3/31 まりさん・美香子さんにお誘い受けた赤祖父山は、楽しいの一言に尽きます。そして、途中・山頂を問わず、いろいろな方々に、「元さ~ん」と声を掛けて頂いた。 「そりゃ、嬉しいに決まっている。」でも、お名前をなかなか覚えきれず、不愉快な思いをされている方もあるやもしれない。(ゴメン!)

 山頂からは、グルート氏とマダオ氏も一緒になって行動、そして、福寿草群生地では、文夫氏に案内を頂いた。 福寿草の開花が、「もうちょっと」と思われた方があったかもしれないが、私としては、何もかもがステキで楽しかった。もちろん赤祖父山のブナ林もである。

 

3/30 拙い私の記述に対して2通のコメントを頂いた。その内容がどうであれ、嬉しくてならなかった。勝手であるが、「認められている。」「山の仲間である。」 と、思わずにおられなかった。そして、「明日は何処へ・・」も、3件あった。本当に励みになるのです。歳を重ねていても・・・



3/29 昨日の続きではないが、いや、続きかもしれないが、私のボヤキにお付き合い願いたい。退職したから、高齢者になったから、70歳になったから、という理由らしいが、 「片付けなくてはならない。」「いらないものは捨てなくてはならない。」という方がたくさんおられる。一つの区切りとして、「処分されるのは有りかな!」とは思う。

 でも、自分の好きな物、或いは、使っている物、想い出深い物を、慌てて処分する事はないと思っている。後の人に(子達の後継者に)迷惑を掛けたくないが、その理由なのであろうが、 全く使わなく、また見る事もないのなら分かるのであるが、そのように思うなら、その費用(処分費用)を、別途残しておけば良いのではと、思うのであるが如何であろう。 自分の周りの物を、何もかもを処分に至るのは、自分の人生を、ことごとく、否定しているように思うのである。

 それだけではない。年賀状をはじめ、今まで付き合っていた仲間との集いに行かなくなる。友人・親戚・どうかしたら、町内会の方々とも、限られたお付き合いしかしなくなる。 経済的な事、体力的な事もあるかもしれないが、寂しくてならない。「人生これから・・」とは思えないのであろうか? 可能な限り何処へでも出掛ければ、 いろいろな方々と知り合いになり楽しくなる。一過性のものかもしれないし、忘れるかもしれないが、そんな事に負けないようにしたいものだ。

 「私にしても、たくさん忘れる。」忘れて困る事もある。しかし、何か新しい物を覚えられれば、差し引き同じような気がして楽しくなる。私は、現在、失う友人より新しく得る友人の方が多い。 でも、これは元気であるからだと思っている。その私だって、不具合の事をたくさん抱えている。でも、後ろ向きには考えない。「140歳まで・・」を、宣言した事もあり、何か弱音を吐くと、 「元さん、140歳まで生きるのでしょう?」と励まされる。実に嬉しい。バカと思われても、この粋である。



3/28 新聞の訃報記事をみるにつけ、亡くなれる方の年齢を考えてしまう。平均寿命と平均余命が違うと言われても、健康寿命を、かなり超えてしまっている自分である。 私の周りにも、最近元気が無くなっていく人達が目立つようになってきた。走るスペシャリストだったのに、また、一緒に下ノ廊下を歩いたのには、過去の事と言い切っても良いのだろうか?

