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6/30 黒岩山中俣山コース1250㍍付近で、蜂に後頭下部と右腕を刺されてしまった。右腕は上着の上からである。さほど大きくない黄と黒のストライブの小さな蜂であったが、ツクツクして腫れ上がり、その痛みに悪い事を連想してしまった。虫刺されの薬を塗布したが、収まらず噂に聞いていたアンモニアの塗布を試してみた。それが奏功したのかどうかわからないが、大事には至らなかった。黒岩平は、予想を遥かに上回る大量の雪に、雲上の楽園と言えなかったような気がしたが、終焉を迎えようとしているシラネアオイや、元気に姿を現しつつあるハクサンコザクラやイワイチョウ、またニッコウキスゲに小さな青紫のリンドウ。チングルマは散ってしまったものと、これからのものが相乱れていた。厚い残雪に重く圧し掛かられているミズバショウや、リュウキンカは、コイワカガミ、ショウジョバカマらと共に、雪解けが進めば一気に雲上の楽園を形成するであろう。梅雨の晴れ間を期待してた栂海新道は、残雪と共にガスが立ちこみ、そう簡単には楽園を楽しませてくれなかった。しかし、同行してくださったN女史のお花の講座は、思いも寄らぬ花名を教授願ったりして、私の頭の活性化に繋がったが、何時まで覚えておれるかとは別の話であろう。そのN女史も下山時、ほぼ同じ所で、蜂の急襲を受け痛い目にあってしまった。その痛さも長い林道歩きの辛さも、黒岩山登頂の達成感が上回ったようである。「山ノ神」も、このところのハードな山行に疲れを感じているはずなのだが、音を上げれば、連れて行ってもらえないというジレンマもあり苦しいところであろうか!
6/29 N女史の同行がある「黒岩山」行きのお天気を心配していたが、明日は何とか晴れそうである。最近1~2日の大雨で、かなりのぬかるみが懸念されるが、この時期そう贅沢は言っておれまい。黒岩平の残雪次第では期待する程のお花が見れないかもしれないが、N女史の熱気を、そのまま稜線に持ち込んで、雲上の楽園を味わえたらと思っている。黒岩平滞在時間を多くするためにも、明日は後から煽り立てる悪役を買って出ようと思っている。 p.m.7:45
6/28 最近、メールに添付した画像が、開けない見れないという苦情が2件も届いた。違った友人に、確認のため同じ画像を送ってみたら、開けるというが、同時に3通も届くと言う。“ワーッ、ウィルス”などと頭に浮かび、自分の別アドレスなどに送受信を繰り返し確認したが、同じような症状が起きた。幸いウィルスに感染していないようだが、今までメール送信に自信がなくなってしまった。近所のPCの大家に相談し調べてもらったら、自分でも心当たりがない送信の設定に問題があった。それをクリアしたら、元通りになって胸を撫で下ろしているところである。先般からその大家に Outlook Express のようなメジャーなメールソフトを使うのは如何なものかと言われていた。(ウィルスの進入が多いらしい!)この機会に少し考えてみようかな!
