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12/31 お正月を前にして、「山ノ神」が風邪らしく持病の歯痛で物も食べれず悩んでいる。以前にも口腔外科で一週間程点滴を受けた事がある。この調子では、山行も覚束ないであろう。幸か不幸かお天気周りもよくないから、諦めもつくというものである。二男もインフルエンザらしく40度超の高熱を出し始めた。年の終わりになんて事になってしまったのだ。元日の午後は恒例の管鮑会新年会で、午前中に、さーっと何処かの山にと思っていたのだが、やっぱりダメかな!
この一年、大変失礼な事を綴り続けました。皆様の叱咤激励で何とかやって来れました。本当に有難うございました。何処まで続けられるかわかりませんが頑張ってみます。「元ちゃんの山歩き」が「元じいの山歩き」になるまでの大きな目標を掲げて!
12/30 来春の山行計画では、「月ヶ原山」と「多子津山」を最優先に考えているが、長い林道の事を考えると、どうしてもテン泊を余儀なくされる。小矢部水系の山に3度目の挑戦になるが、時間もそう多くも残されていず好天を掴んで来春に決着をつけたいと思っている。「大地・初雪山」は何度行っても良い山で、一年に一度は行ってみたい山である。大猫山の台頭で、剱岳大展望台の座を明渡した感は歪めないが、ウイークデーなどは全く人と会わず静寂な「細蔵山」も捨て難い。斜面の杉が大きくなってしまって、チョッピリ寂しい「焼山・黒菱山」であるが、稜線に出てしまえば、低山ながらアルペン的要素もあり好きな山である。「横岳」も「奥ノ山」も「赤谷ノ頭」などと言っておれば、予定表の何処に書き込めばいいのか迷ってしまう。 p.m.9:30
12/29 新春2日の初登山は、例によって「牛岳」を計画している。昨年同じ日に登った山田・柴田両君が同行してくれる事になった。あの日は風雪が強く稜線上で立ち往生してしまったが、今回は今年に続いて「山ノ神」も同行である。もちろんお天気次第であるが、「花じい」との再会も楽しみであり、この時期過去3回会った事のある高岡の吉尾氏との再会も楽しみである。今のところあまり予報も良くないが、好天に恵まれれば、思いもよらぬ人達との再会・出会いが待っているかもしれない。 p.m.11:55
12/28 この時期になると、やり残したと言うか、企画した山や、頭に浮かんだ山々の事が気になってくる。来年は何とかならないものだろうか? などと今から心がはやる。「越中の百山」では、月ヶ原山、多子津山、高杉山、三ッ倉山、クズバノ頭、瘤杉山、白金ノ頭など。「百名山」では、両神山(埼玉)、赤城山(群馬)、吾妻山(山形・福島)、那須岳(福島・栃木)など。「二百名山」では、二王子岳(新潟)、中ノ岳(新潟)、八海山(新潟)、乾徳山(山梨)、御正体山(山梨)、赤牛岳(富山)、霞沢岳(長野)など。「三百名山」粟ヶ岳(新潟)、浅草岳(新潟・福島)、太郎山(栃木)、南木曽岳(長野)、野伏ヶ岳(福井・岐阜)、猿ヶ馬場山(岐阜)などである。当然これらの山々が来年の目標対象になるのであるが、焦らず楽しみながら登れたら良いと思っている。また、企画倒れになろうとも、それはそれで結構楽しく、物知りになるというものである。 p.m.11:55
12/27 娘が帰省し我家もいっぺんに賑やかになった。何と5日まで休みだと言い最悪の場合は、6日に東京へ戻る事もあるとも言った。それはそれで、良いのだが、今まで富山にいた時のお正月休みと違い娘をホッタラカシにして、我々だけが山に行くわけにはいかないであろう。その娘も、「何時山に行くのか?」問い、我々に何らかのもてなしを考えているようなので、尚更休日は全て山などとは言いにくい。
12/26 筏井さんから忘年会の誘いを受けたが、チョット都合が悪く断ってしまった。11月中旬の「僧ヶ岳」以来急接近の彼らに、何が何でもOK返事をしなければならなかったのかもしれないが、こんなに仲良くしてもらって良いのかと疑ってしまう。私には「山の話」以外、話題もなければ歌もないからである。その「山の友」からの電話でハット思った。寝ても覚めても山ばかりの私が、「山の事」を丸一日とは言え全く忘れていたからである。「難題」とは?の問いにも、思わず「いやはや!」と逃げたのであるが、昨日のコメントにも、「山」を書き忘れてしまっている。 p.m.11:45
12/25 ほぼ予定通り山行も終え、何時でもなく早く年賀状も完成し、悩んだ歯痛の今年度分の治療も終わってほっとし、仕事に専念出来ると思っていた矢先に、また歯が欠けた。それだけなら、まだ良かったが、思いもよらぬ難題が私の身の上に覆い被さってきた。どうしようもない事だ。私は何も悪い事をしていないのに!
