7/31 このところ足の手入れが悪かったからか、あちこちに支障が出て来ている。真冬の金剛堂山で、穴に嵌って痛めた左膝をかばうからであろうか、 右膝まで、時たまだけれど何だか変である。サポーターを忘れると、長い距離に不安が付き纏う。それでも、速くは歩けないにしても、普通に歩けるのだから、歳相応ではある。

 今度はどうしたわけか、左足の指の皮が剥けていた。また、右足の親指の爪がはぐれそう(取れそう)。下手ではあるが、テーピングというのか、自分なりに、しっかり巻き付ければ 何とか歩ける。「歩けなくなると、死んだのと同じだ!」ずっと、そんなつもりでいる。これからもそうである。それよりも、この暑さに参っている。 やっぱりエアコンに頼らないとダメなのだろうか?



7/30 デリカのリコール手続きで思いの外時間を費やし、八乙女山は午後からとなった。高岡発から、雨は強弱を繰り返して、その上に蒸し暑さが加わって、やり切れなかった。 駐車場に着いた頃は、雨が止み、お腹が空いていたので軽い食事となった。後の所用のために、ちょっと時間の事を言ったばかりに、「山ノ神」は、それが気に入らなかったのか、 プイと先に行ってしまった。

 その間も、雨は強くなったり小降りになったりを繰り返していた。登山道は、川のようになっていたが、雨の濡れか汗なのか分からないくらいに衣服は濡れてしまった。 当の「山ノ神」の姿が見えないほどであったから、燕岳で烙印を押してしまったが、怒らせば、ちょっとしたところに、メンバーと行けるのでは思ったのであるが、 東屋に行っても姿が見えず、展望台にいるのかと思っていたが、ちょっと隠れていたのだと言うのだから呆れてしまった。

 東屋で2度目の食事(半分に分けていた。)となったが、「山ノ神」が例の物を飲み始めると、貝のように閉じていた口が開いた。一緒に歩いても会話がない。  喋れば、同じ事と言われてしまうか、機嫌を損なうような事だと言うし、本当に弱った。いなければ困るくせに・・・



7/29 昨日の金山・天狗原山に、午前2時頃出発して、午後9時ちょっと前に帰って来るのだから、どれだけ自分が登れないからと言っても、「山ノ神」にしてみれば、気分は良くはあるまい。 それは、過去に何度か出向いている事もあるから尚更であろう。お互い分かりあっていても、割り切れない何かがあるのだろうか・・・

 今日は、「好きなあなたのところへ・・」と言っても、なかなか「あそこへ、ここに・・」とは、言えないようであった。ならばと白木峰を提案した。「林道歩きでも、何でもいいから・・」 ワタスゲやニッコウキスゲのシーズンは過ぎても、風衝草原を歩くのは、それなりに良いものである。少々暑くても、時折、吹き抜ける風は何とも言えないくらいに気持ちが良い。

 お花も探せば、いろいろとある。私は、その知識は「山ノ神」に劣るので、「これは・・」と、何度でも煩いくらいに聞いた。日頃会話の少ない夫婦なれど、やっぱり答えなくてはいけないだろう。 デリカは、明日から5日間リコールで我が家から離れる。(もちろん代車はあるが・・)そして、次予定の山行には間に合うのですからご心配なく。



7/28 猛暑なれど、山のお天気はイマイチ。でも、元さんは「必ず行く。」だからか、直前のキャンセルなどない。しかし、登山口では、強くなった雨に、一応どうしようかと待機した。 でも、淑女でありながら、猛者でもある彼女達は、前に進むしかないような気配。それが奏功したのか、少々の泥濘、そして、崩れている箇所を我慢した甲斐があってか、天狗原山手前から、 予想以上にお花畑が広がっていた。

 「ここまで来たら、金山まで行かなければなるまい。」それは、全員の思いであった。お互いお花を撮りまくっていた。それほど素晴らしかった。昨年一緒した美香子さんも、「今年の方が良い。」 と言われるのであるから、間違いはないだろう。雨は降ったり止んだりであったが、晴れ女を自称するNaoさんあってか、金山到着後は雨は止んでしまった。それどころか、 ちょっとではあったが、近くの分からないまでも山並が伺えただけでも本当に良かった。「次も・・」とか、「来年も・・」とか言われて嬉しくてならないのであるが、 だんだんと衰えていく身体を、どう維持出来るかに掛かっている。



