元   さ   ん   の   山  紀  行
雨 飾 山 (1,963m)
<新潟県糸魚川市、長野県小谷村>
 平成22年10月11日




久々に、好天に恵まれた雨飾山であったが・・・・




駐車場は満車。路肩駐車容認の標識。 木道を歩き、実質上の登山口へ・・ 徐々に色付き始めた樹木が現れる。


手が加えられた登山道を行く。 ブナ平へ・・・ 荒菅沢には大勢の登山者が休息を・・


雨が上がり、荒菅沢源頭方面の紅葉ショーが始まった。


山頂まで90分の標識を通過。 荒菅沢上部の紅葉が目に入って来る。 根っこの段差も、何のその・・・


荒菅沢の岩稜に、際立つ木々の色付き


~~ 萌える紅葉の中を、多くの登山者がひしめく。 ~~


今日は、コツコツいいペース。 ガスが晴れ、振り返って見渡せば・・ 金山・天狗原山方面の紅葉は素晴らしい。


ちょっとした岩場を乗り越えて・・ 梯子も・・・ 振り返れば、登山者が続々やって来る。


最後の階段(梯子) 笹平から続々登山者が・・(擦れ違い) 梶山新湯への分岐で・・


笹平には、長い列が出来ていた。 焼山をバックに・・・ 山頂への最後の登りをバックに・・・


荒菅沢を覗き込む。 焼山と火打山(右奥)


山頂直下から、笹平と、遠くに焼山・火打山(奥)を望む。


この日初めて関本夫妻にお目に掛かった。
息子さんも、ご一緒に・・・


山頂は、休日と紅葉時が相俟って、続々と登山者が押し寄せていた。


初めてお遇いした砺波の棚田夫妻。 転落現場と遭遇し、心配して頂いた惣田さんと釜親さん


下山時、荒菅沢を越えた高台から・・・
「山ノ神」は、紅葉どころではなかったハズ・・


自力で下山。頑張った! 手と足の痛みを堪えながら・・・ グルグル巻きの右手(病院での治療後)





  元さんの戯言・呟きから

10/11 楽しいハズの雨飾山行であったが、「山ノ神」 が、雨飾山頂直下で墜落してしまった。本当に墜落したとの言葉が合うように、バランスを崩し一回転して仰向けになって落ちた。更にバウンドしたかのように、もう一段下に落ちて行った。「死んだか・・」 と思ったくらいに衝撃を受けた。

 しかし、運の強い「山ノ神」 は、 ちょっと大きめのザックを担いでいた事が幸いしたのか、仰向けに落ちた際、頭や顔を打たなかったようであった。でも、右手親指が、昨年、私が薬師岳でスリップした時のように変な方向に向いてしまっていた。

 歩けるというので、救助を要請する事もせず、右手を全く使わずに降り出したのであるが、それはそれは可愛そうなくらいであった。そのうち、右足が痛いと言うようになった。右大腿部がズボンの上から見ても餅のように膨れ上がって来た。ずまぐろくである、5~6m位落ちたのであるから、何もないハズがないのである。

 3時間半を掛けてよくぞ降りたものである。それから、糸魚川まで1時間、高速を使っても高岡まで1時間は掛かるのである。私が同じような目に遭った時は、医師から何か 「4時間」と言われた事が耳に残っていた。高岡の友人に、緊急の整形外科医を捜しておいてくれと電話をしておいたのであるが・・・・

 今日は、高岡のT&Mさん(関口さん達)に初めてお遇い出来たし、砺波の棚田ご夫妻ともお話をする事が出来たというとてもハッピーな日であったハズであったが、「山ノ神」 が、こんな目に遭ってしまい心を暗くしてしまった。でも、結果的には、脱臼だけですんだと思っていなければこの先が辛い。



10/12 「どうして落ちたか分からない。でも、今日も落ちて行く様が頭から離れない。」 と言う 「山ノ神」 は、仕事も家事も出来ないからであろうか、元気がなく、半日は寝て過ごしていた。僅か1~2秒、いや、もっと短い時間であったかもしれないが、まるで谷底へ落ちて行く感じで、何も出来なかった自分のもどかしさだけが残っている。 宙に浮いた瞬間、周りの誰もが、固唾を飲んだに違いない。今は、「他人様を巻き込まなくて良かった。」 だけが救いであるし、「小谷からの雨飾山を望んだのは山ノ神であった。」 からと自分を慰めている。

 私は、ほんのちょっと前、「岩場の降りはストックを使わない方が良いのでは・・・」 のアドバイスをしていた。「山ノ神」 の転落は、たぶんストックでのトラブルが原因のように思えてならない。ストックの着地点である。「滑った。」 「抜けた。」 「重心を掛け過ぎた。」 など、身の確保を岩や草木でなくストックに頼り過ぎたように思えるのである。ストックは、あくまでもバランスを保つためのものであり、過信は禁物である。