12/24 先日の大辻山行は、8人もいながら、登山口にも達しなかった。昨年1/3の千石城山で、「ヤブのまっちゃん」と「山ノ神」の3人でやっぱり登山口にも達しなかった。この時は、降雪も酷く、歩き始めの林道が120cmの積雪、増してや、早乙女湖畔の道も除雪中で、駐車スペースを確保してくれた除雪車の運転手が、こんな時に山に来るなんて!と呆れ顔だった。我々が大辻林道でギブアップした日に、シュンちゃんと堀君の二人で、その千石城山を7時間掛けて登ったと言う。あの二人は、私より10歳ほど若いが、言葉を選ばなければ「化け物」と言う表現がぴったりである。(でも、気は優しい)翌日の牛岳も、なかなか思うようにはならなかった。しかし、トレースのあった金剛堂山は楽チンだった。そのように、高い低いはあるが、この時期の山行は、当日の積雪・降雪だけでなく、2~3日前のお天気も重要である。晴天でトレースが付いていれば、それこそ無雪期と同じくらいの速さで登る事が出来るのである。しかしながら、大自然を侮ってはいけなく、少々荷が重くとも、万全の備えだけはかかせない。また、ラッセルが楽しいか、ラッセル泥棒を潔しとはしないかは、その人その人の考えであろう。 p.m.11:35
12/23 昨年の最終山行は、私の復帰山行として、雪の大辻山に山友が参集して下さった事もあり、牛岳で終わらなかったが、今年の山行は、一昨年と同じで、牛岳に始まり牛岳に終わった。ここまで書くと、私が牛岳を愛し続けているように思われるが、雪の時を除いて、牛岳に出掛ける時は、時間がない時や天候の悪い時が多く、決して良い状態の時に出掛けているわけでないのである。しかし、ここまで登るとやはり好きなのである。でも、殆どが庄川ルートであり、全てを知り尽くしていないのである。その一面しか知らない牛岳であるが、雪の時は頗る良いのである。増してや誰も踏んでいない雪の上を歩く時は、自分だけの山のように錯覚してしまう事さえもある。
昨日、その牛岳で、私をスイスイ抜いて行った尾田さんから次のようなメールが届いた。私が涙が出るくらいの嬉しいメールだから、尾田さんに叱られてもいいから無断で、その一部を載せる事にしました。「昨日の山行で少し悔やんだ事が有ります。HPを見ているので本間夫妻と会うのは、ある程度予測はしていたのに(楽しみにしていたのに)、挨拶を交わすと、僕はそそくさとピークを目指して行ってしまいました。僕の今日のテーマは、山をこよなく愛する本間夫妻と、新雪の山中でお話が出来る絶好のチャンスだったのに、何てもったいない事をしたのだろうと。やはり、今日のテーマがそれだったのなら、 僕は
カンジキで登るべきだったんですね。今度、機会が有りましたら是非、ご一緒させて下さい。その時は勿論、カンジキで。」 ヨイショ!もあるが、「山」を長くやってて良かった。 p.m.11:15
12/22 昨日の大辻林道歩きが物足りなったわけではないが、今日は「牛岳」の挑戦となった。もう少し早くスタートとなれば良かったのだが、ここにも昨日の疲れや迫り来る年齢を感じてしまった。良いお天気とは言えなくも、昨日が降らなかった分だけ、沈まなかったが、しかし重い雪に、鉛のカンジキを履いているようであった。ツエルトを除く避難用品やエンピにアルコール類を外し、昨日に比べ荷は軽くなっているはずであったのに、ピッチは上がらなかった。五合目上で後続の尾田さん(労山)の山スキーに軽く抜かれてから、一層苦しかった。「山ノ神」の「今日は何処まで行くの?」の答えが「頂上に決まっているじゃないか!」だったはずであったが、「せめて稜線上まで!」になってしまっていた。悪戦苦闘の末、4時間を過ぎた稜線でUターンを決め込んだ。140cmを測定したが、下山途中の再び五合目上で、カッコよく滑って来た尾田さんは、山頂付近の積雪は、2mをはるかに超えていたといっておられた。「カンジキでは大変だったでしょう!」と慰めてくださったが、チョッピリ残念で悔しかった。歩く時間よりも、コーヒータイムなどの時間が、だんだんと増えていくのも寂しい気もするが、仕方がない事なのかもしれない。 p.m.8:25