7/27 予報は必ずしも芳しくないが、行きたい者同士で、金山・天狗原山に出掛ける事になった。昨年より「お花は早い。」との情報があるにしても、 お花の山だけに、何かは咲いているものと信じたい。もしかしたら、いや、かなりの確率で泥濘を歩く事になろうが、無事でさえあれば、「あの時は・・」などと、 良い悪いは別にして、忘れられない山行となるに違いない。



7/26 人生には何か目標があると楽しいし、生き生きするような気がする。私は、山の事くらいしか目標を見出せないが、それでも、「140歳まで生きる。」が、 達成すれば世界記録間違いないだろう。(笑) 山の事になると、百名山を目標にする方が多い。二百・三百名山ある。花の百名山もあれば、新百名山もある。 もちろん富山の百山もあれば、越中の百山もあり、それを目指すだけでも楽しい。そうなれば、休日が待ち遠しくてならないだろう。

 私は、一応は目指しているが(目指していたが)、最近は、「どうでもイイや」の他に、「登れない。」「行けない・」の山々も現れ、違った目標を持ち始めている。 一回くらい登っても、良くわからないし、何年も経ってしまったら、よく覚えていなくなるのだから、「同じ山に、何度でも登ってやれ!」になっている。

 50回以上を100回以上に上方修正し、10座を目標としている。もちろん、50回以上を、数多くの山にまで広げる事が出来れば尚更よいのであるが・・・。 100回以上10座より難しいのが、10回以上100座である。コツコツ登れば何とかなりそうであるが、好きな山に傾倒してしまうので、その回数を増やせないジレンマがある。

 先日の入笠山・燕岳・焼岳は、それを意識して登ったのであるが、私ほどの歳になると、楽しくなくては何にもならない。それでも、9回・8回・9回とカウントする事が出来、 「まだまだ元気でいなければ・・」、などと意欲むき出しになる。そしてまた、同士と仲良く、楽しく歩ければと思っているが、歳取れば、若い人達に嫌がられるかもしれない。 そのようにならないためにも、「嫌がられるのを、すこしでも遅くする。」も目標の一つになるかもしれない。



7/25 このところのお天気に、山好き者は大いに悩まされ続けている。かと言って、ずっと雨に打たれ続けられている事もない。今日の東北の一部で、 線状降水帯なる大きな災害に見舞われているところもあるが、私は、「休日は山に・・」を欠かした事はない。最も、雨の恐ろしさを知らないわけでは無いが、 情報を得ながら歩いておれば、それなりの山歩きを楽しめると思っている。展望やお花が、一番のお目当てであろうが、静かな山や出会いなど、思いもよらぬ良き山を感じる時がある。

 今度の日曜日は、昨年と同様の金山・天狗原山の企画がある。初めての山になる方もあり、楽しみにしてもらっていたが、どうもお天気が怪しい。 同行予定の方々も、大いに悩まれたら良いと思う。雨に打たれたり、泥濘を歩くのは辛いものである。そして、「今年はお花が早い・」という情報もある。
 私は、企画者の一人として、「行きたいという方があれば・・」行く予定にしているが、その状況を鑑み、低山に変更しても良いと思っている。 そしてまた、「行かない!」と辞退されても、「最もです。」と理解をしたい。でも、私は必ず・・・



7/24 昨日は夕方に戻って、後片付けし風呂に入って、気分良く一杯を楽しんだ。体重は4キロも減っていた。贅沢は出来ないけれど、あちこち飛び回っておれるだけ 幸せだと思っている。もう、どんな山にも行けるとは思っていないが、「休日は山に・・」を続けておれるだけでも充分満足である。

 歳取る毎に、いろいろな不具合が出て来る。避けられない事であるが、何とか弱めるとか、逃げるとかを考えなければなるまい。それともう一つ、物覚えが悪くなって来ている。 これは、生きていくためにも、何とか修復?を試みなければ、ハッピーな人生を送れないだろう。もっと、頭を使おう。\(^o^)/



7/23 前夜は、安曇野地内の「道の駅」でゆっくり休んだ。焼岳の10号カーブ登山口は、火曜日の午前6時だというのに、ほぼ満杯。 でも、「山ノ神」は、疲れがピークに達したのか、登山口で待機するという。そうなれば、荷を軽くして、早く戻るというやり方しかない。

