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10/31 結果的には極楽坂山に行ったのです。有峰林道小見料金所手前を左折して、4キロ近く走れば右側に登山口がある。僅かな紅葉を期待して、また10回以上に連なる一座になる事も意識してである。相変わらず「山ノ神」に、サイドブレーキを引かれたいる感じは歪めなかったが、今日は、いつもより少し速かった。(苦笑)
そんな「山ノ神」が、ゴンドラ山頂まで行っても良いと言う。その駅舎が無くなっている事も知らず、瀬戸蔵山まで行く事になった。流石の「山ノ神」も、その先はイヤだという。いつもの通り、時間を限られ私だけが大品山に行く事になる。
旧ゴンドラ駅(山頂)から、大品山のブナ林は私の大好きなところ。物を食べなくても行きたいところである。空身となれば、私だって、それ相応の歩きが出来るというもの。その間に「山ノ神」は、大好きな物を飲んでいたに違いない。
その大品山の帰りに、イケイケ隊長にお会いする事になる。相変わらず美女を従えてである。それもお二人である。イケイケ隊長にお目にかかるだけで嬉しくなるし、テンションが上がるというもの。今日は、たっぷり8時間程山の中にいた事になるが、高所の有名な山ばかりでなくとも、山の味を充分に堪能出来たのである。
10/30 白山・雨飾山・燕岳は、「山ノ神」に却下された。一人で出掛けても良いのかもしれないが、後々の事を考えると、それに従う事う方が上手くいく。「山ノ神」に疲れが出て、「行かない。」 となった時、しかも、まずまずのお天気なら、出掛けるチャンスが巡って来るかもしれない。
簡単なところで、景色が良いところなどそんなにない。家庭平和も良いのかもしれないが、ますます身体が衰えていく。「動かない。」 → 「美味しいもの。」 の悪循環は、身を滅ぼす危険環境にある。確かに、晩秋から初冬の山選びは難しい。近間の低山に甘んじるしかないのかもしれない。
10/29 3日間あれば、四国の山へもと考えてみたのであるが、行けば、また欲が出て、” 一日一座 ” となってしまうような気がしたし、陽が短いこの時期に、何も無理する事はないと思ってしまった。
行きも帰りも夜行となるのは、やっぱり辛いし、事故を起こしてからでは遅いとの思いでもある。もうちょっと、時間を掛けながら、山だけでなくと思うのであるが、まだちょっと難しいかもしれない。それとは別に、昨年・今年と、コロナでおじゃんになった九州遠征を、来年は実現したいと思っている。
10/28 ここ 2~3日食べ過ぎ飲み過ぎが続いた。(自宅で) 何だか身体が重苦しく感じ、仕事前に二上山に出掛けた。午前5時半はまだ暗い。歩き始めて10分程過ぎてから、薄明るくなってきた。私のカメラ(スマホ)では、夜景(朝方であったが・・) が上手く撮れない。
起きて間もない時間であっても、山の新しい空気を吸うのは気持ちが良い。カロリー消費が目的であっても、山路を歩くのは私には似合う。もしかしたら、朝日とマッチングするのではと思ったが、それを待つ時間はない。それでも、二上山頂上から城山に向かう時間はあった。
10/27 陽が短くなり、高所では雪が積もるようになったこの時期、如何に3連休と言えども、なかなか行き先に苦慮する。なにも年がら年中泊まり込みで出掛けなくても良いのであるが、歳を同じくする者達が、「倒れた!」 「入院した。」 と聞く度に、ちょっと無理しても出掛けた方が良いのではと思ってしまう。
それ相当のリスクはあるものの、お天気が良ければ何処へでも出掛けてみたいのが本当のところ。「80歳過ぎても、雪山キャンプ・・・」 と言っている私としては弱気の言い回しであるが、人の心とは、こんなものである。もちろん、体力・気力の他に、経済的な事や、身の回りの環境も揃わなければ、そんな夢など叶うわけがない。
