10/31 出遅れてしまったが、この時期最高の紅葉と思って出掛けた中山。それなりの紅葉には間違いないが、もっと良い紅葉を知っているからして、 「絶賛」とは言い切れなかった。しかし、快晴だけに山頂では、1時間余ゆっくり過ごした。

 今日は、いつものコースの反対まわりで小糸谷から登った。それが奏功したのか、キノコハンターの異名がある「信ちゃん」とお会いする事が出来た。 初めての出会いだけに、ちょっと緊張してしまった。(笑)

 馬場島を離れる時、テントを持参しなかった事を悔いた。こんなに良い天気だったし、私達は、この3連休に馬場島キャンプを計画していた事を 完全に忘れてしまっていたのである。 それは、前日の金剛堂山行きがあった事と、11/1は完全な雨と思っていたからであった。

 それでも可笑しな私達は、明日が雨予報なら、明朝雨が降らない内に早駆けをすれば良いと思い、また、その前日に現地入りして?一杯飲めば、 街に繰り出す事を思えば、どんなに良いかに至った。

 

10/30 初めから楽しかった。紅葉も素晴らしかった。(個人の感想です。笑)不参加になったメンバーに申し訳なかったが、本当に笑いっぱなしであった。 新たなメンバーが、その代わりをしてくれた事になった。マダオ氏の大鍋が、ザックに吊らされているのも、食事時のあのキノコ類も圧巻と言うしか無かった。

 私的には、他にも嬉しかった事が多かった。久しぶりにお会いした篠川先生、常連のサブちゃん、そしてまた、azusaさん達、最後に行動を共にした小野君など。  それよりも、あんな量のな鍋、食べ切れるのかと思っていたが、何とかなるもんだね。そして、女性軍から差し入れられたスイーツもである。  グルートさんのあの上品な牛肉は忘れられないだろう。

「また何処か一緒に・・」こうして、輪が広がって行く。静かな山も良いが、たまには、賑やかで楽しい山行も良い。 そして、白くなる山へ気持ちは、前のめりになっているのは確実である。



10/29 明日は晴れそう。晴れると信じています。今夏、白山に出掛けたメンバーで金剛堂山へ出掛けます。久しぶりの再会を、全員で楽しみたいと思っていたのですが、 なかなか思うようにならないものです。でも、またの機会に希望を託し、残されたメンバーで行ってきます。

 プラスメンバーが、どのように雰囲気を盛り上げてくれるかも興味あるところです。今回は、ゆっくり歩くのが条件の山行だけに、 手綱を如何に引けるかが、後々に掛かって来ると思われます。



10/28 いよいよPCの調子が悪くなってきた。半年前から、買い替えしなければと思いながら現在に至っている。 その遅れは、設定やデーターの移動などに不安があり、先延ばしになってしまっているのである。

 折しも、半導体不足などが影響しているのか、PCの値が上がっているし、売場も狭まったような気がする。 どうであれ、モタモタしていると、またデーターを失う事になりかねない。昨日も、写真のバックアップをしようと思ったら、 外付けHDDが、いっぱいになっていた。こんな時が危ない。



10/27 山に入れば「元さ~ん」と声を掛けてもらえる事が多い。そして、いろいろなお話が出来て頗る気分がよい。 しかし、家に戻ると、ろくろく会話にもならない。話になるのは、「山ノ神」の不得意分野になった時だけ。

 山に入ると楽しいから、自分でも生き生きしていると思う。楽しいのである。例え誰とも会わなくても、自然の中にる自分が好きなのである。 そしてまた、誰かとお話する機会が生まれるのであるから、波長があえば、こんなに楽しい事はない。

「この人は若くないんだよ!」などと、「山ノ神」から、冷めた文言が飛び出すが、最近は、自分の方から、年寄りだと公言していうから、 そんなに落ち込む事はない、それは、140歳の半分を、ちょっと過ぎたくらいであるから、まだまだと、へっちゃらの感覚である。