 仮に、入院していたとしても、手術をしたとしても、何もかもを、終わりにしなくてもいいじゃない。と私は言いたい。ましてや、「肩の調子が悪く、手伝ってもらわなくては、服が着られない。 だから、山は止めた。山用具を処分しようと思っている。」などは、正に、意欲を失ってしまっている。例え、身体の一部の具合が悪かろうが、何とかしてと思う心が欲しい。 「這ってでも・・」「足を引き摺ってでも・・」の意気込み・意欲が欲しい。

 いつも述べているように、人生の目標・目的があれば、その意欲が違って来る。それは、幾つになってもであろう。私は、長い間山をやっているだけで、自慢出来るような事はない。 だけれど、意欲が未だある。まだまだと思っている。技術は伴わなくても、やれる目標がある。大好きな「大地・初雪山」に関しては、大地100回である。(現在73回)

 そして、その延長線であるが、初雪山登頂最年長記録である。近年登られたかどうか分からないが、私より年上で、元気な方を知っている。私自身も元気でおれば、 追い付いて追い越されるのではと思っているが分からない。でも、憧憬深い山に情熱を傾けたいと思っている。初雪山への回数は、これからである若い方々には負けるに決まっている。 でも、毎年のように登り続けたい。

 

3/27 町内の総会後 懇親会有り。



3/26 雨。「こんなのでも行くの?」「行って見なければ分からない。」「行かなくても良いのだよ!」などと言ってみたものの、 「休日は山に・・」行くのが定番。ステータスとでも言うのでしょうか? 昨日、山友から、「八乙女山で雪割草を見て来た。」写真付きの情報を得て、 その確認したい思いもあった。

 ちょっとズル感もあったが、6合目まで車を入れた。その時が本降りで、階段を滝のように雨水が流れていた。8合目手前から、全面雪となる。東屋で、コーヒーと、昨日の残りの菓子パンを食べた。 「山ノ神」は可哀想にお粥である。しかし、その状況でも、ビールは欠かせないようだ。40分くらい滞在したであろうか、後は、山頂に行かず、前八乙女山を目指した。

 林道は、まだまだ雪が多く脛まで沈む。時折、膝上までズボッとなった。道宗道に入ると、殆雪がないのに、林道に出ると、またまた雪上を歩かなくてはならなかった。 前八乙女山周辺の雪割草を期待して行ったのであるが、今日の寒さで、花びらを閉じてしまったようであった。そして、まだまだこれからで、桜と同じように、少し開花が遅れるようにも感じられた。 それもこれも。今後の気温次第なのであろう。
 林道に戻ったら、雪上歩行である。ずっと続いた。雪の切れ間には、フキノトウがあり少しばかりゲットした。長い間雨に打たれた事もあり、傘を指していても、衣服が濡れ寒くなった。



3/25 昨夜の帰宅は9時を回っていた。疲れていたけれど、ルンルン気分で帰って来たのに、「山ノ神」にしてみれば、気分は良くなかったのかもしれない。 「私だけが楽しんでいる。」事になるのであろう。「来るな!」と言っているわけでないし、どちらかというと、「来たら良いのに・・」と言っている方なのである。 でも、本人からしてみれば、「行けない山」なのかもしれないし、過去に何度となく行っていたから、分かるのかもしれない。

 そして、「山ノ神」は、「訓練・鍛錬・練習など・・」は、キライなのであるから、尚更遠のいていってしまっている。 私が帰ったら、食事の用意は出来ていた。しかし「ふて寝」というのか、顔を合わせたくなかったのかもしれない。

 私は、HPやYAMAPの事があり、早めに起床していた。そして、雨の降らない間に出掛ければ良いのにの気持ちがあったが、相変わらず「山ノ神」は起きて来なかった。 やがて、起きてきたからと、希望の山を尋ねると、意外にも「千石城山」であった。「雨が降るのに・・」と思ったが従う事にした。そしてまた、「山ノ神」が 運転すると言うのであるから、これまたびっくりであった。車中は、お互い一言も喋らなかった。山に入っても、それは続き「無言山行」である。