12/21 始めから援軍と合流し意気が上がった。6名の精鋭にお天気は晴れである。しかも途中から、「山ヤ」の辰口氏に、F女史が加わって尚盛り上がったが、始めからトーレスのない100cmを超える深雪に、次第に意気消沈していった。援軍の一翼を担う細川女史は、元気に飛び跳ねていたが、両輪となる茜ママが加勢出来なかったからか、大辻山頂は踏めずとも、奥長尾山までの願いもむなしく、林道途中で敗退となってしまった。足が上がらず、次第に勢いがなくなっていく男性群に比べ、「細川女史・天使・F女史・山ノ神」の女性群は、意気揚揚としていた。しかし、3時間45分歩いても、長尾峠どころか、ずーっと手前の林道上で、四苦八苦しているようでは、どうしようもなく、あえなく出された11時45分の「宴会命令」には、誰も異論を唱える事もなかった。歩かぬ割には、コーヒー入りのキムチ鍋もあったからか、宴会が2時間20分も続いた。我家では、どちらが飲むか、決まらぬままに宴会が続き、どうなったのか定かでない。 (後の報告では、山ノ神が飲む真似をして、飲まなかったと言っていたが、本当なら流石我女房である。?)苦労して踏み固められ出来たトレースを伝っての下山は早く、もっと上に行きたかったと言う女性群の声には、流石にうつむき加減の男性群であったが、この借りを新春の雪の上で、お返しをしたいものだと皆が思ったに違いない。それにしても、最近覚えた大勢の気のあった同士の山行に、私は病みつきになっていきそうだ。 p.m.10:00
12/20 明日の大辻山の援軍が5名になったようである。「待てよ!」よく考えてみると、あちらが援軍でなく本隊である。「山ノ神」との2名の小隊は、後方支援として、ちゃっかり付いていこうかな!トレースがなくても、「好山病」の感染者揃いであるから、余程の事がない限り山頂を踏む事が出来るであろう。 p.m.6:10
12/19今度の寒気は西の方からやって来たが、高岡は夕方から白くなってきた。強い寒気だと驚かせているが、平地ではそんなに多くも積らまい。平地で少なく、山で多くが望ましいのだが、あまり多く降っては、ラッセルが酷く山頂には届かない。幸いに日曜日(12/21)は、雪だけから、隣に晴れのマークがくっついて来た。援軍と力を合わせれば何とかなるであろうが、明日の降り方を見極めたい。富山では、昭和41年12月に一日で80余cmの降雪の日があったそうである。何事もなければそれでよし、有事のために備えは万全に! p.m.11:15
12/18 いよいよ平地にも雪の予報である。降ったらどの山でも大変であるが、降り続いていたらもっと大変である。大辻山はチョットの事で高いし、長い林道があるから尚更である。山頂を目指して、奥長尾山止まりも何度となくある。積雪量・降雪か否かで状態が違って来るが、少人数では厳しいかもしれない。援軍の情報もあり、充てにしているのだが、当日になってみなければわからない。さて、その援軍は宴会好きで、当然我家では誰が飲むかでまた揉めそうである。 p.m.7:00
12/17 雨の金剛堂山(12/1)、山梨・静岡県境の毛無山(12/2)、午後からの小佐波御前山(12/8)、雪の金剛堂山(12/15)、と12月に入ってアルコールなしの山行が4回続いた。悪天や時間がなかった事、また遠出で運転を交代の可能性などがあったからである。出発前に「今日はなしだぜ!」などと確認を取るのだが、こちらは本当に守ってくれるのか心配がいっぱいである。結果的に最後まで運転する事が多いが、近頃は、すぐに眠たくなってしまうい、酷いもので眠くなる場所まで決まって来る。そんな事もあって、運転を交代してもらわなくてはいけない事もあるので、「アルコール厳禁」の念を押しているのである。その代わりに、1分でも1秒でも早く家に戻って、冷たいビールを浴びるほど飲んでもいいと言っているのだが、先日の晴天に恵まれた金剛堂山では、盛んに悔しがっていた。「こんなに寒いのに、飲まなくてもいいのではないか?」 「この絶景を見て何故飲まないのか!」の言葉が返って来る。「リックの中に入っていないのか!」とまで言う。毛無山でも、「富士山を眺めながら飲みたかった!」とも・・・・つい最近まで、雪道・山道・狭い道・高速などを運転していなかったから・・・・その時などは、機会さえあれば、山中で飲まなかったビールを、または、コンビにで買ってでも飲みたいという。「山」を肴に、チョットだけが気分が良いと言うのである。我家の「山ノ神」は、それこそ恐ろしい存在なのである。 p.m.7:00
