5/31 悩んでいる。意見が合わないと言うより、「山ノ神」が、その思いを言わない。最もお天気が悪い。そして、「後から・・・」なのだから、いっその事遠出を止めようかと思っている。 仮に意見(思い)が合ったら、その時点でスタートすれば良い。宿を取ってゆっくりも考えたが、今回は見合わせよう。でも、まだ分からない。



5/30 「お花が見たい。」「行った事がない所に行きたい。」「出来れば泊まった事がない所で泊まりたい。」今度の私達の連休に付いて「山ノ神」の要望である。 しかし、予報は何処もかしこも良くない。私は、どんな山でもいいから、一日一座なら良いが、「山ノ神」の目当てとするお花の山は、恐らくグチャグチャと予想される。

 弱った!
 「山をナシにして、雨の中の観光。」また、「宿の中で、ゆっくりする。」などがあるが、私としてはストレスが溜まるだけ。「八乙女山に、ササユリが咲き始めた。」  「青海黒姫山に、シラネアオイが咲いている。」との情報も得ている。しかし、これから、私の好きな山に出掛けるに付け、「山ノ神」のご機嫌を取っておかないといけない事もあり悩むところである。 それから、粟ヶ岳や浅草岳のヒメサユリも見たいと言われているが、「行った事があるじゃない?」では片付かないようで、これまた困っている。



5/29 まだ行きたいところや、やりたい事がある。もちろん山の事であるが、そうすると、「山ノ神」とギクシャクが生じて来る。出来るだけ合わせるようにしているが、長い距離を歩かなければならなかったり、 重荷を担がなくてはならない時は、「山ノ神」は、どうしても、行かない事が多くなる。だから妥協を、どのように見付けるかになるが実に難しい。

 この頃、一緒に出掛けているメンバーと同じ年齢の頃は、それなりに頑張っていた。栂海新道を踏破したり、先日私達が出掛けた犬ヶ岳へも、日帰りで2回くらい行っていると思う。 初雪山だって日帰りもあれば、大地でキャンプも何回となくやっているし、笠ヶ岳や双六岳だって、重荷を担いでキャンプもしている。白馬岳へも蓮華温泉から、これも何度か日帰りで行っている。

 仕方がないが、「年齢を重ねたから」になるのだろうが、私は、まだまだその気になれない。「山ノ神」とて、山がイヤになったわけでなく、出来ればと自分が行ける山を模索しているに違いない。 最近は、観光を兼ねた山に執着気味である。そして、出来るだけ遠くである。私は、自分ばかりの思いを通すわけにはいかないので、ある程度は仕方がないと思っているし、その内、私もだんだんと、 そのようになっていくと思っているが、それもこれも元気で、そして、運転も出来なければならないのである。

 後3年半で結婚50年になる。また、8月で私が喜寿となる。好き勝手ばかりして来たし、苦労を掛けて来たかもしれないが、経験を重ねた話題ばかりでは寂しい。やっぱり先も、未来(憧憬)や希望(目標)を 持って生きていたい。笑われているかもしれないが、私は140歳まで生きると言っているのだから、まだまだ人生半ばなのである。仮に140歳の8掛けでも112歳、そして、そのまた8掛けでも約90歳である。  生きてやる・・・



5/28 「雨でも歩いて来た。」「大雨でも、行けるなら歩いて来たいから・・」なのであるが、それは、「休日は山に・・」もあるが、今の体力を維持したいための方が強いかもしれない。 でも、歯痒いくらいに体力は落ちていく。寂しいくらいである。「80歳まで歩きたい。」は、目標が小さ過ぎる。「90歳になってもである。」そのためにも生きていなければならない。 そして、もう一つ、元気でなければ、どんな仲良しな仲間であっても去って行ってしまう。失いたくないから頑張るしかないのである。



5/27 昨日の犬ヶ岳山行は、流石に疲れた。太腿の違和感は、「歩いた勲章」と思っているし、「休日は山に・・」を続けなければ、薄っぺらい元さん(私)の存在感なんて吹っ飛んでしまう。 YAMAPやHPの事もあり、やっぱり早起きしなければならない。眠気の方が疲れより勝っていたのは、疲れているから眠たかったのかもしれない。

