4/30 「雨でも、身体がしんどくても、山に行く。これがなくなったら、私はもう終わり。」そんなつもりで歩いている。 もうどんな山でもよくなって来ている。どの頂きにも、それなりの喜びがあり、そして、それは自分で作るものだと思っている。

 雨でも何かが違う。今回は新緑が濃くなって来ていた。そして、ちょっぴりススダケを頂いた。また、Ganyさんや松田氏とマキちゃん、Naoさんとも会えたし・・・



4/29 本当なのか分からないけど、明日の予報は悪い。悪ければ止むのを見計らって、いつもの所へ行くしかない。 後の2日間は、「山ノ神」と話し合わなければならなくなる。



4/28 そしてである。分かっていたけれど、いっぺんに3本の歯を失った。非常にショックである。 デンタルクリニックで3時間の治療を受けたのであった。これを機会に、暫くの間暴飲暴食を控えようと思っている。 その代わりというのか、背中から左肩の痛みが、ちょっと和らいだ感じだ。全く関係性がないのだろうが、こじつけないでおられない。



4/27 何だかよく分からないが調子が悪い。意欲も当然落ちて来る。一番悪いサイクル(パターン)である。でもである。 山には行く。行かなければ死んだようなものだから・・・ 今度の休日(私達の休日4/30~5/2)は、必ずしも山行日和ではない。 低山で茶を濁す事になるかもしれない。



4/26 一昨日の中山山頂でM嬢とT嬢との語らい中、いろいろな山の名が出た。そして、私が100回以上登りたい山の中で大地の名が出た。 現在68回で、なかなか100回に届くには時間が掛かり、80歳になっても分からないと言うと、「これからの時期に登れ・・」と言われたのである。 「100回に近付くよ!」の他に、「新緑はなかなかいいよ!」「山菜もあるし・・」だった。

 「私は、きれいな大地・初雪山が好きで登っているのに・・」なんてこった。と思わずにおれなかった。雪解けが進んだり、黄砂に見舞われたりするのにも 違和感を感じているからである。1月に行っても、4月や5月に行くはずがないと思っていたのである。YAMAPで夏や秋に登っておられる方の事も 拝見したりしていたが、まさか彼女達の進言に、心が揺さぶられるとは思ってもみなかった。少しは考えてみるに値するかもしれないから・・・



4/25 今年から毎週3連休にしているが、全部自分の好きなようにとはいかない。それは、車が一台しかないという事が大きく作用している。 中古でも、小さい車でもと、時々話題にして来たが、経済的な事はもちろんあるが、益々好きな事をされて離れて行くから、ダメというのが一番の理由であるらしい。

 今回も僧ヶ岳に一日費やした事もあり、後の2日間は「山ノ神」の希望を組み入れてやろうと思うが、山の名が出て来ないらしい。それは、自分が登れるかどうか  分からないからであろう。しかし、山菜採りなら「あそこ・・」「ここ・・」などという。しかし、山菜採りをしても、  お山のてっぺんに登りたい私との接点を見つけ出すのに苦労するのである。

 今回は、庄川側から牛岳としたのであるが、登る前からワラビ採りであった。もちろん、登り始めても、何かないかと、キョロキョロは言うまでもない。  それはそれでいいのであるが、もう一ヶ月続くのであるから、その折り合いが難しい。今日は、グチャグチャの泥濘もなく、ズルっとなりそうな斜面もなく、 歩きやすい登山道であった。6合目では、たっぷりとコーヒータイムを取った。6合目から稜線までの急登は、積雪期や残雪期よりは足取りが軽そうに思えたが、 それも、ススダケがないかと探していたからかもしれない。

