10/31 生活も山行も身の丈以上の事は出来ない。でも、時折、箍を外したいと思う事がある。その背伸びが奏功すれば、いつの間にか、それを追い求めてしまうような気がする。でも、いつかはハジケて痛い目に遭うのであろう。

 幾つになっても夢を追うのは大事な事。でなければ、次第にしょぼくれてしまうのは必死。「終活」 なんてクソくらえである。まだまだ元気で生きるのなら、そんな事は不要。「車に乗れなくなったら」、「お金を使えなくなったら」 と、ひとりでに最期を迎えるから。そんな話は実に寂しい。人生これから・・・・



10/30 時節柄忘年会のお知らせが何件となく届く。私は、どちらかというと賑やかな集いが好きである。でも、続くとちょっと参る。それは、身体がそれに伴わないという事なのかもしれない。そしてまた、「山ノ神」と一緒というのがたくさんある。時には良いのかもしれないが、いつもだとあまり面白くない。

 山歩きもそうであるが、時には離れたい。そうでなければ、思うところに行けないし、しゃべる事も違って来る。それは、本来の姿なのかもしれないが、とにかく四六時中一緒なのは如何なものか・・・・ 



10/29 10月の山行が終わり、今年も後2ヶ月となった。それでも、まだ14~5回の山行機会があると思うが、時期が時期だけに特別の所へ行く事もないだろう。しかし、晩秋から初冬にかけての山歩きは、落葉を踏みしめながら、見通しの良くなった道を歩くのも乙なものである。

 最も、冷たい雨の日は、何でこんな日になんて思うのであるが、小春日和の日差しに恵まれた時は、宝石をもらったような気になる。だんだんと陽が短くなるのは、寂しさを感じるかもしれないが、またいつか長くなる延長線上だと思えば、またワクワクするものである。

 標高の高さに目が奪われがちだが、低山を見直すきっかけになるし、雪山歩きの下調べになるかもしれない。早く日が暮れれば、家に帰って、また何か出来るプラスも捨て難い。それでも、今年は、あの山この山に手が届かなかったとか、行きそびれた山が幾つもある。山は逃げない。と言うけれど、やっぱり逃げて行くような気がする。



10/28 高頭山に向かう途中、八尾町でコンビニ寄った。カード決済をしたまでは良かったのであるが、何処でどうなったのか分からないままカードがなってしまったのである。いろいろ探したのであるが出て来なかったので、とりあえず警察にと思い八尾の交番をさがしたが誰もいない。恐る恐る受話器を取ったら、富山西警察署に繋がった。これで紛失届けをした事になったが、カード会社に連絡をしなければならない。家に戻らなければならないのかと思ってみたものの連絡先も何も分からない。ならばと、「カード紛失(カード名)」 とスマホで検索してみたらすぐに繋がった。今、コンビニで使った金額・時間まで分かるのである。再発行の手続きまで終わった。今日ほど、スマホの有り難さを感じた事はない。でも、私の持っているカードを全て言われたのにはびっくりしてしまった。

 普通なら気落ちして、山には出掛かず家に戻るのではないかと思う私であるが、その本人は、何としても山に登らなくてはならない人なのであるから困ったものだ😁 予定より1時間程遅れてのスタートとなってしまったが、今日は時間制限がないのであるから、「山ノ神」に合わせてゆっくり歩いた。

 やっぱり、ナメコはなかった。近年無くなって来ていたのは事実であるが、これほどまで無くなってしまったかと思ってしまう。でも、歩ける事に感謝であるし、山頂には、それぞれの思いが繋がる。今回の高頭山は9回目となった。細いがブナ林はそれなりにいい。でも、ナメコがなくなって来たのだから、これまでと思うかもしれないが、もう一回で10回となるのであるから、焦らないまでも、その楽しみが募る。



10/27 明日は晴れるようである。でも、登山道は泥濘んでいるような気がする。私一人で行き先を決め切れないもどかしさが、二転三転する羽目となるのである。人形山・三ヶ辻山、または、久しぶりに白鳥山もいいかなと思ったところに、「山ノ神」から高頭山の提案があった。

