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4/30 無事生還した「花じい」からメッセージが届いた。心も身も苦しい中、感謝やお詫びも込めて事故報告を綴ったものであった。彼のHP(花じいのHP)にもあるように、鉄則を守りながらも、迷惑を掛けては申し訳ないという心境が伝わって来る。遭難してからの彼の行動には、生きるという執念と、日頃からの修練が功を奏したように感じられた。荷を捨てた決断や、ずぶ濡れになってのビバーク、そして生きる為に食した知識など、我々には学ぶところが多い。猿に登山用具一式寄付して来たと言って、しばらくは、謹慎のようですが、武勇伝を肴に飲みたい気持ちもない事もないですが、未熟な我々にその体験などをもとに、安全教育をしてもらう為にも、早く「山」に戻って来て欲しいものであります。「同じ釜の飯・・・」などと、古臭いかもしれないが、山の友は、いつでも待っていますから・・・・・・ p.m.11:50
4/29 満を持して「滝倉山」行きを決行したが、実力不足で敗退となってしまった。駒ヶ岳頂上発を午前10時の予定が、頂上着が10時5分で写真撮影や休憩で20分がすぐ過ぎてしまった。帰路の予定を、遅くとも滝倉山頂上発が午後2時を予定していたから、あの長い稜線を眺めていると、とても届かないような気になってしまい、折角の機会を偵察に切り替え、行ける所までと駒ヶ岳山頂を下った。しかし、標高にして200㍍も下ると、雪庇の崩落よりも苦手な藪に悩ませれ、ニッチモサッチモいかなくなってしまった。藪と言うのは転んでも倒れるだけだと思っていたのに、下手をすると谷底へ落ちてしまうと言う事を思い知ってしまった。下った僅かな時間であっても、戻るとなると、数倍の時間を要してしまい実力不足として、今回の滝倉山行の敗北を認めざるを得なかった。日帰り自体が難しそうな事と、最悪の事も考え非常用の装備を加えたのがたたったのか、土曜日のバトミントンで、アキレス腱の変調で足が重かったのか分からないが、一週間前の「僧ヶ岳」山行よりはかなりペースが遅かった。 p.m.8:25
4/28 「早乙女岳」から「花じい」が無事生還して嬉しかった。思わず涙してしまった。2月に「大双嶺山」「赤谷ノ頭」「肉蔵山」を、、ご一緒して頂いて未だ僅かの付き合いだが、それこそ十年来の友のような気がしていた。あの凄い脚力に、地形図の読解力の素晴らしいさを持って来てでも、「山」は魔物が住むくらいに怖い所があるらしい。でも、さすがに非常時の装備や沈着な行動が、彼を救ったようである。この経験を無駄にせず、我々にも教えてもらいたい。シュンさん、あらちゃん本当にご苦労様でした。そして有難う。 p.m.11:35
4/27 大型連休が始まった。大量の雪が残っている立山も良いし、片貝川や早月川上流にある残雪の谷を登りつめるのも良い。また、花が咲き始め我々の目を楽しませてくれる低き山々も捨てたものではない。幸いお天気も大崩しそうもないので、各自の計画がスムーズに消化される事を祈りたい。私には、6日7日のまで連休がないのだが、とりあえず、29日は、「駒ヶ岳」から先に、何処まで行けるか試してみたいと思っている。後は、友人知人の山行報告を楽しみにしているところです。 p.m.0:50
4/26 雪解けが進み登山道もいろいろな花が咲き乱れ、心を和ませてくれる。「イワウチワ」の詳細を知ろうと何冊かのお花の図鑑を調べてみたが、どの図鑑にも、「イワウチワ」が載っていないのである。私より少しだけ詳しい「山ノ神」に載っていない事を伝えると、「トクワカソウ (イワウメ科イワウチワ属)」として載っていると言う。名前を知ると何故か親しみが湧き、また誰かに伝えたくなるから不思議である。
4/25 そろそろ山の用具も、冬用(積雪期用)と夏用(無雪期用)の入れ替えである。カンジキ、エンピーなどは、汚れを取って物置の奥へ。グローブや冬用のジャケット、オーバーズボンなどは、よく乾かして、コンテナに収納となる。でも、ピッケルやアイゼンは未だ暫く活躍の機会があり、片付けるわけにはいかない。先日の「僧ヶ岳」行きは、真冬と同じフリースのズボンを穿き、長袖の下着では、大汗が流れてしまった。「金剛堂山」行きでは、熱さのあまり上着を脱いだ半袖姿は、日に焼けた腕が未だヒリヒリと痛い。顔に塗った日焼止めを、腕にも塗る事を忘れていたのである。足の衰えもそうであるように、年取った肌も、すぐに焼けてしまうほど脆くなってしまった。競って真っ黒になった青少年時代が懐かしい。 p.m.2:30