6/27 「木の葉」さんから、“ 元さんは水遊びをしないのですか?”と問われた。“そんな山歩きもあったのだな~あ。”と思い出さなくてはいけないくらいである。白萩川を遡って小窓尾根に取付いたのはそれこそ遠い昔の話である。沢登りは岩登りと同じで、今やそんな技量も体力もなく、怖い思いの方が強い。ヤブでさえイヤなのだから、「山ヤ」などと呼ばれる資格もないようである。馬場島を知ったのは十代後半、一年に1~2回出掛けたが、富山から上市まで電車に乗り、馬場島まで一日2本のダイヤのバスに乗ったが、剱橋と伊折橋は、古い橋の理由で歩かされた。そんな時代は、よくダンプやトラックが止まって、荷台に乗せてもらった良き時代でもあった。また、馬場島から上市駅前までの24キロを夜通し歩いた事もある。しかし、昭和44年の夏に県下を襲った集中豪雨でメチャメチャになってからは、川の凄さに圧倒されて、遠のいてしまっているようである。でも、冷たい川の流れに足を入れるくらいなら・・・・・などと、少しは心が揺らぐのである。 p.m.11:59
6/26 私の山行回数を見てかなりのベテランだとの憶測から、山への携行品や宿泊についての問い合せが来る事がある。しかし、私の山歩きは、独学の上、変則的で、とてもお教え出来るようなものはないのである。また、この頃は、便利なものが数多く出回っており、“お金さえ出せば!”の世の中である。山小屋にしても、個室やディナーまであり、シャワーの付いた所まである。メジャーな所では、少々の長旅でも、お金と雨具があれば・・・などを極論する人さえある。誰かに連れて行ってもらう。晴れの日にしか出掛けない。ならいいのであるが、山小屋にも寝具がない。食事が出ない。のもあるし、奥深い山には避難小屋しかない所もあるのである。また、全く水のない所もある。私達の北ア北部は、山小屋も充実しているし、雪のお陰で何時までも水がある所が多いが、全国に目を移すと必ずしもそうではないのである。左程技量もなく見掛け倒れの私は、低山でも、行程の短い山でも、雨具を持参する癖をつけたら・・・、チョット長くなるようなら、ヘッドランプを忍ばせたら・・・、雪がある山や初めての所ならツエルトを用意したら・・・などと頭を掻きながら言うようにしているし、人一倍水分の補給が必要な人には、今までより、たくさん担ぐ体力を付けたらなどと言ったかもしれないが、飲み物を替えたら、キャンディをなめると一時凌ぎになるよ!などと・・・ソフトタッチを心掛けている。最近は、春山に群がる小さな虫に苦労しておられる方々が多いが、防虫ネットもありますよ。
6/25 どんなに睡眠不足でも、一晩寝れば回復したのに、この頃はどうも眠くてしようがない。座ればすぐ目が瞑れてしまう程で、これも体力の陰りなのかもしれない。相変わらず天気予報がクルクル変わり、4~5日先の事などわからない。前期(1~6月)最後の山行予定の「黒岩山」を実行しようかどうか迷っている。糸魚川の奥深いヒスイ峡から延々と歩き、栂海新道上に辿り着くと、雪解けの風衝草原に、ミズバショウとリュウキンカが、雲上の楽園の如く咲き誇る。雪解け具合によっては、シラネアオイの顔も見れる。しかし、お天気でなければ、黒岩平の景観が味わえない。時期をもう少し延ばして、ミズバショウを逃しても、ニッコウキスゲやハクサンコザクラを追うべきか、それともヒオウギアヤメなどなど・・・・・・思いきって泊まれば、ずーっとお花の道を歩めるのだが・・・ p.m.5:20