 昨日一緒しなかった「山ノ神」に、今日の行き先を任せた。遅い出発なのに、戸倉山と言ったが、それに従う事にした。但し、「お天気が悪い上に、登り始めが午後になるけど、 必ず山頂まで行くのなら・・」の条件を付けた。その私であったが、運転していても眠気に負け、あくびばかりしていたのを、「山ノ神」は、シビレを切らしてか、運転を代われと言ったのでした。

 しかし、雨が降りそうな気配であったし、強風が吹き荒れていた事もあり、「千石城山」に舵を切ったのでした。「千石でなくても良いんだよ!」と何度も念を押した程でした。 その千石城山は、風こそあったけれど、雨は落ちなかった。そして、このお天気だったからか、誰も上がって来なかった。足の痛みは、「心地よい痛み」で、ハードな歩きをしなければ、 起こらないのであるから、私の勲章なのである。

 Ⅰ時間程山頂で過ごしたが、それなりの展望があるものの、剱岳のてっぺんは顔を出してくれなかった。それでも、「また登れたね!」である。高いところ、危険が棲むところばかりが山ではない。 何回も何回も登っても分からない事ばかり。山歩きには、いろいろなパターンがあるが、どれが良いとは言えないし分からない。唯、好きな山に拘るのも一つの方法かもしれない。



5/26 好天に恵まれた犬ヶ岳山行は、美香子さん・ガリ君と、新たなメンバーan-coさんが加わり楽しいものになった。白鳥山から犬ヶ岳の間には、3つのピークが存在し、 その間のアップダウンは結構きついのであるが、準強者達は、難なくクリヤーし予定(甘いかもしれないが)より、早く犬ヶ岳に達する事が出来た。

 その行く先々の展望に感嘆の声を上げながら、先の犬ヶ岳、通過して来た白鳥山を見詰めては、「へぇ~あんなところまで・・」「あんなところから・・」を繰り返しながら、 それをエネルギーにして、また奮い立たせながら頑張ったのであります。(帰りはその反対です。)

 しかし、最後の最後に、私の身体が壊れてしまい皆の助けを受ける羽目になってしまったのですが、それでも楽しかったの一言に集約されたのは、いつも周りに集まってくれる仲間達の優しさ、 そして、協調性が大いにあるからだと思ってやみません。「もう行かない。」は、家に戻ってからは、「また機会があったら・・」などと、変化するのは何故!



5/25 この頃の山行は、「山ノ神」を除いて、いや「火曜会」もであるが(それでも、火曜会には、10歳以上若い人何か人かいる。)、20歳も30歳も若い方々との山行機会が多くなって来ている。 同等に歩くなんて無理に決まっているが、何とか混ぜてもらっているという感じである。そのお陰で、身体だけは不十分とは言え、同年輩の諸氏とでは、元気な方ではないかと思っているが、独り善がりかもしれない。

 「ずっと元気でいたい。」「ずっと山に関わっていたい。」は、私の思うところであるが、他人様以上に鍛錬せねばならない。ちょっとでも、サボると、すぐにその報いがやって来る。ジムに通うなんて出来ないが、 休日は、どのようなお天気でも山に出掛ける。そして、仕事日は、朝の自分なりの軽いトレーニングを欠かさない事と思っている。明日も新たなメンバーが一緒である。迷惑を掛けないように歩いて来ます。



5/24 何回も見ていて知っているが、今日もテレビで、佐伯克美さんを見た。世界最高齢クロカンスキーヤーで、ギネス認定も受けておられる。 何せ89歳である。生きているだけでも凄いのに、スキーをやられているのだから我々と桁が違う。。

「今日出来た事を明日もしたい。」などと、謙虚に語られていたが、只々、凄いと思っている。12~13年後に、あのようにやっておられるかは、なかなか難しい。 でも、そのようにやっておられる姿を拝見し、少しでも近付きたいと目標が出来るというもの。

 まず、「食べれる。」「動ける。」が、大事な事に間違いない。後は、意欲・憧れであろうか、鍛錬・訓練に繋がって行くような気がする。  単独で、その意思を持ち続けるのは至難の業である。やはり良き仲間に恵まれる事も重要な事になる。



