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9/30 昨日は、「私だけが充分に楽しんで来た。」という感じである。今日の山行も「何処へ行く?」から始まって、なかなか決まらなかった。
ようやく、大辻山に決めて出掛けたのであったが、お互い無言の歩きに近かった。そして、発せられた言葉が、「お天気良くならないじゃない?」だった。
「私のせいではない。」と言いたかった。
展望が全く無い山頂で、我々が食事をしていたところに、山歩きをして間もないと言われる上市ヒロと言われる男性がやって来られた。
そのヒロさんとの矢継早の会話があってから、我々も平常に戻った感じになった。最近は、「私の父と同い年とか、もっと上」と、お会いした方々に言われる事が多くなって来ている。
でも、「もう歳なのかな?」と思う反面、「元気ですね!」と言われる事に喜びを感じよう。\(^o^)/
9/29 5/16の犬ヶ岳山行以来の4名が集った。「きっと晴れる。」を思い込んだのが奏功したのか、徐々にお天気が良くなっていった。そして、皆元気である。
薬師岳山頂には、予定していた時間には着かなかったものの、そこは折角来たのだからと、それなりの時間を取った。
ボロボロになりながらの歩きであったが、辛いとかは全く無く楽しいだけであった。でも、私の心の中には、「こうして一緒してもらえるのは、いつまでなのだろうか?」が、
付き纏う。「元気なら大丈夫!」を糧にして、精進しなければならないという事なのだろう。山頂から折立登山口まで、4時間半余降りたのであるから、まだまだのつもりで・・・
登り始めの登山口で、石川のシノさんに声を掛けて頂いた。「昨年の10/8 猫又山で遭ったじゃない! それから、ずっと前、春木山でも・・」などなど。「今度いつか一緒しましょう。」とまでなった。
山は本当に不思議だ。そして楽しい。そして、いつもお世話になっている土井女史にもお会いした。ステキな仲間たちとの豪華な山行のようであった。羨ましかった。(笑)
9/28 明日は薬師岳の予定である。しかし、あまりお天気が芳しくない。それでも登るか?他の山に変更するか?それとも中止にするか?明朝集合してから決める事になる。
9/27 どんな山でも、10回以上登るというハードルは結構高い。それを100座となると、目標に掲げているものの、達成出来るか不安になってきた。
どの山も、春夏秋冬行けるわけはないし、遠い近いもある。またお天気の事もあるし用事もある。そして、好きな山が存在しているから尚更厄介である。
その上、50回以上20座、100回以上を10座などと目標は大きい。やれるかやれないかは、健康と共に寿命もあろうし運もある。でも、こんな事を考えていると楽しくなる。
そして、幸運に恵まれれば、どのような山でも良いから、誰にも負けない回数を登れないか? それとも、その山に登った最高齢になれないかなどと夢は大きくなる。
現在、10回以上登った山は65座、その中で50回以上は12座、100回以上になると5座である。そしてまた、現在73回の大地山がある。
大好きな山で、1月~3月に限定して登っている。この大地山を、何とか100回にしたいのであるが、無雪期に行かない限り目標は遠い。でも、それに拘って歩き続けれれば、
大地山・初雪山の最年長記録も夢でないと思っている。とにかく、元気でいなければならないのだ!
