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8/31 昨日の話です。薬師岳から戻ってたくさん飲みました。そのため当欄の記述が遅れてしまいました。 (最近は、そのような事が多くなって来ています。) だから、早起きしてこなさなければなりません。しかし、休日で山に行かなければならないのです。
まだ太腿が痛かったので簡単な山と決めていたのですが、雨になってしまいました。「山ノ神」は、雨だから行かないと言いました。私は、やらなければいけない事を終えてから八乙女山に出掛けると言いながら、時間が経ってしまいました。出掛ける準備をしていると、雨が止んだからでしょうか、「私も行く。」と「山ノ神」言い出しました。
それはそれで良いのですが、閑乗寺展望駐車場に着いたら、「山ノ神」は、6合目まで車で行こうと言うのです。私は歩きに来たのだから、ダメだと一蹴してしまいました。ゆっくり歩きました。どんな低山でも、休日は山に行かなくてはダメな身体になってしまっているようです。
今日も、「何でもなくて良かったね!」 などと、心配してくださる方々がありました。嬉しい事です。歩けなくなったら、誰もが声掛けなどしてくれなくなります。若い方々のようにはなりませんが、出来るだけの事をして頑張り続けなくてはの思いです。でもね、「山ノ神」との歩きが多いだけに、急にギアを上げると、クラッシュしてしまうのかもしれません。
8/30 雨が止んでから(高岡は大雨警報でした。)、昨日の疲れを癒やしに八乙女山に行って来ました。そっとそっと歩きました。そして、保護観察中の立札のお花を忘れないように見て歩きました。ゆっくり歩いても汗が出ました。時折スーッと吹く風に心が和みました。
今日は、東屋も三角点も最高点も行きませんでした。大平展望台で、微かに見える牛岳辺りを眺めながら、コーヒータイムとしました。そんな折、「本間さんですね。」 を声を掛けてくださる方がありました。ずっと以前から山に精通しておられる方で、今も八乙女山(道宗道)の整備をしておられるようでした。お名前を尋ねると、遠慮がちに「田村さん」と教えて頂きました。八乙女山には、たくさんの知り合いが出来ています。
昨日の薬師岳では、tsurugidaisukiさんに声を掛けて頂き、「山ノ神」に伝言を託しました。ありがとうございました。また、とーけんさんやgaoさん達が、太郎小屋前で「山ノ神」を見掛けて頂いたようです。しかし、私がいないので、本人かどうか分からず、結局声を掛けられなかったようでした。
私が、当欄やfacebook・yamapで、止めておけばいいのに、何でも記してしまうので、LINEも含め、たくさんの方々にご心配を掛けてしまいました。だんだんと弱気になってしまうのですが、今から弱気になれば、140歳まで生きられなくなってしまいます。心を入れ替えて頑張ります。だって、毛勝山に行こうと言ってくれる方々がいるくらいですから・・・
8/29 50回には及びもしないが20回は薬師岳に登ろうと思っている。今回は18回目であった。準備万端で登り始め、最初の15分くらいは「山ノ神」と一緒したが、別れてマイペースで山頂を目指した。ところが、薬師岳山荘の手前で、石とハイマツの間に左足が挟まった。大した事がなかったので、そっと、抜けば良かったのに変な感じで捻じれ攣ってしまった。のちに、その足をかばおうとして滑り、右足も攣らしてしまった。
稜線上の避難小屋に達するのに相当時間を要してしまい、登頂を断念しようかと思ったが、午後1時までなら何とかなると思い、やっとこさで山頂に辿り着くが出来た。しかし、下山は大変であった。ちょっとズルっといくとまた攣ってしまう。酷い時は、仰向けに寝そべって落ち着くのを待たなければならなかった。
大きな石を乗り越えなければいけないところでは、ヤワヤワの感じで、そっと乗り越えた。何せズルっといかないように歩くのであるから、全ての下山者に追い抜かれてしまった。それでも気力で乗り切り、午後6時10分に折立に戻れた。結局、太郎小屋でUターンの「山ノ神」に追いつけなかったわけだが、開口一番「歳を考えなさい。」 と言われてしまった。46,200歩疲れました。
8/28 明日薬師岳に日帰りで行く事に決定。スタート地点から別行動で、帰りの太郎小屋で落ち合う事になった。「山ノ神」が飲むビールは自分で担いでもらうし、水も太郎で補給出来るので荷が随分軽くなる。コッヘルなどの炊事用具がナシになればもっと軽くなる。
