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11/30 昨日の中山行きは、小又川に架る橋の手前で、先行する工事車両などがクラッシュ、その状況を確かめようと車から降りると、ツルンと滑るくらいであった。我々は潔く諦めて、代案の山に行く事にしたが、粘り強く待機した方や、午後から登られた方など、体力も気力も充実した方々が、何パーティーか、おられたようだった。
中山を諦め、千石城山・西山・ハゲ山・城ヶ平山のハシゴとなった途中、ひでさんに声を掛けてもらった。(記録を見ると、私達の半分ほど時間の歩き。もしかしたら、走っているのか?) 「ひでさん」 と何度か繰り返していたので、名前は忘れない。
またややこしい事に、「ひでやんさん」から、メッセージを頂いた。「昨日はありがとう。」 などとお返事を出したら、違った「ひでやんさん」 だった。(兵庫) ちょうど考えていた時に、届いただけに思い込んでしまったわけだ。内容を確かめるのを怠って失敗したわけだ。しかし、何処に、どんな縁があるかわからない。もしかしたら仲良くなるかもネ。
11/29 今年最後の中山を狙って出掛けたものの、凍結した道路に、工事車両が道路を塞いだ形になったので、諦めて千石城山に向かった。雪山に行くと言って参戦してくれた「まりちゃん」 が気の毒だった。でも、千石城山に向かいつつも、次の山も頭にあったようだ。
千石城山へは、準最短コースを利用したが、そこから(その周辺)見る剱岳がまた良い。たくさんの人達に声を掛けて頂いた。感謝です。嬉しいです。そして、同じく、中山に思いを寄せておいでた砺波の小竹氏(同じ馬場島公園線で遭遇)に、再び千石城山頂上でお会い出来、楽しい一時を過ごさせてもらった。
歩き足らない私達?は、ハゲ山に向かった。まずは西山から。そして、薮中の袖山に登り、ハゲ山に至った。なんと、そこには、「好山病友の会」 の重鎮 「北ちゃん」 がいるではないか・・・ 最近、彼との山行機会がなくなって来ているだけに、ホットな気分になった。
そろそろ下山に掛かる彼(北ちゃん)を、あれやこれやと、繋ぎ止める形になったが、彼は、それを分かってくれているような感じで、私達の食事が終わるまで付き合ってくれた。最も、千石城山で、同じ 「好山病・・」 のメンバーである 「マキちゃん」 から、「今日は、何処へ・・」 とのLINEが届いていた。 「これから、ハゲ山へ・・」 と返事をしたが、全然関係がないのですが、なんとなく彼女が、「北ちゃん」 と合わせてくれたように感じてしまった。
北ちゃんの登山口である城ヶ平山経由大岩に戻るのと、私達の歩き足らないのとが合致して、城ヶ平山まで一緒する事になった。久しぶりだったからかもしれないが、「山ノ神」 に言わせると、ずっと、二人で喋っていたと言っていたとの事。その間、ひでさん(YAMAP)と出会った。無理やりコーヒーを付き合わせてしまったが、どうだったんだろう。
再び、西種(水上)に戻らなければならなかったが、ずっと、大好きな山を眺めながら歩くのであるから、「苦」という事はない。そして、今日は珍しく「山ノ神」が頑張って歩いた。やっぱり誰かが一緒だと、それなりに頑張るのかもしれない。まりちゃんには、今年人形山・三ヶ辻山、そして、毛勝山に一緒させてもらった。よくぞ、年寄を大事にしてくれる。ありがとう。
11/28 思わぬ雪量にびっくり! それでも、ライオンズの森まで車を入れた。大辻山の単純なコースであっても、「山ノ神」にしてみれば大変な事。しかし、ヨタヨタながらでも、正午過ぎに山頂に辿り着いた。今日は、剱岳がスッキリ見えるくらいの大絶景が待っててくれた。イヤイヤながらでも、この素晴らしい景色を見れば、やはり山は止められまい。
