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9/30 秋の空らしく、予報を大きく外し、お昼前から好転して来た。それでもいろいろあって、自宅発は午前10時半を回っていた。どの山にしても、かなり遅い出発であるため、行き先を決めあぐんでいた。でも、心の中では、「中山」「大倉山」を想定して準備をしておいた。大倉山で日没になったらと思い、そっとヘッドランプを2台リックの中に忍ばせたが、「山ノ神」は、それこそ、そっと冷やしたビールを、リックの中に入れたようであった。県東部に車が近付くに連れ、山並がはっきりして来て、心を揺るがせた。以前から、鳥越峠とハゲ山からの剱岳の写真を撮り直したいとの思いもあって、急遽「ハゲ山」に足を向けてしまった。しかし、それだけではおさまらず、中山登山口1時45分発で頂上を目指した。でも、残念な事に、登り始めから周辺の山々と共に、ガスに覆われ来て、1時間近く山頂に留まったけれど、剱岳の上部は、見せてくれなかった。ところが、下山してしばらくすると、何とまたまたその勇壮な姿を現して来るではありませんか! 伊折橋付近でも、夕暮れの美しい姿を見るにつけ、中山山頂に、もう少し留まればよかったと後悔しても始まらず、今度は「千石城山」に心を動かされたが、日没が近く、千石城山登山口付近での工事で、その先が進めなかった事もあり流石に諦めた。 p.m.10:50
9/29 私のHPは、文字が多く、素人丸出しで、センス的にもチョット難があると自覚している。でも、多くの方々が使っているホームページ作成支援ソフト(ホームページビルダーズやフロントページなど)を使わず、テキストに「タグ」を打って作り続けているのです。2年近く続いている当欄のコラム(山に関する毎日のコメント)と、最近は毎日のように、メーンページの画像の交換と共に拘り続けているのです。しかし、その画像のストックに赤信号が灯り始めた。今月上旬の「薬師岳」以降4休日とも、雨には見舞われなかったものの、好天に恵まれず、思うような写真を撮る事が出来なかったからである。直近では、母の事もあり、尚更、その機会を失ってしまった。何とかならないかと思っていた明日の山行も、お昼近くの出発になるが、当てにならないと言うものの、予報がやっぱりお日様マークから、雲と傘マークになってしまい期待は薄い。 p.m.11:55
9/28 今日は朝から雨で、折角の週末も、がっかりしている方が多い事だろう。晴れ上がると、精神衛生上良くないと嘆く私でも、沈んでいるところである。でも、この程度の雨なら、歩くには支障が無いなどと、思うのは私だけだろうか? やっぱりお天気で、視界が利かなければ、山ではないのだろうか? 自己紹介で嗜好品は、「山の空気」などと書いている私は、やっぱり異常なのだろうか! 明後日の私の休日は、お日様マークが顔を出しているが、この時期は、そんなに信用は出来ない。元々30日は、母の事もあり、早朝から出掛けられない予定になっていたから、そんなにも気にせず、近間の山に出掛けるつもりである。10月の休日が、天候に恵まれて、母もそれなりに元気でいてくれたら、今年の目標が、大方達成出来るのだが、世の中はそんなに自分の思う通りにならないものだ。 p.m.4:25
9/27 母の症状も良くなった事もあるが、今日は朝から何だかワクワクしていた。NHKで、「北陸スペシャル剱岳」と題して、=登山者を魅了する名峰の姿=がどのように報じられるのか楽しみにしていたのと、早朝から続々と山の友からメールが届いたのである。久し振りのメール、毎日のように届くメール、初めてのメールなど様々なのだが、長文であろうが、短文であろうが、名文であろうがなかろうが、「山の話」となれば実に嬉しいものである。私も、その事に感謝しながら、一人一人の顔を浮べて(想像して)自分としては心を込めて、お返事しているつもりである。今日はその中で、人生の大先輩である寺口氏からのメールの中に、「秋山氏」が503回(9/9現在)も牛岳山行を重ねられている主旨のものがあった。さすが牛岳の主と言われるだけの事がある。(未だ69回の私は絶句した。未だヒヨコである。