8/31 冷たいビールを、どのようにして山頂で飲む事が出来るかも山行の一つの楽しみであったが、最近は、宿泊する時や、代わって運転をしてくれる人がいない限り飲まないようになった。山の楽しみが半減すると、「山ノ神」が嘆くのであるが、そこは我慢して、下山したらまっしぐらに家路を急ぐようにしている。最も「山ノ神」には、恐ろしくて制約などさせていない。飲まないとなると不思議なもので、他の事で楽しみたくなってくる。ラーメンやコーヒーの器に拘ってみたいような気がしてきた。コッヘルやその蓋で食べたり飲んだりもいいのだが、ほぼ全休日、山に入るとなると、さすがに、飽きてしまうのである。どんぶりでラーメンを、土の上に座ってもコーヒーカップで、今度は頂いてみよう・・・・・ p.m.5:35



8/30 相変わらず「紀行文」が進んでいない。今年の山行回数は、現在49回なのだが、20回分しか載せていない。月に6回も山に出掛けているから、詰まって来て書けない事もあるだろうし、あれもこれもと欲張りの他、早起き・徹夜などいろいろ試みているのだが、体力のなさなのか睡魔にはかなわない。「大地山・奥ノ山・高幡山・駒ヶ岳・毛勝山」などの富山や「甲武信岳・浅間山・茅ヶ岳・空木岳」などの県外の山、また、昨年来の「大平山・雲取山・大菩薩嶺・御在所岳」などと手掛けたけれど、途中になっているものや、資料がなくなってしまったものなどと、頭を抱えている。楽しみでやり始めたものが、プレッシャーからストレスになりつつあるが、もう一度初心に返りたいと思っている。慌てず、ゆっくり楽しみながら、想い出を綴ろうと思っている。好きな事なのだから、ストレスになるわけがない!  p.m.0:25



8/29 自分も意識的に花の名を覚えようと思って始めた「山の花」のコーナーだが、意外と難しいものだった。ま~あ、よく似た花があるものだ。また思い込んでいた花の名が違っていたりして、ショックを受けるものもある。そして、トリカブトやアザミのように、そのものを図鑑で繰っても載っていないのである。〇〇トリカブト、〇〇アザミを繰らないと出て来ないのである。私よりも少しは、花の名に詳しい「山ノ神」も、私の矢継ぎ早の問い掛けには、閉口しているようであるが、その事に通して共通の話題が増えれば、もっと楽しくなるようにも思っている。



8/28 「武尊山」計画を知ってか、私達にアドバイスと激励を込めたメールが、牧野さんから届いた。 「 武尊山は、中々手強い山です。標高こそ低いですが山登りが出来る山です。いくつかの登山コースがありますが、元ちゃん夫妻ならどんなコースでも可能です。前武尊山、剣が峰、家串山、中岳、武尊山の縦走コースが最も面白いと思っています。 不動岩の岩場コースは、鎖の連続でスリル満点です。」 と、同コースを半ば諦めかけていたのに、また私の心をくすぐるものであった。しかし、「山ノ神」同行では、とても行けないし、行けたとしても2倍位の時間を要してしまうであろう。だから、今回は、もっと「軟弱なコース (ファミリーなコース) 」を探しているところである。その牧野さんは、明日から雲の平を経由して、読売新道の「赤牛岳」、「奥黒部ヒュッテ」、「平の渡し」、「五色が原」と羨ましい限りの山行に出掛けられる。 強行日帰りばかりの私にも、そんなステキな山行が来るのだろうか?  p.m.8:00



8/27 一週間程前の早朝に、実験や研究発表などと忙しがっていた長女が、学校からの帰路、街路樹に車を突入させ大破させてしまった。幸い人身には危害を及ぼさず、自身も損傷がなかったようで、胸を撫で下ろしているが、私の顔を見れば、「眠い!眠い!」と言っていた彼女に、自分の事を照らし合わせて見ると、私も友人から、「スケジュールがハード過ぎる。いい加減に歳を考えて、おとなしいスケジュールにしろ!」 と助言を受けている。有事の時、言っていたのにと言い返される事のないように、気を付けなければいけないと思っている。来週も、今回より未だ遠方の計画があるから、経済的な事ばかりでなく、体力や気力とも相談して、安全なスケジュールにしなければと思っている。 その「武尊山」行きは、「山ノ神」には、チョッとハードなようで、調べ上げた幾つかのコースの中から最も楽なコースを模索しているところであるが、それでも、きついと感じた場合は、日光方面に行き先を変更するかもしれない。 p.m.4:45



