コマクサ
コマクサ


 「山を想えば人恋し、人を想えば山恋し」の名文を書いた人が、大沢小屋、針ノ木小屋を建てた百瀬慎太郎氏だとは、つい最近まで知らなかった。また、富山でなじみの戦国の武将、佐々成政が冬のザラ峠、針ノ木越えをした事でも有名な「針ノ木岳」に何時かは登りたいと思っていた。少々不機嫌な家内の顔を除けば、気合い充分で今回の山行に望んだ。


針ノ木大雪渓
 扇沢5時発であれば、逆算すると午前0時頃までには、家を出なければいけない。最近は、車に乗るとすぐ眠たくなってしまうから、余裕をもって1時間半程前に家を出た。事の他順調に予定の2時間前には扇沢に着く事が出来た。少し横になって仮眠をすれば身体も楽になるのでしょうが、ドンドン下から車が上がって来るようで結構騒がしい。性格上の事もあいまって、目を瞑って身体を休めるのが精一杯であった。

針ノ木大雪渓上部
 薄明るくなった4時過ぎ、車内で家内が作ってくれたおにぎりをほうばった。すっかり明るくなった4時半には、車外に出て、身支度をする。標高1,400メートルもあるから、半袖姿では薄ら寒く感じる。
 高台にある扇沢ターミナルを右に見ながら、工事用の関電トンネルへの道路に向かってアスファルト道路を歩く。ゲートの左側に「針ノ木自然歩道、針ノ木岳登山道入り口」の標識があり、いよいよ長い一日の始まりである。

針ノ木峠で
 狭いクサヤブの道は夜露で冷たく、日焼け止めを塗った腕とズボンを濡らした。5分で林道にに出る。登山道と林道を出たり入ったりする事4回、陽の当たる稜線がまばゆくなってきた。小ぶりのブナが道に覆い被さるように、そして気持ちの良いくらいの大きなブナが現れ、一寸赤みのおびたダケカンバが目立ってくる。工事用の大きな広場からやがて沢に出る。その後カラ沢を3回、流れのある小さな沢の鎖の付いた板橋を渡ったころ、いよいよ日が照り付けてくる。そして、流れのある沢を3回渡り、もう一度勢いのある大きな沢を渡ると、「小屋まであと10分」の標識があった。

蓮華岳への稜線で
 扇沢から3キロ、樹林帯の中にひっそりと大沢小屋があった。(標高1,730メートル、針の木峠まで4キロの地点。)なおも樹林帯の中を進むと、左に沢の流れを聞きながら、やがて大雪渓の末端部に出た。本来の夏道は、もっと上のほうにあるのだろうが、今年は残雪が多く踏み跡は、直接間近の雪渓に続いていた。
蓮華岳頂上で
 雪渓に立ちその上を見上げると、さほど広さは感じなかったがとても長く急勾配に思えた。でも、夏の大きな雪渓歩きは久し振りで,白馬、剱沢の雪渓と対比するのが楽しみであった。いよいよ登行開始。早朝なので雪面はかなり硬く、うっかりするとツルリといってしまう。前人が一人かなり先を行く。老若男女が分からないほど小さく見える。近年、年を重ねるにつけ足にガタがきているが、雪渓歩きはまだまだ負ける気はしない。10分程で先人に追いつく。下方の人々はまだ米粒のように小さく見える。

蓮華岳頂上直下で
(ジョナサン君と)
 この頃から、勾配が増してきて所々が蒼氷のように凍っている。肩に差していたピッケルを取り出し雪に刺す感覚は何とも言えないものがある。アイゼンを使えばもっと使用感を覚えるかもしれない。もっと勾配がきつくなった所に、昨夜、針の木小屋に泊ったと思われる登山者達が下りて来た。ヘッピリ腰のような感じの人達が多い。踵に爪のないアイゼンでは、第一歩の制御力が弱かろうに!・・・・・・・・・・・・・・・・
 やがてマヤクボ沢との分岐に出る。視界の効かない時は、要注意の所らしい。直登すると頂上直下で右往左往するに違いない。ここが雪渓取付きから40分程経過しており、写真を撮りたくなったり休息したくなる所である。

針ノ木小屋前で
 デジカメを持っていた「横浜のジョナサン君」の出会いの場所にもなった。純朴そうな顔に白い日焼け止めを塗った、何故か愛想のある彼とほんの暫くの間だが行動を共にすることになった。パソコン、ホームページの話をしながら、左の狭まった雪渓をなおも登り続ける。
 やがて雪渓が切れるところで、振り返ると北東の方向に岩小屋沢岳(2,630㍍)、鳴沢岳(2,641㍍)、赤沢岳(2,752㍍)が連なり、一番手前で樹木の陰にはなるがズバリ岳(2,752㍍)がある。岩小屋沢岳の奥にあるのは爺ヶ岳(2670㍍)かな?どちらにしても関電トンネルの上の山は私にとって馴染みが薄い。新越乗越や新越山荘の名を知らなかったくらいだった。
針ノ木岳頂上で
<東京のM氏と>
 雪が溶け出した道を少しばかり登るとまた雪渓が現れた。白い雪渓と青い空を見ながら根気良く登り詰めると針ノ木小屋のある峠に出た。
 峠からの展望は、針ノ木岳に隠れて剱、立山は見えないが、五色ヶ原から槍方面までがスッキリと見え、雪渓側は、先程の関電トンネルの山々が近くにまた低く見えてくるのも何故か不思議である。遠く雲海の上に見える峰は、鹿島槍ヶ岳、五竜岳ではとないかと思ったが、間違いかな!

