11/30 今日で11月も終わり。今年も残すところ、あと1ヶ月となった。私には、後9回の休日がある。しかし、月曜日は、殆どが「山ノ神」の病院通いに 付き合わなくてはならないので、制約された山行となる。しかし、日曜日が4回もあるので、それ程悄気げていない。

 お天気が悪いと、小佐波御前山や八乙女山になる可能性が高いが、それはそれで、友人・知人に会える楽しみがある。 もし、お天気に恵まれれば、ちょっとだけ高いところに行ってみたい。

 「山ノ神」は、明日から1泊2日の手術・入院、12/15からも、2回目の手術入院がある。簡単な手術らしいが、何事にもリスクが付いて回るので、 平穏に終わる事を願っている。



11/29 今日は降ったけれど暖かった。月が変わる頃から、かなり気温が下がる予報である。スキーや雪山をやらなかった頃は、 雪がなかっても良かったが、今は、山にだけは雪があって欲しいと思うようになっている。もう40年以上になると思う。

 初めて雪山に登ったのは、高1から高2に掛けての春休みであった。もうすぐ60年になる。国体予選に参加したのも、鍬崎山で、その頃かもしれない。 装備もなくキャラバンシューズで雪上を歩いていた。もちろん夏用シュラフであった。


 その少年時代の憧憬・意欲は今も変わらない。唯、体力が伴わないだけである。最近、着衣に綻びが目立つ。最近は、優れた物がいろいろとあるらしい。 山に行きたければ、やっぱり求めなければならない。例え一回であろうが万全でなければ、天は許してくれないような気がする。やりたい事があれば、 何を削っても、その条件を整えなければならない。



11/28 3日後に迫った「山ノ神」の目手術のためのPCR検査に付き合ったため、千石城山のスタートは正午となった。 でも、とても良い天気に恵まれ、久々に剱岳様を、ずっと見詰められた。

 山頂で、ぽつんと座って劔岳を眺めている女性に「山ノ神」が声を掛けた。”ちびっこ”さんと名乗られたが、楽しく山談義となった。  山には、いろいろな楽しみ方がある。1時間も2時間も、ずっと眺めている。それも山を愛する一つの楽しみ方であろう。



11/27 南保富士に「山ノ神」が、ムコ殿と孫のミーを誘った。5年生になると、力が余っているのかスイスイと登っていく。 「山ノ神」は、いいところを見せずじまいである。(でも、ニコニコであった。)

 私は、ムコ殿を誘って、二王山に誘った。展望のないところに、良く付き合ってくれたと思っている。 山の友と、また違った一日を送り、私よりも「山ノ神」が楽しんだように思えた。その証拠に、私との山行より歩きが良かったのだから・・・

 そして、山から戻れば、反省会と称して、また飲めるのであるから、そりゃ楽しいに決まっている。 でも、参加しなかった、娘と上の孫ミーは、舞い上がっている私達を、どう思っていたのか謎?である。

 

11/26 いつもは11月上旬にタイヤ交換をするのに、ようやく今日する事が出来た。18インチのタイヤだから、おいそれとはいかなくなってきた。 一発で装着出来ないと、いっぺんに疲れが出て来てしまう。

 そんな今日、失敗してしまった。交換が終わって、片付けるのにタイヤを洗っていたら、なんだか変だぞと思って、タイヤを確認したら、 1本だけホイルが違っていた。取り外したタイヤを、冬タイヤだと思って、また装着してしまったのである。

 どっと疲れがで出てしまったが、交換しないでは明日の山行に支障が出てしまう。(5本のタイヤを交換した事になる。)  今、雨になったが、明日は晴れそうである。東部の山にしようかと思っているが、「山ノ神」と話し合わなくてはいけない。



11/25 「休日は山に・・」をステータスにしている私に、同級生の奥方が、「内のダンナは薬漬けで、一緒に旅にも出れない。」と嘆いた。 「この歳になると、誰もが何かを抱えている。我慢しているだけ・・」と、慰めを含め諭したつもりであった。