ずっと、この大展望を楽しんでいたが、たくさんの登山者があったが、意外と長居する人達は少ない。登りも降りもたくさんの人達に抜かれて、今日も、大辻山最後(しんがり)の登山者になってしまったが、そんな事は全然苦にならない。余計に山を親しんだと思っているから・・・・。
11/27 明日明後日は晴れだというのに、午後10時過ぎの高岡は雨が降っている。明日何処へ出向いても、大なり小なり、グチャグチャは避けられまい。雪の上の歩きを想定して、再び人形山を提案してみたが、「山ノ神」からの返事がない。多分、大辻山辺りに落ち着くのだろうが、10年前は、この時期大熊山に登っているのに・・・・。
11/26 昨日は、PCが動かなく、面白くない一日であった。そんな事もあって、バックアップ出来ていないファイルを、外付けハードディスクに収める作業をこなした。過去に痛い目に遭っているからである。
そんな私は、いざ、PCが曲がりなりにも動くとなったのに、何だか虚脱感というのであろうか、何をしていいのか、かえって拍子抜けとなってしまった。365日、何かを記さなければならないと思っている自分がイヤになったのかもしれないし、何を述べようかと、わからなくなったのかもしれない。明日、もう一日過ぎたら(仕事したら)、また山に行く。そしたらまた、元通りになるかもしれない。
11/25 PCが動かなくなった。前々から可笑しいと思っていながら、新規購入に至っていなかったので、右往左往する事になった。HPの更新や帳簿も記入出来なく、ポカンーとなってしまった。孫達には、WiFiがダメで、ゲームのダウンロードが出来ないと、八つ当たりされる始末。しかし、どうにもならなかったので本を読むしかなかった。
プリンターもダメになっている。困った! 本当に困った! ネットで購入しても良いのだが、実物も見てみたい。山に行かなければならないし、その選択にヨワッタである。早く山から戻れば良い事なのに、物事は何でも自分の思う通りにはならない。 (今は、動いている。)
11/24 「富山の百山完登にあと○座」 とか、「まだ、あの山に登っていない。」 などと、逞しく目標に向かって行く方々にお目に掛かると、「燃えるっていいな。」 と、つくずく思うし羨ましく思う。山に登り始めて、数年という方に多いような気がする。
そして、「富山の百山」 とか、「新越中の百山」 を覗いてみると、私の知らない山が数多く載っている。ここにも老若のギャップを感じてしまう。それぞれの思いで、山に登れば良いような気がするが、そこにも意識の違いを感じるのである。
同じ山を何度もは、なかなか受け入れてもらえないような気もするが、それでも、登った回数ほどの喜びがあるのは確か。難度の高い山には、とても手が届かないにしても、他の喜びを探して登るのも楽しいものである。
11/23 昨日の小佐波御前山は、強風が伴ったが汗ばんだ。富山と高岡の温度差が、かなりあった証拠に、八尾から千里トンネルを抜け、359線出た途端に気温がぐっと下がった。(4~5℃) 今日は、朝から気温が上がらず、ずっと寒かった。
山沿いには、降雪の予報が出ているものの、富山県冬期道路情報では、高岡市福岡町沢川地内で1cmを記録したが、すぐに溶けた模様。でも、このままの状況が続けば、それこそ山沿いでは3cmの積雪が予報として出ている。
私は、山に関して、車も装備も全て良しと準備に怠りない。しかし、歳を重ねる毎に忍び寄る体力の衰えが、如何ほどなのか分からない。それは、「何か可笑しいぞ!」 というシグナルが増えてきた事にある。今から、そんな事に不安を感じるようでは、この先が思いやられる。
終活や断捨離などと言っている方々には、「人生の折返し地点を、ちょっと過ぎた頃」 と言っている私の事など、受け入れられないかもしれないが、「これからの人生」 である。大それた事など出来ないが、ちっちゃな目標であってでも、それに向かう意欲を持ち続けたい。 山は楽しい!\(^o^)/