 稜線にあるブナ林の芽吹きは新緑の候を感じさせる。このブナは、一年を通じ私の好きなところである。 三角点(最高点)からは、五箇山の山々と遠くに聳える立山連峰を見た。 もちろん、砺波平野と富山湾もである。取り敢えず牛岳権現様の山頂に行った。単独でおらえれた女性にシャッターを切ってもらって、 再び三角点に戻り食事とした。
 私は、カップ麺とコーヒーの簡単なものであるが、「山ノ神」は、嗜む物があり、それを飲まないと終わらない。 高岡在住のH女史と暫しの語らいをしたが、新鮮な山への向き合いを感じた。雨が落ちない内に車に戻ったが、その後も、山菜採りの偵察に付き合わされたのでした。

 

4/24 馬場島へのゲートが開いたからか、平日の月曜日というのに、多くの登山者が中山を訪れていた。上部に残雪があり、四苦八苦する人もあれば、 難なくクリアしていく方もあった。怖がり屋の「山ノ神」に、チェーンアイゼンを着けさせたが、それでも不安がいっぱいのようだった。
 中山山頂では、、いろいろな方々との会話を楽しむ事が出来2時間半近くいた事になる。劔岳は、ずっと素晴らしい姿を見せてくれていたし、 それは車に乗ってからでもであった。



4/23 この歳になると、一緒してくれる仲間が、喜んでくれるのだろうかという事がどうしても気になる。 それは企画者として当たり前なのであるが、楽しみや喜び以上に、気が重くなる一点でもある。

 喜んでもらえるのなら、それ以上の喜びはない。しかし、私からみれば、当然若い方々と一緒するわけだから、 足手纏になるのではとの心配が脳裏に浮かんで来る。幸いにも今のところ、持ち上げてもらえる方々の真ん中にいる状態で事なきを得ている。

 兎に角、山登りであるから歩かなければならない。口から出る講釈だけでは長続きしない。歴史や経歴など、そのような物はすぐに飽きられる。 何かを上回っている物がないと、きっと付きってもらえなくなる事は確実である。まだ雪中キャンプの仕法がある。ちょっと割り引いてもらっても、 それなりの歩きは、現在出来ているである。

 僧ヶ岳は、そのような事が作用したかどうかは分からない。しかし、この老骨を、もっと元気でおれるよう支えてくれそうな仲間?がいるから、 もっと頑張らなければならないとの思いにさせてくれる。本当に感謝である。
 大明神山や毛勝山、また駒ヶ岳を眺めながら、僧ヶ岳に向かう東又からのルートに、若い仲間?達は、  どのように思ったのだろうか?「まだ元さんと登りたい。」と言ってくれていたかのように思う心は、 もう少し、いやいや、まだまだのつもりで歩き続けたいと思うのである。



422 明日の僧ヶ岳へは5名になった。片貝第4発電所までは車が入る事は承知しているが、その先の事は掌握していない。歩くつもりで準備している。 明日も、北風が吹き気温が上がらないようである。安全第一で、尚且つ、楽しい山歩きにしたいと思っている。だが、 東俣登山口からの登りはじめの急登を凌ぐ事が出来るのだろうか? だんだんと、そんな心配が付いて回るようになってきた。



4/21 今年の山行が、あっという間に49回(50日)になった。今月の休日は、まだ4回もある。その一日が僧ヶ岳である。 一年に一回とか二回とかというと、後何回も登れない事になってしまう。それでは、希望とか憧れとか言っていても寂しいとしか言いようがない。

 このところ、GWの大熊山では、七夕様のように一年に一回であるが、お目にかかれる方があったが、暦のいたずらか、 今年の私のGW休日は、4/30しかなく、淡い夢となりそうであるが、元気であれば、またお目に掛かれると思うようにしている。



4/20 恒例の僧ヶ岳行きのシーズンがやって来た。今年はちょっと雪量が少ないようだが、そんな事はどうでも良い。 山菜採りも兼ねてであるが、今月3回も片貝の林道を歩いている。先日は片貝第四発電所まで車を乗り入れられるようになっていた。 登山口まで入れば楽なんだが、その先の林道の状況は掴めていない。