 山頂で、一言二言、写真を撮るのに言葉を交わした事くらいであった。帰りも運転するという。「飲んだのでは・・」と問うたら、ノンアルだという。 スーパーに寄ると言うから、その後、モンベルに寄ってくれと頼んだ。しかし、スーパーに入ってから、私の一言が気に食わなかったようで、買い物を止めてしまった。 私は、「上市で何か良いことがあるのか・・」と尋ねたつもりであった。「何か好きな物がある。」「特売である。」「高岡に帰ってから、また買いに行かなくてよい。」などの 返事を期待しての問いかけだったのに、「イヤな言い方をした。」との一点張りである。
 この頃、このような事が多くなってきた。話がキライなわけでないはずで、 私と話すのが、イヤ・苦手なのかもしれない。必然的に、今日もこのまま会話はないだろう。では、今日の千石城山は何だったのだろう。 これは、「休日は山に・・」いわゆるご飯と同じなのかもしれない。



3/24 曇りがちの予報であったが、「降らない。」を信じて大地・初雪山を決行。最近、臆病になったのか、それとも、体力に自信を失いかけているのか、 自分から積極的にお誘いをしなくなったような気がしている。しかし、山歴が薄かろうが、大地・初雪山大好き人間と、YAMAP繋がり?(何回となく山中でお目にかかっている)から、 お声が掛かれば、何の躊躇もなく、ご一緒する事になった。そして、「大地・初雪山を大好きにさせてやろう!」候補の輩に声掛けもした。

 どうであれ、予想に反して、幸運にも好天に恵まれ、また、チームワークよく楽しい山行となった。「何としても行きたい。」という意欲は、何をも上回るような気がする。 日頃からのお付き合いのある山友に、初めてお会いした方も、同じ方向に向かうのであるから、良き声掛けも伴い、運命共同体となる。 一日で、何年もお付き合いしているような、錯覚さえ覚えるのだから不思議である。

 我々は、大地・初雪山に13時間要した。だから、普通の人達より中身が濃いのである。それだけ楽しんだのであるから、自慢しても良いと思う。速いだけが良いとは思わない。 そりゃ!速いのに越した事はない。そしてそれは、その時間を山と対峙出来るかに掛かっている。「辛くて、疲れて・・」であっても、それは、大好きな山と一緒していた事になる。



3/23 明日は変則的な大地・初雪山(4+2)山行になる。私は、どんな形でも良いから、好きな山域に行けるだけで嬉しい。事故なく楽しければそれでいい。 「疲れた。」とか、「足が攣った。」などは、時間が経てば治る。行きたいか行きたくないかだけである。どうであれ、今年、大地5回目になる。



3/22 この2日間、朝起きてみてびっくり、高岡では、一面真っ白ではないが、車の屋根や、フロントガラスに結構の雪が積もっていた。 そして、日曜日の晴れマークが消えてしまった。でも、多くは降らないだろう。(降らないと願う。) そして、ノルマ達成にならないけれど、夢を繋げたい。



3/21 晴れマークが出て来た。何だかワクワクして来た。「山ノ神」に、少々我慢してもらいラストチャンスに賭けれみたい。何事も思い通りにいかないものだが、 意欲というのか、チャレンジ旺盛でありたいと思っているから・・・と言っても、私の力量内の事しか出来ない。でも、それが尊いのだと、私は勝手に思っている。



3/20 相変わらず遊んでいる。しかし、「遊びと修行は紙一重」そして、私は、山歩きを仕事と言っている。(仕事は趣味で楽しく行っている。)昨年の元日から、先日の牛岳山行まで、 全休日山に出掛けている。(日・月・火) その先を調べて見ても、休日の殆を山行きに当てていて、いつから(その時は日・月だった。)休日全てのスタートか分からない。

 それが良いのか、ダメなのか分からないが、自分としては好きな事をしながら、身体を鍛え、時には静かな山で物思いに耽ったり、また、賑やかに、ワイワイと楽しんだりしている。 では、何を求めて山行を続けているのか、また続けるのかは、よくわからないが、この山歩きに、意欲の全てを表せているような気がする。何回登ったのかも、目標・目的の糧である。