11/22 今日は大荒れになるとの予報に、「早めに小佐波御前山に行く。」 と言っていたが「山ノ神」の反応はなかった。声こそ掛けなかったが、私が起きて準備をしている物音が聞こえないはずがない。私はそれでも良いと思っていた。最近の私は、身体に異変を感じている。(腰が重たい。右臀部が座ると痛い。たまにであるが、右足にちょっぴりだが異常を感じる。)
それを確かめる為に一人で歩いて見たかった。「これからの雪の季節に対応出来るのだろうか?」 は、只の歩きでは、分からないであろうが、いつもの歩きとは違うだけに、何かのサインらしきものを見定めたかったのである。
一人で歩けば、荷の重さも、ちょっとばかり軽くなるから、あまり得られる事はなかったように思うが、時々、身体の点検をしなければならないと思った。今日は、小佐波御前小屋までの往復に2時間半掛からなかったのであるから、まずまずではないかと勝手に思っている。
降る降ると言っていて、どうかしたら、雷までの予報であったが、午前7時から9時半までは、風が強く吹いたが、雨は降らなかった。(最後に傘を差さなくて良いほどの霧雨のような感じにはなったが・・) 車に乗ってから降り出した。家に戻ったのが午前10時半。「山ノ神」が待ち構えていた。「食事に・・」 「買い物に・・」 これが私の一番苦手としているもの。
11/21 予告通り?鋲岳・烏帽子山に行ってきました。スッキリと晴れたとは言えないまでも、この時期としては、小春日和の山行日よりでした。後立山連峰の朝日岳から鹿島槍ヶ岳まで、真っ白な雪を蓄え山好きの心を湧き立ててくれました。
僧ヶ岳まで行かれた方もおられたようですが、我々は、牛のように(今年は丑年) それこそゆっくりと歩きました。山頂にも1時間余、そして、途中でもコーヒータイムなのですから、追い抜かれても、追い抜く事などありません。それでも山を充分に楽しむ事が出来ます。
最後の最後に、「花じい」 や 「まさかわ氏」 を知っておられる熟女3人と、ちょっぴりお話をしました。(山の会の人達のよう) 「高岡の元さん」 と言ったら分かるかもと述べておきました。「もう一つの山に登ってもいいよ!」 と「山ノ神」が私をケシカケましたが、それには乗らず、今日は、明るい内に我が家に戻りました。(珍しい・・・)
11/20 今日は特別な事もなく、大きめのチキンカツとワインで、2人で小さく祝った。でも、いつかは何かをしなくちゃいけないのかもしれないが、5年刻みでいいのでは思うのであるが如何であろう。まあ~、45年が過ぎたら、一年一年の値があるかもしれないから、その時になって考えたい。
外食したから、或いは、何処かへ泊まりに行ったからが節目の祝とは限らない気もする。こんな事は心であり、出来る範囲以内でやればいい思ってる。そんな事を言って、ごまかそうとしているのではと、疑われそうであるが、明日も山に行くではないか・・・。
明日は、まずまずの予報であるが、明後日は、雨のようである。そして、寒くなるらしい。明後日は、小佐波御前山か八乙女山に決まりである。明日は、今秋行きそびれた鋲岳・烏帽子山になる。どの山も大勢の登山者が押し寄せそうだ。
11/19 明日は、私達の結婚記念日だ。最近思い出したのだから、何も考えていない。多分叱られるだろう。何も私だけが考える事もないと思うがどうなんだろう。私は、町内にある鶏肉屋さんのチキンカツ(大きめ)があれば満足なのであるが、どうもそうはいかないらしい。
44回目になるが、よくここ迄持ったものだ。今となっては、二人とも国民年金なので、別れては、お互い生活をする事が出来なくなる。仕方なく一緒にいるのであるが、形だけの夫婦みたいなもんだ。他人様から見れば、仲の良い夫婦のように思われがちだが、会話などあまりない。喋れば、「それ聞いた。」 「また同じ事。」 となどと、寂しいものだ。弱った!よわった! ヨワッタ!
