4/30 笈ヶ岳登行(高)中、石川県の方から二つの事に疑問を投げ掛けられた。一つは、「富山の山」に道(登山道)を付け過ぎるのではないかと言う事であった。最近の毛勝山や駒ヶ岳、そして、二子山・大地・塔倉山・洞山・尾洞山などなどである。私も“ 本当にどうなっているの?” なのである。“好きな人だけ登ればいいのに!” と、より多くの人に登ってもらって楽しんでもらうのもいいかもしれないなのであるが、でも、自然が荒されるなどと、本当に難しい問題である。それよりも、林道が至る所に縦横矛盾に走っているのが、もっと気にかかっている。あれだけの投資をして、有意義なのだろうかと思うのである。もう一つは、桂湖からフカラバノ尾根辿って大笠山に登る途中に、何故「前笈ヶ岳」があるのかと言うのである。大笠山と笈ヶ岳の間にあるのなら分かるのだがとも付け加えた。私もフカラバノ尾根で大笠山に登った時何故か不自然に思っていた。「天ノ又」ならまだいいが前笈ヶ岳とはどういう事なのだろうと! もしかしたら、富山県側から見ると、笈ヶ岳の手前に見えるからそういう名が付いたのではないかと思うのであるが、五箇山方面に詳しい人達に一度問い合せてみようかな! p.m.8:45



4/29 快い足の痛みに笈ヶ岳登頂の感動が重なり合っている。大猫山のルートにヤブが重なり、それを長くした感じが笈ヶ岳の印象である。尾根も南に面しているからか1500㍍付近に行かないと本格的な雪にならなかった。冬瓜山付近は左右が切れたっており、雪の着き方によっては結構難儀するらしい。その後は、快適な歩行が出来、山頂付近の稜線はナイフエッジを予想していたが、何の問題もなく雪がない山頂に立てた。同じ笈ヶ岳に登るにしても、フカラバノ尾根の大笠山を経由して来る富山県側はびっしりと雪があるようである。そう言えば、1800㍍の高度がある富山の山は、雪量はこのようなものではなく、同じ富山でも石川寄りの山と違うようである。でも、笈ヶ岳は深田久弥が百名山に入れたかったと言うくらいで人気の高い山である。 p.m.10:45



4/28 例の如くあまり寝ないでの「笈ヶ岳」行きは、午前4時半には歩き始めていた。お天気もこの日のために取って置いたくらいに好天に恵まれ、ジライ谷東側の急登に臨んだ。しかし、ガイド役の中垣氏の体調が、午前9時過ぎ頃から悪くなってしまったのである。でも、この日を楽しみにしていた私の心中を知ってか、全身の力を振り絞って午後1時過ぎ山頂に導いてくれたのである。しかし、重い足取りに、踏み跡がしっかりしているとは言え、またJPSがあるというものの、普通の登山道と違うあのルートを、とても明るい内に下る事が出来ないと思い、午後3時にシリタカ山頂から(何処ででも、携帯が通じるとは限らないので!)携帯で家に(知人を通じて)連絡をとっておいた。“ 暗くなっても降りるつもりだが、危険だと思ったら、ビバークするかもしれないから・・・・・心配するな! ” しかしながら、不思議な事に、火事場の○○力なのか、脂汗を流しながら、また、攣った足をかばいながら、なんと日没寸前に、一応安全な野猿公園に着いたのである。しかし、ここでまた一難。この日の高温で融雪が進み、朝と同じ地点で、渡渉が出来なくなってしまい、下流にルートを求め、ヘッドランプでの藪漕ぎになってしまったのである。車デボ地点に着いたのが、午後8時を回っており、何時間歩いたのかと自分ながら感心した。またあの事情でよく頑張られた中垣氏にも敬意を称したい。最後の2時間の運転は、やっぱり眠くなり、自宅近くの交差点で、青信号なのに止まるなどと、車でも「遭難」しなくて良かったと思った。



4/27 涼子女史から、九州の大崩山(1643㍍)を下山中との携帯メールをもらった。リアルタイムなので、遠い九州の距離感を感じないが、その感動が伝わって来る。このような便りは、どんなご馳走より嬉しいものである。今日も好天に恵まれ多くの方が、とっておきの山に出掛けられたと思うが、その報告が楽しみである。私も明日未明(高岡発午前2時)「笈ヶ岳」を目指して強行日帰りの予定だが、実りあるものになればいいが・・・・・・・またあくびをしながらの運転になりそうである。 p.m.7:00