 「大地に登れなくなったら、山を止めるかもしれない。」と言っている私であるが、僧ヶ岳も、その試金石であるような気がしている。 残雪期は東又からしか登った事がなく、当たり前のようになってきている。片貝第2発電所から歩いていた事を考えれば、問題なく楽である。 キャンプをした時なども第2発電所からであった。そのような事が、3~4回くらいであろうか?
 しかし、粋がっているが、だんだんと体力は落ちて来ている。若者達に太刀打ち出来るはずもない。今朝のタイヤ交換でも、疲れが残るようになってきている。 でも、山に行きたい。



4/19 朝早く起きてタイヤ交換をしなければと思っていたが、身体がいう事を利かなかった。仕事前と言えでも5時くらいからやらないと、 時間に急かされてしまうので、6時半の起床ではままならず明日に延期とした。18インチのタイヤだから結構辛い。身体を痛めては何にもならない。 そろそろ業者に頼んだ方がいいのかもしれない。



4/18 今日のお天気もあまり良くないらしい。でも、今年3回目の片貝散策となる。第4発電所まで車の乗り入れOKとなっており、 林道歩きがなく、コゴミ採りに精出した。予報通り雨が降り出したので切り上げ、キャンプ場の東屋で簡単な食事をした。

 夕方から食事会の設定があるので、遠くも行けず、小雨降る中、千石城山に登った。こんな日に登らなくても(行かなくても)良いのにと思われるが、 休日は、何処かのお山のてっぺんに立たなければ、休んだ気になれないのだから困ったものだ。



4/17 身支度の遅すぎる「山ノ神」に切れってしまって、道中無言のまま2時間を過ごした。「道の駅山中温泉」に着いた頃に、 懸念していた雨が強くなり、停滞(待機)となった時点で、ようやく口を利く事になった。

 「止めるのもいいが、もう少し待とう。」となった。過去3回富士写ヶ岳に行った事があったが、大内峠からは初めてであった。  ちょっぴり分かりにくいが、入ってしまえば問題はない。それにしても、シャクナゲが凄かった。(良かった。) 長い行程が苦手な「山ノ神」であったが、 最後まで我慢して歩いてくれた。
 でも、雨が降った後だけに、ロープが施されていても、ズルっとなりそう。転ばないように歩いたのと、 これでもかと、シャッターを切り続けていたために、当然のように時間が掛かり過ぎてしまった。

 「1mでも遠いところ。」「簡単な山。」「高速を使わない。」「お花がキレイ。」が「山ノ神」の条件であったが、「早く家に帰りたい。」と 最後の最後に、美川から小矢部まで高速に乗らせてもらった。疲れた!



4/16 八乙女山100回記念を八乙女会?の有志の方々に祝ってもらった。「やっぱり雨か・・」と言われたお天気であったが、 その後それほど荒れず、それどころか、時々、陽が差すからお天気は分からない。通常の登山道を歩き、東屋から時計回りの反対コース(そして、周回)を 歩き東屋に着いた。

 重荷を担いだまま最高点・三角点と回ったのであるが、ズルっと滑りそうなところもあったが、皆さんバランスが良く転ぶような事はない。 皆さん凄い食材を担ぎ込まれたようで、常に歓声が上がった。本当に「わっ、ワッ」であった。「上手い、美味しい」の言葉も混在し、ずっと笑顔・笑い声が続いた。 途中、用事が有り退席された方には本当に申し訳なかった。

 本日、八乙女山100回を祝ってもらったのであるが、よく考えてみると、何回となくお会いしたけれど、一緒に登った事もない方や、 一緒した事があっても、数えれるくらい方々ばかりなのに、こんなにしてもらって良かったのだろうかと思ってしまった。 こんな機会を得たからには、今度は私が応援してもらった方々に、お返しをしなければならないと思うのである。そして、元気で歩き続けるのも恩返しの一つかもしれない。 ありがとうございました。



