10/31 甥の結婚式に「山ノ神」が、浜松まで出掛けなければならず、11/2~11/3は、私一人で店を賄わなければならいうえに、母が預ける事が出来ず思い悩んでいたら、先日キャンセル待ちが奏功し、この二日を乗り越えれば、11/4~11/5の私の連休は、自由に使えると密かに胸を膨らませていたのだ。しかし、人生何事も自分の思うようにはならず、その思いと計画は、潰れそうである。浜松の帰路、「山ノ神」が、在阪の息子の所へ寄るつもりだったが、どうも拒否されたらしく、11/3の夜遅く帰高すると言うのである。束の間の夢が、破れそうであるが、その休日の予報は、またまた冷たい雨のようであり、痛み分けのようである。 p.m.0:30



10/30 想い出深いシュラフの処分に、なかなか思い切れず悩んでいる。現在四つある中の一つで、高1から高2の春休みを挟んで、新聞配達を2ヶ月やって買ったものであり、当時の5600円は、結構高価で、スポーツ店主に、値引きしてくれるよう拝み倒して求めたものでもある。残雪の鍬崎山に始まり、雷に遭遇した笠ヶ岳、黒部下の廊下のビバーク、そして、剱沢ベースキャンプには欠かせないものであった。でも、嵩の割には、保温が悪く、30数年使って来たので汚れも目立つのである。また、中2の時、体育教師の姉から譲ってもらったウインドブレーカーも、先日の山行の折、袖を引っ張ったら、劣化していたのであろうか、ちぎれてしまった。こうして、物持ちの良い私でも、歴史を感じると共に、手放さなければいけなくなっていく。増してや、置き場所に制限があれば、尚更の事である。ウエアや靴などは、使用頻度が高く、とても持ち切れないが、出番が少ないけれど、未だ現役で活用されているもので一番古いのは、高2の春休みに長野で買った「グレッチャー」と言う名のピッケルになるかもしれない。しかし、そのピッケルも、いまや合金のピッケルに、座を奪われつつある。そんな事を思えば、灯油または、ガソリン使用のラジュース(コンロ)は、処分すべきなのか、それとも、骨董として残せばいいのであろうか! p.m.10:50



10/29 今日の最高気温は10℃で、どの家でも暖房機が動き出した事だろう。今朝の新聞でも、昨日(10/28)の午後1時現在で、立山室堂の積雪が150㌢、最低気温が氷点下8.5℃と報じている。今夜の地元ニュースでは、立山駅付近で5㌢の積雪、まだ滑れはしないが、スキー場のゲレンデは、真白であった。富山より、西の大台ケ原や伊吹山でも、積雪を見たようである。明日は、チョット回復するらしいが、来月初めまで、寒さが続くようである。山の奥まで車を入れようとする時は、非常時を想定して、それなりの準備が必要かもしれない。山歩きも、非日常を求めて行動するのであるから、それは、当然の事かもしれない。 p.m.11:00



10/28 今日は本当に寒い! 昨日は我慢したが、今日は、とうとうストーブを出してしまった。大荒れを予想したのと、倅の帰阪が延びたので、またまた「牛岳」になってしまった。しかし、少しは雨に見舞われたが、時折一部だが青空も顔を出し、ぬかるんでもいない落ち葉の上を快適に歩いて来た。向かいの山や牛岳の下部は、まだこれからと言う感じだったが、上部は、強風に吹き飛ばされてしまったのか、何時もの紅葉を楽しむ事が出来なかった。でも、フカフカの落ち葉の上を、気持よく歩けたのが救いであった。でも、寒かった。山頂では、まだ白いものを見なかったが、風が強く、体温を奪われてしまった。1㍍の風で、体感温度を1度下げるとは、この事だと、今日はヒシヒシと感じた。夜になって、なお一層冷え込んできたが、雷も伴って、この霰混じりの強風は、台風並に我家を、一晩中揺れ動かすのであろうか! それにしても、この寒気は、一ヶ月早いような気もするのだが!  p.m.8:00



