5/23 直近で行きたい山と言われれば、大猫山と犬ヶ岳である。両座とも、昨年は行く機会がなかった。以前は、年に2~3回くらいは行けるような雰囲気であったが、近年は、時間制限に阻まれていた事や、「山ノ神」が苦手としている事から、なかなかその機会が生まれない。単独で行こうとすると、かなりの譲歩案を提示しなければ許可が出ないからである。

 では、犬ヶ岳はどうだろう? 一緒に何回となく出掛けている実績があるが、歳を重ねる毎に、自信をなくしかけているようである。一日フルに出掛けられる機会は、一回(第1日曜日)増やしたのであるが、お天気が伴わなくてはどうしようもない。そうして、だんだんと、ロングコースや難所と言われる所に行けなくなっていくのであろう。



5/22 山用具や山の本も しかりである。完全に破損していて使用不可能になっていなければ捨てられない。破損していなくても使用していない物もある。これは実に厄介である。20代前半に買った8本刃のアイゼンは、2~3回しか使用していない。刃が、ツクツクで錆びてもいない。しかし、固定式なので、靴のサイズが合わないと使用出来ない。でも、絶品なのである。

 3本のピッケルがある。そのピッケルも、年に何回かしか使う事がなくなってきている。高2の時に買ったシャフト木製のピッケルは使わなくなってしまったのであるが捨てるわけにはいかない。テントもツエルトも、もっと便利な物を買ったのに、前の物を処分出来ない。

 登山靴も4足あるが、まだ使えると古いのを処分しないでいる。日常履く革靴を1足しか持たないのにである。靴下などはもっと酷い。踵に穴が空いても履き続けている。どうしようもなくなっても、その不都合のものだけ処分し、もう片方を残してしまう。だから、手袋も同じように左手ばかりが残る。(右は落としたりする事が多いから・・)

 「買ったら、以前の物を処分する。」 という鉄則?をこれからは守らなくては、どんどん溜まるし、何処にあるのかも分からなくなっていく。先輩方からもらった本や用具(ザイルやハーネス)も、いい加減に処分しなければならないようだ!



5/21 終活という文言が飛び回っている。数年後に団塊の世代が後期高齢者になったら、もっと身の回りのものとなるのだろうが、言葉の響きとして、私はあまり好きではない。いつかは、終わりが来るのだろうが、それまでは必死に生きたいからである。

 確かに身の回りには、不用と思われる物がたくさんある。この先も使用される物、想い出のある物などを除けば、本当にたくさんあるのも事実。いつかは使う物かもしれないというものは実に怪しい。いつの間にかホコリを被るのは必死。

 「もう一度、家を建てれるものなら、二部屋ほどの平屋建てがいい。」 などと思うのであるが、果たして、そんなコンパクトなところに、物持ちに良い私が住めるものだろうか? 最も、そのような甲斐性がない私だけに夢の話である。

 そんな私でも、長年使わなくなった物、これからも使わないだろうと思う物、重複している物など、処分の対象になる物がたくさんある。それでも、処分をするとなると結構悩むのである。誰かに捨てて貰えれば一番良いのかもしれない。

 やはり休日は、家にいない。というのが、一番ネックなのだろう。時間を掛けて、その作業が出来ないからである。しかし、それも、言い訳にしかならない。ちょっとの時間でも行動しなければと決意を新たにしたい。😁 そして、それは、自分が住みやすい家になるだろうし、友人達に来てもらえるような家にしなければと思っている。



5/20 来週は、運動会の振替休日というわけで、孫達を預からなければならない。ならば1週間前倒しで高峰山に出掛ける事にした。雪がない高峰山は、どちらから登っても、小一時間(約40~50分)で行ける。どれだけ山菜採りだと言っても、ちょっと物足りない。

 近年は、鳥越峠から山頂を越して、西種側の登山口に達し、また鳥越峠に戻り、その途中に、ワラビを採るというやり方である。期待に反して、そのワラビの収穫は少なかったのであるが、新緑の中を歩くには格好の舞台であったように思った。今日は暑かった。でも、風があり心地よかった。