 先日のエリーとの山行中に、イトコの訃報が入った。「やっぱり山か?」と問われたが、私にすれば、勲章のような言われ方なのである。今晩、そのイトコの通夜式に出向いた。 私には、父方のイトコだけで30人くらいいる。私はその中で、下から4番目であるが故か、参列しているイトコ達は、やっと歩いているような方が多かった。 自分で言うのも可笑しいが、真っ黒な顔をして、凛としているのは、他にはいなかったような気がした。

 イトコには連れ合いがいる。父方だけでも60人という事になるが、(父は、男7人兄弟の6番目。私は、父の5番目の子)現在は、22/60くらい存命かと思うがよくわからない。 (全国各地に散らばっているから尚更である。) こうなれば、元気で長生きして、呆れられるほど山歩きを続けたいと思うのである。



3/19 娘から、「エリーを山に連れてって・・」と頼まれた。特別山でなくても良かったのかもしれないが、山しか行かない私(達)だけに、 そういう言い方しか出来なかったのかもしれない。それは、一人で家に置いておくのもイヤだったのだろう。当のエリーは、前々日が卒業式だったので、 これからずっと、そうなるハズなのにと思ったが引き受けた。

 登山靴を始め装備たる物は皆無であるのに、山と言っても、雪のない山ならいざ知らず、我々の行く山には雪があるのだ。それも何とかしなければいけない。 ドロドロの登山道を歩くのもイヤだったし、昨日歩いて来た牛岳なら、トレースがしっかり付いているし、気温が高くならなかったら、そんなに沈む事もないだろうとなった。

 登山靴のサイズは、「山ノ神」と同じくらいだというので、冬靴とロングスパッツをエリーに、「山ノ神」は、夏靴にショートスパッツを履く事にした。 そして、雪が深くなるところで、エリーにチェーンスパイクを、「山ノ神」は、普通のアイゼンとした。リックは、エリーは軽いものであったが、途中「山ノ神」の物を 担がせてみたが、最後には元に戻した。私は、そこに至るまでの物を全て担がなければならないし、山頂のシェルターに届かない場合を考えて、シャベルやタープなども 持参しなければならず、またまた大きめのザック(80L)を用いた。

 しかし、案ずる事なく、三角点の前日造ったシェルターに、3時間余で行く事が出来た。エリーにしてみれば、雪の上での食事などは初めての経験であるし、 顔には出さないまでも興奮していたに違いない。私は、シェルターの下まで降りたら、雪玉を幾つも投げられ、バームクーヘンになって落ちて来た。 「危ないから止めろ!」と言いながら楽しんだ事になる。そこへ、エリーまでやって来ようとしたが、「ダメダメ」と、止めるのに苦労した。

 エリーと二人で、牛岳権現様を祀ってある山頂へも出掛けた。帰りも、ルンルンで軽快に下山できた。たくさんの写真を撮ったが、彼女にはどのように思ったのか分からないが、 多くは期待しないようにしている。



3/18 昨日は、一人で大地に行かせてもらったので、今日は、「山ノ神」の意見を聞き入れての山行としようと思っていた。「金剛堂山」の名が出たが、今の体力からして、 朝早く出なければ、結構辛い目に遭うからと言っていたのに、「山ノ神」は起きて来なかった。ならばと、牛岳行きに変更となる。先頃、マダオ氏と出掛けていたが、 牛岳はキライな山ではなく、すんなり決まった。

 しばらく歩いていると、女性が追い付いて来た。何とNaoさんであった。私はびっくりしたが、事前に「山ノ神」と打ち合わせがあったようだった。こうなると、夫婦だけでなく、俄然賑やかに、 また楽しくなる。お天気は、そんなに良くなかったが、時折、青空が覗くという、クルクルと変わっていた。小雪も、チラチラで結構寒かった。