10/27 今月の始め「毛勝山」の新ルートに出掛けた「ターさん」のHPが更新されないので、“ 可笑しいな~あ。” と思っていたが、「池ノ山」山行に同行してくれた時に尋ねたら、PCが故障しているのだと言っていた。昨日、新しいPCを買ったと言う連絡があり、それは良かったと思ったのだが、この機会にHPをやめたいから、リンクを解いて欲しいと付け加えてあった。山行機会とHPは、別物なのかもしれないが、何故か寂しく受け入れたくなく、返事もしていない。しかし、彼の師匠のような「花じい」のHPからも、リンクが解かれており無視出来ないようである。私のHPからも、近日中に消え去る事になると思うが、今しばらく、彼の山歴と情熱をながめて欲しいものである。そしてまた、何時か改訂版として復活してくれる事を願っている。「ターさん」の酒を嗜まないのは、チョット寂しいが、私にとって、今年5回も同行してくれている新しい数少ない山友なのである。 p.m.11:59



10/26 今日はお昼頃から寒気が流れ込み、お天気が悪くなる予報であったが、少し遅れて、夜から崩れるらしい。その寒気のために、私の明後日の休日は、気温もぐーっと下がり、山行には適さないらしい。弱ったどうしよう! 山を越え長野・山梨の山にでも行こうか! しかし、何処に行こうが、山は荒れるに違いない。 a.m.10:50



10/25 長女が二週間ぶりに、私の50㍑のリックを担いで帰って来た。と言っても山からではない。日本海の海底に、何億円の機器を沈めて来たとか、日本海溝6500㍍の海底に、沈めて回収したカップめんの容器が、こんなに圧縮さてたのだとか言うが、私には全くわからない。その沈めた機器を一年後に、回収に行かなければならないなどと言い、来春も就職しないのだろうか!と思えば立山の浄土山にパネルを回収しに行かなければならないとも言う。雪が降るとダメになってしまうとか! “ 長靴やスニーカーで、この時期行ける山ではないぜ!” などと言っても、親の言う事などはあまり耳に入らないらしい。悪天の予報に、結果的には中止になったようだが、何時までもハラハラさせる。丁度、大阪から帰って来た長男が、友人の所へ行ってしまったので、一緒にワイワイガヤガヤもならず、何だか寂しい。私のリックは、このような時にしか利用されず、先週は、雨具も持っていかれたため、こちらは雨の中の歩行は、全身びしょ濡れになってしまった。今では、3人の成人した子供達は、「山の話」には、全く興味を示さなく寂しいのだが、他の人には、「親は山バカ」だと言っているらしい。



10/24 明日は全国的に好天に恵まれるようである。このところずーっとお天気に悩まされている私としては、羨ましくてならない。その後が、また崩れる予報になっているから尚更である。紅葉前線も随分と下に降りて来て、低山でも楽しめる頃となって来た。その山行も「文化の日」や「勤労感謝の日」で、区切りにしている方々が多いようである。もちろん雪の事が気になるのも分かるが、登った事のある低山でも、落ち葉を踏締めて歩いたり、薄っすらと雪が積もった道を足跡を残しながら歩いたりして、趣向を変えれば静かな山も、結構楽しいものである。もちろん天候を考えながらである事は、言うまでもない。



10/23 「池ノ山」に登ってから一週間が過ぎた。多くの方々から祝福を受けたが、「越中の百山」を踏破したのならともかく、熟達者でなくても、時間をかければ、誰でも登れると思っている。その中で、一つだけ小さな自慢できる事があるとすれば、中学・高校時代に連れて行ってもらった立山・剱岳以外は、全山単独行または、その山を知らない仲間や、「山ノ神」と一緒に登ったものばかりなのである。今度、何処が取付きか分からない残された「越中の百山」完踏のかすかな夢と共に、登ってしまった「とやま山歩き」を、複数回登って見たいと思っている。山は不思議なもので、素晴らしく感じ、また登ってみたいと思っていても、次回はそれ以上のものがないと感激も薄いし、もうイヤで絶対行きたくないと思っていた山でも、その良さを発見する時がある。だから一度や二度くらい登っても、その山の事などわかるはずがない。しかし、登った事のある山より、登った事のない山に、魅力を感じるのは当たり前の事であり、名山踏破云々で、意見の分かれる事もあるが、長い間山をやっておれば、誰でもが思い悩んだ事があったであろう。その時の体力、技術、仲間、経済・家庭の事情などで、考え方が変わっても何の不思議もない。 p.m.4:15