昨年は、駐車場が込んでいたので、スタートが午前7時50分になってしまった。これさえなければ、ずっと楽になる。カモシカ山行が出来る歳でもないので、慌てず、ケガのないように歩いて来ようと思っている。
8/27 「山ノ神」に迫ってみたら(懇願したら) 薬師岳になりそう。一緒に歩いたら山頂には届かない。別々に歩いて、最後は太郎小屋前で待ち合わせるのが妥当。それが叶わないのなら、前泊をして早朝のスタートとなる。それでも太郎小屋までになると思われる。
昨年は、20~30分程一緒して別れたのであるが、また一年経ったのであるから、どうなるか分からない。キャンプはダメだと言うのだから、この方法しかない。「山ノ神」は、太郎小屋まででも充分満足するのだから、明日になって、お天気を確かめ決めようと思っている。
8/26 ここ2~3年、重荷を背負うのはイヤだという「山ノ神」だけに、キャンプ山行が出来ないでいる。一人で出掛けるのも、最近はあまり面白くなく、次第に遠ざかりつつある。まあ~、雪山キャンプだけは辛うじて継続している状況である。
そうなると、前夜泊(登山口または登山口近く) で、早朝発で山頂狙いとなるが、それも限られて来るし、最終登山者(下山者)になる事が多い。遠征に出掛けても、登れる山を吟味しなければならず、必ずしも希望する山とはならない。
しかし、そのような年齢になったのだから、それに相応しい山との接し方をしなければならないのだろう。そして、コロナ禍で遠征企画にも、ちょっぴり躊躇してしまう。まあ~、近県なら良いだろうとか、山だから良いのではないだろうかと、勝手な言い分を並べたくなる。
近間の低山歩きが続いていたから、ちょっぴり高度を上げたいのであるが、富山の山では、「山ノ神」が登れそうな山がなくなって来ている。今度の日・月がダメなら、次週の日・月・火でも良い。いつもの事ながら、私の思うようにならないのが常。何とかしなくては・・・
8/25 明日は晴れそうであるが、その後も、高温が続き、グズグズしたお天気が連なっている。でも、いつかは涼しくなり、カラッとした秋晴れの日が、訪れるものと思っている。そして、コロナが徐々に収まっていってくれるのを願いたい。
行けば、ややこしいお天気で、行かなければ、晴れ間が広がるいう可笑しなジレンマに、この鬱憤を晴らすためにも、これ以降、好天を望まずにはおれない。必ず帳尻が合うを信じようか?
8/24 昨日の極楽坂山で新しいクマの足跡を見た。マキちゃんが、「えぇ~っ」 と言ったが、登山道での事故は滅多にないと笑ったが、マキちゃんにしてみれば、ヒヤヒヤだったかもしれない。そのうち、すぐに忘れたように思えたのですが・・・
凛や鈴、そして、ラジオなどが、鳴り物として、クマ避けに使われている。喋り声も意外と遠くまで伝わる。山菜採りやキノコ採りで、登山道から離れれば、クマの領域となるから、遭遇する機会が多くなるのは当然である。
クマも登山道は人間様が通るものだと思っている気がする。しかし、クマがその登山道を横切る時に、出会い頭というのだろうが、その時は怖い。私も、そのような時に、クマと遭遇した事があったが、それでもクマは逃げた。あの時は、私の方が追い掛けて、無我夢中で写真を撮ったが、撮り終わってから身震いをした。クマは停まってこちらを見たからである。撮りたい一心であったが、それから12年も経つ。
その前年に、同じ牛岳で樹木から降りて来たクマと遭遇していた事もあり、いつかは、クマを撮ってやろうという野心があり、常に胸ポケットにカメラを忍ばせていたのである。
何度となく、クマとの遭遇があるものの、写真を撮れたのは、翌年の大平山の林道だけである。子グマが車横にやって来た。ドアを開けて撮ろうと思ったが、同じところで、クマが斜面から降りて来て、我々にびっくりして、また駆け上がって行った事があったので、気持ちが縮んでしまった。それでも、少し離れて撮ったのであるが、ぬいぐるみにしか見えない。
水無山の水芭蕉を見に行った時、車から出た途端、2頭のクマが逃げ出した。やっぱりイヤだったので、水無山頂に登って退散した。もっと驚いたのは、黒岩山の帰り暗くなってしまった。間違ってヒスイ峡から高浪の池方面に入ってしまった時、ヘッドライトの先に何頭ものクマがいたのである。びっくりして、クラクションを鳴らし立ち去った事があった。
有峰林道では、チョイチョイであるが、車から見るだけだから怖くはない。でも、最近は折立キャンプ場が閉鎖になるほどだから、出没があるのだろう。山の何処にでも、クマはいると思って出掛けなければならない。音を出し、出会い頭だけに気を付けたいものである。あとは、クマが目的をもって行動する時(柿などのナリモノを狙って来る時)は要注意なのだろう。