 4時間台で戻れば何とか格好が付く。そんな気持ちで歩いたが、最後の足場が悪くなるところから失速してしまった。でも、2時間余だから健闘の部類に入ると思う。 山頂はガスに覆われていて、風が吹くと寒かった。長居する事はないと思い下山に掛かった。

 1時間余経った頃、「山ノ神」がいるのでびっくり。 やっぱり少しでも歩きたかったのか?と思ったが、この時ばかりは、コーヒーを入れてくれて、「こんな優しさがあったのか?」と見詰め直した。(笑)   富山県南砺市の道宗道の整備をしておられるという田村氏にお目に掛かった。何でも可愛いお花に会いに来られたようであった。何だか、違った情熱を感じるのであった。



7/22 日曜日の晩だからと思っていたが、次から次へと車が上がって来て、夜が開けたら周り中車だらけであった。それでも昨夜は、ゆっくり出来た感じだった。 「どれだけ時間が掛かってもいい。」「ゆっくり行こう。」と言っていたものの、「山ノ神」の足は遅かった。すれ違う時などは、これ幸いと待機なんだから前に進まない。

 燕山荘まで6時間は掛からなかったものの、予想通り「山ノ神」は山頂には行かなかった。でも、楽しんだ感じに受け取れた。日帰りに限界を感じていても、 「泊まれば、何とかなるじゃない・・」の意外と楽天的である。私が山頂に出向いている余裕の時間は、冷たい物を飲みながら、多くの登山者とお話していたに違いない。



7/21 入笠山は、沢入から入山しても、それほど時間が掛からない。そして、お花が楽しめる山である。富士山を拝める楽しみもある。 ゴンドラ駅付近には、お花を楽しめるスポットもある。この一座を入れておけばとの目論見が、奏功したかどうか分からない。 しかし、明日予定のの燕岳登山口に早めに到着して小宴会をすれば、山に登らなくても目的を達成した感がある?



7/20 雷鳥沢キャンプを一ヶ月ほど先延ばしにした事から、何処かに行かなければ・・となる。入笠山(8)・燕岳(7)・焼岳(8)を候補に上げてみた。 「山ノ神」との兼ね合いを含めて、10回以上100座が頭から離れないからである。その3座も射程内であるから、上積みをしたいが、どうなるか分からない。



7/19 休日は確実に山へ出掛けているのに、その展望が開けない。その一つに、お互い山に行く事の合意があっても、行きたい山が違うからである。 「遠くても良いから登れる山(簡単な山)」が、「山ノ神」の要望。それに妥協するとなると、思い通りにはいかなくなる事が多くなって来る。

 「あれは登れない。」「あそこはダメだ!」などで、せっかくの計画も頓挫してしまう。しかし、私の年齢からして、我を張って、自分の思い通りにするのも、 如何なものかと、自己暗示にも陥る。でも、自分なりの希望を、貪欲とまでいかないにしても、「今の内に・・」心の底から消えない。

 「山ノ神」の登りやすい山を入れての計画にしているものの、では登れないという山への対処はどうしたものになるかである。体力のある時は、その限界から自分一人で  時間と戦いながら歩いたが、今は、始めからお互い単独行でなければ、その意図を達成出来なくなっている。それには、当然お互いのリスクが付いて回る。

 何もかもを押し殺して、「山にさえ行ければ・・」「山を歩く事が出来れば・・」などの年齢になっているのかもしれないが、もう少しの希望がある。 妥協も大事である事は分かっていても、「壊れるまで・・」「壊れるちょっと手前まで・・」などと欲張りは消えない。

 「老後」という文言も、「いつからなのか?」などと、問い掛けている。「仕事を辞めてから・・」「年金をもらい始めてから・・」「70歳から・・」「後期高齢者になってから・・」 など、見解が分かれるところであるが、「元気な100歳」掲げている割には、老後は長い。「まだまだ・・」の意気込みで、誰もが望むところであろう。



7/18 21日からの3日間は、昨年と同じ雷鳥沢でと思っていたが、WEB切符の取りぞ来ないや、お天気がイマイチだったので、士気が上がらず変更しようかと思っている。 車中泊なら、思い付きで何処へでも行けるし、場当たりの変更も利く。もちろん、雷鳥沢キャンプは、恒例としたいから、見計らって出掛けたい。