 高岡の病院を選択したのであるが、担当医師からは、「何故、途中の病院へ行かなかったのかと叱られた。」 脱臼は、時間に関わる事を少しは知っていたのであるが、でも、登山口から病院まで2時間で来ているのである。地理不案内の所で、何処に病院があるのか分からないし、その症状の分析も出来ない。ましてや、保険証や所持金の不安もある。後々の事も考えてしまう。

 こちらが、整形外科医を差して電話しているのに、病院に駆け付けてから担当医の診断を仰ぐのに、1時間以上も経過しているのであるから、「そうとばかりも言えないのではないか・・」 とさえ思うのは不謹慎であろうか・・・ 「山ノ神」 は、その事を問われ、「休み(休日)だから・・」 と言った答えが、「ここも休みです。」 と言われてしまったらしい。

 手は、不自由であるが、痛みはないようである。下山時には、ちょっと触れるだけでも、奇声を発していたのが、ウソのようである。太腿の裏から膝に掛けて真っ黒(真っ青かも)で、その不気味な色に気が滅入っているのかもしれないが、ジワジワ(ズクズク)するようである。打撲なのであろうが、素人にはわからない、体内の何かに異常があるからそうなっているのしょう。

 明後日の診察で診断が確実のものになるのであろうが、今のところ頭や背に異常が見当たらないようである。今日から、私の人間としての真価が問われるスタートとなった。やらなかった事もやらなければならない。一生懸命やれば出来ると思っている。



10/13 「絞る。」 「結ぶ。」 など、両手を使う事は、今の 「山ノ神」 には出来ない。だから、「山ノ神」 の言うがままに動かなければならない。まるでロボットである。でも仕方がない。今まで何度も私がケガをして、迷惑を掛けて来たのであるから・・・・ その命令のままに、動けばいいのであるが、これが介護だとそうはいかない。そんな事を思うと、自由に動ける今に感謝しなければいけない。

 「今度はどうするの? 行かないわけがないよね。」 と、牽制と思える言葉が、「山ノ神」 から発せられた。「あんたも行くかね・・」 と言うしかない。私の時は、足が大丈夫だったから、そのまま登山を続けた。でも、雨飾山 下山中の 「山ノ神」 の状態をみておれば、技量・雰囲気からして、とても勧められるものではない。

 次の休日まで、3日間がある。お天気・診断・雰囲気を考慮しながらの判断になるが、こんな時だけに、丸々2日間を自分だけで使えないであろう。「早立ちして、いい加減に戻る。」 「半日だけ・・」 など、如何にも 「山ノ神」 に合わせる類でなければ、後々に尾を引くような気がしてならない。

 でも、足は使えるのであるから、「お好きな所へ・・」 を勧めるのも妙案かもしれない。しかし、打撲の鬱血をみると、下界と言えども、「長い間歩けるのかな・・」 と思ってしまう。そして、私だけの世界でないから、「ライフスタイルを厳守」 を、貫き通せるかどうか分からない。残された手は一つ、精一杯尽くして、自然的に 「休日は山に押し出してもらう。」 のが理想的なのだが・・・



10/14 手指及び手のギブス包帯なるものによる固定が続くのですが、「山ノ神」 は意外と元気です。オーバーでないにしても、そのこと自体をHP上に載せて良かったのか、今度は私の方が考え込んでいます。私のHPに興味を持っている方々が見て下さるのだから、そんなに卑屈にならなくてもいいのかもしれませんが、あまりにも心配して頂き恐縮に思ってしまいます。

 他の方々を貶しているわけでもなく、自分達の事を自慢しているわけでもないのですから、自然に出た記述と思って頂きたい。「わ~っ」 「どうしよう。」 など、戸惑ったのは事実ですし、登山口まで上手く誘導出来るかも疑心暗鬼でした。怒らす事のないように言葉を選ばなくてはいけませんでしたし・・・・

 でも、もうちょっと酷い状態だったらどうしよう。どうだったろうか・・・ 思ってしまうのです。歩ける状態でなかったら・・ 途中で歩けなくなったら・・ 両手がダメだったら・・ 大量の出血をしていたら・・ そして、携帯が繋がらず他に登山者がなかったら・・ など背筋が寒くなってしまいます。

 怖がってばかりいたら何も出来ませんが、あるかないか分からないそのような時のための装備は欠かせないのです。ツエルトなどは、そんな時の事を考えても必需品であることは間違いありません。単独・少人数と、ある程度のパーティーでのリスクを比較するのは難しいのですが、シミュレーションだけはしていた方が良いかもしれません。






 ■■■ コースタイム ■■■
 高岡=朝日IC=糸魚川IC=小谷駐車場登山口7:40=ブナ平8:25=荒菅沢(8:55~9:00)=梶山新湯との分岐10:25=雨飾山頂上(10:55~12:35)=荒菅沢(14:05~10)=ブナ平14:55=小谷登山口(15:55~16:10)=糸魚川IC=小杉IC=高岡

 ■■ 同行者 ■■
         比佐恵