 三角点(最高点=何故か今では、西峰と言われているらしい。)で、休むにはちょっと寒く、ましてや、私が穴掘りする間、待ってもらうのも心苦しく、二人に牛岳権現様を祀ってある山頂行きを勧めた。 その間、一生懸命シェルター造りに精出す。雪量からして、必ずしも立派な物にならなかったかもしれないが、1時間余過ごすには、まずまずだったに違いない。

 今年2回目、通算172回目となった牛岳であったが、時間的や体力的に、これからは出掛ける回数が増えるかもしれない。一年中楽しめる山ではあるが、 本来の雪量や気象条件を加味すると、厳しい事もあり、決して侮る事は出来ない。でも、1000mに、ちょっとばかし足りないピークであるが、私の愛す一座である事は間違いない。



3/17 午前5時に登り始め、正午頃までに、車に戻ればとの予定で3時に家を出た。今年4回目の大地である。休日を増やした事から、計画では7回を目指していた。 お天気周りの事もあり、なかなか思うようにならないでいる。このままでいくと、あと一回、あるかないかである。「大地に会いに行く。」という程大地が好き! 初雪山も好きだけれど、大地行きのオマケみたいなもんである。

 100回を目標に掲げているけれど、数字そのものより、たくさん行きたいという事の表現と思ってもらいたい。「大地に行けなくなったら山を止める。」と言っていたが、 最近は、「大地に行けなくなったら、山を止めるかもしれない。」にトーンダウン。それは、いい意味での上方修正なのである。

 今日は、私より早く夢創塾入りしておられたパーティーの方々に声を掛けて頂いた。しかし、暗くてよくわからなかった。物覚えの悪いのと、お顔がよく見えなかった事もあったが、 初雪山まで行かれる方々に、追い付いてお話というわけにいかなかった。おひとりは、やまちゃん(山ちゃん)と名乗っておられた。爆風を衝いて、初雪山まで行かれた事と思います。

 黒部山岳会のパーティーとすれ違った。リーダーの瀧本氏の歩きを拝見したが、相変わらず衰えを知らないという歩きをしておられた。その中に、下司女史もおられたが、一言しかお話出来ず残念であった。 今日は、大好きであっても、大地山頂は風が強く寒かった。それでも、一人で50分くらい滞在したと思うが、荷を軽くして臨んだ分(シャベル・タープなし)、長居出来なかった。



3/16 昨夜「大地に行きたい。」と言ったら「山ノ神」が不機嫌になった。「何回も行っているじゃない!」 「一週間前も行って来たじゃない!」などと、会話が途切れてしまった。 「やっぱり疲れた顔をして帰宅したのだろうか?」「それとも、お天気が良くないのにと思ったのだろうか?」

 しかし、今日になって、何事もなかったような顔をしている「山ノ神」 「誰か同行者決まった?」 まで言ってくれるようになった。病気(好山病)だから、仕方がないと思ったのかもしれない。   明日のお天気は必ずしも良くない。ましてや、午後から尚更良くない。早めに出て、お昼過ぎまでに、車に戻れればと思っている。しかし、そのような歩きが出来るだろうか?(笑)



3/15 出来れば もう一度大地(初雪山までなら尚更いい。)へ行きたいと思っている私。お天気が良いに決まっているが、そのような事を言っていると、益々機会が遠のいてしまう。 もちろん「山ノ神」のご機嫌伺いをしなければならないが、まずは、今度の日曜日か、月曜日に行けたらなどと、胸を膨らませている。

 まだ誰とも約束をしていないが、今までの自分と違い、積極的にお誘いは出来ないでいる。また、元気者の後に付いていけなくなっているのも事実。 でも、行きたい。「大地は大好きだから・・」 本当は、もっとキレイな時期に行けば良いのだが、なかなか思い通りにはいかないものだ。そして、その先に、もう一回行けるかもしれない。 でも、雪の状態が悪くなるし、黄砂や花粉などの怪しい敵の襲撃もある。