7/17 14~16日の3日間は、所用もあったが、結果的には雨に悩まされた感じであった。その中には、僧ヶ岳行きも中止にしてしまった事もあった。 どちらにしても、遠い近い、また、高い低いは別にして、私に「休日は山に・・」は続いている。山行は、私のライフスタイルの中にあり、もう取り除く事は出来ない。

 どうしたら、ずっとずっと続けられるかなのであるが、病やケガにならない事であるが、そして、負けない事である。「あの山に登りたい。」「何回も登りたい。」などと、 希望というのであろうか、目標を持つのも大事な事のように思ってならない。そして、自分なりの調整や訓練も大事であり、欠かせない事である。

 「元気でないと、若い人達に遊んでもらえない。」「死んだらお金が掛かる。」この文言が、私の活動のフレーズとしている。幸い週4日であるが仕事をしている。 女房殿(山ノ神)も、歩くのが遅いが元気であり、環境としては整っている。欲張りであるが、もうちょっとだけ、自分の思い通りになる機会があると最高である。 そして、やんわりの言葉遣いになってくれれば、などは所詮無理な事かもしれないネ!



7/16 行き先の選定に「山ノ神」は「僧ヶ岳は?」と口にしたから、もっと早く起きて来ればと言い返してしまった。全面的ではないにしても、青空があり、陽も照っていたからであるが、 時間が経つに連れて、我々が向かった大辻山方面は雲に覆われて来ていた。いつ降るか分からないが行くしかない。そして、鳥越峠からの「山ノ神」の足取りは重かった。

 歩くのが遅ければ、それだけ雨に見舞われる確率は高くなる? でも、それだけは言わなかった。山頂近くになって、ポツリと来たかと思ったら、すぐに土砂降りになった。 だが、山頂に駆け上がるしかなかった。不思議なもので、山頂に着いた頃には、小降りになり止んだのである。でも、またいつ降るか分からないので、グチャグチャの道を慎重に降りた。

 9番を過ぎた頃から、「雨は山頂付近だけだったんだ!」という雰囲気で、遅い昼食としたのである。「あれ!」に有りつけた「山ノ神」は、いっぺんに元気になった。 そして、鳥越峠に戻ってから、遅い時間になったが、私を高峰山に行かせてくれた。帰宅途中、富山市では、これまた凄い雨に打たれた。「本当に今年はどうなってんの?」 いや、「梅雨末期は、こんなもんだよ・・・・。」



7/15 この時期なかなか雨は避けられない。その雨と、どう向き合うかを考えれば、また新たな面白さが、浮かぶというものかもしれない。濡れながら歩く。最も強弱があるが・・・ また、屋根のある山を考える。最近は、あまり見掛けないがツエルトも面白い。しかし、始めから準備しておればいいが、降り出してからはなかなか難しい。

 私達の高落場山も、食事中に、スコールのような雨に見舞われてしまった。大きな傘を用意していたが、片付けは思うようにならなかった。幸い10分程で収まったから良かったものの、 コンロや鍋を片付けるのは時間が掛かる。コーヒーにも雨が入る。雨水を頂く事を思えば、気にする事などないのかもしれないが・・・。



7/14 朝駆けで久しぶりに牛岳に行って来ました。(山行記録YAMAP参照)家に戻って、娘家族の車に乗せてもらい魚津文化ホール?に、孫のミーが参加する富山県吹奏楽コンクールを鑑賞した。 必ずしも、特別な成績でなかったようだったが(銀賞)、一生懸命やる姿に心が打たれた。そして、何故か、滑川のラーメン店に入った。長く待たされただけ特別の味があった。

 その勢いだったかもしれないが、高岡に戻ってから、ムコ殿を飲みに誘った。が、秋吉でⅠ時間待たされてしまった。(予約が常識のようであったが・・)でも、席に着いてからは、たくさん飲んで たくさん喋った。当欄を蔑ろにして・・・



7/13 来週の雷鳥沢キャンプするに付けてのWEBk切符を購入するに戸惑っている。何もかもを記入して、確認コードを入力だけなのに認証してくれないのである。 何回も試みているのに、何がいけないのか拒否されるのである。その確認コードを、コピーしてもダメなのだから参ってしまった。明日もう一度か、当日売りに委ねるかになる。

 お天気の悪さに、僧ヶ岳山行にも苦慮している。いつでも行けるメンバーでないだけに尚更である。日月は降っても、火曜日は晴れないだろうか?晴れてくれないだろうか?