焦る事など全然ないのであるが、一時たりとも無駄にしたくはないの思いである。幸い今の私は、自由度は高い。倹約にも充分対応は出来る。後は、「山ノ神」の体力次第である。寒くない所の山に出掛ける方もあるやもしれないが、まだそんな風に割り切れる状況にはない。こんな事を考えながら、来春以降に希望を繋げたい。
10/26
自分ではこんなもんだと思っているが、かなり黒い顔をしているようだ。バックが白地なら、「まあ~、黒いかな?」 と思うが、あまり気にしていない。少年時代は、黒くなるのが勲章のように思っていた事もあり、夜になると「歯しか見えない。」 と、からかわれた事もあった。
その後遺症かもしれないが、顔には残骸が滲みている。この歳になってと言われるかもしれないが、いつまでも、まあまあの顔をしていたいのは、若くても、歳を取っても、いやいや、男も女も変わらないであろう。
山に出掛ける時は、日焼け止めを塗るのであるが、陽が出ていない時は、ついついナマクラが出て、「まあ いいや!」 になってしまう。それはそれとして、日焼けをすると、首筋が真っ赤になって痛くなる。「何でもいいや!」 と日焼け止めの品定めに無頓着だった私。前回買った時、上と下の値段表示を間違えて、レジで 「え~っ」 て言ってしまったが、その後お気に入り。
その日焼け止めが、なくなってしまい、買わなくてはと思いながら、日が経ってしまっていた。ようやく、ドラックストアで買いに行く事が出来た。私としては、ちょっぴり高い買い物であるが、これくらいは大丈夫の範囲以内。
10/25 今日は曇りがち、午後から降水確率が高くなり、夕方前から雨の予報であった。疲れたような「山ノ神」と、今日の行き先に揉めたが、久しぶりの「牛岳」を貫いた。「山ノ神」の足取りは悪かった。でも、今日は、牛のようにゆっくり歩いた。ロープに繋がり稜線に出てからは、ようやく「山ノ神」の足取りが上向いた。
三角点(牛岳の最高点)に着いてから、その展望に、気分は晴れたようであった。富山平野・富山湾は元より、北アの山々が、くっきり眺められたのである。もちろん五箇山の山々もである。「山ノ神」が、冷たい物を飲んでいる間に、私は牛岳山頂を往復して来た。 (またまた、証拠写真は自撮りである。)
紅葉は、まだこれからという感じであったが、本当にキレイな紅葉になるのか、分からないというのが正直なところ。 最後の最後に「むかご採り」になった。傘を広げた方が落とす確率は少ない。最中に雨が降ってきた。
10/24 栃谷登山口は、車が溢れていた。この時期の日曜日だったから当たり前かもしれない。上の孫・ミーは、ブツブツ言いながらであったが、頑張り通してくれた。(スニーカーが、泥だらけになりながらであったが・・) 下の孫・エリーも、姉に負けるもんかと最後まで頑張った。
これに刺激されてか、「山ノ神」も、いつもより速く歩いてた気がした。ムコ殿は、同じ登るのなら、2百名山と言っただけに、音を上げるわけにはいかなかっただろう。 (ムコ殿の故郷の友人達で、八ヶ岳に登る計画があったが、流れたので、それも影響していたのかもしれない。)
山頂近くになって雪が現れた。これにはびっくりだったかもしれない。その煽りを食って、靴が泥だらけになったのは言うまでもない。ドロドロの山頂は、登山者で溢れかえっていた。団体さんもあり賑やかであった。今日は、高木氏やサブちゃんパーティー(山下夫妻とゆか様)、そして、ハタケヤマ夫妻、またニアミスになってしまったが、「よし登る」氏に、「山ノ神」が声を掛けてもらったようだ。
幼くても若い子は速い。「走るな!」と言っても走って行く。後ろから、「何だか山が好きになっていくのでは・・」 と勝手の思ってしまった。下山中、ケガをされた方と遭遇。その救助の方々と言葉も交わしたが、ヘリを呼ばなくてはならないほどだったようだ。我々は安全に降りられました。
10/23 明日は、ムコ殿と孫二人と本当に山へ行く事になった。そして、金剛堂山を選んでもらった。どんな道中になるのか分からないが、こんな事は、この先あまりないだろうから、楽しい想い出となるよう努めてきたい。不安は「山ノ神」?