4/24 雪解けが進み、白と黒の墨絵の世界から、気持のいい緑が芽吹きはじめてきた。一週間も経つと景色も一変してしまう。木の緑が増え、川の水量も増えている。人によっては、嫌なものが動き始める。特定の人達しか入らなかった山に、山菜取りや釣を楽しむ人達が加わってくる。山は皆のものであって、人それぞれに、いろんな楽しみ方があるが、他の人達に迷惑を掛けない最低のルールを守って欲しいものである。ゴミはもとより、火の始末にも充分気を付けなければならない。
4/23 このところ「毛勝山」の問い合せや、情報受ける機会が多い。時期的に、尾根筋を歩く山から、谷筋を歩く山に、変わって来ているからであろう。それにしても、桜の開花が早かったように 今年の雪解けも早い。昨年5月14日に毛勝山に出掛けた時は、片貝山荘から歩いたが、今年は砂防ダム工事が行われていて、除雪が早めに行われた事を差し引いても、その先2.2㌔まで、車を入れることが出来る。しかし、登山者のための除雪、あるいは、駐車スペースの確保ではないと思われるので、くれぐれも、工事関係者とのトラブルがないようにお願いしたい。次々に「山の情報」を届けてくれる新しい山の友に感謝!
4/22 金剛堂山栃谷登山口で、バッタリ俵先輩に出会う。(俵さんのHPの御当人) 控え目な俵さんが、“少し先に行くよ!”その後に続いたが、とうとう頂上に至まで追い付く事が出来なかった。体調の悪かった「山の神」が、途中何度も立ち止まり、動こうとはしなかったのである。“快晴の中、大展望が待っているよ!”などと、どれだけ励ましても、全くダメであった。しかし、雪の上を一歩一歩、仕方なし足を前に出すのは、言わずと知れずあの「ビール」を飲みたいが故なのか? このお天気を、もう一度私にくれたなら、駒ヶ岳、滝倉山へのリベンジが、出来たのになどとの思いが、頭にあったかもしれないが、励ます言葉が、冷たいと言うのである。そして、「嫌いな言葉」の掛け合いになるパターンは、何時になっても直らないのである。しかし、山頂に着いてからは、別人のように元気になり、本当に美味そうにビールを飲むし、夫婦以外の第三者の方がいると、わがままも出ないのである。山頂で待って下さった俵さんに感謝しながら、帰路もご一緒頂き、楽しい山行となった。余談ですが、「山ノ神」は、私より「山座同定」が上手で、花の名もよく知っています。でも、蛇が大の苦手です。誰でもですが・・・ネ。 p.m.9:55
4/21 お天気が崩れる前に登りたいと思っていた「僧ヶ岳」。夜が明けると同時に、登山口を出発したいと思っていたが、なかなかそうはいかず、富山を過ぎる頃には夜が明けてしまった。でも、雨降る前にしては、視界もよく、「僧ヶ岳」より先を、チョッピリ頭の中に描いたが、残念ながら、頂上に着く少し前から、小雨が降り出してしまった。写真を撮りながらでも、意外と早く登れたのと、山頂滞在時間が極端に短かったせいもあろうが、成谷山付近を駆け降りいた頃、擦れ違った元気な初老の登山者に、「おいおい! 何時から登っているのかね?」と声を掛けられてしまった。
年を重ねても、鍛えればまだまだ持久力を保つ事が出来るが、バランスを含んだ敏捷性を失いつつある。その証拠に登りは、まだまだそんなに衰えたとは思わないが、雪のない下りは、こんなハズではないのにと思っても、何時までも若くはないのである。 p.m.5:20
4/20 目まぐるしく変わる天気予報に、未だ明日の行き先が決まらない。明日は「山ノ神」が、友人と山菜取りに出かけるスケジュールに、この時ばかりはと意気込んでいたのだが、私の「特別区」に入る気にはなれない。お天気の崩れるのが遅くなるのを期待しながら、目覚めた時の天気の様子と、出発出来る時刻を考えて、「僧ヶ岳」「白鳥山」「金剛堂山」を考えたいと思っている。どちらにしても、午前中が勝負に決まっている。 p.m.11:55
