青春の一ページ




八ツ峰第六峰ピークにて(S.40.8)


 高三の夏、剱岳.旧剱山荘でアルバイト中、休みをもらって、長谷川先輩と長次郎雪渓を登り、五.六のコルから八ツ峰に登る。
のち、第八峰まで縦走し池ノ谷乗越に出、長次郎の頭を経由し剱岳頂上に至った。




八ツ峰 五.六のコルから
第六峰へ(S.40.8)
剱山荘前で束の間の休息
(S.40.7〜8)

アルバイトの目的は、給料ではなく、只、山の中にいるという事だった。多くの先輩達の中で、人間関係も良く、私にとっては、不満な事など一つもなかった。(仕事内容は、当時ヘリによる輸送は未だ少なく、地獄谷の房治荘からの荷揚げ(ボッカ)もあり、これが楽しくて仕方がなかった。その時だけが、風呂に入れた事もあった。雷鳥坂を何分で下った、登ったのと言って騒いでいた事も、今は懐かしい思い出である。)




剱沢雪渓、平蔵谷出合

剱沢雪渓、長次郎出合で

平蔵谷を登り詰めると、平蔵避難小屋、別山尾根の難所(鎖のタテバイ)に 達する。平蔵谷雪渓の上部は、40度近い斜度で、グリセードで下る時は、とてもスリリングだった。

長次郎雪渓は、平蔵雪渓に比べると長く、アイゼンやピッケルを利用して雪渓歩きを楽しめるコース。
また、八ツ峰や源次郎尾根の登攀時には、経由する所でもある。


長次郎雪渓、熊ノ岩附近で



旧 剱 山 荘 前 で、
満寿夫氏・中山君と共に



昭和43年7月 雷鳥沢から東一ノ越を経由しタンボ沢を下り、黒四ダムに。 (未だアルペンルートが完成していなく、只管、ダム湖に向かって下った。) 黒四ダムから、黒部峡谷下廊下(旧日電歩道)を下り、阿曽原へ。
のち仙人池、二股を経由し剱沢雪渓を登り、我が青春の故郷剱山荘に着いた時の記念の一枚である。