 それも、いいかなと思っていたところに、燕岳とまで言う。晩飯でお酒を飲んでいる最中である。何を考えているのかと思って、酒気帯びの懸念、夜明けが遅く、日没が早い。しかも、かなり冷え込むと言い放った。最後に早く歩かなければならないというと、途中まででも良いと言うのだから、こちらは参ってしまう。本当に何を考えているのかと思ってしまう。

 高頭山にしても、もうナメコは当てにならない。もしかしたら、通行止だって有りゆる。でも、私は山頂付近のブナ林が好きである。決して太くはないが、何となく好きなんである。そして、多分明日ならば、ブナの紅葉もいいかもしれない。



10/26 休日を変えるとなると、お知らせ(告知)や看板の書き換えが伴って来る。年始めから、該当するサイクルで来店されているお客様には、その旨を、他のお客様にも、余談としてお伝えしているのであるが、他人様の休日等、なかなか覚えられないものである。

 これから、店内の案内(お知らせ)やお客様への郵送による伝達作業に入るが、看板の書き換えを、どのようにしようかと悩んでいたら、岩城君のアイディアと技術でアイテムが揃った。感謝である。しかし、それを施工しなければならない。あまり自信がないがやるしかない。何事も経験である。



10/25 来年から休日を変更しようと思っている。毎週月曜日と第3日曜日、そして、第1月曜日の次の火曜日を、毎週日曜日・月曜日、そして、第1火曜日にするのである。従って、毎週日曜日・月曜日の連休になり、第1火曜日に当たる週は3連休となる。

 もっとも、今年の2月から、第1日曜日は、臨時休業として休んでいるから、月に2回程休日が増えることになる。働き方改革と言われている昨今であるから、週2回の休日は、当たり前と思ってもらえれば嬉しい。

 「やっぱり、全ての休日は山に行くのか?」 と問われれば、「目標としたい。」 と答えたい。毎日山へ行けと言われれば、閉口すると思うが、週に2回程度の休日なら何の問題もない。それよりも、第1・第3と限られていたが、これからは、毎週泊りがけの機会を得る事になる。

 毎週、キャンプや温泉などと叶うわけがないが、より多くの機会を得るのは間違いない。仕事を辞めるわけでもないし、活力を得る場にしたいと思っている。休日の増加は、まだご褒美などと言うには早すぎる。人生まだまだなのだから・・・



10/24 後回しにしていた事が今は痛い。記憶が定かでない時は苦しまなくてはいけない。こんな事がイヤなので、先へ先へとなる。そうなると、せっかちだと言われる。いろんな役を受けると、こんがらかって来る。すぐに処理していると問題がないのに弱ったものだ。

 確定申告だってそうである。今からやっておれば、時期が来ても悠々と過ごす事が出来慌てなくてもいい。こまめにやっておればいいのであるが、ズボラな私は、あれは何処へ行ったのか、やったのかなどと言わなくてはならなくなる。



10/23 甥の不幸に次いで町内にもあった。付き合いがないのであるが、町内会長故に行かなくてはなるまい。香典は出す事があっても貰う方になるとダメである。家人が増えるのは賑やかでいいが、減るのは寂しいものである。子供が生まれる親が亡くなる。嫁をもらう嫁に出す。子が進学・就職で家を出る。帰省する。



10/22 10日前の傷口の抜糸を昨日終えた。若い頃は、日にちの経過毎に傷口が薄らいでいったもんだが、歳取る毎に治りが遅くなっていく。いやいや、もしかしたら、傷跡は残ってしまうであろう。ちょっとした切り傷やオデキの跡も治らずにいる。

 もう嘆いても仕方がない。それこそ、アクセサリーなどと思うしか無い。でも、活性化さえすれば、まだまだ真皮が出てくるかもしれない。(謎) 使わぬ筋肉は衰えるそうである。何もかも何処もかも使って(動かして)おれば、道は広がるかもしれない。

 じっとしていると、動きが悪くなる。きっと固まってしまうのであろう。頭も使わなければ可笑しくなる。実際、難しい事が嫌になる傾向にある。座るとすぐ眠たくなる。年寄り(老人)と言われたくなければ、何でも首を突っ込み動き回る事がいいと思うが、なかなか上手くいかない。