4/19 次から次ぎへと「山の情報」が寄せられる。何と楽しい事か!そして、何と嬉しい事か! 束の間だが、「幸せ者」にしてくれる。久し振りに届くメールに、ホットする事もあり、新たに届くメッセージに、心がときめいてしまう。今月は未だ半ばを過ぎたところ、「毛勝山」「戸田峰」「白鳥山」「負釣山」「牛岳」「雪倉山」「鹿島槍ヶ岳」などの問い合せがあったが、知っている事だけを正直にお知らせしている。いい格好もしたいが、年間60回前後の山行機会しかなく、何でもかんでもと言うわけにもいかないし、おのずと限界がある。でも、メールのやり取りや、HPを覗いていてくれて、知り合って僅かな期間でも、10数年の付き合いをしているような気がすると言って、励ましてくれる新しい「山友」もいる。 p.m.11:30
4/18 「君は、独りで山に出掛けて、寂しくないのか?」 「誰もいない山に出掛けて、何が面白いのか?」 などの問い掛けをよく受ける。何も好き好んで、単独行をやっているのではありません。休日、時間、仲間などの諸条件が合わないから、否応なしに単独行になるだけの事である。近年は、お邪魔虫と言うとまた叱られるが、「山ノ神」の同行する事が多くなっている。しかし、それも限度があり、岩場のある所や、急斜面のある雪渓、超ロングコースは、必然的に袂を別つ事になる。“人恋しければ山恋し、山恋しければ人恋し”は、私とて同じです。気のあった同士の山行は、見ても聞いても羨ましいが、長蛇の列や、溢れんばかりの山頂で、大勢の人達との遭遇は、単独行の私には、辛いものである。最もそのような時期や日時に出掛ける機会は少なく、「山ノ神」と二人きりや、私独りが「お山のてっぺん」にいる事の方が多い。寂しい事などなく、その展望を独り占めしている優雅な気分になるし、お天気が悪く視界が利かなくても、誰よりも高い所にいる満足感でいっぱいである。
雪が溶けて、有名な「百、二百、三百名山」に出掛ける時は、平日で数少ないけれど、いろいろな方と、それこそじゅっくりと話す機会がある。その山旅を、今年は何回出来るであろうか? p.m.0:10
4/17 昨日の午後2時頃、欲しかった2万5千分の1の地形図をネットで注文してみた。確認のメールが届いてから、銀行振込をして、希望の日時まで届くかと気をもんでいたが、なんと今日の午前11時過ぎに届いてしまった。振込手数料や送料が必要だが、地元の書店に注文をしても、日数が必要だし、富山のK商店にも、なかなか出掛けられないし、県外の地形図となると、確実にあるとも言えないから、改めて便利さを感じた。日頃の不始末から、「駒ヶ岳」「滝倉山」が載っている「毛勝山」の地形図が見当たらず、注文となったものだが、ついでに今年出かけてみたいと思っている「二百、三百名山」の2万5千分の1の地形図を、何の躊躇いもなく注文をしてしまった。大概の山は、地形図の隅に位置していて、一座には複数の地形図がいる事を忘れてしまっていたのである。藪漕ぎや、積雪時に登るのならいざ知らず、無雪期の一般登山道を登るわけだから、5万分の1の地形図で充分なのであり、山座同定にも、そのほうが都合がいいのである。
さて、今度の日曜日は、早乙女岳~大日岳への小又川まで、或いは、駒ヶ岳、滝倉山への片貝山荘まで、車が入る事が出来るだろうか? もしかしたら、連休まで、ずれ込むのだろうか? p.m.8:15
4/16 今日は頗る体調が悪い。鼻が壊れたような感じである。「花粉症」の時期が終ったと思っていたのに、今朝から、鼻水が流れっぱなしに、連続のクシャミで、仕事も出来ない状態だ。何も思いあたる事がないのだが、あえて言うなら、昨日の異常高温の反動でわからぬうちに、風邪でも引いてしまったのだろうか? また、雪上でも吹き荒れたあの熱風に、どうにかなったのだろうか? 今度こそ山行の翌日までに、「紀行文」を書き上げてしまおうと、意気込んでいたのに、そんな気にもなれない。 p.m.11:20
4/15 藤橋付近に差し掛かった頃、「山ノ神」が急に「臼越山」行きを辞退した。私が、“1,050~1,150㍍がきついかもしれない。”と言った事と、ガイドブック(とやま山ガイド シー.エー.ピー社)に“砂防ダムを巻く時、ピッケルが欲しい!”と書かれていた事が、自信を無くしたようだ。また、イザ退却となると、折角の「越中の百山」の一座を、潰しては申し訳ないと思ったらしい。でも、どんな所か見たいという思いと、只、退却では面白くないと思ったのかわからないが、人津谷の支谷(砂防ダムの多い谷)の出合まで、1時間掛けて、見送りに来てくれた。その後、「クムジュン」の前でコーヒーを飲みながら、読書でもしているのかと思っていたら、これから、純子女史が教えてくれた「猿倉のカタクリ」を見に行く、時間があれば、御前山まで歩いて来ると言って出掛けて行った。(結果的には、この事で、立山駅まで歩かなければならなくなるのである。)