10/22 白木峰の「小白木」は知られているが、「前白木」はあまり知られていないようだ。私も4年前の5月中旬、その「前白木」に出掛けたのだが、やはり悪天の中、浮島からルートが延びているものと勘違いをし、残雪の斜面で足を滑らせた事がある。その二週間後、またまた雨の中、「山ノ神」を小屋に残し、木道から浮島を望める高台から、右側の踏み跡を辿り、約束した時間を気にしながら、「前白木」のピークを踏むだけの早駆けをした事がある。その記憶は、片道15~30分程だったので、今日の雨の中、何も収穫がないので、「とやま山歩き」の一つのピークを踏んでいない「山ノ神」に勧めたのだが・・・・・今では、「前白木」のピークを訪れる人が多くなったのか、それとも、ルート維持のために、下草を刈っている方々が、付けた物か分からないが、分岐を含め目印に、数多くのピンクのテープが施されていた。しかし、濡れた落ち葉で滑った事もあったが、三角点のあるピークに届くまで、1時間近くの時を費やしてしまった。雨のため写真も食事も思うようにならず、何のために来たのかという顔をしていた「山ノ神」が、そのピーク付近に、多くのシャクナゲがあると分かると、その表情も変わり、“ 来年も来て見たい、万波までは遠いのか!” の質問に変わった。私は、雨の時しか来ないせいもあるのだが、「前白木」から万波方面の景色も見た事もなければ、未だ降りた事もない。 p.m.4:55



10/21 今日も雨。白木峰の紅葉が捨て切れず、雨の中向かった。ガスで視界が悪く予想通りだったが、新しい丸太の階段を登って山頂に着いた時、「山ノ神」に、前白木峰に行く事を提案。15~30分位で行けると言っていたのに、1時間も掛ってしまった。三等三角点があるだけの山頂に着いた頃から、本格的に雨が降り出し、景色も、ビールもない山頂で 主は、“おかんむり” でした。昨日は、猪臥山の「山之神神社」に折角参ったのですが、全身びしょ濡れで車に戻った時には、そのご利益がなく、「山ノ神」は黙ったまま。 p.m.6:10



10/20 360号線の紅葉は見頃である。お天気が悪いのに、大勢の観光客が押し寄せていた。また人気の「籾糠山」にも、かなりの登山者があるらしく、天生峠の駐車場は満杯に近かった。今日は予定を変更して、松任の中垣氏と「猪臥山 1,519㍍」になった。天生集落から、小鳥ダム沿に走り、ソウツイ谷に入った紅葉は天下一品だった。地元の老人が、数年ぶりの見応えのある色付きであるという。日が差せばそれこそ山全体が萌え、峡谷の山肌とあいまって、登山などは後回しになるくらいであろう。惜しむは、高度を上げれば上げるほど、ガスの中に突入していったのには、今日の天候を象徴していたようなものであった。目に焼きついた紅葉を、残したまま、中垣氏に「猿ヶ馬場山」への林道をかなり登ってもらった。また、「笈ヶ岳」のチャレンジを約束し絆を深めた。 p.m.9:30



10/19 私の山への良き理解者である「よっちん君」より、「君が佳き山行のために とやま山歩き完登記念」として、「日本百名山の背景 深田久弥・二つの愛  安宅夏夫著 集英社新書」のプレゼントをもらった。

その解説に、  「日本百名山」の作家・深田久弥(1903~71)の愛と創作の秘話。なぜ深田は初期の瑞々しい小説世界から離れ、山の作家に転身したのか。その秘密を解く鍵は二人の女性にあった。ひとりは、「改造」編集者時代に懸賞小説に応募してきたことをきっかけに結婚し、「共同作業」で作品を紡ぎ出していった北畠八穂。もうひとりは、思いがけず再会し、偲ぶ恋から二度目の結婚に至る一高時代の初恋の女性・木庭志げ子。戦前・戦後の文壇状況のなかに作家の創作経緯を検証し、真実に迫る。  ・・・・とあった。

