11/21 「休日は山に・・」 ばかりでなく、山以外の事も、そして、遠征の場合は、少しでも、名所旧跡などを巡る観光があっても良いと思っている。そう言いながら、今年も、山ばかりであった感は歪めないが、それでも、三陸海岸や竹田城址・天の橋立・舞鶴へ行ったではないかと思うのだが・・・・

 11/25は、夕方から忘年会であるが、それまでは何処かに行ける。12/1~12/3は、埼玉の姉に付き合ってやろうと思っているから、「山はナシ。」 それはそれで納得してでの計画である。昨年、最後だと思って水上温泉へ一緒したが、今年も最後まで、どうなるか分からないが、このように計画出来るだけでも良かったと思っている。山に行けない休日となるが、この分、平日の早朝二上山に登ればいいだけの事。



11/20 42回目の結婚記念日を迎えた。8年後は金婚式(50年)になるが、二人共元気でなければ祝もない。過ぎた日を思えば8年ぐらいすぐのように思えるが、なかなかのようである。また、一緒でいなければその資格もないのであるが、お互い国民年金だけに別れては生活が出来ない。だからイヤでも一緒でいなければならない。お互い様のようである。

 記念日の前倒しとして、先日、白馬で泊まったつもりであったが、しかし、「山ノ神」は、記念日は記念日として、ちゃんとして欲しかったようである。でも寒いから、外に出るのはイヤだったので、私としては、「後日に・・」と、その場を凌いだつもりであったが、目に見えぬ不満があったのか、清酒の4合瓶が空になっていた。



11/19 負釣山の下山時、雨に遭わないように急いでいた。しかし、「山ノ神」の歩きは慎重さも加わって早くない。イライラするが、怒ってはダメだと必死に我慢する。それなのに、キノコがどうだとか言っては立ち止まる。小豆くらいのナメコを見付けたが、採るにも結構苦労する。その内、ぎっしりと、しかも整然と並んで生えているキノコを見付けた。

 私から見れば、しっかりと並んで生えている。そして青色である。(「山ノ神」から見ると、紫orグレイのようである。) きれいに採ろうとするからかもしれないが、「山ノ神」は採りきれない。そしたら、私に採れと言う。「採っても、私は食べない。」と言っていたが、聞く耳を持っていなかったのであろうか? 今日の昼食に味噌汁の具として出て来たのである。

 それより先、PCでキノコの事を調べていた。ヒラタケらしいと言うが、私は全然信用出来なかった。「ツキヨダケ」 とまで言ってみた。「光らなかった。」 と言うが、そんな事だけでは理由にならない。 実際、いらない(食べない)のに、食事の順番は私からに決まっているのである。

 今回は、本当にイヤだった。今までの物よりイヤだった。シイタケのような食感であったが、私が食べなければ、「山ノ神」が、全部食べて何かあったら、それこそ重症になりかねない。軽減のつもりで食べた。それでも信用出来ずfacebookに、「35分経過、今のところ大丈夫!」と投稿したのである。そしたら、「3時間経てば大丈夫!」 などと答えてくれる方も有り、尚更不安を募らせてしまった。時間が経てば、こちらのもの。夕食に食べまくった。



11/18 午前中は晴れるという予報だったから、無理すれば雨飾山に登れると思っていた。しかし、やっぱり宿を発つのが1時間以上遅れてしまった。あちらからこちらからと、24回も登っているし、昨日の雨や雪で、登山道が、ドロドロになっているのは必死であるから、無理する事はないだろうと思った。もっとも、午後5時まで帰宅しなければならないという制約があったからでもあるし、焦ってケガをしたら元も子もないからでもあった。

 いつもかも出掛けている私(達)は、なるべく下道(高速でなく)を使うようにしている。早朝は、そんなに変わらない時間で目的地に行けるのであるが、日中となると、ましてや、ラッシュに引っ掛かってしまうと、約束を果たせなくなってしまう可能性が高い。

 大鷲山か負釣山かと富山に戻ってからの山行箇所の選定に迷った。しかし、時間的に安全な方法として負釣山を選んだ。登山口をスタートしたのは、午前11時近くになってしまった。向かいの大谷山は紅葉が真っ盛りであったが、高度を上げるにつけ、落葉の上を歩くようになっていった。

 落葉の上を歩くのは快適なのであるが、もの凄い風が吹き荒れた。そして、暗雲が立ち込めて来る不安がついて回った。強風に「山ノ神」は怯んで何度も立ち止まった。「雨降る前に・・」であったが、ドンドン遅れていく。只、気温が高かったから悲壮感はなかった。その関係からか、対岸に聳える私の大好きな大地山や初雪山には雪がなかった。