4/15 明日のイベントに、わくわくドキドキしている。そして、集ってくれる方々は皆若いと聞いている。どのようなスタンスで臨めば良いのだろうかと、 ちょっと悩んでいる。でも、「山」という共通点があるから、それだけで良いのかとも思ったりもする。

 本当は嬉しいのに、反対な事を思ったりするから、年寄は困ったものだ。きっとご馳走になるのだろうから、私(達)は何を、持参すればよいのだろうか? まるで、少年時代の遠足に行く前夜のような気分である。



4/14 今度の日曜日(4/16)八乙女山100回目を目指す事になった。その100回を祝ってくれるグループが現れた。しかし、私の100回は、平成9年1月からの通算であり、 一年に100回以上、また100回近く登っておられる方々があるので、恥ずかしくてダメだと辞退をしたのであるが、 そんな心意気のある方々の好意を無視するわけにいかないと思い、恥ずかしながら受け入れる事にした。そして、折角なのだから喜んで、そして楽しくとの方向に変わっていった。

 私の八乙女山は、時間のない時や、お天気の悪い時に出掛ける事が多く、本当の八乙女山の良さを知り尽くしていない。しかし、登るに連れ、いろいろな方々との交流も有り、 お花の種類に目を向けるようになってきている。しかし、私の基本は、鍛錬の山であり、一年を通じて気軽に歩ける山なのである。もし、八乙女山100回を祝ってもらえるとしたら、 傘を差しても行く。悪天でも行くという事くらいである。そして、普通の歩きなら、100回登るには100日掛かるのである。

 平成18年6月には、牛岳100回を多くの方々に祝ってもらった。新聞社の取材まで受けた。夜の宴会(祝賀会)まで設けてもらった。あれから17年である。 長い間の蓄積は、牛岳・小佐波御前山に次いで、八乙女山の100回に至る。歳取っても、やわやわ登っておれば、想い出と共に己の記録が付いてくる。 今年中に千石城山、来年には金剛堂山も100回の仲間入りになるつもりでいる。

 後1年とか、後5年とは言わない。ずっと山と関わっていたい。元気なら行けるのです。以前には、「這ってでも行く。」と言っていたのが懐かしい。 八乙女山に来てくださる方々とのお話を楽しみにしているが、「喋り過ぎ」に気を付け、楽しい山行となればいいと思っている。当日の天候は、あまり良くないようであるが、 決して私好みではない。(笑) でも、若い方々から、多くの知恵や情報を得たいと思っている。



4/13 近頃の食べ過ぎ・飲み過ぎ・歩き過ぎが、ちょっと心配になって来た。食べ過ぎ飲み過ぎだから、それを消化するのに断然歩かなくてはいけない。 しかし、疲れて来たのか、ちょっと座ると眠たくなって来るのである。朝早く起床するから余計にそうなるのだろうが、年寄の典型であるから気を付けないといけない。

 「死ぬ時は食べれなくなる。」を思えば、「食べれるのだから・・」まだまだである。「毒のアルコール」に勝っている(負けていない)のだから、私はまだ元気なのである。 「歩けるじゃない! 元気だからだよ。」と、何もかも自分勝手の解釈をしている。ところが、家で食べたり飲んだりしている時は、睨らまれながらであるから、ちょっと どうかな・・・



4/12 中学時代に、二泊三日立山登山を2回経験しているが、それを別にして、高1の9月、福光町祖谷から医王山に登り 石川の湯涌温泉に降りて金沢から帰宅したのが、山岳部の門を叩いた一週間前だった。もう60年前の出来事である。

 運命共同体と称して、歩いた仲間も山の事故ではないが、半分の4人が亡くなっている。山の事故と言えば、同行時ではないが、 二人の仲間を失っている。私自身は、小さなケガしかないが、それでも何回となく有り、一ヶ月近く仕事が出来なかったりしたものだ。