クマに対する行動や注意などを尋ねられる事があるが、私は分からないと言っている。だって、クマに聞いたわけでもないし、それほど勉強しているわけでもないからである。また、識者がクマの事について、評論しているが、あの方々も憶測に過ぎないのではと思う。
鈴や凛を鳴らしていても、もしかしたら、その音に興味をもって近付いて来るかもしれない。音楽に興味をもっているかもしれない。ずっと前、北海道の避難小屋(もしかしたら冬期小屋)に、少々の食料が備蓄されていたらしいが、コーラを飲まれて(破られて)いたという記事を見た事がある。人間だけでなく、クマや他の動物たちも進化しているかもしれない。
8/23 朝になって行き先を決めた。必ずしも早い時間でない。そんなところに、「今日はどこへ・・」 と、マキちゃんからLINEが入った。メジャーじゃない低山なので、ちょっぴり、遠慮がちに極楽坂山と返事をした。すぐに 「参加します。」 との返事が届いた。ご無沙しがちのメンバーであるが有り難いものである。
私(達)は、今回が9回目で、まだ知り尽くしていないが、積雪・残雪期や紅葉時期に来ている。その間、他の人にお会いしたのは、一人だけである。山頂は、極楽坂スキー場の上であるが、雪の時は、長い林道歩きある。でも、人力で山頂に達する喜びがある。紅葉時は、それは素晴らしく、私は、大辻山と対峙する光景が好きなのである。
暑くてしょうがないこの山に、マキちゃんは、どのように感じられたかは分からないが、最終リフトの降り場を利用しての食事を、2時間も掛けたのであるから、きっと、何かを感じてくれたに違いない。また、同じグループとはいえ、私達年寄り夫婦に声を掛けてくれるのであるから何事にも代えがたい。
極楽坂山は、「越中の百山」 に数えられている山であるが、最近発行された「新越中の百山」 から外れたようである。私はホッとしている。スキー場のてっぺんにある頂きであるが、静かな山を堪能出来る山として、私は、登り続けたいと思っている。
8/22 結果的には雨は降らなかった。お愛想に鋲岳へ向かう、帰りの数分だけ降られたのであるが、丁度コーヒータイムになったのである。シュンちゃんとの久々の歩きは、僧ヶ岳の前衛的なピーク鳥帽子山を目指すものであったが、晩夏であっても、時折、スーッと抜ける風に秋は近いと思われた。とはいえ、昨夜来の暑さが残っており汗が滲んだ。
登りがけにお会いした黒部のお二人(北山さんら)と、抜きつ抜かれつであったが、いつの間にか姿がなくなった。もうちょっとお話したかったが、ちょっぴり残念だった。その分、シュンちゃんと、最近ご無沙汰している山友の情報を交換できたのであった。
私は、雨の心配があり、タープを持参していたが、時折、陽が差す程で、富山湾や黒部平野、そして能登半島がスッキリ望めた。また泥濘を想定して、スパッツを付けたが、地元の山岳会が整備されたのであろうか、その懸念が殆どなかった。
いつもなら二人だけで、ゆるゆる歩きになってしまうのであったが、今日は、ゲスト(もしかしたら、我々が客人) があったからか、「山ノ神」の歩きは、いつもとは違った。もちろん、息が上がって止まっても、甘えるわけにはいかないからでもあったのだろう。
降らなかったのであるが、雨が想定されていたのに、嘉例沢森林公園には、びっくりする程の車が停まっていた。登山ブームだからだろうか? それとも、コロナで山なら大丈夫と思っての事なんだろうか? 家に帰ったら、山小屋での感染を知った。とうとう・・・
8/21 相変わらず天候不順とコロナの感染拡大でショボンとしている。雨なら屋根のある所へと思っていても、何だか今一つ乗らない。歩き通して休憩もしないで(コーヒーも飲まないで) 戻るのもあっけない。
そんなところに、珍しくシュンちゃんから烏帽子山へのお誘いがあった。「雨なのにイヤだな~。」 と思ったが、意外にも「山ノ神」が行っても良いような事を言う。もうこうなったら、行くしかない。あまり降らないで欲しい。
8/20 今日で74歳になりました。「140歳まで生きるのだから、あと66年になってしまった。」 とか、「80歳になっても雪山でキャンプ」 などと、相変わらず好き勝手を述べています。それでも、「こいつは、もしかしたら140まで生きるのでは・・」 とか、「このまま行けば80過ぎても雪山でキャンプ出来ますよ!」 などと、呆れてなのか、励ましなの分かりませんがエールを頂きました。