 しかし、元気がなくなったら、たぶん終わりだろう。そんな事は、重々承知している。だから、如何に元気かという事にある。 口では、いろいろ不都合を並べているが、まだまだである。若い人達から元気をもらって、長く山歩きを続けたい。



10/26 冬用のアンダーシャツを出してみたら、ボロボロであった。でも、まだ着れると思っている。私は、物持ちが良い方で、 使えなくなるまで使っている。しかし、ボロボロにも限度がある。タイツなどは、みえないところと言っても、片方に両足が入るようではいけない。

 山用具店に行くと、何でも欲しくなる。安全のためには、ちょこっと値が高いと言って、躊躇するようでは何をか言わんである。  欲しい物を手にしないで有事の時は後悔に至る。  と言っても、ユニクロ・100均・DIY・ ワークマンなどで、まかないきれるものもある。臨機応変という事かもしれない。

 今年は、 雪中キャンプが出来なかった。「継続」という事から勘案すると、一種の危機である。荷を軽くする事を考えなくてはならなくなって来ているのは事実。  水の持ち運びを、雪を溶かすに変える。アルコール類を少なくするかナシにする。寒さを我慢するも一つの方法。助っ人があれば、ある程度楽になるのだが・・・



10/25 先日の新聞紙上で、佐伯克美さんが、全日本マスターズ選手権に87歳え出場し、世界最高齢の女性クロスカントリースキーヤーとしてギネス記録に 認定されたという記述を拝見した。

 その記述の中に、「昨日と同じ今日はない。今日と同じ明日でありたいという思いで過ごしていく。」とあった。、流石だなと思った。 やはり、目標があるという事と、鍛錬かと認めつつ、旺盛な意欲ではないかとも思うのである。素晴らしい!



10/24 「降る確率が少ない。もしかしたら、晴れるかもしれない。」そんな願望も含めての天蓋山に行く事にした。最も「山ノ神」の好きな山としての 影響があるのは間違いない。と言っても、「起きろ!」と言うまで起きて来ないのであるから参る。

 晴れるような晴れない天蓋山。でも、降らなかった。1,300m越の紅葉は、すでに落葉。でも、この山は、ブナ林が良いから、陽さえ当たれば、赤・黃が良くなる。 今日は、真木女史・タバタ女史らに出会った。久しぶりであったが、元気でいると会えるのですね。

 流石に、山頂からの大展望とはいかなかったけれど、それなりの雰囲気を醸し出していた。天蓋山は晩秋、そのものであった。  帰りは山吹峠ではなく、神岡鉱山沈殿池方面を経由した。 



10/23 午前3時に起きたら、地面が濡れていて霧雨が降っていた。4時前になったら、雲間から星が出ていた。「行かねばならぬ!」と思った。 道中、降ったり止んだり、道路も濡れている所もあれば、乾いている所もあった。

 大猫山に行きたいと思って馬場島・ブナクラゲートに着いた頃、風雲急を告げるではないが、暗雲が真上にやって来て雨となった。まだ暗い時だけに、 気を削がれたというのか怯んでしまった。午後からの雨予報もあり、滑って転ぶより良いだろうである。

 明るくなるのを待って中山に登った。ガスで全く何も見えないのであるからピストンである。「中山」の登頂回数を稼ぐだけになってしまった。 まだ時間があるから、小佐波御前山に登ろうかと思ったが、結構、距離があり時間が掛かりそうであった。

 車を走らせていると、少し晴れ間が出て来て、千石城山が見えて来る。剱岳は見えないかもしれないが、何となく登りたくなってしまった。 こちらは、降らなかったような感じであった。多くの登山者とすれ違った。今日は、山頂で知り合いがいなかったので、コーヒを2杯も飲んで30分で退散しました。 その帰りに、土井夫妻にお目に掛かりハッピーでした。その後の報告では、剱岳を拝む事が出来たようである。