10/21 それでもである。今日は山には行かないと決めていたが、来月行われるイベントの林道状況が気になり車を走らせた。高落場山への林道は、国道304号線からが通常であるが未だに通行止が続いている。それではと、林道温泉(?)経由で乗り入れてみたが何ともなかった。

 縄ヶ池の駐車場に達した頃は、砺波平野の上が雲海に覆われていた。その先に車を進めてみたが、ここまで来たら、歩かない訳がないだろう。時刻は午後2時50分である。「それでも行くの?」 だったが、「途中まででもいいから行こう。」 となる。後は、お決まりのコースで、私だけが山頂に立ってきた。

 昨日も降らなかったからか、泥濘もなく快適さはまずまずであった。紅葉はこれからであったが、私の大好きなコースでもある。黄昏が迫ったのであるが、遠くに槍ヶ岳まで望めたのだから気分は良かった。イベントの日に晴れる事を願った。



10/20 ならばと午前中に勝負を懸ける事にした。午後から晴れるとの予報であるが、そんな事を言っておれない。時々ワイパーを動かしながら、霧雨の中、白木峰に向かった。往復3時間、山中3時間半の行程で、紅葉が見られるかも懸けであった。大長谷に入ると益々怪しくなっていく空模様であったが行くしか無いと思った。

 しかし、管理棟前のゲートが通行止の標識と共に閉まっていたのである。通行止は少し頭にあったが、例年なら、まだまだ入れるのであるが残念としか言えない。でも、ここまで来たら、やっぱり何処かの山に行くしか無い。八尾に戻り牛岳に向かう事にした。二本杉からである。ここからならば、山頂まで1時間を要しないから、正午前に高岡に戻る事が出来るからである。

 山頂まで40~50分。でも全く展望がない。そして、お腹も空いていない。コーヒを飲んだ後、私だけ三角点を往復したが、それでも物足りない。でも、甥の納棺が行われるし、私には防災訓練がある。少しでも早く戻った方がいいになった。



10/19 甥(「山ノ神」の姉の子)の訃報が入った。病がちであったが、まだ54歳である。既に父親が他界しており、母親(姉)も寝たきり状態である事から、家族葬となるらしい。明日・明後日は私の休日であるが山行は中止となる。しかし、長として防災訓練があるから、その時間だけは仕方がない。不幸は突然やって来る。心しておかなければならない。



10/18 今度の日曜日は、防災訓練があり、丸一日使うわけにはいかない。月曜日は、娘が時間を作ってくれたが、ケガの縫合の抜糸が予定されていて、診察時間内に戻らなければならない。ようやく晴れマークと縁があると思ったが上手いわけにはいかない。でも、何処かへ行けるだけ幸せなのだろう。



10/17 一昨日は次男が、今日は長男がやって来た。でも、お互いいろいろ付き合いがあるらしくバラバラである。でも、ワット集まると宴会になってしまい個人的な話が出来ないから、それはそれでいいような気がする。しかしながら、人が集まるのは楽しくていい。それは、肉親であろうが友人であろうが一緒である。

 交流がなくなるという事は、自分の末路を歩んでいるようなものである。「運転出来なくなる。」 「お金を使えなくなる。」 も、その一端であるような気がする。誰とでも繋がりがあり楽しくやっていきたい。自分に魅力がなければ誰も寄って来てくれない。そのためには歩くしかないのかもしれない。



10/16 拡散という意味では、SNSの中には入らないけれど、ネットとは面白いし不思議である。七姫山の事を載せれば、「行けるの?」 「残雪期には行った事あるけれど・・」 「何年か前に行ったけれど、分からなくなって撤退を余儀なくされた。」 などの意見や問い合わせが届いた。何せ私も無雪期は初めてだっただけに、何処が何処だか分からない内に山頂に辿り着いた感じであったが・・・

 私(達)を連れて行ってくれた岩城君に感謝。そして、手助けをしてくれた「北ちゃん」や池原氏にもお礼を言わなくてはならない。「もうちょっと刈ってくれよ!」 は、贅沢な願い。あの道を岩城君と堀君で刈ったようだが、それも2~3日だというから凄い! 面白かったのは、「林道はあまり刈ってない。そこを乗り越えて来た人が、登山道の恩恵を受ける。」 と彼の独特の言い回しである。

