5/31 些細な事で諍いが起こる。ほんのちょとの事なのである。大概「そんな言い方をしなくても・・」が、どちらからともなく発せられる。 冷静になれば何ともない事が多い。「恥ずかしい事である。」「まだまだ修行が足らない。」

 殆どが欲から生まれるのであって、「もうちょっと・・何とか」である。でも、時々は、相手がいるから喧嘩が出来る。 「寝たきりや酷い認知症になったら・・」自分もそうであるが、相方がなったら、それこそ山にも行けなくなる。

 「もうちょっと・・」なんて小さい事のようだ。そう悟るのであるが、すぐに忘れてしまう。仏さんのようにはいかない。 まだまだ修行が足らないのだから、あちらの世界から、お呼びがないのかもしれない。ずっと、そうでありたい。



5/30 昨日の「山ノ神」の疲れを鑑み、今日は簡単な山として袴腰山にした。それを「山ノ神」に伝えると、またまた「え~っ」と、可笑しな返事である。 「ならば何処が良い!」と尋ねると返事はない。最も、あの脚力からして、あの時間からでは、何処でもというわけにいかない。

 平スキー場の下を通り、細尾トンネル抜け4キロくらいに登山口がある。私としては4年ぶりのような気がする。 なかなか行く機会がなく、ようやく10回以上登った山の仲間に入った。(私の勝手なランキングの59座目になる。)

 登山口から約1時間で登れる山であるが、ずっと急登が続く。これが「山ノ神」にしてみればイヤだったのかもしれない。  しかし、今回は残雪期ではなく、ずっとお天気が続いて事もあり、泥濘がなく快適に歩けた。でも、、「山ノ神」にしてみれば、今日も、アップアップであったに違いない。

 もう少しでなだらかな山頂に達する頃、後続のペアパーティーに抜かれた。「間違ったらゴメン!元さんでは?」と声を掛けてもらった。石川のqoo氏である。 なかなか名前もお顔も覚えられない事もあり、写真を撮らせてもらった。同氏には、山が面白くてしょうがない雰囲気が漂っていた。そして、三方山に行かれるお二人を見送った。

 もしかしたらの山菜は、殆どなく残念であったが、始末をしなくて良いと思えば、また楽しからずや!である。帰りは反対方向の菅沼に抜けてみた。こちらは舗装道路であった。



5/29 人形山林道のワラビが気になるという「山ノ神」。私は、もうそんな所に無いと言うが、それでも行きたいと言う。ならば、私を山頂に行かせてくれるなら、 行っても良いと合意に至った。そんなんでも、やっぱり家を出るのが遅れた。私の気持ちは、歩くのが遅いから、早く家を出なければなのだが、なかなかその思いは伝わらない。

 登山口で、 グルート氏とバッタリ。高岡ハイキングクラブの方々に声を掛けてもらったが、頭の悪い私は、誰が誰かよくわからない。 途中で福井の小林さん御一行にお目にかかりました。稜線で金沢の喜多さんとゆーちゃんと擦れ違いました。 何故かひょんな事で、高岡の若者・高長君と一緒になりましたが、相変わらず「山ノ神」は、何か重い物を担いでいるのかと思うほど、ピッチが上がりません。

 いつ辞める、と言うかと、ヒヤヒヤしながらの歩きでした。宮屋敷跡に着くまで、やがて3時間強。でも、「12時まで歩く。」と言ったので先を一緒に進んだ。 梯子坂の雪渓をこなしたのだから、大丈夫だと思ったから、稜線(三ヶ辻山との分岐)で待ったが、なかなか「山ノ神」は、やって来なかった。仕方がないので お湯を沸かした。

 ヨレヨレに登って来た「山ノ神」の開口一番、「迎えに来るかと思った(荷物を取りに来てくれるかと思った)」であったが、怒るよりも、あの状況(雰囲気)から、 よく登って来たと思わずにはおれなかった。もちろん、「山ノ神」は、これで終わりである。この分岐で、食事をするのであるから、先に述べた方々が、 我々の前を通り過ぎて行かれるのは当たり前。