11/18 今年100回余の山行で、数えてみたら、小佐波御前山に14回、八乙女山に11回も行っている。それだけお天気が良くなかったのか、時間がなかったのかもしれない。これから、だんだんと、その2座がメーンになっていくのかもしれないが、歩けるだけ良しとせねばになるかもしれない。
それとは別に、50回以上10座も、白山46回、人形山45回になった。来年か再来年までには達成出来ると思っている。そして、10回以上100座は、なかなかである。(現在58座) 達成出来るかどうかは、分からないけれど、その目標は励みになっている事は確か。
「休日は山に・・」 を貫いておれば、いずれ何か面白い事が起こると思っている。何事も積み重ねておれば記録が残るのである。九州の山も北海道の山も機会があったら登ってみたい。良いも悪いも登ってみなければ分からないし、一回や二回登っても、その山の事など分かるはずもない。それでも、山頂に立てば、新たな喜びが湧いて来る。今年の休日は後13回。
11/17 最近物忘れが多い。「まあ~、仕方がないか?」 などと思う事がある反面、「これは困った。」 となった事もある。それが、だんだんと増えていく。歩き始めて、「カギを掛けて来ただろうか?」 と戻ったりする事もしばしば。2階に上がって、「何を取りに来たんだろうか?」 とまた戻らなくてはならなくなる。「複数の要件を抱えて出掛けても、取り残して戻る事も・・」
「忘れる事があるから覚えていて欲しい。」 と言っていても、二人して忘れる事もある。自分に都合が悪くなると、お互いに罵り合い喧嘩となる。喧嘩をしても、何の得にもならないので、すぐに収まるものの、その事が、ずっと響いてしまう。我が家では、だんまりが続くので、誠に面白くない。
「忘れて戻っても、トイレが近くなっても、歩く機会が増えるのは、リハビリと思えば良い。」 などと、まことしやかに言っているものの、自分に、のしかかって来るとあまり面白くない。ボケの前兆かと思ったりするが、他の事は大丈夫なんだからと慰めに入る。でも、確かに取扱説明書とか、注意事項などを読むのはダメになりつつある。
でも、好きな事は忘れないし、新たに覚える事も出来ている。しかし、それも今の内かもしれない。「大事な事を書き留めておかないと・・」 と思うようになって来ているが、なかなか行動が伴わない。そのうち、家族の皆に叱られるだろう。まさか、「山に登って、帰り道が分からなくなるという事はないだろうな!」 痴呆症から認知症と名前が変わっても響きは悪い。身体だけでなく、頭も鍛えなくてはならないのかもしれないが、酒を飲めば、それ以上に忘れちゃうかもしれない。困った!
11/16 10日間予報を見ると、今週は、まずまずだけれど、来週は、気温が低い上、ずっと雨のようである。先日の雪量も溶けてしまうかもしれないが、その後の寒波は、たくさんの降雪・積雪をもたらしそうである。山での降雪・積雪は歓迎する向きもあるが、平地での積雪は、子供達以外歓迎はされ難い。
雪が定まるまで、行き先の選定に苦慮するが、それでも、例年何処かの山に出掛けているのだから、仕事でもなく、あくまでも遊びであるからにして、さほどの問題とならない。それよりも、急激に萎んだコロナは、今時とばかりに、忘年会なるものに、心が移りそうである。
11/15 人形山から戻ったら、橋ちゃんからメールが届いていた。「明日休みだから・・」 と珍しく(久しぶり)何処か山に行こうというものだった。こんな事はあまりない。(晩秋の いや、初冬の珍事) かと思い、好山病の仲間にLINEを送った。しかし、仕事や所用で、ましてや、急な呼び出しに来れるハズもない。
でも、、マキちゃんから、仕事が終わったら、急遽馳せ参ずるとのメッセージが届いていた。
大岩の駐車場に、午前9時集合と言っても、橋ちゃんと「山ノ神」、そして私の3人だけ。そこへ、ニュー登山靴の足慣らしに来られたというステキな女性と遭遇。(ステキな女性が現れたら、最近は何故か、私が声掛け係になっているようだ。決してナンパではありません。)
そうなれば、あれやこれやと楽しく話が弾む。(山そっちのけ 笑) そんな事はありません。山の話ばかりでした。(尋ねられぬのに、余計な話だったかもしれません。ごめんなさい。) 私は、静かな山も好きだけど、自分中心に盛り上がるのが好きなのかもしれない。反省です。)
城ヶ平山頂に着いた。北アの名峰・剱岳は隠れて見えなかったが、それでも雰囲気は良く、暖かかった。4人で、ビールならぬコーヒーで乾杯?し、記念写真を撮らせてもらった。今度いつお会い出来るかわからないが、そっと、お名前を尋ねてみた。「いのりさん」 またまたステキなお名前である。しかし、彼女は、時間に制限があり、ここでお別れとなった。
そこへ、マキちゃんが駆け上がって来てくれた。またまた賑やかになった。(どれくらい飛ばして来たのか分からないが、まだまだアスリート並である。) 橋ちゃんとマキちゃんは、ゆっくり歩いても速い。「山ノ神」と私は、かなり離され、いつもの通りヨタヨタであった。
ハゲ山に着いた頃から、雲行きが怪しくなって来た。食事をはじめて間もない頃から、弱い雨となってしまった。今は、便利なもので、スマホで雨雲の予想が出来てしまう。そんなに降らないと思ってみても、文明の機器には心が折れてしまう。