10/22 今年は、これが最後の機会かもしれないとの思いなのか「山ノ神」は、娘家族を山に誘ったらしい。それが、今度の日曜日で、行き先を何処にすれば良いのか迷っているようである。娘は仕事で逃げるらしいが、後の3人(ムコ殿と、孫のミーとエリー)は、本当に行きたいのであろうかと心配になって来る。
いろいろな物を余計に担がなければいけなくなるのは必死。それはそれでいいのであるが、本当に山に行きたいのだろうかである。グチャグチャの登山道は可哀想、長い道程も可哀想だと思うが、それを無理やり経験させるのも、後々の想い出として意義のある事なのかもしれない。 どちらにしても、お天気次第であろう。
10/21 コロナの感染者が急激に減っている。急激に増えたから、急激に減るんだという識者もいるが、どうして減っているのか、分からないというのが本当らしい。我が富山県も、感染者数が一桁の前半が続き、0(ゼロ)の日も出て来た。通常に戻る日が近いのなら、誰もが喜ぶのだが・・・・・
諸会合がなくなり(なくて助かるのもあるが)、有志との語らいの場もなくなっている。握手もハグも遠慮がち。急激な開放を望まないにしても、徐々にでも良いから、後戻りしなくてもいいような、前向きの方向に進んで欲しいものだ。
10/20 食事(飲酒中)の後半になると、時々であるが、眠ってしまう事がある。PCの前に座っても、そのような事になる。頑張れなくなった証拠なんだろうが、なかなか認め難い。23:30~5:30が通常の睡眠時間だから、大方の人達とそんなに変わらないと思っているが、年寄は、もっと寝なければならないのか・・・・・
でも、気力の衰えは困ったものだ。何事にも負けていくのだから、これからの人生を否定しているようなものだ。楽な方に流されて行ってしまう、その様を想像するだけでも悲しくなる。でも、知らずしらずの内に、いや、分かっていても逆らえなくなっているのかもしれない。
10/19 天蓋山でナメコらしいものを三つばかり見付けた。群生しているものでなく、ポツリとあったものである。しかも大きいものであった。ちょっと疑わしかったが、二人でナメコだと思った。私はキノコの事は、あまり自信がない。ナメコだけは、何とか分かるが、でも怪しい。
今回も、いろいろなキノコがあったが、私は拒否した。また採ったとしても、それほど美味しいものではないから・・・ ナメコらしい物も、三つだけだし、捨てても良かったが持ち帰ってしまった。いつも、それを誰が先に食するかである。
当然のように私が食べるような段取りになっている。結構勇気がいる。「これだけだったら、腹痛で終わるかな?」 」何時間か何事もなければ大丈夫かな?」 などと、思いながら食べるのは決して美味しくはない。我が家の昼食は、別々に食するのであるが、この時ばかりは、私を立ててなのであろうか、どうしても私からなのである。 結果的に大丈夫だった! (笑)
10/18 行きたい山はたくさんある。しかし、自分ひとりで生きているわけでもない。「妥協」という産物も大事にしなければならない。今日は、白山や雨飾山の選択肢はあったが、早朝の空模様では、その提案を引っ込めてしまった。「山ノ神」のご執心は天蓋山である。きっと、楽に登れるからである。私としては、白山や雨飾山へのアクセスと、そんなに変わらないのであるが、後の歩きが違って来る。
今日も気温は低かった。山之村は高所にあるから、もっと冷え込んでいた。フリースを着込んでも暑くはなかった。「天蓋山を選んだのだから、コースタイムで登れ! 」 と、「山ノ神」にハッパをかけた。その効果があったのだろうか、「山ノ神」は意外と頑張った。しかし、最後の最後に息切れとなったようであった。
今日は、山頂近くで降りて来られたお二人以外、誰とも会わなかった。だから、ずっと貸し切り。1時間半くらいゆっくりした感じ。立山・剱岳は雲の中、御嶽山も頭が隠れていたが、笠ヶ岳や黒部五郎岳、そして、焼岳や槍ヶ岳は、その雄姿を存分に味わいさせてくれた。しかし、このところの冷え込みから、真っ白な山を期待していたのに、それは叶わなかったのである。
10/17 雨だから仕方がない。八乙女山に出掛けたのはいいが、砺波IC近くに来て靴を忘れた事に気が付きUターン。1時間のロスをしてしまった。