12/16 昨日は金剛堂山から帰って、私は忘年会で「山ノ神」は親戚の弔いに出掛けた。私は一次会で自宅に戻ったところへ、氷見の「春ちゃん」から、忘年会が終わったが、今からチョット顔を出すという電話が掛かってきた。同い年の彼は、最近極端に山行回数が減ってしまったが、私の長年の山の友でもあり、横柄な私をかばってくれる大の親友である。お互い飲んでおり、久しぶりの僅かな時間であったが、大いに楽しんで盛り上がった。飲んだら何時も「話の種」になるのが、「下ノ廊下」の遡行である。立山に一度しか行った事しかない山行経験の薄い彼を、下ノ廊下と剱岳に誘ったのである。二人で85kgの荷を担いである。まだアルペンルートが全線開通していない時で、荷を置いて雷鳥沢からタンボ沢・黒四を経由して、7月の下ノ廊下を経由して阿曽原へ、そして再び剣沢へ、あの頃は若かった!そんな話は、すぐ盛り上がって、時間もすぐ過ぎてしまう・・・・・・
そんな楽しい時間を過ごした事もあって、金剛堂山の画像を確認するのが遅れてしまった。剱岳から槍・穂高岳。乗鞍岳に御嶽山。白山もあれば笈ヶ岳に大笠山。誰も登って来ない月曜日の金剛堂山の良さを、雪煙が心を震わせ山頂に立つ我々を、またとない世界に誘導してくれた錯角さえ覚えさせてくれた。二週間前積雪0cmが、こんなにも変わるものかと驚く「山ノ神」に、条件が良ければ来週も来るかもしれないと言ったら、流石に「えーっ」と私の顔を覗き込んだ。 p.m.11:25
12/15 あれだけ懸念されたお天気だったが、出掛けて見れば「快晴」。下山時に怪しい雲が次から次へと現れたが、車中の「庄川町」まで雨は降らなかった。定まらぬお天気に、同行を断念された福井のM女史に、金剛堂山からの大パノラマの模様を伝えたら盛んに悔しがっておられた。駐車場の積雪が12~15cmで橋を渡ったら20cm。高度をあげる毎に積雪が増していったが、最深で120cm吹き曝しになる所では、50~60cmくらいであろうか?山頂でも、祠や方位版のある所は、50cmくらいで、強風を凌ぐために樹木の付近に行くと、股下まで沈み120cmくらいであった。晴天の頗る良い大パノラマに、カメラのシャッターを切ろうとしても、なかなかシャッターが落ちなかったし、手袋を脱ぐ手もすぐ悴んでしまった。氷点下もマイナス10度は超えていたであろう。前日入山者のトレースのお陰で、カンジキも不要だあったが、始めのうちは、アイゼンがあってもいいくらいに、ツルツルであった。
12/14 定まらぬ天候に思い悩んだが、明日は「金剛堂山」へ行く事にした。頂上に届かなくても、雨や雪が降っても、その時はその時。昨日高田氏(高岡)が、牛岳に登られた時の積雪が30~40cmと報告を受けた。日本有数の豪雪地帯である利賀村にある金剛堂山は、それよりも標高が700mも高い。もしかしたら、積雪が70~100cmあるかもしれない。何回も述べるように、登山道を外れて登る事も出来ないし、木々の雪を落としながら進まなければならないであろうから、意外なほどに時間を費やさなければいけないであろう。こんな時に、同行者があればいいのだが、そんな事も言っておれないであろう。 p.m.6:00
12/13 週一のバトミントンを休んでもう二ヶ月以上になる。スキーのトレーニングのために始めたのがもう20年余になる。そのスキーも、雪の山に入るようになってから、リフト券のいるゲレンデにはご無沙汰になってしまった。山スキーをやりたくて仕方がなかった時期もあったが、その機会を逃してからは、何時しか体力・経済力も失って、カンジキで一歩一歩踏み締める我慢の歩きになってしまった。深い新雪の時などは、スノーシューもいいものらしいが、新兵器は我家では、なかなか手に入らないのである。何でも二人分用意しなくてはいけないし、そのフォローが大変なのである。今日もバトミントンを休んでしまった。スキーから山歩きのトレーニングに何時しか変わって来ているのだが、今度はバトミントンで、足を痛めるを警戒するあまり、なかなかきっかけをつかめないでいる。 p.m.11:55