10/22 ギリギリまで迷ったが、今は星が出ている。それでも、明日の午後から雨になる予報である。こうなったら、明日の事は分からないので、 早駆けで大猫山に向かう事にする。(にした。)

 1,400m付近で終わるかもしれない。いや、1,500mまで行けるかもしれない。  いやいや、大猫平に行けるかもしれない。最終的には大猫山の山頂に立ちたいが、お天気と私の体力次第である。 出来ればお昼頃まで下山したいが、今の体力では、そうはいくまい。でも、ずっと、好きだった大猫山、やっぱり一年ぶりであるが行ってみたい。



10/21 まだ分からないが、日曜日の予報が怪しい。晴れなくても降らなければ、大猫山への気持ちは強い。でも、前日も、ちょっと降りそうだし、 当時の降水確率も、ちょっと怪しい。早い時間で歩けないし、濡れていると転ける心配が付き纏う。やっぱり、明日午後の予報をみてからの判断になる。



10/20 このところ、近間の低山が多く、代わり映えしないので、過去の山行写真をメーンページに載せる事が多くなっている。 それでも肝心な年代にバックアップを怠り、その画像がない。

 その事を嘆いても戻って来る事はない。少しでも若い時の画像は、貴重である事には代わりはないのであるが、 こうなれば、少しでも長生きして、あの5年間を僅かな期間にするしかない。

 それでも、悔やまれるのは仕方がない。ピチピチとシワシワのように、取り返しが利かないのである。だから、今が、明日より若いのであるから、 積極的に撮らなければ、きっと後悔するに決まっている。恥ずかしいなどと思わないで大いに乗っかろう。



10/19  山仲間から「白馬岳が真っ白です。土曜日に、赤谷山から見た時には、雪がなかったのに」とのLINEが入った。私は、すかさず「今日は、素晴らしいお天気です。 こんな時に仕事なんですから、全く精神衛生上良くないです。」との返事を送った。

 今日も明日もお天気が続くようなのに、フリーになる日曜日の予報は良くない。まだ日にちがあるから、何とも言えないが、大猫山が小佐波御前山になってしまうのは、 ちょっと辛い。しかし、最近の行いが良いので、予報のひっくり返しに望みを掛けたい。強者連の大猫山・猫又山周遊は、弱者になった今は、ついて行けないだろう。



10/18 来年から、定休日を日・月・火とする事を、来店してもらっているお客様に事前連絡をしている。大方は、好意的に受け取ってもらっている。 70代半ばでは、会社役員や、職人・自営業以外では、職を離れている方々が多いからかもしれない。私は、何せ140歳まで生きると豪語しているのだから、 まだまだ働かなくてはいけないと思っている。その仕事の内容は、少なくなっていくのは当たり前だから、ボチボチを考えての事である。

 今悩んでいるのは、(考えが纏まらない事は)看板に定休日を、日曜日・月曜日・火曜日とするか、営業日を、水曜日・木曜日・金曜日・土曜日と表示するかである。 自分が思うほど、他人様は気にも止めていないと思うのであるが、営業日とする方が、インパクトがあるのではと思っているのだが、まだ時間がある。

 営業日が少なくなるという事は、外に出る機会が増えるという事である。出れば余計にお金を使うとなる。当然、泊まりがけも増えるだろうし、 持ち堪えられるか心配になってくる。でも、元気でおれば何とかなると思っている。

 もう一つ、「山ノ神」が、全部付き合ってくれる程体力がないから、1/3くらいは、自由になるのではと思っているが、我が家には、車が一台しかない。(弱った!) そして、山以外にも、目を向けなくてはならなくなるのは必死だと思う。



10/17 閑乗寺公園の展望駐車場で泊まった。夜中は星空であったが、やっぱり夜が明けると共に、厚い雲が覆ってきた。私は,夜明けと共にコーヒーを頂いた。 若い頃に流行った「♫ 夜明けのコーヒー2人で飲もう・・♬」 タイトルは忘れたが、ピンキーとキラーズの歌を思い出したが、 「山ノ神」は、起きて来なかった。