 それよりも、毛勝の山々や剱岳が、いつもに増して、すっきりと見えたのが良かった。大日岳も私の方が主役だと言わんばかりに、真っ白な山容を際ださせていたように感じた。大辻山も、その奥の鍬崎山も、いやいや鉢伏山までもが、そのように見えたのである。

 高峰山は、雨の時の一座でもある。それ故に、剱岳や毛勝三山の展望台でありながら、なかなか、その雄姿を眺める機会がないのであった。雪ある時は、それよりも、高い位置から眺められるために、尚更展望台となるのである。

 今日は、昨日の疲れも心地よく、寝不足も何のそので、午前5時に我が家を発った。午後から崩れるかもしれないという予報は、ちょっぴり先延ばしされた感じで、全く雨に遭わなかった。好山病諸氏のススダケ採りを山頂で知ったが、それはそれで、仲間が山に親しんでいる事を知り、何だか嬉しくなるのである。



5/19 金剛堂山八尾側(大長谷)冬期閉鎖のゲートを午前7時15分にスタート。車に戻ったのが午後6時35分。山中にやがて11時間半。家を出たのが午前5時半過ぎ、家に戻ったのが午後8時半頃。キャンプ用ザックをいっぱいにして車に戻ったのだから、北ノ俣岳行に匹敵するほど歩いた。喉がカラカラだったから、冷たい物を飲んでしまえば、PCの前で居眠りも仕方がない。

 そのルートを下山して来る金沢の豆ちゃんと出会った。もしかしたら、H.18.01.02以来かもしれない。嬉しかった!飛び付きたいほど嬉しかった。私達と同じゲートから山頂まで3時間で登ってしまったというのであるから、どれだけ若いと言っても魂消てしまう。利賀から登って来る仲間を待つため、3時間ほど山頂で寝ていたと言うのだから、これも豪傑に値する。来週は、日帰りで大窓に行くと言っていたが・・・

 彼は、40代であるのに、私を山の先輩として扱ってくれるのであるから嬉しい限りである。大地・初雪山の山域はあまり行っていないという彼は、もしかしたら、来冬ラッセルを買って出てくれるかもしれない。最後に、「岩城さんは元気なのでしょうか?」 と問い掛けられた。HPの更新の事かもしれない。

 

5/18 「飛越新道が荒れているという。」 情報を得た。また、登山口までの林道も、今月上旬3キロ手前が崩落しているとも聞いた。もう改善されているかもしれないが無理する事もないと、今回は北ノ俣岳は止めにした。さて、どうしようか、これから考えなければならない。今夜は、校下自治連合会の総会があり、その後懇親会がある。早めに切り上げて来よう。



5/17 店の床張替え工事で本日休業。昨夜から、そして、今朝も、早くから店内の備品を片付けとなった。しかし、洗濯機の給水口の取り外しに失敗し、水浸しにしてしまった。蛇口が古い事もあって、上手く水を止める事が出来なく、止水栓を閉めなければならなくなり、水道業者の方が来られた午後2時まで水なし生活になってしまった。

 PCも取り外していた事から、接続に不具合が出来使用を諦めざるを得なかった。スマホがあっても(上手く使えないから)、PCがなくては本当に寂しいものである。福井の宮ちゃんから、「日曜日は何処へ行くの?」 問い合わせがあった。「北ノ俣岳」 と答えたものの、「こちらは時間が掛るから・・・」  PCが使えなくとも、スマホ(LINE)があるから、その点便利だと思う。



5/16 明日の工事の準備を終えた感じであるが、かなり手間取った。いろいろな備品を、その場から取り除かなくてはいけないのだから結構厄介である。ちょっと動かせても、店内から外へ出さなければならないのだから困ってしまった。明日、職人さん達の手を借りよう。