 福井の方々に美味しい物を、第1休憩所で頂いた事もあり、その御礼方々人形山頂に出向いたのであるが、尚更のように歓待?を受けた。山は実に楽しいし嬉しい。 それには理屈は無い。分岐に戻ったら、あの高長君がいた。(山の経験はそれほどでもないが、昨日は、金剛堂山に登ったらしいし、早月尾根を短時間で登ってしまうらしい。) そこへ、人形山と三ヶ辻山に登って来たグルート氏がやって来た。

 その後は、何故か、顔見知りのグルート氏と、元気いっぱいの高長君が、我々と行動を一緒して下さった。いっぱいお話をさせてもらった。実に楽しかった。 宮屋敷跡に戻って、コーヒタイムとした。そこへ福井の小林御一行も一緒になった。僅かな時間であったけけれど、ハッピーとかいうしかない。 4人には、最後まで一緒して頂いた。「山ノ神」のワラビ採りにもご協力頂いた。残念なのは、高長君との写真を撮ったはずなのが無いのである。



5/28 九州へ行くの行かないので慌てふためいている。その間、各所から、いろいろとお誘いを受けたが、今一つ、乗り気になれなかった。改めて予報を覗いてみると。 私からみれば、上方修正されてきた。「何だ! 予報なんてあるから悩まされるんだ!」今は、そんな心境である。今からでも、決行すれば良いかもしれないほどである。

 しかし、何もかも順延の手法を取ってしまったから、1週間遅れの遠征に切り替えるしかない。後は、天に任せる事にする。明日は、「山ノ神」希望の山に行く。



5/27 九州遠征を止めた。1週間延ばす予定であるが、先の事は分からない。何もかもお天気次第である。最悪1年延ばす事もあるし、違った所へもあるかもしれない。 予約事項は無かったものの、新聞を止める手続きを解除しなければならないし、お客様に伝えてあった事の変更をしなければならなくなった。人生と同じでいろいろあります。



5/26 せっかく九州に行くのだから、やっぱり晴れた方が良いに決まっている。雨の日は、「山ノ神」と一緒するのは辛い。1週間先延ばしにしたいと 「山ノ神」に提案し検討中。結果論だけど一週間前なら良かったのに・・・



5/25 九州遠征は完全に雨予報である。出掛けてしまえば、それまでなのだが、スタート前だけに悩んでいる。10日間で晴れマークがない。あっても傘マークがくっついている。 そしてまた、50mm前後の雨量の日が2日間もある。1週間延ばそうか? 幸い宿・キャンプ場・フェリーなど予約したものはない。



5/24 「休日は山に・・」を、ほぼ遂行している私でも、「何で登るんだ!」とか、「何のために歩いているのだ!」と思う事は何度もある。 「もっと楽しい事があるのに・・」とは、思わないが、「何でこんなに辛いのに・・」は結構ある。それでも私は歩く。

 「元気で痛いから・・」「元気で長生きしたいから・・」かもしれないが。本当は、「山が好きだから・・」だと思っている。 「誰よりも私の方が山が好き!」とは言い切れないにしても、充分に、山に浸っているのは間違いないところ。

 あれもこれもとはいかないにしても、雨の日も、風の日も、どうかしたら、台風の日も、用事があってもであるから、飽きられてしまっている。 でも、このような事を、何十年もやっていると、周りから仕方がないとか、また、その雰囲気を作ってもらえるのであるから人生とは面白いものである。

 最近は、週1で、仕事前に地元の二上山を歩いている。これで週3になるから、体調は万全である。とは言え、ずっと疲れたまま。(笑) でも実に楽しい。 歩けなくなったら、すぐに死んでしまうかもしれない。私の目標は本当に欲深い。140歳まで生きる。そして、80歳になっても雪中キャンプをするのだから・・・  そう簡単にくたばるわけにはいかない。

 近間の山にしか行けてない私であり、名山も5割、6割、そして、7割くらい登れればいいと思っていたが、来週から九州遠征の機会を得る事が出来た。でも雨なのである。



5/23 「山ノ神」と意見は分かれたが、とりあえず鳥越峠まで車を入れた。昨夜の雨で泥濘が懸念されたが、意外とその点は大丈夫だった。この峠にやって来るという事は、 大辻山と高峰山が視野に入っているのだが・・・