 7合目までは、結構我慢したが、その先は私一人が山頂へ向かった。「山ノ神」一人を残してには、少々不安があったが、その分急いで歩いた。風が強いから、食事をする事も出来ないだろうと、荷は担いだまま出掛けた。往復30分も掛からなかったから、まだまだ元気だと勝手に思った。

 山頂で立てた三脚が風に倒された。カメラは大丈夫かと思ったが、そんな余裕はなかった。何せ急いで降りた。7合目からも、「雨に降られない内に・・」と言いながら歩いたが、「山ノ神」はキノコが気になるらしい。最後に雨に降られたが、ビシャビシャにはならなかった。車横で雨の中、コーヒーを沸かした。



11/17 雨は降るかもしれないと思いながらも、雨飾山梶山新湯の入口根知周辺では大粒の雨となったので諦めて通過。それがトンネルを抜け北小谷に近付くと雨が止まった。そうなると諦めかけた雨飾山へ小谷側から再チャレンジとなったが、登山口に近付くと、水っぽいが薄っすらと轍が出来ていた。

 登山口駐車場ではミゾレになった。それでも、10台くらい駐車していた。中には待機中の方もあった。午前8時半過ぎであったが、二組の登山者が降りてきた。多分、途中で引き返して来たと思われた。しばらく様子を見ていたが、こんな日に登らなくてもと弱気になって引き返す事にした。

 鎌池に寄った。ずっと昔に一度来た事があったが、全く覚えていない。紅葉もない池淵を傘を差して歩いた。いい時に来たらなどと思ったが、そんな機会はなかなかない。小降りになったので湯峠に向かった。7月に来た時と同じで、300m手前で道路の欠損箇所があるので通行止めになっていた。  「そんなにしてまで歩かなければならないのか?」 と言いたげな「山ノ神」であったが、こちらは、「どうしても、一座くらいは登りたい。」 というオカシナ信念?がある。高い所、時間のかかる所へは、こんな天候では一緒に登れないくらいは分かっている。

 「仕方がない。」 と思っているだろう「山ノ神」であるが、行ける所ならやっぱり山頂は踏みたいのだろう。1,556mの大渚山1時間から1時間半程で登られるのであるから、コツコツと、そして、待ってゆっくり歩かなければならない。1,400mから薄っすらと雪が積もっていた。でも、午後3時過ぎには、宿に入った。これだけ軟弱になったという事でしょう。



11/16 明日は白馬泊まりになった。特段白馬でなくてもいいらしいが、「今の内に・・」 とか、「そんなに長生きも出来ないから・・」 が、「山ノ神」の理由のようである。この様な端境期にと思ってしまうが、いつの間にか従わざるを得ないようになってきている。

 精々私の抵抗出来るのは、「どんなところであろうが、山に登らないのはイヤだ!」 というしかない。ゴンドラに乗って八方池までというのも考えてみるが、始めから山頂に届かない。しかも、お天気が約束されないでは、あまり気が進まない。

 雨飾山・大渚山・頸城駒ヶ岳・青海の駒ヶ岳、そして、県東部の負釣山・大鷲山を上げてみたが、どうなるかわからない。今宵の雨は、明日まで持ち越さないと思っているが、それこそ自然相手の事だけにわからない。でも、「山の空気」に拘りたい。



11/15 今度の日曜日(11/17)は、何処へ行こうか? の案として、人形山・三ヶ辻山が第一候補であったが、俄然立山も脳裏に浮かんで来た。何処へ行くにも、お天気が条件であるが。立山の場合は尚更である。スノーシューを履いて室堂周辺を散策というのも有りのような気がする。

 そんなところに、「白馬へ行こう。」 と「山ノ神」が突然言い出したのに困惑している。私は、「宿に泊まるだけでは良しとしない。」 と言っても登る山は限られている。でも、富山県東部の山と頸城の山を考えればなくもない。さて、明日一日考える時間がある。お天気を見ながらになる。



11/14 私は、時々ロートルという文言を使う。ところが、最近山友がロートルという文言を使うようになっている。年齢不詳ながら女史である。2度しか山中でお会いした事がないが、バリバリに山ヤである。現在、必ずしも恵まれた状況にない中で、必死に頑張っているのをSNSで知っている。なのに「ロートル」を使うのだから、ちょっと違和感を覚えてしまう。