その「よっちん君」とは、時々会う間柄ながら、彼らしく記念の品として郵送してくれたようだ。30数年の長い付き合いで、お互いに山好きなのだが、多くの同行はない。しかし、山への憧憬は、そうは変わらない。 p.m.6:15



10/18 「越中の百山」や日本二百・三百名山を目指す時は、石川県境の「笈ヶ岳」をどうしても踏破しなければいけない。深田久弥が日本百名山に入れたかったという名峰でもある。富山・岐阜・石川の三ヶ所の登山口があるが、富山側の適期には、桂湖の吊橋の底板が外されているし、その時期を過ぎると大笠山から先は雪がなく辛いと聞く。岐阜側は、よくHPに紹介されているのだが、2泊くらいが多いようである。石川側は、Dr.早川のような超人の真似は出来ないし、4年前石川の「奥三方山」でお会いした松任の中垣氏に、“ 日帰りで道案内せよ!” と問い合せてみた。“まあ~、まあ~。体力の事もあるし!” などと言うその中垣氏と、今度の日曜日、4年ぶりに近くの低山を登る約束をした。4年前の秋に一度しかお会いした事がなく、よく顔も覚えていないのだが、彼は、住宅地図で私の家は分かると言う。折角お会いするのだから、下り坂のお天気がもう少し持ってくれないかと祈っているのだが・・・・・・どちらにしても、「笈ヶ岳」の情報を、山のように持って来てくれるに違いない。 a.m.10:55



10/17 今夏7/21立山経由で剱沢への途中、「一ノ越」で、立山登山中の上市中央小学校6年生の可愛い女の子達に、総合学習の発表の教材として、一枚のCDを託された。その可愛らしい天使達から、三ヶ月ぶりにメールが届いたので紹介してみます。

 私は上市中央小学校6年1組の谷川彩月です。 メールありがとうございます。 私たちは、7月21日の立山登山で本間元三さんにCDーRをお渡ししました。 私は、「剣とつく歌」というテーマで調べています。 内容は、日本海味噌のこと、上市音頭のこと、上市賛歌のこと、剣の歌のことなどです。 まだまだ増やしていきたいと思っています。 本間さんのお返事メールに「高校時代に恩師から口伝えで習った歌詞とちょっと違うのですが おおかたは同じで、口ずさんでしまいました。もしよろしかったら、違う剣の歌をお送りしましょうか?」 と書いてあり、私はホームページを見てくれて, しかも「違う剣の歌をお送りしましょうか?」とかいてあって とてもうれしかったです。 まだ私のホームページは完成していないし、完成したら本間さんに もお送りしたいと思っています。本間さんの「剣の歌」も、歌って音声動画で張り付 けたいと思っています。送ったときにまたアドバイスなどをしてもらえたら幸いです。 よろしくお願いします。

本間元三さんへ
メールありがとうございます。私は、立山登山の時にCDーRをくばった、上市中央 小学校六年一組の島田菜摘です。私は、ずっと上市住んでいるので、小さいころから 「馬場島」とふつうに言っていました。だから、馬場島のことについて考えたことが ありませんでした。でも、本間元三さんのメールを読んでいると、なぜ馬場島は山な のに「島」なのか?と書いてありました。それに、私も疑問をもったので、これから 調べようと思います。できあがったら、本間元三さんにもお知らせしたいです。 立山登山の時にくばった、CDーRの中の「剣岳について」というのが私のホームペ ージです。自分では、写真が少なくて文字ばっかりでおもしろくないなぁと思いました。  これから調べていって、新しいCDーRができたらお届けしたいと思います。 それと、アドバイスしてもらえたらうれしいです。よろしくお願いします。