最近、当HPでも、またfacebookやYAMAPでも、「むかご」 を 「めかぶ」、また 「鏡平」 を 「槍平」 と、記したりして、頭がどうにかなっているのではと悩んでいる。最も、以前から誤字脱字がある事を思えば、そんなに大きい事ではないか? (勝手に・・)
雨でも歩かなくてはであったが、転んでは何にもならない。大きな傘を差してゆっくり歩いた。でも、今日は単独行であるから、ゆっくりでも いつもと違う。そして、最近買った軽登山靴が、雨に対して、どのようなものなのかを試したいとの思いもあった。
予定より遅くなったので、小佐波御前山行きはどうしようかと思った。でも、最近の体たらくを、何とかしなければの思いが強く、やっぱり出掛ける事にした。猿倉に着いたのが午後1時40分くらいになってしまったが、雨の中を再出発である。毛勝山で遅れを取ったのは、ちょっぴり悔しく残念だった。
瞬発力やバランスは、どうにもならないかもしれないが、持久力なら、鍛えれば何とかなるのではと思うのは如何なものか? いつもは、「山ノ神」と一緒の山行ばかりで、鍛錬になっていなかった事もあったかもしれない。今日は、速くは歩けないが、休まないで歩き続ける事にした。衣服は、ちょっとばかし濡れた。そして寒かった。次の冬に備えて頑張らなければ・・・
10/16 今夕から雨になった。予報通りになった。雨がそんなに降らないのならなどと思ってみたが、無理することはない。定番の八乙女山か小佐波御前山に傘を差して登るのがいい。もしかしたら、両方などと戯けた事が頭をよぎる。
10/15 I女史が三百名山踏破に近付いたのかどうか、ずっと気になっていたので、一年ぶりに連絡をとってみた。ソロで頑張っているようで、もう少しのような感じで受け取った。また、ピークハントではなく、ルート選定に工夫をしている様子に感銘を受けた。ずっと元気で目標に向かって頑張って欲しいものだ。
私は相変わらず真新しい名山との縁は薄く、百名山は、4年前のH.29.07間ノ岳でストップである。二百名山は、R.01.06の森吉山から2年半もご無沙汰である。三百名山は、2年ぶりに先日の七ヶ岳だけである。九州遠征は、昨年も今年もコロナで止めた。「どうでもいいや!」 と言いながら、やっぱり気になるのである。登らなきゃ、何にも分からないからである。
10/14 今度の日曜は、「好きなところへ行ってもいいよ!」 「山ノ神」は、自分の用事を作ったから、そういう風に言う。予報は雨。晴れておれば行きたいところが、たくさんあるのだが、一日中雨だったら、遠いところや危険なところ、また、長く歩くところへは行けないし行かない。
まあ~、近いところで傘を差しながら歩くのも悪くはない。半日違ったところで、時間を費やす事だって出来る。問題は、翌日の月曜日である。今のところ、雨は止むというのか、降らない予報になった。好きなところへ行かせてもらえない可能性が高い。
10/13 直近の一ヶ月余に連続して車のトラブルがあり参っている。チェックランプ点灯修理にブーストセンサー交換、給油所での水混入トラブル(給油所負担で解決)、そして、右前輪バースト、冬タイヤに交換後ボルト・ナット交換が付いて回ったから、ほぼ4週続けてである。
そして、バーストした夏タイヤ、現在装着中の冬タイヤも寿命らしい。(スリップラインに到達) 山に行くには車が必要。これだけはケチるわけにはいかない。満6年で107、000キロを超えた。通勤0(ゼロ)なのにである。遊び過ぎという声も聞こえて来るが、それを張り合いに生きているようなものだから、仕事と共に限界までやり続けたいと思っている。
10/12 毛勝山の下山時に、まりさんがクリタケを見付けた。ほんの少しだったけど私に持たせてくれた。その時に、帰ったらすぐに処理をする事を付け加えてくれた。ところがである。すっかり忘れてしまっており、昨日の中山登山中に思い出したのである。(ずっと、ザックの中であった。)
家に戻ってから、「山ノ神」に、そのクリタケを渡し、” ダメだったら処分してもいいよ! ” と言っていたのであるが、今日の昼食時、味噌汁の中に具として入っていた。乾燥していたのか、あまり食感がなく、美味いものではなかったが、せっかく、私がもらったからには、無駄にしなくて良かったの感想が一番だった。