・・・・・ )登山を還暦から始められた1920年生まれの82歳であるが、今も積雪期や残雪期にも登っておられる思うが正に超人である。私は、名乗りあった事もなく、先方はご存知ないかもしれないが、平成9年3月のまだ雪の多い牛岳山頂で、お歳をお尋ねしたところ、“ 1920年生れ ”と何時も誰からも聞かれるのであろう、彼なりの表現を今も良く覚えている。また同年6月初旬、利賀村の水無へミズバショウを見に行った時またまたお会いし、言葉の弾みで、「水無山」の三角点の話題になったが、ご一緒しましょうと言う事のなり、笹薮の中を探し回った事がある。しかし、見つからず別れた後、“ 小さなテープ吊るしてある所から登れば間違いない。 ” と、わざわざ車を引き返してまで、教えてくださった方である。その時私はまだ、秋山氏の名は知らなかった。
9/26 著名人がヒマラヤに出掛けたり、山の会で訓練され岩や雪に挑戦する人もいる。でも、違った景色を追いかけたり、美しい花々に、一時の安らぎを求めたりして、山と接している人の方が断然多いのである。私もその独りで、あの山もこの山も登れないかと、数を増やして来ただけである。体力が落ちていく事を自覚しながらも、未だ憧れを捨て切れず、試練を臨むのも、前者の人達の夢よりも、“ちっぽけなもの”かもしれないが、私の生き甲斐なのである。「越中の百山」を完踏するのは、もしかしたら、私にとってエベレストに登るくらい大変な事かもしれない。多くの山の友を介して情報を収集し、一座でも多く登れたらと心を膨らましている。また、手助けをお願いするかもしれない。具合の悪かった母が、危機を乗り越えて、それなりに良くなった。「また山に行って来なさい!」と言ってくれているようである。 p.m.2:50
9/25 秋分の日に立山・室堂に雪が舞ったらしいが、決して特別早いものではなく、昨年の初雪は、9/21(初冠雪は9/28)、一昨年は9/26であった。これから、一気に紅葉前線が里山に向けて降りて来るが、山の魅力を増す時であろう。“ 何処の紅葉がいいですか?” などとその種の会話が必然と多くなるが、針葉樹ばかりの山もないと思うし、どの山でも良いから、足を延ばして見る事であろう。小矢部水系の大門山~大笠山は「赤」が綺麗だし、東芦見尾根の「大猫山」は、剱岳をバックに萌えるであろう。紅葉だけは、各々感じ方が違うようで、「草紅葉」を見て、草が枯れているだけではないかと言う人に、どれだけ説明してもダメのようである。
9/24 キャンプをすると何を食べようかと、メニューを考えなければならない。食べる事を考えるのは、本来楽しいはずなのだが、マンネリ化してくると、結構難しいものである。夜はカレー、翌朝は、残った御飯でおにぎり、または、早立ちの場合はパン、昼食はラーメンなどと簡単に出て来るのですが・・・・・・しかし、飲み始めると、炭水化物系の物に手が伸びなくなり、山の就寝が早いだけに、夜中や朝方に、空腹感を覚えてしまう。まあ~、それなら未だいいが、飲み過ぎた翌朝などは、下界同様辛いものである。ハードな行程の昼食も、一考せねばならず、ラーメン一杯では腹持ちしないが、切り餅などを入れると以外に効果があるのである。先日の「薬師岳」山行時は、歯痛の事情もあったが、朝食に「お茶漬け」のメニューを取り入れた。一杯分の白飯をラップに包み、自分の好きなお茶漬けの素を、持参すれば良いだけである。このメニューは、意外と感じは良かったのだが、歯痛には、お茶漬けの素に入っているカキヤマが合わなかったのと、やっぱり器だった。底の深いコッヘル自体は食べにくく、蓋を利用してみたが、すぐ冷めたし味気なかった、面倒だがお椀を持参すれば良かったという感想である。