9/26 今夏の暑さは、私の住む部屋では、灼熱地獄のようだった。今まで使わなかった扇風機を、流石に使ってしまった。パンツ一貫でも、汗が滴り落ちるのだからどうしようもなかった。
最近、少し気温が下がったので、私流の軽い体操を再開する事にした。腹筋30回、腕立て伏せ50回などを組み入れたものであるが、やらないと顕著に体重が増えた。
飲むし食べるし、動かないと、すぐに身体に現れる。今は、71~72キロくらいがベスト。
9/25 毎週毎週、こんなデタラメな生活を繰り返していて良いものかと思わないでもない。しかし、毎日朝から晩まで、テレビの前に座っている事や、ショッピングセンターの中を歩いているだけでは、
それこそ、私は参ってしまう。「仕事をしている(誰かと喋っている。)」「歩いている。」「お酒を飲んでいる。」方が楽しいし生きているという気がする。
最も、いつかは歩けなくなるし、お酒も飲めなくなる。でも、あまり先の事を考えないで、今の自分の力量の中で、やれればいいと思っている。幸い今のところであるが、
一緒に遊んでくれる仲間が数多くある。元気が条件と思っている。また可笑しな事を言わない事も大事なような気がする。毎日諍いがありながら、好き勝手な事が出来る自分は幸せ過ぎるかも・・
9/24 行く行かないで始まった今回の燕岳行き、遅々でも、前回より30分早く燕山荘に着いた。もちろん「山ノ神」は山頂には行かない。その山頂に、私だけが行っている時間を
含め「山ノ神」は2時間半も、燕山荘前のテーブルに腰掛けていた事になる。幸い山頂稜線に掛けては、日差しがあり、快適な時間を過ごせたに違いない。私が担いだビールは2本。
登り5時間半、休憩2時間半、降り4時間。おおよそ12時間であった。「もう最後だ!」を繰り返して言っていた「山ノ神」であったが、イヤイヤながら、やって来られた事を
どう思っているかであるが、10回目は、「山ノ神」抜きでやって来るか? それとも小屋泊になるかである。
9/23 日曜はそうでもないが、月曜・火曜は、バンバンのお天気が約束されていたような予報。日・月の連休を外して、火曜に燕岳の計画を立てていた。
しかし、予報は完全に外れ、高岡から糸魚川の日本海側は、ずっと雨。それも、時々強く降るという状態。小谷辺りで、ようやく細かい雨になり、白馬で止んだという感じ。
この雨で、「一日一座」を諦めざるを得なかった。(途中、簡単な山に登るというもの。)
例の如く、白馬のスーパーで食料を買い込み、燕岳登山口(中房温泉)に入った。いつも混み合う駐車場は、半分くらいの車しか止まっておらず、楽々駐車。
そして、椅子・テーブルを出し早めの宴となった。お腹の容量は決まっているもので、たくさん買い込んでも、お腹に入る量は決まっている。したがって、
早めの就寝となった。
9/22 雨。今日の八乙女山は、予報より長く降っていた。「こんな日もあるさ・・」と自分で納得するしかない。登り始めから、降りて来るまで、ずっと降っていた。
「何が面白いのか?」と問われても、返す言葉もない。しかし、「継続は力なり」でなく、やっぱり私に目を向けて欲しい。などと思う時は、人のやってない事をやるしかない。
もう特別の事を出来る年齢ではないし、「雨の日にも・・」が、一番てっとり早いかもしれない。後は回数や登頂年齢であろう。そう言って自分を励ますというのか、奮い立たせる
しかないのである。でも、それは、長年の間に蓄えた力が、長生きになるような、そんな気持ちになればいい。
9/21 懐かしの写真を探していたら、14年前の大猫山・猫又山の記事が出てきた。一人で22キロの荷を担いでなのだから、結構頑張ったのであろう。
「若いっていいな~。」も、こんな事からも生まれて来る。
9/20 結局、夜半から少々風を伴った雨が降り出した。何が悪かったのか知らないが、お腹の調子も悪くなってしまった。眠れなかった。何度も何度も時計を見るが、針は進まず長い長い夜であった。夜が明けても視界がなかったが、細かい雨だったので山頂だけは踏んできた。(約5分)
お天気が良くないので、釜谷山は諦めた。そして、今回、またまた主食を自宅のテーブルに忘れて来た事と、ブナクラ峠へ降りる登山道の状態を把握していなかった上(結果的には整備されていたのかもしれないが・・・)、お腹の調子がイマイチだったので、復路を昨日登ってきた大猫山経由にする事にした。
それには、昨日撮り損ねた写真を、もう一度撮れないものだろうかの思いもあったからである。2~3時間経てば、雲の流れが変わる事もあるから・・ でも、その願いは届かず、2~3度剱のてっぺんを見せるかと思いきや、すぐに隠れ、その後は一度も姿を現さなかった。大猫山頂上でも、大猫平でも、少しは待ってみたが残念ながらである。