4/26 何度も述べるようにこの時期は、何処にでも出掛けたい時である。中垣さんの計らいで「笈ヶ岳」を、ジライ谷から日帰りで臨む事になった。28日は偵察山行と位置付けていただけに、日帰り登頂が実現すると、次の休日に違った所へ出掛ける事が出来る。長い行程とスリルを伴う「笈ヶ岳」行きが、例え未踏になっても、幅広い山行計画が立てられとても満足である。そのためにも、予報通り晴天に恵まれる事を祈るだけである。 p.m.11:55



4/25 先日のあるテレビ番組で、ボランティア活動をしている熟年の男性のコメントとして、“ 一花咲かせたい!” と笑いながら言われたのが、私にはとても印象的だった。老若男女を問わず、誰でも誰にでも良く思われたいし頼りにされたい。幾つになっても自分を認めてもらいたいものである。未踏のルートを探る事を出来なくても、カモシカのように走り回る事が出来なくても、自分の拘ったテーマにチャレンジする事は出来る。累積標高を積み重ねていく人もいれば、累積歩行時間、ピークの数、同じ山への回数など探せば幾らでもある。どちらにしても、コツコツ時間をかけていかなければならないものばかりであるが実に面白いのである。収集の趣味も数が面白さを加速させるようにである。どちらにしても、自分を認めてくれて、励まして下さったり、忠告してくださる友人を得るなければならない。単独行をする人も結構人を恋しがっているものである。世は一人では生きていけなく、多くの友人知人が必要である。辛い事の多い山登りは、いろいろな事を鑑みても人生の縮図のように思えて仕方がない。 p.m.9:25



4/24 GWの山行計画を聞かされるようになってきた。尾根筋から谷筋へ、ルートが変わろうとしている。全国区の「毛勝山」と「笈ヶ岳」には、お天気がよければ人が集まるかもしれない。我々の登れる山の最上級であるが、条件さえ良ければ、それこそ簡単に登れ、雪の状態によっては、ドキモを抜かれそうになる。岩場や雪壁の難所を登るばかりが登山ではないし、山菜取りやお花と戯れるのも立派な山歩きである。どんな山行であろうと、出掛けて行く皆様を、指をくわえて眺めておらなければならぬのも辛いものである。これが晴天ともなると、本当に精神衛生上よくないのである。せめて始めの28日、また、最後の5月5日は晴れて欲しいものである。 p.m.11:55



4/23 「山ノ神」の様子が可笑しい。東京で娘に逢って来て上機嫌だと思っていたのに、どうした事なのだろうか? 今度の山行の事だろうか? もしかしたら、先日の雨の山行報告から、調子に乗って「山ノ神」が行けない「笈ヶ岳・毛勝山・鬼場倉ノ頭・大明神山など」と矢継ぎ早に述べたからであろうか? 母を亡くした後、人質がなくなり、さぞかし解放されると思っていたが大間違いであった。「山ノ神」の名を返上してもらいたいくらいで、この頃は「仁王様」のようである。「山」以外、何も悪い事をしていないのに・・・・・・ でも、楽しい事もある。今月に入って、新しい山の友(ネットの友)が8名も出来た。何時か何処かでお会い出来るかどうかは別にして、どなたであろうが、初々しく感じ活力を与えて下さる。だから、尚更、山に出掛けるのかもしれない。 p.m.2:45



4/22 私の休日(4/20.4/21)だけが雨のような感じだった。この時期に行きたい所が沢山あったのに残念であった。まあ~、世の中思い通りにいかないのが常であるから、雨の時でも歩かれるだけ私は幸せなのである。低山歩きは、雪解け後の樹木に春の息吹が感じられ、雨やガスの中でも、目に清々しさを与えてくれた。また、新たな山用具のテスト歩行にもなった。プラブーツは思ったより違和感がなく、次週の「笈ヶ岳」や、来月の片貝上流の山塊に「快適」を約束してくれそうである。また、「あらちゃん」のGPSとカシミールのミニ講義は、こんな事も出来るのか、そんな使い方も出来るのかなど、違った世界を見るような感じであった。しかし、PCの活用もそうであるように、感心していざやろうと思っても、どうすればいいのかと戸惑って(忘れて)しまうのである。何事もそうであるように、何度も何度も間違いながら、やるしかないのであろう。幸い知人に、この道のエキスパートがおられ、気分的には楽なはずだが、「北ちゃん」「あらちゃん」「シュンちゃん」低レベルの事でも教えてね。 p.m.4:50