しかし、それが正解であった。朝方から20度を越す気温は、雪の上を歩いていても、強い風が熱風となって当たってくる。そのせいばかりではないにせよ、残雪が薄くスノーブリッジとなっている所が何ヶ所かあり、藪を漕がなければならなかった。また、稜線に出る急斜面は、雪の付きが悪く難儀する所もあり、その稜線も南側が雪解けが進み、北側の雪を拾って歩くとなると、急斜面をトラバースしなければならず、やはりピッケルが必要であった。山頂は、それなりの展望があるのに、霞んでしまって、カメラに収められず、またしても、レンズを持って上がったのにと、地団駄を踏んでも仕方がなかった。たった一人だったけれども、、山好きが、どれだけいても飽きない山頂だから、1時間半の滞在時間は、あっと言う間に過ぎてしまった。 p.m.9:00
4/14 明日の山行に思い悩んだが、思いきって「臼越山 1,421.1㍍」行きにした。人津谷に入った事もないし、「山ノ神」同行で不安要因がいっぱいなのだが、危険を感じたら引き返すつもりで、出掛ける事にする。七姫平まで車が入るのだろうか? 雪の状態はどうなのだろうか? これだけ「雪の山」に出掛けながら、雪上技術は皆無の「山ノ神」のフォローを、しなければいかない山行も辛いものである。しかし、日頃の母への看病などの負い目もあり、明日もビールを担がなければならない。 p.m.7:30
4/13 「山と渓谷」5月号が届いた。4月号を片付けようとした時、今一度、佐伯郁夫氏の記事「新しくひらかれた剱岳以北の山々 経験豊な人向けの厳しいコース」が目に止まった。その中に、近年「百名山」を終えた人達が「三百名山」になびき、「毛勝山 2,414㍍」でも事故が急増していると言う。
そして、昨年、西北尾根ルートが刈開かれたが、それは登山道といえるものはなく、藪を分けなくても登れるようになったいう程度のものであるとも付け加えていて、7月上旬まで途中の急斜面に雪をとどめているし、標高差も大きく、強靭な体力を備えた者だけが行けるルートで、剱岳早月尾根を馬場島から山頂まで5時間以内で登って、さらに下山の体力を保持しているくらいでなければ資格がないと言い、早月尾根をタイムトライアルする事を勧めている。最後に、最近のガイドブックのコースタイムは、低いレベルの人に合わせてあり、標準タイムで歩けたから一人前だと思っている人は、このコースは無理であると締めくくっている。
この記事は、今年人気が予想される「駒ヶ岳 2,002㍍」や、ブナクラ峠を境に雪質の違いを、対峙させている「猫又山 2,378㍍」「赤谷山 2,260㍍」の事も載っており興味深いものであった。
4/12 先日、松任の中垣氏に「笈ヶ岳」の事を尋ねたら、中宮側からのルートは人気過剰で、近年遠ざかっていると言う返事をもらった。(白川側からも良く登られているようにも思うが・・・・・)そして、地元には、「笈会」などと言う会もあって、結構大勢の人が参加しているらしく、また、近い将来登山道を拓くと言う話まで聞くから、秘境「笈ヶ岳」を、今のうちに極める事を勧めると言うものであり、その「宝」の山域を、手付かずのまま後世に、残したいと結んであった。
4/11 次ぎ行く「山」を模索している。今月中旬から来月中旬に掛けて、ハードな山行を幾つか企画しているため、「山ノ神」にお休みして頂ければならず、来週の山行は、是非とも「山ノ神」に同行してもらい「ゴマ」を擂っておかなければならない。そのため、好天と脚力が条件の「猿ヶ馬場山」は、今年は諦める事にした。もう一つは、小口川から「高杉山」や「熊尾山」を狙っていたが、これもパスしなければならないようだ。あとは、「白鳥山」「負釣山」「大倉山」などか、何時もの「牛岳」になるのかな! 何度も同じ山では、「山ノ神」とて、あまり良い返事が返って来ない。 p.m.2:50
4/10 先日の「大地山」のコメントに、人気の「あらちゃん」の報告が抜けていた。私のコラム欄を見て、“横岳は何処にあるの?”と尋ねて来たかと思ったら、その2~3日後に、行って来たと報告してくれる。その「あらちゃん」が、今度は「初雪山」へ行って来たと言う。面白くて楽しいお兄さんのキャラクターを脳裏に描いていたが、この人は、もしかしたら隠れた「岳人」なのかもしれない!