8/26 今回の「平標山・仙ノ倉山」行きも眠たかった。苗場スキー場の近くが登山口となるため、下道はやはり遠い。始めから眠たかったので、往路は「朝日・上越間」、復路は「上越・滑川間」を無念の高速利用とした。往路は、上越から253号線で十日町・六日町・湯沢町経由とし、復路は、湯沢町を出て石打から353号線・117号線経由で十日町に、そして253号線を利用した。 平標山は、松手山の急登を除けば、「花の百名山」らしく、楽しい雰囲気の山で、苗場スキー場と筍山また、その西に苗場山が大きく見える。二百名山の「仙ノ倉山」へのアプローチは、風衝草原を散歩するような温和な登山道であった。しかし、山頂からは、期待していた谷川連峰の山並を確認しないままで、下山しなければいけなかったのが悔しかった。花のシーズンには適さなかったかもしれないが、ハクサンフロ・ウメバチソウ・リンドウなどが所狭しと咲き乱れ、こまごまと私が名も知らぬ花たちも数多くあった。また、これからは、草紅葉が大いに期待されよう! 木道と木の階段の印象が強い「平標山・仙ノ倉山」で、7~8パーティーと遭遇したが、皆ハイキングやお花を楽しむ人達のようで、とても「山ヤ」の風貌をした人を見かけなかった。



8/25 「シュンさん」と「ターさん」が「餓鬼岳 2,647㍍」に出掛けたらしい。私にも誘いのメールが届いたが、残念ながら私は仕事である。燕岳の北にあって二百名山である餓鬼岳の情報が寄せられる事を楽しみにしている。さて、明日の我々は、上越国境の「平標山・仙ノ倉山」に行く。幸いお天気も良さそうである。 p.m.2:35



8/24 県外の山愛好者から「何処かお勧めの所は?」などの問い合せには、白馬岳より北にある「雪倉岳・朝日岳周辺」を勧めている。新潟県の蓮華温泉から五輪尾根で吹上のコルや鉱山道で鉢ヶ岳のコルへ、また白馬大池から三国境などと、幾多のコースを往路にも復路にも使える。また、富山県の小川温泉元湯から北俣を経由してのイブリ尾根コースがある。どのコースを辿ろうが、「花・・はな・はな・ハナ・ハナ」である。その花と共に、栂海新道で更に北上し、海抜0㍍の親不知で、日本海に足を入れたとの「花じい」や「シュンちゃん」報告を見ると「山ヤ」のロマンを感じる。長栂山・黒岩山・犬ヶ岳・白鳥山のピークを踏んでいるものの、その山並を通しで歩いた事が未だなく、私も何時かはと、熱いものを胸に認めている。



8/23新潟県の山では、妙高方面と148号線沿の頚城地方のいわゆる「上越」の山以外では、「越後駒ヶ岳」や「巻機山」、また県境にある「苗場山」や「平ヶ岳」にしか登っていないような気がする。9月は、母の介護の事もあり、未だ予定が立たないが、「中越」の「守門岳(1537㍍)・粟ヶ岳(1293㍍)・浅草岳(1586㍍)八海山(1778㍍)・中ノ岳(2085㍍)」や「下越」の「エブリ差岳(1636㍍)・二王子岳(1421㍍)・御神楽岳(1387㍍)」を、今秋に半分以上登れないかと思っている。しかし、富山の山にも、素晴らしい紅葉が見れる山も多くあり、また悩まなければならなくなる。 p.m.7:25



8/22 8/15~8/19の中で、8/17を除く、4日間の休日があったが、時間がなかったり、天候が悪かったりで、4日間とも、地元富山のわりと簡単な山行となってしまった。片道1~2時間の行程で、私としてはチョット不完全燃焼気味であった。しかし、若かりし頃を除く、最近の山行記録を見てみると、やはり近間の山行となっていたり、所用があってか、山行すら出来なかった時もあったようである。次の休日は、上越国境の「平標山・仙ノ倉山」である。スキーで有名な「湯沢」から入る予定だが、「六日町」あたりまで、いやもしかしたら、「湯沢」まで、下道を走るかもしれないから、当然、夜半または、未明発になる。折角遠い所に出掛けるのだから、天候が味方してくれないと困るのだが・・・・ p.m.11:50



