1/31 早いもので、今日で1月も終わりである。仕事が終って、今日は、何か印象深い事を述べなければと、意気込んでいたのだが、夕食時に飲み過ぎてしまったらしく、PCの前で2時間程居眠りをしてしまった。この時間を安らぎの一時と思うか、無駄な時間と、とらえるかは、その時の心境によって、かなり違うような気がする。最近PCを購入した友人は、扱いに戸惑い酔いがさめてしまうと嘆いているが、私は、何と有効に時間を使うようになったと絶賛している。その友人も、手始めに、私の拙いHPを毎日見ていると言う。そう言えば、若かりし日に、剱岳長次郎雪渓から、源次郎尾根に取付き、“何も知らぬのに!”と怒った事を思い出した。酒好きで楽しい彼と、今更ながら、中高年登山を楽しむ機会が訪れる事があるのだろうか? p.m.11:55



1/30 「大双嶺山」行きの主宰者は私なのに、“どのコースを辿りますか?”の問い掛けには、答える事が出来なかった。4年前の同じ頃に「二子山」に登った事がある。その時も、黒川沿いの最終集落の「小坂」から登ったが、何もかもが、わからないのと、深雪で頂上到達までに、4時間を費やしてしまった。今度は、4人でなんのそのである。新しい山は、何故かワクワクし、若かりし日の「初デート」に与えする。 p.m.11:55



1/29 昨夜は雪を伴わなかったが、凄い風だった。そして、今日は、一日中雪。そうしてみると昨日の「小佐波御前山」行きは、予報が外れてラッキーとしか思えない。降るだけ降って、山行当日が晴れればいいのだが、そうとも言えない。壮絶なラッセルが待っているからだ。新雪が50~60センチを超えると、単独行だと100㍍進むのに1時間はたっぷりかかる。これが、斜面に取付くとなると、足が上がらなくなり、沈没である。しかし、2月の「大双嶺山」「赤谷ノ頭」行きは、強靭な助っ人達の手を借りて、苦労知らずの山行となるかもしれない! p.m.5:40



1/28 “始めから雨か雪なら山行を止めにする。”と言って、未明の午前1時半まで、PCの前に座っていた。未だ夜が明けぬうちに目が覚めたが、雨の音がしないし、雪が降っているのかと半ば諦めて起きてみると、雨が止んでいた。「エーッ」と思った時の選択肢は少ないが、車に飛び乗った。41号線で、「小佐波御前山」に向かったのが、その先に、今年の目標の一つである「大高山」の取付を探すのに猪谷で、3人の人に尋ねてしまった。土地の人達は、「大高山」を知らなかった。今日は単独行が許された日に、「小佐波御前山」に戻って思い切り歩いたが、誰かが「晴れ」を願っていてくれたのが、功を奏してか、素適なプレゼントになった。 p.m.10:25



1/27 今日は、ずーっと雨。自分の事は、棚に上げてだが、こんな日に山行はないと思うし、資料の整理とか、山行計画を練ったりする人が多いと思う。また、余裕時間を利用して、情報の入手などとメールの交換が、多いような気がしているのだが・・・・・・大平君(県東部の青年)から、昨日、金剛堂山に登った画像が送られて来た。今回は、単独行なのか、同行者がいたのか記してなかったが、この1月に「大地山」に登るなど、若きエネルギーが燃えているような気がする。その「大地山」や「大平山」などに、挑んだ若き精鋭達の今後の山行報告を楽しみにしている。さて、明日も、雪か雨。足は山に向かっているが、頭は悩んでいる。 p.m.2:40



1/26 今日のお天気は、まずまずだったが、今晩から大荒れの予報が出ている。この分では、私の休日の月曜日は、せっかく単独行の機会であるのに、また雨か雪である。行く山は、また限られた所になりそうだ。2月に入ると、「大双嶺山」「赤谷ノ頭」と、私にしては、真新しい「越中の百山」踏破への挑戦の機会がある。何とか晴れないかと祈るだけである。 p.m.6:20