またまたその「初雪山」に、花じいとその郎党が、この週末に出掛けるようだ。大好きな「初雪山」の話が出来る仲間が増えて楽しみだ。
面白いメールが届いた。「笠間とその一味」称する花じいの知人らしい。その代表の笠間さんは、こよなく剱岳を愛しているらしく、酒豪のようにも感じられる。これからの山行は「ドラゴンズ」の帽子に、注目する楽しみと共に、どのような返信をしようかと頭を悩ませるところである。
4/9 今夜は成年会、明日の晩は、自治会の総会などと会合が続く。当然懇親会と称して、アルコールが入るから、PCの前に座る頃には、目がチョロチョロになってしまう。近頃は、日付が変わってから、サーバーに転送する日が多くなってしまって、ご迷惑をお掛けしています。
今年も片貝川南又谷に、入れないかもしれないと言う情報から、「大明神山」を諦めかけていたら、金沢の早川氏から「大明神沢」からのルートを薦められた。“チョットきついけれど、行けるよ!”と言うものであった。先に浜守氏から、“「大明神沢」は危険がいっぱい。宗次郎谷も時期を逸すると藪に悪戦苦闘する。おまけに今年は、雪量が少ない。”のアドバイスを受けていた。一度諦めた「大明神山」行きを、行くか行かないかは、「毛勝山」行きの時、その状況を見極めて、決行の有無とそのルートを決めたいと思っている。でも、最近執着心や冒険心が衰えつつあるので、軟弱な私の心は揺れっ放しである。 p.m.3:25
4/8 思った通り白木峰管理棟の前のゲートは閉ざされていた。例年よりは少ないとは言え、未だ雪が路面を覆っていたし、岩や倒木も行く手を遮っていた。従来の登山道も、当然雪の下と思っていたのですが、所々見え隠れし、とても歩きにくい状態でした。1300㍍の駐車場から、次の林道までの斜面は、案の定「山ノ神」が困った顔をしたが、“先週の「中山」よりは、緩いよ! 少しは慣れたろ!”などとの励ましが効いたのか意外とスムーズに登れたように思った。例年より少ない雪も上部に行くと、二つ目の林道が、何処にあったのかわからぬ程の雪があり、山頂へのアプローチは、気持の良い登行となった。朝方、山頂付近を覆っていた雲も、我々が着いた頃には、青空となり、時々吹く風も心地よいものであった。「仁王山」行きは、“一度行ったから行かなくていい。”の「山ノ神」を残して、与えられた時間を気にしながらの登行となった。鞍部まで降りて、また登り返さなければいけないし、それが復路でも待っている。カラカラの喉に冷たいビールを“グイーッ”と一飲み欲しかったが、息が上がっては、約束の1時間半では、戻れないような気がしたし、「仁王山」で飲んでも、同じ事が言えるので、ここはジーッと我慢をし、雪の中に冷やして出掛ける事にした。がしかし、写真の撮り過ぎで、予定の時間より20分ばかり帰還が遅れて、“すまぬ!堪忍!ゴメン”と言いながら、息を弾ませて戻った山頂のベンチで「山ノ神」がスヤスヤ御休みではないか!何度呼んでも返事が返って来ず、我楽しみのビールが、僅か1本、雪の中に埋められていただけで、他の赤い缶は、肩を並べて討ち死にしていた。“誰もいない山頂で、長い時間を独りで何をしているの!”“運転手には沢山飲ませられない。”が「山ノ神」の弁だったが、まだ、2時間半以上も歩かなければならないのに・・・・・
4/7 黒部のシュンさんの報告と、ターさんのHPから、彼らが昨日「大地山」を満喫した事がわかった。1月の大平、浜守氏グループや、2月の私の大地山行きや、また、金沢の早川氏の山スキーでの登行など、皆この山を絶賛していた。この高さでの眺望は、(1,167㍍)おそらく富山一と言ってもいいであろう。
