元   さ   ん   の   山   紀    行
剱  岳(2,999m)
<富山県立山町・上市町>  平成30年07月15日~7月16日






午前4時過ぎの光景。 昨日登った奥大日岳。


周りが明るくなってきた。 別山乗越(剱御前小屋)に着く。


鹿島槍ヶ岳方面から陽が上がって来た。 斉木氏と一緒。剱岳を目指す事になる。


別山乗越(剱御前小屋)から、剱沢へ。だんだんと剱岳が近付いて来る。


剱沢と剱岳。 連休最終日で、テントを撤収する方々が多かった。


長い雪渓をトラバースする。 剱沢から剱山荘へ・・・




雷鳥親子と遭遇!




一服剱から剱沢方面を望む。 一服剱から前剱を望む。まるで本峰!


剱御前を眺める。 鎖を手繰る斉木氏。


前剱まで来たが、術後2週間。体力の限界を感じた。


その先に進んだが、これまでと思い、斉木氏と別れた。彼の健闘を祈り引き返す事になる。


何度も本峰を眺めながら、無念の撤退である。




前剱に戻り、一人で展望を楽しみながら食事とした。




帰りも雷鳥に遭遇しました。今度はオスでした。


チングルマ コバイケイソウ


別山方面を見上げる。


何度も剱岳を振り返る。


チングルマが鮮やか!






  元さんの戯言・呟き

7/16 全然寝られなかったので、午前2時過ぎに起きて、満天の星を眺めた。この星を2~3ケ、孫達にお土産として持ち帰りたかったが、「月とサスペンス」 を思い出した。コーヒーを飲みながら、飲食用として水を沸騰させた。まあ~、考えてみたら、カップ麺やコーヒーを飲む時、お湯を沸かすのだから、何だか無駄のような気もしたが、安全としての心がそうさせたのかもしれない。

 午前3時過ぎになって、今日も私と行動を共にすると言っていた斉木氏を起こした。ご来光が届かぬ午前3時50分くらいのスタートとなったが、ヘッデンを点けながら、段々と明るくなっていく光景は、非日常のものだけに、涼しさも手伝って心地の良いものであった。別山、もしくは立山三山縦走が目的であったのに、別山乗越(剱御前小屋)に来たら心が揺れ動いた。

 もしかしたら、「剱岳に行けるかもしれない。」 と思った。午前5時半前である。でも、私は、この身体である。斉木氏は、全く分からないらしいが、やっぱり剱岳は魅力的である。そこで、私は、提案した。「お互い単独行で行こう。 私が何処かでダメだったら、あなたは、私の事を考えないで剱岳に登ればいい。」 最も、私は、テントを撤収して室堂に戻らなければならない。彼は、雷鳥沢で、もう一泊出来るのであるから・・・・。

 何時まで、どの地点まで戻らなければならない事を、体力の消耗も考えながらの歩きとなったが、意外とスムーズに経過していった。でも、一服剱を越えた頃から、スピードダウンが顕著になっていった。前剱に立った時には、本峰が遠くに見えた。元々、午前九時半まで山頂に立てないようだったら、ダメだと踏んでいただけに、これまでかなと思った。

 それでも、諦め切れず、miniカニのヨコバイ(⑤)を経過した。せめて平蔵のコルまでと思っていたが、その中程の地点(午前9時前)で、撤退をする事にした。斉木氏は、私より14歳も若いだけあって、まだまだ大丈夫であったので、彼の健闘を祈りながら別れる事にした。彼は、私に抱き着いて涙まで流してくれた。

 悔しかったけれど仕方がない。前剱に戻って、30分近く掛けて食事をした。本峰を眺めながら、コーヒーも沸かした。山頂から、「バンザイ」 とも取れる「ヤッホー」が聞こえたので、ゆっくりと下山を始めた。それでも、午後1時半頃には、雷鳥沢のテン場に戻る事が出来た。

 撤収している最中に、二人の単独行の女性が足を止めてくれた。一人は、二又から三ノ窓まで行ってきたという方、もう一人は、剱沢でテントを張っていた方である。この年寄りを哀れと思って声を掛けてくれたのか、それとも、山の事が何となく分かりそうだと思ってくれたか、定かでないが、双方が気分が良かったのだから、それでいいと思った。

 それにしても、室堂までは辛かった。そんな時に、昨日、奥大日岳山頂でお会いした方が、三山を縦走して、テン場に戻るのに私に遭遇したようであった。「やあ~」 と声を掛けられたのだが、誰だかさっぱり分からないのであるから・・・。でも、私の事を覚えてくれていてくれたのだと思えば頗るハッピーであった。

   



 ■■■ コースタイム ■■■

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 ■■■ 同行者 ■■■