 このお天気が続くのだろうか、今日も、標高の高いところでは、一時的には雨が降る予報である。なるようにしかならない。「ケセラセラ」 の心境である。そのように、もう休日(定休日)に心は動いている。



5/15 相変わらず気忙しい。店舗の床の張替えやソファーの修理(張替え)などの準備。(5/17の予定) その翌日は、校下自治連合会総会などなど。従って、5/17は休業する。定休日に、その作業を依頼しても良いのであったが、休日は私にとって大事な日。そんな選択肢はなかった。

 日・月は定休日。予報もまずまず。山菜採りも良いが、まずはたくさん歩いて来たい。山菜採りは、その副産物と考えたい。それにしても、今春は、お天気に恵まれているような気がする。この反動が恐ろしいが、何もかもが穏やかであって欲しい。



5/14 昨秋、斑尾山でお会いした中国人の康さんにメッセージを送ってみた。彼女との交流はメッセンジャーしかない。今冬までは時々であったが、その方法の他に、facebookで若者らしくはつらつしたその様を伺っていた。彼女は、北京師範大学、広島大学出身で、斑尾高原に住んでいる(仕事をしている?)

 日本の自然が好き!日本の四季が好き! 出来れば山が好きな人と結婚したい。などと、山中で僅かな時間であったけれどお話をした。私より日本語が上手いし、文章も並の日本人より上手い。相当勉強されたのであろう。大学時代から、日本人の家庭教師が付いていたというのだから、裕福な家庭に育たれたのかもしれない。

 そんな彼女に、報道を通じて、中国人の反日、そして、「何かに付けて日本を悪く言うのは?」 と尋ねたら、「日本の事を知らない人達の意見!」 そうして、「皆がそうではない。」 との答えであった。そう言いながら、歩いていた時に、「私は歳を取っている。」 というと、「山を愛するのに年齢なんか関係ない」 などと嬉しい事を言ってくれた。

 ここ2~3週間、私はfacebookを更新していないが、「冬も山を歩いておられるのを、facebookを通じて知っている。近々にでも、一緒に山を歩けると嬉しい。」 などとあったが、社交辞令かもしれないが嬉しいではないか・・・



5/13 登山口まで車を乗り入れる事が出来た。午前6時半スタートだから、高岡に午後5時に戻らなくてはいけないにしても、本来なら人形山往復も充分に間に合うのであるが、今回は始めから春木山と決めていた。ところがである。コシアブラが目に入り、一度採ってしまうと、エスカレートしてしまい大幅に予定が狂ってしまった。

 標高1,000mくらいから雪が現れ、第2休憩所手前からビッシリ雪であった。時たま、樹木の跳ね返りに見舞われ痛い目にあったりしたが、やっぱり雪上歩きは楽しい。しかし、宮屋敷の鳥居付近には雪がない。三ヶ辻山や人形山・大滝山辺りは、青空の下にスッキリ望めたのであるが、北ア方面は、薄雲が現れ霞んだようになり、スッキリとはならなかった。

 先週来ておれば、そんな事もなかったのだろうが、春木山方面へは、ヤブの中に雪を探しながらの歩きとなった。ヤブを抜けた雪面も、風の悪戯なのだろうか、それとも雨がそのようにしたのだろうか、風紋というには、大き過ぎ深すぎの凸凹面を歩く羽目になった。

 必ずしも目標のてっぺんにはいかなかったが。雪面の広がった所で束の間の休憩を取った。北アの眺望を望む事は出来なかったが、この辺から眺める三ヶ辻山の山容は私の好きなところである。戻りは、ヤブがあっても、視界が良かっただけに、宮屋敷の鳥居を目掛けてかなりショートカットする事が出来た。

 下山時は、雪上を駆け降りるだけに、あっという間に着いてしまう。雪が無くなれば、またコシアブラ採りになってしまった。コシアブラは、どれだけ採っても、あまり嵩にならないし、重さもそれほどでもない。さて、また、どなたかにあげなければならないし、どのように食べるかで悩まなければならない。