1/25 魚津の若き精鋭達から、相次いでメールが届く。私へのラブコールなのか、からかいなのかわからないが、「山への情熱」だけは、ひしひしと伝わって来る。血が騒いだ若かりし頃の自分と重ね合わせて、何故か応援したくなるから不思議である。これで、山へ入れば、未だ「兄ちゃん」「あんちゃん」と、呼ばれる私なのに、一変に色褪せてしまいそうである。



1/24 当欄(山に関する毎日のコメント)を綴り始めてから、一年以上になる(13/1/9 から)。実際には、その2~3ヶ月前から始めたのだが、載せては消し、書いては消していたのだが、ある時に友人から、“前に載せたものはどうしたのか?”と尋ねられたのがきっかけで、その後は、消さずに綴り続けているのである。最近は、その内容はともかく、よくも毎日のように、また飽きずに続けているとの評価を受けている。私自身、そう言えば、何度か抜けた日があったかのように思うし、苦し紛れに、たった一行の時もあったと思う。最近は、紀行文代わりになってしまい、そのコーナーに穴を空けそうになってしまっている。「山」に拘りつづけている我HP「元ちゃんの山歩き」と共に、「コラム」欄(山に関する毎日のコメント」も、ずーっと「山」に拘り続けていきたいと思っている。 p.m.11:50



1/23 私の名は「元三 げんぞう」です。何の抵抗もなく、幼い時から呼ばれている「元ちゃん げんちゃん」を、HPのタイトルに使用しています。私の友人達は、「元ちゃん」「元三」を使い分けてくれるし、友人の娘さん達も「元三さん」などと言ってくれ、自分もその呼称に結構満足している。最近20代、30代の方から、メールをもらうようになりましたが、私の顔が見えぬからいいようなものですが、果たして何時まで「元ちゃん」で、いいものか考えるようになってしまいました。脚力はまだまだ若いと自負しているものの、鏡の中に映る黒い顔や、少なくなった髪の毛を見ていると、イヤハヤ参ってしまいます。その「元ちゃん」また、活力が戻って来たような気がして、昨年末から今ひとつ燃えず、中途になっている「紀行文」に着手し始めました。 p.m.11:55



1/22 昨日、雨の千石城山から、早乙女湖畔戻った時に、ミゾレ模様になっていたが、「種」の集落に来た時は、また雨になってしまい、雪が全部溶けてしまうのではないかとさ思ってしまった。この調子では、残雪期の山を厳冬期に登ってしまえるのではの錯覚さえ覚えた。しかし、今夕になって、あっと言う間に真白になってしまった。この先の山行も、元来どおり、雪との戦いが待っているようである。 p.m.5:00



1/21 雨の中を「千石城山」に行って来ました。雨の中を、わざわざ行く人も少ないが、雪山の雨の中を行く「馬鹿」は、そういまい。「元ちゃんが、明日来るかも知れないから」!と、山頂に、雪洞(雪合戦用の縦穴)を、掘ってくれていた親子の作品を見に行かぬ手はないだろうし! また、今は、歩く事が大好き。歩けなくなる日が来なければいいと思っている。1月3日に、3時間掛けて歩いた距離が今日は35分。 p.m.800



1/20 今日の「大辻山」の山頂は別天地で、風もなく暖かく何も羽織ることなく、大展望を楽しんだ。例の如く、「大日岳」は言うに及ばず。左に剱岳、右に立山。その剱岳の左には、毛勝三山、駒ヶ岳、僧ヶ岳と続き、立山の右には、薬師岳、鍬崎山と続く。でも、今日ばかりは、大辻山から東に延びる「臼越山」「前大日岳」への尾根筋が目に焼き付いて離れなかった。何時か必ず・・・・・真冬なれど、好天の日曜日なので大勢の登山者が、やって来ると思っていたが、大辻山にやって来たのは、我々の他は、軽装の富山の男性只一人。