4/21 雨は降り続いた。独身の一夜は、飲み過ぎも崇り目覚めは悪かったが、頭と足は、家に留まる事を知らず、涼子女史の言葉を借りれば”私も病気だと思う”の如くである。大辻山に出掛けたが、除雪機械が入っているからであろうか、通行止の標示に、赤いテープが行く手を阻んでいた。雨も強くなり無理して強行突破する事もないと思い、ホームグランドの牛岳に進路を変えた。県東部の大辻山から、県西部の牛岳に移動するだけで1時間半を要してしまったが、牛岳林道のデブリは以前のままで、時間のなかった私は、今度は八乙女山に向かった。ここも雪崩・落石の為通行止の看板が立てられていたが、車が一台が通れる位開けてあったので突入してしまった。しかし、布滝の100㍍手前で雪のため、またしても退却を余儀なくされたが、お山のてっぺんに行きたがる私は、途中からの登山道を辿って山頂を目指した。10分も経たないうちに、雷雨に見舞われ、霰やミゾレのおまけにまでついた。所々に雪が現れはしたが、倒木や折れた小枝が少々煩かった以外無雪期に近い状態で、以前何も知らないで雪中を行軍した事が懐かしく思い出された。簡単な山でも、征服感を抱いて山を降り、「あらちゃん」から、悩んでいるGPSとカシミールの教授を受ける為、慌てて高岡に戻った。 p.m.11:59



4/20 プラブーツデビューの時期としては遅かりし感があるが、来週の「笈ヶ岳」山行に備えて足を慣らしておかなければならず、予報通り雨の日になったが、構わず雪を求めて車を走らせた。先週は高温が続き雪解けが進んだと思われたが、林道からの雪を期待して臨んだ高落場・高清水山は304号線からはゲートが施錠されており、あえなく退却となる。このまま帰るのも寂しいし、先月末苦労した赤祖父山の林道の雪を確かめに行く事にした。先週辺りは「福寿草」が各HPを賑わしていたので、もしかしたら、登山口まで行けるのではないかの予想通り全く林道には雪がなかった。目的地を「赤祖父山」に替えるには、地形図が高清水山で切れており、思案したが、コンパスとGPSもあり、前回苦労した事を忘れ、それこそ最初から雨具着用の山歩きとなった。雪が現れたのは、標高650㍍位からで、ショウジョバカマ、イワウチワ、ユキワリソウが咲き誇る所があるくらいでだから、雪がビッシリというわけでもなかった。875㍍位で再び高所の林道に出ても、所々土が見えていた。「雲上の人」となって、その林道を少し行ってから、稜線に向けて杉林を行くのであるが、雪解けが大いに進んでおり雪を拾うのに苦労しなければならなかった。お天気なら隣の「大寺山」が望める標高1000㍍近くの稜線に出た頃、正午前だと言うのに真っ暗になり、雷がゴロゴロ、風雨が強くなったので、すぐ下山する事にした。登って来た所を下ったつもりだったが、いつも間にか杉林がブナなどの雑木林になり、風の音なのか沢の流れなのか区別がつかなかったが、ゴーゴーと音が聞こえるようになり、ルートを誤った事に気が付いた。北ないし北東方向に登って来たから、逆の南または南西方向に下ればいいと思っていたのが傷を大きくした感じであった。歩き始めてから何も食べていないが、食料はあるし、ツエルトもある、新品の雨具は雨を通さないし、プラブーツは足を濡らしていない。冷静になろうと立ち止まり、そーっと新兵器GPS(万が一の時にと思って最近買ったもの4回目の同行)を濡らさぬよう雨具の中で覗いて見た。何と軌跡(WAYPOINT)が私の思っている所の反対側を示しているのである。今私の立っている所から見える風景は、確かに登って来た時のものと違うのであるが、今降りようとしていた方向から90度以上方向転換しなけれいけないのである。電池の残量も少なく狂っているのではないかとまで思ったりしたが、かと言って自分の思っていた方向に下る勇気もなかった。時間はたっぷりあるからと思いGPSの表示通り雪のない斜面をトラバースして行くと、何とかすかな自分のトレースに交わった。人間の思い込みなんていい加減なものだと改めて思い、今日はプラブーツのデビューより、まだ良くわからないGPSに、早くも助けてもらう羽目になってしまった。 p.m.5:50