 「山ノ神」の体型が、だんだんと崩れていってる。それと共に、体力が失われていっているようだ。なるべく機嫌を損なわないように、ゆっくり歩き、そして、 イヤな?事を言わないようにしているのであるが、夫婦というものは、本当に上手くいかない。

 ケガをしたら元も子もないが、それにしても遅い。それでも、今日も大辻山頂に立てた。剱岳は見えなかったが、それでも、それなりの眺望があった。新緑が綺麗であるが、 虫が出始めている。仕方がないのであるが、そんな事を思うと虫のいない雪山がいい。

 今回、76回目となったが、金剛堂山や千石城山・八乙女山・小佐波御前山などと共に、100回を目指す事が出来る山となってきている。今度は高峰山かと思っていたら、 「行かない。」と「山ノ神」は言う。仕方がないので私の単独行となった。往復1時間は掛からないから・・・待たせたら可愛そうと思って駆け登ったのであるが、 その待ち時間の間に、ビールを飲んでいたとか、山頂でも飲んでいたではないか!



5/22 キャンプ用の大きなザックを担いだ。何か採れるかもしれないとの思惑があるからである。相変わらず林道歩きは長い。猿越ダムまで、たっぷり1時間は掛かる。 ダムから登山口までは崩落が激しく、注意して歩かなければならない。しかも、一部は川のような所もある。以前は、その登山口まで、車を乗り入れる事が出来たのであるが、 もう随分前の事になる。

 登山道に入れば歩きやすい。ウドに目線をやるのだが、細いものや採られてしまった物ばかり。でも、新緑がそんな獲物?より魅力的。(ウソ) 一ヶ所だけ沢を渡る所がある。 雪が残ってた。倒木もあった。雪上の小枝を踏んで乗り越えようとしたら、斜面から朽ちた倒木が滑り落ちて来た。長さ5m、直径50cmくらいはあったろうか? 私は必死に避けたが、山菜用に肩にかけていた布袋が引っ掛かって私も倒れた。しかし、紐が千切れたので難を逃れたが、腕に少々傷が付いた。 誰もいない静かな山であるが、このような時に出くわすと、ちょっぴり心細くなる。

 残雪が登山道を遮っている所が数か所あった。よく見ると、登山道を見付ける事が出来るから問題はない。それでも、山頂直下の雪渓には、ピッケルを使った。  山頂で食事をしていると、栃谷側から登って来られた山下夫妻と松原氏とお会いした。そうなると、必ずサブちゃんの話が出る。先を急がれるお三方と記念写真を撮り分かれる。

 大長谷側(八尾側)の稜線上のコシアブラはまだ早かった。でも、もう少し下がれば、我家の食卓を賑わすくらいには充分な収穫出来た。登山口に戻った頃、 山菜採りの男性にウドの話をすると、私の見付けた何倍もの太さのウドを3本も頂いた。ハッピーだった。

 

5/21 「山ノ神は、友達と約束が有り明日は休業。その「山ノ神」が、明後日(月曜日)は、大長谷散策を希望していたが、行かないと言うので、 明日は、大長谷側(八尾側)から金剛堂山に行く事にした。「あんた 好きやね!」と言われそう。



5/20 今朝は、週1の二上山に行って来ました。ちょっと出遅れたので、二上山頂と城山まで。「山ノ神」も一緒。ゆっくり歩いたつもりだったけど、yampでは、速いと記された。 (ちょっと可笑しい。) (笑)
 今度の日曜日は、「山ノ神」が休業。したがって私の単独行。何処へ行こうか? それはそれで思案!



5/19 私は、時折、自分のHPを振り返りながら、当時の事を思い出している。もちろん、その記憶は定かでない事もある。以前は、随分マメに記録していたようだが、 いつの間にか、ズボラになってしまってる。デジカが登場する前は、きちんとアルバムに整理されている。しかし、デジカメの普及と共に、 フイルムカメラの写真は、菓子箱の中に眠ってしまった。

 デジカメ画像は、2,002年1月からあるが、バクアップを怠った2,013年2月から2,018年1月の物が、データー移行の際失っている。 私にしては、大事な時期の物で残念で仕方がない。でも、悔しがっても、どうしようもないので、以後気を付けるしかない。