3/14 I君から、「大品山山スキー遭難記」なるものが、投稿されているとのお知らせを受けて覗いてみたが、 壮絶な実態が感じさせられた。身近な山で起きた遭難事故であるだけに、しかも、3/5の事である。身も心も、改めて引き締めなければ思ってしまった。



3/13 先日の大地山行の折、638mの標高点でピッケルを拾った。登り始めの1時間余、雪面にピッケルが刺さって(立て掛けて?)いた。登高中登山者の置き忘れではないかとも思い、 担いで行っても、「有難う」の言葉だけにしては負担が大きいし、その方が帰りに持って帰れば良いだけの事と、そのままにしておいた。

 それが、下山中(午後3時半頃)にもそのままであった。後続の登山者もなかったし、我々の後に、大地山を往復された方々もあったように思うが、誰もが気にかけながら、 通り過ぎられたようであった。このままでも埒が明かないと、私は、警察に届ける事にした。警察は、何だか敷居が高いように思えたが、それが一番と思いそうしたのである。 心当たりの方は、最寄りの警察に出向かれたら良いと思います。(私は、入善警察署に届けました。)

 ずっと前、何年経つか分からない頃の話であるが、大地山頂でピッケルを拾って家に持ち帰った事があった。私は、3本のピッケルを持っていたが、長いものばかりで、拾ったピッケルは短く 「いいな!」と思っていた。しかし、それではいけないと思い、当HP(当時は、元ちゃんの山歩き)にその旨を載せた。そしたら、その翌日だったか、翌々日だったか明確ではないが、持ち主が現れたのである。 奇跡のような本当の話である。その持ち主とは、今では山友として仲良くさせてもらっている。



3/12 今日は雨。近場の八乙女山に・・・。いつの間にか、雨が雪に変わった。今週の山行3日目の影響なのか、ピッチが上がらず、「山ノ神」に置いていかれる始末。 東屋では、盛んに雪が降りしきる様に、山頂に拘らないなどと、自分勝手な理由を付けて下山する事にした。もちろん東屋では、食事を済ませてからである。下山になって、荷が軽くなったからであろうか、 ルンルンの気持ちで降りる事が出来た。



3/11 「山ノ神」行きたがっていた黒菱山であったが、不調(食べられない)では仕方がなく、まりさんと二人の山行となったのを機会に大地山とした。 相変わらず夢創塾からの登りはきついのであるが、638mまで行けば、大地山への魅力が増して来る。それが、1,000mを越えると、樹氷が現れ、青空が広まれば、ワクワクとなる。

 大地までの計画であったが、お互い顔を見合わせ、「初雪山には届かないが、しばらく稜線を歩こう。」となった。初雪山頂に行かなくとも、近付き、そこに至るまでの絶景を楽しむのであるから、 シャッターを押す仕草は止まらない。
 歩くのも正午まで。そして、その食事時間もⅠ時間。何もかもが、予定内にぴったりと収まるから不思議であった。
 この山域に、「今年、あと何回来られるだろうか?」 賞味期限が切れそうであるが・・・「行きたい行きたいと言ってくれている方々を、たくさん知っているのだが・・・」



3/10 Naoさんと、そのお友達(健さん・かのさん)との山行となった。戸倉山の積雪は、例年と比べて何処とも同じで、少なかったのかもしれないが、 降雪後だったためか、かなりの積雪と感じられた。同時スタートしたスキーヤーや、途中から参戦された魚津のおばさんらの助けもあったが、同行の健さん・かのさんの 脚力が奏功し、随分と楽をさせてもらった。絶不調の「山ノ神」であったが、この日この時間帯だけは、それを忘れているかのように、イキイキ?していたかのよう・・・