12/12 今日の雨は、上(山)では、また多くの雪を積もらせたかもしれない。雪不足の折、結構なのであるが、まだ登山道以外を歩く程の雪量ではないであろうし、登山道には木々がもたれかかっていて歩きにくい時である。また降雪直後の新雪は、少人数ではどうしようもない。里山ならまだしも、チョット高度を上げると、頂を踏まずに撤退しなければならない時が数多くある。でも、やはり超人がいて難なく登り切ってしまうのである。その後を、すたこら導かれて行くのがラッキーと思うか、残念でならぬと思うかは、その人それぞれである。自分のトレースを伝って来る人達をみて、気分が良いと思うのか、ラッセル泥棒と思うのかと同じかもしれない。しかし、そのような事を少しでも脳裏を掠めたら、まだ修行が足りないとでも言った方がいいのかもしれない。無論私もまだ生臭い心の持ち主である。 p.m.11:05
12/11 今年も、あと20日となりました。毎年「今年は、早めに賀状を作成してしまおう。」と思っているのであるが、結果的には、いつもギリギリの投函となってしまう。プリンターが不調で、厳しい財政の中、どのプリンターを買おうかと悩んでいたら、近所に住まれるPCの先生のプリンターを借りる事のなった。借りると言っても、そうそう長く借りているわけにもいかないし、短期間に作成してしまわなければいけないから、このままでいけば余裕の年末になりそうである。しかし、また一つ私にとっての風物詩がなくなるのかもしれない。今年も多くの欠礼のハガキが届いた。私も昨年出した口なのであるが、出してももらっても嬉しくないハガキである。オーバーに言うと、お互いの事もあるが、10年間に3~4回ほどしか賀状のやり取りをしていない方もある。昔はそれでよかったのかもしれないが、このような時代に必ずしも当てはまるとは思えない。私の賀状のとらえ方として、一年間の報告(山行報告)であったり、この先一年の抱負であったリするし、中には作品的要素を備えた方もあるであろう。昨年末、「そんな風習を無視して、一方的に送ります。」と言って頂いた賀状は素晴らしかったし、また、「せっかく心を込めて作ったのに、出せなくて残念です。」の便りを頂いたものもある。果たしてどちらが良かったかとは、欠礼の連絡をした私が、一概に言えないが、今度は私が、そのような方々に、どのような対処をしようか頭をひねらせている。 p.m.9:55
12/10 先月末、一行で内容が良く分からない一通のメールが届いた。「署名」はなかったが、送信者名は、ちょうど一年前母を亡くした頃に、短い文章であったが、私を激励して下さった方であった。一年前のその日に、一日しかずれておらず、秋田からであるという事はよく覚えていたのだが、せっかくメールを頂くわけだから、男性か女性かぐらいわかりたいなどと返信した。「ARIYAさん」と名乗る送信者は、一瞬我らの「あらちゃん」かとも思ったし、私の姓が本間(ほんま)である事から、「ありゃ!」などと余計な勘ぐりを持ってしまったのである。そんな私の可笑しな考えと違って、「ARIYAさん」は、若い時からの山への憧れ、北アに来られた事、奥様との山の楽しみ方を、鳥海山が毎日眺められる環境にお住まいだという事と共に伝えてくださった。それでも何となく気になり、「ARIYAさん」を検索してみたら、2/8の私のHP開設3周年にお祝いのメッセージを頂いていたのであった。「山に遊ぶ元ちゃんと、その「山の神」のホームページがずっと続くことを期待して・・・・・・」とまでのお言葉を頂きながら、大変失礼な事をしてしまったとチョッピリ後悔をしているが、この事をきっかけに、もっと親しくなればと思わずにはいられない。 p.m10:50