4/19 大粒でないが予想通り雨になった。この雨に明日の山行を何処にするか戸惑っている。始めから雨。ずーっと雨。雨の強弱など同じ雨であっても、自ずと行き先が違って来る。「金剛堂山」「人形山」は、靴を履く前から雨はイヤだし、「牛岳」も今月はもういい。では、何処にしよう・・・・・・折角の日曜日なのに、また誰もと出会わない静かな山行、いや、寂しい山行となりそうである。でも、月曜日は何とか雨が止まらないものかと思っている。“ 雨の日に、山に行かなくても!” と言う声が聞こえて来そうだが、どうにもならないのである。 a.m.11:50



4/18 マイカーを明渡した先日の話。「山ノ神」は、何処へ行ったのか気にならないのかと問い掛けて来る。私の単独行動への尋問は厳しいものであるが、私は、あまり聞かないので逆に不満らしい。ならばと問うと、風の城の猿倉でカタクリを見、白馬までドライブをしたと言う。それも下道である。ついこの間まで、雪道、山道、狭い道、高速、バックの必要な所、狭い駐車場などが苦手だと言っては運転しなかったあの「山ノ神」の単独行に聊かあきれてしまった。最近の私は、遠方の夜行日帰りや、両夜行日帰りなどに、耐える体力が衰えつつあり、チョットだけでもと無理矢理させた運転が、このような結果を招いたのかもしれない。さて、その「山ノ神」娘の視察に、明日の夜行で上京するのであるが、この機会にと思った山も、この予報では元気が出なくなる。“ 雨ならば、靴も雨具も試すのにいいじゃない!”などと、私の心を踏みにじって出掛けるに違いない。 p.m.11:20



4/17 昨日、上市警察署に馬場島までの道路状況を問い合せてみた。残念ながら25日開通と聞き、「早乙女岳」へは、剱センターから小又川まで歩かなければならない。歩くのは何ともないのだが、アスファルト道路を新品のプラブーツで歩くのは、ソールを減ってしまうようでイヤ~な感じである。修理に出したバタバタの登山靴も雪の上以外は、なるべく歩かないようにしていたから、ソールの減り方が少なかったような気がする。コンクリートやアスファルトの長い道を歩くのが一番悪いが、歩かなければならない時もあるのである。となれば、自転車もないし、取付きまでスニカーか、ぞうりでなどと考えるのは、やっぱり貧乏人だからであろう。しかし、この良いお天気も週末から崩れるらしく、早乙女岳や大日岳への思いは遠ざかろうとしている。 p.m.2:45



4/16 富山のM店で、登山靴と一緒にゴアテックスの雨具を購入した。10年程前に買ったモンベルの雨具は当時2割引きで24,000円だったように記憶している。最近は、雨の度にパンツまでビショビショになるという様で、ミゾレ混じりの雨の時は泣きたくなっていた。登山靴と雨具が揃えば心までホットになって来る。さて、10年来の雨具の事であるが、2年程前に某スポーツ店のHPで、ゴアテックスの雨具も洗濯して防水スプレーを施せば大丈夫だという情報を知り、早速実行した経緯があるが、どうもその頃から防水力が極端に落ちていったように思っている。その事をM店で尋ねて見ると、それは決して間違いでなく、仕法の問題だと答えてくれた。洗濯(機)後、充分にすすぎをし、脱水をかけない。陰干しで乾燥した後、濡れるくらいに防水スプレーをかける。乾燥(日陰)後、低温でアイロンをかける。その手順で早速やってみたのだが、果たして思い通りになっているのか、今度の雨が楽しみである。ダメならウィンドブレーカー替わりになりそうである。 a.m.11:50