 ブナ林と樹氷が相まって、ステキな山行となったのは言うまでもない。もしかしたら、膝ラッセルを、楽しんでいるようにも感じさせられたのであるから、今回の合同戸倉山行は成功だったように思った。
 穏やかな?雪庇を踏み潰しての食事処も、賑やかで楽しかった。たこ焼きやたい焼きにも歓声が上がった。必ずしも好天といかなかったが、それでも思い思いのルートを選んだ新たな雪を求めての降りは楽しくてならなかった。 ブナ林もステキであったが、白池や角間池の神秘的な佇まいも、戸倉の山に好印象を与えたに違いない。



3/9 明日の午前中は、まだお天気が良くない予報であるが、山好きは、それでも何処かへ行きたくなる。体調不良の「山ノ神」であっても、気持ちは、私と変わらないらしい。 そんなところに、山友から「戸倉山」のお誘いを受けて、「行かないモード」から、「行きたいモード」に切り替わったようである。

 明後日 自由をもらった私は、「山ノ神」に全面協力をしなければならない。「食べられない。」のであるから、どうして、エネルギーを調達するかであるが、 未だ良い方法が分からない。でも、誠意をもってすれば、通じるような気がするが果たしてである。そして、同行の士達に、迷惑を掛けてはいけない事は、重々承知しているつもりである。



3/8 明日は雪の予報。そして、明後日の日曜日も、あまり良くない。初雪山行きはない。でも、未だ大地行きは捨てていない。その次の月曜日は、少し良いようである。 今、あまり調子が良くない「山ノ神」、そして、一緒してくれる山友などと、話し合いながら行き先を決めたいと思っている。

 その次の週も、あまりよくない予報である。これで初雪山は終わりかと思うと、何だかやり切れなくなる。でも、まだ大地行きはあるかもしれないし、 他の山へ行く事も出来る。早々に諦めに掛からなくても良いと思っている。



3/7 今度の私の連休は、まだ何とも言えないお天気であるが、「あの山に行くたい。」と意欲は旺盛である。その山とは、大地・初雪山の山域である。 当然のように、一年一年脚力の衰えを感じながらでも、好きな山だけに「どうしても・・」となってしまう。しかし、その意欲こそが、私の心身を支えていてくれていると思っている。

 「大地に行けなくなったら、山を止めるかもしれない。」と言っていたが、その言葉を変更して、「どうしたら行けるか?を考えたい。」  歳を取ると、いろんな事を整理したり、縮小したりする人達が多くなる。私は、とても前向きとは思えないでいる。「意欲の低下」は、敵である。 「あれもしたい、これもしたい。」の気持ちを持ち続けたい。
 そして、「元気でおれば、いろいろな方々が付き合ってくれる。」 そんな気持ちの延長線である大地・初雪山への挑戦は、今年は、あと何回かもしれないが、望みを捨てずに胸を膨らませている。



3/6 電車に乗ったまでは良かった。ぼ-っとしてしまっていたのか、高岡駅を乗り過ごしてしまった。その間、「山ノ神」は、車内では戻したりしていなかったが、 当然の如く、悪酔いで見境がなかったのだろう。それでも、私の不注意だと(しっかりしていないと)文句を言っていたようだった。

 既に高岡駅に向かう電車はなく、タクシーもいない。いたとしても、ケチな私達は乗らない。千鳥足だったか、普通に歩いていたかは定かではないが、雨の中、テクテクと歩いたのである。 「やぶなみ駅」は、新しい駅だし、この辺の事は、全く分からなかったが、8号線に出て、横田町・金屋町・内免町を通って我が家に戻った。

 いつもより遅い起床になってしまったが、「山ノ神」が、「忘れ物をした。あるか無いか分からないが、やぶなみ駅まで行ってくれと言う。」眠い目をこすりながら、行ってみたが、 あるはずがない。「もう、みっともないから、飲み会に行かないと言う。」果たして・・・