俄に片付けて、何処かでまた・・となったが、そう上手くはいかない。当初は城ヶ平山・ハゲ山を往復のつもりであったが、浅生に降りれば、尚更である。でも、久しぶりのメンバーだけに、それこそ、あれやこれやで楽しかった。最後の最後に、最近出来た登山口の小公園で、またまたコーヒーと美味しいお菓子で二次会とした。そして、やっぱり下山してから晴れてくるではないか・・・
11/14 出発前に予報を見たら、日中は曇りがちであった。車に乗ってからは、「お昼すぎから、所によっては雨、そして、雷雨もある。」 との予報に、ちょっぴり怯みかけたが行くしかない。(笑) 昨日、O氏のfacebook投稿に、金剛堂山の山頂付近の積雪は30cmとあったから、それくらいは覚悟し、それ相当の準備は怠らなかった。
第一休憩所(標高約1,200m) 手前から、ほんのちょっぴり雪が現れた。(帰りは消えていた。) 第二休憩所(標高約1,400m)からは、20~30cmの積雪となり、歩き易くなる。ここで、我々の意とするコーヒータイム。(山はゆっくり歩かなければ・・・である。)
宮屋敷跡まで3時間近く掛かった。いつもなら「山ノ神」は、ここまでというのであるが、山頂への意欲満々の私に感化されたわけでもないだろうが、「12時まで・・」 と言ってくれた。展望は、まずまずなのであるが、黒い雲が次から次へとやって来る。(積雪は、20~40cm)
先行者が3人いたが(金沢・前橋・なにわナンバー)から、割と歩きやすかった。しかし、三ヶ辻山と人形山の分岐まで、たっぷり1時間を要してしまった。その稜線に出ると、白山は、少しぼんやりとしていたが、笈ヶ岳や大笠山は白くスッキリと伺えた。
「山ノ神」は、ここで終わり。「行きたかったら、一人でどうぞ!」 である。「写真も撮るし、往復40分はきついぞ!」 と言い残しながら、山頂を往復した。45回目になる。最近、デジカメであるが、動画を撮りだしたから、尚更時間がかかる。それでも、後々後悔しないように山を楽しみたいと思っている。
5分オーバーで、分岐に戻った。カップ麺を流し込んで、迫り来る暗雲との競争になる。まだ大丈夫だと何度も言いながらである。少し霧雨のような感じで顔にあたったが、車に乗るまで大丈夫だった。第二休憩所から第一休憩所の登山道は、雪が溶けてドロドロになっていた。それでも、ヘッデンを点けなくて良かった。ワイパーを回しながら林道を降りた。
11/13 今日の朝方は、そうでもなかったのですが、時間の経過と共に、お天気が良くなり、「快晴」となったようです。お天気が良く、私は仕事となると、まことしやかに精神衛生上宜しくないのです。でも、明日のお天気も良さそうなので、五箇山の山(人形山)に登ろうと思っています。
でも、山の積雪は、中途半端だと思うので、スリップ、またドロドロを覚悟して出掛けなければならない。そして、鈍足の「山ノ神」と一緒なだけに、山頂に届かない事を覚悟していかなければならないのである。それか、ヘッデンを灯しての下山も充分考えておかなければならない。だから、早立ちを求めているのであるが、どうなる事やら・・・・。
11/12 良いのか悪いのか分からないが、忘年会が一つ決まった。(12月中旬) 山と違って出る事が無くなっていると、だんだんと面倒くさくなるというのか、出不精になっていく。これも老けてくる一つの要因だと思う。まだ、「休日は山に・・」 を貫いているから、良いようなものの、閉じ籠もらないようにしなければと思っている。
寒いと言いながら、雪恋しい気持ちでいる。但し、山の雪である。難しい事は出来ないが、お天気が良ければ、こんな気持ち良く楽しい事はない。自分の行けるところを、日帰りで楽しめば良いのだが、やっぱり、夕日が沈むところや、朝日が昇るところを、じっくり楽しみたいのである。
この2年間は単独行である故に、やっぱり寒い。そして、食事をしたり、お酒を飲んでも、一人だと面白くはない。そして、夜は長いのである。「もっと暖かいシュラフが欲しい。」 「断熱のあるマットが欲しい。」 のであるが、欲張りの私は、荷を減らすどころか、増える傾向にある。
昨年は、テントに居酒屋の建設もした。食事は、その方が楽だからである。しかし、今年は雪洞にした。入口を食事処にしたから、寝室は汚れることはなかった。来年は、タープで覆った居酒屋の奥を拡張してみたらどうかと考えている。ベンチから滑り落ちないほどのものにしないといけないが・・・ 最終的には、一日くらい寝なくても死なないと思っているが、楽しくなくては何の登山かになってしまう。それまで、まだ、たくさん時間がある
11/11 この寒さ この気温では、高所(1,000m超)では、雪になるかもしれない。たっぷり降る雪量なら良いのであるが、中途半端は、登山道に草木が覆いかぶさり歩き難い。少量なら、グチャクチャになり、これまた厄介である。晩秋から初冬に掛けての山歩きは、意外に難しいのである。
夜明けが遅く、日没が早ければ、行動時間にも制約(限り)が生じ、余程の健脚以外、おいそれと何処へも行けない。私ほどの年齢になると、何も焦る事などなく、天候に合わせ、そして、屋根のあるところ(避難小屋など)に行く事が多くなる。
それもまた楽しく、その時々に、お会いした方々との談話、また情報などを得る事が出来る貴重な場になる時がある。誰とも出会わなければ、静かな山を堪能すれば良いだけの事。山の中に、どれだけおれるかも、山好きの尺度になるような気がするがどうでしょう?