 林道の事ですが、ヘアピンカーブから、しばらくはかなり凸凹だから、車高の低い車は辛いかもしれない。私達の他に、金沢ナンバーの車が一台あった。私達の先に降りて行かれたのであるが、ノロノロで、何度も止まって、尖った石を取り除いておられた。私が覚えている回数だけでも8回だった。下りの方が、余計に神経を尖らせておられたのかもしれない。



5/12 明日もお天気のようである。何処へ行こうかとなるが妙案も生まれない。もう一度春木山を目指そうか? 昨年も一昨年も、進入禁止(通行止)のゲートで苦渋を味わっている。先週は、ゲートが無かったが、予想通りヘアピンカーブから道が荒れていて入れなかった。

 帰り際に大型重機が入っていたから、車が入れない事は無いと思うが、山菜採りを阻止するためにゲートが設置される事がある。こんな事があるかもしれないと思うと、山仲間を誘う事も出来ない。それでも、私(達)は、行ってみようと思っている。ダメなら、また違った山に出掛ければ良いと思っているからである。



5/11 腑抜けな事ばかり述べていると、本当にそう思われるかもしれない。もうちょっとしっかりしないと・・・・・。それは、家中でも、町内でも、趣味の会でもである。やっぱり頼られる方になりたい。誰もが、そう思うに違いない。

 それには、ひきこもらないで、積極的に行動する。イヤな事でも、出向かなければなるまい。多くの人達と会話があって、いろいろな案が出来るのであろうし、根回しも生まれてくる。身体と同じように停滞はいけない。動かさなくてはならないのであろう。



5/10 私は、3~5月くらいの残雪期の山が好きであった。雪が程よく締まり陽も長くなる。当然奥まで行けるからでもある。しかし、「山ノ神」の拒否反応や山菜採りを楽しむなど、諸条件が変わって来ている。もちろん、自分自身の体力の衰えも見逃せない。

 一年中、山と親しんでいるだけに、どうしてもという事が薄らいで来ている事は確か。そして、怪我しては何にもならないという安全を重視するようになってきている。当然、イヤな感じの時は止めたり、自信が伴わなければ、シッポを巻くようになってきている。

 しかし、時折であるが、「行けるんじゃない。」 とか、「今一度チャレンジしてみたい。」 と意識高揚した機会は大事にしたいと思っている。テンションの上がり下がりは当然のようにあるが、モチベーションを上手く持ち続けて行きたいと思っている。

 「次行き山」 を模索する楽しみもあり、私の頭の中は、常に山。山に行けなくなったら、いっぺんにボケちゃうのだろうと思うが、山・運転・恋心は、私の元気な三要素。



5/9 弱気の自分と強気の自分がいつも格闘している。「まだまだ・・」 と 「もしかしたら・・」 のような感じである。「いつダメになるか分からない。」 「ここも、あそこも何だか可笑しい。」 「勢いがなくなってきた。」 などである反面、「まだ20年・30年ある。」 「これからが面白い。」 「歳取って元気であれば話題の人になる。」 である。

 このところ、忘れる事が多い。先日も、ATMで入金が出来なかった。何度してもダメだった。「窓口で問い合わせて下さい。」 とのメッセージがでたもので、「どうして出来ないの?」 と問うと、お客さん 「当行の通帳ではありません。」 と言われ恥ずかし思いをして帰って来た。

 もっと酷い話がある。 セルフのガソリンスタンドで給油した。あまりに車が汚れていたので、洗車をする事にした。(その時車内にいた。) 洗車が終わった頃、「山ノ神」が、給油口の蓋が開いているという。まさかと思い車外に出てみると、キャップの締め忘れもあった。どうしたものかと思ったが為す術もない。

 翌日、人形山に行ったが、「304号線の五箇山トンネルまでの坂道を登る事が出来るのだろうか?」 「山中で動かなくなったらどうしよう。」 と悩んだ。悩んでも山に行くのだから仕方がない。その行動を含め160~170キロくらい走っている。軽油と水がどのように混ざっているのか? どれだけ水が入ったのかも分からない。