4/15 昨日は、人津谷出合のクムジュンから30分も道路を歩いても、ゲート横の駐車場に着いたのは午後1時40分だった。早乙女岳へは充分に行けたのだが、やはり登山靴を工面しなければ、毎週続く山行に支障が出るのは必死である。私の青年時代までは、地元のスポーツ店に登山靴があったのだが、全国チェーンの登山専門店が出店する頃には、スキーやゴルフ用品にその棚を奪われてしまい、その後馴染みの店も閉まってしまった。またそのチェーン店も、今は撤退してしまったのである。そうなると、富山の専門店に出向くしかなく、休日を全て山行に充てているわけだから、お店に行く時がないのである。時々出向くM店に、グショグショに濡れた登山靴を持ち込んで、この靴と同じようなものを物を用意して下さいと頼んだ。今でこそ何ヶ所も穴があいて無残だが、8~9年前に同店で購入したもので、当時は勧められたサイズより大きいもので少し「ダブ」だったが、とても使い勝手が良かった。それまでは、スキー靴を含めて、10足買えば9足まで都合が悪いくらいに靴選びが下手だった。若い頃は、一年中足の爪真っ黒で、山行の度に靴擦れを起こしていたし、それが原因で化膿して歩けなくなり3日間知り合いの山小屋で、寝かせてもらった事があるくらいであった。汗臭い格好で濡れた靴を持ち込んだ私に、それだけまでに山に行くのならと、プラシックブーツを勧められた。靴選びは苦手で恐怖に感じる私に、都合が悪ければいろいろと修理も出来るし、インナーはテントシューズになるの言葉が心が動かせた。そして、先の登山靴の価格を想定していたから、このプラブーツの価格の方が、1万円程安いのも魅力であった事は間違いない。でも歩いて見なければわからない。ぴったりあえば冷たさ対策になるし、靴下を絞ると滴り落ちる程の気持悪さからも開放されるかもしれない。同時購入のゴアテックスの雨具と共に、“ よくお金の工面が出来たね!” と言われそうな「山ノ神」の視線を気にしながら、“ どちらも命に関わる事なので。”と言い逃れを、頭の中にインプットしておかなければならない。 p.m.10:45



4/14 結局「前大日岳」行きの代償として、マイカーを明渡す事で決着し、娘の車(4月から就職のため上京。)で行く事になった。4駆がタウンカーになり、軽四が山へ行く事になったが、行けるだけでも幸せいっぱいである。あれだけ晴天を確信していた予報が、夜が明けても、そのままの曇天であるが、気温が高くならないだけ良しとせねばなるまい。悪い事が続くものです。昨年同時期(4/15)に「臼越山」に行った時は何でもなかったのに、藤橋のチョット先から通行止のゲートがあり、人津谷出合まで片道30分程、雪のない自動車道を歩かなければ行けないのです。歩き始めて5分、今度は、ストックを忘れた事に気付き取りに戻ろうかと思ったけれど、今日はマイカーではなく、トランクにあるわけがなかった。昨夜のうちに、カンジキ・アイゼン・ピッケル・三脚などは用意していたのに、すっかり忘れてしまっていたのだった。こうなれば、雪のあまり腐らないうちに、登って降りてくるしかないと先を急いだ。昨年はこの人津谷の林道に殆ど雪がなかったのだが、今年はびっしりと雪で埋まっていた。951㍍地点でスノーブリッジや渡渉の心配もなく、おまけに昨日のものであろうか、スキー・カンジキ・アイゼンの後が、そこたらじゅう(何処にでも)に付いており、迷う事もなく、午前10時頃には「前大日岳」の頂きに立つ事が出来た。30分程時を過ごした後、「剱岳」を見に「早乙女岳」まで行こうと鞍部まで降りたが、そのうち雨が降るのではないかと思うようになったのと、帰路に雪が腐り悪戦苦闘するのではないかという不安が加わり、また、穴の空いた登山靴の替わりを探してこなければ、次の山行に支障が出るのではないかと心が揺らされ退却する事になった。しかし、今日の目的を達成すると共に、前大日岳は123座の100座目になった。 p.m.8:35