 「まだまだだよ!」 と声が届くかどうかわからないが、彼女なりに謙っての表現なのかもしれない。「この先の人生は長い。」 そう思っていなければ、ずっと暗いトンネルの中を歩いているだけになってしまう。必ずいい時がある。(あったのかもしれない。) 私は、ロートルとか老人とかという文言を使う事があるが、「まだ負けてたまるか!」 の思いがいっぱいである。



11/13 やる事がいっぱい溜まってしまった。先送りに新たな案件が増えるのであるから参った。コツコツやるしかないのであるが、ちょっと座ると、ウトウトとしてしまう。それだけ切羽詰まっていない事なのかもしれないが、忘れたら困ってしまうのである。

 それでいて、休日は山に行かなければならない。何を置いても山へ行かなければならないのであるから、当たり前といえば当たり前。これで来年から休日を増やすのだから、どうなるのか不安がいっぱい。一層の事全部忘れてしまえば楽になるのかもしれないね。

 今週末の山行でも安全のためにタイヤを交換しておかなければいけない。そうしておかなければ、不安が付き纏ってしまう。以前は、チェーンを掛けた事もあったが、滑ってしまってからでは元も子もないない。思った事はすぐやらなくては・・・・。



11/12 昨日の高落場山行を終え一旦帰宅し、再び忘年会場へ出向く途中、凄い雨に見舞われた。山中でなく良かったであった。eiko女史が参加せず、ねぎちゃんと岩城君が加わった。今回は6名のこじんまりしたものであったが、お酒を注ぎ会える程度の距離・人数が最適で話も纏まりがある。

 しかし、飲むほどに、同じ話ばかりしているとのお叱りを受ける事もあり反省をしている。それにしても、たくさん飲んだような気がする。気分が良かったからであろうが、自分よがりだったら何としよう。(ごめん!) でも、二日酔いなどもなく、ウエイトの増加もなかった。



11/11 時折強風が落葉を巻き上げた。暗雲が立ち込めた事もあった。山頂ではパラパラと雨が落ちたが、すぐに流れた。二度も虹が出た。ハラハラした高落場山行であったが、無事終える事が出来た。1時間強の落葉を踏みしめての山行は期待通りにステキであった、ブナは葉をすっかり落としていて見通しがよく、フカフカの絨毯の上を歩くようなものであった。

 晩秋から初冬に掛けての僅かな時を楽しませてくれる今回の企画はバッチリと当たった。おまけに小粒で少量ではあったが、ナメコもあり女性軍を喜ばせた。山頂では、予定より30分短かったが、それでも1時間半もお喋りを楽しませてくれた。心配したeiko女史の足は、私が心配した程ではなく安堵したが、代わりに膝が痛いというマキちゃんが心配になってきた。

 ほぼ計画通り進行したが、車に戻ってから特設カフェで二度目のコーヒーを嗜んだ。それは、落葉が舞い上がる中での、なかなか無い光景でもあった。第二部の企画に家路を急ぎ、新たなメンバーとの交流に備えた。



11/10 明日の予報は、午後から雨のようである。気になる病と同じで、自分の気にいるような情報を探す。「午後まで降らない。また、降っても大した事はない。その先もあまり降らない。」 と自分に言い聞かせるような予報になってしまった。

 明日は大事な日。それは、好山病友の会発足当時からのメンバーであるeiko女史との山行を企画しているからである。ちょっとばかし足を痛めている彼女は、それだけでなく、周りを取り巻く環境が、なかなか自由にさせてもらえていなかったようであった。

 「1時間くらいの山なら・・」 のコースを提案して、明日の企画にこぎ着けた。実際には倍の時間を要するかもしれないが、それに賛同してくれた仲間がいるから、きっと励ましてくれると思うし、荷を担いでくれるかも、それでもダメなら、おんぶしてしてくれるかもしれない体制で望む。

 メーンは、久しぶりにゆっくりお喋りをしたいのであるから、山頂滞在時は何としても晴れていて欲しい。それがダメなら、下山するまで降らないで欲しい。 そんな事は天が決める事。日頃の行いを加味して、少しは味方してもらえてたら嬉しい。どちらにしても、「あの時は、こうだった、ああだった。」 と想い出に残る山行になって欲しいと願うのである。



11/9 直近の一ヶ月で3~4キロ太ってしまった。原因は、暴飲暴食と言わないまでも、間違いなく食べ過ぎである。そして、歩き足らないのも影響しているのだろう。「このままでは・・」 と思う危機感がある。食べたいなら、「もっと運動せよ!」 それが嫌なら、「食べるな!」 になる。 現在、生まれてからの最高値を示している。