 元気で長生きすれば、今の物だって、若い時の写真となるはず。一ヶ月に10回も山に出掛けるから、そんなに変わるものではないかもしれないが やっぱり半年でも容貌が変わっている。歳取って味があるなんて、” ウソのコッペ ” 遺影にするとは思わないが、元気な写真を数多く撮っておきたい。



5/18 先日の北ノ俣岳行きに関して、無理する事ないのになどと、思っておられた方があったと思うが、私に寄せられたメッセージは、意外にも、 勇気付けられるもの多かった。そして、「年取ってからでも行けるんだ!」「この時期にでも・・・」とか、夫婦の事もあった。

 私は、近年の「山ノ神」の歩きからして、山頂には届かないと思っていた。でも、北ノ俣岳だけは、「もしかしたら、この山なら行けるんじゃないか?」 との思いが、「山ノ神」から伝わって来ていた。残雪期に何度となく日帰りをしていたし、その残雪期に重荷を担いで、私と一緒にキャンプをしていたからである。

 体力的には到底及ばないと思っていても、もっと早くスタートすれば、何とかなるのではと思ったりもした。 また、これが最後になるかもしれないが、頭にあったからかもしれない。結果的にはダメだったかもしれないが、惨めとは思わなかった。

「今年で一番高い所まで来られた。」のである。日曜日なのに、すれ違った人は一人だけ。この時期やって来る登山者も少ないだけに、 この山域に来れただけでも、幸せなのかもしれないのである。

 私は、まだまだである。テン泊も出来る。しかし、先の事は分からない。でも、意欲は掻き立てている。その意欲こそ、大事だと思っている。

 

5/17 一昨日の北ノ俣岳は、山頂にこそ届かなかったが、私の記録には立派に行って来た事にした。その北ノ俣岳で、ツエルトを張って食事をした2,300m付近で 雪が舞った。早朝林道で車を止めた時の気温4℃だった。だから、高度を上げた雪上は、アイゼンが小気味よく刺さった。

 昨日は、縄ヶ池の水芭蕉が可愛かった。高清水山には、予想していた所に雪が残っていた。高落場山のブナの新緑に癒やされた。 遥々やって来てくれた宮ちゃんと、たくさんお話が出来た。さかなちゃんとの再会は今月3回目であった。(一年分になるかも 笑) とにかくこの2日間は、たくさん歩いた。「休日は山に・・・」そのものであった。



5/16 5/2に荒島岳へ行ったお返しでもないが、福井の宮ちゃんから、「今度の月曜日何処へ行くの?」との問い合わせがあった。北ノ俣岳の次の日だった事から、 縄ヶ池・高清水山・高落場山方面に行こうと思っている。」と伝えていたら、「何処へでも行く。」と言う返事が来ていた。「大した所でないよ。」と言ったのであるが、 「元とさん達と一緒だと気楽だから・・ 楽しいから・・」と言ってくれるのだから、こんなに嬉しい事はない。

 砺波IC付近のコンビニで待ち合わせ縄ヶ池に向かった。「見頃は、終わりかけだよね!」とか「まだまだ、これからのものもあるよ!」などと言いながら、 急な尾根に取り付き高清水山に向かった。宮ちゃんは、お花に詳しく、まだ花が咲かないものまで、その花の名を言うのであるから凄いというしかない。

 高清水山に着いても、「地図上の最高点は何処だ。」なんて、薮中に入って行ってしまう。「標識のある山頂と高さは変わらないよ。」と私は濁したが、実際は変わらないと思う。 林道を歩いて高落場山に言ったのであるが、ブナ林に「キレイ・きれい・綺麗」の連発であったから、気に入ってもらった気がする。

 山頂で1時間余り談笑し、美味しい物を食した。「雪の時もいいよ! キャンプもいいよ!」「今なら、まだ私が荷を担ぐ事が出来る」とも付け加えておいた。 ずっと、ブナの緑の中を歩いていたから、目が良くなった気がしたが気のせいだろう。

 車を止めた縄ヶ池の駐車場まで林道歩きであるが、これまた話をしながら、 ちょっぴり山菜にい肖った。駐車場で、またまたコーヒータイムとしていたら、さかなちゃんがお母様と一緒に、声を掛けてくれた。 先週、戸倉山でもすれ違いざまにお会いしたが、その先の大熊山のガビゴン様御一行に加わっておられた時も、お目にかかっている。 次は何処で・・・  楽しみになってきた。