 「早く歩き始めれば雨に遭わないのに・・」と思っても、身体がそうさせないのか、それとも何か考えがあるのかと思い、私は、砺波平野を眺めながら、 静かな雰囲気を楽しんだ。私にしてみれば、贅沢な一日の始まりでもあった。いつかは歩けなくなる時がやって来るかもしれないが、 このような形でも、山と接したいと思うのである。

 今日のスタートは、午前7時半過ぎ、雨は降ったり止んだりあった。特別強くなる事もなかったが、ずっと、ガスの中という感じであった。  「本当に何が面白くて・・」と言われそうであるが、自分でもそう思う事がある。でも、仕方なしというのか、そんなスタイルでしか生きていけないのかもしれない。

 その事のように、今日は誰とも出会わなかった。ちょっと寂しい気もするが、これが本当の山歩きかもしれない。それにしても、2日間とも八乙女山。 本来の八乙女山は、雨の時や時間の無い時に登る山と位置付けられてるだけに、本当は喜ばしくないハズなのだが、八乙女山の新しい楽しみ方と出会った気がした。



10/16 皆が寝ている間に八乙女山に行って来た。午前8時半には家に戻っていた。息子達が来たとはいえ、特別の事はない。一緒に食事をする事くらいである。 一緒に何かをと思うのは親の欲目。友達の所へ行ってしまうのであるから。

 それでも、帰る前には、買物(お土産)に少々付き合ったか・・・ それから(午後4時から)、山へというわけにはいかない。そして、明日は雨予報である。 私は、「山ノ神」を閑乗寺公園に誘った。

 夕陽や夜景を見ながら一杯やるのである。予約もしていないから車中泊付きである。この時期、虫がいないから快適である。 寒ければ一枚着ればよいだけの事である。食材や飲み物を買い、車は横付けであるから、備品などは何でも詰め込めばよい。テーブルや椅子は備え付けがあるからいらない。

 

10/15 突然、大阪の次男夫婦がやって来た。嬉しいのであるが、明日の山行はオジャン。大猫山から金剛堂山に変更していたのであるが、上手くはいかないものである。 残されている手は、朝駆けしかない。飲み過ぎては、その手もなくなる。弱った!



10/14 ブナクラ行き(大猫山)は、一週間延ばそうかと思っている。思ってしまった。それも、どうなるか分からないが、諸事情で無理する事はない。 ずっと、山歩きをしたいから、どうしてもという気持ちは、以前より薄い。だから、山は逃げるのである。

 一週間後、「山ノ神」には泊まりがけの同窓会がある。その時が、お天気なら一番なのであるが、そうは問屋が下ろすかどうか? 以前は、大猫山50回などは簡単に行けると思っていたが、この山域に入る事が極端に少なくなってしまった。あと1回で40回なのである。



10/13 紅葉が、だんだんと下に降りて来る。もう10日から2週間すると、近間の低山も、赤・黃の色彩に覆われると思う今日この頃です。 その間、早めに冬山(雪山)の備えをと思っている。着衣も含めての点検である。

 11月に入ると、いつでもどこでも行けるように、冬タイヤに換えている。今年は、11/6 11/7に間に合うように準備するつもりです。 県外に行く時は、大概 峠越えがあるので、安全のためにもそのようにしている。
 私は、早めに装着、遅めに脱着を心掛けている。 冬タイヤは、走行距離より期間(年数)を考えており、燃費や騒音はあまり気にしない事にしている。



10/12 H.24.10.21に、こんな記述があった。
 「10/21 ピーカンを予想していた大猫山は、剱岳は雲の中。でも、久し振りだっただけに3時間余のタイムに頗る満足。 猫又山への稜線歩きになると、だんだんと剱岳の雄姿が拝む事が出来、周さん感激の連続。 どれだけいても飽きる事のない猫又山頂周辺に別れを告げ、 ブナクラ峠への降りとなったが、段々となる急降下に、以前から不安視していた右膝がダウンとなる。周さんに迷惑を掛けたが、 ブナクラ谷の歩きは何とかなり、明るい内に車へ到達する事が出来た。」