 「少々病があろうが、意欲さえあれば何とでもなる。いろんな方法・手段がある。」と私は思っている。実際は、そのようにならないかもしれないが、 何もかもを諦めたり、否定してしまうようでは終わりだからである。

 幸い私は働いている。70代半ばになると、働いている人は、会社役員か自営業・職人くらいで、他にはアルバイトくらいのような気がする。 私の頭には、いつ止めようかと模索しているが、仕事をしている事で、お客様とのコミュニケーションがある事で楽しいし、幾多の情報も得られるから捨て難い。 そして、仕事を止めて毎日山にも行けないではないかが、もう一つの理由。

 一週間に3回くらい出掛けれるのが、ちょうど良いと思っている。また、何せ140歳まで生きるつもりであるから、もうちょっと稼いでおかなければ 後々困るからでもある。あっという間に時間が経つ。歳月が流れる。元気な今が最高の時である。そうでなくとも、そういうフリをしていたい。



11/24 「元気でありたい。」「元気でなければ!」と粋がっているが、希望や意欲だけであって、若い方々と比べれば、雲泥の差を感じている。 もう、元気者と一緒する事などないと思う。いや、強者達はダメでも、普通の元気者だったら、まだ大丈夫かもしれない。

 それなのに、多くの知人・友人に、「大地はいいぞ!」とか、「一緒に大地に行こう。」「大地からの初雪山は素晴らしい。」などと、 言い続けて来た手前、約束を破るわけにはいかない。

 「ゆっくり行こう。」とか、「荷は同じ程に・・」などと条件を付けるかもしれない。情けないかもしれないが、それがこれからの自分かもしれない。 それこそ、それなのに、雪山キャンプに執着しているのだから、何をか言わんかもしれない。でも、幾つになっても、少年のように憧憬がなければつまらない。



11/23 「もっと若かったら・・」と思う事はあるが、何事にも遅いという事はないと思う。やりたいと思った時がスタートで、目標に向かって進めば良いだけの事。 目標に、どうしたら届くかだけを考えれば良い。したがって、「成功への道は目標設定」である。

 体力かもしれないし、経済的な事かもしれないが、初めから諦める事はない。「したいか、したくないか。行きたいか行きたくないかである。」 諦める事は、それ程でもないと言う事にならないだろうか?

 知恵も必要かもしれないが、頭の悪い私などは、それに頼るのは、ちょっと無理であろう。しかし、それに変わるものがあれば良いのかもしれない。  山に例えれば、体力がなければ、鍛錬すれば、ちょっとでも良くなるであろう。そして、ゆっくり歩けば良い。荷を担ぐ事が出来なければ、誰かに担いでもらえば良い。 仲の良い友達を作ればいいし、ダメなら誰かを雇えば良いだけの事になる。装備もお金を掛ければ何とでもなる。

 それが、出来なければ、目標を下げれば良いだけの事で、納得がいくというもの。何もかもが思い通りにはいかないが、希望(夢)は永遠に持ち続けたいものである。 私は、常々「大地に行けなくなったら山を止める。」と言い続けている。でも山頂に届かなくても、ちょっとでも歩ける内は、足をその頂に向け続けるであろう。

 

11/22 休みの2日間、何とか歩けた。少しハリはあるけれど、普通に歩けたと思う。途中出会った女性は皆さん健脚で、私の歩きを物足りなく思われたかもしれないが、 年相応と思って頂きたい。「元さん、リハビリにしては、ちょっと歩き過ぎではない?」とのコメントを頂いたが、衰えていく自分が、イヤでイヤでたまらないから、 歩くしかないのである。

 そして、雪山を歩くには、今から準備をしておかないと間に合わなくなるからである。 間に合わないのではなく、落ちていかないようにしていなければならないが、本当のところかもしれない。