「80歳過ぎても・・、 だったら自慢してやろう。」 が私の励みとしています。昨年から、全日曜日を休日にした事から、多くの方々とお会いする事が出来ています。親のような歳に見えるのでしょうか、随分と励まされたりしています。またお話を聞いてくださる方々と巡り会えたりしています。本当に私は幸せものです。
仕事もまだまだ続けます。でも、もう一年したら、営業日を水・木・金・土だけにし、毎週3日間休業にしたいとも思っています。来年いっぱい、「休日は山に・・」 を続け、その後は、3/7が休日とするわけですから、1/7は、山でない事(キャンプや旅行など) をしたいと思うようになっています。それでも、100日以上は山行に精出す事が出来るのです。とにかく元気でいなければ何もなりません。
8/19 このところのテイタラクが影響してか、体重が2~3キロ増えた。体脂肪率も、ちょっぴり高くなった。その事に一喜一憂する事はないのだが、自分で一定の線を引いているのは確か。暴飲暴食に近い食べ方なので、動かないと、すぐにラインを越える。でも、ハードな歩きをしたり、悩んで食が細ると、みるみる内に減ってしまう。
あっそうか、夕食に炭水化物を取ると、確実に目形が増える。我が家の夕食に、米はないのであるが、時々、焼きそばやスパゲティー、お好み焼きなどが出ると、ついつい食べ過ぎて、ウエイトオーバーに陥る。自己管理が甘いという事であろう。
8/18 「休日は山に・・」 を続けているが、それほど簡単ではない。雨の日や風の日も雪の時もである。その中には、台風接近や大雪の時もあった。時間のない時もであり、家族の事情があったり、知人や親戚に不幸があった時もである。
しかし、そのような時は、どうしてもの心が動き、何とか工夫を凝らすものである。敵は、心が動かないというのか、乗らない時である。何としてでもにならなく、「止めた方が良いのでは・・」 とか、「そんなにしてまで・・」 との自問が壁となる。
毎日のように行っている僅か5~10分の私なりのトレーニングでも、そのような事との戦いである。「今日はやらなくても・・」 「時間がない。」 などを理由に、私の心は動かされるのである。雨でも山に行っているのは、トレーニングジムに行っているようなものと、言い続けているのと同じで、毎日の軽い運動は、薬を飲んでいるようなものなんでしょう。
身体中が固くなって来ている。曲がらない。伸ばらない。のであるから、何もかも結構辛い。でも、元気でいたいから、やり通さなければならない。周りを見渡すと元気な方々が多い。しかし、元気でない方々もかなりおられる。これが年齢を上げる毎に、不都合な方々が増えていく。元気でいなくちゃ! マスターズで表彰台にでも立ってやろうか? (そんな準備はしていないけど・・)
8/17 予報通り今日は雨。雨なら小佐波御前山と決めていたが、「山ノ神」は行かないと言った。それはそれでいい。私は、「休日は山に・・・」 を、もうしばらく続けたいだけの事。同じ山に、しかも雨なのになのである。でもね、続けていると楽しみもあるんですよ! 今日は小佐波御前山84回目。100回どころか、何百回も登っておられる方もあるだろうが、私には私なりの目標なるものがあるのです。「継続は力なり。」 を、信じての事。
駐車場には一台の車も停まっていなかった。そしてまた、行き帰り、1時間滞在した小屋でも、誰とも遭わなかった。小佐波御前山では珍しい事のように思うが、私の独り善がりかもしれない。今日は単独行なので、ちょっぴり速く歩いた。荷は、「山ノ神」のビール以外、いつもと同じものを担いだ。水も2・4Lである。
若い人達と同じくらいの速さでは、到底太刀打ち出来ないが、荷を担いでなら、良い勝負が出来るような気がする。(笑) そんな事はやっぱりあり得ない。今日は傘を差していたとか、滑りそうだったとかの言い訳を付けてだが、往路は1時間半、復路は1時間であった。
しかも汗びっしょり。楽しみ(静かな山)より、修行であった。でも、このような事は、もう一年余続けたい。出来れば、夫婦で150歳まで続けられれば最高である。そして、私には、80歳を超えても雪山キャンプの目標がある。怖い事や危険な事は、最早出来ないが、持続力や耐久力は訓練すれば何とかなるような気がしている。頑張らなくては・・・。
8/16 昨日に続いて「山ノ神」は行かないと言ったので、それでは、雨飾山へと思っていたが、どうしたわけか「行く!」 と言うので負釣山とした。一週間前と比べれば、気温が低く、ちょっぴり風もあって、歩くには都合の良い日和であった。しかし、ガスに覆われて視界は全く無かった。