今日は敬老の日で、お天気なら誰かが登ってきても良いと思うのだが、如何せん雨。そして、ガスであるから誰一人上がって来なかった。1550m地点で、滑って四つん這いになって倒れた。荷が背に覆いかかり、臑を打ち、枝が目尻に当たった。(目に入らなかって良かった。) そして、なかなか立ち上がられなかった。
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9/19 「山ノ神」を、高岡駅まで送ってから馬場島に向かった。馬場島では車が溢れ、至る所に駐車されていた。ブナクラ取水口でも、かなりの車が押し寄せており、遅い到着の私は、辛うじて車を止める事が出来た。22キロの荷は、快適に過ごしたい理由から、水とアルコール類だけで5キロを占めていた。遅い出発であれど、ゆっくり楽しみながら歩く事に務めた。
途中、大猫山が初めてだと言われる魚津の鹿熊氏と浜田氏出会、何となくご一緒する事になる。あちら様は、私の事を何となく、何処かで見たような気がすると言われ、こちらもあの方々は、何処かで見たような気がするとなる。
私の事をPCで見たとなった。私からは、鹿熊氏は俳優の阿部寛、浜田氏は巨人軍の阿部慎之助に似ているのである。お二人も、時々、そのような事を言われるそうでした。そのような事もあり、荷を担いだ割にしては、4時間半で大猫山山頂に達する事が出来た。今の私の状態では、息も上がらずスムーズによく来たものであった。
コーヒーを飲み記念写真を撮って、お二人と別れ、猫又山に向かった。パラパラと何度となく雨が落ちたが、視界は良く、ずっと剱岳を撮りながら歩いた。時には座って、また寝転んだりしながら・・・
テン場はなるべく自然を壊さないように努めたが、3~4人用のテントを張るのに、風が伴いちょっと戸惑った。張り終わって担いで来たビールを、グッと飲んだのであるが、実に美味しかった。しかし、黄昏が迫り食事の準備を始めた途端に手が攣り始めた。その手を揉み始めたら、今度は両手とも攣りだし何も出来なくなった。足を動かしたら、そちらも攣りそうになったので、しばらく動かずにいた。(梗塞まで疑ってしまった。)
もしかしたら、今日は汗を掻いた割には、話し込んだり写真を撮ったりばかりしていて、水分補給を殆どしていなかったから、(一日で、200mlくらいしか飲んでいなかった。)このようになったのではなかろうか思い急いで水を飲んだ。すぐには収まらなかったが、時間が経つに連れ良くなったが、今度は、酒の肴にとハムを食べたが、全然美味しくなく悪くなっているのではないかと思った。(残して家に帰ってから食べたが何ともなかった。)
そして、主食を忘れて来た事に気が付く。(カップ麺や焼きそば)でも、辛うじて、芝寿司を買ってきていたので何とかなると思った。しかし、あまり食べられず、持って来たビールや清酒も残す羽目となってしまった。カップ麺や焼きそばの為もあって余計に担いで来た水も、正しく水の泡であった。長い長い夜が始まった。
9/20 明日から、また降るような降らないような、可笑しなお天気だと思っている、出掛けると降っちゃうし、出掛けないと降らない(陽が差したり)事が多い。
どちらにしても後悔するので、余程でない限り私は出掛ける事にしている。大雨なら、近場のいつもの山なんだけれど、いつもかもだと、ちょっぴり飽きるよね。
ちょっとだけ、降りそうな時に行かなければ、「来るかと思っていたのに・・」とか、「待っていたのに・・」とか、後日、有り難いコメントを頂く事がある。
それとは別に、降りそうでも、その後の晴れそうな気がする時は、ちょっとだけ遠出も良いものだ。本当は、山の中の宿に泊まれば、どうであれ「山の雰囲気」を味わう事が出来るのであるが、
なかなかそうはいかない。でもね! 行かないと、そんなクセが付き、だんだんと行かなくなってしまような気がします。それが一番怖いのです。
9/19 このところ、お誘いの他に、お尋ねや忠告、そして気遣いなどを、いろいろな手段でお受けしている。有り難い事である。自惚れなく謙虚であれば問題ないのであろうが、
甘いところもあり、なかなか思うようにならない。自然と体力が落ちていくし、頭の回転も悪くなっていく。でも、何もかも諦めたらオシマイ。何とか前向きで行かなくては・・・
9/18 昨日の投稿で、余計な心配を掛けてしまいました。(ゴメンナサイ)ちょっと擦過傷があるものの元気です。連日たくさんの汗を掻いたからか、