8/21 金ちゃん夫婦が「甲斐駒ヶ岳・仙丈ヶ岳」に、昨夜から出掛けた。この自称ミーハー族である金ちゃんは、高校時代からの親友だが、、格好は山にしかお金をかけない私と違って、若々しくとてもダンディーである。そして、酒、タバコ・賭け事・浮いた話などが全くない仕事オンリーの男なのである。たまに、仕事の合間を縫って、山には出掛けるのであるが、そこは、ミーハー族で、メジャーな山にしか出掛けない。今年も、草津白根山や八ヶ岳などの百名山に出掛けているのだが、「みなこのカフェテラス」のHPを持っている10歳若い妻君は、なかなか山のコーナー「ある日の山歩き」を更新してくれない。 p.m.3:20



8/20 あまり嬉しくもないが、今日は私の55回目の誕生日である。髪の毛が薄くなり、顔にもシワがより、ギョロリとした目に、口ひげと、この世のものとは思えない風貌だが、でも、昔は結構いい男だったのだ・・・・・・・・・・・・。青春時代は、遠い昔の話なのに、「青春の名残」とか「心の中では未だ青春」などと、「青春」の名と、未練がましくまだ決別したくないのである。しかし、「元気なうちは青春」と言いたいけれど、寄る年波には押し潰されそうで、無駄な抵抗なのだろうが、新たな目標を持って歩んで行きたいと思っている。今日を記念して?「山の花」のコーナーを設けてみた。花の名を確実に覚えるための自分のコーナーなのかもしれない! a.m.11:10



8/19 今日のテーマは、「誰もいない山」「花を探そう」。大長谷に入ってから、予想はしていたものの雨が酷くなってきた。1300㍍の駐車場から、いきなり上下の雨具着用である。それこそ誰もいない「白木峰」は、風が強くなっても、イヤだとは思わなかった。ソバナ・アザミ・オタカラコウ・ミツガシワ・オヤマリンドウ・アキノキリンソウ・・・・・・・などなど。  その花たちに、カメラを向けるのに苦労したが、これも楽しみの一つである。でも、わからない花の方が多く、何時かの機会に「花じい」に、教えてもらう楽しみが出来た。 p.m.6:00



8/18 どうしようもないのに、何かもどかしさが残っていたので、自分を見つめ直す良き一日にした。このお天気に下草が覆って、足元を濡らすのもイヤだったし、スカッとした高所よりも、手身近な「小佐波御前山」を選んだ。猿倉山の下斜面と駐車場附近で、イベントが行われていたが、猿倉山のてっぺんから、御前山・小佐波御前山への遊歩道には、今の時期暑くて登る人もいないらしく、私の考える空間を作ってくれたようなものであった。今日は、花や樹をゆっくり観察しながら、違ったスタイルの山歩きを模索しようと歩き始めたのだが、目新しい草木も目に止まらず、ついつい足早になっていってしまった。しかし、何で休日になったら、このような事ばかりしているのだとか、家には、しなくてはならない事がいっぱいあるのにとかより、もっと山に接したい、あの山に何とか登りたいなどの事の方が、次から次へと頭に浮かんで来てしまう。どんどんたまっていく写真や雑誌などを、どのように整理したらいいのかと、以前からの懸案もある。小佐波御前山頂上では、林道終点まで、車で来たと言う中高年の男性2名と会ったが、ガスで何にも見えなくても、やはりお山のてっぺんを目指して来たのは、私と、そう大代わりはしないのではなかろうか?  御前山の下りでは、夫婦ずれと擦れ違い、猿倉山展望レストラン前の駐車場に戻った頃には、イベントの昼食を取るのに、上がってきた人達なのであろうが、多くの人達が弁当を開いて楽しんでいるようであった。短時間だけれど、一汗流して、車に乗り込んだ頃には、「烏帽子岳・野口五郎岳」への執着も薄れ、未だ踏みえない頂きが憧れへと変わった。今日登った「小佐波御前山」も、「越中の百山」の一座なのだが、春夏秋冬お世話になっている。 p.m.4:50