今日は、お天気の回復が少し遅れたが、明日は良いお天気になるらしい。いろいろと迷ったが、雪の「白木峰 1,596㍍」「仁王山 1,516㍍」に行く事にした。雪のため管理棟から、歩かなければいけないと思うが、素晴らしい展望が待っていてくれれば、その苦労など問題ではない。 p.m.11:00
4/6 京都の「コマクサ」女史から「元ちゃん、相変わらず山に行っていますか?」と久々にメールが届いた。今夏も、北アルプスに行く時は、また、アドバイスをお願いしたい!」とも付け加えてあった。未だお会いしたい事もないのだが、頼られると何だか嬉しくなってくる。また、猿倉で素晴らしい「カタクリ」の群落に会って来たと言う純子、裕子女史コンビからの報告は、散りゆく桜の名残を惜しむ雰囲気と次なる山への意欲が大いに伝わって来た。bunchan女史からは、雪中行軍や雪洞作りでの泣き笑いを「早乙女岳」報告として認めてくれた。また、門前町、猿山の「雪割草」のホットな情報も貰った。人それぞれに、山の楽しみ方があり、どれが優れているというものでない。また、新しい発見があったら、お知らせ願いたいものです。
4/5 魚津の浜守氏から、今年も片貝川の南又谷の林道は、入れないかもしれないと言うメールが届いた。「大明神山」を釜谷から入ってみようと思っていたのと、「鬼場倉ノ頭」を大猫山経由で行ってみたいと思っていただけに、チョッピリ寂しい。昨年は、同林道の施錠で引き返したし、一昨年は、雨のため途中で撤退した経緯があるが、三年前の猫又山と釜谷山以来の南又谷は、またお預けになりそうである。 p.m.7:15
4/4 「越中の百山 123座」のうち現在93座の頂きに立った。自分の技量からみて、当初は100座を達成すれば良しとしていたし、熟知した誰かの手助けを借りなければ、とても123座の完踏出来ないと思っていた。また、そんなに拘りもなかった。しかし、ここまで来たら何とかならないかと地形図を眺めてしまう事が多くなって来た。でも、天候、雪の状態、健康、休日、家庭の理解など幾つものハードルを越していかなければ、スタートする事さえも出来ないのである。否応無しに迫り来る体力の低下も大きな問題である。難度を考えると一年に、幾つもの新しき山に行けるわけもないし、単独や数少ない山の友人との山行に拘るが故にその道程は険しい。
4/3 ご心配をお掛けしましたが、「山ノ神」のヤケドは、赤く腫れて皮が捲れましたが、治療を受ける事もなく大丈夫のようです。
昨日の「中山」行きで、剱センター付近のゲート前で準備をしていた時、40代と思える男性が、地形図を持って我々の前にやって来て、「早乙女岳」出来れば「大日岳」まで行きたいのだが、どうだろうか?の問に、私の耳を疑った。「初めてですか?精々でコット谷の出合いぐらいまでの偵察にされたら!この時間で、加藤文太郎なら出来るかもしれないが・・・・」午前8時30分で、小又川の出合まで、1時間を掛けて歩かなければいけないし、その出合から、コット谷出合までの林道歩きも雪が斜めに付いているから歩きにくく時間が掛るし、普通は夜明け頃から登る山である事を説明したが、孤高の人の加藤文太郎を知らなくても問題ないにしても、どのガイドブックに記されているのか知らないが、いとも簡単に「早乙女岳」頂上に行けると思っている人であった。それでいて、私達が出発しても、後を追ってくる様子もなく、どうしたのかわからなかったが、午後4時に車に戻った時には、その富山ナンバーの車が未だあった。やっぱり出掛けたのか?と知らない人の心配をしたのだが、今朝の新聞、お昼のテレビニュースでも、何も騒ぐような事を報じていなかったから、何となく安堵した。 p.m.4:30
4/2 料理屋「はやつき」前の「通行止」の看板(伊折側)が除けてあったので、倒木や岩また雪を排除して、大倉山の登山口近くの「林道の坪野、蓬沢線」まで入ったが、登り口の工事現場で、作業が始まれば帰れなくなるのではないかと、「弱気」が脳裏を掠め、落石の危険に注意を払いながら、撤退となった。
