元    さ    ん    の    山    紀    行
寺地山(1,996m)北ノ俣岳(2,662m)
<富山県富山市(大山町)・岐阜県飛騨市(神岡町)>  平成22年05月04日



寺地山から北ノ俣岳を望む。




和佐府橋のゲートを突破して、5キロほど
進んだが、倒木が道を覆い車もここまで。
残雪がある林道には40〜50台の車が駐車。
a.m.5:55 登山口に向かって歩き出す。
車デボ地点から徒歩25分で登山口に
到着。 長い長い行程が始まった。


コースタイムは寺地山まで3時間。
北ノ俣岳まで6時間。
a.m.6:40 早くも休息を催促された。 a.m.6:54 壺足でも行ける状態であったが、
スノーシューの重さを考えると履く事にした


a.m.7:24 「まだ休まないの?」の感じ・・ a.m.7:27 芭蕉平通過。 a.m.7:50
東京の栗林氏と出遭いしばらく話し込む。


a.m.8:30 打保との分岐で休憩。 a.m.8:42 気を持ち直して出発! a.m.9:05 1,918mの標高点辺りを行く。


a.m.9:25 長野の樋口さん達と話し込む。(15分間程) 長野の樋口さん達


a.m.9:40 北ノ俣岳が霞んで見えた。 a.m.9:45 後 10分程で頂上。 a.m.9:55 寺地山頂上から北ノ俣岳を望む





つづく




  元さんの戯言・呟きから

5/4 「明日は早いから、早く寝よう。」 と言ったものの結局は、時計は日を跨いでしまった。長い行程だけに、少しでも早く歩き出し、負担を和らげる私なりの思いやりだったが、なかなか事は進まなかった。相変わらず、20分程遅れて(午前3時20分)の出発となったが、それでも、歩き始めは午前6時前、まずまずではなかったろうか・・・

 山之村最終集落の和佐府橋の簡易ゲートで思案したが、その先5キロもあったから歩かなくて良かった。そして、そこには何十台もの車が駐まっていたのであるから・・・ 車デボ地点から登山口まで徒歩で30分くらい。

 「山ノ神」の荷を出来るだけ軽く(5キロ)した甲斐があったのか、午前10時には寺地山に辿り着いた。晴れていても空は青くなく、白い山も霞んで見える。少し降って700b程登らなくてはいけない斜面は、山ノ神に試練を与えてしまった。どんどん時間が過ぎていくし、荷を持ってやってもその速度は変わらない。稜線に辿り着いてからは、戦意喪失で、いつものパターンである 「あんただけ行って来られ・・」 になってしまった。でも、儀式だけは行われたのである。

 帰路の稜線発が午後2時半近くであるから、あの状態の山ノ神を持ってすれば、またまた 「暗くなる事間違いなし。」 を覚悟したのであるが、何とか励まし寺地山には午後4時には着いたのである。その後はまた長く、歩いても歩いても高度が下がらず、「まだか、まだか」 が始まった。歩く足の回転が遅いのであるから、仕方がない。「もうちょっと、あそこだから・・」 を繰り返すしかなかった。

 どれだけトレースがあっても、広い尾根・斜面では、時々ルートを外し掛かる事もあり、何とか明るい内に雪が消える所まで降りたかったが、6時前には万が一の事を考えヘッドランプを準備せねばならなかった。幸い今は日没が遅く、幸いにもお天気も良かったため、ライトを点けずに登山口に辿り着く事が出来、ホッと胸を撫で下ろした。それからの林道歩きは、ただ前に足を出しておれば車につくのであるから・・・・

 元気な人、また速い人なら、何でもない今回のコースであるが、元気がなくなりつつある者は、やはり長く辛いものであったろう。でも、行って来られたのであるから、それはそれで意義があったように思われるのですが・・・
 リスクが多くなる分だけ、また荷を担がなければならず、歳と荷の関係は反比例して行くような感じである。しかし、行きたければ、また、行かせてやりたければ仕方がないのである。




 ■■■ コースタイム ■■■
高岡3:20=車デボ地点(5:40〜55)=登山口6:20=打保との分岐(8:30〜40)=寺地山(9:55〜10:10)=避難小屋分岐(11:05〜10)=稜線13:30=北ノ俣岳頂上(13:40〜45)=稜線(13:50〜14:25)=寺地山(15:55〜16:05)=登山口(18:30〜35)=車デボ地点(19:00〜)  

 ■■■ 同行者 ■■■
         比佐恵