9/23 朝6時半。3時間半と予備時間30分の計4時間をもらって「牛岳」に向かった。時間がなかったら「牛岳」、雨が降ったら「牛岳」が定番となっていたが、今日は、山行となると、いささか問題もあるので、トレーニングと言う事で臨んだ。三郎さんとの剱岳日帰りをキャンセルしてしまった経緯もあり、雨ならば諦めもついたのだが、今日のお天気は、曖昧にも晴れのような曇りのような、そして、午後から雨にもなるというもの。その雨で、少しは心が救われたようだった。登山口に着くと、身体は未だなまっているし、昨日の雨で草木が濡れており、登山道の滑りも気になったりしたが、久し振りに頂上までのタイムにトライする事にした。でも、息を切らせても登っても、自己タイの50分で、40分台には届かなかった。しかし、アクセス、登行タイムが短く出来たので、下山時は、何時もと変わり映えしない同じ風景ながら、それなりに我庭を行くような感じで、いろいろなものを、確かめながら降りる事が出来た。家に戻っても、約束の時間には未だ余裕があり、所用のある「山ノ神」とバトンタッチをして、母を看る事にした。午後から、自宅でたっぷり時間があり、HPの日頃手を加えていないコーナーを、真新しく出来るハズだが果たしてどうか・・・・・ p.m.2:00
9/22 時折小雨が降る、さほど良くないお天気ながら、やはり日曜日とあって、大勢と人達が、思い思いの山に出掛けたようだ。福井の松尾さん6人パーティーの赤谷山行きなども、気掛かりなところもあったが、剱や後立山の眺望も良かったと、頗る満足との報告を、ご丁寧に下山後すぐに受けた。明日の休日は、指をくわえて家の中にいるのかと思うと気分が重い。
9/21 またまた、“ 精神上良くない話ですが、私もです!” と牧野さんが、私が喜びそうな「猿ヶ馬場山」情報を下さった。「ウーン」唸りはするが、山の話題を下さる皆様に只感謝である。もし、私が、登れなくなったら、果たしてどれだけの情報が寄せられるだろうか!・・・・・ たとへ近郊の山であろうと私は登り続けたい。昨夜は、歯痛がやや治まったが、微熱があり早々に布団の中に潜り込んだ。夜中に何度も汗ビッショリになりながら、着替えを繰り返し、朝起きた時には、天気予報は別にして、三郎さんとの早月尾根行きに何とかコンディションを持っていく事が出来たと思った矢先、以前から臥せっている母の具合が悪くなってしまった。近くの主治医に、駆けつけてもらって応急処置をしてもらったが、今度の山行などとんでもないと、日頃理解のある主治医も顔を強張らせていた。介護施設へのショートステーの解約をして、当日は母に付きっきりで、いなければならないなずだが、果たして私が一日中、家の中にいる事が出来るか自信がない。半日、母の容態の経過を見ていると素人判断だが好転しているように思う。日頃寝たきりの母を見てくれている「山ノ神」に “ あんたの親でしょ!” の言葉を発せられると、「グのネ」も出ない。
9/20 昨日同コーナーに、“この晴天下に誰かが山に出掛けていると思うと、精神衛生上良くない。” と述べたが、タイミングよく “こんないい天気に、山に登っていたのは僕です。” と大平氏から、大猫山の画像と共にメールが届いた。彼とは、今年の2月「大高山」で偶然お会いしただけだが、逐一山行報告をご丁寧に送ってくださる。私より一回り以上若い彼は、膝を痛めた事があると言いながら、単独行が多く、自由に山を駆け回っているようだ。その山行回数は、私より遥かに多くとても届かない。
松任の中垣さんからは、 “私は、日焼けと虫さされが嫌いで、これからやっといい気分で山に入れます。” と言うメールが届き、山に対する入れ込みは、その人その人によって随分違うものだな~と思った。「奥三方山」でお会いしてから、ちょうど満4年になるが、お顔が忘れそうである。是非とも来春は、「笈ヶ岳」に連れて行ってもらいたいものである。 p.m.4:55
9/19 朝方は冷え込み日中は素晴らしい秋晴れになった。最近の私の休日はあまりお天気に恵まれなかったせいもあり、このような日に、誰かが山に出掛けていると思うと、精神衛生上あまり良くない。このまま私の休日まで、好天が続くのなら良いのだが、またまた、余り良くない予報が出ている。しかし、「秋の空」だから、2~3日後の事はわからない。福井の松尾さんが、ある山行で、話が盛り上がり22日(日)富山の赤谷山に来る事になったと言う。紅葉には未だ早いが、好天なら福井の山にない北方稜線の雰囲気を充分に満喫出来るであろう。しかし、何人のパーティーか知らないが、分県ガイド「富山県の山」に掲載されている中では、難度の高い山であると、お知らせしたいと思っている。23日(月)早月尾根を登る私とは、同じ馬場島を経由するのに、お会いする事は出来ない。 p.m.4:40