5/15 雪は少ないように思えた。林道のデブリも小さかったし、登山口から1時間は殆ど雪を見なかった。しかし、その後は厄介だった。所々の雪が硬かった。 キックステップが効かないしストックも刺さらない。そうなると、アイゼンを装着しないといけない。地べたも、そのままである。

 「今日は、調子が良いんじゃない。」と言ったほど、いつもと比べれば、「山ノ神」は別人のようであった。しかし、やっぱし3時間を過ぎると、 「食べない人」「食べれない人」は、急激に失速してしまう。雪に覆われたシラビソの間を縫うように歩いている時である。

 それでも、寺地山着が午前10時頃であったから、まだ望みを捨て切れないでいた。避難小屋への分岐も、11時頃であったから、頑張れば何とかなるように 思っていた。しかし、本格的に雪面を登り始めてから、極端に「山ノ神」の足が止まってしまった。そして、攣り始めたのである。

 それでも、「山ノ神」は、山頂まではダメでも、稜線に出て、向こう側の景色を見たいという願望をもっていた。2,300mを超えた所で、「山ノ神」を待った。 いつもなら、私だけに山頂行きを勧め、自分は待機する。と言うのであるが、今日は、この時点で言ったのだから、とても残り300mを、駆け足で行ったとしても、 後の事を思うと私は断った。「山ノ神」は、先に降り始めると言ったが、視界こそ良かったが、自分達の歩いて来た軌跡さえ分からないところが多く、それはダメあと決断し、 ツエルトを張って食事をする事にした。

 午後1時半頃下山開始したが、思い通りにはいかない。段々と予定時間が遅れていく。そして、3回ほど、ルートファインディングに時間を費やしてしまった。 日曜日といっても、登山者はなく、テン泊で黒部五郎岳から降りてきた人だけとすれ違ったのであるから、山は甘くはなかった。 そんな事もあり、登山口に着いたのが午後7時頃。。それから、車まで歩かなければいけなかった。北ノ俣岳は遠かった。自宅到着は午後10時であった。



5/14 明日は、山頂に届くかどうか分からないが、北ノ俣岳に行く事にした。いろいろあったが、結果的に「山ノ神」と二人になった。それはそれで良い事でもある。 今まで行けたところでも、これからは全て最後かもしれないつもりで登らなければならないような気がする。ましてや、二人となると本当にそうなるかもしれない。

 自分の事は棚に上げての話しであるが、「二人で150歳まで頑張ろう。」といっているが、そう容易いものではない。だからこそ意義がある。 そんなのだから、何とか山頂に立ちたいものだ。他に万全の準備もしているのはもちろんである。



5/13 今度の日・月は晴れの予報になった。あまり良くないと思っていただけに、かえって困惑している。行きたいところを、日曜日にしようか月曜日にしようかである。 そして、「山ノ神」に合わせるかどうかでもある。これから、こういう事が何度となく出て来ると思うが、一人で生きていけないだけに調和も必要である。



5/12 大雨とか梅雨という文言が聞かれるようになって来た。と言っても、毎日が雨ばかりでなく、降っても、ずっと降り続くわけでもない。 でも、出掛けようと思っている時に、雨だと士気が落ちてしまいそうになる。でも、嘆いていても仕方がないので、そのような時でも、楽しめる事を考えなければなるまい。

 雨は強弱が伴うし、止む時もある。屋根があるところだと、休憩が出来るし食事も出来る。そのような時の行程は短し、ツエルトやタープを張る事もなかろう。 私は、少しでも泥濘少ない山に行く事にしている。
 いつの間にか、白木峰や白鳥山が、雨のレパートリーから外れてしまった。その理由は、わざわざ遠くに行かなくてもいいだろうだ。 だからどうしても、八乙女山や小佐波御前山になってしまう。でも、始めから何か目的があれば、その限りではない。



5/11 4月中旬、人形山でお会いした茨城の ”ともとも氏 ” から、「元気だけど、歩き過ぎ」のメッセージをもらった。きっと歳の割にはの意味合いがあるものと思われるが、 彼の方が、名山歩きに、大丈夫なのだろうかと思うほど精力的に登っている。最も、私とは親子ほど歳の差がある若者だから、何の心配もいらないのだが・・・。