また、3日間も白米を食べていないからかもしれないが、写真を見ても、やつれているが分かるくらい。
今夏の暑さで、5分間トレーニングも滞っていたのですから、痩せた割にはお腹が出て来ています。身体は正直です。もっと、元気でいたいのですから、
ビールの点滴では、気は紛れても、身体にはダメージが残るのかもしれませんね。
9/17 白木峰は、土砂崩れなのか分からないけど通行止めだった。仕方なし金剛堂山に向かった。何と今年の2月以来であった。昨年意欲的に登ったのと
随分と違っている。それでも、記録を見ると103回目であった。この暑い中、また、天候不順の中、誰もやって来る人はいなかった。私の望む静かな山では
あるが、気持ちの良い静かな山が良い。
最近は、何となくイヤな下山。特に濡れているところである。注意に注意を重ねていたのであるが、最後に真っ逆さまに転倒してしまった。幸い大事に至らなかったが、
一つ間違えれば、山との縁がなくなってしまうのであるから、もっと注意しなければならないのだろう。
この3日間、焼岳山行が中止になり、高い山には行けなかったが、それでも3日間歩いた。そして、八乙女山では、万さんやT夫妻にお会い出来た。小佐波御前山では、an-coさんと
始めから歩く事が出来、久しぶりに北ちゃん夫妻にお会い出来た。そして、金剛堂山で痛い目に遭ったが、103回目を記録した。
土曜日の晩から出掛けている「山ノ神」であるが、帰宅予定は明日の晩。汗をたくさん掻いた事もあるが、この間で4キロも痩せた。毎晩ビールをたくさん飲んでいても・・・
9/16 元気者のan-coさんと小佐波御前山に行って来た。何だか蒸し暑く、すぐに、びっしょりとなった。若い人に適うわけがないが、今後の事を思うと、
一生懸命歩かなければならない。元気がなくなったら、「一緒してもらえない。」「誘ってもらえない。」など年寄りには辛いところがある。
若い人達から、目には分からないエネルギーが感じ、それを間接的にもらえる気がする。こちらは、同じ事ばかりで、きっと面白くないと思う。
それでも、何か魅力があると良いのだが・・・分からないが、ずっと歩き続けて、そのような事を見出されたらなどと思ってしまう。
小佐波御前小屋で、北ちゃん夫妻に出会った。最近は、最初から一緒する事がなく、ちょっと寂しいが、何処でも良いから会いたい。長い山の友
(好山病友の会の重鎮)だから、山の思い出話がいっぱいあるから、楽しくて仕方がない。このような事に、an-coさんは相槌を打って聞いてくれたから嬉しかった。
私は、最近、自分の事を年寄りだという事が多くなった。自覚して来ているのだろう。本当はイヤなのであるが仕方がない。でも、最近高齢者の年齢を引き上げるという話もある。
自分では、140歳まで生きるのだと言って他ならない。元気であれば、何でも出来るし楽しい。少々都合が悪くとも意欲があれば、その道は拓けると思っている。
今、私に山で付き合ってくれる方々は、私よりずっと若い。20歳・30歳も若い人達である。本当に有り難い事である。身体や考え方など精進しますから、もうしばらく、
いや、もっと長く宜しくお願いします。
9/15 昨日、美香子さんから、大角友子さんが雲ノ平で亡くなられたという訃報をもらった。美香子さんにしてみれば、山友、もしかしたら、師匠のように思うところもあったろうに、
ショックでしかなかったと推察しています。大角さんは、いつも、朗らかでニコニコしておられた姿が思い浮かびます。私自身は、大地山を一緒した印象が強く残っている他、時々、山中でお会いして、
お互い、面白いことを述べあった事があったかな。今年も、8/11僧ヶ岳で、懐かしの山友を紹介していただいたのでした。(20年ぶりだったから、お顔が分からなかった。)
しかし、私は、通夜や葬儀に参列する程の間柄でないだけに、そっと、静かな山を歩き、彼女の事を思い出しながら追悼したいと思った。この訃報を聞かないまでは、白木峰に行こうと思っていたのですが、
お天気の状態もあったのですが、あまり士気が上がらず、時間の経過と共に、八乙女山としたのでした。
昨夜の飲み過ぎと、眠られなかったのが重なり足取りは重かったのです。そうしている間に大平展望台に着き、井波の万さんと、砺波のT夫妻にお会いしたのでした。お話している内に、
「コーヒーでも入れようか?」となったのですが、肝心のコッフェルが見付からず(忘れて来た)かなり恥ずかしい思いをしてしまいました。
そんな事があったのですが、山頂を周遊し、何やかんやとお話しながらは楽しかったのです。(でも、喋り過ぎたかもしれません。ゴメンナサイ!)