9/18 「山ノ神」の歯痛が未だ癒えない内に、今度は私が2~3日前から歯痛に悩んでいる。これで二日間アルコールなし、そして、化膿止め・炎症止め・痛み止めの3種類の薬を朝晩飲んでいる。口髭に、ほっぺたが膨らんでいては、どうも様にならない。明朝まで症状が改善しなければ、仕方なく歯医者に行こうと思っている。23日は、近所の三郎さんと剱岳早月尾根日帰りの計画があるが、このような状態では、私が足手まといになるのではないかと、今から心配している。聞くところによると、三郎さんは、私よりチョッピリ人生の先輩ではあるが、歩く事においては、かなりの持久力をお持ちで、歩く事の延長として、近年はグループで、いろいろな山に登っておられるようだ。高所では、晩秋の装いの時期になるが、何とか好天に恵まれて、彼の剱岳初登頂時の同行者になれないものかと、今から胸を膨らませている。 p.m.9:40
9/17 友人が、HPを毎日更新するのは大変だろうと声を掛けれくれたが、好きな山の事を綴るのだからそうでもないんだよ! と少しうそぶいてみた。でも、友人知人からの情報や、今後の計画、過去を振り返ってみたり、山への憧れなど探せば多くの話題がある。西川さんから、「笠尻山」で熊と遭遇したと言う情報が寄せられた。積雪期に笠尻山から、千石城山へ登られる話は時々聞くが、私はこのルートを辿った事が未だない。西川さんによると、夏道が出来たらしい。(笠尻山までなのか、千石城山までなのか未だお聞きしていない。)機会があったら、登ってみようと思っている。熊の話に戻るが、どのような状態で、見られたか分からないが、基本的には、山菜取りのように、熊に会いに行かなければ、問題ないと思っているし、本州にいるツキノワグマはおとなしいのである。一ヶ月程前、ブナクラ修復グループの辰口さんに、赤谷山・猫又山・大猫山の登山口駐車場手前の鉄製の橋付近で、対岸の岩場を登る熊の写真を見せてもらった事がある。どうも小熊のようだが、動いている様をカメラに収めるのは難しいらしく、“ぬいぐるみの猫みたいですね!” と思わず笑ってしまった。また、誰だったか忘れてしまったが、暗闇の早月尾根を歩き始めたら、木の上から熊が落ちて来て、慌てふためいて逃げ出したと言う話を聞いた事がある。こうなると馬場島付近に熊がいるという事になる。私も昨秋福井の経ヶ岳で、2頭の熊が自分達の前を横切ったのを見たが、やはりあまり気持の良いものではない。
9/16 今日も無情の雨。昨日も私が登った「大猫山」や、寄せられる山の情報では、雨に祟られながらも、それなりの展望もあったようであった。私の連休は、「烏帽子岳」方面に執着していたからだろうか、いや、そうでなく不運にも出発時点の雨だから、仕方がなかったように思えてならない。今日も心を入れ替えて、近間の山行きを模索していたが、「牛岳」と言う前に、もっと簡単(楽)な山がないかと「山ノ神」に言われてしまい、 “この人は、本当に山が好きなの? 来なければいいのに! 邪魔するだけではないか!” と思ったが、今では一番の山行の同行機会が多い人であるから、無視するわけにも行かず、我、ホームグランド「牛岳」を牛岳スキー場側から登る事にした。と言うものの、山田村側から未だ一度も登った事がなく、牛岳の事を掌握する為にもと言う大義名分のもとの出発となった。未だ牛岳スキー場もなく、林道があったかなかったかよく覚えていないが、高校時代(加越線庄川町から)に、一度山田村に向かって下ったのだが、道を間違ってしまったのか、砺波の伏木谷へ降りてしまった事を覚えている。帰路、昔の寺尾温泉の湯に入り、バスや汽車に乗って帰ったのであろうがよく覚えていない。 牛岳パラダイスゲレンデ上部右手から、鉢伏山へのアクセス林道を1.3キロ程進んだ左手に、新牛岳登山口があった。手前の林道が工事中のため、二本杉まで通行出来なかったのが幸いし、新たな登山道を歩く事のなった。しかし、この登山道も20分も掛らないうちに、二本杉に着いてしまうのである。そこから、頂上まで40分を足しても1時間で登ってしまう味気ないものになってしまった。しかし、振替休日の今日でも、このお天気だからか、誰一人出会うこともなく、標高1,000㍍に満たない頂上より低い雲海の様を、我々だけが見れたわけで、雨も落ちず、リックカバーどころか、雨具も纏わなくてもいいハッピーな午後であった。でもこれからの紅葉シーズン含め、牛岳はやっぱり庄川ルートがいい。 また、運命的出会いと言うかハッピーな事があった。登山口の林道に降りて着替えをしていると、一台の車が止まった。一度しかお会いした事のない、富山の有名山岳グループに所属するO氏であった。それにしても、よく私がわかったものだと、感心しながらとても嬉しく思った。 p.m.11:00