5/23 犬ヶ岳に行く事になった。まだ正確にメンバーが決まっていないが、「お天気ならどないしても行く。」私としては、4年ぶり8回目になるが、10回登れるかなぁ。 4年前の単独行でもポカをやっている。同行の諸氏に迷惑を掛けないように歩かなければならない。4年前の記述を載せてみます。

 6/7 ピーカンの予報が全くハズレ一日中展望なし。おまけに午後から霧雨。瞬間2~3秒視界が広がったが後ダメ。下山時白鳥山付近で2~3分晴れたかに思ったがやっぱりダメ。
 車に乗ってから、遠くに後立山が浮かんで見えたかに思えたが・・・

 「チャレンジ犬ヶ岳」 であったが、大失態であった。靴を履こうと思ったら靴下がない。昨日から準備をして、破れたのを整理していた筈だったのに、違ったカゴを持ってきたようだった。  過去にもそのようなことがあり、軍手を使った事があったが、今回は足に合わなかった。

 ここで止めるわけにいかないので、そっと、直に靴中へ足を入れる事になる。(不安がいっぱい。) その靴も以前2割引に惚れてワンサイズ上の靴であった。  今までは靴下を2枚重ねて履いていたくらいなので、尚更不安であった。しかも、昨年から、夏用に降ろし毎回のように履いているので、ソールもかなり減っていたから・・ 
 歩き始めて最初に響いたのは足首だった。軍手を入れたり、ズボンを下げたりしたが、すぐにズレてしまう。足の親指、踵なとと都合が悪かったが、最後はムレだったかもしれない。(家に戻ったら、足裏がおかしかった。)

 そんなのに、目に入る山菜を採ったりしているので、尚更遅くなる。それでも、予定通りに歩けたのであるが、やはり時間の経過と共に遅くなっていってしまった。  正午まで山頂に届かなかったら、引き返すつもりであったのが、11時前に着くのではないかと途中思えた。
 しかし、山菜採りの事もあったとはいえ、疲れたのか11時45分着になってしまった。  帰りはやっぱり参った。5時間近く掛かってしまった。でも、終焉間近であったが、カタクリのプロムナードはやはりいい。
 踏まないで歩くのが難しいくらい。また黄連の水場辺りのブナが素晴らしい。今回は靄っていたから余計に神秘的であったように思えた。そして、栂海山荘近くになると、シラネアオイがたくさん咲いていた。 YAMP 犬ヶ岳 2,020.06.07



5/22 「懐かしの一枚」コーナーに載せる写真を探していたら、「山ノ神」と二人で登った早乙女岳に次いで、鬼場倉ノ頭の写真が出て来たが、どうも自分の思いと違っていた。 ならばと、「元さんの戯言・呟き」を辿ってみた。猫又谷の途中から、大猫山に直登していたのだ。(H.15.05.18)の事で懐かしく、その記述を載せてみます。

 5/18 午前4時、そうっと出かけるつもりだったが、「山ノ神」が車を発進させる時に見送りに来てくれた。当人は何とも思っていないのだが、 危険を感じる時は、見送りに来てくれるのかもしれない。有り難い事である。その「山ノ神」一行(県東部の女性達と)は(自分が勝手に付けた名称=山姥グループは顰蹙を買ったので以後使いません。) シャクナゲの咲く袴腰山へ出掛けるようであった。

 片貝川南又谷の猫又谷は、釜谷の出合のチョット上あたりからビッシリと雪が付いていたが、 そこまでは渡渉がイヤで高巻した。毛勝谷ほどでもないが、岩雪の崩落が頻繁に起きている。予定のルートを変更して、直接大猫山に出る谷(沢)を選んだ。 登り始めてしばらくすると、猫又・釜谷山に向かう登山者が、立ち止まって私を見つめている。蟻のように見える7名が気になり、 退却どころか年甲斐もなく、ピッチを上げなければならない。