1/19 明日は晴れる。二週間ぶりの山行だ。何処の山でもいいから行きたかった。「大辻山」からの展望も期待できる。過去11回の大辻山行は、殆どが雨か雪。また、そんな時を、選んで行っていたから仕方がなかったのだが・・・・・



1/18 家の周りには、全く雪がない。隣の駐車場に、積み上げてあった雪の山もなくなってしまった。この一週間降雪がないし、気温も高かったから、予報の良い週末には、かなりの人が、周辺の山々に出掛けるのではなかろうか!カンジキやスノーシューがなくても、山頂に立てるような気がする。日曜日に目指す「大辻山」も、長尾峠までの林道歩きに、余計なアルバイトをせずに行けるような気がする。行って見なければわからないが、「剱岳」や「大日連山」をはじめとする山々の展望が、意外と簡単に手が届くような感じである。今年に入って、4回の山行で、同行した友人と「山ノ神」以外では、「低き山なれど」のまっちゃんと、「すぐ帰ってしまったスキーを持ったおじさん」しか出会っていない。日曜日で人気のある「大辻山」だから、お天気さえ良ければ、大勢の方々と顔を合わせる事が出来そうである。 p.m.3:55



1/17 たった一度の失言で友を失う事もあれば、一言交わしたのがきっかけで、長いお付き合いをさせてもらっている方もある。山好きの同じ趣味がこうさせるのか、そして、今はIT時代。ものぐさでなければ、瞬時に情報交換が出来るから素晴らしい。好き嫌いは別にして、これを使わぬ手はない。何もかもITで、簡略にされるわけがなく、やっぱり自分の足で、歩かなければわからぬ「山の魅力」は変わらない。
ネットの輪が広がって行く。その友を介して、新たな友が次から次へと広がって行く。顔も知らぬ新たな友人を大切にしていきたいと思っている。お互いに認め合えば信頼が出来、長~い友として付き合えるような気がする。そのためにも“マメ”でなければいけない。 a.m.11:10



1/16 早川さんの「大門山スキー山行報告」(YASUHIROのマウンテンワールド)を見てから、じわじわと小矢部水系の山々に熱きものが傾いていく。小矢部川源流の左岸で、石川県境に位置する順尾山、大倉山、赤堂山、月ヶ原山、多子津山である。大門山に繋がるこの5座は、「越中の百山」に属し、どうしても超えなければならない山なのである。大門山から笈ヶ岳のように、白山国立公園に入ってもおらず、今ひとつ人気が及ばない山だけに、燃えないとなかなか足先が向かない。今シーズンに登れないまでも、何か手掛かり、足掛かりを作っておきたいと思っている。 p.m.3:30



1/15 「YASUHIROのマウンテンワールド」(私のHPのリンク集から入れます。)に、「荒島岳」と「大門山」のホヤホヤの山行報告が載っている。冬の荒島岳も凄いが、私は、やはり五箇山の「大門山」の報告を食入るように拝見した。早川さんも述べていらっしゃるが、厳冬期の大門山日帰りの報告を、私も見た事がない。上平村西赤尾付近のゲートから、福光上平線ブナオ峠まで、10キロの道程がある。必ずしも林道沿でなく、ショートカットをしても、急登、雪崩、深雪の悪条件を克服して行くその体力、精神力には敬服する。広い尾根で、ルートを間違わずして、一気に滑り降りる技術を持ち備えているとは言え、こんな山好きは、そうザラにはいない。 p.m.6:40



1/14 お昼は、業界の新年会が、「ホテルニューオータニ高岡」で、夜は、町内で、自治会役員会と一日中飲んでいたような感じだった。朝の内は、良いお天気に、山への未練が拭いきれなかったが、皆が、「山の話題」を提供してくれた事と、酔うほどに、時間が経つに連れて、少しづつ薄らいでいった。私の代理ではないが、「山ノ神」が、単独で「尖山」に行って来た。好天に恵まれ大勢の登山者が、山頂を極めたらしいが、低山で短い行程とは言え、久し振りの単独行はどうだったのだろう!私は、日頃から「山ノ神」に、山だけでなく、いろいろな事に自立を勧めているのだが、それは、「邪魔者扱い」と言って私を牽制するのだが・・・・・・・ p.m.10:20