9/15 午前3時、大粒ではなかったが、降り止まない雨に、遠い「烏帽子岳」行きを、あえなく中止とする。その後、何となくぼーっとPCの前で、時が過ぎていった。当然、「ターさん」との待ち合わせ場所まで、送ってもらわなくてもよくなったので、例の山姥グループで、午前7時魚津に集合の「白鳥山」に出掛ける「山ノ神」が、そのまま車を使うものと思っていた。この雨で、あの軟弱グループが、決行するのか少々疑問であったが、でも、「山ノ神」に車を取られてしまったら、仕方がないが、いっぱい溜まっている家の中の雑務をこなそうと思っていた。「雨がやんだ。これから晴れる! あんたが、山に行かないわけがないやろ! 魚津まで送って! 良かったら白鳥山に来ない?」と、「山ノ神」の温情なのか6時頃そうなってしまった。とりあえず、車にリックを積み魚津に出かけ、「午後4時頃、迎えに来て!」の条件もあったのだが、何となく馬場島に向かっていた。馬場島に行ったあとは、これも何となく「大猫山」になってしまった。標高1500㍍までは、何とか剱のてっぺんが見え、こんな事なら、「烏帽子岳」に出掛ければ良かったと後悔し、また「ターさん」に、申し訳ないような気持でいっぱいであった。しかし、大猫平・大猫山頂でも、一瞬の展望はあったものの、あとは全部ガスの中だった。寝不足なのか、体力の衰えが早くも現れたのか、下山時は、何度も何度も転び、腰をねじったり、手も足も傷だらけになってしまった。この調子で、明日もう一度「烏帽子岳」に、挑戦出来るのかどうか分からないが、予報は相変わらず悪く、帰宅後また雨がポツリポツリ落ちて来た。でも、明日は雨でも、余程の事がない限り、何処かの低山に出掛けます。
9/14 天気予報もあっちへフラフラ、こっちへフラフラである。15~16日だけが、お天気の予想だったが、昨日から目まぐるしく変わっている。今日も朝方の予報では、明日はお天気マークが付いていたが、夕刻には曇りに、チョット傘マークが付いている。「烏帽子岳・野口五郎岳」には、縁がなく、一時は諦める事にしたが、結局雨が降っても何処かへ出掛けるのなら、思い切って「烏帽子岳」日帰りにする事にした。ブナタテ尾根を日帰りする話は、あまり聞いた事がないが、剱岳日帰りの事を思えば、何とかなるだろう。明日も「ターさん」と言う強い味方が同行してくれる。出掛けに雨が降らなければいいのだが・・・・・ p.m.9:10
9/13 久々に紀行文「平標山・仙ノ倉山」を纏めたが、新鮮さに欠け物足りないような気がした。自分が楽しむものなどと言って、遅れをごまかしているが、このようなものは、下山後すぐに綴らなければ風化してしまうし、情報の価値も下がってしまうものである。最も文学的な高レベルものなら、その限りではないのだが・・・・・・。今、15~16日の連休の山行に悩んでいる。家の事情などは、さて置いて、ずーっと予報を見て来たが、ここに来てあまり芳しくない。「烏帽子岳・野口五郎岳」に縁があれば、お天気も味方してくれるだろう。
9/12 同行者として、紀行文や山行記録欄に、またこのコーナーにも時々登場する “はるちゃん(中山君)” が、私達の薬師岳山行の時、大猫山に登っている。“ 登山口が簡単に分かるか? ” などと尋ねてくれた彼は、二男の高校球児に、甲子園の夢をかけていたため、このところ2~3年山から離れがちだった。その息子さんから手が離れ、ようやく山へ戻って来てくれそうである。彼にとって、「大猫山」は、復帰を記念する山に持って来いの山であったに違いない。大猫平からの剱岳の眺望は、どの展望台にも引けをとらず、彼の心に感動を与えたらしい。急登や急な下りには、日頃の鍛錬が足らず、2~3日足が痛かったらしいが、久々に違った角度から見る剱岳に酔っていた感じが、電話でも伝わって来た。私の節目の山行には、彼が同行してくれる時が多い。赤谷山・猫又山・早乙女岳・大熊山・突坂山・黒菱山など挙げれば切りがない。35年程前、残雪の多き7月に、黒部川「下の廊下」を一緒に歩いたのも彼である。そして、私の「とやま山歩き118座」完踏の日(10月14日の予定)の酒盛りに、必ず駆けつけてくれるに違いない。 p.m.1:00