 疲れ果てた最後の急斜面で、凛の音が聞こえた。何処にいるともわからないのに、「ターさん」と声を発した。 馬場島から登って来たターさんが、ちょうど大猫山に到着した時だったらしい。“ 元ちゃん、大明神山より酷いぜ!” などと私を労ってくれたが、 大明神の方が凄いに決まっている。その後、二人の目的地である「鬼場倉ノ頭」に向かった。
 残雪期は大猫山から簡単に行けるピークである。 雪の斜面を登っている時、ターさんと一緒に馬場島に下ろうかと思っていたのだが、大猫平直下以外は夏道と変わらないと聞き、あの下りは足のつま先が痛くなるので、行動を共にしなかった。 もちろん、ターさんを、猫又谷に誘ったのだが、ムード的に合わなかったようである。

 当初登るのに使おうと思っていたルートの稜線上に立ったのだが、どうも足が竦んで動かず、猫又・釜谷山に使われるルートが無難であろうと足は向いたのであるが、 雪庇やかなりのアップダウンに、その方がイヤになってしまい、先ほどの斜面を下る事にし、また時間をかけて戻った。ピッケルやアイゼンを使っていても、 下まで見えぬ景色ではどうしても慎重になり、始めはジグザグ下降したが、なかなか高度を稼げない。

 しかし、可笑しなもので慣れてきたら、急斜面をまっすぐに下る事が出来た。 10㍍程の滑落もあったが事無きを得た。今回の山行で、ビールを持っていかなかったのはいいのであるが、車の中にお茶や水を忘れていってしまったのである。 たまたま、芦見尾根稜線でターさんと会えて、貴重な水を分けて頂いたのだが、初歩の初歩の間違いを犯してしまった。 午前5時50分に歩き始めて、車に戻ったのが、午後4時10分だったが、すかさずコンロを出してコーヒーを飲んだ。 



5/21 今日は、月に一度の火曜会。お天気が気掛かりであったが、「中山」に6名全員集合。しかし、午後から晴れるだろうとの予報通りにはならず、 霧雨状態は続いた。でも、山頂では、一時的であっても、降らなかったのだから盛り上がった。そして、美味しいご馳走が、いっぱい並べられた。 誰もが、お腹いっぱいと言いながら、満面の笑みであった。

 後半は、東小糸谷を歩いたが、ニリンソウが素晴らしかった。二輪ばかしでなく、三輪もあった。そして、何故か緑に見えるお花があった。私は、そのニリンソウの群落に喜びを感じていた。 「フリンソウ」などと、悪口を言われているお花であるが、とても可愛い。今年は、イワウチワやカタクリなど、行った山々で、「今年は当たり年」なのかと言いながら楽しんだ気がする。

 今日の山行は、時雨たにも関わらず、登り始めから最後まで、皆が喋りっぱなしだったような気がする。楽しかったからかもしれないが、エネルギーが余っていたからかもしれない。 ストレスが溜まってて、そうなったのかもしれないが、良い方向になっていたのなら、この上ない事である。私は、今日の山行で、今年65回目であった。だから、65回も楽しい目に合っている。



5/20 午後から高峰山へ。モンベルで、ザックのショルダーの破損が、直るかどうかを確かめに行ったのであるが、直るにしても、希望の額に収まるかである。 でも購入して2年余である。ちょっと早過ぎのような気もする。でも、「重い物を入れている。」「回数が半端でない。」の声も聞こえて来る。 もしかしたら、新たに購入かもしれない。その間どうしよう?

 高峰山は、鳥越峠から。大辻山も登ると言ったら、おそらく「山ノ神」は来なかっただろう。でも、獲物(山菜)は無かった。(遅かった!) それでもと、 「山ノ神」は、取り残しのワラビと、やや細めのススダケを採っていた。あのまま休んでいたら(床にいたら)後悔したに違いない。歩けた事に感謝しよう。☺☺☺



5/19 今日の人形山は、いつもの美香子さんにガリ君が加わってくれた。20歳・30歳若い彼らが、私達に付き合ってくれるのだから感謝しかない。 いつもなら、途中で止めてしまう「山ノ神」であるが、今日は、頑張って人形山頂まで行ってくれたのです。(笑)
 コシアブラを採り、ユキザサやカンゾウでは、それぞれのうんちくが加わり、それを食してしまうのだから、これまた楽しく面白かった。 そして、美香子さん・ガリ君が、手の込んだ料理を提供してくれたのだから、これでまたお腹がいっぱい。その余勢をかって、三ヶ辻山へも足を延ばした。 最後には細かい雨に見舞われたが、それも愛嬌というもの。楽しくてならなかったから、いつかまた一緒出来るかもしれない。