ところが、その最中から、雨が降り出し、全身びしょ濡れ、登山道も川のようになってしまいました。「雨の日には来ない。」方々には、申し訳なかったです。
9/14 上手に予報を当てる友人に、「明日の午前中は、大丈夫ではないか?」と言ってもらったが、その後の私の観測では、もう少し悪くなって来たようにも思える。
早朝から出掛けられ、尚且つ、今の予報通りなら、白木峰に行ってみたいと思っている。ダメなら、傘を持って、いつものパターンになる。
追記 投稿寸前に訃報が入り、月曜日の山行は中止になりました。(雲ノ平での事)
9/13 今度の私の連休(毎週日曜~火曜)は、またまた予報に翻弄されそうである。先週、ようやく実行にこぎ着けた雷鳥沢キャンプも、企画4回目であった。
その中の一つは、ノロノロ台風で、終いには、その台風が消えてしまったという可笑しなものであったが、今回は、離れているものの、何だか前線が悪さをしそうな感じである。
今回、その中の一日(9/16)は、久しぶりのメンバーで山行企画があるのに、傘マークが着いたり消えたりで、楽しみが揺らされている。「傘を差してまで行く。」は、
あまり考えられないし、その前後の日を含め単独行になる可能性がある。でも、まだ諦めているわけでもない。
9/12 ようやく、車検からデリカが戻って来た。一安心なのだが支払いが辛い。「イヤなら車に乗るな!」が聞こえてきそう。まだ、9年間167、000キロである。
30万キロまで乗りたいが、どうなる事やら・・・ そして、もう一度くらい新しい車に乗ってみたいという願望がある。
まだ一週間程、暑さが続く予報を聞いた。MyRoomは辛いが、耐え抜くしかない。「忍耐は苦いが、その実甘い。」山歩きと一緒かもしれないが、眠れないのが、ちょっとつらい。
まだ食べれるから、何とかなっているのだと思う。あっ、そうそう、山から降りて膝痛を忘れていた。この膝痛も厄介である。でも、いろいろ工夫して乗り越えなくてはならない。
9/11 エアコンがなく、網戸も破れていて、とても快適とは言えない我家のマイルーム(MyRoom)であるが、何故か落ち着く。しかし、この暑さ(30℃、もしくは、31℃)では、
パンツ一貫であってもダメである。とうとう、古い扇風機を動かしたが、やはり私の身体には合わないようである。今思えば、やはり雷鳥沢は天国であった事は間違いない。
「山ノ神」の言葉を借りれば、疲れが取れない内に、また休み(休日)がやって来る。そうかもしれないが、こんな楽しく素晴らしい人生を送れるとは夢にも思っていなかった。
(ちょっとオーバーに表現したかも・・)でも、財力や知識などは劣っても、今の環境下には充分満足しているのである。あとは、「山ノ神」が、私に対して優しくしてくれれば申し分ないのだが・・・
その「山ノ神」今度の土曜の夜から、友人とで青森に行くというのである。(水曜日の夜に戻るとか・・)どれだけでも、自由に出掛けても良いと言っているのであるが、
何処へ行くとか、何処に泊まるかはわからない。行き当たりばったりの旅行らしい。 そうなれば、私は、丸々3日間+1日 自由の身になるのだが、やっぱり営業日は休みづらい。
「どの山に登ろうか?」 必ずしも泊まらなくても良いし、日帰りばかりでも良いと思っている。今のところ、山行日としては、16日(月)だけが詰まっている。他の日に、こんなジジイと
一緒しても面白くないだろうから、声も掛けにくいし、声も掛からないだろう。一人で気ままに歩くのも、たまには良いのかもしれない。冬なら、もっと楽しむ所を知っているのだが・・・
9/10 私は、若い頃、雄山から別山乗越(剱御前)の縦走は、それなりにしていたと思っているが、最近は殆どなくなってしまった。
「何故か?」は分からないが、体力の自信がなくなったからか、それとも、午後からの展望は良くないからなのか、それなら、何処かお気に入りの
ところへなどと思っているのかもしれない。(例えば、別山や剱御前山など)
今回も、雷鳥沢キャンプを実行したが、もしかしたら、「避暑」との意味合いがあってかもしれない。でも、重い物をいつまで担げるかになるが、
少しなら、小屋を頼りにする方法がある。(飲み物の購入など)そして、小屋・山荘を利用という方もある。未だに、どんなに低くても、ピークに立ちたい願望があるだけに、
おいそれと、ならないかもしれないが、目標とか拘りとかを、生きていくためにも大事にしたいと思っている。
今回の山行は、池田氏の記念山行があり、その点においては充分に満足であった。そして、3日目には、2日目にお会いした「東京のいしだいくさん」と、
「京都のあつこさん」に再びお会いしたという偶然とは言え嬉しかったし、想い出となるでしょう。でも、もうお会いする事などないかもしれないね!