9/11 「山の花」コーナーを設けて早いもので3週間になる。花を撮ってそれを載せればいいと簡単に考えていたのだが、実際やってみるとそうでもなかった。思い込んでいた花の名が違っていたり、その花も旬の時もあれば、名残の時もあるのである。また良く似た花もあり、同じ花でも、いろいろな種類があり参ってしまう。近付いて撮るのもなかなか難しく、HP上に載せるにあたっては、容量の問題も出て来る。花の図鑑ではないのだからと、言い聞かせながらの現在に至っている。数も20を超え、見やすいように分類しなければいかないと共に、説明も図鑑を丸写しでなく、オリジナルのものに変えていかなくてはと思っている。
9/10 山頂にはいろいろな標識があり、それをバックに記念写真を撮る事が多い。標識のお陰で、そこが山頂である事がわかり、探す煩わしさもなく便利でもある。しかし、最近は有名な山ほど、手作りの標識を、石や岩の隙間に差し込んだり、樹木に縛り付けてあったりして、正にその標識が溢れんばかりで、どうかと思う事もある。また、山梨県などは、「山梨百名山」と称して、同じ大きさ同じ色の標識を建ているのも寂しい限りだし、何処かの県では、御影石で標柱とするものもあった。私も、残雪期の我富山のマイナーな山に出掛けた時、木っ端に山名と日付を書いて持ち上がった事が何度となくある。しかし、それもどうかと思うようになり、記念写真用にだけ使い持ち帰っている。その素材が、菓子箱であったり、ダンボール、またポスターであったりし、持ち運びに軽くて便利であり、一工夫をすれば面白い! 今春登った「高幡山」では、雪の上に朽ちた木々を集めて、山の名を表した。記念写真としては面白く、残しても、ゴミにもならないのである。 今春「戸田峰」に登られた方のHPで、標識をアップに写したものを2件見たが、あれは、私達が3年前の春(H.11.3.29)、登頂時に取付けた標識に、字体や大きさから見て、とても似ているのである。前日に降雪があり、別荘川を遡ってから杉の斜面を駆け上がって尾根に出た思いが、つい先日のように思い出された。4人で登った想い出多き山の標識が、なだらかながら、冷たくスコップの先も食込まなかった山頂の一角に括り付けて来た事が、良かったか悪かったか別にして、何時かHPの作者に、どのように状態なっていたものか、古いアルバムを探し当てたかのように、尋ねてみたいものだと思っている。 p.m.3:30
9/9 今日の単独行は、何故か後ろ髪を惹かれる思いだった。母の事、また、「山ノ神」がこのところ体調が悪く、あの歯痛が、口腔外科で点滴を受けるまでになってしまったのである。それでも出掛ける私は、子として、夫として失格なのかもしれない。今日は、擦れ違う人には、「こんにちは。」の言葉を掛けるくらいで、殆ど誰とも話さなかった。花の写真を撮っていたというものの、山頂までの4時間。ガスで何にも見えない山頂で1時間。足が衰えたというものの、駐車場まで下りの2時間半。標高差1500㍍の「大日岳」は、私を充分に、 “考える人” にさせてくれた。一瞬の晴れ間はあったものの、殆どがガスの中で、丁度いい空間を見出してくれたようなものだった。しかし、何も考えず、只、無心で歩いているような事は、それこそ瞬時の事で、良からぬ事ばかり考えているもので、とても六根清浄など、唱える清らかなものでなく、最後の最後には、今度は何処の山に行こうかと、自分の事ばかり考えている愚かな男になってしまっていた。 p.m.10:45
9/8 新潟県を境に天気予報が目まぐるしく変わる。降水確率の高い上州(武尊山)越後(八海山)は諦めた。やっぱりお金が掛らなく、何時でも引き返せる「大日岳」にしよう。チョット出発が遅れても構わないのが楽だが、雨に遭うのはイヤだな!でも、心配する事もなく好天が待っててくれたりして!