4/13 今日から、しばらくお天気が続くらしい。欲を言えば、もう少し気温が低ければ申し分ないのだが、大自然が相手だから、そんなに上手く行くわけがない。ならば雪が少しでも硬い夜明けと共に、歩き始めたいのだが、性格上あまり早く就寝出来ず、眠いまま出掛ける事になってしまう事が多い。帰路の運転は、いつも睡魔に襲われてしまうが、こんな事もそう長くは続くまい。このところの小矢部水系の山・初雪山・細蔵山と単独行が多くなり、「山ノ神」のカリカリしているのが目に見えてわかる。“ さわらぬ神に崇りなし。” の如く、目を合わせず、失言をせぬよう心掛け、ドカーンと攻撃されぬよう神経を張詰めている。しかし、5月中旬まで「行きたい山」が多くあり、一気に計画を出すと、「切れてしまい」三行半も覚悟しなければならない。読まれたら、またまたお叱りを受けなければならない。トホトホ・・・・・ p.m.1:20



4/12 今年の山行で何度となくゴミを見た。どうも忘れたものでもなく、落としたものでもなく、明らかに捨てたものであった。みかんの皮は、まだ我慢が出来てでも、トレイやパックまたペットボトルには絶句してしまった。無雪期に林道を歩いていて捨ててあるゴミは、登山者ではなく、工事関係者や林業関係の人かと思っていたが、雪の山で見るに付け、そうではないようである。確かに持ち帰りにくいゴミもあるかもしれないが、何とか工夫してゴミが出ないようにならないものだろうか?融雪が進んだり黄砂の影響で雪が汚れて来たが、きれいな雪にゴミは似つかない。 p.m.6:35



4/11 先月末、大地山頂で、シュンちゃんに「元ちゃん、あんたは高山病にかかっている。」言われて思わず「座布団一枚」と言ってしまった。日頃、面白くないと言われている私は、この噺を使わせてもらっている。黙々歩いていて、「カクッ」と来たが、思わずニッコリして元気が出た。もしかして、ここまで来て、噺がわからなかったら、私より面白くない人だとなるが・・・・・ p.m.6:05

4/10 真っ黒な顔を鏡で見ながら、今月の第3日曜日(20日)は何処に行こうかと考えた。当HPの山行記録を改めて眺めて見ると、9年・早乙女岳、10年・早乙女岳、11年・白木峰と仁王山、12・年細蔵山、13年・横岳、14年・僧ヶ岳の記録が残っており、細蔵山の雪と、昨年の僧ヶ岳で午後から一時小雨が降ったのを除けば、まずまずのお天気であり、その細蔵山と僧ヶ岳が単独行となったが、山の魅力が充分に味わえるシーズンに同行してくれた友と共に、楽しい想い出となっている。4月と5月の月1回の日曜日は、私の大切な山の友との再会の機会でもあるし、新しい山の友が出来る機会でもある。今度の「前大日岳」の結果次第であるが、コット谷を登りつめ、“ 早乙女山頂で、のんびり寝転んでいようか!”“ それとも、大日岳まで、足を延ばそうか?” “ いやいや、ついでに大熊山にも登ろう!”などと考えるだけでも楽しい! その頃までには、馬場島公園線が開通していると思うが・・・・・ p.m.2:35



4/9 「残雪の山」と呼ばれる今のシーズンが私の一番好きな時である。カンジキが、ピッケルやアイゼンに変わり、尾根から谷筋に移行する時でもある。ルンルン気分で締まった雪上を歩くのは楽しいが、地獄が隣り合わせである事も間違いない。お天気であっても、トレースが消え誤って違った尾根に迷い込む事もあり、谷筋では、雪を踏み抜く危険も待っている。しかし、我々の行く山は、慎重に行動し、装備さえ怠らなければまず間違いはない。コンパスや地形図は、嗜好品を忘れても持ち歩かずにはいられまい。



