元 ち ゃ ん の 山 紀 行

早 乙 女 岳(2,050㍍)
平成 12年 05月 22日


<早乙女岳から大日岳(平成9年4月20日撮影)>




<早乙女岳から剱岳>




  《コースタイム》

高岡3:50→小又川(5:00~20)→コット谷出合(6:20~35)→鞍部(8:40~55)→早乙女岳頂上(10:50~12:15)→鞍部12:50→コット谷出合14:00→トラック便乗14:33→車デボ地点(14:45~15:00)→高岡16:20





 馬場島の手前に複線のアーチ式の橋が掛かっているところが小又川である。 ここからコット谷まで、林道を行くのであるが、「関係者以外立入り禁止」の標識とチェーンが掛かっていた。仕方なくここで車をデボしてコット谷出合まで1時間。さすがに5月中旬とあって、きれいに除雪してあった。

<広い広いコット谷で>
 コット谷に入ったのは早朝だから、工事関係者がいなかったが、かなりのが建設重機が入っており、コット谷に方面に向かって、工事が行われそうな感じに映った。
 今年は、残雪が豊富でコット谷の取付きであまり苦労する事がなかった。でも、広い長い谷だから、いつもの事ながら、地形、方向確認を怠らず前に進んだ。谷の中の雑木からも新緑の息吹が感じられとてもいい感じだった。
 高度を上げるに従い、芦見尾根の上に毛勝の山々が顔を出してきた。また、もっと高度を上げるとブナクラ谷が見え赤谷山も見えてきた。

(コット谷鞍部で)バックは、ブナクラ谷
 まだまだスキーが出来るくらい残雪が豊富なコット谷も、大きな木の根や、なぎ倒された木々が散乱し、また大きな雪崩や土石流の跡など、長かった冬の間の物語を感じさせられた。
 赤谷山の右に剱岳が見えて来ると、鞍部への最後の急登だ。その鞍部の雪の壁は、砂防ダムのように切立っている。
 早乙女岳と大熊山への分岐点のコット谷の鞍部は、格好の休息地で、コット谷に対じしてブナクラ谷がいい。また、この広い谷を眺めながら、よくも登ってきたものだとか、人間の力も捨てたものではないと感じるから不思議だ。

<毛勝三山をバックに>
早乙女岳への稜線で大きなクレパスが・・・

 標高1500㍍の鞍部から(早乙女岳と大熊山への分岐点)幾多の登りはあるものの、割合と穏やかである。
 しかし、いわゆる後半戦になるため、バテバテの人には、かなりきつく感じるかもしれない。猫又山、釜谷山、毛勝山の三山が顔を揃えた。大明神山も大きく見え、その後方になるサンナビキ山は見えない? 赤谷山、池平山の右に剱岳が、だんだん大きくなってくる。大窓、ブナクラが鋭角になってきた。一方西側には、大辻山、前大日山が、見えてくる。
 一寸開いたクレパスがあったりしたが、オオシラビソの横を通るのが何だか楽しい。
<急登する比佐恵さん>


 青空のもと残雪の照り返しもあって、汗だくの日焼けを気にしながらの登行だったが、10時を過ぎる頃から、何処からとなく雲が覆ってきた。額を伝って目に入る汗も、時たま吹き寄せる心地良い風が、足を前に出させるような元気を与えてくれる。
 頂上横に誰かいるような気がしながら、見上げていた正体は、オオシラビソだった。3月の大日岳遭難事故の若者の事が頭にあったから、そのように映ったのかも知れない。5月だからオオシラビソは、雪の上にたくさん顔を出しているが、その中を頂上に向かって進んだ。
 平らな頂上は,剱岳を遠くに追いやり、大日岳を優しく大きく見せていた。弥陀ヶ原の雪原の上には、どっしりと薬師岳が、その横には、鍬崎山があった。
 我々の他、誰もいない頂上は,かなりの風が吹き、オオシラビソを盾にしなければ、休む事が出来なかった。暖かいラーメンもそこそこに、缶ビールを片手に、時を忘れるくらいに、大好きな山々を、次の山行と重ね合わせつつ、カメラのシャッターを切り続けた。
―早乙女岳頂上にて。
後方は,弥陀ヶ原と薬師岳―
<早乙女岳頂上にて。霞む剱岳をバックに。>


12時過ぎ、どれだけ見ていても、飽きない山々に別れを告げ、鞍部へと下った。大熊山がどんどん近づいてくる、この稜線の下降は春山にしか味わえない醍醐味だ。途中、厳しい風雪に負けてか、オオシラビソの枝だが落ちていた。
 ナチュラリストのI女史から、「一枝からも、森林浴が出来る。」「虫が寄り付かない。」などの効用を聞いた事がある。(但し、折れたものしか取ってはいけない!)結構森の匂いがするものである。
 広いコット谷も、幸いガスに巻かれる事もなく、順調に下りる事が出来た。 雪解けの後に、小さなコゴミが顔を出していた。工事関係者の方と言葉を一言交わした事が幸いしたのか、林道を久し振りにトラックの荷台に便乗する「おまけ」を貰った。



  《同行者》
      比佐恵