7/12 今夕のKNBで、朝日町遭難対策協議会の蓮華温泉から雪倉岳・朝日小屋、そして、栂海新道の整備する人達が映し出されていた。(4日間) その中に橋ちゃん(好山病メンバー)も参加していて、その活躍を目にする事が出来た。早速、いつの日にか、それを肴に飲みたいと連絡をした。



7/11 お陽さまが出たと思ったが、夕方になって雨になった、この先の予報も、何だか頼りにならない感じである。先日の日月火の3日間は、少し降ったかなと思う程度で結局は降らなかった。 降らないと言っていて降るよりも、降ると言っていて降らない方が良いのだろうか?この先も、私にとっては、大きなイベント(ウソ・ホント)が立て続けにある。

 私の基本的な考えは、「山行に変更があっても中止はない。」が、従来からのスタンスである。しかし、仲間との山行は、無理を通す事は出来ない。 最も良い条件の下に、楽しみたいも事実である。雨で唯行けば(歩けば)よいの山行は面白くもなかろう。でも、たまにではあるが、「静かな山」を伺える事もあるのだ!

 以前、月曜日中心の「好山病友の会」には暗黙の了解があった。月曜日休日のメンバーは3人であった。他のメンバーは、その日に合わせて休日を取得していてくれた。 時々であるが、そのメンバーの知人が、参加したいと言って休日を取得してくれているのに、とてもじゃないけれど、雨や強風を理由に中止は出来辛かった。
 そうなれば、山頂近くに小屋(避難小屋あ)がある山に出掛けたのであった。今は、八乙女山や小佐波御前山しか行かないけれど、当時は、白鳥山や白木峰も、その中に含んでいた。 無理する事はないにしても、そのキヅナは尊いものであったし、今は、山へ行けなくなった仲間との交流もしっかりとある。



7/10 私は現役の理容師。仕事をしている内はお金を使わない。仕事をしているから山に行ける。山に行けるから友人が出来るという好循環に満ち足りている。 同年輩の方々の様子を伺っていると、どんなに高位だった方も、どんなに裕福だった方も、周りから友人知人が無くなったり、少なくなったりして、元気を失っていく方々を 多く見ている。そんな事を思うと、少々年金額や貯蓄が少なくとも、元気でさえおれば、新たな友人が出来、新たな元気をもらう事が出来ている。

 しかし、だんだんと年齢差が広がっていき、体力に問題が生じて行く。「趣味の山」一点で合致はするものの、落ちていく体力に悲しさを感じるが致し方ない。 後は、どう頑張るかしかない。でも、私は幸せ。誰とでも仲良くなれる。こんな延長線で、世界は平和になれないものだろうか? いや、まず自分の家庭からかもしれない。(笑)



7/9 白山・白木峰と行って、今日は連休最終日。私は、必ず「休日は山に・・」なのであるが、「山ノ神」は、そんな事はどうでもよい筈。それでも、家に一人置いていかれるのも 寂しいハズ。(我が家には、車が一台しかない事情もある。)それは、「山ノ神」の希望であるから、それを理由には出来ないであろう。

 本当のところ、「山はいいや!」なのであろうが、希望を聞かれて城ヶ平山を提案した。簡単な山なのであるが、「水上から・・」の条件付きであった。 とにかく、県下でも、たくさん降ったところ、降っているところもあるはずで、降らない合間を狙っての山行である。ハゲ山・城ヶ平山を登るとしたら、こちらからの方が短いのであるが、 時間が足らなくなるを理由に、私だけがハゲ山の頂を踏んで来た次第。

 「山ノ神」が、城ヶ平山頂に届かない内に、追い付いてしまったが、そんな事はどうでも良かった。山頂から眺める雲は、今にも降りそうな顔をしていたが、小一時間の休憩時には降る事はなかった。 山頂で、例の冷たい物を飲む楽しみである「山ノ神」であるが、ワラビが気になり、その方がメーンになって、腰をおろしていた時間が短かったように思えた。

 その事が災いしたとは思わないが、峠山で15分も待った。「遅い。」とか「元気がない。」とか、言ってしまう事があるが、「山ノ神」が元気であるから、山に行けるのである。 例え山に行かなくても、元気でいて欲しい。寝込んだり、ケガをしたりしてしまったら、今のように出来るはずがない。「元気でいて、もっと私を自由にしてください。」と言いたいのですが。 私の体力も下降気味、誰とでも一緒に歩けるわけがない。でも、山は捨てきれない。