 もう心は雪山にある。もちろん、大地・初雪山であるが、何としても、雪中キャンプに対応する身体に仕上げておかないといけないのである。 もっとお金を掛ければ、軽くて暖かい物をとか、嗜好品を減らすなどの事も考えなければ、気持ち(意欲)があっても、それはそれで、挫折に繋がってしまう恐れがある。

 私は、他の老人と違うのである。「元気高齢者」であるが、まだまだ人生の半分を過ぎたところなのである。という気持ちでおらなければ、 この先の人生を否定しているようなものだと思っているのだから仕方がない。だから、皆元気でいよう。もっと、楽しもう。



11/21 どうせ雨なんだろうと、昨夜1時頃まで起きていてしまった。起きてみると、だんだんと明るくなって行く。156号線を走っていると、 立山連峰がはっきり見え、私が向かう八乙女山方面には黒い雲があった。それならいっそ金剛堂山にと思ったが、出足もそう早くもなかったし、 八乙女山から赤祖父山まで歩く事にした。

 歩き始めて8合目辺りの階段で、こんなはずではないと思う歩きになった。でも歩き通せば、それなりにであった。途中から道宗道に入って大寺山に。 そして、久しぶりに赤祖父山(扇山)のブナ林入った。今回は15回目あったが、初めてやって来た時も同じ頃で、小春日和の中、随分と癒やされた想い出がある。

 トレランスタイルの女性が2人駆け抜けて行った。同じ閑乗寺公園からであるというから「若いっていいな。}とまた思ってしまった。 今度は反対方向から女性が一人やって来られた。高落場山まで行こうと思っていたのだが、雲行きが怪しくなったので、戻って来られたらしかった。

 その時に、先のトレランスタイルの女性が赤祖父山頂から降りて来られたのと遭遇。コーヒーでもと、誘ってしまい彼女らも山頂まで付き合ってくださった。 これまた、世の中とは狭いもので、お互いの知人が合致したりで盛り上がってしまった。
 そしてまた、話を合わせくださった「かなさんとプロの介護士さん」ありがとう。 一時を楽しませて頂きました。そして、もう一人の女性一休さんと食事をして、ずっとお喋りしながら、一緒に閑乗寺公園まで降りたのでした。



11/20 恐る恐る大辻山(鳥越峠)に向かいました。時折パラパラと雨が落ちましたが、何とか持ち堪え、劔岳や大日岳・毛勝の山々を眺める事が出来ました。 そして、10月に雨の中、小佐波御前山でお目に掛かった「早苗女史」と偶然の再会ありました。ほんの僅かの挨拶しか交わしていなかったのですが、 よく覚えていてくださったのでした。

 その早苗女史を誘って高峰山に向かっている途中、下司女史と、またまた遭遇。下司女史に、そのまま大辻山行きを勧め、そして、鳥越峠で再会を約束し、 我々は高峰山を目指しました。山頂でお湯を沸かしていたら、高志山の会の方々が西種方面から登って来られ(32名)その中に、キャンディーさんおられましたのでした。 白木峰でお目に掛かっていたようですが、私は、YAMAPの事しか覚えていなくごめんなさい。

 先に鳥越峠に降りた私達は、下司女史の下山を待ち、コーヒを飲みながら山談義となったのですが、雨が強くなったので、 アルペン村に場所を移し、再び、今後の山行を話し合ったのでした。

 明日のお天気もややこしい。起きてからでないと行き先は決めかねる。今日は、私達の結婚記念日。だけど。「山ノ神」は友人と滋賀県方面への旅行に出掛けている。 私は、寂しく(羽根を伸ばして)なのだが、お天気がなかなか味方してくれない。



11/19 予報が変わった。足は歩いてみなければ分からない。明日は大辻山に登って、明後日は白木峰を予定してみたい。「山ノ神」が明日・明後日いないだけに、 調子に乗って、尚更可笑しくならないように気を付けて歩いてみたい。最も、午後からの方が降水確率が高いから、早めに切り上げるようにしたい。