8/17 「烏帽子岳・野口五郎岳」行きは、この先台風の影響で、お天気の崩れが予想され「ターさん」と、協議の結果中止にする事になった。今回の山行は、お互いにテントを担ぎ、単独行が同行するという特殊なスタイルの企画であった。車には便乗させてもらうが、共同装備もないのである。計画が中止になっても、自分が行きたければ、従来の単独行スタイルで問題なく行けるのであった。しかし、お天気の崩れが心配で、中止にした経緯があるのに、いかにその山々への憧憬があろうとも、なかなか頭の切り替えが出来ないものである。そしてまた、私には、単独や特定の人と以外あまり宿泊登山経験がなく、それ故に、短期間だったけれど、自分なりにモチベーションを高めていたから・・・・・・・・
何十回となく、外に出て空を見上げた。「明日は天気が悪くなる。」いや「台風の速度が遅い。また右に旋回するかもしれない。」などと。 諦めるため少ししか飲まなかったビールなのに、酔いが回ってしまったのか、布団にも入らずウトウトしてしまった。「おーい。晴れたぞ!」の夢の中の声に起こされた。 「山の友」となって未だ1年と短い「ターさん」だが、人間としても信頼出来るし、今回も何の不満もない。只、自分が自分の心の弱さに、負けただけの事である。



8/16 いろいろと所用が出来たのと、8/18~8/19「烏帽子岳・野口五郎岳」行きを優先して、今日は簡単な山行きという事で久し振りに「千石城山」にした。それも一番近道で、「山ノ神」の足を持って来ても、20~25分程で登れる「低き山なれど」のまっちゃんに、以前教えてもらったコースである。お天気が良ければ、この千石城山、そしてハゲ山・高峰山などから剱岳の写真を撮りたいと思っていたのだが、剱岳本峰は、顔を出してくれそうになかったので、余った時間を馬場島に足を運んだ。大猫山・赤谷山・猫又山の取付である ブナクラ谷取水口で私は悩んだ。ここからは私の聖域で、“あなたには登れない。” と「山ノ神」に言い含んでいた所である。しかし、言葉の弾みでブナクラ谷の夏道を1時間ばかり歩いてしまった。 “もしかして、私も登れるのではない。” の言葉が一番怖いのである。 p.m.10:30

8/15 また牛岳になってしまった。昨夜で、あまり期待出来ない天気予報に、「八海山」行きを諦めてしまっていた。七合目附近と八合目から九合目までの草木は、先月よりも高く伸び、雨降りの時は尚更嫌な感じだった。そして、今まであまり虫に悩まされる事がなかったこの牛岳で、今日は何故か虻が多く半袖の私はチョット困ってしまった。しかし、「ソバナ」がそっと薄紫色をして迎えてくれたのが救いだった。嫌いではないのだろうが、牛岳行きを告げると、「エエッ」と不満の表情を見せる「山ノ神」に、 “私のトレーニングの山なのだから早く歩け!” と全行程の半分は、お互い嫌な感じの時を過ごさなければいけなくなる。「イヤなら来なければ!」の言葉を言わないでおこうと思いながら・・・・・でなければ半分程は、別々に歩いているようなものだ。
 福井の松尾さんは、仲間と日程が合わず、単独で双六岳・三俣蓮華岳・笠ヶ岳を目指して、新穂高まで行ったそうだが、どしゃ降りの雨に引き返した無念のメールに “「元ちゃん」なら行ったでしょうね! ” と、私が鉄人のように述べてあったが、そんな事はありません。テーマがなかったら普通の人と同じで退却します。只、雨が降っても行ける低山を持っているだけです。 p.m.8:50



8/14 山口の涼子女史から「剱山行報告」を受けた。3泊4日の行程に、長い車中と、初めて2000㍍以上の山に挑戦する人もあり、体力差などでその掌握に苦慮したとあった。しかし、長次郎谷に望んだ人達は、熟練者が体力の劣る人達をフォローして難なく目的を達成したようである。二週間前から、「ネットの剱岳」を通して、急速に親しい「山の友」になったような気がするから可笑しなものである。山域が違うから、奇跡でも起こらない限りお目にかかる事もないと思うが、中国地方の山の情報や、パーティーを組む事の少ない私にとっては、彼女等の山行の方法などから、教わる事もあると思うし、また楽しみが一つ増えたような気がする。 p.m.1:10



