。(もっと、速く歩かなければ、稜線にまで達し得ないと思うが、言えばケンカになるに決まっているから、ニヤニヤ我慢するしかない。)
そして、避難小屋に着いたのは、午後2時20分頃になってしまった。「疲れた!」 と、匙を投げられては、北ノ俣岳稜線まで無理して引っ張って行っても、不徳の事態になれば、取り返しのつかない事になるので、諦めるしかなかった。
分岐標識(避難小屋・北ノ俣岳・寺地山)のある高台で、食事用のシェルターを造った。二人で1本のビールを飲み、腹ごしらえをしたが、何だか割り切れなかった。2600m台の稜線で、テントを張るのだからと、外張りまで担がせられて来たのに、避難小屋泊では、どうしても納得いかなく、このままでは飲んでばかりなるからと、隣りにテン場造りに掛かったが、益々風が強くなり、それも断念し、日の暮れる前には、食事処のタープも撤去し、避難小屋にお世話になる事にした。
■■■コースタイム■■■
1日目
高岡=車デボ地点(7:40~55)=登山口(8:10~20)=鉄塔8:50=有峰湖展望台9:15=くま洞峠(9:30~45)=芭蕉平9:50=1842mまで30分の標識(10:35~45)=1842mの分岐(11:10~20)=寺地山(13:00~15)=北ノ俣避難小屋分岐14:20
■■■同行者■■■
比佐恵