でも今日は、下司女史と折谷夫妻にお目に掛かれたのが嬉しかった。別々であったが、たくさんお喋りが出来た事が、この上ない喜びであった。ついつい余計な事を喋ってしまう私であるが、聞き流してもらえる程の、私にとっては素敵な方々である。
8/15 雨をかなり覚悟して、雨の合間にと思って、八乙女山に出掛けたが結果的には晴れた。このような状況だけに今日は単独行。だからグジャグジャを予想していたが、意外と登山道は快適?だった。三角点に向かう途中に高木氏と遭遇。「おおっ、久し振り!」 と、どちらともなく言葉を交わした。
高木氏に3つほど、花の名を教えてもらったが、覚えているか怪しい。「ミヤマウズラ?」 「〇〇〇〇」 「ドンボソウ?」 車に戻るまで覚えているかと言っていたがやっぱりダメだった。
大平展望台に戻ってコーヒタイムとした。そこまで、ずっと我慢をしていた。そこへ小矢部の〇〇氏がやって来られた。またまた例の如くコーヒーを勧めてしまった。(ごめんね!) でも、私の事を知っておられたから良かったものの、いつも自分善がりになってしまう。そして、名前が覚えられない。
家に帰ってから、「山ノ神」の買い物に付き合った。そして、山用具店に行くつもりだったが、1店で終わった。私は買い物が苦手。自分のお目当ての物を買うのは良いが、あちこち時間を掛けるのは全くダメ。山歩きより疲れるのです。
8/14 雨が降り続いている。「弱ったなぁ。」 と言っているが、災害に遭われている方々の事を思えば、「何を戯けた事を言っているのだ!」 となる。コロナ禍の中の災害であるから本当に大変である。
こんなのに、何処かの山へ出掛けようとしている私はバカ者である。しかし、このような状態では、いつもの限られた山にしか行けない。トレーニングジムに行っていると思って欲しい。傘を差して、ゆるゆる歩くつもりである。しかし、3日間もあるのだからどうしよう。
昭和44年の水害も凄かった。高岡の千保川も氾濫した。千寿ヶ原や馬場島辺りも大変であった。線路がえぐられ地鉄は不通。鉄橋をの上を歩いて来た。7月末の事であったので盆休に剱岳を計画していた。その事で警察や北電に状況を尋ねた事があった。どちらかは忘れたが、「命がけで降りて来ているのに、何を考えているのか?」 とお叱りを受けた思い出がある。
何故か白萩川の事を尋ねていたような気がする。(その大雨で白萩川の状況が一変したのである。) バカな私は、ケーブルと高原バスが動いている立山方面へ出掛けたのであるが、山小屋からから降りて来る知り合いのバイト連中と共に下山する事になった。何もかも若気の至であった。
8/13 朝早く墓参りに行く予定にしていたが雨で止めにした。明日も明後日も雨予想であるから困っている。一週間前に草刈りをして準備だけはしてあるのであるが、出来れば仕事前に出掛けたいと思っていた。それは、盆休(8/15~8/17)前に事を納め、ゆるりと休日を楽しむためであった。
私には、一番上の姉と二人の兄、そして、弟を亡くしている。父は初代だから、両親と私の兄弟4人の御霊が眠っている。(今は、10歳年上の姉と私だけである。) 信仰心は必ずしも厚くはないが、世の中一般的な事だけはしておきたいと思っている。
明朝また雨なら、墓参りは、盆休にずれ込んでも仕方がないと思っているが、出来れば、すんなりと事を終えれば一番いいとしても、それは起きてみないとわからない。そして、ずっと雨では、何処へ行きたいという気分も盛り上がっていない。
8/12 このままでいくと、ず~っと雨だ! 盆休も雨のようである。どうしようかなと思っていただけに、踏ん切りが付くかもしれない。そうなると、またまた近間の低山になる。傘を差してまで登る人は少ないかもしれないし、気温と湿度が下がれば、それなりの歩きが出来るかもしれない。
8/11 「死」の覚悟よりも、自分の一部を一つひとつ失っていく「老い」の覚悟のほうがはるかに難しいのだ。そして、「死」の覚悟がなければ、「老い」を思い切って生きる覚悟も生まれない。 こんな記事を読んだ。分かったような分からないような複雑な気持ちである。
じーっとしておれば、筋肉が細り萎んでいく。頭の回転も少なくなるような気がする。「いつかは来るかもしれないが、死は遠いもの。」 「まだまだやりたい事がある。」 そして、「まだまだ未熟であって、修行が足りないのでご浄土には行けない。」 などと思い続けたい。