6/24 平日でも、百名山は相変わらずの人気だった。1450㍍までスキーリフトや車を乗入れれるコースは、中高年にはうってつけのようである。取付きの思惑が外れて、スキー場の中(牧場)を歩いたが、スキー場の中の自動車道の斜面に、ルピナスやマーガレットが咲き誇っていた。見た目にはとても美しく感じるのであるが、おそらく種子を斜面に吹き付けたのであろうが、これこそ山の花でも何でもないものを持ち込んで、自然体形を壊すものではないかと思った。リフト代800円(往復1000円)をケチって、歩いた1時間(標高差400㍍)は、こんな事も発見出来て、決して無駄ではなかったような気がしている。山中で出会った登山者の中で、我々が一番若かったような気がしたが、得意げに語る百名山めぐりを聞いて、これも一つの山行スタイルなのかと改めて聞き入っていた。仕事中心で過ごして来た方々が、登山という新しい趣味を見つけ、その目標を掲げながら、生き生きしている姿を見るにつけ・・・・・“同じ山を何度も登るのもいいですよ!”などと、とても言えなかった。 p.m.4:50
6/23 雨の降らない所として群馬県の武尊山(ほたかやま)を選んだ。岩場が続くようなので、「山ノ神」が、パス続けてきた1座でもあったが、武尊牧場側から登れば簡単であると諭し、ようやく実現した。しかし、未明から早朝にかけて、濃霧に視界を遮られ、せっかく高速を使った割には、時間を稼ぐ事が出来なかった。また、俄作りの山行計画が災いし、、もっと高い所まで車を上げる事が出来たのに、スキー場中の舗装道路(一般者通行止)を歩く羽目になってしまった。乗りはしなかったが、スキーリフトの終点付近は、公園化されていたが、凄い量のレンゲツツジが見頃で目を楽しませてくれた。その雰囲気は、その先もブナの巨木やオオシラビソの林の中を、おだやかに歩く事を約束してくれるものであった。山頂でも視界不良で、展望を望めず山頂を踏んだだけの山歩きとなったが、最後まで雨が落ちず、一部のぬかるみを除けば、気分の良いものであった。帰路は、関越トンネル以外は、何時もの通り下道を走ったが、早く帰ってビールが飲みたいの一心のせいか、往路の全線高速利用よりは早く家に着いた。
6/22 長野県の明日の天気予報が良くない。特に松本や伊那地方が良くなく頭が痛い。準備をしながら、また目が醒めてから目的地を決定する事になるだろう。地元の山でもいいのだが、「山ノ神」の遠出願望が強く、そうそう覆させる事が出来ない。そして、雨マークのない所を探せと言っている。 p.m.8:10
6/21 毎週土曜日は校下の小学校体育館でバトミントンをやっているので、家に戻るのが午後10時半近くになる。それからお風呂の入り、冷たい飲み物をグイーっといくのが楽しみの一つである。しかし、最近異変が起きている。高山病という特異体質に加えて、金欠病という生活習慣病が重く圧し掛かってきていて、その飲み物が喉を通させまいとしているようである。明後日信州の「経ヶ岳=二百名山」(福井にも経ヶ岳ヶある。=三百名山)に行こうと思っているのだが、伊那まで下道を走るか高速を使うか、ハイウェーカードの残高を見ながら悩むところであるが、「山ノ神」のお目覚め時間次第では、否応なしに高速を使わなくてはいけなくなる。金欠病に貧乏性(病)が併発している私は、僅かな時間での睡眠は出来なく、また眠い眠いとハンドルを持たなければいけないようである。
6/20 昨晩名古屋のMさんから、驚きのそして嬉しいメールが届いた。初めて知らない人にメールをするというその内容は、次のようなものであった。
5月18日に大猫山へ行きました。男性一人に追いこされましたが、その方と頂上で会われて、鬼場倉へ行かれたとか。大猫平にいる私達が見えたでしょうか。その時はそこが頂上だとばかり思い込んで、「ヤッター!あとは下るのみ」と初めて目にする大窓、小窓、赤谷尾根等の光景に、刻のたつのも忘れていましたが、何かおかしい?東芦見尾根は?猫又山は?釜谷山は?と考え、気が着いた時にはもう、更に上をめざす気力も体力もありませんでした。・・・(後略)