 山の感じ方や思いは各自微妙に違う。「紅葉を枯れているだけではないか?」 と言う人もいる。草紅葉になると、何処がいいのか分からないまで言う。そうなると、「寒い思いをして雪の山なんて」 となる。そこまで来ると説明などいらない。あの歓喜・歓声を聞かせてやりたい。「試練と憧れ」 が同居するが、「あの光景を見せてやりたい。」 と「あの絶景は独り占めに・・」 も、その雰囲気によって異なるのも面白い。



10/15 昨日は、結構歩いた気がしたが、足が突っ張る事もなく気分の良い朝を迎えた。心配していた「山ノ神」も、何ともないと言う。そんな事は無いと思うが、そういうのなのだから、そうなのかもしれない。もしかしたら、何か都合の悪い事を言うと、次は連れて行ってもらえなくなるから我慢かと勘ぐってみたが、そんな事もないようだ。

 ところで私のケガは、左手と額と思っていたが頭であった。頭と額の区別がつかないような状態になっているからでもないが、傷口は頭であった。確かに頭である。大した事なくて良かったと皆が言う。「そんなのに、雨の日に山へ行くなんて・・・」 とお客さん達も呆れていた。



10/14 昨夜の内に七姫山と連絡が入っていた。でも、雨である。好山病では、変更があっても中止がないという伝統?がある。ちょっと遅いような感じであったが、午前8時アルペン村に集まった。変更を匂わす小さな声もあったが、完全に揉み消され七姫平(旧・クムジュン手前)に向かった。

 登山道を刈り上げて来たらしい岩城君(いつも腰痛とかいうがウソのように思わせる達人)、ヤブを知っていたかのようにニッコリした北ちゃん、それに池原氏(富山では知らない人がいないくらいの岳人)が加わったのだから、尚更知らず識らずに一日中雨の七姫山に吸い込まれていったような。

 私は、過去に人津谷林道を10回程歩いているが、それは全て残雪期であって、無雪期は歩いた事がなかった。だから、人津谷林道はデブリを気にしながらの歩きであった。でも、今回は違った。水門まで、崩落した所もあったが、雪道よりも楽であった。

 そこからは、小枝や草木を掻き分けなければならず、折からの雨で、沢横または、沢の中を歩かなければならなかった。通常、臼越山に至る時、林道を迂回せず、大斜面に取り付くのであるが、流石にこの時期はそんな事は出来ず、林道経由になる。残雪期は、その林道が、まるで車が入るような雪原となるが、無雪期は、ナンジャラホイとなっている。

 その大斜面を直登して林道に出る地点や、林道から臼越山と七姫山との分岐(小さなコル1,280m地点)への尾根の取り付きも分からず通過であった。岩城君曰く、「登山道に入ったら、ちゃんと刈り上げてある。この林道を乗り越えて来た人だけが、その恩恵に預かられるのである。」との事。

 と言いながら、林道を邪魔する木々を取り除きながら歩く姿に頭が下がった。(北ちゃんも池原氏も) 私と「山の神」にしてみれば、いつもの歩きと違ったペースであった。しかし、「山ノ神」の小言もなく、必死に着いて行く姿に思わず、「歩けるんじゃない!」 となった。でも、所々で皆さんの手を借りた事に間違いない。

 殆ど、休憩もない(2回程あったか?)ペースで山頂に辿り着いたのは、車から離れて4時間ほどであった。小さな山頂(1,335m)、何もない山頂、しかも雨である。記念に写真を撮って、100m程降りた平坦な所で食事となった。(午後1時20分頃) 岩城君と池原氏が先に降り、タープを張ってくれた。北ちゃんは、「山ノ神」のガイド役となった。

 最も、今回の山行に関して、事前に「山ノ神」でも大丈夫かと打診していた。「登山道は刈ってあるから。ゆっくり行きましょう。」 との返事を北ちゃんからもらっていた。そんな事もあり、北ちゃんは、責任を感じてくれていたに違いない。お陰で私は後ろから傘を差して見ていただけであった。でも、タープ内に入った時にはホッとしたのが正直なところ。