8/13 「雨もまた楽し!」などと言っているけれど、お天気にこした事はない。雨になる事が分かっていたというものの前日の白山、また次の予定の8/15(八海山)も雨の予報である。この時期の低山の登行は修行のようなもので辛いし、日帰りの高所は、「山ノ神」同行では、そんなに選択の余地はない。八海山は、チョット遠いが、未踏の山で、岩が嫌いな「山ノ神」を、ロープウェーで稜線に上げて、危険な所で待機してもらう段取りなのだが、お天気はどうなる事やら・・・・・
 嫁がれた娘さんにPCを“取られた”から、しばらくメールを送る事が出来なくなってしまったが、でも、職場で「元ちゃんの山歩き」見ていますからなどと、またまた私を喜ばせるお電話を、O女史から頂いたが、何時もと内容が変わり映えせず申し訳ないと思っている。何とかしなければ・・・・・・・



8/12 前夜の稲光に、遠出の山行を諦め目覚めた時点で、目的地の選定や支度をしようと思っていた。夜が明けても、雨は予想されし、出発時刻が遅かったが、雨が落ちていない事を理由に「花の白山」行きとした。しかし、登山口から雨で、しばらく歩いているうちに雷雨となった。 “怖いから” と今朝から登り始めた人や、室堂泊の人達も頂上を極めず続々と降りて来たが、ピークに立ちたがる私と、「花」を見たい「山ノ神」は、黙々と上を目指した。室堂からは、雷鳴も収まったが、予想通り山頂では、ガスの中で何も見えないものの、下界の暑さを思えば、天然クーラーと一人ではしゃいだ。でもこの煽りを食ったのが、「山ノ神」であろうか! “こんな寒い頂上でビールなんか飲んでいるなよ!” 言われ、たった一本しかビールを飲めなかったせいなのかわからないが、「花」を楽しんだ後の大白川への下りの最後には、声も出ないくらいに意気消沈してしまった。



8/11 友人知人のHPを覗いて見ると、まあ~、次から次へと、よく山に出掛けているものだと、自分の事は棚に上げて感心する。また、今春まで、“千石城山ってどこにあるの?” “何処かお勧めの山は?” などと言っていた純子女史などは、早月小屋までと言うけれど、とうとう剱岳早月尾根に挑戦するようになってしまった。余程、山との相性がいいのかもしれないし、また、ご主人や友人達との輪が整うほどの環境がいいのかもしれない。 p.m.11:00



8/10  先日の「中ア」行きの時、空木岳と東川岳の鞍部にある「木曽殿山荘」に泊まった。小さいながらも小奇麗な山荘で、有名な旅行会社の登山ツアー20~30名と遭遇した。相変わらず中高年の女性の参加が多く、都会人の会話が否応なしに小耳に入って来た。それは、小気味よくさほど嫌なものではなかったが、やはり女性なのか汗ばんだ身体を、下界から持ち込んだ小物で、お互いに協力しながら、カーテンの中で清拭を繰り返していたようだった。食事前の一つしかない大部屋の片隅で、目を瞑りながら、強要されているような仲間もあるように聞こえてくるが、私は、気持がいいのは事実だが、「 汗も勲章! 」 などとズボラな自分に言い聞かせていた。でも、その後の始末がいけないように思った。どれだけの物が、その作業の後でゴミとなったのかしらないが、ゴミ箱に捨てに行ったらしい。 夕食時に、山小屋の主人が、「下から持ってきたゴミは、持ち帰って欲しい。」と言っていたのは、その事を見ての発言であったのかはわからないが、 荷を少なくすれば、自分も楽だし、また「山」では、ゴミやし尿の難題で苦労をしれいるのを、少しはわかってもらえないものかと、ツアー会社または、ツアーリーダーが、マナーとして教える事が出来ないものかと思ってしまった。



8/9 毎日暑いです!特に「中ア」から戻ってからは、連日のように37度で、体温を超えている。どれだけビールを飲んでも、一時凌ぎにしかならず、余計に汗が流れるような気がする。増してや我家では、寝室にクーラーがないのである。我慢比べや、耐暑訓練をしているわけでもないが、就寝時のクーラーは何となくいやなのである。「暑い!暑い!」と言う毎日に、涼しい山に行きたいのだが、スーッと雲上まで、乗物を利用するのもイマイチだし、樹林帯から歩くこの時期の日帰り登山は、避暑にはならない。さて、今度の休日は、何処へ? 白山・薬師岳・八海山と候補があがっているのだが・・・・・・・



