元    さ    ん    の    山    紀    行
僧 ヶ 岳(1,855.4m)駒ヶ岳(2,002.5m)
<富山県黒部市(旧宇奈月町)・ 魚津市> 平成22年09月27日





月曜日なのに、見掛けた登山者は18名もあった。



 

a.m.9:20 烏帽子口発  僧ヶ岳山頂との標高差は約600m。 a.m.10:20 宇奈月尾根との分岐点。




前僧コースと分かれて・・・ 快適に鉱山道を行く。 黒部の扇状地や富山湾が望める。


ガレ場もあるが・・・ 北駒ヶ岳の奥に駒ヶ岳が望める。 僧ヶ岳山頂が間近に・・・


宇奈月ダムを見下ろして・・・ a.m.11:20 仏ヶ平に着く。 リンドウを撮る(仏ヶ平)


僧ヶ岳山頂がガスに覆われていた。 山頂直下に、1800mの標識 刈り払ってない登山道を行けば山頂に・・


つづく



  =元さんの戯言・呟きから=
9/27 午前5時に起きたのに、出発は6時20分になってしまった。もっとも、前夜には何処へ行こうとか、何時に起きようとかを、決めていなかったから、仕方がないと言えば、それまでであるが、「必ず何処かへ行く事は分かっているのに・・」 と、今日は私が、ずっとだんまりを決め込んでしまった。

 ラッシュになる。「もう30分早く出れば、1時間は早く着くのに・・」 である。なってしまったものは仕方がないと諦めればいいものを、「私も大人げない。」 とちょっと反省。車の中で2時間半も喋らなければ、今度は喋らないのが辛くなる。

 朝起きて空を見上げれば、かなり良い天気。夜はどうか分からないが、日中は、何とか持ちこたえるのではないかと、僧ヶ岳・駒ヶ岳を選択した。「山ノ神」 は、北駒ヶ岳まで何度か行っているが、まだ駒ヶ岳の山頂を踏んでいない。「このような時に是非」 と思ったのに、何をしているのかと思う程準備が遅いから・・・

 月曜日だし特別お天気でもないから登山者などいないと思っていたが、烏帽子口には予想を上回る車があった。私は、工事関係者の車かと思っていたが、仏ヶ平や山頂、あるいは、途中で遭った人を数えれば、18人であったから、あれは全て登山者の車であったのかもしれない。

 往路は、鉱山道を進み、僧ヶ岳山頂には、11時40分頃に着いたのであるから、駒ヶ岳へは射程圏内と思っていた。もっとも、急かさず 「山ノ神」 のペースで歩いたのである。山頂におられた方々と、ちょっとだけお喋りをしてから、北駒ヶ岳に向かったが、「まだ〜。まだけ。」 と、「山ノ神」 の表情が険しくなっていった。

 北駒ヶ岳到着が午後1時であった。「もう限界。」 の言葉が、「山ノ神」 の口から飛び出した。「3時半まで僧ヶ岳に戻りたい。」 と言っていたからであろうか、それとも、駒ヶ岳まで行けば、食事時間がなくなってしまうからであろうか・・・ でも、「山ノ神」 は、「2週間ぶりだから・・」 を強調したが・・・・・・

 「それなら、ここで諦めよう。」 となったが、さて、食事する適当な場所がなく、ならば、「もうちょっと、駒ヶ岳方面に行こう。」 となった。しかし、なかなか見当たらず、「ここまで来たら、あんただけ頂上へ行って来られ・・」 である。「私は、北駒ヶ岳まで戻るから、2時まで戻って来られ・・」 と、私のザックからビールだけ取り出して、サッサと戻って行ってしまった。

 私に与えられた時間は40分強であり、駒ヶ岳山頂で三脚を立てて証拠写真を2枚撮っただけである。お腹が空いたが、我慢して、ちょうど2時に北駒ヶ岳に戻る事が出来た。早速、火を点けて、カップ麺を食べた。急激に食べると腹痛を催すので、半分をゆっくり食べた。「飲み過ぎると帰りの登りがきついぜ!」 と、「山ノ神」 に、釘を打っていたが、それでも、1時間で僧ヶ岳に戻れ、コーヒーを入れた。

 時計は3時50分になっていたが、疲れ果てるより、充分な休息を取った方が、後々良いと判断したからである。帰路は前僧コースを辿り、烏帽子口登山口到着は、午後5時40分であった。6時前の出発となれば、林道は当然の如く、真っ暗道を行かなければいけなくなる。でも、高岡へは下道を通しても、8時前に着く事が出来た。





 ■■■コースタイム■■■
高岡6:20=登山口(烏帽子口)(9:05〜20)=宇奈月尾根との分岐(10:20〜30)=前コースとの分岐10:40=仏ヶ平(11:20〜25)=僧ヶ岳(11:45〜55)=北駒ヶ岳駒ヶ岳12:55=山ノ神と別行動13:15=駒ヶ岳(13:32〜40)=北駒ヶ岳(14:00〜30)=僧ヶ岳(15:30〜50)=前僧ヶ岳16:15=鉱山道との分岐16:40=宇奈月尾根との分岐(16:50〜55)=登山口(烏帽子口)(17:40〜55)=高岡20:00  

 ■■■同行者■■■
      比佐恵