 どうも順序が狂うと可笑しくなるようだ! 途中で考え事をしたり、誰かに声を掛けられたりすると、何かが何処かが消えて可笑しくなるようだ。そんなのに、他人様のお世話をするなんてと思うが、やらなければ、もっとダメになるのかもしれない。140歳まで生きるつもりだから、まだ半分しか経っていないのに・・・



5/8 昨年7月、術後2週間ながら、重荷を担いで雷鳥沢でキャンプをした。その時知り合ったのは群馬県の斉木氏である。ヨタヨタの私に、奥大日岳、そして、前剱と平蔵のコルの中間まで付き合ってくれた方である。もちろん、周りのキャンパーを含めて夜の宴会もである。

 その斉木氏が先日のGW(5/3~5/5) 立山にやって来られた。今年に入って、ちょっと音信が途絶えていたのだが、私に、けしかけるつもりだったのか、それとも、羨ましがらせるためだったのかは分からないが、事前に、そして、行動中?も、画像を送ってくださった。

 私は、「凄いね!」 「いいね!」 とか、「最高ですね!」 とかの相槌くらいの返事しかを送っていなかったのですが、下山されてから、「3日間お付き合い有難うございました。」 のメッセージを頂いた。そして、我HPを見ていてくださるようで、山への憧れや執念?みたいなものにもエールを送ってくださったように思う。またお会い出来るかどうか分からないにしても、私の事を忘れないでいてくれた事に感謝しているのである。



5/7 田向から何処まで車が入るか分からない。山菜採りも楽しいが、今回は、人形山から春木山にトーンダウンして臨む事にした。せめて大きなヘアピンカーブの所まで車が入れば、午後5時まで戻らなくてはいけないとしても何とかなるだろうと思っていた。例え、その手前の田向集落から歩くにしても、早立ちならと思っていた。

 午前4時過ぎに家を出た。今まで、何度も林道入口のゲートで苦渋を味わっている。しかし、今日はついていた。そのヘアピンカーブまで入れたのである。いつもこのカーブに大きな雪塊があり、車は完全にアウトであった。今回は、その雪塊がなく、なお先にと思っても、倒木や崩れた大きな岩などが散乱しており、とてもとてもである。重機が入らなければ入る事は出来ない。

 それでも、私達は歩き始めたのである。しかし、ウド・ワラビ・タラの芽などが、次から次へと目に入って来る。重いから帰りに採ろうと我慢をしたものの、一度採ってしまえば、もうダメである。登山口まで、1時間半を目標にしていたのに、3時間経っても中根山荘にも行っていない状態。それでもと、再び歩き始めて中根山荘を越えたが、「もうヤメよう。」 「山も諦めよう。」 となった。

 驚いたのは、「山ノ神」である。「本当にいいの!」 「行かなくてもいいの!」 の連発である。車が上がって来ない道の真ん中で、ガスに火を点けた。新緑の山々を眺めながらの、コーヒやカップ麺も美味しいものである。



5/6 午後からお天気が崩れるという予報と、「山ノ神」が、簡単な山、そしてまた、ドライブでも良いとの要望を組み入れ、久しぶりに、加賀の富士写ヶ岳とした。でも、途中から、大日山を提案すると、すんなりOKとなった。

 しかし、大日山は、22年前に登った事があったが、その登山口さえよく分からなかった。やっぱり事前調査はある程度必要を実感してしまった。今回は、分からぬまま、徳助新道を選んだのであったが、私が22年前に登ったコースとは反対のコースであった。

 しかし、虎ロープが連続に施してあるような急登であったが、富山の山を歩いている者にしては、左程苦にならない。そして、長く続くブナ林が素晴らしく良かった。軽く思っていたが、「山ノ神」にしてみえば、結構しんどかったようであった。