 ちょうど10年前の出来事である。元気だった周さんに迷惑を掛けたとある。それより先、単独行の大猫山で踏み外した時に痛めた膝の事かもしれない。  10年一昔というが、ついこの間の事のように思う。彼も、今は山から離れているが、必ずカムバックすると信じている。



10/11 来週の連休(10/16~10/17)も、お天気予報は良くない。その後となると、紅葉が無くなってしまい、11月になると、雪上を歩かなくてはならなくなる。 大猫山や猫又山の話である。10月下旬や、11月上旬に出掛けた事もあるが、陽が短くなって行く頃に、今の体力で行けるのだろうかとなる。

 パーティーを組むメンバーもいなくなって来たし、かと言って、若い人達の馬力には着いていく自信がない。ブナクラは遠くなっていく。  でも、行けるところまで、という方法もあるし、スタートを早める方法もある。だから、まだ捨てきれない。 昨年も、9月中旬とは言え、単独で行って来ているではないか・・・



10/10 雨。ほぼ予定通り小佐波御前山であったが、「山ノ神」が起きて来ない。単独で出掛けても良かったのだが、後々が怖いから静かに?待った。 雨は止む時もあったが、強弱を繰り返しながら降っていた。

 出発時のやり取りが拙かったのか、御前山まで無言の山行となる。その間、「山ノ神」は、休憩を入れたムカゴ採りに一生懸命。小言も言いたくなるが我慢しか無い。 こちらは、雨の中ずっと待機である。最も歩いていても、止まっていても、濡れるのは同じかもしれないが。

 雨の中でも強者がいた。「雨の中でも、歩く人達がいるんだ。」と自分達の事は棚に上げていたら、二人の女性から、「元さんでは・・」と声を掛けてもらった。 snowanatyanさんと、お連れの方からである。yamap上では、よく拝見する名であるが、2年前、高頭山でお目に掛かった方だと分かるまでは時間が掛かった。
百名山を踏破された事や、私の大好きな大地・初雪山の話で盛り上がった。ほんの僅かな時間であったかもしれないが、距離が縮まる思いをした。

 避難小屋では、温かいうどんを食べた。このところ、私の持参するカップ麺と重なる事がある。今日も、そのパターンであったが、会話が足りないのを 証明しているようなものである。あちら様(山ノ神)は、こんな日でも、冷たい物を嗜んでいるのであるが、こちらはコーヒーだけである。それでも、私は不満でもない。

 雨は、強弱を繰り返しながら、ずっと降り続いた。滑らないように歩かなければいけない。このような山でも、転び方次第では、次行く山が無くなってしまう。 車に乗って高岡に近付くに連れて、雨が小さくなり止んだ。

 

10/9 医王山は青春の山。そんなイメージの医王山であったが、7年前に奥医王山にも出掛けていた。今回も、いろいろな方に聞きながら鳶岩まで足を延ばした。 一旦夕霧峠に戻り、最高地点の奥医王山に登った。あれだけおられた登山者の姿は全く無く、ようやく有り付いた食事時には、雨が降り出してしまった。

 しかし、ムコ殿も、諏訪からやって来てくれた「しばちゃん」も、何だか楽しそうであった。私も久しぶりだったが、10月下旬の素晴らしかった紅葉を思い出した。 そして、また若い山の友達が出来た感じで嬉しかった。

 最後は、国見権現経由にして、車から懐かしい展望を楽しもうとしていたら、ヒュッテから「コーヒーでも飲んでいけ!」と 声を掛けてもらった。そして、過日の白木峰登山靴事件で、周り周りでお名前を聞いていた大家氏に初めてお目にかかった。