1/13 良いお天気になってきた。昨日もまずまずだったし、明日も良い予報が出ている。山に行けない私は、悔しくて仕方がない。(半分死んだようなものだ。とよくそのような表現をする。)愛知県の中高年登山グループのリーダー格のK氏を、雪山に招待していたのですが、私の伝達が悪かったのか、あまりにも雪多い画像や雪との格闘の模様を強烈に書き過ぎたからか、純白な雪への憧れはあるが、足手まといになるやもしれないからと、辞退なされるメールが昨夜届いた。私よりチョッピリ年上の紳士にお会いし、「山談議」をする楽しみも消えてしまった。 a.m.10:00



1/12 コラム欄(山に関する毎日のコメント)を見てか「山ノ神」が、私の悪口ばかり書いていると、不満を漏らした。そんな事はないよ!ならば見なければいいじゃないなどと、言い合いになる。「洒落なんだけれどな~あ。」その「山ノ神」が、私達の次の休日(14日)に、私が、新年会で山行が出来ないので、自分独りで行ける「山」がないかと言う。それも、自分の車の運転の技量も含めてだと言う。そうなると、あまり候補がない。でも、雪山の山頂で、ビールを片手に盛り上がっている「女?」を見かけたら、「山の神様ですか?」と声を掛けて見て下さい。



1/11 体重計に乗ったら、思わず「おーっと」言ってしまった。4~5日前から3キロも体重が増えているのだ。でも、ハードな単独行をやればすぐ4~5キロ程減ってしまう便利な身体なのだ。もっともナマクラな私は、用意した食べ物もあまり食べず、腰掛けもせず、家に持って帰るのが殆どである。リックを降ろすのが面倒なのである。しかし、必需品は、必ずリックの中に収納されているし、三脚を利用して写真を撮ったり結構マメなところもあるのだ!これが、「山ノ神」同行の山行となると、休息が多く、食料補給が完全な為、ウェイトは変わらない事が多い。おまけに宴会付きとなればなおさらである。一番最初に山頂に立ちながら、立ち去るのが一番最後と言う事もあるが、その分、 山の味を満喫していると勝手に言い聞かせている。



1/10 「リンク集」を設けた。メーンページのリニューアルの進行が、はかばかしくいかない中の先行である。世の中には、桁外れに凄い方が大勢いるが、私の選考としては、知っている人、会った人、少なくともメールを交換した人に限定した。これからも、少しずつ、ご本人の了解を得て、増やしていきたいと思う。 p.m.1:50



1/9 昨日は、悪天で一日中家の中で、PCの前に座っていた。お昼前に次のようなメールが届いた。送信者は、近頃ご無沙汰の同級生からであった。

→→→ 緊急メールです。 ご迷惑おかけいたします。 知人からメールをもらい アドレスリストに入っている人全員に、自動的に感染してしまうと いう悪質なウィルスに感染してしまい 調べてほしいとのことです。
私のアドレスリストに あなた様のアドレスが入っていますので 簡単な作業ですので すぐにチェックお願いいたします。 あなた様のコンピューターの中に既にウイルスが 侵入している可能性があります。
(下記はその知人の私宛のメールです)
ウイルスは、十四日間は眠っているのですが、それを過ぎてしまうとハードド ライブを 壊してしまいます。
私もこのメールを受けたときはびっくりしました、そして実際に検索した所、 そのファイルがあり、下に表示してあるステップに従ってウイルスを駆除しました。
本当に申し訳ないんですが、今直ちにウイルスを駆除してください。 そしてあなたのアドレスリストにある人は既に感染していますので、 このメールをリストにある全員に送っていただけないでしょうか、 本当に申し訳ございません。
 1. スタートメニュー → 検索 → ファイルやフォルダ
 2.検索条件の名前の欄に”sulfnbk.exe”と打つ - これがヴィルスの名前
 3.探す場所はCドライブであることを確認する
 4.検索開始を押す
 5.検索結果で見つかったファイルが黒いアイコンであればそれがヴィルスファイル名が”sulfnbk.exe”であることを確認する 絶対に開かないでください!!
 6.そのファイルを右クリック → 「削除」
 7.ごみ箱に移してもいいですかというメッセージが出てくる → 「はい」
 8.デスクトップ(一番最初の基本画面、全てのアイコンがある画面)に行ってごみ箱のアイコンを右クリック → 「ごみ箱を空にする」
 9.もしこのヴィルスがあなたのコンピューターから検出されたらあなたのアドレスに入っている人全員にこのメールを送ってください。それがこのヴィルスのシステムです。
 10.もし検索でこのヴィルスが検出されなかった場合は「新しい条件」で試して見てください。←←←


