元   さ   ん   の   山   紀    行
医 王 山(939.1m)
<富山県南砺市(旧福光町)・金沢市>  平成27年08月31日



5年ぶりの医王山。歩きは、ちょっとだけ(夕霧峠から奥医王山)






夕霧峠は、菱広峠ともいう。 夕霧峠からスタート。


見返り坂は288段。 見返り坂を登る。


見返りの大杉だが・・・ 龍神の池


石川県側への標識 奥医王山


国見峠で盛田女史と遭遇。今冬の高落場山以来である。




  =元さんの戯言・呟きから=
8/31 折角、自由に使える一日であっても、雨が滴り落ちていては士気が上がらなかった。朝早くから、お茶を飲んだり、雑用をこなしていても、私と同じ考えなのか、「山ノ神」は起きてこない。そして、何処の山へ行くとも決まっていなかった。

 ようやく、「医王山に行くか?」 と腰を上げたのが午前10時過ぎだった。いつの間にか、雨も、時々ポツリポツリに変わっていた。始めから、夕霧峠から奥医王山しか歩かない予定であったから、給油しても、野菜の直売所に立ち寄っても何時もより余裕があった。

 ところがである。久し振りのイオックスアローザスキー場に来てから、どのように林道を辿れば良いのか分からなかった。山に行く標識も見当たらなかった。それではと、道なりに進めど進めど、山から離れていくような林道に、「もう少し行ってみようか?」 と3回ばかり延ばしていると、それは、刀利ダム方面へ行くものであった。

 思い直して戻る途中に、夕霧峠方面への林道を見付けたが、落石の為通行止めとしてバリケードがあった。仕方なく、殿様林道?なる中腹と思える林道を通り法林寺方面に向かった。アップダウンが伴うのは仕方がないにしても、本当に自分達が思うような所に出るのかと不安であったが、医王山トンネルを抜けた所にある温泉施設から上がってくる林道と交差する峠に辿り着いた。

 そこへ来てしまえば、道が狭いながらも、国見ヒュッテに向かうだけである。ヒュッテ前の駐車場には数台の車があり、自分の事を棚に上げながら、「こんな日にも来る人がいるんだ!」 と思って通り過ぎようとしたが、もしかしたらと思って車を止めた。

 やっぱり石川の盛田女史であった。彼女も何となく気付いてくれたのか? それとも、何処かで見た車とでも思ってくれたのか分からないが、2/16高落場山頂でお目にかかって以来である。

 何年前か忘れてしまったが、袴腰山頂でお目に掛かったのが最初で、それ以来、白山の途中を除けば、全て山頂での出会いである。何処からともなく現れ、そっといなくなってしまう不思議な人である。だから特別印象に残る人なのかもしれない。

 喋り始めれば切りが無い。1時間半程話したのだろうか? 雨がちょっと大きくなったのを境にして、お別れして夕霧峠に向かった。歩き始める準備をしようと、着替えなどが入っている袋を探したが見当たらない。そこには免許証を始め大事な物が入っているのであるが、出掛けに忘れていたらしい。

 過去には、軍手を靴下代わりにした事があったが、今回は、「山ノ神」の予備を借りる事となった。かっての医王山のメーンは、三蛇ノ滝と鳶岩であって、奥医王山へは、祖谷や広瀬館から歩くとなると、かなりの時間を要し、白π頂上へも余程で無い限り行かなかったように思っている。(富山県側から)

 そんな中、高1の秋(昭和38年) その山頂から、湯涌方面に抜け金沢へ歩こうとしたのだから、若い時は、底知れぬエネルギーがあったと思わざるを得ない。今は、夕霧峠から、300名山としている奥医王山へは、30分掛からずして登る事が出来る。本当に時代は変わったのである。

 山頂で、今は仕事の関係で金沢に来ているという神奈川の来栖さんにお会いした。山が好きで好きでならないという女子である。聞けば、父様が私より一つ年上とか? 此処でもやっぱり歳を感じてしまった。でも、山だけの事に関すれば、まだまだ聞いてくれるようであった。

 「山ノ神」が、次から次へと食べ物のサービスをするから、彼女も離れられなかったのかもしれないが、短い山歩きにしてみれば、山に登った感じになった。夕霧峠に戻り、当初予定していた富山の山用品やに行く事を止めた。私が、免許証や財布を忘れて来たからである。






 ■■■ コースタイム ■■■
   

 ■■■ 同行者 ■■■
         比佐恵