10/8 明日のお天気も、ちょっと怪しいが、ムコ殿からオファーがあり、医王山に行く事になった。ムコ殿のお友達が、諏訪からやって来るというのであるから、 尚更行かなくてはなるまい。しかし、若い時は、毎週のように通った医王山であるが、近年随分とご無沙汰している。

 祖谷とか広瀬舘・国見ヒュッテ・三蛇ケ滝。鳶岩の固有名詞は覚えているが、最近の事情はよくわかっていない。イオックス・アローザで、お友達と待ち合わせるのであるが、 夕霧峠・奥医王山は簡単にいけると思うが、白Π山は、今までと逆に下りルートになるのではと些か不安である。

 せっかく訪れてくれる友達なのであるが、紅葉には、ちょっと早いし、お天気にも不安がある。でも、来てくれる友達を良いイメージで迎えたいと思っている。 すっかり錯覚して、私の友達になっている感じ。明後日は、完全に雨のようである。小佐波御前山か、八乙女山に決まったようなものである。



10/7 この2日間本当に寒い。明日から、少し回復傾向にあると報じているが、日曜・月曜は、まだはっきりと分からない。降らないにしても、登山道が、グチャグチャではあまり面白くはない。 せっかく、「山ノ神」に、ブナクラ周辺の山に行くかもしれないと言っていたが、今の登山靴の状態から無理する事もあるまい。

 こうして、山は、だんだんと逃げて行くのだが、それは、いつまでも若く元気でおれないのだから仕方がない。でも、それなりの山行は出来る。 欲張らないで、コツコツ歩くのが一番。



10/6 3連休の後は、すぐに次の休日がやって来る。中5日が、中4日なのだから、当たり前と言えば当たり前。「休日は山に・・」にを、 モットーとしているだけに、次行く山を考えなければいけない。お天気周りが一番気になるのであるが、「山ノ神」の考えを無視出来ないのが辛いところ。

 「山ノ神」の趣向を考えながら、自分の思い通りの山行が出来なければ、「本当の山好き!」とは言えないかもしれない。敵は、「体力の衰え」「意欲の低下」 そして、「山ノ神」との共存である。まだまだ山と親しみ続けたい私は、「何としてでも・・」を忘れないでおきたい。



10/5 東北遠征から戻って車のメーター(走行距離)を見たら1,543キロであった。九州遠征の3,000キロからみれば、殆どが高速だったから、 大した疲れでもない。それは、最後の一座をスルーして、日中の高速運転になった事も影響しているに違いない。

 富山に戻って、千石城山に登ったが、意外と足が軽く息も上がらなかった。しかし、家に戻ってビールを飲んだら、やっぱり眠たくなってしまった。  遠くの山に出掛けて簡単な山に登るのも良いが、それだけ時間と費用を掛けて、意義があるのかと思う事もある。

 しかし、それでも目的がしっかりしておれば、何もいろいろな雑音に惑わされる事ない。体力がなくなっていく我々には、名所旧跡を絡めていくのも、 一つのやり方かもしれない。



10/4 ちょっと寝過ごしてしまった。二度寝がいけなかった。でも、お天気は、まだ大丈夫だったので、安達太良山か磐梯山のどちらかに登るつもりであった。 どちらも、二度三度登っているのであるが、ついでだからである。もちろん一日一座でもあったから。 本当は、どうでもいい事なのだが、リズム・スタルを壊してしまうと、 なし崩しになるのがイヤだからであった。

 「あんただけ、行って来られ、私、下で待っているから・・」と言われては、どんなに急いでも、3~4時間以上掛かってしまうのでは、 流石の私でも、「そんなんら止めよう。」となってしまった。

 蔵王Pから、福島郡山を経由して磐越道に。新潟から、何処で高速を降りようかとなったが、結局は、上越前の大潟になった。富山に入ってから、まだ降らないと思い、3時から、 千石城山に登った。(「山ノ神」もちろん、ビールを飲んで登山口で待機)