 今度、天使達からどのようなCD-Rが届くか、とても楽しみであると共に、小さな「山の友」が、新たに出来たような気がして楽しくてならない。 a.m.10:55



10/16 昨日は多くの方々から祝福を受けた。“ 一緒に行けばよかった。” “ 行きたかったのだが!” また “ 行くつもりだったのだが。” などと私の心をくすぐるようなもの数多くあった。未だお会いした事のない方からもメッセージが届き、一時的に、「私は有名人」などと錯覚をするくらいになってしまった。高が「とやま山歩き」に載っている118座を登っただけなのである。そして、時間があり、その気になれば、誰にでも登れる山なのである。でも、一日でもいい気分にして頂いた皆様に、改めて感謝致します。 さて、当日の「池ノ山」の話になりますが、簡単に登れると高を括っていて、事前勉強を怠った事が最大の誤りであった。潰れてしまっている「清五郎小屋」の前の道を捨て切れず辿った事と、戻っても藪の中への突入を嫌い、なおも反対方向の山肌が剥き出しになっている斜面から取付いた事が失敗のもとであった。今、冷静に考えてみると、多分山頂から降りて来て小屋の手前横に出たが、それよりも少し南方向へ振ったならば、山頂からの踏み跡に辿り着けたのではないかと思っている。牧野・池田・西川各氏の貴重な情報を頂きながら、最大の誤りは、「清五郎小屋」の位置を、地形図に重ね合わせられなかった事にあり、それを生かせなかった自分の情けなさを痛感している。 a.m.11:45



10/15 池ノ山山頂から「高幡山」を眺めると、やはり遠くに感じた。残雪期と言えども、佐古の集落からならばいいが、高幡山経由となると一泊しないと届かないように改めて感じた。その意味では、昨日の「池ノ山」登頂は喜ばなくてはいけないだろう。一つのハードルを越えたが、次のハードルの「越中の百山」は、あまりにも高く、何度も述べているように、余程の幸運がなければ、なかなか到達は難しいと思っている。しかし、その淡い希望を担いで、これからも楽しく山行を続けて行きたいと思っている。山は一度や二度登ったくらいで、その山の触りが分かるかもしれないが、その味など分かるはずがなく、機会があれば、もう一度出掛けて行くつもりで、山に接していきたいものです。  p.m.8:05



10/14 さほど自慢出来る程の事ではないが、本日「とやま山歩き118座」を登り終える事が出来ました。本当のところ、最後の山に「池ノ山」を残した事を少し悔やんでいた。それは、「池ノ山」に対して、あまり良い情報が入って来なかったからである。41号線から10㌔以上の悪路に入りながら、登るに価しない山のレッテルを貼られたイメージがあったからでもある。しかし、「とやま山歩き」や、私に寄せてくださった情報がありながら、取付き地点が分からず長い時間右往左往してしまった。結局ヤブに突入し、東側から順に三角点を探す事になってしまった。でも、我々は、池ノ山連峰縦走と題して、今、ノーベル物理学賞ニュートリノ観測で、有名になっている「カミオカカンデ」の真上を歩いているのだの思いが強かった。境界見出しと石柱を見つけ、刈り上げられた踏み跡を見つけた時は流石にホッとした。ブナ林の小さなアップダウンを幾つか乗り越え、「池ノ山」山頂に達した時は、永遠に忘れる事の出来ない価する山になっていた。その山頂から踏み跡が延びていたいたが、不安で山頂手前の白いテープを辿ったのが幸か不幸か、また藪の中の突入になってしまった。悪戦苦闘の末、朽ちた小屋の横に出たが、この小屋が本当に「清五郎小屋」だったのかわからない。“ 何かやった。” という興奮と余韻を持ちながら「茂住峠」に戻ったのが、午後1時半であったが、「何でも名山登山日記」の北川氏と出会った。もちろん初対面であるが、私達のこの日のために、会いに来てくださったようであった。彼が、出会うのではないかと思ってくれた六谷山山頂で、ようやく小宴会にありつく事が出来たが、再び戻って東茂住の41号線に出た時はもう薄暗く、富山方向へ長い渋滞の列に嵌まってしまった。午前6時に家を出て、午後8時の帰宅は、当初の予想を大きく狂わせ、我家での「とやま山歩き完踏記念の宴」が短時間になってしまったが、凄く充実をした一日を送る事が出来て、本当にハッピー!だった。私に同行してくれた「ターさん」、中山君、そして「山ノ神」に感謝をしたい。