 そんな自分であるが、山から離れる事が出来ず、それなりの歩きを模索している最中である。長くやっていると、自分の衰えを悲しいと思うか、  まだまだこれからだと思うかは、人それぞれであるが、それなりの元気さえあれば、新しい出会いがあったりして楽しい事の方が上回るような気がしている。

 幸い私には小さな目標がある。笑われているかもしれないが人生の目標である。100回以上登る山10座、10回以上登る山100座、80歳になっても雪中キャンプをする。 そして、140歳まで生きる事である。何もかも積み重ねである。山で知り合った方々との会話も数多くなれば、より親しくなると私は信じている。



4/11 片貝の林道には雪はない。でもゲートは閉まっている。第4発電所に新たな通行止めの標識が設けられたから、 おそらくキャンプ場が開く4/20から、そこまで入れると思うのですが、その先の事はまだ分かりません。

 今日は、工事関係者の他に、魚津市・富山県・北陸電力の車が何度も往来していた。そんな中、私達は相変わらず歩いて来ました。 お花が凄くキレイでした。タラの芽やコゴミをゲットしてきました。でも、28℃の高温で疲れてしまい、もう一座はナシとなった。



4/10 今日は大辻山へ。城前峠まで車を入れる事が出来、往復で1時間も楽する事が出来た。何処も此処もであるが雪が少ない。 今朝は雪が締まっていたから、少ないなりに歩きやすかったが、帰りは川の中を歩いている感じであった。

 しかし、山頂からの展望は素晴らしく、ベンチ・テーブルを造らないでも、1時間半の長居をするに至った。 今年の1/8は、⑥のブナ林であえなくダウンしてしまった「山ノ神」であったが、今日は何とか山頂に辿り着く事が出来 、まだまだ感を匂わせた(笑) 帰りの林道歩きは、当然の如くフキノトウ採りであった。



4/9 今年は、毎月金剛堂山に登ると宣言した(いや希望?目標?)が、休日が限られているし、お天気の事もあるから 一年を通してとなると、そう簡単ではないと思っている。しかし、今回の4月は上手い具合にマッチし それも、好天の日に出掛ける事が出来た。

 雪解けが進み、必ずしも歩き易いとは言えなかったが、前日の冷たい雨が、山では雪となったようで、 素晴らしい樹氷を見る事が出来た。単独行の私は、それなりのペースで歩く事が出来、早い時間に山頂を越える事が出来、 大好きな斜面にシェルターを造って、暫し至福の時間を過ごす事が出来た。

 来月は、恒例となりつつある八尾側からの歩きとなるかもしれないが、でも、また山菜ツアーで周回をするかもしれない。 一回と限らず何回でもいいのである。元気であれば、いつでも何回でも歩く事が出来る。



4/8 本当なのだろうかと思うほど、明日からの3日間は、お天気になりそうである。この先どうなるか分からないので、明日は4月の金剛堂山に出掛ける事にする。 それは、お天気の事もあるが、行きたい山が目白押しだからである。明日もそうであるが、私の行きたい山に、「山ノ神」が、だんだんと行かないと言うようになっている。 だから、3日間の内の1日、2日は「山ノ神」の希望を聞いてやらなくてはいけないだろう。



4/7 新聞の週刊誌(週刊文春)広告の見出しに「終活中なんだよ タモリ励む糟糠の妻の介護」とあり、「山ノ神」が、「糟糠」をなんて読むの? と聞いて来た。「そうこう」と読むんじゃないの?と言ったものの、あまり見聞きしない文言に早速調べてみた。

 ” 糟糠の妻とは、貧しい時代から一緒に苦労を重ねてきた妻という意味のこと。 糟糠の語源は酒粕と米ぬかで、妻はそのまま夫人、妻のことを指している。 由来となっているのが中国の歴史書である後漢書に書かれている「糟糠の妻は堂より下さず」である。 貧しい時代から支えてくれた妻は出世しても追い出すわけには行かないという意味がある。 ” とあった。分からないままに、何だか一つ勉強した事になった。