 明日の歩きをみて、明後日を考える事になる。この先は長いのだから、決して無理はしない。それを肝に銘じて歩かなければ、他人様に迷惑を掛けてしまう。 どちらにしても、お天気が左右する事に間違いない。でも、雪が見たい。



11/18 昨夜の夕食後、右膝の横から内股(太ももの内側)に痛みを感じてしまった。捻っても、伸ばしても、曲げても痛みを覚え、「これでは山に行けなくなる。」 と、それこそ頭が真っ白ではないが、色が付いたような状態になった。

 とっさに、「何とかしなくては・・」と思い、正しいか悪いかは分からないまま、風呂に入り、経皮吸収型鎮痛・抗炎症剤ロキソニンテープを2枚貼ってみた。 「藁をも掴む」思いである。テーピングのような作用をしたのか、不思議なくらいに足を動かしても痛みがなくなった。

 今朝になって、その状態は持続していたのであるが、触ると痛かった。でも、今夕になって、それも改善しているように思える。 「何処にでも連れて行ってくれる足」と言われた事もあったが、遠い昔の話であり、「今は何としても・・」が現状である。

 「でも負けない。」伝説の人サブちゃんが膝痛を患っても、一年中、山に通い続けておられるように、私も、這ってでも行かなければならない。😭 明日・明後日も予報は決して良くないが、ここで止めたら、もうオシマイである。誰とも約束していなくて良かった。



11/17 4日前の小佐波御前山100回へのお祝いメッセージが、YAMAP・facebook・LINEなどを通じて、ヤワヤワと届いている。 誰でも登れる山だし、自慢出来る程の事でもないのであるが、一年を通じて、そして、どのような天候でものステータスを評価してもらったのかな?と思ったりもする。

 いやいや、そうでもなく、年老いた割に歩いているのを評価され、まあそれに、お情けが加わっているのかもしれない。  生きている限り人は評価されたいものである。「凄いね!」「元気だね!」ウソでもいいから嬉しいものである。

 私は、元気である事。長くたくさん歩く事。それしか取り柄がないからである。強者達を上回れるのは、長年重ねた歳と、山へ長い間通ったいるぐらいであるが、 それだけでも、話の種になるのだから(話の過糧になるのだから)歩け続けたい。容貌は仕方ないにしても、名だけで声を掛けてもらえる嬉しさがあるから・・・



11/16 今度の日曜日の予報がまた変わった。(月曜日も休み)「山ノ神」が、友人と一泊の予行に出るので私はフリーになる。思い切り歩きたいと思っていたのに、 このままでは士気が落ちてしまう。雨飾山荘の小屋じまいの頃に、4~5回くらい出掛けていた事を思い出し、今一度と思ってみたけれど、何となく白木峰に舵を切ろうとしている。

 その白木峰も、車が1300mまで上がるのであれば、少々の悪天でもと思うのであるが、今はそれが叶わず、ドロドロの登山道を行くのもどうかと思ってしまう。 晴れ・曇・降らないならば、例え単独となっても意欲を掻き立てるのであうが、降るとなると、あの風衝草原で身が縮まる思いをするのは、もはや耐え切れない身体になっている。

 まだ時間があるし、私には、雨でも出掛けられる山が幾つかある。そして、一日中降る事はあまりないし、強弱を繰り返す事や、途中止む事もある事を知っている。 タープを張ったりした事もあるが、雨は雪と違って、ちょっと辛い。山に行かなければ晴れるし(降らないし)行けば降る。まるで恋と一緒である。



11/15 私に残されている今年の休日は、11月は4回、12月は9回の合計13日間である。今のところ、日曜日6回と月曜日2回、火曜日1回の合計9日間は、 余程の事がない限り自由に使えそうであるが、月曜日の4回は制限が加わりそうである。

 その内、何回仲間との山行が実現するか分からないが、降雪と共に期待してしまう。そして、どうであれ、今年は131回の山行となりそうである。 その雪であるが、かなりの積雪を伴わないと、かえって歩き難いから、雪の期待は、年明けになるのは、それはそれでいい。