 僅か40分程の休憩(食事タイム)であったが、温かい物を口に入れる事が出来たからであった。雨は強弱を伴って降り続いていた。じっとしていると寒さを感じた。さて、午後2時発であった。これからが心配であったが、皆の協力を得て無事に降りて来られた。オーバーかもしれないが、半分余で降りて来たのである。

 なかなか一緒出来ない岩城君と難コース(珍コース)をお供してもらった。池原氏には、これから機会があれば、ご一緒願う約束をした。いつも控えめの北ちゃんは、やっぱり好山病の重鎮だと改めて確信した。雨の中の山行、バカなようで、それなりの意義があったと私は確信している。



10/13 今度の台風19号は、東日本に甚大な被害をもたらしたが、富山ではそれほどでもなかったようだ。私も、そんなに焦らなくても良かったのに、ケガをしてしまったのだから、周りの人から、バカだと言われてしまった。(私もそう思う)

 それでも、これだけで良かったと思わなければなるまい。山中では、「転んだらお終い。山歩きが出来なくなる。」 と自分に言い聞かせてきたが、何処で転んでも同じかもしれない。 明日は転ばない!



10/12 小屋根にちょっと気になる事があって・・・。点検したまでは良かったが、出入口とした窓に戻ろうとした時、滑ってしまい流血となった。額と左手から血が吹き出し(流れ出し)たので、びっくり。家中血だらけになったので、そのまま近くの医院に駆け込んだ。

 土曜日の午前中だったので患者で溢れかえっていたので、応急処置をして待つ事になった。時間の経過とともに血は止まったが、診察を受けたら額・左手とも縫合せなければとなった。フランケンシュタインみたいになるのはイヤだったが・・・。

 術後に痛くなってきたし、台風でメチャメチャ揺れるし、揺らす音も凄いので、午後からシャッターを降ろした。我家は、街の中の一軒家。向かいに10階建てのビルも有り、日頃から風に悩まされているが、今度の台風は凄いようだ。早く通過してくれないかな!



10/11 台風の話ばかり。大阪の息子も来ないようだ。 ラクビーもやるのやらないので、またひと悶着か? とにかく何ともなければいいのに・・・。



10/10 このところ芳しいところ(特別のところ)へ、行っていないので、昔の今頃の画像を載せている。何でもなく行けたところもあれば、結構怖かった事もあったように記憶しているが、結果オーライの時もあったように思う。

 画像がないが、昭和43年の7月に下ノ廊下を歩いている。それも、立山に一度しか登った事のない友人と一緒だったから、今から思えば、無謀だったのかもしれない。(現在は、この時期一般の人は通れない。) しかも雷鳥沢からタンボ沢を通って黒四・阿曽原であった。

 計画は甘かった。二人の荷は合わせて85キロで剱沢まで行く事が出来ず、雷鳥沢でキャンプとなったのである。サブザックに2日分の食料を持って出掛けたのであるが、そのサブザックが破れ、観光客に針と糸を借り、2時間掛かって修繕せねばならなかった。午前4時半に雷鳥沢を出たが、阿曽原に着いたのが午後9時になってしまった。

 その夜は、小屋に泊まらずビバーク。そして、翌日剱沢に行くのであるが、残雪が多い年だったせいもあるが、何度となくルートを間違えたり、友人が歩けなくなったりしてしまった。「もう歩けない。」 という友人と何度も喧嘩をしながら、剱沢に夜の10時に着いたのであるから、呆れた事をしていたものだと思ってしまう。

 友人は、その翌日下山したが、私は、雷鳥沢から剱沢まで荷揚げし、翌日は、剱岳源次郎尾根に登った。しかし、その後の3日間は雨。一週間立山・剱岳・黒部にいたことになるが、今はそんな事はしたくても出来ない。その友人と飲んで山の話になると、「あの時は・・」 などとなる。



10/9 強がりを言っていても負けそうになる事がある。失うものがそんなにないにしても、心はズタズタになり落ち込んでしまう。そんな時、何をすれば良いのか分からなくなってしまうが、事のつまりは原点に戻るしかないような気がする。