11/8 前々からやらなくてはと思っていた小屋根のペンキ塗りをやった。休日は山に、そして、お天気が悪ければダメだし、この時期になると、夜露の関係上早朝もダメである。思い切って、昨日の午後屋根に上がった。過日の転倒もあり、心配を掛けたが、難なく終える事が出来た。

 しかし、私は、草むしり同様、屈む姿勢が苦手である。だから、今日も背中が痛い。まあ~、こんな事は、しょっちゅうあるわけがないし、その内治るのだろうが回復力遅い。でも、自分から加齢などの文言は使いたくないし抵抗していくつもりである。



11/7 那岐山中で、岡山の青年(山本君)と少々話す機会を得た。富山から来たと告げると、びっくりしたような顔をされた。富山は長野と共に、山ヤにしてみれば憧れの地なのだろう。その時、ちょっぴり自己PRをしたし、宜しければメールを下さいも付け加えた。

 私が、高岡に戻らない内に、彼からメールが届いていた。社交辞令的な所もあったが、誠実さが伝わって来て嬉しかった。こんなのでもなければ、若者と交わる機会はないのであるが、嫌われないように元気で情報を発信続けていかなければならないと改めて心した。

 その山本君と、僅かな時間しか話せなかったが、その内に北ア(多分、立山・剱岳だと思うが)行きたい(行くつもり)だと言われた。私は、思わず「えぇっ、」 と言ってしまった。そして、「そんな時行けないよ。」 そしたら、「雪が締まった頃、春頃かな?」 となったが・・・。

 私は考えた。あの人は、「高所の雪山の事を知っているのかな?」 いやいや、もしかしたら、超ベテランで、後から私の事を笑っていたかもしれない。 などと思ったが、これから、いろいろ情報交換をして、教えられる事があったら、もしかして、その反対に教えてもらわなくてはと、この先が楽しみである。



11/6 今回の那岐山とその他の観光を含め、今年は3回の遠征となった。6月は東北(乳頭山・秋吉山・五葉山) 8月の中国地方(道後山・吾妻山・三瓶山)である。夜行運転はイヤだと言いながら続けている自分と、まだまだ行けるのではないかと思う自分が同居しているのは確か。

 いつかはゆっくり行けると思っていても、何もかもが揃わないと行けないのが実情。2~3日でもそうなのだから、一週間や10日間などは、余程の幸運がないと行けないのではないだろうか? これが山となると尚更である。だから、運を呼び寄せなくてはいけない気がする。



11/5 車中泊に慣れたわけでもないが、昨夜も、ぐっすり眠れたように思う。それでも、薄暗い内から起き出して、お湯を沸かし、ドリップコーヒーを頂いた。自販機やコンビニなど、いろいろな形で販売されているが、私は、コンロを出して沸かす自分好みのコーヒーが好きなのである。これも、山バカの一例なのかもしれない。

 昨夜の内に、もう一度、天の橋立に行く事にしていた。天の橋立に来た割には、有名な「またのぞき」や、長く連なっている松林を眺めるに至っていないからであった。しかし、後の予定からして、そんなに時間はなかった。行ってみたものの、ケーブルやリフト、また、遊覧船の動き始めるまで、かなりの時間があったのである。それでも歩ける道を模索して、ちょっとした高台の雑木の間から、松林の繋がり(天の橋立のメーン)を眺めたのであった。

 舞鶴に向かった。赤レンガ倉庫群(赤レンガパーク)や北吸桟橋(自衛艦)に、軍隊カレー・肉じゃがを食するがメーンであった。しかし、自衛隊基地へは、土日や祝日でないと公開していないという不運があった。それでも、あちこち歩いたから、しょぼくれる事はなかった。

 看板に誘われて洋食屋に入った。料亭風のこの店に入ってびっくり。予約してあるかと問われ「ない」と答えたが、土足のままで絨毯の廊下を通り室内(食事処)に案内された。「こりゃ高いぞ!」 と不安いっぱいであったが、メニューを見て安堵。そして、カレーや肉じゃがの事の説明を受けた。昔ながらの味なのかもしれないが、私は家のカレーの方がいい。でも、時たま、いろいろな物を経験するのも面白いし勉強になる。

 舞鶴を正午頃に発って、下道で帰る事にしていた。ちょっとオーバーしたが、それでも想定内の行動となる。しかし、若狭地区には道の駅が多い。一つ一つ立ち寄っていては、どうなるかわからない。それでも、それが旅の楽しみなのかと思ったら気が楽になる。でも、暗くならない内に帰りたかった。