9/7 今週は、月・火曜日が山行(薬師岳)、水・木曜日が諸会合、今日(土曜日)が、バトミントンと帰宅時刻が遅い上に、帰ってから冷たいビールをゴクリとやると、折角軌道に載り始めた「紀行文」がまた中断してしまった。楽しみにしてくださる方々の事より、自分の楽しみでやっているのだと、心をごまかして、今日も終っていく。でも、寄せてくださる「山の情報」に、今日も楽しく満足!
9/6 安静第一の母を、我々の山行のため休日前に、介護施設に預けるパターンを取り続けている。しかし、9月は施設の都合で、ことごとく休日前が取れなかったのである。平生は、誰の手も借りず、仕事の傍ら、寝たきり状態の母を看ていてくれる「山ノ神」に、月に6~7日の休日は、解放させてやっても、バチが当たらないと思っていたから、今月の我々のライフスタイルに、チョット混乱を与えている。先週は、連休の前日だけが取れなかったわけで、何とか母を送り出してから、「薬師岳」に向かった。来週は、全く取れず母を預ける事が出来ないので、山行計画はなかったはずであった。でも、日が進むに連れ、二人とも家にいる事もないのではなどと、未練がましく提案し、(後日の休日には私が留守番をします。)9日の休日をもらった。「大日岳」に行こうか! いやいや、7~9日までアルペンルートの運賃が半額になる事を利用して、室堂または天狗平から、室堂乗越・奥大日岳・大日岳・称名滝のコースもいいなあ! まてまて、過日の行き損ねた「武尊山」は、夜行日帰りで可能である。夢が広がる単独行の話をすれば、「山ノ神」の機嫌が悪くなる。「山ノ神」に感謝の念を伝えながら、こっそりスケジュールをと思っているが、お天気周りが気になるところである。 p.m.3:10
9/5 昭和57年7月、当時2歳10ヶ月の長女を背中に担いで登ったのが、薬師岳の最初である。汗をたっぷり掻く我々と違い、ガスに覆われると寒いと言って困らせ、また、ベビーキャリアで眠られては、フラフラするのに閉口したものである。そして、重量オーバーだったのだろうか、キャリアが下山時に壊れてしまい、他の登山者に愛嬌を振りまいていたのが、怖さから涙姿になった長女の顔を、今も鮮明に覚えている。 また、平成6年、当時中学生だった長男と薬師岳に、日帰り登山をした。それまで、妙高山・火打山・巻機山・常念岳・白山などなど 10座以上の名山に付き合ってくれたが、「山の何処が面白い?」のと同級生の一言で、山から遠ざかってしまった。二男も強行日帰りで山への印象が悪く、今では山の話もしてくれない。小さい頃から、山登りやスキーを馴染ませ、大きくなっても一年に一度、或いは一日くらいは、同じ事をして過ごせたらの思いは、一向に届いていないらしい。でも、この子供達は、我々が、馬鹿なくらい山が好きな事だけは、知っているようである。
今回の薬師岳山行は、3回目と回数としては少ないのだが、雲の平や黒部五郎岳などの通過点として、「太郎兵衛平」を経由しているから、身近なものになっているのかも知れない。 p.m.2:20