 ちっぽけな自分、大した事が出来ない自分であるが、山から降りて改めて望むあの稜線を見たり、軌跡を地図と照らし合わせたりするにつけ、「結構やるじゃない!」 となればしめたもの。元気が出るし、チャレンジ精神が戻って来る。ダメでもやる。負けてもやる。山登りは、人生の縮図とも言われているが、そうでなくとも、山が好きならそれでいい。



10/8 やっぱり雨。でも、出掛けないわけがない。しかし、「山ノ神」は辞退。こんな日でなく、違った日に行かないと言って欲しい。(願望!) 雨は一日中降る事など殆どない。降ったり止んだり、強くなったり弱くなったりする。時たま陽を差す事だってある。

 今日は、午後から用事があったので、家から、コミコミ往復4時間の予定で八乙女山へ行ってきた。登り始めは足が重かった。そして、濡れた階段で転ばぬよう注意して歩いた。そんな事もあり、三角点で引き返したが、それでも、タイムオーバーとなり、大好きなコーヒータイムも回避となった。

 この3日間、中身の充実感は乏しかったが、それでも、只々歩けた事に喜びを感じ感謝である。そして、夢はいつまでも持ち続け、可能な限り追い続けて行きたいものである。車に乗れなくなったら、歩けなくなったら、お金を使えなくなったらなどと、不安は付き纏うが、そのような事を吹き飛ばすかのように、鍛錬・鍛錬である。人には優しく自分には厳しくかな!なかなか出来ないけれど・・・



10/7 ずっと白山行きを考えていた。しかし、午後5時まで帰宅しなければならないとなると、暗い内から歩かなければならなくなる。只でさえ道中揉めるのに、そんなにしてまで行かなくても良いのではとなった。そして、その代案は、大門山~見越山となった。

 そんなのに、出足がちょっと遅れてしまった。その挙げ句、「山ノ神」の足が止まってしまう。この晴れ間に、奈良岳までは無理にしても、見越山までは行きたいという頭があった。40分ぐらい歩いた所で、大門山に行かないという「山ノ神」に、分岐で待ち合わせを確認して離れる事になった。

 こんなに遠かったかと思うほどだったから、「山ノ神」にしてみれば尚更であったようだ。「元三のバカヤロー」 と、何度も叫んだと言うのだから、分からないでもない。今までの経験が、だんだんと役に立たないようになっていくのだろう。

 大門山から戻ったら、「山ノ神」がベンチに座っていた。着いてから、そんなに経っていないようだった。赤摩木古山に午前11時半まで着いたら、私だけ見越山まで行って来ようと思っていたが、5~6分程オーバーしていた。それでも、行けない事はないと思っていたが、そこまでする必要があるのかと考えてみた。

 今しか出来ないかもしれないが、「これからの山行スタイルとしてどうなのか?」 なども頭を過ぎってしまった。またもや、2時間程この山頂に置いてきぼりにし、私は私で食事もままならぬのではなどと考えてしまった。もっとも、雨が落ちないまでも、真っ黒な雲が立ち込めて来ていた事も考えを改めるのになったのかもしれない。

 午前中は晴れるという予報であったが、平日であったし、紅葉にもまだ少し早いからか誰とも遭う事もなかった。ブナオ峠に午後2時半前に着いた事もあり、僅かな時間であったが、道の駅に寄ったり、五箇山豆腐を買ったりする余裕があった。何よりも良い事は、車を吹っ飛ばす事なく帰れた事かもしれない。



10/6 ☂でも、何処かへ出掛けなければならないのが我家のライフワーク。いや、それは私だけの事なのであるが、いつしか「山ノ神」も着いて来るようになったのかもしれない。さて、何処へ行くかとなるが、「雨の山」のリストがある。屋根(避難小屋)がある山、あまり泥濘がない山、夏ならお花の咲いている山などである。でも、最近その中から、白山が削除されつつある。

 今日は、雨でも、大降りしないと見込み中山としたが、風もなく傘を差しながら歩く事が出来た。食事をする時や、コーヒタイムでは、傘を差す事が出来ないので、上だけ雨具を纏った。小雨・霧雨でもザックはビシャビシャになった。