 今朝、仕事前に、週1の二上山を歩いて来た。鉢伏山に城山を加えた。荷は担いていないが、起きたなりは、身体が鈍っているから、歩きは遅い。 それでも2時間は掛からない。今日は4時起きだから、帰ってから、お風呂に入って、片付けや食事をしても余裕があった。



5/10 山菜採りの後は、その始末に手が掛かる。そして、やっぱり喜んでくれる人に届けたり、遠方の方に送ったりする。汚れを取ったり、選別したりも大変であるが、 その後の料理は、なお大変である。山菜採りの楽しみは、もしかしたら、食べる事より、採る楽しみの方が上回るかもしれない。

 また、本当かどうかは分からないが、知人の奥様が、軽い糖尿病らしい。定期検診で血糖値が随分と下がったらしく、医師が驚いて、「何かやっているのか?」 と尋ねられたので、 「今は、山菜を食している。」と答えたら、これまた首を傾げられたようだ。

 発がん性云々と言われた事があったし、通じが良くなったと言う話を聞いたこともある。何がどうか分からないが、 「採るのに歩く。」「いい空気を吸う。」は、明らかにプラス材料。 私の場合(私の体調)は、頗る快調。食べ過ぎるから歩いて消化。その循環サイクルが機能していると考えてもいいのかもしれない。

 

5/9 休日2日目の行き先に思案する。前日の疲れから、なるべく歩かなくてもよいような山行きを望む「山ノ神」。出来れば山菜採りをしたいのである。 2日間の内の一日だけ、希望通りにしてやりたいと思っているが、昨日の金剛堂山は、私の好きな山に分類されているようだ。

 牛岳・白木峰を提案してみたが、「うん」と首を縦に降らなかった。ちょっと、口を滑らせてしまったのが、糸魚川の戸倉山。 それを聞き逃すはずがない。長く車に乗っているのは苦痛ではないどころか、それが好きなのだから困ったものだ。居眠り付きに、 帰りは、ビール付きになるかもしれないのだから?

 私は、山であれば、どこでも良いとは思っていないが、今回は仕方がない。でも、予報では、ちょっぴり降るかもしれない模様なのだ。 そして、このところの私は、寝不足が続いており、案の定、すぐに睡魔に襲われ、何回も車を止めなければならなかった。

 1000mにも満たない戸倉山であるが、人気の山である事は、最近気付いた。昨秋の紅葉時に出掛けてみたが、一年中楽しめる山に思えていた。  山に登らず、白池散策やキャンプも有りのようだ。冬季の駐車場まであるから、真冬も対象の山なのかもしれない。

 普通に登れば、1時間半程度で登れるのであるが、個人差はあり何とも言えない。山菜がなければ、ハーハーと言って止まってしまう「山ノ神」。じっと我慢するしかない。 角間池から山頂に向かう頃、さかなちゃんとお連れのなみさんと出遭った。今年は、何回となく山中でお会いする。「いつか一緒しましょう。」などと言ってみたが、 「こんな年寄と一緒では面白くないよな!」と思ってしまった。でも、彼女達は明るく楽しい人達なんだ。

 その後、大降りではなかったが雨になった。そして寒くなった。山頂では写真を撮って、すぐに下山する事になったが、そのような状態では食事をする気にもならないだろう。 屋根のある白池まで我慢する事にしたが、その下山時に、コゴミが目に付き始めた。「伸びているね。」だったが、中に入るとそうでもなかった。

 採られているところもあったが、よくよく探せばたくさんあった。フキノトウも、それなりに採った。白池でカップ麺でなく、ラーメンを作って食べた。 濡れた身体には温かいものが美味しかった。でも、屋根だけで、風が吹き抜け寒かった。帰り道は林道を通ったが、全山コゴミ畑のように思えた。



5/8 未だグループの名はない。でも、(連絡網は、拘りの雪山山行) 今日は、「山ノ神」の参加で、30・40・50・60・70代が揃った。1時間半近く先行した 私達(「山ノ神」と私)であったが、山頂に届かない先に追い付かれてしまった。しかし、その後の猛者達は、私達に合わせてくれる優しさがある。