そしてまたなのであるが、池田氏の記念山行に、ご一緒した土井女史が、またまた私達の前に現れ、助けて頂いた事である。(詳しくはYAMAP)
その情熱や気力、そして、あの知識・人脈などは、唯の人ではないと思ってしまいます。そして、優しい。有難う。
9/9 今日は、辰年生まれの池田氏を龍王岳で祝う企画があった。雷鳥沢にいる私達は、神の道をゆっくり歩いて、一の越で落ち合う段取りである。
当事者の池田氏、そして、土井女史とマキちゃん達は、当初の予定より、1時間早く立山駅を出発するとの連絡を受けたので、こちらも遅れないように
6時前にスタートしたのである。
昨夜は満天の星空だっただけに、そのお天気が、そのまま継続しているかのように、青空の下を歩く事になった。しかし、遠くに雲海が発達しているかのようにも伺えた。
神の道は、静かな山を楽しむに絶好の場所である。チングルマの綿毛が本当に可愛い。(私の好きなところ)そして、紅葉が始まって(初歩の段階)いるかのようにも思えるのであるから、
楽しいではないか? 同じ物を何枚も撮っていたのだから可笑しい。(後から見ると本当に笑ってしまった。)
待ち合わせの時間まで、充分過ぎる程時間があったので、欲張りの私は、「その間、雄山まで行けないか?」を考えていた。しかし、「山ノ神」の足は伴わないのだから、
「止める。」「まだ間に合う。」などと、勝手に積んだり崩したりしていた。「山ノ神」が上がって来た時点でまだ45分ある。「1時間では、往復出来ないだろうが、10分ほどの遅れがあったら
謝っておいて・・」などと、「山ノ神」に託して、雄山に向かってしまった。神社の境内には入らなかったが、予定より、もうちょっと時間を要したものの、そんなに待たせない内に、
一の越まで戻って来られホッとした。
そして、これからがメーンである龍王岳に5人で向かった。龍王岳は、最近人気が高まって来ているようで、次から次へと登山者が訪れていた。(百高山だからかもしれない。)
山頂手前で、東京のいしだいくさん(女性)に声を掛けてもらった。YAMAPのフォローをしているが、一度もお目に掛かった事もなかったし、お顔も知らなかったのに、
それこそビックリであった。しかし、嬉しいものである。何枚も写真を撮ってもらった。
そんな事もあり、山頂へは、ちょっぴり遅れてしまったが、「池田氏登頂おめでとう。」
そして、「バンザイ!」「乾杯!」と続いた。美味しい物もたくさん頂いた。池田氏は84歳である。元気で毎年登り、12年後の96歳まで登り続けて欲しいと思わずにはいられなかった。
多分大丈夫であろう。あの降っていかれる姿や速さを見るに付け、普通の人と違うのだから・・・
帰りは、浄土山を経由して、室堂山側に降りた。その速さは、池田氏だけでなく、土井女史やマキちゃんも同じである。「山ノ神」は、付いていけるわけがないと、
休んだり写真を撮ったりして楽しんでいたようだった。室堂小屋まで一緒して頂いた。そこから、我々は、またまた神の道に出た。本当に好きな道である。
1時間半程の間に、ナチュラリストの方一人とすれ違っただけだった。
テン場に戻ってからは、神奈川から来られた隣のテントの住人・福島氏と歓談!「人生について・・」いろいろと勉強させてもらった。私達より、一日遅れて大日方面に行かれ、
称名経由で立山駅に行かれると言っておられた。今夜も満天の星空となっていた。
9/8 車検を受けているデリカに、いろいろ不都合が見付かったとかで、約束の日までに戻って来なかった。だから、今日は、代車で立山に行く事になる。
意外と荷が多くなり、二人のザックは途轍もなく大きくなった。(擦れ違う人達が振り返っていた。)それでも、雷鳥沢までだから我慢が出来るはず。
テントを張っても、まだお昼頃であったが、イマイチのお天気だった事もあり、テン場でゆっくりする事にした。お昼から飲む事は止め、ずっと我慢(笑)
もっと早くから仲良くなっておれば良かったのに・・ 金沢のちょう吉さんと、東京の純子さんと楽しい晩餐!