当日は、必ずしも約束したものではなかったが、「ターさん」がブナクラ側から、私は猫又谷から大猫山・鬼場倉ノ頭を目指すものであった。少しのズレはあったが、ほぼ同じくらいに大猫山頂付近の稜線に達し、鬼場倉ノ頭で一時を過ごした。その時の大猫平でMさん達を追い越して行った男性が「ターさん」なのである。それにしても、どうして私のHPに辿り着かれたのであろうかと感心している。Mさんは、4月上旬に白鳥山にも来ておられるようだし、5月中旬に東芦見に来られるわけだから、富山に縁のある方か、山をかなり熟知されているのに違いない。広い世の中で、方法はどうであれ、知り合いになれたのだから、この縁を大切にしていきたいものだと思っている。名古屋から馬場島への道も覚えたし、今度は猫又山に行きたいと結んであったMさん達と、もしかしたら本当に何処かで会えるように思えて仕方がない。 p.m.10:45
6/19 最近メールを頂く方の文中に、奥様の事を「我家の山ノ神」、「うちの山ノ神」などの引用が多くなって来た。また知人のHPにも、「山ノ神」を使われているのもある。全国各地にある山ノ神神社に洗礼を受けなくても、心の拝礼をした事を条件に、「山ノ神」サミットを開催してはいかがなものかと、我家のご本尊に伺ったら一喝されてしまった。人は好きなのに、シャイで、纏めるなど、おおよそ、その器ではないからであろう。でも、“やまのかみ”の響きは結構満足しているようである。数少ない外食の機会に、名前を書いて待たされる事があるが、私は、その名前記入欄に、神とか仏とか上とか書いて、おまけにカナまでふってしまうので、家のものは嫌がる。呼ばれる時に、「かみさま」「ほとけさま」「うえさま」などは、実に気持の良い響きなのだが、最近は、家のものにすぐ消されてしまう。 p.m.11:55
6/18 公衆の前で、“お前は赤裸々に綴り過ぎる。”と言われている。自分の事を述べているわけで、他人の悪口を書いているわけでもなし、少々、大げさに述べる事もあるが、ウソは述べていない。「山に関する毎日のコメント」と題しているが、日記を公開しているようなもので、興味のない人や、気に食わない人は、見なければいいと思ってからは、結構気楽に、またいい気になっている。こんな勝手な私にでも、数は多くないが叱咤激励のメールが届くのである。それが何処のどなたかわからなくても嬉しいものである。私は真面目に接すれば、自ずと、そういう付き合い方が出来るという信念ある。プロフィールに年齢を載せなければ、もっと若い方との交流があったかもしれないが、それには私がついていけない。今は、次ぎの山行を考えながら、小さな夢を抱ける現在の自分に結構満足している。 p.m.11:05
6/17 過日からお腹に違和感を覚えていたので、早々に山から降りた機会に、時間ギリギリとなったが総合病院を訪ねた。私の子供のような年頃の若い医師では、わからないくらい小さな症状だったが、結果的に「鼠形ヘルニア」の診断を受けて、外科の判断を促された。今朝手術を覚悟して再び来院したが、入院期間や、どれだけで復帰出来るかなどの心配を他所に、外科医は、この程度の症状ならもう少し悪くなるまで(腫れが大きくなるまで)待てと言った。登山中に異変が起こらないかと尋ねても、そういう事はないだろう!と言い切り、登山のシーズンオフに手術をしたらどうかと逆に問われたが、私にシーズンオフなどないと言ったら、外科医はあきれたのか戸惑っていた。一週間位の入院を覚悟していただけに、肩透かし食った感じで、自由に山には行けるようになったわりには、何だか尚更お腹が変になった感じだ。また、私にはエコノミー症候群のように、動き回らなければ可笑しくなる病も持ち合わせている。どちらにしても、「歳」を感じる病ばかりである。 p.m.11:15