8/10 早月尾根を登って、大日岳から降りて来るとか、夕方に折立に着いて、太郎小屋周辺で仮眠をし、翌日に室堂に着いたという凄い話を聞いていた。他にまだまだ、いや、もっと凄い話もある。このところ、それに匹敵するような記録目にする事がある。唯、速いだけでなく写真も撮り、美味しい物も食べているのだから、ある程度の荷も担いでなのだろう。それがまた女性が多いのだから魂消てしまう。もしかしたら、本来の姿なのかもしれない。
このような記録は自己申告なのであるが、ちょっぴり他人にも知らせたいし、賛美も得たいものである。荷を担いで登るのであるから、体力・気力も充実していて、リスク管理が出来ての事なのであるから、絶賛するしかない。
私などは、そんな憧れは夢と去ってしまい、只々指をくわえているしかない。それでも、年寄は年寄りの目標を作る事が出来る。ずっと元気でいる事である。そして、歩き続ける事である。これが一番の目標であるが、他にも、それなりの目標を見つける事であろう。
名山歩きも一つである。同じ山に何回も登るのもいいのかもしれない。また、相方や友達とで長い間登り続けるのも良いだろう。私は、50回以上登った山10座を目標としているが、ちょっと格上げして100回以上5座を目標にする事にした。でも、近間の低山ばかりであるが、それもいいのではないか? そして、元気であれば、その目標を上方修正すれば良い。
8/9 日中に晴れ間があるという予報であったが、軟弱な私(達)は、小佐波御前山に出掛けた。朝方は雨だったが、私達が出掛けた頃は、陽が差し、ちょっと歩けば汗が吹き出した。時々雲に覆われたりしたが、日中の雨は心配ないように思えた。
相変わらず、ちょっと行けば休むというパターンだから、速度は遅い。私は、ゆっくり歩けば、汗は出ないのではと思ったりしたが、そんな事には毛頭ならない。それはそれで良いのである。暑い時に、たっぷり汗を掻くのは必要な事などと、分かったような講釈を言っても仕方がないのだが・・・。
遅くスタートしたが、すれ違った方は5~6人であった。振替休日だから、もっと多くの方々がと思ったりしてみたが、考えてみれば、もっと標高のある山に出掛けておられるのかもしれない。後半は暖かいものの風が出て来て、ちょっとは凌ぎやすかった。
雨に遭わなくて良かった。猿倉山に戻る頃虹が出た。何だか嬉しくなるのは私だけではあるまい。それにしても、「山ノ神」は遅い。ずっと、一緒だと行き先が限られてしまう。ほんわかと交渉せねばなるまい。
それとは別に、小佐波御前山へは83回目となった。特別自慢出来るものではないが、「83回登るには83日掛かるのです。」 この調子でいけば、今年中は無理にしても、来年半ばには、100回が視野に入って来た感じです。
牛岳の時もそうだったのですが、同じ低山に登っているのは、時間がなかったり天候が悪かったりしても登っているだけなので、自分にとっては、さほど嬉しいものではなかったはず。でも、積み重ねは、自分の小さな自慢となるような気がしています。
8/8 まだ夜が明けていない頃に、外に出てみたら星空であった。でも、何だか身体がだるく、また横になってしまった。高岡だけだったかもしれなかったが、凄い雨になった。(30mm) そのままオリンピックのマラソンを見てしまった。
「今日は簡単な山」 を目指して立山方面に向かってみた。あるぺん村で珍しくレストランに入った。横江の尖山を通過し、大辻林道から高峰山の鳥越峠を目指した。しかし、鳥越峠付近は工事中。休日だし登れない事もなかったが、アブの襲撃に意気消沈。大辻山に登る意欲もなかったし、上市側に通り抜け出来ないとの看板に、また戻ってしまう始末。
今度は上市を目指す事にした。城ヶ平山やハゲ山もあったが、千石城山へ行く事にした。劔親公園にはたくさんのテントが張られていたが、我々は、唯汗を掻きに来ただけである。午後3時40分くらいであったか? とにかく暑かった。そして、ちょっぴり雨にも遭った。
山頂はガスの中。それどころか、歩いている時もガスの中。本当に弱ったものだ。何処かのてっぺんに登らなければ気がすまないのだから・・・ かといって、このようなお天気では、高所にも行けないし、そういうムードにもならない。
8/7 あれあれ・・ 台風の進路が変わったせいか、明日のお天気が変わってしまった。明日はどうしようか? やっぱり起きてからになるのだろうか? 先程、「山ノ神」に大日岳は届かないだろうから、大日平にしようかと言ってしまったのだが、また変更になるかもしれない。まあ~、仕方がない事だ。どちらにしても立山町方面に出掛ける事になるだろう?