5/18 今日は暖かかった。いや暑いくらいだった。でも明日は下り坂。そして、その翌日は雨。このようなパターンが、ずっと続いている。でも、明日は、久々の若い仲間も加わり、 人形山に行く事になった。「山ノ神」は、ちょっと不安であるらしいが、それはそれで、ちゃんと合わせてもらえるもんで、何も心配はいらない。山歩きは楽しくなければならない。



5/17 「もう欲張らなくてもいいじゃない!」その通りなんだけど、でも、それじゃ、気持ちが衰えていくような気がする。「あそこへも、此処へも行きたい。」 「あれもこれもやりたい。」と思う心が大事なんだ。そして、休日は全て山に出掛けているが、これをトーンダウンしてしまうと、何もかもが、崩れていってしまうような気がするから 続けるしかない。「そんな事に拘らなくても・・」と、聞こえて来そうだが、ずっと、やるためには、今の私には、これしかないのではと思っている。



5/16 最近、私の周りでは、「肩が上がらない。」「腰が痛い。」「歩く事が、ままならない。」などと、元気に陰りを感じさせる人達が目立って来た。 それが、同じ年頃の人となれば、「何で・・」と言いたくなるが、それが当たり前となると寂しくなる。そして、相方を亡くしたとなると尚更である。

 「毎週3日間、山に出掛けている私は異常なのか?」いやいや、昔ほど速く歩けないし、また、リスクのあるところへも行けなくなって来ている事は間違いないが、 バランスが悪くなっているというものの、まだ普通に歩ける。「ちょっと、ダヤイ!」「少し足が重い。」などでも、まだまだ意欲はある。

 山しか知らない私であるが、決して不幸とは思わない。逆に幸せと思っている。そして、歩ける喜びを感じている。いろいろな方々に声を掛けてもらっているし、 こんなに楽しい事はない。そしてまた、一緒してもらえるのであるから、こんな嬉しいことはない。
 家に戻れば、4日間の仕事は楽しくてならない。何せ、気の合う方々がお客さんなのだから・・・ 出来るもんなら、仕事も山登りも、ずっとやっていたい。



5/15 うっかりしていたわけでもないが、3月・4月と、金剛堂山に行く事を怠ってしまっていた。100回の目標に到達したからではないが、 連続月山行が途切れてしまった。まあ~、そんな事は、どうでもいい事で、それをしたければ、また始めればいいだけの事である。

 行けなかったのは、それだけ何処かに行きたいと思ったか、お天気に恵まれなかったのかもしれない。大地山100回に進むには、やはり冬に拘る事もあり、 半年先になる。今回登った大辻山は、比較的登りやすい事から、ちょっと意識的に足を向けるかもしれない。もちろん白木峰もである。

 もう一つの目標である。10回以上100座は、なかなか難しい。でも、元気でおれば、コツコツと登れるのではないかと、自分を奮い立たせている。  百・二百・三百名山にも興味がないわけではないが、「山ノ神」と、ある程度一緒しなければならないので、かなり難しいと思っている。 でも、どのような山(低くても、遠くでも)でも、それなりの魅力は必ずと言って良いほどあるもので、その山に登れる事の嬉しさを大事にしたい。



5/14 車を離した事から、高峰山の往復後、鳥越峠から北尾根経由で大辻山へ。大展望を楽しんだ後、長尾峠から林道を歩き、来拝山に登ってしまった。 特別速く歩けるわけでもないが、こんな機会がない限り、3座登れる事などない。



5/13 午後から雨が止むとの予報を信じて遅いスタートとなった。休日は必ず山に出掛けなくては、私の存在感がなくなってしまうと思うのは何故? でも、他人様に迷惑を掛けているわけでもないし、「これしかない。」からかもしれない。でも、山はホスピタルそのものである。