4/8 雨の日は「牛岳」が定番になりつつある。「牛岳」に魅力がないわけでもないが、好きで出掛けているのではない。しかし、今年も月1回のペースで出掛けている事になる。チョッピリ昨日の疲れが残っていたが、“ 私は歩いていない!” の「山ノ神」にせかされて、冷たい靴に足を入れた。時々降っていた雨が、稜線に出てから、唸るような強風と横殴りとなった雨に怯み掛けたが、“ 折角、来たもの山頂まで行こう!” と、今度は私がけしかけた。あの模様では、さすがにビールを飲めるような雰囲気でなく、ちょっぴり可愛そうであったが、稜線から下りかけた時、一瞬雨が止んだ。一本の缶ビールぐらい飲める時間があるだろうと、遅い昼食にしたはずだったが、10分もしないうちに、雨が落ちて来たと思った瞬間突風が吹き、重たい荷以外のものを吹き飛ばしてしまった。ケース、ふた、ゴミ、袋など追い切れなかったものが、大自然の無用の長物になってしまったようだ。沸かしていたお湯がコンロとも倒れ、焼ソバの麺だけを、辛うじてつかまえたようだったが、それだけではどうしようもなかった。しかし、缶ビールとコップ代わりに使っていたコッヘルの蓋だけは、こぼさずしっかりと持っていた「山ノ神」の姿を見て、さすがだと思わずにはいられなかった。その後一気に下ったのが悪く、登り返しにあい、今日は本当の「山ノ神」の洗礼を受けたような気がした。 p.m6:30



4/7 三度目の「細蔵山」。「大猫山」の夏道が出来てから、剱岳の大展望台の座を明渡した感があるが、それでも一時しか登れず、その価は充分すぎるくらいにある。「山の神」のドタキャン(家の用事が出来て、私だけを行かせてくれた。)で、急遽単独行となる。晴天・高温だが、雪が硬く、伊折橋から100㍍しか車が入れず、計画以外のアルバイトとなる。ピッケルやアイゼンが要るのではないかと不安が胸を過ぎったが、前日林道から取り付いたと思われる複数のトレースと合流(標高750㍍前後)した時から、その心配はなくなった。今日は、GPSのデビューで、10分程歩いては立ち止まり、カメラの撮影と合間って、かなりのロスが出たように思えたが、山の遊びに、これと言う決まりがないので、これも楽しからずである。先の複数のトレースは、1330㍍ピーク手前の1220~30㍍付近でなくなっていた。1330㍍ピークから少々下るのだが、山頂に繋がる尾根の左右の斜面が、結構切れていて、今日の高温を考えるとあまり言い気分ではなかった。“ チョット行ってみて!” とカンジキも付けないでズルズル行ってしまったが、膝まで沈むのに閉口してしまった。しかし、山頂の展望は、またとない絶景で、苦労して来た甲斐あったと言うものであった。しかし、帰路の斜面は、カンジキを付けたのであるが、ステップの切り方がルーズであると、等身大のバームクーヘンのような雪魂が落ちていったり、畳2~3枚ほどの表層に乗って落ちて行くのである。また、落とし穴のような所に腰まで落ちてしまった時は、本当に参ってしまい、いっぺんに疲れが出てしまった。複数のトレースを辿って、杉林からズタズタの林道に出て見たが、やはり山中を歩くのが一番いい。GPSの軌跡に載せる事が頭を過ぎり、そのルートを辿ったが、果たして私のような新米がそんな事が出来るのだろうか? p.m.11:59



4/6 ずーっと前から、4月の上旬に高杉山~西笠山の計画を立てていたが、シュンちゃん・ターさんの報告を受けたのと、事前のお天気周りが良くなかったので今回は諦めた。最も「山の神」の顔色を見たのと、ハードな山行ばかりが、山の楽しみ方ではないと思ったのも事実である。しかし、最低「山を歩いた」の実感を味わいたいの条件付きで、「山の神」しぶしぶの「細蔵山」に落ち着いた。2年前「木ノ根山」で沈没した「山ノ神」は、果たしてビールの誘惑に勝って、山頂に辿り着き、「剱岳」を間近に仰ぐ事が出来るのであろうか? 明日は晴天でも高温! p.m.9:20