6/16 本当は山なんかに出掛けてはいけない状態だったかもしれないのに、休日は山に行かなければ、俺は何で生きているのだ!となってしまい、お天気の事も考え「中山」に出掛けた。結果的には雨は落ちず、一時的にも雲間から東芦見尾根の大猫山付近や、ブナクラの右手に赤谷山が現れた。今日は「山の空気」を吸いに来ただけで、山頂でも長居はせず早々に立ち去ったが、赤谷尾根を目で追うだけで充分な新しい闘志が湧き出て来た。花の少ない中山だが、「ギンリョウソウ」ばかりが目立った。短い山行をかばうかのように、下山後は馬場島で、ラーメンとコーヒーを楽しんだ。 p.m.10:40
6/15 はっきりしないお天気に気持が揺らいだ。最も体調もよくないし行き先の選定にも時間を要した。栃谷登山口を10時20分に出発して、一歩一歩ゆっくり踏締めながら視界のない金剛堂山に着いたのは午後1時10分であった。「山ノ神」とも多く語らず、飲みぷっりにも関知せず、滞在時間も少なめで、面白味の少ないただ歩く「心の登山」のような一日であった。楽しさが溢れたり、ワクワクする山歩きも良いけれど、時には何も考えず(考えないわけがないけれど)目的もなく、無駄なような山歩きもあっていいのではないかと思ったりもする。しかし、我家では、なかなかそんな時間が用意出来ない。目的がはっきりしていないと単独行が許されないのである。しかし、今日のような悪天は、自分の心さえしっかりしておれば、たとえ同行していても自分の空間を作れるものである。山頂で「ご夫婦ですか?」と中年グループに尋ねられたが、「いや、今日だけの夫婦ですよ!」チョット面白く言ってみたが、冗談の似つかない私が言うとダメだったかな・・・・・・ p.m.7:40
6/14 結果的にどうなるか分からないが、明日の遠出は止めにした。 p.m.11:59
6/13 雨が降る降ると言われながら、パラパラとは来たが、思ったほど降らず、しかもこの先は、傘マークと曇りの予報である。これでは遠出やロングコースの計画は立てにくい。雨の日のレパートリーが増えたと言えども、やはり山らしい山に登りたい。ギリギリまで、幾つものパターンをもって備えるしかないであろう。でも、今は大きな月が出ているのである。 p.m.10:55
6/12 「山バカ」「山キチガイ」と呼ばれて久しい。いい気なもので、結構その響きに酔っている面もある。“ それぞれ様々、山の登り方人生の考え方がありますので貴兄は・・・・・・・”とのメールが友人から届いた。山の登り方には、彼と一線を画している感があるが、人生観には共有しているものがある。人前ではっきりものを言い、自信溢れている彼なのだが、時には小さな事に同調を求める事もある。そこが人生の面白い事であり、彼らしいところでもある。人気を一手に引き受け、世は彼のためにあるのではないかと思う時もあるが、私はそう羨む事もなくなって来た。少し大人になってきた事なのだろうか? 少数の理解者があれば充分だし、「山の空気」を吸いに行ける間は、それこそ私の世界なのである。
6/11 北陸の入梅はまだらしく、蒸し暑いものの雨降りは先に延びている。それも時間の問題であろうが、週間予報を見る度に憂鬱である。今度の休日(15・16日)は、奥秩父・奥多摩で残された「両神山」とその周辺の山を狙っていたが、始めから雨であれば出掛ける事もなかろう。今年の百名山のノルマ(?)4~5座を早々にやり終え、真夏は北アにつかりたいと思っているが、時間のある時に名山(百名山~三百名山)を1座1座潰して行くのも、快感を伴い結構楽しいものである。四国八十八ヶ所巡りや全国47都道府県を行脚すると同じように、私も観光として何時かは「百名山」や「三百名山」と思っている。そのためには日頃からの節制や鍛錬が欠かせない。