 雪ベンチ・テーブルを、中金剛を少し奥金剛側に降りた所に求めたが、雪が固く掘るのに一苦労。疲れた「山ノ神」を残して、4人で奥金剛まで行く。 のち、「山ノ神」の待つ小さく浅いシェルターモドキに着き会食となる。北アの名峰を眺めながら、ワイワイ楽しく頂いた。 持ち寄せられた食材に、感嘆の声が響いたのは紛れもない事実。

 下山時は、「コシアブラがないか?」などと、ちょっとばかし、時期としては早かったにも関わらず、執念が通じたのか、それとも冒険が奏功したのか その日の食材としては充分な量をゲット。最後は「楽しかったね!」の言葉を残して別れた。



5/7 明日の山行は、ギリギリまで決まらなかった。我家では、行き先の決定は、前日や当日の朝が常習化しているが、他のメンバーと一緒する時は、 そういうわけにはいかない。しかし、我家では、「山ノ神」の著しい意欲と体力の低下もあって、行き先の鍔迫り合いが激しかった。

 結論的には、明日は金剛堂山となったが、一緒してくれる仲間に申し訳なく、1時間ばかり先にスタートする事にしてもらった。 でも、皆との顔合わせは待ち遠しく、あれもこれもとザックに詰められていく。そんな「山ノ神」だが、後日の北ノ俣岳には執心があるのか、行かないとは言わない。 それどころか、何処から湧いた意欲なのか分からないが、過去の事を思ってなのかもしれない。でも、明日の金剛堂山の歩きを見て合否を決めたい。



5/6 週一の二上山に出掛けた。もちろん仕事前である。「山ノ神」のために始めたのであるが、当人は起こさなくてはダメなので、今日も、独りで出掛ける事にした。 同じところも飽きるので、二上山頂から鉢伏山に行く事にした。結構速く歩いても、全行程に1時間半を要した。一日一日 日の出が早くなっていく。 家を4時過ぎくらいに出ないと、日の出には間に合わなくなってきた。



5/5 お天気が続いている。仕事が忙しい時はそうでもないが、暇な時間が続くと、「う~ん・・・」となり、精神衛生上誠に良くない。終いには、「休めば良かったとなる。」  私は、そんな点からも、人間が出来ていないようである。あの世の閻魔さんも、「修行が足りないから、まだ来たらダメだ。」と押し返されるに違いない。

 それもそのはず、人生の折り返しから、まだ5年も経っていないのだから・・・。残りの人生65年を、如何に過ごすかに掛かっている。ケガや病気をしないで、 元気でいる事が必須であるが、「身体を動かす」だけでは覚束ないようである。メンテナンスなのだろうが、これはなかなか難しい。

 「動けなくなる。」→「食べれなくなる。」→「血圧が下がる。」 このパターンは、最悪のシナリオ。こんな事にならないように、私は歩き続けるつもり。 「彼処へも行きたい。」「あれも買いたい。」と、気持ちはいつも前向き。「もったいないから止めよう。」「先は短いから・・」は、自分で縮めているようなもの。



5/4 私の連休は終わった。(5/1~5/3) 初日こそ雨だったが、それなりの山行が出来たし、会いたいと思っていた方にも会えたし、まずまずだった。 あえて言えば、山菜がもう少し採れたら、もっと良かったのだろう。「山ノ神」は、自分の好きな事をしていたのに、もうちょっと緩い山に行きたかったに違いない。

 この先一ヶ月の予定が詰まって来ていて、恒例の大日岳や唐堀山には行けないような気がする。それでも、金剛堂山を始めとする山菜採り目当ての山行になるだろう。 しかし、あくまでも予定であって、お天気を考えると、消化出来ないのが通例である。でも、目的を外せば、私は、いつでも山に行ける。例え雨が降ってもである。



5/3 旅先から遅く帰って来た「山ノ神」は、大熊山へは行かないと言う。最も最近は、急登の山は行かない傾向である。標高差1,000mくらいなんだがね。 歩き始めると、グルート氏とハラミさんが、声を掛けて下さり一緒に歩く事になる。何でも、ガビゴン隊より先行し、コシアブラを採りながら登り、後で合流すると言っておられた。