1~2ヶ月前に、この同級生の名で、ヘンなメールが(添付ファイルのあるメール、本人は出していないと言う、いわゆるウィルス。)が送られて来た経緯があったので、何の疑いもなくその作業を行った。しかし、私のアドレスに載っている130余名の友人知人に、迷惑を掛ける事態も想定されたので、すぐにメールを送信する事をためらった。改めて、該当のファイルを削除しても、本当に支障がないのかと、その同級生に尋ねたが、なかなか応答がなく不安が続いた。

→→→さきほどの緊急メ-ルはデマウイルスで、削除の必要はないとの事です。
詳細は,下記アドレスで,確認して下さい。 皆様には誠に、申し訳ありませんでした。
       http://www.symantec.com/region/jp/sarcj/data/s/sulfnbk.exe.warning.html ←←←


私は、友人知人に送信しなかった事にホッとしたが、私が削除したファイルはどうなるのでしょう!   上記のアドレスに、修復の事が記してあるが、今度は、これを疑いたくなる。

やっぱり、こんなを事考えなくてもいい「山」はいいぜ! p.m.8:00



1/8 今日も休日だったが、流石に止めてしまった。朝の内は雨で、何処かへ歩きに行って来ようかと思っていた事は確かだが、横殴りの雪が断続的に、それも水分を多く含んだのでは、家の中で沈没してしまった。HPの更新を始め、このところの遊びこけた分、やる事が「山」ほどあり、その事を消化するのに、外出をしないと決め込んだ。そうなると「山ノ神」の機嫌が悪くなる。昨日歩かなかっただけに、何でもいいから歩きたいらしい。“独りで行けばいいのに”と言うと喧嘩になってしまう。何時の間に、こんな「山バカ」になってしまったのだろう! p.m.6:00