10/13 今夏、剱岳長次郎谷の情報交換から、「山の友」になった山口の涼子女史が、都会に住む息子さんの仕事の植生調査に同行するため、九州の山に出掛けていた。原生林や自然林を求めて、野山を駆け巡るものらしく、「山のてっぺん」に立つのはその付録らしかった。熊本の観音岳、天草の次郎岳、えびの高原の白鳥山など、その感激が伝わって来て、九州の地を踏んだ事のない私は、自動車地図を広げたが、まだわからないものもある。“ 普賢岳よく見える。”“ 絶壁で足が竦む。”などと、携帯メールでその状況を克明に伝えてもらった。でも、延べ4日間の九州の山旅は、また暫く会えない息子さんとの新しい想い出として、胸に刻んだように伝わって来た。 p.m.4:10



10/12 「お知らせ」コーナーの山行予定表に、なかなか山名を書き込む事が出来ない。随分良くなってきたけれど、来月初旬で87歳になる母の容態が、何時悪化するか分からないからである。またこのところの「山ノ神」の体力が、目に見えて落ちているからでもある。歯痛・食欲不振などの原因であろうが、先般の大門山系や守門岳では、すぐ息が上がってしまい、小休憩でもどっしりと腰を落としてしまうのである。後について行けば、先に行けと言うし、先に行って差がつけば、また怒るのである。ガラ場などは特に苦手であり、段差の大きい階段状では、手を差し延べて引き上げてやらねばならぬのである。ガイドブックの片道4時間が限度と思っていたが、この頃は3時間半も危ない。3時間にすると行き先の選定に限界があり、また喧嘩の種になる。守門岳の一角の “ 大岳までさしたる急登もなく、登山道もよく整備されているので、初心者やファミリーにもお勧めにコースである。”とガイドブックに書いあったが、「山ノ神」は凄い急登と言う。このコースを紹介してくださった「新潟のえび太君」こと大野氏は、“ きっと雨模様で下がぬかるんでいて視界もない上に、体調も悪かったのでしょう。” と慰めてくれていたが、もう少し物を食べて頑張ってくれなくては、好きな所へ出掛けられなくなる。

10/11 連日の好天である。毎日「ウーン」と唸っている。一ヶ月近く、ガスや雨に祟られ続けている私としては、この好天が、「池ノ山 1,368.7㍍ 」行きまで(10/14)、もってくれないかと願うところである。「池ノ山」に関する情報が3件寄せられているが、どの情報も展望が悪いや、登るに価しないなどで評判が良くない。でも、それは登って見て分かる事で、とにかく登ってやろうと今は意気込んでいる。今春(4/1)、跡津川の佐古から大多和を経由して「高幡山」「池ノ山」を目指したが、高幡山山頂で山ノ神が食事中に火傷をした事と、同山頂から「池ノ山」は遠くに見えてしまった事で、長棟峠までの偵察止まりになってしまった。三角点や標識が隠れて見えぬ雪の山と、ヤブを漕いで展望の効かぬ山と、どちらが良いか考えが分かれるところであるが、まずは山頂に立って見てからの話であろう。 a.m.11:30



10/10 メールが届くと嬉しい。私へのメールは、子供達からの携帯メールと、時々届くダイレクトメール以外は、100%と言っていいくらい山の友人知人からのものであって、PCも完全に山の道具の一つである。メールの相手は、きちんと姓名を名乗ってくれる人、愛称の人、住所まで添えてくれる人など様々であるが、その内容は、山行報告や問い合せが多く、感想・激励や抱負を語るものある。どれ一つ取っても、不真面目なものがなく、新鮮な情報や、山への憧憬に感動し続け、くじけそうで、何時放り出すか分からないHPの作者としては、とても励みになっている。「継続は力なり」の慣用語がそのまま当て嵌まり、錯覚かもしれないが、無形の財産のような気がするから不思議である。私からのメールは、未熟故言葉足らずの事もあるかもしれないが、山が好きであれば、老若男女や経験など関係なく、心を込めてメッセージを認めているつもりである。そして、たった一行の文章にでも、噛み締めればそれなりの味がある。・・・・・ それにしても、今日は良い天気であった。山に出掛けた人が羨ましい。p.m.6:10