8/8 山口の涼子女史一行が、剱岳に向かって今夜発つようである。「試練と憧れ」をもって、長次郎雪渓を登り、磨き上げた技術をドキドキしながら、試してみたいようである。その二日後、東京のS氏一行は、黒四ダムから入山し、「長次郎谷・平蔵谷」に望むらしいが、彼らは本当にそのルートに決定したのであろうか、その後の連絡がない。HPを通じて知り合った方々が、何のアクシデントもなく、無事下山される事を願わずにはいられない。
 今日は、暇に任せて、先月剱沢キャンプで、支障が出たテントのフライ(雨よけ)の補修をした。25年間使ったフライのゴム部分が、劣化して張りがなくなってしまったのであるが、その材料を買いに、まずは手芸店の門を叩いた。即席の材料で、未熟な針仕事なのだが、山中では、その見栄えもさほど気にならないから、鍵裂きを繕った跡は、私の勲章のようなものだ。 p.m.7:00



8/7 眠い目を擦りながら、家に戻ったのが、午前1時過ぎだった。チョッピリ片付けて、お風呂に入り、カラカラになった喉に、アワが出ないくらい冷たくなった液体を流してやって、床に着いたのが午前3時を回っていた。午前6時半に起きたから、今は眠たくてしょうがない。往路は寝ないで運転、その夜は、隣の人との相性が合わず、殆ど寝れなかった。そして、復路は辛い辛い運転となり、とうとう栃尾から「山ノ神」に運転を譲ってしまった。今回はもう一つ、変わった経験をした。膝の上の横(大腿四頭筋の膝より)に、ダニのようなものが食込んでしまったのである。山から降りて短パンに着替えた時にやられたのか、それとも車の中に紛れ込んで刺されたのかわからない。山中行動の長ズボンを通り越して進入したとは考えにくく、先のどちらかなのであろう。車の運転中、何か違和感を覚えたものの明るい家に帰ってから、虫が足に食込んでいるのがわかり、毛抜き、ピンセットなどの用具で処置をしたのだが、目に見えないくらいの大きさの刺されたものが取れないのである、痛いとか痒いというものでなく、一眠りした後、針でもう一度試してみたが、血がにじむだけで一向にはかどらなく、とうとう外科医に処置を頼んだ次第であった。小さく薄いものは、かぎ型に刺さっており、素人ではやはり無理らしかったが、注射をされ、おまけにケチったロープウェー代は、治療代になってしまった。 p.m.11:05



8/6 岩峰の山「空木岳」の頂きに立った頃は、快晴で大パノラマとなった。薄っすらと見える「浅間山」から噴煙のようなものが伺え、蓼科山から連なる「八ヶ岳」、なおも右に視線を変えれば、「甲斐駒ヶ岳・仙丈ヶ岳・北岳」などが続き、「塩見岳」の上に「富士山」が見える。何時の日か登ってみたい「光岳・聖岳」だろうか山々が更に続く。方向を変えればお馴染みの「恵那山・御岳・乗鞍岳」などが、雲上に聳えていた。賑やかな「空木岳」から「南駒ヶ岳」へ足を運んで、帰ってきた登山者4名と擦れ違った以外、誰とも会わず、ステキな山「南駒ヶ岳」からの展望を我々が独占してしまった。更に今日のメインイベント「仙涯嶺」の岩山を通過し「越百山」へ、また「越百山荘」に至るまで誰一人とも出会う人がなかった。この長い稜線歩きに、「山ノ神」が耐える事が出来るか心配であった事と、またお天気の急変なども考慮し、ツエルト、二人分のシュラカバーまた、充分な水を担いだ為、更に先の林道歩きも加わって車に到着した時はヘナヘナになってしまった。早朝の午前5時半過ぎから歩き始めた縦走路は、越百山荘で冷たいビールがあるものと、信じてきたのに、自分達で水場に行って冷やせと言うものであった。350ml1本600円は、期待はずれだった。しかし、「山の神」の執念は凄いもので、その買ったビールを担いで、下山路40分先の水場で、冷やしてから飲むというものであった。下山路4~5時間だから、運転手の我輩もグウィーと1本飲めると思ったのに下に降りるにつけ、喉を通る量が少なくなっていきそうな気がして辛いものであった。飲んでしまった「山ノ神」は、モノも言わなく、音を上げていた様子が一変し、俄然元気を取り戻した。木曽殿山荘から伊奈川ダムゲートまでの我々が要した時間は13時間であった。