1/7 絶好の登山日和だが、凍って車のドアが開かなかった。8号線の常願寺川の気温表示が、マイナス4℃だったように、明日温泉の先の車デボ地点では、ガラスの上を歩くような感じで何度も転んでしまった。車の中では、長い距離になるから、トーレスがなければ、「負釣山」から「御前山」に行き先を変えようと思っていただけに、踏跡が確認できたので、ホーッとする。
 この湿り具合からして、前日のトーレスがあれば、急登地点ではきっとアイゼンが必要だと思い、この時期の低山では、珍しくザックの上に縛り付けた。歩き始めて10分。トーレスが消えた。がっかりしながら、深雪の中に足を入れていった。未だ気温が低いから膝上には来ないものの、先が思いやられる気持だった。無雪期に車が入るオコ谷の峠まで、1時間20分を要した。(積雪150㌢)
 2年前の1月中旬に来た時には、車がこのオコ谷の峠まで車が入り、山頂までは、2時間足らずで登った事を憶えている。したがって、今日とは雲泥の差である。登山口の斜面を登るにも一苦労である。暫く行って、カンジキの下に硬いものを感じ、掘り返してみると、「一合目」の標識であった。
 小動物の足跡に導かれながら、杉の木の下を通るわけだが、雪量の関係で枝が頭につかえる。後ろに「大谷山」が見えてくると、左には、小川を挟んで、「黒菱山」「大地山」から「初雪山」へ白いの稜線が浮かび上がって来る。125㌢のストックがすっぽりと沈んでしまうが、どれだけの積雪かはわからないし、もうカンジキの履いていても膝の上。お天気がよく汗が滴り落ちる。下着が長袖、ズボンがフリースで、ロングスパッツ以外は無雪期の様相と変わらない格好である。
 高度を上げるにしたがって、深みに嵌ると胸まで浸かり、カンジキが木々の根に絡み、身動きが出来なくなり、涙が落ちそうになる。何故こうしてまで、登らなくてはいけないのかと、自分でも思うのはこんな時かもしれない。
 4時間で山頂に届かなかったら、引き返そうと思って登ったこの山も、もう少しもう少しと、自分を奮い立たせて足を前に出させるが、なかなかピッチがあがらない。
 小川側の小さな雪庇を気にしながら、反対側の斜面は、無雪期には広葉樹の葉の関係でさほど気にならなかったが、結構凄い角度で切れ込んでいる。急登の個所で、雪の上にトラ縄が僅かに顔を出していた。ここが辛い所で、駆け上がろうとしても雪が崩れてきて、おまけに下の所が硬い。嫌な感じの所で、帰りの事を思い、足場を造っておいたが、上から下を覗けば、滑ったら、真っさかさまに、谷へ吸い込まれていきそうな感じだ。
 小川側からの尾根が、合流する見晴の良い高台で、歩き始めてから、5時間半の午後1時半になったので、もう一登りする体力、時間もなくなったので、残念だけれど止めにした。
 しかし、その場所からも、剱岳は見えないものの、朝日岳、初雪山が雄大に見え、私の心を慰めてくれた。下山時には、先に述べた、嫌な所で、アイゼンを付ける事を怠った為、もう少しで谷底へ落ちていくところだった。でも、山を下りるに連れ、日が差し快適な気分は、何もかも忘れさせてしまった。



1/6 今日は、雪が降ったが、時々日が差したりして、意外と穏やかな日だったように思う。満を持して皆さんが山に出掛けたのだろうか?明日も日中はまずまずのお天気らしく、午前10時まで母の事で家にいなければいけないのだが、「山ノ神」にお願いして早々の出発にしたいと思っている。 p.m.11:20



1/5 またお天気の良くない週末になってしまった。大型連休?にウズウズしておいでる方も多い事だろう。ものは考えようで、「山」に関する事すればいい。次の機会に標準を合わせて、家の中でトレーニングをするのもいいし、「山の友」の年賀状やメールを整理するのもいい。また、長い間整理されていない写真を、アルバムに貼り付けるのも楽しい。私は、アルバムにコースタイムやコメントを書き込んでいるから、ガイドブックにもなっている。自慢するほどの写真はないが、記念写真や記録写真としては充分である。また、同じ所に出掛けても、雨が降っていても、必ず一枚でも撮るのが私の主義である。そのアルバムの収納する所がなくなってきた。 p.m.5:30



1/4 山行予定が決まらないまま朝を迎えたが、雨がしとしと降っていた。年末からこの一週間ほどは、睡眠時間が極端に少なかったから、今一度ズルを決め込んで、布団の中に潜り込んだ。しかし、「休日はそれでいいのか?」と何処からともなく、私に呼び掛けるかのように、深い眠りにさせてくれないのであった。「俺、やっぱりチョット行って来る。」「では、私も!」と、自宅を午前10時発の遅い山行となった。牛岳林道入口は、100㌢を超える積雪で、駐車する所もなく、仕方なく、利賀街道の交通に、支障が出ないよう雪を掻いだ。利賀側登山道口は、いきなり120㌢の積雪で、期待していたトレースが、全くなく辛いトレーニングとなった。林道入口発が、午前11時半近くで、当初から登頂を望んでいなかったが、五合目ヒュッテが午後2時になってしまった。杉林をぬけた所で、タイムリミットの2時半になってしまい、“3日間連続登頂なし”になってしまった。帰路は、ミゾレが雨に変わり、カンジキに、雪がこびり付く(高岡では、カッパ。)ために、「山ノ神」は、悪戦苦闘が続き、疲労困憊で、口も利かなくなってしまったのである。「来なければ良かったのに!」の言葉を発すれば、また4~5日間冷飯になってしまいそうなので、ぐーっと我慢をした。 p.m.11:55