8/6 「暑いです。」 「死にそうです。」 今までこんな事はなかったのに・・・ それだけ暑いという事なのかもしれない。2階から一階へ疎開?して来たけれど、我が家の寝る所にはエアコンはない。それが今まで当たり前だと思っていた。もちろん、冬もエアコンどころかストーブもない。
「幾つだと思っているのですか?」 「歳を考えなさい!」 と言われるのであるが、自然の風以外どうも受け入れ難いのかもしれない。でも、最近は、少しはそう思うようになってきた。「暑いのには影がある。」 と以前は、冬より過ごしやすい表現の仕方があったが、温暖化はその形を崩し続けているようだ。
今度の休日(8/8~8/9)は、台風の影響からか、完全に雨かと半ば諦めていたが、日曜日の予報は上方修正?されて来た。しかし、台風の進路や速度で、いつでも変わるから予断を許さない。「疲れた!」 「だやい!」 と言いながら、必ず山に行く。行かなければ死んでしまう。(笑) そんなつもりです。
8/5 剱岳も50回を目標としていたが、もう無理になってしまった。今年も行く機会を伺っているが、なかなか思うようにならない。一番最近は、3年前の7月、鼠径ヘルニアの2週間後、ちょっぴりうずくのを我慢して雷鳥沢テン泊に出掛けた。
無理しないからと出掛けたのであったが、奥大日岳に出掛けた翌日に、立山三山縦走をしようと思っていたのに、室堂からずっと一緒だった群馬の斉木氏のお供で剱岳に向かう事になってしまった。しかし、平蔵のコル手前でリタイヤに至った。
今夏の剱岳の投稿を見る度に、「やっぱり行きたいな~。」 という気持ちと、「別に無理する事ないじゃない!」 が、ぶつかり合っている。行くとしても剱沢テント二泊である。行かないと、だんだんと自信がなくなり、その内行けなくてもいいになる。まあ~、そうなるであろう。一人のテン泊も寂しくなってきているから・・・
私の初めての剱岳は、昭和39年7月の剱沢合宿である。(高2) 剱沢4泊・二股・池ノ平・阿曽原の計7泊8日であった。今は、二股では泊まれないし、源次郎尾根・八ツ峰・平蔵谷・長次郎谷など、今じゃとても考えられないが、顧問の先生がよく連れて行ってくれたもんだった。
装備は今とは比べ物にならないくらいで、雨具の主流はポンチョ。燃料は灯油を利用するラジュース。それでも合宿時は2キロのプロパンガスに圧力釜を担いだ。もちろん大鍋もである。アイゼンはX形アイゼン。アルバムを覗くと私の荷は37キロと記してある。
時は流れた。馬力はいつまでもあるわけがない。それ相応と言う文言もある。長く歩きたかったら、無理せず自分に合った山歩きをしなければいけないという事だろう。登れる山だけで良いのではないか? それも楽しみながらである。私には、「山ノ神」と合わせなくてはいけない弱みもある。しかし、単独行も寂しい。
8/4 前週が3連休だったので、今度の休日まで中4日である。従って、すぐに休日がやって来る。仕事日が休養だと思っている「山ノ神」は、疲れがとれないと嘆いている。今月は、盆休で一日休日が増える事もあって、8月の休日は11日間となる。
暑いけれど、この休日を使わない手はない。じっとしていると、只々、老けていくだけ。足腰も弱り、頭の回転も悪くなる事は必死。さてさて、何処に出掛けるかであるが、長く歩くのはイヤ、重荷を担ぐのはイヤな人と一緒なんだから、行き先選定に苦慮している。
8/3 暑いし疲れていたし、「今日の山行はナシ。」 となっていた。無論「山ノ神」は全く行く気なし。午前中は、ずっと寝ていた。私は、いろいろな記録の事があり、いい加減に起きてこなしていたが、そんなに捗らなかった。朝食も昼食も一人で食べていた。
でも、やっぱり病気なんだろう。「ちょっとだけ歩いて来る。」 と、午後3時頃八乙女山に向かった。車の冷房が効かない。そして、だんだん眠くなって来る。これはやばいと思った。もしかしたら、熱中症だったのかもしれない。その証拠に歩き始めてから30分程は足が重かった。
ヒューと風を受けてから、足が軽くなったような気がした。荷は軽いし、もっと速く歩けるハズなんだが可笑しい。「俺も歳には適わないのか?」 と思ってしまった。しかし、後半は、「まだまだ歩けるじゃないか?」 「スキップだって、小走りも出来るぜ!」 となった。
とにかく、今日は汗びっしょり。「サウナに入った感じ。」 「いやいや、川に入った感じ。」 「ナイロンの袋の中に入っている感じ。」 どれにも該当しないかもしれないが、汗が吹き出たというのがあっているのかもしれない。衣類は全部倍以上の重さになっている。 やっぱり「休日は山に・・」 がなくなったら、そんな時は、アウトの時なのかもしれない。