11/10 「寒い。」 平年並みなのかもしれないが、ここ2~3日、暖かい日が続いたので身に滲みるのかもしれない。11月中旬を過ぎると、お天気の悪い日が多くなり、陽が短くなって来るので、行く山の選択に苦慮する。人形山や金剛堂山、また天蓋山が精一杯となって来る。
以前は、「勤労感謝の日」前後に、雨飾山に出掛けていた事がある。結構車の事で苦労していた。そして、10年くらい記録を遡ってみると、それなりに行っているのであるからびっくりである。中国地方の那岐山・氷ノ山・扇ノ山、関東の筑波山・八溝山、京都・滋賀の愛宕山・比叡山、箱根から伊豆の愛鷹山・金時山・天城山等などである。
どうしてもなら、それなりに行くのだろうが、やっぱり億劫になって来る。陽が短い。雨の夜の運転など、気を削ぐ事が多くなって来る。ならば、安全を考慮し、近間の低山に甘んじようと思っている。
11/9 東京に住む友人が亡くなった。10年ほど前に会った時、奥さんの調子が悪く、2日も家を空けられないと話していたのに、自分の方が先に逝ってしまった。連絡は、広島に住む娘さんからのハガキで、亡くなってから2ヶ月半ほど経っている。もしかしたら、奥さんが健在でないのかもしれない。
彼は中学の同級生で、Gグループの一員でもあった。その同じグループのT君も一ヶ月くらい前、お悔やみ欄で 「葬儀が終了しました。」 の記述を見た。友人知人がいなくなっていくのは、とても悲しいし残念である。 ” 何故そんなに急いで逝ってしまうのだ。” 140歳まで生きるのだと言っている私からみれば、半分で逝ってしまうのだから・・・ そういえば、高校山岳部メンバーでも、8人中4人が亡くなってしまっている。
11/8 急遽。黒菱山に変更する。ラッシュに引っ掛かり林道入口は午前8時となる。小水力発電工事のために作業小屋が建てられれいる。その中の看板に、「登山者や釣り人は遠慮して欲しいと記されていた。」 しかし、前日(日曜日)に登られていた方の投稿を見ていただけに、平日はダメなのかと思いながら歩き始めてしまった。
本工事のところにおられた方に伺うと、元請けの会社が、登山を認めているとの事で安堵して歩く事にした。長い林道歩きである。(約1時間半) 今回6回目であるが、6年前の7月に一度だけ、この林道を歩いた事があったが、後は大地からの縦走であったり、大平集落・焼山からの縦走など雪山ばかりであった。
林道終点からは沢を渡り急登が始まる。しかし、その取付きを間違い、登山口の看板の下から登ったばっかりに、「山ノ神」が怯んでしまった。また、霜が溶けたからか、落葉が濡れており滑るのであった。そんなのが、標高差にして100mくらい続く。「山ノ神」は不安がいっぱいで、帰り(下山)は、どうするのかと思ったに違いない。
疲労困憊の「山ノ神」の足取りは重い。今にも止めるのかと思ったが、最後まで登り切った。その甲斐があり、山頂には大展望が待っててくれた。富山湾や能登半島は元より、劔岳や毛勝の山々、駒ヶ岳や僧ヶ岳、犬ヶ岳や白鳥山などの栂海新道の山々、白く雪を被った白馬岳などの後立山の山々。でも、大地山からの初雪山の稜線には、また違った思いを感じた。南保富士や焼山・大鷲山にも、来春の希望を掻き立てられた。
降りるのに自信がないから、飲まないのかと思ったのに、「この絶景を眺めながら、飲まない選択はない。」 などと、ステーキ?を焼きながら美味しそうに飲んでいた。すぐに1時間余の時間が経ってしまった。不安がいっぱいの「山ノ神」に、「ちゃんと降ろしてやる。」 と言って安心させたのであるが、相変わらず歩くのは遅い。
でも、濡れた落葉が大方乾いて来ていて、かなり滑る不安が薄らだ。遅いと言いながら、予定の時間で降りるの事が出来た。そして、またまた長い林道歩きである。それは良いのであるが、「むかご」採りには参った。それでも、暗くならない内に、車に戻る事が出来たのである。