そこで、 “「雪の中山」へ行ってみたい。馬場島まででもいいから!”→ 「山ノ神」の提案? 伊折の「剱センター」付近のゲートから歩く事になる。きれいに除雪してある道を歩いていると、ゾロメキ発電所まで仕事に出掛けると言う、車の荷台に乗っけてもらい1時間程のアルバイトが助かる。その先15分ほど歩くと、除雪が行き届いていない道路には、未だ1㍍以上の雪が残っていた。そこから、中山登山口までは10分程。
中山の登山道は全て雪の下で、今まで見た事のないような山容に、ビックリしてしまった。左に谷を、右に大斜面を見て、只尾根の急斜面を登るだけ。しかし、ステップを切って登り易くするのだが、「山ノ神」は、ビビッテしまい、標高900㍍付近の斜面の一角に、ビールと共に、待機させて10時40分から単独行となる。
1時間半の[自由行動]をもらったが、5本杉の稜線まで、1時間を要してしまい、また頂上着が正午になってしまった。すぐ、下ればいいものを、30分もカメラと戯れてしまった。5本杉に戻り、大きな杉の目標物に向かって駆け降りたが、(上部は、おっかなびっくり)これが間違いの元で、大きな杉などは、どこにでもあり、南東の方向に、大きく外れてしまったのである。日頃あてにならぬ高度計が920~30㍍を指していた。(この高度計が、今日ばかりは効果を発揮した。下り過ぎていたら、また登り返さなければいかなかったから)
声をかけても、笛を吹いても届くはずがなく、上部からの雪崩を気にしながら、必死にトラバースして、本来のルートに戻る事が出来き、丁度「山ノ神」の頭上20㍍位の所に出たのが午後1時だった。 “もう1時間経っても戻らなかったら、馬場島の山岳警備隊に救助を求めようと思っていた。” などと言いながら、でも、どうして降りて行こうかと悩んでいたとも言う。斜面を削った狭い場所に、お天気とは言え、2時間半もの間一人では、ビールも飲めなかったらしい。しかし、緩んだ雪の上の誘導では、少し安堵したらしく、スムーズに足が運んでいたに思う。県道馬場島公園線の残された雪を、ロータリー車が、きれいに片付けた後を、剱岳を眺めながら、路上でコーヒーを沸かしながら、ゆったり2時間を掛けて車に戻った。
4/1 上々のお天気に、勢い込んで出掛けた「池ノ山」「高幡山」だったが、「佐古」から長棟峠へのルートがわからず、「大多和」から「横岳」へ行くようにして稜線に出てから、反対の高幡山方向へ進んだ。稜線と言い切れるのかわからないくらいの、全くファージーな尾根。天候が悪いと、とてもとてもの山だった。境界線上のブナの木に、埋め込んだような標識が、一つだけ目にしたくらいの静かな山は、頂上では、天下一品の展望が待っていた。天気が良いし、暑いし、展望が良いし、メインだった「池ノ山」へは、まだまだ時間が掛かると言う事で、山頂での小宴会になってしまった。“明日の休日に、また来れば言いや!”が、「高幡山」止まりの理由だったが、飲むに連れて、“毎日同じ山には!”と、トーンダウンしてしまったのが、チョット気にかかり、未練と偵察を兼ねて、「長棟峠」付近まで、足早に出掛けたが、もっと厄介なコースだった。こうなると「とやま山歩き」満願になるには、今秋、茂住峠から荒れた林道を入れるだけ入って、苦手な藪漕ぎをするか、来春、もう一度同じコースを、心して登るかのどちらかになる。今日は、一つアクシデントがあった。それは、頂上で食事中に、うどんの入った熱湯を「山ノ神」が、フリースのズボンの上からといえども大腿部に被ったのである。ずーっと雪で冷やし続けるほど、痛々しいのに、明日も私の山行に同行の意志を見せているのだが、それも、明日起きてみてからの話です。 p.m.11:50