10/9 二日間の連休は(10/7~8)、それ程多く歩いていないのだが、何だか疲れて眠たい。お天気に恵まれず、絶景を堪能出来なかったけれど、二日間通して出会った人が二人だけと、正しく自分達だけの静かな山を味わった。一回でその山の良さを味わってしまったら、次はそれ以上のものがない限り、満足出来ないものである。私の立った山頂には、私だけの喜びがあり、味わいがある。負け惜しみだけでなく、山を多く愛している方ならわかると思うが、目的、行程、歴史などが様々の副因として作用し、その時その時の誠を胸に刻むのである。例え僅かな滞在時間しかなくとも、また祝酒がなくてもである。 p.m.9:50



10/8 今日もあまりお天気が良くない。でも「守門岳」に行ってきます。 a.m2:55



 この機会を逃すと、またしばらくお預けになるような気がしたもので、何が何でも出掛ける事にした。もっとも、出掛けたい山が目白押しなわけなのだから、毎休日の山行が続く限り、何処かで雨に遭うのは仕方がない事で、逆に何処かで、紅葉にも出くわすのである。
 「守門岳」は、一番スタンダードな保久礼小屋からのコースを選んだが、睡眠不足や歯痛での食欲不振に、滑りがちで、しかも一日中ガスに覆われた山行は、「山ノ神」を青雲岳で、リタイヤさせてしまった。さーっと一瞬のガスの切れ間から見た紅葉は、晴れていてさえすれば、素晴らしい光景を目の当たりに出来たのにと、思わずにいられなかったが、新潟県の名峰「守門岳」に登れた事だけでも、今回は良しとしなければいけないのではなかったか!



10/7 ポツリポツリ来た雨と天気予報で、昨夜のうちに「守門岳」行きを中止にした。でも、なんだか諦めきれず、守門岳のやや南東にあり、チョッピリ高いが、比較的コースタイムの短い「浅草岳」を、高速を使えば可能なため、夜明けまで、決定を猶予していた。しかし、午前4時過ぎから、強弱をつけながらも、雨は止まず5時半過ぎ、明日に順延する事に決めた。でも、このところの私の休日のお天気は、その後雨が止んだり、日が差したりする事が多く、結構ため息をつくているのである。今日もその可能性が高く、五箇山の「大門山」周辺の山に出掛けようと思っている。例年ならば、10~15日ぐらいが真赤な紅葉を楽しませてくれるのだが、チョッピリ早いかもしれないし、この時雨模様では、きれいな写真は期待出来ず、HPのメーンページの画像も「想い出シリーズ」で我慢しなければなくなるのが辛い。 a.m.8:00



10/6 「守門岳」行きの明日は、また雨の予報である。長岡市のそのまた先の栃尾市まで行かなくてはならず、完全な雨なら翌日に順延しようと思っている。当初は、「浅草岳」と共に7~8日の連休を利用して、2座を一気に登ろうかと意気込んでいたのだが、諸般の事情がそれを許してくれないようである。その新潟県の山々の地図を持ち合わせておらず、先日ネットを通じて、地図販売会社に注文をしたのだが、前回は注文の翌日に届いた事から、甘く見てしまっていたのが災いして未だ届いていない。「えび太の山が大好き」のHPなどから得た情報や、分県登山ガイドの情報しかないが、雪山でもなく、メジャーな山だから、地形図がなくても問題がないだろうが、山登るものの常識として、必需品である事は間違いない。また、過去にそのような状態で登った事があるが、不安と言うより、山座同定も出来ず、何処を歩いているのかもわからず、山頂に達した喜びも何故か少なかったように覚えている。また、そのような事がもう一度あり、大判の自動車地図をリックの中に入れ、コンパスを利用して辛うじて、山名を確認した事があった。 a.m.11:15