 私は、十数年前に静脈瘤の手術をした事がある。血管が浮き出て見てくれが悪いし、梗塞を回避出来るのではとの思いであったが、痒いとか疲れやすいとの症状はなかった。 術後の医師の話では、梗塞は私の思っている血管ではなく、身体の中央部の血管であって、血栓が飛ぶ事の回避にはならないと言われ、ちょっとがっかりした事があった。

 ここに来て、足に大きな色素沈着が見られ、温度が高くなると(特に入浴時)痒くてならなくなっていた。だんだん酷くなるので、思い切って皮膚科を受診してみた。 それこそ医師の話では、静脈瘤のものでなく、乾燥しているからであると、自信ありげに言ってもらい、副腎皮質ホルモン外用剤を塗れば治ると言われたが、 みるみるうちに良くなっていくような気がしている。良かった。



4/6 2日前、酔っ払っていたわけでもないが、ウトウトしていて、PC前の椅子から転げ落ちてしまった。よくある事なのですが、 今回は、足の甲と太腿の外側、そして左肩を打ってしまったようです。痛みはありますが、生活や山行に支障はありません。

 しかし、触ると何となく痛いのです。病もそうですが、ケガが一番ダメなのですが、何回もやっているのに注意が足りないようです。  眠くなったら、すぐ寝なければいけないようです。擦り傷だってすぐに治らない昨今、「ケガしたら山に行けなくなる。」を、改めて肝に命じたいと思います。



4/5 現在、体力の衰えを感じながらも、大好きな山歩きを続けれる自分に結構満足をしている。それに飽き足らず、次の目標が出来れば、 この上ない喜びである。私には、山以外の話題は少ない。と言っても、その山歩きが、途轍も無い事をやっているわけでもない。

 長くやっていて、その累積を楽しむ事くらいしかないが、そんな数字の遊びと言えでも結構楽しいのである。そして、励ましてくれる方々が現れ、 一緒してもらえたり、お話が出来たりするのであるから、こんなステキで楽しい事はない。願わくば、ずっと、このままで行かないものかと欲に切りがない。

 山好きには、いろいろな目標があり、名山踏破も一つである。また県境踏破もある。私には、そのような体力や実力は最早ない。 しかし、「この山は負けない。」ような曖昧ではあるが、数多く登る事を目標に掲げている自分がいる。これまた結構楽しいのであるから仕方がない。

 一つの山だけなら、そのような方々が結構あると思うが、10座20座 100座になると、そうそうおられるとは思わないのである。 50回以上10座は、間近になった。今年中には叶えられそうである。難しいとは思うが、その余勢をかって、100回以上10座を狙ってみたい。 牛岳・小佐波御前山は既に終えている。八乙女山と千石城山は間近である。金剛堂山は、来年中に到達すると思っている。 後の大辻山・白木峰・大地山・白山・人形山は、元気であれば不可能ではない。

 10回以上100座は、なかなか遠い。しかし、現在60座である。意識して登れば、決して無理ではないような気がしている。 一年356日しかないから、そう簡単ではない事は重々承知している。そしてまた、仕事をしているのが障害だとは思っていない。 尚更意義があると思っている。重度の病に掛からないのが全てであるが、「好山病」しかも重症である。だから・・・



4/4 「雪割草を見に行きたい。」「久しぶりにお会いしたい。」「行動を共にしたい。」以前からの顔見知りであったが、 LINEグループを俄に立ち上げた経緯があった。休日も環境も違いながらのグループ山行である。「火曜山行会」

 下司女史に土井女史と私達二人、そして、途中からマキちゃんが駆け付けてくれた。雪割草の終焉を予想していただけに、 咲き誇る様に皆の笑顔が喜びを表したように感じた。終焉を迎えていた雪割草もあったが、まだこれからの物も数多くあった。 早朝でなく、陽がいっぱい当たる時間帯が宜しいようで・・・