私は、ナメコしか分からないのであるが、以前は、毛勝山や大熊山で、たくさん採ったのを思い出す。その両山だけでなく、行くところ、何処にでもあったような気がしたけれど、今は本当に採れなくなっている。その内になどと、毎年出掛けるとこがあるのだが、お茶碗一杯程が精々である。採れた時は、ザックいっぱいになった事もあった。今年は、どんぶり一杯くらい採りたいな~。
10/11 昨日の毛勝山の復習ではなく、「山ノ神」と歩いておかなければ、今後の山行に影響するのは必死。それは、何処の山でも良かったのであるが、雨降る前の「中山」にしたのでした。「山ノ神」の足取りは重く、そのザックを取りに行かなければならないのでした。私は、1往復半歩いた感じでした。
山頂には誰もおられず、駐車場にあった2台の車の方々との遭遇もありませんでした。剱岳早月尾根を存分に味合う事(展望)は出来なかったのですが、1250mの頂きで、各々のモチベーションを高められたと確信 (笑)しております。
林道歩きの分、行程が長くなるのですが、その長さを喜びとし、東小糸谷を選びました。クズバ山の事、馬場島キャンプの事、ブナクラ谷の紅葉など、日頃家では話題にならない事が語られるのですから、「山っていいね!」
10/10 猛者達と毛勝山に登って来ました。登りも降りも、しんがりで同行の諸氏には、迷惑を掛けたような気がしております。歳なのかもしれませんが、お湯を沸かしたり、また、途中や山頂で、いろいろな方々に声を掛けて頂き、食する事を怠っていたのも、少なからず影響したような気がしています。
それにしても、同行の諸氏は、いずれも健脚で、毛勝山は初めてと言われていたが、本当にそうなんだろうかと疑いたくなるほど元気一杯の方々でした。それはともかく、紅葉も、それなりに良く、剱岳や後立山の展望も効き、おそらく全員毛勝山を満喫された事と思っています。
ゆっくり、景色(紅葉)を楽しみながらの目的は、達成出来たかどうかの判断は、各自違うであろうが、コーヒーを沸かし、好物を嗜むのは、何とか達成出来たような気がしている。20歳も30歳も若い人達とお付き合いして頂くのは、それ相当の気力・体力を持たなければ到底難しい。
「元さん」 と言って頂けるのは山だけ・・・。お世辞でも何でもいいから、話題や相手にして頂けるのを糧にして、まだまだ頑張ろうと思う馬鹿者です。寝たきりや認知症よりは増し、そんな思いでおります。
10/9 明日は、毛勝山。いろいろ出入りがあったけれど6名で行く事になった。バラエティーにとんだメンバーとなるが、それも楽しからずやである。お天気は良さそうであるが、ガスや風で思うようにならない事が結構ある。それでも久々に会える方もあり、今からワクワクしている。
今度の毛勝山は、11回目になるが4年ぶりである。UPしていない過去の記録も合わせて見ると、「山ノ神」は、少なくとも3回は毛勝山に登っている。でも、今回は辞退した。私からみても、登れるハズがないのであるが、行かないとなれば、それはそれで悔しいらしい。その代償は、また何か考えなければならない。これがまた結構辛いのである。
10/8 明後日の毛勝山行きの概要が決まった。私は4年ぶりであるが、ちょっぴり不安はある。猛者達との山行だけに、ゆっくり楽しみながらという条件を出した。最早、タイムを争う身体でも歳でもない。ならば、ゆっくり、美味しいものを頂きながら、気に入った光景をカメラに収める方がいい。
出来れば、同行者との交流を深め、いついつまでも素敵な想い出となる事を願いたい。もし、それ以上の事を望むとしたら、回数とか幾つになって、てっぺんに立ったという事だろう。
10/7 やっぱり疲れているのだろうか? 夜の会合で、「おまえ、どうしたのか、目が真っ赤だぜ!」 と言われた。小一時間の会合を終えて、家に戻ってからの食事であったが、これはまずいと思いアルコールを止めた。このところ、頭半分と左首が痛いので、何処か違った症状が出たら気になってしまう。
東北遠征の運転中もそうであった。ところが、七ヶ岳の下山中(ゲレンデの歩き)に、どうしても大きく手を振る歩きになる。それが奏功したのか、一時的に随分楽になった。やっぱり歩くのが良い。山は妙薬。そして、歩かなければ・・・