8/2 標高1500mでも車の中は暑かった。そして、あまり眠れなかった。午前3時半くらいから起きて、準備をしていたが、「山ノ神」は、やはり大物なのかなかなか起きて来なかった。でも、眠れなかったとか!(ウソだろう) 2時くらいから私達が出発する5時までに、7~8人くらい山頂方面に向かって歩いて行かれた。
リフト2機分標高差にして300mくらい歩くのである。往復1600円、片道900円を普通の人なら1時間位かかるのであるが、もったいない。の他にリフトが動かない内に歩ける。涼しい内になどの利点がある。また、唐松岳頂上だけを目指すのでなく、連なる尾根に向かう人や、富山県側(欅平)に降りる人達もいるのかもしれない。
スタート前に、スープを一杯飲んだだけだったので、第2ケルン手前のベンチで朝食とした。お花を見ながら、また、途中コーヒータイムとするなど、私の山行スタイルは、ちょっと異質かもしれない。速く歩くばかりが登山ではないと言っているのは、そう出来ないから違った楽しみ方への移行段階なのかもしれない。
どんどん抜かれて行く。でも、途中で諦める方も結構おられるのである。今回は、どうしても、「山ノ神」を山頂に連れて行くと決めて臨んだのであるが、「山ノ神」曰く、「去年も山頂まで行ったよ!」 だった。でも、よくよく調べてみたら、昨年は、2回唐松岳に出掛けているが、やっぱり、その内の一度は、丸山で「山ノ神」は止めていた。
ヨタヨタ・ヨレヨレの私達の歩きでも降りるとなると、それなりの速さで降りれるものである。山頂でも1時間、丸山では少しの休憩だったかも知れないが、八方池では、やはりコーヒータイムであった。その帰り際に高岡の宮重さんとお会いした。初対面であるが、なかなか楽しそうな方であった。
我々は、黒菱平まで歩いて降りなければならない。それでも、リフト運転終了より僅かながら早かった。いろいろ片付けて、エンジンを掛けようとしたら掛からない。バッテリーであった。室内灯が一つ消し忘れであった。こんな事くらいでと思ったが仕方がない。
JAFにお願いした。それでも暗くならない内に、スタート出来て胸を撫で下ろした。帰りも、もちろん下道の予定であったが、今回は、糸魚川・朝日間だけ高速を利用した。帰ってから、「明日は止めよう。」となった。そして、着いたらすぐビールと思っていたが、意外と飲めないものである。
8/1 黒菱平に行く前に、どの山に登るかとなったが、雨飾山は「山ノ神」に完全に拒否されてしまった。もっとも、高岡を午前7時過ぎに出て、尚且、下道なんだから、黒菱平に着く頃は真っ暗になってしまう。私一人で行く事も考えたが、ここは一先ず大渚山とする事にした。
登山口の湯峠までは、道路工事が行われていて、前回の時よりも、もっと手前から歩かなければならなかった。それでも、全部で20分ほどだから大した事はない。それよりも暑い上に、今にも雨が降りそうな雲行きだった。
「山ノ神」は、ヘビが苦手。大嫌いである。それどころか、トカゲ・ミミズ・大きなカエルもダメ。また、ヘビに見える木の根や紐などもダメなのである。林道歩きの途中、真ん中に鎌首を持ち上げたヘビがいた。「ありゃ! ヘビだだ!」 と言った途端に「山ノ神」が、悲鳴をあげ体制を崩した。そのヘビを見ていなかった事があったからか、ヘビに近付いて行くのだから私は困ってしまった。大事に至らなかったから良かったが・・・
短いコースだが、お天気なら雨飾山の大展望台なんだからそれなりに良い。ブナ林も気持ちが良い。そして、崩落地帯を避けて新たに登山道が刈り上げてあった。標柱と櫓がある山頂に先人がおられたので、それを避けて、戻った所にある東峰で休憩とした。展望は全く無かったが、それでも、4回目の山頂に立った事になる。
ザブンと露天風呂で浸かり、黒菱平に行く食材を買うために白馬の街に行った。クーラーボックスに、それなりのビールを求めて来てあったが(第3のビール)、2Lのスーパードライを見てしまったら、求めざるを得なかった。まあ~、明日は、リフトに乗らないのだから(1600円✕2)、その範囲内の買い物だから良しとしよう。
お店から、出た途端に雨になった。ワイパーフル回転である。しかし、和田の森辺りに来ると雨は止んだ。良い時間(午後5時頃)に黒菱平に着く。明日は間違いなくお天気だと思って来たのに何だか怪しい。でも、小さなイス・テーブルを出して飲まなきゃ! そのため(避暑)に来たんだから・・・
飲んで、調子が良くなったせいもあったのか、facebookに一枚の写真を投稿してみた。今までそんな事をした事がなかったのに・・・ でも、すぐに返事が来るではないか☺☺☺ また調子に乗って、最近お友達になった方にLINEを送ってしまった。迷惑だったでしょうね。(ごめんなさい。) 真っ赤に焼けた空が雲に覆われた。しかし、夜中は星がいっぱい。でも、長続きしなかった。