 登り始めてしばらくすると、「元さん、何でこんな所にいるの? 東北じゃなかったの?」と土井女史であった。同行の峰窓会のF氏を交えて数分の会話あったが、 久しぶりだっただけに嬉しかった。ほぼ1時間で戻ったが、「山ノ神」はいなではなか。ムカゴ取りだったようだった。



10/3 「道の駅・はやちね」を経由して河原坊へ。車は河原坊に駐車。以前(14年前)は、その河原坊から、コメガモリ沢を経由して、早池峰山頂に行ったらしい。 私は全く記憶していなかったが、「山ノ神」は覚えていた。(帰宅して調べてみたら、そのようであった。)今回は、林道を30分程歩いて小田越登山口から入った。

 早池峰山は、私達の過去の印象と全く違って、石や岩がゴロゴロしている山であり、紅葉の山ではなかった。そして、「山ノ神」は、このような山は大の苦手である。  しかし、今回早池峰山を選んだのは、「山ノ神」だっただけに、「止める。」「戻る。」を言えない立場であったから、仕方がないという感じでした。  「紅葉がない。」ばかりを言っていましたが、それでも、登り終えたら、それなりの達成感はあったようです。(2~3時間あったら登れる山です。)

水戸から来られたT氏と、ちょっとばかり知り合いになりました。(私より2歳年上の方)コーヒーをプレゼントしたら大変喜ばれました。(他にもちょっと・・)

釜石道東和に至る前に、小さなスーパーで食材・飲み物を仕入れ、東北道・蔵王Pで食事し泊まりました。私達の食事風景を見て何かを感じられたのか、 横浜へ帰ると言うキャリーカー(車を二台積んでおられた。)の若い二人の内の女性が、「これ食べて下さい。」とお菓子を差し入れくださった。
 何もお返し出来なかったが、その車が発車する前に、「何にもないので・・帰ってから飲んでください。」と缶ビール1本を渡した。 すると、「そのようなのに憧れているんです。」だった。手を振って別れた。

 

10/2 イヤだイヤだと言いながら、また夜行運転となってしまった。それは、一日一座なんて、ツマラナイ私の拘りが、そうさせてしまうのである。 磐越道・西会津で仮眠して、東北道・一関から須川温泉に向かった。2年ぶり3回目であったが、よく覚えていないものだ。(笑)

 紅葉で人気の栗駒山。コース的には、何ら問題のない簡単な山なのであるが、大きな駐車場があっても、車が溢れていたし、山頂でも人・人・人で、 食事をする場所を探すにも一苦労であった。山頂記念写真を撮るにも順番待ち(笑)であった。

 15年前の初めての時は、お盆時でお天気が良くなかった思いがあるし、一昨年は、紅葉時にやってきたのであるが、やっぱり、ガスに阻まれた感があった。 今回は、もう2~3日後が、最高に達するのではと思ってみても、後のお天気周りが良くないような感じだから、今日が一番だったのかもしれない。

 一関に戻り買物をして、東北道を北上し、釜石道東和で降り、降りた所にあった「道の駅とうわ」で泊まった。20数キロ先の「道の駅はやちね」泊の予定であったが、 疲れた事もあり。30分早めに切り上げた感じ。「思えば遠くへ来たもんだ!」

 高速のPのトイレで携帯と財布の置き忘れを発見。一人で触るのも考えたし、誰か入って来る人を待って処理したいと思ったが、なかなか思うようにならず、 隣のコンビニに届けた。これも悩んだ。果たして、置き忘れた人に、そのまま届くのかも心配でならなかった。でも、先を急ぐ私達であったから、 それに携わった人達を信用するしかなかった。でも後に、置き忘れ主から、「ありがとう。」とのメッセージが届き安心。「今日も一善」ホッとした。



10/1 行き先は、怪しいが東北に行く事にしました。3度目の栗駒山で、キレイな紅葉が見たいという「山ノ神」の要望に答えてなのだが、 後は行ってからになる。以東岳や和賀岳などは、頭からナシなのでちょっぴり寂しい。また同じ名山になる事だろう。