7/8 「白木峰のニッコウキスゲは、もう終焉を迎えようとしている。」という情報と、一日雨との予報に、どうしたものかと思ったのであるが、 雨の日は、八乙女山か小佐波御前山ばかりでは、面白くなくなって来ているのも事実。ならば、雨の降らない内に出かけようとなった。(降っても、多くはないと確信もして・・)

 今シーズン4回目(今年5回目)の白木峰であったが、ニッコウキスゲの状態は、今が一番ではないかと思った。そして、ササユリの数が私の知っている限りでは、 これだけの数が咲き誇ったのは、初めてではないかと思うほどであった。お天気はイマイチであったが、白木峰の風衝草原を改めて素晴らしいと、褒めてあげたいと思うくらいであった。

 カズミンさんに会えた。星さんにも。yoko女史にも。そして、瞬時の山の話で盛り上がったうさ女史。今後が楽しみになってきた。そしてまた、異様な格好で現れた香織さん達。 気に入ってもらえたら嬉しい限りです。



7/7 本当に晴れた。晴れた割には登山者は多くなかったように思えたが、それでも素晴らしい白山山行となった。問題であった「山ノ神」は頑張った。相変わらず山頂へは行かず、 室堂で時間を費やしていたが、それなりの満足感に浸っていたように思えた。謙遜の塊のようなマダオ氏は健在そのもの。今日は、年の差を感じながら、彼の後を着いて行くのがやっとであった。

 今年のお花は早いように思われた。何処のお山も、そのように思えるが、白山もそうなのかもしれない。神殿の後のクロユリがたくさん咲いていた。賽の河原から、室堂にかけてのハクサンコザクラや、クロユリは 、まだこれからのであったが、長い雨との兼ね合いは、どうなる事になるのだろう。でも、疲れたが楽しかった。ずっと喋り放しであった。



7/6 「明日は、本当に晴れるんだろうか?」マダオ氏からのお誘いを受けて、白山に行く事になった。「山ノ神」は、ヒメサユリの咲く山に行きたかったのか、 なかなか白山への返事をしなかったが、いよいよ置いて行かれると思ったのか、渋々だったかもしれないが、一緒する事になった。

 私としては、52回目となる白山であるが、100回はとてもじゃないが届かないだろう。しかし、何事も、早々に諦める事などないのである。「長生きするかもしれない。」 「ずっと元気かもしれない。」「日帰りがダメでも、泊まれば行けるかもしれない。」夢は大きく、そして、ずっと持ち続けたいものである。



7/5 「汗が吹き出て来る。」そんな表現が的を得ている。ちょっとした運動もそうだが、入浴後の汗は止まらない。拭いても拭いても出て来るじゃないか・・・ エアコンの無い私の寝床は2階であるが、階段を登っている時から汗が滲み出る。上がった途端に汗でびっしょり。でも、今夏も、私は耐える事にしている。

 以前(昔は・・)夏の暑さに耐えても冬の寒さが辛かった。気象が変わったからなのか、もしかしたら、寝具が変わったからなのだろうか、冬の寒さに耐える事が出来る。 布団は、昔の重たい物でなくなったし、素材がきっと違うのだろう。布団の上に、毛布を一枚掛けるようになってから、余程でない限り眠れない事はない。暖房機がなくても、襖が一枚なくてもである。

 しかし、暑さは、昔と違って来たように思う。流石に素っ裸で寝れないが、他に何も纏わなくても、暑くて寝られない日々が、年々多くなって来ている。 私は、年齢(老い)への抵抗と共に、暑さへの(暑さ対策の機器)抵抗を続けている。エアコンは快適に決まっているが、分からないが受け入れられない何かがある。

 「長生きしたいなら・・」なのであろうが、なかなか素直に受け入れられない。たまに、旅行して泊まった時や、その他の事での冷房の快適さは知っている。 今しばらく、「仕事場と台所(食事処)だけで凌ぎたい。」と言いながら、今夏の猛暑に負けてしまうかもしれないが・・・



7/4 「久しぶりに晴れた。」そんな感じである。明日・明後日は、ところによって違うようであるが、明後日の日曜日は、今のところ、降水確率は高いものの「晴れのち曇り」 のようである。このところ、雨ばかりだったように思っていたが、振り返ってみると、必ずしも、そうではなかったかもしれない。(高所や遠出はなかったものの、それなりの山行をしていたような気もする。)