6/10 昨夜は犬ヶ岳から戻ったのが10時半過ぎだったため、反省会が始まったのは、0時近くになってしまった。水分が抜けてしまった身体には、飲んでも飲んでも、“これでよし!”とはならなかった。今回は、リーダーとして、三つの失敗をしてしまった。実力以上の行程であった事と、非常時のためのヘッドランプを、一つしか持ち合わせていなかった事であった。もう一つは、指揮が伝わらなかった事である。7時間以上掛けた往路を30~40分の休憩後、またしても大きなアップダウンを乗り越えなければいけない復路で、私の「一言」が、またまた「山ノ神」を怒らせてしまったのである。勝手に座り込んでしまう「山ノ神」に、「早く」「暗くなってしまう」「置いて行くぞ!」「先に行くぞ!」のどれかが感に触ったようである。しかし結果的にはその事で、頭に来てしまった「山ノ神」は、“休め!”と言っても無視を続け、先へ先へと進んで行った。しかし、日没になってからのシキワリ→金時坂→登山口までは、一歩ずつしか足を進める事しか出来なかったので、辛い下りとなってしまった。カッコウやウグイスのさえずりや、行けども行けどもカタクリの群落が続き、期待通りシラネアオイが咲き乱れる様子を垣間見てでは、少々足が痛くても、その興奮からは醒めないらしい。その模様を忘れないうちに、各方面に伝達しているようである。しかし、あの疲れからは、喧嘩をしても、二階へは追いかけて来れないであろう。 p.m.3:50
6/9 栂海新道の一部なれど、素晴らしいお花のプロムナードを楽しみたくて、「山ノ神」と4年ぶりに「犬ヶ岳」まで足を延ばした。お花を踏まなければ通れない所も有り、栂海新道は何ら変わっていなかった。変わっていたのは二人の衰えた脚力だけ。「シラネアオイ」も期待通り楽しませてくれたし、カタクリの咲き乱れ方は凄過ぎた。そして、雪も多かった。自宅4時過発で、登山口発が6時半はチョット遅過ぎて、頂上着が午後1時50分になってしまった。大宴会をミニ宴会に変えてでも時間は足らず、帰路は「シキワリ」で日没。一つのヘッドランプで、金時坂を下るのは難儀で、登山口の坂田峠着は8時40分になってしまった。道中、“一もんちゃく” あったのはご想像の通り! 疲れました。 ご報告は後のお楽しみに!(必ず紀行文にしますから。)
p.m.11:50
6/8 何故か知らないけれど、昨日よりは随分身体が楽になった。明日「犬ヶ岳」の長い行程だけれど行かなくっちゃ! 10日(火)あたりからお天気が崩れそうなので、明日はお天気と言えども、雨の準備だけは怠りなくしなければならない。でも、雷はあまり気持よくないので、足早に歩かなくてはいけないのだが、「山ノ神」と、またぶつかりあって、車に乗らなければいけないかもしれない。p.m.5:00
6/7 肩から首筋が前日あたりから何だか変だった。今朝起きたら踝付近に違和感があった。週一に小学校体育館で行われているバトミントンに参加したが走れない。「エッー」と、すぐ明後日の山行が頭に浮かんだ。そう言えばだいぶん前から、下腹部も少し痛い。“山に行けなかったら死んだようなものだ。”といつも言っているが、雨が降り出している。しばらく、山に行くなという事か? 過去に何度もこれ以上の事があったが、山へリハビリだなんて、勝手に理由付けして出掛けたが、不思議な事にその病は飛んでいった。今度もその“迷信”が通用するとは思わないが、何とかしたい。当日は晴れマークなのだが、明晩に飲み会のもう一つのハードルがある。
6/6 二日前の新聞広告に、バスで行く日帰りで「大渚山と鎌池散策9800円」というのがあった。ゴンドラやロープウェー乗る「栂池自然園や八方尾根などは11800円」であった。もちろん、運転の心配もいらないし、諸経費が掛かるから当たり前なのかもしれないが、旅行会社がそれだけの需要を見込んでいるのだと思った。そうなると高速になるべく乗らない、また出来るだけ他の乗物も利用しないケチケチ登山であるが、私は毎週のように、何と高価な遊びをしている事になる・・・・・・・・しかし、殆ど外食もしないし、衣服も飾らない私を「山ノ神は」ケチで貧乏だと言う。(これには私も反論があるのだが・・・・)