3/5 夕方から、「好山病友の会」の飲み会があり、時間的な余裕を持ちたく、県西部の山としていた。そんな折、マダオ氏が参戦。意外と多かった雪量効果もあって、 楽しい山行となった。久々の牛岳であったが、数えてみれば、昭和38年から171回目。そして、意外だったのは、「山ノ神」の奮闘!「頑張った!」

 雨になったが、夕方電車で富山入り。好山病7名が集った。+ビデオ電話で1名。「楽しかった!」「たくさん飲んだ!」「またやろう!」となった。久々に会ったメンバーもあり、 私にしてみれば、同窓会的意味合いもあった。「元気でいなくちゃ!」「元気でいてこそ、付き合ってもらえるのだ!」良い気分で電車に乗った。



3/4 「今日は、どの山にしようか?」と思っていたが、予報は必ずしも良くない中、お昼前から、雨は降らないだろうと思う事にした。 まだ明日の方が、お天気は良いような気もしたので、今日は屋根(小屋)がある小佐波御前山とした。行ってみれば、意外と雪量があり、つぼ足でも、大丈夫なのだろうかと思うほどであった。

 高度を上げる毎に雪量は増えていった。星さんが現れた。「トレーニングのつもりでやってきた。」と言われたが、一緒する事になった。我々のペースに合わせてもらうのだから、 何だか申し訳ないような気がしていた。でも、彼の優しさは、それを上回っていた。しばらくして、猛烈に追い上げて来る女性がいた。釣女史である。こちらも久しぶりであったが、 意気投合しないわけが無い。二人の有名人と一緒すれば、話が途切れる事はない。

 小屋に入っても、その雰囲気は続いた。彼らの話に耳を傾ける話もあり、楽しくて仕方がなかった。二人だといつの間にか、言葉のアヤで諍いになる事があるが、 そのような事もなく、只々楽しかった。「静かな山」は、私の好きな言葉であるが、「人が恋しくなる。」が、付け加わるようである。そんなの自然な成り行きなら、どうって事はないじゃないか? お二人別々にお目に掛かったが、最後までご一緒頂いた。こちらでのコメントしか言えないが、「楽しかったです。」「またお会いしましょう。」



3/3 結果的に単独になってしまった大地山。雨降る前に下山しなければの勢いで、盛んにラッセルするも脛・膝まで沈むと、今の私の力量では覚束ない。 でも、大地は大好きな山。シーズンに何度でもやって来たい山。耐え忍んで山頂に辿り着いた。しかし、すぐに下山しなければならない程 時間を費やしてしまっている。

 爆風は、私のトレースまで消してしまっていたが、70回も通っているだけに、ガスガスでない限り、どうって事はない。時折、青空が見えれば、シャッターを切らなければならない。 そんな事もあり、全然休む間もない。担いで来た食材もそのまま。最後の最後に、赤松より下でコケてしまった。同時に足が攣り本当に困った。



3/2 明日の午前中は晴れると確信している。でも、県東部は、かなり風が強く吹くらしいが私は怯まない。大地へ一緒する予定であった仲間達であるが、皆都合が悪くなったらしい。 「でも、私は行く。」例え、途中で諦めなければならなくなっても、それはそれで、納得すれば良いと思っている。昨年は、通過も含めて大地山頂を5回踏んでいる。 今年はタイミングが悪く、未だ1回しか、その機会がなかった。



3/1 今朝起きて朝日町の予報を見たら、夜半からお昼近くまで晴れから曇りとなっていた。それが、県下至るところでも、そのような予報であり、 半ば諦め掛けていた大地・初雪山に芽が出て来たと嬉しくなって来た。それでも、午後からの雨は変わらないらしく、大地だけになると思うが、雨降る前に降りて来られればと思っている。

 始めから雨なら諦めもするが、ちょっとでも晴れるのなら(降らないのなら)、大好きな大地だけに、何としても行ってみたい。この日に約束していた仲間達の意向も充分に聞き、 判断しなければならないが、とにかく、明日になっての予報を、今一度精査しなければならないだろう。