 少しばかりの休息と写真撮影もそこそこに、新越山荘泊の「ジョナサン君」の行程に同調するように、最初は蓮華岳登頂を目指すことにした。カモシカのように速い「自転車野郎のジョナサン君」について行けないの事もあったが、上昇気流で北側はガスに覆われて来るし、綺麗に見える南側の槍ヶ岳周辺にガスが立ち込める様相、そして砂礫の稜線は、少々オーバーかもしれないが、高山植物の女王のコマクサでまるでピンク色。しばし、槍ヶ岳の眺望とコマクサに酔いしれていた。

 蓮華岳の頂上に着いた頃には、後立山の山々はすっかりガスに覆われてしまい、私より早く上り詰めてしまった上昇気流に悋気してしまった。
剱  岳
針ノ木峠から蓮華岳への稜線から
 コマクサに酔いしれていた一瞬の間に今日のもう一つの目的であった「剱岳を撮る」を辛うじて実現出来た事で安堵。何時もあとから、もっと良い所が後の祭になってしまうのである。
 蓮華岳の頂上の祠には、何時建設されたかは分からないが、「若一王子神社奥宮」「北アルプス総鎮守」と刻み込まれておりあの可憐なコマクサ達をまるで守っているように思えてならなかった。七倉岳、船窪岳への「蓮華の下り」を眺めて、再び針ノ木峠に向かった。
この時、写真談義をしたのが、東京のM氏。この先針ノ木岳往復の友となる。針ノ木小屋に戻った時も、北側は全く見えず、南側もかなりガスが掛かって来ていた。針ノ木岳頂上への登山道は、思ったよりお花が多く、ミヤマキンバイの群落や名を覚えたばかりのタカネバラ、ベニバナイチゴ、ウスユキソウなどが目を楽しませてくれたのだが、出発から既に6時間を経過しとても長く感じられた。

槍 ヶ 岳
 頂上からの展望は、先程からの気流に覆われイマイチ。立山は、雄大さを現しているものの、お目当ての剱岳は、ガスにその全容を最後まで見せてくれなかった。槍穂も大きな雲に時々覆われシャッターを切らしてくれない。
 でも蓮華岳で別れた「ジョナサン君」が私を待っててくれたわけでもないだろうが、一寸前に別れたばかりなのに、何故か感激し高く積み上がった岩の上に座り記念写真となった。
 M氏とも何故か心が通じ便りを交換する事を約束ことになった。新越山荘へ向かう「ジョナサン君」と再び別れ、針ノ木山荘泊に変更となったM氏と峠に向かってゆっくり下った。
 冷たいビールを期待して山荘を覗いたが、「それ程でもない」と言いながら喉に流し込んでいる登山客の言葉に、「それでは我慢」とM氏との乾杯を諦め「またいつの日かの再会を願って」別れ、一人で雪渓を走り下った。
 雪渓もガスに覆われて、視界が10~15㍍位しかなく、今度何時来るか分からないこの針ノ木大雪渓を、下りでもう一度堪能する事が出来なかった。
 しかし、三大雪渓と称せられるだけあって立派な雪渓である事は間違いない。雪渓に末端部から20分程の大沢小屋の個性的な御主人とちょっぴり"登山者気質"を語り合い、一口お茶を飲み扇沢へ急いだ。
 帰路、柏原新道の駐車場の状況を調査して家路に向かった。



   《コースタイム》

  高岡22:30→市振(0:05~15)→0:35白馬の道の駅(1:25~45)→扇沢(2:20~4:50)→
  登山口4:55→工事用の広場5:12→大沢小屋(5:45~55)→雪渓末端部6:16→
  雪渓分岐6:57→雪渓上部7:28→針の木小屋(8:02~20)→≦コマクサに酔う.写真≧
  →蓮華岳頂上(9:40~10:25→)針の木小屋(10:55~58)→針の木岳頂上(11:55~12:55)
  →針の木小屋(13:40~55)→分岐14:25→雪渓末端部14:50→大沢小屋(15:10~20)
  →扇沢登山口16:05→車(16:10~20)→柏原新道調査16:27→高岡20:10
                      〔 帰路、《糸魚川~滑川間》 高速 〕