元  ち  ゃ  ん  の  山  紀  行
雨 飾 山 (1,963.2㍍)
<新潟県糸魚川市、長野県小谷村>1,500㍍まで
平成13年05月07日





《 雨飾山荘前で 》

  頚城の春を追った。梶山への林道は、雨飾山荘手前4.5キロで通行止めの標識があり、また思い悩む。"富山から来たんだよ。"もう一寸早く家を出ていれば、これ位の距離を歩こうかと思うのだが、悪いと思いながら、ゲートをずらし進入2㌔を稼いだ。案の定、林道は雪に覆われていて、"除雪するには、車を遮断しなくてはしょうがないのだ。"と思いながら、雪道を進む。

《雪の斜面を登る 》

 未だ一度も選んだ事のない、小谷からのルートの方が、良かったのかなとも思いつつ、25年前から梶山ルートしか登った事がなく、根知、梶山、都忘れの湯などの固有名詞に愛着がある。ゴールデンウィークには、道も空き、雨飾山荘も営業していると思っていたのだが少し甘かった。除雪機械を横目に通った雪壁の高さは、身の丈を遥かに超すほどで、今更ながら、雪深い頚城を思い知らされた感じだ。
  山荘の屋根から滑り落ちた雪が、建物の半分程を隠していたが、そのたまった雪が、強い日差しに負けてか、所々に大小の穴を開け、ここにも春が感じられた。

《 痩せ尾根を行く 》

  薬師堂の横から始まるつづら折の登山道も、全て雪に覆われ大斜面になっている。幸い連休中に、大勢の人達が訪れたのであろうか、木々には、規則正しいほどの間隔で、赤い布切れが結び付けてあった。
  雪が付いていると言うものの、急斜面のトラバースするのに、中途半端の状態で、雪に埋もれている木の枝が、跳ね上がったり、雪解けが始まっていて、雪と小沢の狭間のクラックが足を竦ませてしまう。転んだら谷底まで落ちていくのではないかと不安がる家内に、アイゼンを装着させた。腐りかけた残雪に効果は薄いかもしれないが、心理的に不安を和らげさせた。

《喘ぎ喘ぎ急斜面を登る 》

   標高1,100㍍の稜線まで、一時間を要してしまったが、ようやく展望が開け、シンナンショ沢の流れが、気持ちよく伝わってくる。日当たりのいい登山道は、所々土や岩が露出しているが、殆どが雪の尾根。登山道の木の枝がうるさく、コースを外れて歩き易い斜面を歩く。
  高度を上げて行くにつれて、鬼ヶ面山、鋸岳が浮かび上がって来る。斜面が急になるにつれ、ペースダウンする。斜面にステップを切り登り易くするが、下を見ると、どうもダメらしい。ピッケルを渡すがどうも不安らしい。

《 鋸岳をバックに 》

  アイゼンを付けた足の運びや、ピッケルの持ち方、刺し方を指導するが、一度ビビルともうだめなのかもしれない。
その時、ピッケル、アイゼンを持っていない私が、20㍍位滑落するという不覚をとる。ブナの大木に、僅かな差で激突を免れ、"大きな穴ぼこ"に落ちてしまった。それを見た家内は、益々落ち込んだに違いない。
  時計を見ながら、これでは頂上に届かなくなる事を悟り、アルミの梯子をもう少し行った標高1,500㍍付近で、リタイヤする事にした。
  雨飾山の頂上には届かないまでも、今日の良いお天気のもとに、誰もいないこの稜線で、雪に覆われた山々を眺めながら、至福の一時を送れる事に大満足であった。
  一昨年の11月末に、同ルートから、やはり家内と雨飾山に登った事がある。1㍍の新雪に、カンジキを履いての登行は、やはり家内には辛かったらしい。凍った山頂直下の岩場では、足が前にも後にも出なく、"もう雪の雨飾山には来ない"と涙ぐんでいた顔を思い出してしまった。
 今日も雪の山で、申し訳なかったな~。 帰路も慎重に下ったのだが、今度は、家内が違った所で、僅かながらのスリップし、細いブナの木に股で挟んで止まった。
  喉もカラカラになり、もうコリゴリと言いながら、車付近に近づくにつれて、山菜の姿を見ると、その事も忘れてしまったようにも見受けられたが、どうだったのだろう!糸魚川からの高速では、いい気分だったのだろうか目を閉じていたが………………!


★★★コースタイム★★★

高岡5:50=滑川6:33=糸魚川7:08=車デボ地点(7:45~8:03)=雨飾山荘(8:43~57)=1100㍍の稜線9:50=標高1,500㍍地点(11:50~13:35)=1100㍍の稜線分岐15:04=雨飾山荘15:42=車デボ(16:35~40)=糸魚川=滑川=高岡18:45

       (滑川~~糸魚川間)=往復高速利用=

◆◆◆同行者◆◆◆

      比佐恵