その利用者の殆どが、最近山登りを始めた中高年の方々だと思うが、それはそれで利用価値があると思う。実際私のところにも、取付き(登山口)がわからない。駐車スペースはどうかなどの問い合せがある。この遊びは積み重ねのものだから、あまり欲張らないで、じゅっくりやっていきたいものである。時間がたっぷりある方々だから、すぐにそのコツを見出せるのではないか? p.m.10:40
6/5 連休を終えて中5日でまた休日である。山に行きたくて、仕事をしているようなものだから楽しくて仕方がない。大会社や役所のように週休2日だったら、私はどうなっているのだろうか? 山で仕事をしたらなどと、私を冷やかす人もあるが、それとこれとは別である。僅かな時間を惜しんで、山に出掛けるのが楽しいのである。今日現在34/36で、36日の休日の内34日、山に出掛けた事になる。さて、そのすぐ来る9日(月)であるが、4年ぶりに、白鳥山経由で「犬ヶ岳」に行こうと思っている。たくさんの「シラネアオイ」が見たい。でも、このところ「山ノ神」の体力が随分落ちている。すぐ息が上がってしまい休憩の連続である。誰でも体力が落ちていくのは当たり前なのだが、ちょっと早過ぎる。私が荷を全部担いでも、今度の栂海新道は遠過ぎるかもしれない。 p.m.8:05
6/4 百名山巡りには、いろいろな意見があるが、行ってみてからの話である。やはり、「百の山頂に百の喜びあり。」である。頂きに立って何を思うかは、その人その人の思いであって、外野から、とやかく言うものでないと思う。私は、他県の山に登ってみて、「富山の山」の素晴らしさを再認識しているが、とにかく百名山と言ってそれを目指している方々も、他人に強要しなけえば立派な山愛好者である。好きな山、ステキな山に何度も行きたいが、行った事のない山にも、憧れるのは自然の事である。遠い山には余裕を持って、観光などもしてみたいが、私にはそんな事は、まだまだ先の事のようである。 p.m.6:30
6/3 昨夜は高いビールを調達して、大峰山(八経ヶ岳)登山口の行者還トンネル西口にテントを張った。前夜は眠っていないから、熟睡出来ると思っていたが意外と眠れなかった。目を擦りながら、早朝の出発となったが、先週までの雪の山と違い、緑いっぱいの山は、目が元気になったような気さえ起こさせた。大台ケ原よりは人出が少なかったが、でも元気な高年の登山者が全国から押し寄せていた。話題になるのは、百名山の話題ばかりだが、一つの目標や目的を持って動き回っておられる方々は、元気だな~あと思ってしまった。また、近畿の最高峰だけに人気もあるのも聞いた。チョット時期を逸したシロヤシオ(ゴヨウツツジ)と、梅雨明けが見頃のオオヤマレンゲが、グリーンシャワーと共に魅力的なのだそうだ。帰路は、名神高速のリフレッシュ工事に引っ掛かり、渋滞またしても8時間近くを要して自宅に戻った。 11:40
6/2 「山ノ神」と百名山の約束をしていたのだが、もう一つ盛り上がらず、台風の影響がない事を見極めてからの準備となった。ブームの百名山とは言え、地図の準備くらいしなければいけないし、苦しい台所事情からキャンプとなりその準備もしなければならず遅い出発となった。能越・北陸・名神。京滋バイバス・京奈和を乗り継いで、相変わらず睡魔と戦いながら、大台ケ原登山口に到達するのに8時間弱の時間を要してしまった。大台ケ原は大杉谷を入れないと味わいが薄くなる事を知っていたが、今回は、5時間半程の時間を掛けて大蛇嵓・牛ヶ原・正木ヶ原・山頂の日出ヶ岳と共に、終りかけたシャクナゲやシロヤシオを楽しんだ。大台ケ原は、平日と言うのに多くの中高年登山者が押し寄せ賑わっていた。登山よりハイキングの様相を呈していたが、ゴミが全くと言って良い程落ちていなかった。ボランティアグループのたまものなのであろう。
6/1 迷ったあげく、今から「大台ヶ原山」と「大峰山」に出掛けます。今度の台風で、林道が通行止になっていなければいいのですが!出発だというのに、もう眠たくなっていて先が思いやられます。 p.m.11:20