 小大日山付近で、雷が鳴ったと思ったら、雹が降ってきた。山頂まではまだまだ遠いと思ったし、ずぶ濡れになる事を回避するためにも、未練があったが退却する事にした。やはり誰も登って来なかった。富士写ヶ岳は、かなりの人達が挑んでいたように思えたのにである。



5/5 大倉山登山口で準備をしていると、「元ちゃ~ん」 と声が掛かった。誰かと思ったら筏井夫妻であった。そうなれば、ずっと一緒の行動となる。稜線に出て、コーヒータイムをしようとしている所に、昨年の同時期にお会いした魚津の大山氏が現れた。同氏は、健脚だけに一緒というわけにはいかなかった。

 ゆっくりをモットーとしていた私達であったが、それでも、3時間半弱で、山頂に到達した。好天に恵まれた絶景だけに、やっぱり、ベンチ・テーブルを造らなければなるまい。お互いご馳走を持ち合わせていなかったが、久しぶりに出来た話は、それ以上のものだったように思えた。眼前の山々を肴にして、その思いを語り合えば、それはそれは盛り上がるのである。

 今回の大倉山行きは今年2回目。通算35回目となった。50回候補から外していたが、最近の情勢からして、大倉山の50回も夢でなくなって来たように感じる。かと言って、雪のない時にあまり登りたくもない。(過去に一度だけある。)



5/4 明日は晴天の予想。思い切って大熊山から早乙女岳を目指そうと思っていた。今の体力で不安がない事もないが、早いスタートなら、行けない事はないと思っていた。大熊山頂から3時間もあれば充分届くはずである。

 ところがである。息子の動向を気にしてか、行くか行かないかの態度を明らかにしていなかった「山ノ神」が、山に行くという。そうなれば、いっぺんに早乙女岳行きが、おじゃんになった。昨年同様大倉山行きになる。この調子だと、月・火も、「山ノ神」の顔色を伺いながらの行き先選定になる事必死である。



5/3 お天気が続く。仕事が暇だと、山の事を考えてしまう。何処までバカなのだろう。5月のスケジュールは、ほぼ決まっている。それなのに、お天気になると、どうしても、外を見てしまう。歳を取る毎に、子供に変わっていくと聞いた事があるが、その通りなのかもしれない。でも、元気でおれば、家族の負担が少ないわけだから、心身とも健常でいなければと思っている。

 昨夜、久しぶりに東京の姪と電話した。それも1時間である。叔父として、相談に乗ってやれるわけでもなく、只々不甲斐なさを感じるのであるが、姪の溌剌とした声を聞き、こちらが元気をもらった。先日、コゴミを送ったが、本当なのだろうかと思うほど喜んでくれる。もっともっと、元気でいなければ・・・・。



5/2 今度は、長男がやって来た。(大阪) やって来ても、すぐに友達の所へ行ってしまった。明日もまた、何処かへ出掛けるようだ。そして、明後日になって、我家で一緒に食事をするというのであるが、その翌日に大阪に戻ると言うのである。

 その日から、私(達)は、山に出掛けるのであるが、本当に弱った息子である。一緒にいても、そんなに話があるわけでもないし、私は、山に出掛けるつもりである。「山ノ神」には、「帰って行くのを見届けてもいいよ!」 と言っているが、どうなることやら・・・

 友人・知人から山行報告が届く。また明日からの予定も届く。「お天気が良さそうだし、楽しんで来て欲しい。」 と思う反面、こちらの精神衛生上はあまり良くない。それこそ仕方がない。いつでも行ける状態になったとしても、その時は、私の場合、もう終わりの時のような気がする。「合間を縫って行く。」 それでいいような気がする。



5/1 令和という新しい時代になりました。何も変わらないのですが、気持ちだけは刷新し、新たな時代に溶け込んでいきたいと思います。今まで同様宜しくお願いします。 今日は高岡の祭礼。御車山が街(山町筋)を巡行するのですが、生憎の雨模様でした。令和一日目という事で頑張ったのかもしれません。何事も穏やかであればいいものです。