10/6 午前2時頃自宅に着いた。私は全部運転をしていたのであるが、最後は疲れてしまい、朝日ICから8号線経由で自宅までの運転は、「山ノ神」に委ねた。片付けて、入浴をすれば、寝る時間は3時間もない。でも、遊んだ後は、物事をしっかりやらなければと私は常に思っている。しかし、、あの人は、仕事日は、休養日としているから本当に参る。私が入浴している間に、缶ビールを一本開けて寝てしまっていた。
今回の高速代金は、7,910円(朝日→会津若松・新潟西→朝日) 深夜割引である。(土日割引は、10/31まで停止中) 私達は、常々、ケチケチ山旅である。それを言うと、友人は、「本間、ケチというのはお金をもっているヤツが使う言葉で、お前は貧乏なだけだ!」 言われてしまう。でも、私(達)は、出来る範囲の事しか出来ないが、いろいろ考えてやっているのだ。テーマを決めてである。「ちょっと贅沢とか? 行ける状況でないのに、行きたければ、何もかもケチケチで(笑)」
10/5 かなり月山に近い所に泊まったと思っていた。ところがである。以前登った事がある8合目というのか弥陀ヶ原へのアクセス道路が見付からなかった。今日も112号線を右往左往してしまった。最後の最後に 「道の駅月山」で、トラックの運転手さんに尋ねると、もっと戻らなくてはいけないとの事であった。
しかし、その道は、志津・姥沢という所で、私達が思っていた所と違っていた。それでも、登山口に辿り着いたのであるからホッとしたのである。そこには、登山用リフトがあり、私の好むものではなかった。しかし、「山ノ神」にすれば、渡りに船で、逃すハズがない。
片道だけを条件に乗る事にしたが、その先に自然協力金なるものを一人200円を支払った。リフトは、一人片道600円。15分くらい乗るのであるが、降りた所が真っ赤に紅葉していた。そして、真っ盛りの紅葉の中に入って行く感じであった。「もっと光が欲しい。」 「陽が出て欲しい。」 と思いながらも、シャッターを切らずにはおれなかった。
リフトに乗らなければやって来る分岐に来た時は、下山は、このルートだと思った。牛首を過ぎてから、岩や石の登山道になって行く。問題はないのであるが、お天気が怪しくなって来る。ガスが掛かってきた。風も強くなってきた。稜線に出ると、前も分からないようになり、身体ごともっていかれそうな強風となり、「山ノ神」は怯んでしまった。
山頂が何処か分からなかったという登山者が戻ってくる。「神社が山頂にした。」 という方も多かった。「山ノ神」は、「ここでいい。」と先に進むのを拒否したので、私だけが山頂を目指すことにした。スマホ地図だけだ頼りである。神社裏に行くと、山頂を目指すのに降り加減になり、可笑しいと戻る方が多くなっていく。
私は、1984mを頼りにその先に進んだ。そこから、少し高めに踏み跡を発見し登れば三角点があり、誰が設置したのか真新しい山名板があった。ちょっと分かり難いのである。目的を達成し、そそくさと「山ノ神」の所へ戻り、手を引いて強風の中を降りたのである。しかし、高度を下げれば、風もガスも収まった。
簡単な食事をして、広大な紅葉の中を降りたのである。もっと陽が欲しいと、念仏のように語りながらである。でも良かった。登山口駐車場から、カーナビを高速を通らない自宅に設定した。112号線に出るものだと思っていたら、如何せん山道を20キロ走らされた。確かに地図上では112号線をショートカットしているのであるが、スピードは40キロくらいしか出せない。国道なら60~80キロで走れるのであるから、「山ノ神」に叱られた。
鶴岡・酒田・村上を経由して来たのであるが、高速は新潟西から朝日まで。疲れた。
10/4 私達の宿は、休暇村裏磐梯であった。宿に泊まると、朝食を済ませてからになり、どうしても出発が遅くなる。それでも、通常の登山口(八方台)まで、10キロくらいであるから便利であった。月曜日であったが、駐車場は、ほぼ満杯であった。
過去2回は、お天気はイマイチであったが、今回は好天であった。その分登山者が多く、何となくせせこましかった。しかし、紅葉が進み、周辺の湖や沼と共に素晴らしき光景を醸し出していた。ところがである。欲張りな私は、朝食を必要以上に食べたからか、山頂に辿り着くや否や、腹痛を模様をしてしまった。
