元  ち  ゃ  ん  の  山  歩  き
大 辻 山 (1,361㍍)
<富山県  立山町、上市町> 平成15年12月21日




左から小竹・辰口・本間・「山ノ神」・筏井夫妻・細川・F女史




 ■■ 事前に連絡が取れて、仮称「かたかごグループ」と共に、大辻山を目指す事になった。前日にかなりの降雪があったと予想はしていたが、所帯人数も増えたし、もしかしたら、山頂に届くのではないかと高をくくっていた。ダメでも奥長尾山には必ず行けると思っていた。しかし、「国立立山少年の家」に着いてびっくり林道には全くトレースがなく、いきなり120cmの積雪であった。

いきなり積雪120cmカンジキ装着 雪中行軍の始まり 人間ラッセル車の細川女史

 ■■   「かたかごグループ」4名と、私達2名の計6名のラッセル隊は、勢いよく雪中に突入したのであるが、なかなかピッチが上がらない。ラッセル車の細川女史がいるが、片輪の茜ママがいない事に嘆く筏井氏。
 30歩で交代が20歩で交代とだんだん疲れて来る。後方から何処かで見た顔が現れる。赤谷山の辰口氏である。そのまた後に女性が現れた。(後にわかるがターさんの知人F女史であった。)2名増えて、これならかなり早くなるかと思ったが、雪量も増えていくのでなかなか思うようにならない。


20~30歩あるけば交代 もう少しで城前峠 城前峠を行く 城前峠まで2時間以上費やす

 ■■   「国立立山少年の家」から城前峠まで2時間10分を要してしまった。この頃から大辻山頂どころか奥長尾山も無理と思うようになり、何とか長尾峠までになっていた。
 もう、「そろそろ宴会に?」の声も出始めたが、初めてカンジキを履いた「天使」などは、フカフカの雪の感触に酔っているようで、もっと歩きたい様子であった。偵察に訪れた「F女史」も、もっと先にの希望のようであった。いつもなら歩くよりは、ビールの「山ノ神」までが、もう少し歩きたいようであった。何と言っても一番元気な「細川女史」は、“ここで止めるの!”と不満のようであった。それに引きかえ、今日の男性群は「宴」のところへ心が傾き始めていたのである。


奮闘する筏井氏 F女史先頭で 筏井夫人余裕の笑顔 雪がだんだん深くなる

 ■■   長尾峠到達の見通しもたたぬまま、城前峠より1時間半進んだ所で、「敗北宣言」に代わる「宴会宣言」が鍋奉行から下る。
 今日不参加の「シュンちゃん」が作るステキなテーブルとはいかなかったが、その上で、キムチ鍋が作られた。何故か知らねど何時の間にか、コーヒーまで混ぜ込まれ「珍味」になってしまった。うどんの代わりにカップめんが入れられたり、ヤミ鍋の様相を呈してきたが、その一つ一つに歓声が上がり、この宴で皆「山の友」となってしまった。
 久しぶりに手拍子の「山の唄」を聞いた。「穂高よさらば!」「剣の歌」などなど・・・・・しんみり聞いた。私の数少ない持ち歌「新人哀歌」は、やはり恥ずかしくて歌えなかった。キャンプをして、酔った勢いでなければ歌えない・・・・
 極めつけは、小竹氏のカンジキを履いた「月光仮面」踊りであったろう。(この踊りを見たい人は、彼と親密な「山の友」にならなければ見る事が出来ない。)


逞しかった女性群 男性4名 月光仮面踊りの小竹氏 歩いた道を振り返る

 ■■   延々と「宴」が、2時間超となってしまった。あ~っという間の一時であったが、実に楽しいものであった。
     雪の感触に好感! 宴に満足! しかし、大辻山に未練タラタラ・・・
     お酒を飲まなかった事を確信して「山ノ神」にハンドルを任せた。




 ■■■ コースタイム ■■■
高岡6:10=「立山国立少年の家」(7:50~8:00)=城前峠10:10=林道途中宴会(11:45~14:05)=「立山国立少年の家」(15:10~40)=高岡17:00

 ■■ 同行者 ■■
  小竹 筏井夫妻 細川女史 「山ノ神」

  ■■ 備 考 ■■
   辰口氏と「F女史」途中合流