 中山だけでは歩き足らないと、千石城山に向かったが、「山ノ神」は、あまり乗り気ではなかった。かと言って、車で待っているのもイヤらしく着いて来る羽目に?なった。「これで満足?」 と「山ノ神」にイヤミを言われたが、今日は黙り込む事にした。



10/5 結果的にどうなるか分からないが、明日からの私(達)の連休は、明日はまだしも、その後は良くない予報だ。そうなると、特別の計画はないし、近間の低山になる。だから、この際、孫達の迎えや預かりを受ける事にした。後々の事を思うと、そうした方が良いとの判断である。



10/4 このところ、ずっと台風(台風もどき)に惑わされている。当然、遠方や高所の計画が頓挫してしまう。それが、近間の低山になっても、グチャグチャや、ベチャベチャを連想すると、意欲が削がれてしまう。また、このところのクマ情報もテンションを下げる。

 「そんな事に関係なく歩いていたのに・・・」 歳だけでないような気がする。「山ノ神」が嫌がるし、そんな事をしてまで行く仲間が少なくなって来たのもあるのかもしれない。また、山以外の事もと、ちょっと浮気っぽい心が芽生えて来ているのかもしれないが、そんな事は多分出来ないであろう。

 

10/3 今月から我HP「元さんの山歩き」のアドレスが、https://www.gensan.me に移行した。というより、従来のyahooジオシティーズからのリンクが9/30で終了してしまった。(ジオシティーズ終了) 以前からお知らせしてあったが、そんな事もあってか、アクセスが、かなり減ったような気がする。

 でも、私の嘆きや、クドキ・ボヤキに叱咤激励があったり、今でも少ないものの問い合わせがあったりする。有り難い事である。自分一人では、モチベーションを保ち続ける事は難しい。テンションの上がり下がりは、だんだんと激しくなっていく。当欄だけでなく、山中での出会いでも、結構嬉しいし勇気付けられる。

 笑われながら、どれだけ140歳まで生きるとか、80歳過ぎても雪山でキャンプをするのだと言っていても、言い続けられないものである。やっぱり仲間は大事なもの。山中で、ちょっぴりしかお話していなくとも。また何らかのアクセスをして頂いてもらえる方も、私には山の仲間である。



10/2 「ありゃりゃ!」 晴れマークになっていた今度の連休(10/6~8)が、いつの間にか、曇りに傘マークが付いている。東北の山で紅葉を見たいという話もあるが、私には、そんなのより立山でキャンプをした方が良いと思っているし、その他に、白山・雨飾山・毛勝山・妙高山・白馬岳・大猫山・猫又山など行きたい山が目白押しである。

 最近は、「山ノ神」と乖離が甚だしく、私の行きたい山には、なかなか行く事が出来ない。合わせる事が、時たまなら分かるのであるが、殆どでは、好きな山歩きでの不完全燃焼となる。「歩けるだけで幸せである。」 という考え方もあるが、今しか行けない時・所もある。

 夫婦で歩ける事に意義を感じているものの、月に1~2回くらいは、自由にさせて欲しいと思うのは欲張りなのだろうか? 着いて来れないのなら、たまには来なくてもいいのではないかと思うのはダメなのだろうか? どちらにしても、もう少しの事なのにね!



10/1 一昨日の住民運動会で、「ロートルが走った。」 と話題になり、そして褒めて?もらった。何年も走った事がなかったにしても、毎週のように山を歩いていた事が奏功したのかもしれない。具合が悪い人達の事を思うと、その点私はハッピーである。

 老人と言われる年齢が、65歳から75歳に格上げされる話も聞く。年金や医療からしても簡単にいかないかもしれないが、元気にしておれば、医療費の軽減になるだろうし、働く機会が増えるというもの。

 「まだまだ元気でいたい。」 が、私の願いであるが、それは私だけではない筈。まだまだしたい事がいっぱいあるから、身体だけではなく、頭の方も活性化しなくてはいけない。若い人達との交流が大切なのだろうが、なかなか難しい。「話を聞いてあげる。」 「嫌な事は言わない。」 「率先して下仕事をする。」 などがあると思うが、どちらにしても、体力が伴うような気がする。やっぱり忍耐と鍛錬なのだろう。