元  ち  ゃ  ん  の  山  紀  行
池ノ山(1,368.7㍍)  六谷山(1,397.6㍍)
<富山県大山町  岐阜県神岡町 >
平成14年10月14日





 昨秋、剱岳早月尾根で、知り会ってからのお付き合いである「ターさん」とは、二度雨で流したが今年5回目の山行である。そして、私の節目の山行に、必ずと言っていいほど同行してくれる「中山君」、今日は帰りの運転を任せる「山ノ神」と私の4名で、「とやま山歩き」に載っている最後の118座目「池ノ山」に登る事になった。
 近所に住むG氏が “ 私も行きたかったのだが、仕事の都合で行けなくなりました。皆さんで飲んでください。” と前日にお祝いとして高価なワインを頂いたり、今までの池ノ山に対しての思いも重なり、否応なしに盛り上がっていた。

 氷見の中山君と共に、我家を午前6時過ぎに出発し、神通川第二ダムの駐車場で、「ターさん」と待ち合わせた。4人で2台の車はいらなかったのだが、万が一のため、2台で出掛ける事にした。
高幡山・横岳方面

 41号線富山・岐阜県境から、なおも、神岡寄りに10㌔程行って、東茂住の集落をやり過ごす手前に交番があり、そのまた手前が長棟林道の始まりである。横に傾いた通行止の看板や、前年の爆破予告の案内板、また熊注意!の板切れを見ながら、強いヘアピンカーブを繰り返して高度を上げてガタガタ道になると、左下の谷全体に、鉱山の廃水を堰き止めた沈殿池が見えてくる。林道入口から、4.5㌔の地点で、大津山への分岐に出るが、なおも真直ぐに進む。ジグザグの長い道を分岐から4.2㌔進むと、左手に六谷山の登山口がある標高1,060㍍の茂住峠に着いた。ワゴンタイプの車の「ターさん」が、この先自分の車では自信がないとの事で、4人が乗るにはチョット狭いが、少し車高がある私の車に乗り換える事になる。

 峠から1.2㌔下って行くと、長棟川沿の道と合流し、右折(南へ)して0.9㌔進むと右側に地蔵がある。三叉路とは言えないが、小川に橋が掛っており、その先にはキャンプの跡があった。その川(長棟川)は、浅く川幅も狭くなり、岩魚が泳いでいるのが分かった。なおも100㍍進むと右手に鳥居があった。もうこの辺にくると、道の草も腰の辺まで伸びており、道端の草木も車に触ってバタバタ、キューキューいっていて、窓を開ければ、何でも入ってくる。

 その鳥居から1.9㌔進んだ所が、また分岐で、その場所に、三井金属鉱山の雨量計なるものが、設置されていた。真直ぐ行けば、長棟峠で、右の草の生茂った狭い道を行けば、「清五郎小屋」だろうと協議した結果なったが、この先の様子がわからないし、精一杯車を片隅に寄せて出発した。
 歩き出して、この道なら車で来れたかもしれないと、ワイワイ言いながら15分程で朽ちた小屋の前に出た。もうここまで来れたら、「池ノ山」に来たのと同じようなものだと思った。

清五郎小屋付近で 「北峰」と名付けたピーク トレースがなくなった鉱滓の山付近 崩壊した斜面から「北峰」に取付く

 牧野・池田・西川氏の情報では、“ チョットヤブが! ”、“ そのヤブを避けて! ” があったが、「三つの大きな穴」の意味がわからなかった。そして、そんな穴らしいものがないのである。
 小屋の前から、鉱山道のようなしっかりした道を、登ったが行き止まりである。その先が頂上かと思ったが、南に台形のような山が頂上のようである。「とやま山歩き」に載っている写真とピッタリなのである。
 何処かに道があるかもしれないし、また、初心に戻るために、小屋の前に戻る事にした。その頂上の方向に、向かってのルートを模索したが、完全なヤブのために諦めてしまった。小屋の上部から取付いたが、手前からだとは思っても見なかった。
 逆方面になるが、しっかりした道があったのでそれを辿ったが、予測どおり先程行った鉱滓の小山の崩壊地のような反対斜面に出てしまった。

 こうなると目先のピークから、同じような高さのピークが四つあるから、北から順番に登れば必ず「池ノ山」の頂上に辿り着くように思え、全員納得して、斜面からヤブへと突入した。
ヤブの中から、池ノ山頂上への
しっかりした踏み跡に出た所
 何とか尾根に出てからは、「池ノ山連峰縦走」と題して、枝木を払いながら前に進んだ。何時しか誰からともなく “ こんな時に、「ヤブのまっちゃん」がいたら助かったのに! ” などと言ったが始まらない。
 小屋から尾根に取付くまで、右往左往して1時間も経過していた。一番初めのピークを勝手に「北峰」などと言い合って、もう虫や蛇がいるわけでもなく、面白いように前に進んだ。先頭が見えなくなれば声を掛け合い、尾根が広くなったら確認しあった。