 グルート氏とは、何度となくお会いしているのだが、一緒にコーヒーブレイクをした事がなく、ちょっと先を急いで、お湯を沸かし到着を待った。 山ではアルコールでもてなす事が難しいが、コーヒーでも、その種の事が充分伝わると私は思っている。

 昨日の荒島岳山頂で雪が舞ったが、大熊山は、その荒島岳より北に位置し、ちょっぴりだけど標高が高い。昨日の足跡に、数cmばかり積もっているのが確認出来た。 今日は、独り歩きだったから、山頂一番乗りであった。あの御方の頭は隠れていたが、絶景の疑う余地もなかった。

 私がベンチ・テーブルを造っている間に、続々と登って来られ賑やかになった。先のガビコン様御一行の中にも、何人もの知り合いの顔があった。 若い人達は元気でいい。実に楽しそうであった。 それでも、何人もの人達が、年寄の私に声を掛けてくれるのであるから嬉しい限りである。

 剱岳がベールを外した頃、「元さ~ん」と声が掛かった。美和子さんである。ピッケルもアイゼンを買って来て臨んだという。 もう しばらくして、一年に一度だけ、大熊山でお会いする織姫様が登場。(hitomiさん) 直近では、小白木峰から仁王山や早乙女岳で一緒しているので、 3年目となるが、ちょっと感激が薄らいだかもしれない。

 充分過ぎるくらい劔岳を眺め、コーヒーを頂き、焼いた餅を食べていたら、あんなに賑やかだった山頂には私達だけになってしまった。当初は、ピストンのつもりであったが、 コット谷に興味ある意見や、不安ありの意見・装備などの事あったが、先行するガビゴン様御一行のトレースに従えば、それほどの問題も起きないだろうと、 追い付かないかもしれない時間の経過があったが、快適そのものの歩きが出来た。それにしても、一ヶ月前の雰囲気の違いを、まざまざと感じてしまった。

 射水の堀田氏も加わった、俄作りのパーティー(4人)であったが、何の綻びもなく、そして、愉快に、また喜びを感じてもらった。 今日は、いろいろな方々とお喋りをさせて頂いたが、出しゃばらなかったか? とか、喋り過ぎではなかったろうか? などと、反省しきりです。 また、お目にかかった時は、なお一層宜しくお願いします。



5/2 福井の盟友宮ちゃんに会いに行ってきた。体調が思わしくないとの情報は違っていた。(良い時と悪い時があるとの事)宮ちゃんは、中出から勝原までの縦走を企画してくれた。 私にとっては、31年ぶりの荒島岳である。全然覚えていないから、言われるままであった。印象としては、ブナがキレイであった。 途中で声を掛けた真衣ちゃんが、かなり付き合ってくれた。

21歳というから初々しく、私達に元気をくれたような気がした。山頂では雪が舞った。泥濘んだ所が結構あった。  往路は8号線経由で高速を使わなかった。帰りは、勝山・白峰を経由して、金沢市内は, 外側環状線を使った。どちらにしても、最近は睡眠不足 途中2回も 休まないとおれなかった。



5/1 やっぱり雨。それも少し早まった感じであった。雨だから、特別のところへ行くわけでもないので、友達と旅行に行く「山ノ神」を駅まで送ってから、 小佐波御前山へ向かった。猿倉山直下の展望レストラン前の駐車場に一台の車が止まっていた。

 車から降りて来られて「元さ~ん」と声を掛けてもらった。YAMAPでお馴染みのマダオ氏であった。所用をこなすのに時間があったらしいが、私の歩く姿に、 じっとしておれなくなったようで、「ちょっとだけ・・」が、始めから最後まで付き合って頂いた。

 マダオ氏とは、2年ちょっと前、八乙女山でお会いしたのが最初であるが、その後の事は、あまりよく覚えていない。しかし、YAMAPにいろいろと登場されるので、 いつもお会いしている錯覚に陥っていた。それにしても、雨の中、私は大きな傘を差しているのに、マダオ氏は、雨具を着用しておられても、濡れた姿に申し訳なかった。

 そんな事より、男同士でありながら、行きも帰りも、ずっと喋りっ放しだった。コーヒータイムの小屋の中でもである。年寄りの喋りによく我慢をして聞いて下さった。 喜んで下さったなら嬉しいのですが・・・。ありがとう。