元  ち  ゃ  ん  の  山  紀  行
人 形 山 (1,726m)
<富山県平村、上平村、利賀村、岐阜県白川村>
平成15年11月17日





 昨日の「僧ヶ岳」の雨は、気温低下と共に雪になったようであるが、登山口に着いても視界が悪く、白い山並みは見えなかった。 午後から晴れるという天気予報も、山はやはり違うようであった。
人形山登山口
 
 昨年12月上旬にマルツンボリ山に出掛けた際、大きくヘアピンカーブしていた所が土砂崩れのため通行出来ず、中根平まで30~40分歩かなければならなかったが、舗装は切れていたもの、もうすっかりのきれいになっていた。しかし所々の路肩が工事中で、工事用機械が置かれている所はギリギリに車を走らさなければならなかった。

 中根平からも新たな広いコンクリート道路が600mほど延びていたが、その先は、従来の狭い道で、多くの車を通さなかったからであろうか、何時もより草木が林道淵まで伸びていたように感じられた。
登山口の駐車場には、「登山中」とユニークな看板を車内に付けた車が一台止まっていた。

 登山道はさほどぬかるんでおらず、まずまずのコンディションであったが、お天気の回復が遅れているのだろうか、一向にガスが晴れない。1050mを過ぎた頃の「人形山まで5k」の標識がある所から、昨夜から降ったのであろう雪が現れ始めた。
 1時間程で、第一休憩所(1218m)に着く。5cmの積雪を観測したが、樹木の間からは人形山をはじめ周りの山々が見えなかった。
 第二休憩所(1380m)では、ガスの切れ間から、隣の山が真っ白に見えて消え、標高1400mあたりから雪が舞い始め、昨日の僧ヶ岳と気温の違いを感じた。
 

標高1050mから雪が現れた 第一休憩所では5cmの積雪 すっかり雪になった

 ガスに覆われた宮屋敷跡に到着して意外と少ない雪量に驚いた。しかし、ゆっくり腰を落として休憩するには寒かった。
 宮屋敷跡到着が午前11時で、この時期としてはやや遅く、果たして頂上まで行く事が出来るのかという不安があったが、雪の量と時計を気にしながら頂上に向かった。
 宮屋敷跡を少し下り、緩やかに尚も下り、今度は雪に隠れているが、ロープのある坂を登り返して風衝草原に出る。
 もう一度下ったら梯子坂の登りであるが、三ツ辻山との分岐である稜線まではそう遠くはない。


宮屋敷跡の鳥居で 新雪を踏んで頑張る「山ノ神」 稜線の分岐の道標

 登山口にあった車の持ち主と思われるトレースは、稜線の分岐から三ツ辻山方面に向いていた。
 雪の降り方が強くなったので、雨具の上だけを着用する事にした。濡れた軍手も、指先を縮こませてしまいそうである。
 ぼんやりとしか見えない人形山頂上へ足を向け始めたのが正午であるから、午後1時前に頂上を後にすれば、この程度の条件なら何とかなりそうだと、やや安堵である。
 積雪は、20cm前後で、「キュッキュッ」と新雪を踏む音が気持ちがいい。少しある岩の上さえ気をつければ何の問題もない。
 「まだけ!(まだですか?)
 「もう少し・・・(まだけ!と聞かれても俺が道を付けたわけではない。それ以上言うと、また帰路で、まただんまりが続きそうで・・・無視する。)

稜線に出て頂上に向かう 風に吹かれてオットット! 人形山頂上で

 寒い頂上は、20cm程の雪量で、それほど多くはないが、白黒の世界である。
 とりあえず、お腹にものを入れなくてはならないのに、何をおいても「山の神」は、まずビールである。どんなに寒くても飲まなくては山に来た気になれないと言う。最近は日帰りなどの簡単な山行は、私が飲まなくして運転に徹する事にしているからかも!
 飲み始めて「山ノ神」が叫ぶ!・・・・「晴れると言っていたのに!」
   今日は時間の関係で、頂上で長居する事なく、早々に退散となったが、リックを背負った瞬間に、真上だけに青空が見えた。しかし、すぐガスに包まれてしまい、元通りになってしまった。
 もう少し頂上にいたいと言う「山ノ神」に、午後1時がタイムリミットだと告げ潔く下山する事にした。宮屋敷跡でも、一時的に青い空が見えたが、五箇山の山並を最後まで見せる事はなかった。
 しかし、雪が消えた登山口に近付くと、低い山だけがお日様と共に顔を見せて、明日の晴れを約束していたようであった。




 ■■■コースタイム■■■
高岡6:45=登山口(8:10~35)=第一休憩所(9:30~40)=第二休憩所(10:15~25)=宮屋敷跡(10:55~11:15)=三ツ辻山との分岐(11:55~12:05)=人形山頂上(12:30~13:05)=三ツ辻山との分岐13:20=宮屋敷跡(14:00~05)=第二休憩所(14:25~30)=第一休憩所14:55=登山口(15:35~50)=高岡

 ■■■同行者■■■
         比佐恵