 特別のお花もないし、(ササユリの蕾が出て来ている。)、山菜も取り残し程度だし、と思うのは、まだ無心になって登っているのではない。(修行が足りないのかも・・) 雨には全く遭わなかった。東屋横の大きなテーブルを利用させてもらって、「山ノ神」が、カレーうどんを作ってくれた。昼飯代わりなのであるが、なかなか温まらないので、 その間に三角点まで歩いて来た。今日も、歩けた事に感謝である。帰り道に黄色いランを見付けた。ハッピーと思った。



5/12 金剛堂山行に「山ノ神」も参戦!霧雨・小雨、そして、強風(爆風)であっても、弱音を吐かない女性達は凄かった!(「山ノ神は、急登箇所から撤退。2時間も待機する事になった。)

 記念写真を撮るのも至難の業のような山頂に届いた。そして、思わず肩を組んだ。僅か数分の山頂であったけれど、きっと、後々思い出すだろうと思うのは私だけではないハズ。
 山菜採りも楽しかった。何もかも忘れるくらいに無邪気になれたのである。往復2時間の林道歩きは、その代償であったが、冬の小白木峰に行った時の倍歩いただけなのだ。



5/11 予報はあまり芳しくなく、北ノ俣岳を止め金剛堂山行きとした。しかし、予報での雨の降り出しが、早め早めとなってきている。我々も、早めのスタートするつもりであるが、 冬季閉鎖の林道歩きがある。でも、運を天に任せ出掛ける。どないしても、山頂を目指すか?それとも退却して山菜採りとなるかは、明日出掛けてからの事になる。 雨の心配だけでなく、暖かい南風にも注意が必要かもしれない。



5/10 こんなお天気が良いのに明後日から崩れるという。雨は夜遅くから降るようだが、南風が強い予測である。西から崩れて来そうだが、山は、通常平地より早く影響を受ける事が多い。 せっかく飛越新道を歩いて、北ノ俣岳立つ計画であるが、判断は明日にずれ込みそう。お天気が悪ければ、どうしてもという事はない。雪が無くても、お花のキレイな時期もある。 そしてまた、代替の山行もあるから、焦る事もなかろう。



5/9 私は欲張り。尚も山に登り続けたいばかりでなく、違った旅もしてみたい。そして、美味しい物も食べてみたいし、珍しい物も覗き見してみたい。 懐かしい友人に会ってもみたい。出来たら、もうちょっと仕事も続けていたい。それは、とにかく元気でいなければやれない事ばかり。

 贅沢は無くても構わないが、常に目標を持って、忍び寄る「老い」に抵抗していきたいものである。しかし、自分だけ元気であっても面白くない。 知り合いが、皆元気でなければいけないのである。ダフな山行には限界というものがある。重々承知しているのであるが、それなりに可能性の追求も怠りたくない。



5/8 今日は予報通りで、とても寒くエアコンのスイッチを入れた。この3日間の動きで、ちょっと疲れを感じていたが、休日明けの今日は結構忙しく、 ずっと身体を動かし続けた。こんな時は、じっとしているより、かえって調子が良いのかもしれない。

 中4日(仕事日)で、すぐに休日がやって来る。「山ノ神」の言葉を借りれば、「疲れが取れない内に、また、山行日がやって来る。」である。 私からみれば、「雑念がなく、健康のサイクルである。」 それは、「好きな事、山はホスピタル」を兼ねる。もっと極端な言い方をすれば、 仕事は趣味。山は健康のための仕事のようなもの。好きな事の他に、交流があり活性化させてくれる。



5/7 今日は雨だから八乙女山。しかし、私が歩いた午後からは雨は降らなかった。そして、長靴を履いたが、あまり降らなかったのか、登山道は、グチャグチャではなかった。 また次行く山を模索する。お天気なら、北ノ俣岳や八尾側からの金剛堂山に行きたい。ちょっと気になっている方々がある。よく、コメントやメッセージを送ってくださる方々であるが、 いつの機会かにお誘いしてみたいが、なかなか度胸がない。(笑)



5/6 2日目は、黒姫山と飯縄山のどちらかを候補に上げていたが、お天気が気になって、距離の短い飯縄山にした。6回目であったが、殆どが戸隠中社側の西登山口からが多い。 ちびっこ忍者村を通り抜けて登山口となるが、駐車スペースがない。だからであろうか登山者は少ない。(一の鳥居側からが多いようだ。)