 やがて、「土地採土表」なるものを発見し、登山道があるのなら、近いように感じた。その通りで、10分程なおも進むと、赤いペンキがたっぷり塗った石柱があり、太いブナにもペイントがしてあった。適当に下草を刈り払ったり登山道なのだろうか、それとも点検道なのかわからないが、はっきりとした道である。少し降りた所に、白いテープが付いており、ここが道だったのかなどと、言いながら今度は、濡れていて滑りやすい斜面を登りきると、三角点のある「池ノ山」頂上に着いた。

「池ノ山」山頂で 「とやま山歩き」118座完踏なる

 あまり見通しは良くなかったが、東に高幡山、その左奥に横岳が遠くに感じながら見えた。今春、あの高幡山からこの地点まで狙っていたと思うと、「うーん、やっぱり!」地図の上と現場での違いを感じてしまった。西には、あまり馴染みがないが、この辺の山に来ると必ず気になる「漆山岳」がある。
 「池ノ山」は、「とやま山歩き」に載っている118座最後の山である。完踏を祝って、同行してくれた「ターさん」、中山君、「山ノ神」としっかり握手を交わした。当初は、池ノ山頂上に立つのは、もっと早い時間を想定していたし、池ノ山は登るに価しない山などの情報があったりして、さぞかし滞在に不向きな雰囲気の所かと想像していたので、展望の良い「六谷山」山頂で祝杯、食事をしようと言う事になっていたのだが、折角の登頂、また何時来れるかわからないからと言う事で、記念に写真を撮りまくった。そして、小さな記念の標識を吊るした。
 また、池ノ山の下は、今ちょうどノーベル賞のニュートリノ観測で話題の「カミオカカンデ」でがあり、私としては、勝手に因縁めいた登頂であると思ったりした。


山頂から下ってヤブの中に 木枝に阻まれてなかなか進まない 展望も利かないヤブの中 またまた笹ヤブに突入



清五郎小屋付近から
「池ノ山」山頂方面を望む
清五郎小屋から車デボ地点へ
 30分程の僅かな時間だったが、山頂を後にする時、その山頂の先に、踏み跡が続いていたが、何処へどのように続いているか分からないので、先程の白いテープの所へ戻ったのが、間違いだったのかもしれない。道ではなくヤブの連続で、くぼんだ歩き易い所をコンパスを見ながら、時には、高い所に登って確かめたりしながら、下ったが、清五郎小屋の横に出たのは、白いテープから40分も要してしまった。 “ 可笑しいな~。” 地形図を見ながら、車のデボ地点に戻った。

茂住峠
 もう一つのピーク「六谷山」に行く為に、茂住峠に戻ったのは、午後1時半を過ぎていた。「ターさん」の車の他にもう一台の車が止まっており、着いた途端に車から降りて来た人が、「元ちゃんですか?」と尋ねて来られた。一瞬戸惑ったが、未だお会いした事がなかったが、「北川さんですか?」と問い直した。彼は、私の今日の完踏記念に、先に六谷山を登りまた、長棟川沿にも車を走らせたが、我々に会えなかったと言っていた。我々がこれから登る六谷山にもう一度登らないかと誘ってみたが、イヤイヤともうたくさんと言って別れた。
 六谷山は、3年前に、二週続けて来た山で、沈殿池が見える付近で林道が決壊いていたため、6~7㌔位歩いた覚えのある所であり、その内一度は、大津山の方へ間違ってしまったという苦い経験のある所だった。石仏のある所からずーっと反射板の点検道だからだろうか、樹脂の階段が続く。ずーっと続く。


茂住峠にある石仏 急登にバテる「山ノ神」 「六谷山」山頂での小宴会 登り終えて、黄昏の茂住峠で

 視界の利かない尾根を、モクモクと歩くしかない。“ 宴会のする時間がなくなるよ!” などと声を掛けるが、「山ノ神」は、小腹が空いてピッチが上がらない。1370㍍のピークから視界が開けるが、霞んで見通しが良くない。でも、先程登って来た池ノ山や高幡山、横岳が大きく見えて来る。小さなアップダウンを繰り返し一等三角点のある六谷山頂上に着く。その奥には大きな反射板があるが行く必要もなかった。
 ようやく有り付けた食事に、飲まない「ターさん」が用意してくれたビールで乾杯をした。時間がないなどと言いながら、1時間弱の山頂滞在で、今日の池ノ山の事、荒れた林道の事、PCの事、今までの山行の事など話題は尽きず、またの山行を約束し、今来た同じ道を下った。茂住集落に近付くと黄昏に車の縦列が綺麗に見えた。



■■■■ コースタイム ■■■■
高岡6:10=神通第二ダム(7:00~10)=茂住峠(8:10~15)=鳥居8:30=車デボ地点(8:50~9:10)=清五郎小屋9:25==(取付け模索)==北峰10:47=土地採土表10:54=赤いペンキの石柱11:05=白いテープ11:17=池ノ山頂上(11:22~55)=白いテープ12:00=清五郎小屋12:40=車デボ地点(13:00~07)=茂住峠(13:33~40)=六谷山頂上(14:50~15:45)=茂住峠(16:30~45)=41号線17:35=高岡19:50

□□□□ 同行者 □□□□
「ターさん」、中山、比佐恵