 昼食は、持ち寄った材料に、ちょこっと採ったタラの芽も食材とした。この時期に珍しいヒラタケまでも。(てんぷら)  何もかも美味しかった。こんなのなら、時々催しとして企画しなくてはと思ってしまった。いやいや、時々だから良いのかもしれない。 楽しい一日を送られてもらった事に感謝しなければならない。明日から仕事をして、また楽しまなくては・・・・
 今度は池田氏も一緒なら、もっと楽しかろう。



4/3 最近の雪解けの速さに合わせ、恒例の片貝散策兼偵察を前倒し歩いて来た。雪解けが早くても、キャンプ場の開始は4/20だから、 片貝第2発電所のゲートは、しっかり閉められている。それを承知の上での散策と僧ヶ岳への偵察であった。

 フキノトウは大方伸びてしまっていた。第3発電所辺りに行くと、それなりにフキノトウはあるが、まだ所々雪が残っている。 もちろんコゴミはまだ顔を出していなかった。第4発電所辺りに行くと、残雪と溶けたなりの状況が相まっていた。

 今年も、東俣から僧ヶ岳に登りたいと思っている。毎年これが最後かもしれないと思いながらであるが、 一回でも多く登れたらハッピーである事は間違いない。もう残雪の毛勝山や大明神山は登れないかもしれないが、 伊折山から成谷山まで、ずっと、その毛勝山や大明神山を眺めるのが私は好きなのである。(今年も今月あたりに登りたいのであるが・・)

 今日も、片貝散策・偵察の後、千石城山に登った。当初は、八尾辺りの山に登りたいとの予定であったが、 花粉症が酷く、とてもとても、そこまで行く気分にもなれなかった。でも、もう一座の欲が働き、今日も千石城山となったのである。

 「山ノ神」は、車で待機! クシャミや鼻水を垂れながらの歩きであるから、挫折も有りかなと思ったものの、 意外や意外で、昨日よりも速く歩けたのであるから不思議であった。その時だけ、少しだけクシャミを収まっていたような気もするが、 それはわからない。



4/2 午前4時半に家を出た。そして、迷ったが桑首林道に車を入れた。このお陰でロートルは助かった。 ほぼ稜線まで雪が無かった。それくらい、今年は雪解けが進んでいる。危険なところなど全くないと言っても間違いはなかろう。

 スタート前は、「土倉は行かない。」「荷はなるべく軽くする。」などと、シャベルの持参もないとしていた。しかし、「休憩するのなら・・」 「ゆっくりするのなら・・」などを理由に、やっぱり担いでしまった。それが奏功し、劔岳や毛勝の山々を。ゆっくり眺める事が出来たのである。

 山頂で、ひさっちさん・キャンディさん・Fullさんと同行の紳士パーティーに遭遇し、記念の写真を撮ってもらった。 そして、久しぶりの再会に思わず強く握手をしてしまった。「来年、初雪山へ行きたい。」とのリクエストをもらったが、 それこそ元気でいなければならない。

 歩き足らないわけでもなかったが、その後、千石城山に登った。それこそ一心不乱で歩いた。「俺は、まだ元気だ!」と、 自分にアピールしたかったのかもしれない。



4/1 明日は、一週間延びた「山ノ神」と孫達の大阪行きで、私は自由の身(笑) 何処へ行こうかと迷ってしまったが、 結局は大倉山に行く事にした。今年は、何処もかも雪解けが早く、山仲間で言う賞味期限が切れそうである。

 小白木峰と臼越山は、雪切れでは無理する事もなく、毎月目指す金剛堂山は、まだ機会があると見送った。 大倉山は、一年に一回以上は行きたい山で、明日を逃せば、これからの予定を考えれば、それこそ機会を逃してしまいそうだからである。 雪が腐る事を覚悟しながら、少しでも早く出掛けたいと思っている。