 今夏も、計画はいっぱい立てている。雷鳥沢キャンプや、黒菱平のビアホールと唐松岳。メンバーはどうなるか分からないが、お花を楽しむ金山・天狗原山などなど。もちろん休日は全ててある。 今、戸惑っているのは、盆休をどうするかである。流石に10連休はダメだろう。例え、そうしたとしても、2~3分割にしなければなるまい。



7/3 私の父は男7人兄弟だった。その私の父方のいとこは30人ほど。その相方を含めば60人となる。私の父は6番目。そして、私は第5子。 7番目の第3子せっちゃん(世津子)のダンナが亡くなった。私と同い年である。役人で高いところまで上り詰めたかに思えたが、定年間近に病に倒れた。 しかし、晩年は元気そうに見えていたのであるが・・ そのせっちゃんが、体調を壊し ダンナの死に目に会えなかったという。

 健康年齢を越え、平均寿命に近付いて行く、我々団塊の世代の仲間達が、一人一人と欠けていく。仕方がない事だとは分かっていても、時には、やり切れない時がある。 膝が痛いとか腰が痛いなどは、体内の疾患と違い、その前兆とは思わないが、思うようにならない身体は気も重い。

 元日の震災で傷んだ屋根瓦の修復が、まだそのままである。業者の方々も忙しいから、なかなか順番が回って来ないのだろう。その修理に多額の金額を掛けたくはない。 「後、何年か分からない人生だから・・」と言ったら、「あれあれ、140歳まで生きるにのではないの?」と、横やりが入った。

 そうだ。「私は140歳まで生きるのだった!」 「来月に誕生日を迎えるのであるが、残り63年になってしまう。」このような事を言っているから、 誰にも相手にしてもらえなくなるのかもしれない。でも、私は、山で仲良くしてもらっている方々は、若い方々が多い。20歳も30歳も若い方々が多い。 そして、元気をもらっている。その元気をもらうためにも、自分自ら元気でなければいけないのだ!



7/2 早く起床したもの何処へ出掛けようか悩んだ。そして、出した結論が、今年4回目・今シーズン3回目の白木峰となった。私達にとって、今日の風衝草原は、一面黄色に見えた。 ワタスゲが終わり、ニッコウキスゲの独壇場であった事は間違いない。でも、ササユリもたくさんの蕾があり、これから楽しませてくれる事でしょう。でも、ずっと傘マークでは、ちょっと悄気げちゃうよ!

 今日は、たくさんの友人・知人とお会いし、楽しかったし嬉しかった。まさかわ・まきちゃんコンビに、ピチピチギャルのなおさん。高岡のかずみさん、金沢の中野女史と、もう一人のお姉さん(ゴメン!)YASU2401夫妻、SUN女史・ 星さん、高岡の宮重女史など。後の方の名が思い出せない。(ごめんなさい。) 最後は、白木峰山頂で、見た事のない楽器の演奏者の方とそのグループ方々。

 白木峰は通算69回目となったが、100回には程遠い。それでも、私の登っている山では、8番目に多く登っている事になる。高い山・遠い山・厳しい山には、段々と遠のいて行くが、それでも機会があったらと、 その意欲は衰えていない。傘マークばかり並んでいる週間予報には、イヤになっちゃうが、それでも低山とはいえ、山に出掛けているのだから、好山病に間違いない。



7/1 県下の至る所に大雨警報や洪水警報が出されていたし、それ以外にも注意報が発令されていた。雲の流れを見ていると、山沿いが極端に多く、 平野部では、この後、あまり降らないのではと、午前11時頃、上市の千石城山に向かった。通った路面は濡れてはいなかったが、川の水位は高く、しかも茶色く濁流化していた。

 でも、千石城山の登山道は、グチャグチャを予想していたが、水の流れがある所以外整然としていた。低く立ち込めたガスは、全くの見通しもなく、 「唯、登っただけ・・」、「身体の調子を整えるだけ・・」の歩きかと思っていたら、山頂で食事を始めようとしていた矢先に、Naoさんが現れたからびっくり。
 二人だけの乏しい会話の中に、彼女が加わってくれたのであるから、あっという間に時間が過ぎてしまった。次行く山の約束をして別れた。今日もハッピーだった。