11/14 大降りではなかったが雨予報。そして、午後から、「山ノ神」に付き添って、検査・説明を受けるため、病院へ行かなければならなかったので、 否応無しに八乙女山となった。何としても、山に行かなければならないと思う私だが、「山ノ神」も同行する事になった。

 紅葉は、下の方に残っていたが、上に行くと、もう終わった感じであったが、落葉の上を歩くのは気持ちが良い。そして、明るく感じるのであるから尚更である。 「山ノ神」は、時間が無いを口実に東屋止まりと、いつものパターン。でも、今日ばかりは、アルコールはない。

 私は、この間、三角点・最高点を回って東屋に戻り、コーヒーを飲んで下山するという、これまたいつものパターンであった。 下山中に、「元(もと)さんですよね。」と、YAMAP繋がりのnora88さんに声を掛けてもらった。私も、思わず自分の事は棚に上げ、「雨の日でも登るんだ!」 と言ってしまった。短い時間であったが、終始にこやかな会話が続いた。有り難い事である。

 「山ノ神」の病は白内障で、12月に2回の手術をする事になっている。普通なら大した事がない(簡単)のだろうが、ちょっと懸念があるらしい。 そんなわけで、12月の月曜日は、送迎が付いて回り、なるべく協力しようと思うので、制限が付く山行となる。でも、日曜日があるから何とかなるだろう。



11/13 今日の強風下の中、牛岳以来100回登頂を小佐波御前山で果たした。小佐波御前山は、誰でも登れる山であるが、私はその殆どを、悪天と言われる日に登っている。 平成9年1月から数えてだから、25年を要してという事になる。でも、長い間登っていると、不思議なくらいに愛着が生まれて来る。

 私は、この歳になって歩ける事に嬉しさを感じているから、もうどの山であろうが、嬉しいし楽しくてならない。それが、単独であろうが、大勢の山仲間とであろうが、 波長さえ合えば、一緒する事に何ら問題はない。そして、若い時のようなわけにはいかないにしても、そこらの普通人とは、何ら遜色はないと思っている。

 また、中年と言えるような元気でなければ、いくら山仲間と言えでも付き合ってもらえまい。だから、鍛錬を続けなければならないのである。 今日の小佐波御前山100回も通過点である。100回、10座なのであるから、ずっと元気でいなければ達成はあり得ない。



11/12 明日は、昼前から雨の予報である。しかし、起きてみなければ分からないというのが本当のところかもしれない。雨が降るようだと小佐波御前山への可能性が高くなる。 100回目も雨かもしれない。しかし、私には、雨や雪の小佐波御前山が似合うような気もする。



11/11 歳を取ると涙もろくなる。テレビドラマを見ていても、また、他人様に悲しい事・辛い事を告げられたりした時、 否応なしに涙が溢れてくる。我慢しきれなくなる。恥ずかしいが、これが本当の姿なのかもしれないと思う事しばしば。

 それと関係なく、私は、山中で自然に涙が止まらなくなった事がある。おそらく、この世に、こんな素晴らしい所があるのかと思った時だったように思う。 とにかく、感極まりなくなったと表現するしか無いが、何処だったか忘れてしまった。そのような事が、度々とかはないにしても、 何かが合致した時に感じてしまうのかもしれない。

 もうそんな所には行けないだろうが、感受性の問題なのだから、近間の低山であっても、何かの条件が整えば、そのような事になり得るかもしれない。 人一倍何かを感じてしまう性格だから、そのような事に直面するかもしれない。これからは、サッサと歩けなくなるだろうから、 もしかしたら、尚更そのような機会に遭遇するかもしれない。



11/10 良い天気が続いているのに、今後の休日(日・月)は雨予報であるから、あまり気分が良くない。でも、何処かに行く事は間違いない。 しかし、これからの休日に、ある程度制約が付くかもしれない。(11月と12月) 仕方がない事が生じるが、日曜日は多分大丈夫だと思う。 人生思い通りにはいかない。今まで、結構好き勝手して来ているのだから、少々我慢も良いのかもしれない。