11/7 ゆっくり歩いた。といっても「山ノ神」に合わせたというのが本当のところ。昼食やコーヒーブレクを合わせて、山中に7時間半いた事になる。 (コーヒーを、4杯頂いた事になる。) 一昨日の、あの痛み・症状はなんだったのだろうか? それでも、今まで通り歩けたのだから最高の喜びである。
期待していなかった紅葉は、それなりにであった。まっちゃん・soraさん・しばたんさんにお声を掛けて頂いた。(もう、今日から山の友達である。) ナメコは、やっぱり採れなかった。しかし、ナメコもどきの収穫あり。(また食べさせられる? 苦笑)
11/6 大丈夫のような気がする。特別な痛みはない。明日はお天気だし、高頭山を歩いてみたい。いつもの通り、送水管の何処かでコーヒーブレイクし、ゆっくり登るつもり。展望があまり良くない高頭山であるが、気持ちの良いブナ林を歩いて来たい。以前は、たくさんナメコを採ったのであるが、今は、そのような事はなくなった。
11/5 前日あれだけの事を記したのに、今朝は身体に異変が生じてしまった。トイレに行こうと起き上がった時に何か可笑しいと思った。階段を降りようとしたが、手すりに繋がらなくては降りれなかった。足が躓く、引き摺る。「どうしたのか?これで山は終わりか?」 と思ってしまった。
階段を登ろうとしても、右足に力が入らない状態であった。手すりを使って、ようやく登る事が出来た。布団を片付けようとしても、やっとかっとであった。「どうしたもんだ。」 「山がダメになる。」 ばかりが脳裏を駆け回る。よくよく観察すると、右臀部に痛みがあった。「何とかせねば・・」 である。
今朝は、風呂掃除をする段取りであったが、屈まなければいけないので延期にし、お湯に浸かる事にした。そして、いつものように簡単なストレッチをやった。出来るのである。「山がダメになる。」 「何とかしなければ・・」 ばかりで焦っていた。私の一番嫌っているのは脳梗塞であるが、それではないようである。
まだ寝ていた「山ノ神」のところへ行って、その症状を伝え、「もしかしたら、山ダメかもしれない。」 と言ったが、「山ノ神」は飛び起きる気配もなかった。仕事の準備、朝食を終えて、4時間ほど経った頃に、身体の違和感が薄らいだ。「良かった。」 であるが、これが歳だという事なのかもしれない。 そんなに腰は痛くはないのであるが、もしかしたら関係があるやもしれない。何処かの血管が詰まりかけているのかもしれない。
原因は何かと、いろいろ考えてみたが、それほどの事はない。3日間連日の山行であったが、特別ハードでもない。運転を2~3時間続けていて疲れたのか? ちょっと余計にアルコールが入ったかくらいである。「歳」 だけで片付けるのは、悔しいし悲しい。今度、何処が悪いのか歩いて調べてみたい。
11/4 先日の3連休は、特別の山旅をする事もなく終わった。お天気や私達の体力・気力、そして、環境及びムード(モチベーション)が揃わないと、思い切った事は出来ない。また、リスクを伴う事に背を向ける傾向にある。「若いって、いいな!」 を感じる時であり、思う時である。
” それでも歩けるじゃないか ” 、言われるかもしれないが、欲深い私は、まだ割り切れないままである。 ” 歳相応に ” と、” まだまだ ” とかが、交差するというのか、諦め切れないのである。どれだけ訓練しても元に戻れないし、現状維持も難しい。でも、山への憧れは些かも変わらない。
「大地行けなくなったら山は止める。」 の心境も変わらない。誰も付き合ってくれなくなっても、「自分のペースで行けばいい。」 の思いがまだある。来春も、大地や金剛堂山で雪中キャンプのつもりでいる。 ” 誰もいないところで、何が面白いのか? ” ” バカじゃなかろうか? ” は、かえって、私に勇気を与えてくれる。これしか自慢する事がないからかも・・