向かいのテントの後ろから恐竜が出現! ビックリもしたが、大人気となり、カメラを持った人達が集まって来て、ポーズのリクエストまで行っていた。
2Lの清酒も底が見えて来ていた。でも楽しくなり、空を見渡せば満天の星空となっていた。
9/7 明日から雷鳥沢キャンプ。今夏4回目の企画で、ようやく行ける事になる。立山駅発が、いつもの時間より1時間以上遅いスタートとなり、
もしかしたら、キャンプ地でのんびりなるかもしれない。最も、それが目的の一つであるので、焦らなくても良い。
今回も「行くの?行かないの?」の言い方が悪いと「山ノ神」からのクレームがあった。誰にでも、心を込めて応対しているつもりであるが、
やっぱり、何処か抜けているのかもしれない。でも、あちら様は、そんなに偉いのか・・・
9/6 あれやこれやと述べているけれど、どれも、ちっちゃな事。それこそ、「何を言っているんだ!」となる。大した事でない事ばかり。
もうちょっと、前向きでならなければならない。諍いも、たまに良いだろう。でも、違った角度から見たり、また考えれば、衝突も少なくなるかもしれない。
私は、人のため、世の中のために、何をやってきたのだろうと、この頃、時々であるが考え込む事がある。それこそ、「どんなちっちゃな事でもやらなければ・・」
先日、閑乗寺公園の展望駐車場で、一人の男性がゴミを拾っておられた。自分の意思でやっておられるのか、それとも、その辺の関係者なのか分からないが、
そっと去ろうとしておられたので、私は思わず「ご苦労さまです。」と言った。そして、「ありがとう。」も付け加えたが、ちょっと、はにかまれたように感じた。
私は、そのような立派な事は出来ないが、何かないものかと思うがなかなかである。こんなのはどうだろう。「ずっと元気でいる。」そして、「負けられない・」とか
「あの人がやっているのだから、私だって・・」などと、思って頂けるのは、人のためにはならないか? そんなのはダメか?
私は、お核様商売。気に入った人に来て頂いている。そして、時間のある限りお話の相手をしている。帰られる時は、「元気でいようね!」は忘れない事にしている。
歳を取ると、だんだん友人・知人が減っていく。寂しい話である。どんなお金持ちでも、頭の良い方であっても同じである。今の私は、少し違う。
同級生や近所の人達は減っても、山の友人が増えている。ちょっとだけの関係かもしれないが、私は嬉しくてならない。そして、元気でおれば、もっと遊んでもらえると思っている。
お店のお客様も、以前より緊密になって来ているように感じるのは、自分善がりなのだろうか?
9/5 7月から、延びに延びた雷鳥沢キャンプが、次週ようやく行けるのではと思うようになった。しかし、「山ノ神」との冷たい戦争もあり、
「行くのか行かないのか」と、また荒手の伺いとなってしまった。その上に、安定して来たお天気と思っているのに、アレッと思う傘マークが付いたりする。
他の事もあり、ギリギリまで分からないのが現状。でも、どうであれ、山に行くのは間違いないのであるが・・・
9/4 高1の9月、単独で医王山に登った。簡単な地図を持って、高岡から福光まで汽車。福光駅から祖谷までバス。国見から三蛇の滝・鳶岩、そして岩峰に立った後、
石川の湯涌温泉に降りた。当時は、まだアローザなく、夕霧峠などは、今と全然違っていたはず。奥医王山は遠くにあった感じであった。
中2・中3の時、2泊3日で立山に団体で出掛けていたが、単独で出掛けた医王山は、昭和38年9月の秋分の日であったから、満61年になる。
今では、その医王山に、あまり出掛けなくなったが、高3の時だったか、一ヶ月に3回も、テントを担いで出掛けた事もあった。
(当時は、土曜日が半ドンで、午後から出掛けたていたのです。)
そんな私でも、いや、「休日は山に出掛けなければ・・」と言っている私でも、「どうしようかな?」また、「こんな日に・・」と思う事がないわけではない。
でも、最近は、「行かなかったら(歩きに行かなかったら)山が終わるのでは・・」の恐怖が付いて回る。だから、何としてもとか、バカと言われようが・・
行かなければならないようになってしまっている。
夫婦間も、そのようなもので、普段は、イヨウガイマイガどうでもよく、必要な事があれば、その存在に気付くという感じである。イナクテモイイ。イナイホウガイイ。
なのかもしれないが、イナクナッタラ、きっと困るのだろう。 ラブラブだった時が懐かしい。でも、そんな時があったのだろうか? 忘れてしまったのだろうか?