10/5 「 成功への道は目標設定である。」と教えてもらった事がある。大小関係なく、自分のやりたい事、したい事を箇条書きにする事を勧められた。そして、その目標に向かって努力するのである。登山は人生の縮図のようなもので、正に“ 山あり谷あり。 ”喜びや楽しみなどは、ほんの一時で、また次の夢(目標)に向かって歩まなければならない。しかし、高いハードルを選んだ人ばかりが、素晴らしいものでもなかろうし、そのプロセス(過程)を大事にしなければならないのも事実である。私の目標も、夏のマッキンリー登頂や、厳冬期の剱岳登頂だったのが、今やトーンダウンして、「越中の百山」と「日本三百名山」になっているが、体力、経済力などのハードルが意外と高く、また何時か、設定の見直しを迫られるであろうが、今はこれくらいの夢は持ち続けたいと思っている。人生の目標を見失ってしまっているが、「山の夢」では、他の人達の理解は受けられないかもしれない。 p.m.5:35



10/4 三日前の北日本新聞に、「尾洞山」の登山道が出来たという記事が載っていた。利賀富士と呼ばれている尾洞山は、距離、散策時間も長くなく、これから多くの人達に親しまれる事であろう。「越中の百山」でもある尾洞山は、それこそ専門の書でも読まない限り馴染みの薄い山である。私も昨春、今までその麓までさえ行った事のないのに、地形図を頼りに「山ノ神」と共に、「阿別当」に出掛けたが、土地の人に取付きを尋ねたが、よく分からないようであった。林道を歩き、急な雪の斜面に取付いたが、「山ノ神」がスリップして大木にぶつかった事と共に、五箇山の山々を樹木の間から眺めた事が思い出される。人間と言うものは欲な者で、山道が整備される事に敬意をもて感謝しているが、自分が苦労して登った山が、後に夏道が出来ると「エーッ」と声をあげたくなるから可笑しなものである。最近では、「塔倉山」「猫又山」「駒ヶ岳」もそうである。より多くの人達に、山を楽しんでもらうのは喜びであり、大自然を共有願うのは言うまでもないが、破壊が進まないまでの人手であって欲しいと思うのは私だけであるまい。 a.m.9:55



10/3 ようやく紀行文も軌道に乗って来たと思ったら、今晩も明晩も「有志の会」があり、その次の日はバトミントンと続く。飲み会ではないから、遅く帰っても、その気になれば、文字を綴ればいいわけだから、眠気だけの問題である。元来文面に対する才能があるわけでもないから、PCの前に座っても、サラサラとキーボードを打てるものでもない。気分の乗った時に、一気に書き上げてしまわなければいけないのである。
 昨日、今日と続いている良い天気も、「守門岳」行きを決めると、その日が、またまた傘マークになった。7日8日の連休を使って、一気に「新潟県の山」を、2座やっつけるとはいかなくても、せめて一日でも、“ 晴れてくれ!” と祈るだけである。



10/2 私のHPを見てくれている友人知人に、PCを持っていない人もいる。でも、時々だが、図書館や親戚の家で、見てくれていると言ってくれる。また、友人や子供さんに、プリントしてもらってから、見てくれていると言う人もいた。本当に嬉しい事で感謝しなければいけない。その中の、日頃から辛口で通っている友人が、毎日綴られているコラムに、病の母と、山への憧憬との葛藤が読み応えがあると言ってくれた。山の情報や紀行文は、何処にでもあると言うのである。変な誉め方もあるものだと思いつつ、出来るだけ母の事は、文中に出さないように心掛けていたが、どうしても、母を看てくれる人がいないと、山に出掛けられないから、必然的に登場してしまうのである。何が嬉しくて、老いて臥せっている母の事を、載せたいものかなどと思う所があるが、友人の評を素直に受けたいと思っている。世には、私達以上に、介護の事で悩んでおられる人も多いようで、そんな手もあるのかと、新たな人生の切り口に、なればいいと思っている。 p.m.9:40



10/1 「えび太の山が大好き」の大野氏に、新潟県中越・下越地方の二百・三百名山7座の情報を尋ねたところ、私の条件を考慮し、ガイドブック並みの懇切丁寧な返事が届いた。その情報に「新潟県の山」への弾みが付き、母の容態に変化がない限り7日を皮切りに、3回程出掛けられないかと思っている。とりあえず「守門岳」へ。 p.m.11:55