11/3 戸倉山に登り始めて、どれだけの時間が経ってからであろうか、「山ノ神」の大事な荷物を忘れて来た事を思い出した。「もしかしたら・・」 と 「山ノ神」 に告げると、「えぇ~」 となり、黙り込んでしまった。いつも担がされるのは分かっていたのであるが、登り始める時に、私のザックに入れれば良いと思っていたのがアダとなったてしまった。
山頂に着いてザックを開けれも出て来る筈がなく、「山ノ神」 のがっかりした顔が忘れられない。仕方なくカップ麺を食べる羽目になってしまった。最も、自分の大事な物は自分が担げば良いのに・・・ と言うものの、「山ノ神」は、山頂で冷たいビールを飲むために山登りを続けているところもある。雨が降ろうが、雪が降ろうがである。
担げないから(遅くなるから)、私が担いでいる。そして、私が運転手だから飲まない。普通なら、ダンナが飲んで、帰りに女房が運転するパターンが多い。なのにである。我が家では、このパターンが定着してしまった。車に戻って、バックを開けてみたら2本も入っていた。当然の如く、車の中で飲むのであるが、「私は、車の中で飲んで美味しいのか?」 と、いつも通り、呆れながら問うてしまった。
11/2 雨飾山へと言ったからか、やっぱり 「山ノ神」は起きて来なかった。一人で出掛けても良かったが、後々の事が怖くて踏ん切れなかった。(苦笑) 起きるのを待ったが、なかなかであったので、仕方なく起こしに行った次第。「戸倉山にしよう。」
戸倉山へは、まだ出掛けた事がなかったが、低山だけど、春や秋が良いと聞いていたからである。8号線を走らせたが、ラッシュになるし、雨が降り出したりした。でも、「晴れる!」 と思いながら、戻る事などしなかった。黒部・入善バイバスに入ってから、雨が収まった感じであったが雲は厚かった。
糸魚川シーサイドバレーの奥だとは聞いていたが、登山口に行くまで、ちょっと心配であった。それもそのはず、下調べをして来なかったからである。それでも整備され迷うことなどなかった。噂通りの紅葉を期待していた。高所は終わりかけの感があったが、黄が多く素晴らしかった。(光(陽)が当たれば、もっと良かったに違いない。)
たくさんの写真を撮った。私だけでも、スマホ・デジカメで180枚撮った。(でも、悲しいかな!私のカメラではキレイに撮れていない。陽が出ておれば、少しは何とかなるのだが・・) でも、最後の最後に、雪を纏った雨飾山が、ちょっぴり顔を出してくれた。白池からも望む事が出来た。
11/1 「二日前の中山は素晴らしかった。」 という投稿に感化されたのかもしれないが中山に足を運んだ。準備していると、池田氏とマキちゃんがやって来た。約束していたわけでもなく、全くの偶然であった。開口一番 「陽はないけど、最高だね!」 と、今秋の紅葉に満足していない様が感じられたのである。
熟年パワーを炸裂する池田氏の歩きに、当然の如く「山ノ神」は付いていけない。それでも、同氏とマキちゃんは、ところどころで待機してくれていた。疲れると、「キノコはないか?」 とか、カメラを出して、ごまかそうとする作戦は、もうミエミエである。しかし、歳を重ねると、何かしら分かるのである。
山頂では、「好山病?・・」 「山の会ハレルヤ?」 のどちらでもないパーティーだったが、何もかもを知り尽くしたメンバーだけに、落ち着いた語らいに終始した。その後に、やって来られた立山町の女性2人とも、和気藹々となる山の話に笑いを交えて、にこやかに過ごせた。
世の中とはおかしなもので、登山口でお会いした、池田氏とマキちゃん、今度は、朝日町の折谷夫妻が、山頂にやって来られたのであるから魂消てしまった。お互いビックリ以外の言葉が浮かばなかった。そして、一緒に東小糸谷に降りた。これがまた良かった。なかなか良い写真に出来なかったが、何度も何度も足を止めてシャッターを切った。素晴らしい一日であった、