山頂も登山道も人々で逃げ場がない。途中の弘法清水まで降りなければならない。しかし、弘法清水小屋にはトイレがない。そこで、人生はじめての携帯トイレなるものを購入した。(そのスペースは用意されていた。) 350円だったが、自然を汚さず、その上スッキリしたのであるから、その存在を認識するに至った。
下山時は、お花畑なる所を経由しながら、快適に登山口に戻った。それから、月山(栗駒山は今回止める事にした。)に向かうのであるが、途中、どうしても米沢の上杉神社に寄りたかった。資料館などは終わっていたが、その寄れた事に意義があった。
月山に、より近い道の駅に泊まるのであるが、勉強不足でなかなかであった。でも、「にしかわ」という道の駅で車中泊となった。食べて飲んでの予定であったが、疲れていると、思うように喉を通らないものである。その代わり、すぐに眠れたような気がした。
10/3 昨日は夕方に家を出て、朝日から高速に乗った。西会津Pで仮眠であったが、全く眠れなかった。早々にPを出て、会津若松ICから七ヶ岳へ向かった。何の迷いもなく、カーナビで会津鉄道七ヶ岳登山口駅をセットしておいた。予定より1時間位早めに歩き出す事が出来ると期待を持っての走行であった。
西会津Pから、おおよそ100キロである。その場所は南会津で檜枝岐からの方が近いかもしれなかったが、小出や堀之内方面からだし、檜枝岐にやって来るだけでも大変だから、会津若松からの方が正解だったと確信している。しかし、登山口駅に行っても、そこからの道はなく、何の案内もなかった。散歩している方に尋ねても、「そんな山知らない。」であった。
121号線を何度も行ったり来たりした。そして、ようやく見付けた登山口が、崩壊のため登山禁止となっていた。それでもと進んでみたものの、やっぱりダメであった。半ば諦めて引き返したところに、工事車両がやって来た。その運転手の方に、「七ヶ岳」の登山口を尋ねると、ずっと先の会津高原たかつえスキー場を教えてもらった。
YAMAPで、たかつえスキー場から登ったという活動日誌を見ていたのに、それを全く気にかけていなかった。道路地図で確認していなかった事になってしまった。そのスキー場にセットしておけば、楽々に辿り着いた事は間違いない。2時間を要してしまった事になる。
それでも、来たからには何としても登りたいのが私の心情。「スキー場から登る。」は、勝手に小さなスキー場で、もしかしたらやってないスキー場と思っていたのかもしれない。たかつえは大きなスキー場であった。そのゲレンデを歩いた。もしかしたら、1時間半程歩いたかもしれない。(林道も入れて。)
7つのピークがあるというが、どうでも良かった。兎に角、山頂に達し、早く宿に着きたかった。いつもいうように、登ってみなければ、その山の事はわからない。そして、1回くらい登ってみても、その山の事を言い尽くせないのである。同じ道を辿りつつ、裏磐梯が今日の宿であったが、これも横道に入ってしまい、またまた他人様に道を尋ねなければならないという失態を重ねた。
10/2 何とか、この先の3日間お天気が持ちそうである。でも、山頂に近付くに連れてガスに覆われるというのは、いつになっても同じで、あまり期待をしないで行きます。「山と関われればいい。」 というような気持ちで出掛けたいと思っています。
同じ山に登っても、何年も経っておれば、過去の記憶などは飛んでおり、初めてとそう代わりはない。「また来れた!」 と感謝しかない。講釈を垂れるには、やはり10回は登らないといけないであろう。東北には、まだ登りたい山が幾つか残っている、でも、「山ノ神」をさておいて、そんな事は出来ない。出掛けられる事に感謝しかない。
10/1 明日、仕事が終わってから出掛けるというのに、磐梯山(3回目)だけが決まっていない。栗駒山(3回目)と七ケ岳(初めて)との駆け引きが続いている。まあ~、観光を入れても良いと言って来ているのだから、もしかしたら、米沢市を入れて、栗駒山になるかもしれない。下がってくると、七ケ岳か会津駒ヶ岳(2回目)になって来る。もう、どちらでもいいが、車を走らせながら決める事になりそう。