9/4 家庭の事情からして、泊り掛けの山行など近年は夢のまた夢で、昨年も「北岳」「恵那山」などは強行夜行日帰りでこなして来た。でも、「雲取山」は、とうとう睡魔に負けてしまい、車中泊となってしまった。そのお陰で「大菩薩嶺」まで行けたし、獅子座流星群まで見れるおまけまで付いた。そんな事を思えば、今年の山行は、4回も泊る事が出来、母に只、感謝である。昨日の薬師岳行きは、荷を担ぐと極端に遅くなる「山ノ神」に、 “設営に関するものは全部私が担ぐから、無駄な物は、極力省いて欲しい。” と言っていたのに、こっそり冷やしたビールを、2本リックの中に入れてあった。私は私で、歯痛と言うけれど、ビールがなくては寂しいだろうと、現地の冷水を期待する事にし、シュラフの脇に2本ばかり忍ばせた。太郎小屋に着いて、小屋の冷たいビールをゴクリ! 若い女子従業員の巧みな言葉使いに、なおも1㍑のビールをキープ。暗闇中の二人だけのミニ宴会も、星の観賞に左程酔いもせず、チョッピリ寒くなったねと熱燗で締めくくりとなる。最近は、山頂で飲む機会が少なくなった事から、今日のキャンプは久々の寛ぎとなった。厚手のマットと暖かいシュラフを「山ノ神」に取られ、寸足らずの薄めのマットと薄いシュラで、何時までも寝つかれず、あの人の歯痛は何処へ行ったのか・・・・・ p.m.7:30
9/3 「山の神」の歯痛も響き、なおも出発が遅れ「折立」からの登り始めが、午後1時を回ってしまった。薬師峠のキャンプサイト到着が日没寸前となり、いろいろと支障も出たが、満天の星の元でのミニ宴会は、そんなものを全部吹き飛ばしてしまうくらいステキだった。翌朝、暗がりの4時発は、ご来光を頂上で拝む事が出来なかったが、槍穂高に富士山までが見える展望に、頗る満足の山行となった。今回の目的であった「薬師から剱を撮る」も難なく達成する事も出来、たまたま山頂で、五十島博文氏が大山町の記念登山のため、祠を開いておられたのに遭遇し、珍しいものを拝む事が出来た。また往路では、久し振りに、「薬師岳山荘」の堀井氏にもお会い出来ハッピーな薬師岳山行となった。 p.m.7:55
9/2 武尊山の鎖や岩場がイヤだとか、鳳凰三山ドンドコ沢経由の日帰り山行には絶えられるかとか、今回ほど「山ノ神」に振り回されたことはない。今日の「薬師岳」行きは、母の介護(ショートステー)が希望通り取れず、お昼近くの出発となるため、起きてからでも準備が出来るのでとても楽である。最近歯痛で悩んでいる「山ノ神」が、昨夜も眠れなかったらしいく、只でさえ膨れ面なのに、今朝も「自分の持ち物くらい準備しろ!」の言葉に、虫の居所が悪かったせいもあるのかもしれないが、より一層膨らんで見えた。その先の「具合が悪いのなら、行かなければ!」の一言の複線があったには間違いがない。荷物を見て「キャンプなの?」の言葉には、今度はこちらもしらけてしまったが、そこは我慢をしなければいけない。このところ続いている好天に、明日の我々もあやかりたいものだと、リックの片隅に、私が以前使用していた痛め止めの薬を忍ばせた。
a.m.7:20
9/1 「武尊山」行きを延期した。「日光白根山・両神山・鳳凰山」などを代替候補として、調べていたが疲れてしまい、またの機会にした。何が何でも百名山や三百名山ではないのだから、今回は、地元北アの「薬師岳」でゆっくり山を味わう事にした。何時もなら日帰りのところを、明日はお昼近くの出発となるものの、私としては大判振る舞いの一泊山行である。多くの山を稼ぐのも楽しいものであるが、知り尽くした?山を、堪能するのもまた良いものである。歯痛で悩む「山ノ神」だが、やっぱりビールを担げと言うのだろうか? p.m.8:40