 その 一の鳥居側からとの合流点に近付く頃から、「山ノ神」の足が止まった。そして、その頃から風が強くなって来て、雨も降り始めた。山頂に近付く頃から、 今度は、少しであったが、アラレまで混じるのであるからびっくりであった。選択を飯縄山にして正解だったようだ。萱の鳥居から登山口に至る間、 コシアブラ採りになって「山ノ神」は元気になった。



5/5 いつもケチケチの私達であったが、時間がなかったから、朝日→中郷まで高速利用。(GWでも、深夜割引有り。)火打山の登山口は笹ヶ峰。 黒沢橋を渡り12曲からアイゼン使用。(途中、雪が切れ外す事もあった。)「山ノ神」は意外と順調かに思えた。高谷池ヒュッテ着までが、 我々の予定内であったから・・

 高谷池は雪に埋もれていた。その高谷池ヒュッテから、しばらく行ったシラビソの林付近で「山ノ神」の足が攣ってしまった。仕方がないから、私だけが、山頂を目指す事になる。 時間を区切られての歩きは、やっぱり辛い。でも、素晴らしい展望と、それを求めての歩きには満足行くものであった。

 下山時の高谷池ヒュッテ発を、午後2時に予定していた事もあり、私には休憩する時間があまりなかった。流石の私も疲れ気味であったが、たっぷり休憩した「山ノ神」は、 元気を取り戻したかのようだった。その事もあって、笹ヶ峰到着は、我々の予定より30分ほど早く辿り着く事が出来た。食材を買い出しして「道の駅しなの」で飲んで泊まった。



5/4 「行く行かない。」から、結局は、火打山に向かう事にした。少し旅行気分を味わうために前夜発。(新井ハイウェイオアシス泊)
予報は、日曜日は晴れ。月曜日は曇りで崩れがち。火曜日は雨。そして、その火曜日は、「山ノ神」歯科治療の日。



5/3 揉めると言うより、考えに隔たりがあり、上手く纏まらなかった。この先も、行きたいところがたくさんあり、どうしたら良いのかわからなくなった。 「私だけの・・・」ではないし、かと言って、「行きたいところへ行ってきたら・・」の語尾に、トゲがあるように感じてしまうのは何故・・・



5/2 如何に暖冬少雪と言えども、高所にはまだ雪がある。体力に衰えを感じていても、まだ、その魅力から遠ざかる事は出来ない。しかし、我が家にも事情があり、好き勝手ばかりは出来ない。 「山ノ神」との妥協点を見付けるのに苦労しなければならない。体力がなくとも、せめて気力があれば、時間を要しても何とかなるのだが・・

 「お花の山に行く前に、残雪の山に行きたい。」と告げて、どれだけ許してもらえるか分からないが、難度を低くして「一緒に行こう。」と誘ってみたい。ならば、 他の山にも行かせてもらえる可能性が広がるかもしれない。後は、お天気が、どのように味方してくれるかに掛かっている。



5/1 今日は、昨日までの暖かさが、何処へ行ったのかと思う程とても寒いです。高岡の御車山祭は、何とか雨から免れた感はあるものの、 この寒さに温かい物が欲しくなるのは、必死のように思います。昨夜ちょっと、山町筋を歩いて来たから、今日は自宅でゆっくりしたいです。

 バカと思われるくらいに「休日は山に・・」出掛けています。でも、疲れて来ているように思っています。当たり前なのですが、これを止めると、 「元さん」で無くなるような気がしてなりません。意地を通せる間は頑張るつもりです。でも、出来た事が出来なくなっていくのは仕方がないのですが、 でも、諦めが悪いのです。

 「山ノ神」は、もっと状況が深刻です。その「山ノ神」の事も、頭に入れておかなくてはならないのが難しいところです。自分勝手な事ばかりしていると、 我が家は上手く回りません。そして、事故や病に倒れないようにしていく事も、山とずっと関わっていくのには大事な事なのです。
 5月は、どんなところに出掛けられるかな?(5月の休日は12回) 大日岳・北ノ俣岳・金剛堂山・人形山などなど・・・でも!