4/5 この時期の腐った雪や雨の時に出掛ければ、長年私と共に歩いてきた大切な登山靴は、4~5日は濡れて乾かない。ソールを張り替えて2年、その後インナーに穴があいて修理、最近は外側からの亀裂が著しい。命の関わることだから、早く買い換えなかればいけないのだが・・・・・何せ・・・一寸辛い(雨具と共に)・・・その登山靴、前回の赤祖父山でもグッショリと濡れたので外で乾かしていた。中に入れたり、風通しの良い所などいろいろ工夫をしていたのだが、昨日来の雨に気が付かず、家の中に入れるのを忘れていたのである。登山靴の中に水が溜まったのを見て、今度の山行は、始めから濡れた靴を履かなければいけないと脳裏に走った。“ 何故、雨の中に出してあるのだろうか?” などと思ったと言うから、家人は、私の靴があるのを知りながら、ほったらかしたのだ。残された時間は二日弱、何としてでも靴の中に足を入れたくなるようにまでもっていかなくては・・・・・・・・



4/4 GPSとカシミールで一日が過ぎてしまった。“今度の休日は何処へ行くの? ” “あっそーか。” と言うほどである。私の知らない世界に、しばらくは浸ってみるのもいいかもしれない。人生には目標や目的がなくては、張り合いがない。 面白いものに遭遇し、私の人生がまた変わるかもしれない。PCやインターネットを諸悪の根源のように言う人もいるが、使い方によっては、こんなに楽しくいいものはない。私の世代や、もっと上の方のひがみのようにとれる事を耳にする事があるが、どの世の中であろうが、自分の思いが鏡に反射して戻ってくるように、誠意をもって接すれば、自ずとその答えも同じように返って来るような気がしてならない。実際多くの友人を得る事が出来た。お会いした事のない方もである。優劣つけがたい山の友達に感謝をし、これからも長~いお付き合いをしたいものです。このように他愛のない事を綴っていても、少々なれど賛同者がいてくれてとても嬉しく楽しい。長いお付き合いをするためにも、ずーっと、元気でいなければ・・・・・・・・ p.m11:59



4/3 私の地形図の読み方がもう一つ甘いのと、アクシデントに備えてGPSを買った。また、以前から述べているように、蹴飛ばしたくなるような誤作動が激しい高度計に見切りをつけるためでもあった。ナビゲーションの他に、現在地、目的地、移動軌跡、方角などを表示し、現在の移動方向、移動速度、目的地の方角、予測所要時間なども表示してくれるらしい。高度表示や現在位置なども記憶してくれ、「カシミール」と併用すれば、それこそ何をか言わんであり、私の知らぬ世界を見る事が出来るらしい。しかし、メカ音痴の私は、初期の設定から悩み続け、シュンちゃんに手助けをお願いした。「わからない事があったら何でも!」と北川氏が嬉しいメッセージを送ってくれ、私の新しい世界に、のめり込みそうである。実は今日も朝からそのGPSの虜になっていた。 p.m.11:59



4/2 未だ確かめていないが、どうも私のPCの調子が可笑しいのかもしれない。何時ダメになるのかと思うと憂鬱である。サイフがピンチとは言え本来なら、PCや山道具を先に買い換えなければならないのに、「山ノ神」に、こっそりGPSを買ってしまった。元々メカに弱いもので、可笑しいくらいに四苦八苦しなければならない。幸い「シュンちゃん」の手解きがあるし、大先生の北川氏にも助けてもらわなければいけないと思っているが、イロハのイの字くらいは勉強してからでないと失礼な気もする。ここ数年私の考えもしなかった事が起こったり現れたりしてきたが、山の世界でも同様のような気がする。でも、自然にはかなわないし、その自然は大切にしたいものだと思っている。 p.m.11:00



4/1 最近私のHPに異変が起きている。当コーナーもそうであるように、何もかもが縮小してしまったのである。始めは目の錯覚かなと思っていたのが、各コーナーもそうなのである。特に表(山行記録や剱コーナーなど)になっているものが惨めで、小さくなって読めなくなったり、バランスを崩し醜くなっている。何処も触っていないのに、どうしてなのか分からない。サーバーのシステムが変わったのか? まさかハッカーの仕業? HP支援ソフトを使わないで、「タグ」を打ち続けてきた「手作り」のHPなのに・・・・・いい加減にやめろ! と言う事なのかな。でも、HPを止めると言う事は、山を止める事にも繋がりかねないので、例えコンテンツ少なくしてでも続けたい。この頃は山中でも結構悩んでいるのである。地形図に載っていない林道に出たり、役立たずになった凄い誤差の高度計、穴があいた登山靴、防水が利かなくなった雨具など・・・・・お天気の事もです。 p.m.5:00