9/3 二日目は、斑尾山や米山など、簡単な山を考えていたが、気分の悪かった私が、「帰る。」と言ってしまったのである。でも、下道故に走行距離・時間がある。
長い沈黙の時間の中にも、「何処か登るか?」となり、戸倉山に行く事になった。イマイチのお天気だけに、昨日と同様誰一人いない。しかし、今日は「山ノ神」が登ると言った。
戸倉山での歩きも、殆ど会話がなく、それこそ静かな山そのものであった。山頂では、例の如く、「山ノ神」が、あちらを向いて、一人で冷たい物を飲んでいる。動きもしない。
下山時は、途中からお互い単独行スタイルになってしまった。長い人生何でもある。我慢すれば、いつの間にか平穏になる。そう信じるしかあるまい。
9/2 雨は、そんなにも酷くなかった。どの山にしようかと思ったが、千石城山が、一番時間が掛からないとの思いから、そうする事にした。ところが、「山ノ神」は、
「私が行くと、時間が掛かるでしょう?」との口実から、登山口で待つ事になった。登山口周辺では、草刈りが行われていて、随分キレイになっていた。
杉林を抜けてから、右に行くと、小さな沢がある。その沢に架かっている橋(板状の物)が、先日来の大雨で破損していた。お天気の良くない日に出掛けると、
凄い泥濘に足を何歩か入れなくてはならないかもしれない。(修復されれば良いが、なかなかだと思いますが、如何に?)
単独・小雨では,長居する事などなく、早々に山から降りた。車に戻ったのは、午前11時20分、それから妙高である。もちろん下道である。珍しく「山ノ神」が運転を買って出た。
と言っても、東種から市振まであった。予定通り午後4時前に休暇村妙高に着いた。
休暇村妙高には、今年2回目で、これまでも何回となく利用している。今回は、突然思い立ったのと、閑散期で、料金の割引やポイントの加算など有利な面があったのも、
その動機になったのも事実。部屋も料理も一番安いものだが、それで我々は充分なのである。部屋に戻っても飲むのであるから、またまたお腹がいっぱいであった。
それがである。何を言ったのか。何を言われたのか分からないままに、雰囲気が可笑しくなってしまった。いつものパターンである。言葉少なく、飲んでいるだけ・・
これでは面白くもない。それを引っ張ってか、眠れない一夜だった事に間違いない。
9/1 このお天気に何処へ行こうかと迷ったが、長い間の山行故、無理せず八乙女山とした。今日は、どのようなタイミングだったのか、上の駐車場には、展望観覧ではなく、
山行と思われる車が数多く駐まっていた。同じ頃に到着したグルート氏に同行をお願いし、風穴まで行って来ました。アケボノシュスランの事もあったからでした。
途中、いろいろな方々に声を掛けて頂き、元気で山歩きしている私に、激励して頂いているとの思いにさせてもらっている。唯々感謝しかない。
大パーティーの八乙女会の皆様にも、ご挨拶出来良かったと思っている。余談であるが、山で、揚げたてのキスの天麩羅を頂いたのであるから、言葉にならない嬉しさもあった。
明日は、今日の分まで雨のようである。(狂って欲しい。)これから日程で、「山ノ神」に充分を承認してもらおうと、明日は、妙高へ出掛けて、サービスの予定である。
それでも、一日一座の私は、どんな山でもいいから登りたいのだが、どうも雨量が半端ではないようである。諦めるかどうかは、明日起きてからになる。