8/5 結局、午後11時半の出発となり、「安房トンネル~奈川渡~木曽福島~須原~伊奈川ダム」は、またしても、睡魔との戦いになった。しかし、歩き始めてしまえば、眠気など吹っ飛んでしまう身体になってしまっている。長い林道歩きの次は、あまり人気のコースではないらしく、腰のくらいまで伸びたササの露を、まともに受けなければならない羽目になる。平日とは言え、下山者と4名会っただけで、今日は誰にも追い抜かれなかったと「山ノ神」は言うが、誰もこのコース登って来なかったのである。木曽殿山荘に着いたら、さすが縦走路の要所らしく、宿泊者は、ツアー客を含め70~80名程の人数だった。休憩を含めて8時間のタイムは、チョッピリ遅いか!



8/4 中部地方の大方の県では、依然「雷注意報」が継続中である。我高岡は、雲があるものの晴れている。しかし、県東部では、大雨洪水注意報が出された。この不安定な空模様は、しばらく続きそうであるが、「雷、三日」の気象用語を信じて、今夜半、「中ア」の「空木岳・南駒ヶ岳・越百山」に向けて出発の予定である。バス、ロープウェーの「木曽駒ヶ岳」は、何時でも登れるなどと、今回は外してみたが、本当のところは、お金の掛るのを避けたのである。 でも、計画通り行けば、「空木岳 百名山」「南駒ヶ岳 二百名山」「越百山 三百名山」に登れる事になり愉快なのだが・・・・・ p.m.3:20



8/3 先月の「立山・剱岳」で、リックカバーの破損が著しくなった。今回は、富山の登山用具専門店に行く間もなく、市内の大型スポーツ店で、ブランド品ではないが、購入する事になった。思ったより低価格であるが、前の品同様な効力を発揮してくれると思っている。市内には登山の専門店が近年なくなってしまい、不自由を感じているが、今日の所は間に合ってよかった。大気が不安定の今日この頃、どこで雷雨に遭うかわからないから、備えだけは万全にしておかなければいけない。昨日も「塩見岳」で、落雷のため亡くなった方があるようだ。私は、雷でとても怖い経験ももっているから、他人事のようには思えない。 p.m.11:30



8/2 8/18~8/19の「烏帽子岳・野口五郎岳」は、「リンク集」でお馴染みの「ターさん」が同行してくれる事になった。私より10歳程若い「ターさん」は、今では、師匠と崇めている「花じい」より、脚力においては上回っているかもしれない。年齢や脚力、そして、アルコールを飲む飲まないの壁を越えて、私をサポートしてくれそうだが、テント泊が希望のようで、またまた超人に付いていくために、老骨に鞭を打たなければいけないようだ。昨年9月末に剱岳日帰り登山中に早月尾根でお会いしたのが縁で、今年4回の山行機会(2月3回・6月1回)を得る事が出来、今回は、北アにご一緒出来るわけである。ネットでも通じているし、全然違和感もないし、何年来の友人と言ってもいいくらいである。 p.m.3:30



8/1 このところ剱岳の長次郎谷、平蔵谷の問い合せが増えてきた。県外の方からのメールが多く、上手くご要望にお答え出来ているのかと不安になる事もある。今春、「毛勝山」を目指された千葉の方へ、自分の物の他に、友人知人からの情報を画像を混ぜて送り続けたら、臆してしまわれたのか、今回は見合わせますと言う返事が来てしまった経緯がある。経験豊富な方に、私のような未熟者があえて、忠告がましい事を述べるのもどうかと思うし、安易な事を述べて、もし、事故に遭われたら心苦しい限りである。何かの縁あって私のHPを覗いてもらったわけだから、ガイドブックにないような痒い所まで手が届くように心掛けているのだが、果たして先方にはどのように伝わって行ったのか分からない。でも、その縁を機会に私は、より多くの方々と、山の情報を交換したいと思っている。それは、熟練者、熟達者、初心者、未経験者などのネームより、どれだけ「山」に憧れているか、どれだけ「山」を愛しているかに、心を寄せたいと思っている。 p.m.4:00