11/9 今年、新たにYAMAPで知り合った方は、当たり前かもしれないが、殆ど私より年下の方々である。いつの間にか、お喋りになってしまった私であるが、 実に楽しい。「元気をもらっている。」が本当のところ。

 歳だからかもしれないが、優しく親切にしてもらえる。「今の内・・」かもしれないが、それも一つの励みである。「山ノ神」は、「あまり歳の事を言うな!」 と言うのであるが、私にしてみれば、歳の事しか自慢出来ないのであるから困ってしまう。

「山ノ神」のいう事も聞かなければいけないし、難しいところである。でも、それもこれも、山へ出掛けられるからの話であって喜ばなければならない。 「 疲れが取れない内に、次の山行日がやって来る。」のであるが、来年から、毎週3連休になったら、どうなるのだろう。きっと諍いが増えるに違いない。



11/8 「目が覚めた。今日も生き長らえた。」「今日の一日に感謝」などの文言を聞く事がある。年取った証拠なのだろうが、まだまだ仏様に近付けない。 それよりも、まだまだやりたい事がたくさんあり、終活とか断捨離とかを考えるに及ばない。

 家の中の会話は、「この間聞いた。」「同じ事ばかり・・」などと言われ長続きしない。しかし、一旦、山に入れば、「元さ~ん」と呼んでもらえ 会話が弾む。好きな事だけに止まらず、もしかしたら迷惑を掛けているかもしれない。

 でも、私は、このパターンを続けて行く。だから、ライフスタイルを変えようとは思わない。歩けなくなったらどうしよう。それが一番の心配事。 自分の歩きをもってすれば、まだまだ歩く事が出来ると自負しているが、強者達には敵わない。

 そして、意欲の低下がなく、心身とも、それなりに鍛えられれば、まだまだと思っている。10年・20年元気でいて、今、私より10歳・20歳若い人達に、 ハッパを掛けてみたいものだ。



11/7 高頭山か戸倉山を提案したら、「山ノ神」は、戸倉山を選んだ。高岡午前6時前のスタートである。昨年も、この時期にやって来たが、 今年はもっと良かった。素晴らしい紅葉であった。

 下山中の稲荷氏に会った。来春の黒菱山・焼山・大鷲山縦走の約束をした。(元気でなければならない。)山頂でシュンちゃんパーティーとも会った。 久しぶりであった。お仲間には、ちょっと邪魔だったかもしれないが、たくさん話が出来て嬉しかった。

 そしてまた、別方向からやって来られたnomat夫妻ともお会い出来た。今夏のハゲ山以来かもしれない。生意気な事をたくさん喋ってしまったかもしれないが、 彼は、私が行けそうもない所にたくさん出掛けている方である。そして速い。「若いっていいな!」と思ってしまう。

 紅葉はドンピシャ! 山頂からの展望もステキで、北アの山々や頸城の山々を充分堪能出来た。そして、知り合いの山仲間と会えたのであるから、 それはそれは楽しかった。衰えは感じても、この足に感謝である。



11/6 ピーカン予想なのに、ガタガタ道の林道でガスに覆われた、しかし、登山口では「雲上の人」となり、最初から気分が良かった。 今日の「山ノ神」は、意外と頑張り人形山の山頂までやって来てくれた。

 いつもは、三ヶ辻山との分岐で終わってしまう「山ノ神」であったが、今日は調子が良かったのだろう。三ヶ辻山には、行かないと言っていたのに、 「行っても良い。」となり、駆け上がった。そんな事もあり、またまた日没ギリギリの下山となる。月を見る事になった。山中滞在9時間半。