11/4 昨日は、たくさん飲んだような気がするが、長い時間をかけたので、悪酔いする事もなく、また、ぐっすりと眠る事が出来た。車の中で、これほど眠れたのは初めてかもしれない。当初からの予定とはいえ、山歩きを一日で終えて、二日目から観光に突入である。

 山ばかりの人生だったようで、観光などはあまりなかった。今回は、時期が時期だけに、それを取り入れ、これからのモデル?になるような思いで出掛ける事にしたのであるが、果たしてである。鳥取から海岸沿いに車を走らせ、天の橋立に行くつもりであったが、「竹田城」が頭に浮かんだ。

 海岸沿いも「まるのべ」 まで行った事もある。また養父(ヤブ)や朝来(アサゴ)も、二度ほど通った事がある。この辺へ来ると、我々の富山とまた違った難読の地名が多い。美作(ミマサカ)・用瀬(モチガセ)・智頭(チズ)などがあった。

 竹田城址へは、駐車場から40分ほど歩かなければならない。歩くのは何の問題もなく、歩けて良かったのが実感。石垣が、ほぼそのまま残っており、現存する山城としては日本屈指の規模とか。「天空の城」 「日本のマチュピチュ」 と言われるが、写真を撮るには、向かいの山でないとダメらしい。 日本の100名城にもなっている。

 昼食を取ったりした事もあり、天の橋立に着いたのは、これから観光というには遅すぎた感じであった。駐車場も、安価を求めて、ずっと離れた所だったも災いしたかもしれない。しかし、自転車で松林を走った。泊まりは、宮津道の駅になった。近くの公園で寒さを堪えながら、簡単な食事をしたが、山の事を思えば贅沢なものだった。ショッピングセンターが目の前にあるのだから・・・。



11/3 あれほど夜の運転はイヤだと言っていたのに、昨夜、家を出たのは午後10時。寝れないのは分かっていたので、那岐山を登ってからの宿?(寝る所を探さなくてはいけないので、結果的に夜行運転となる。決めるのは私なんだけれど・・・)

 舞鶴若狭道の三方五湖辺りのパーキングで、ちょっとばかしの仮眠となったが、やっぱり眠れなかった。でも、隣ではグウスカ寝ている。実に羨ましい。中国道美作で高速を降り奈義町までは割りかし近かった。 (山の名は那岐山、町名は奈義町不思議だね!)

 那岐山の歩きは穏やかだった。整備もなされ歩きやすかった。山頂休憩を入れての行程は5時間を見ていたが、少しオーバーしたが、許容範囲内であった。山頂からの展望は、必ずしも良くなかったが、馴染みのある山々があるわけがないし、そんなもんかなの思いである。

 登り始めが予定より早かったから、当然下山も早くなり、寝床を探す余裕が生まれた。明るいうちに決めたい。(行きたい)であった。陽が短いし、寒いからキャンプは嫌かったし、この時期やっている所も少ないのである。だから道の駅を探した。結果的に鳥取に近い「道の駅・清流の茶屋かわはら」に決めた。

 しかし、連休の真ん中の日で大混雑であった。やっと空きを見付け駐車出来たのは、午後3時近くであった。設備は良いのであるが、コンロなど使える雰囲気でないし悩んだが、今更また探すのはイヤだった。地元の方がテント販売でイカやエビを焼いて売っていたので、それをツマミに飲んでしまった。(これで動かなくてもよいのだ!)

 長い時間で350ml9本、500ml3本も飲んだのである。(二人で) 最近の道の駅には、コンビニが併設されているのも多く、実に便利である。道の駅で長い間駐車するのは如何なものかというのもあるが、今回は許してもらおう。流石に夜が開けた頃には車も少なくなっていたから・・・



11/2 「中国地方で那岐山(三百名山)だけが残っている。」 そんな事を口にしたばかりに出掛けなければならなくなった。「日本三景も行っていないね。」 と、までなる。「舞鶴にも寄りたい。」 までが加わった。でも、私(達)だけの連休ではなく、日本中3連休である。(最も、一日ずれはしているが・・) 宿は取れないし、取れたとしても高い。キャンプ地も見当たらない。しかし、とりあえず出掛けるになる。



11/1 このところお天気が続いている。この先も予報は良いようである。でもね、肝心の時に悪くなる事が多いから、手放しで喜んでおられない。それでも、家にいてもお天気の方が気分がいい。しかし、精神衛生上は決して良くない。何もかも人生と同じでこんなもんだ。