1/3 私の山行予定表を見て、「低き山なれど」の“まっちゃん”が、千石城山に来てくれるというメールが入った。他の人達にも会える可能性があったのだが、前日からの大雪で、次の機会になった。種の集落からダム湖への下りより先は、辛うじて1車線を確保する除雪が行われており、駐車する所がなかった。ようやく、そのスペースを作ってくれた除雪車のおじさんが、「何をしに来たのかね!」と尋ねた。「山、登山。」と答えると、信じられないという顔をして、先に進んで行ってしまった。早乙女湖畔から、登山口への林道の第一歩から、積雪120㌢に悩まされた。腰まで浸かりながら、繰り返すラッセルも、すぐにへばって、足が上がらなくなる。軽い樹脂で作られたスコップで、切り込み隊長役をかって出てくれた“まっちゃん”の戦法が、功を奏したかにみえたが、やはり時間とともに、失速していった。「頂上まで行けないかもしれないね。」から、「第一鉄塔まで。」が、「通常の登山口まで。」に、トーンダウンしたのだが、それにも届かず、途中の広まった所で、雪降る中、軽い食事をしながら、初対面の“まっちゃん”と山談議となってしまった。この地まで、夏道なら車で5分。歩いてなら20~30分程のところを、3時間を要してしまい、2日連続の未登頂となってしまったが、誰も足を踏み入れていない純白の雪の中を、歩く事が出来るだけで、幸せの念でいっぱいだった。 p.m.9:50



1/2 今年も最初の山行は牛岳になった。平成11年11月下旬に「高落場山」へ同行する機会のあった、山田、柴田氏と共にである。両氏共「雪の牛岳」が初めてでガイド役なってしまった。昨夜からの新雪が、トレースを覆っていたが、比較的歩き易かった。何時ものように五合目を過ぎると、流石に豪雪地帯の利賀村に隣接するだけあって一気に雪量が増えた。六合目からは、夏道を捨て、少々ブッシュがうるさいが、トレースの名残がある、冬期ルートを辿った。稜線に出てからは、2㍍を超えると思われる積雪に、膝上から腰まで浸かりながら、壮絶なラッセルとなった。その上、吹き荒れる風が、吹雪となって何度も立ち往生させられてしまった。あともう少しで、三角点だったと思うのだが、出発から4時間は、男3人とは言え、かなりの疲労と不安があったので、樹木の陰で軽い食事をして退却とした。登山口が、氷点下2度、この稜線は、いったい何度だったのだろうか? 何もかもバリバリ、眉もひげも真白で、凍りついでしまい「八甲田山死の彷徨」の雪中行軍を思い出した。後ろ髪引かれる退路は、僅か数十分前3人が踏み固めたトレースが、跡形もなく、まるでホワイトアウト状態になってしまった。メガネが凍り付いて、前が見えないと言い出した柴田氏、樹木の枝にカンジキが挟まって、四苦八苦していた山田氏とも、雪の中を走り出した車中では、もう次の山行の話題で賑やかだった。 p.m.8:30



1/1 新年おめでとうございます。今年も何卒宜しくお願い致します。
   今年の山行目標が出来ている。これも母が元気である事が前程である。

1、「とやま山歩き」の完踏  118座の残り1座(池ノ山)
2、「越中の百山」残り30座を切る事。123座の内残り37座。今年8座登頂が目標。
3、「日本百名山」を半分以上登る事。現在48座で、今年3座登頂が目標。
4、「百、二百、三百名山」合わせて100座以上の登頂。現在85座で、今年15座登頂が目標。
    a.m.3:00