11/5 明日は何処へ行こう?お天気は良さそうだ。「山ノ神」に希望を聞くと、意外にも人形山と言う。このところ、晩秋時期に行っているのは間違いない。 大概の方は、6時間前後で往復されるのであるが、私達となると、その1・5倍は掛かる。しかし、それも山に親しむ一つの方法である。暗くならない内に降りれればそれでいい。 私も人形山の回数を増やしたので、渡りに船である。(48回目になる。)



11/4 今日は寒かった。慣れるまで、こんなもんかもしれない。これからは陽が短くなり、行く山の選定が難しくなる。いわゆる「静かな山」が待っている。 霜・氷、そして雪である。暖かい着衣や食べ物が恋しくなる。出来れば、タープやツエルトのような、身を包んでくれる物も欲しくなる。

 里山のキノコ狙いもあるやもしれないが、ちょっとだけ高度を求めて、先に雪の感触を確かめるのも良い。冷たい雨は忍び難いが、滅多に見ない光景は何よりも値ある。 誰もいない山では、すぐに人恋しくなる。心は弱いんです。でも、行きたくなるんだから仕方がない。



11/3 一昨日、雨降る前に小佐波御前山に登った。H.09.01.19以来99回目になった。コツコツ登っていると、このような回数になる。 H.18.06.12の牛岳(現在168回)以来2座目の100回目へのリーチとなった。

 100回登るには、100日かかる。同じ山ばかり登っているわけにもいかないし、一年中登れる山でないと、なかなかその回数には届かない。 (一日に何回も登る方もあるやもしれないが、私は、違った山に登る事はあっても、そのような事はしていない。)

 50回以上登る山を、10座が目標としていたが、もしかしたらと、100回以上10座に置き換えている。その余勢買って、50回以上20座を目標に掲げてみたい。 そしてまた、10回以上100座を掲げたが、それは、やっぱり元気で140歳まで生きないとダメだろう。(笑)

 小佐波御前山は、誰でも登れる山であるし、何も自慢する程のものではない。でも、長い間歩いているという事になる。 100回には、まだ到達していないが、どの日に、どのような形で登ろうかと考えてみたい。雨の日が似合うかもしれないし・・・ でも、100回は通過点であるし、積雪期に行く機会が多くなる事は間違いない。そして、元気で有り続けていたい。



11/2 私のような年齢になると、高齢者講習が話題になる。そして、免許返納なども囁かれるようになって来る。車は、登山の必須アイテムである。 何をさておいても、車がなければ山には登れない。だから、身体が動かなくなるまで乗り続けたい。

 私の知人やお客様で、運転をやめた(止めさせられた)方の多くが、短い期間で、介護施設に入所されたり、お亡くなりになったのを多く知っている。  最も、そのような状況になっていたのかもしれないが、友人知人との交流が無くなったり、存在感の欠如から、意欲が無くなっていかれたケースが多いのではないかと思う。

 登山中の事故や交通事故では、高齢者がやり玉に挙げられるが、昔と違って、多くの方々が、それに携わっているのも事実だし、また人口構成からみても、 それ程、目くじらを立てる事はないと思うが如何であろう。もちろん安全に行動する事は当たり前であるが・・・



11/1 昨夜、猿倉着は、午後7時近くであった。すぐに飲む準備に入ったが、やっぱり寒かった。ビールを用意してきたが、私は欲しいという気にはなれなかった。 熱燗である。沸騰しても良いから熱いのが欲しかった。「山ノ神」は、意地でもビールを飲んでいたような気がしたが、最後は、やっぱりお酒になった。

 フード付きのダウンに、フード付きのウインドブレーカーなど5枚重ねをしながらであったが、街頭が午後9時で切れたから、 それを機会に車に避難。そして眠ってしまった。

 あれだけ星が出ていたのに、予報通り朝になったら、どんより雲に覆われていた。「山ノ神」に声を掛けたら、案の定「私だけで行って来い。」だった。 昨日は、行くような事を言っていたが、やっぱり3連チャンはダメか? そうなると、朝食も省いて私は独り歩きになってしまった。 でも、8時半までに車に戻ったから、後は何でも出来た。