12/9 私の行きたい山に雪が降らないと行けない山が幾つもある。降ってもある程度固まらないと行けないのである。奥深い山が多いだけに、好条件が揃わなければとてもいけないし、どんなに山が好きでも、一年一年体力が落ちていくだけに、その願いはだんだんと薄らいでいこうとしている。でも、山に行けるだけで楽しいし、嬉しいから感謝しなければいけないのに、人間は欲深いもので、この時期は登る山が限定されて来て、その上気象条件も良くないから、どうしても同じ山行になってしまう事に悩んでしまう。それはどなたも同じで、いろいろと情報を収集しておられると思うが、何も高い所ばかりがいいのではないのつもりで、この時こそ「山談義」に花を咲かせたり、友好の輪を広められるのに、絶好のチャンスかもしれない。また、チャンス、タイミングを上手く生かして、新たなるチャレンジがあるやもしれない。 p.m.8:20
12/8 昨夜は町内の成年会の忘年会で氷見の民宿泊まり、また今日の午前中に所用があり、午後からミゾレ混じりの中、「小佐波御前山」行きとなる。当然猿倉から歩くつもりでいたが、「山ノ神」から、“御前山林道を車で!” の誘惑に負けてしまい、終点まで車を乗り入れてしまった。4.8キロの林道がどのように繋がっているのかの興味はあったのだが、残りを道草をしながら歩いても30~40分ぐらいで味気ないハイキングになってしまった。しかし、山頂に近付くにつれて雪が強く降り、未だ5cmの積雪が増えそうな感じの降り方でだった。周りの高い山の白さを思うと、来週からの山行予定に幅が出来て楽しみが増えて来た。下山時に「小佐波御前山」としては、初めての子馬のような大きなカモシカに遭遇した。出会い頭の遭遇に、お互いじっーとの睨み合いなったが、より大きな画像をとの思いが裏目に出て、彼と握手を出来無いばかりか、ピンボケの画像しか撮らせてくれなかった。 p.m.9:55
12/7 雪が降ったら、“ピッケルやアイゼンを買わなくちゃ!” と言う話を聞く。私は「エッ、そんなに凄い山に行くの?」と尋ねてしまう。私の冬山は低山が多いから、余程の事がない限りピッケルやアイゼンはいらない。必要になるのは4月も半ばくらいからであろうか!もっとも、その山行によっては、イザという時のためピッケルを持参する事もあるが・・・・・・何処だったか忘れてしまったが、積雪期の下山時に、擦れ違った中高年夫婦が、カンジキを履いた私に驚いて問い掛けて来た。“アイゼンでなくカンジキなんですか? ”“踏んだ後ならアイゼンもいいのでしょうが、新雪を踏み締めるにはカンジキがよく、アイゼンをつけなければならないような滑る所はないでしょう。”と、やんわり答えたが、真意がわかってもらえたかどうかはわからない。私の若い時はなどと言っても、そんなに大昔ではないのだが、固定式の6本とか8本のアイゼンを用いていた。今は、出刃のついた10~12本が多いようであるが、それをどれだけ使いこなせるかでもある。ワンタッチアイゼンを買うとなると、靴自体が使用に耐えるものでないとダメなのである。アイゼンを使用しなければならない高所に行く時は、それなりの指導してくれる人と一緒に行かなければ、逆に怖くて登れまい。 p.m.4:45
12/6 雨になった。明日はもっと荒れると言う。どうも新潟と富山が境になるらしく、富山では午後から山沿いに雪が混じる予報である。今年は雪が少なく、明日の日曜日に今年最後の山行を計画しているところもあるであろうが、ミゾレ混じりの冷たい寒い山が待っているようである。吹雪は困るが、雪ならばまだ良し、でも雨やミゾレは厄介である。我々の低山ならば、まだいいが、高山での雨やミゾレは、命取りになる事もあるから、雨具だけは必須アイテムなのである。“明後日はもっと条件が悪いかもしれないよ! それでも行くの?” と多くの眼差しが私の所へ向けられているような気がしてならないが、特別変わった所へ出掛けるわけでもないし、どうしても行かなければならない事もないわけだから、暖かい家で休養してもいいのではとの囁きが聞こえてくるようだが、私にとっては悪魔の囁きで、“辛い目に合うな! 楽をせよ!” と言っているようなものである。日頃から良い事もしていないから、せめて休日だけでも身体を痛めつけなければ気がすまないのかもしれない。でも、家に戻って一杯やるのでは、何の精神修行にもならず、戒めどころか、自分のやりたい放題をしているだけなのかもしれない。 p.m.6:05
12/5 “ だんだん元ちゃんが 遠くなっていったというのが本音かな・・・何しろ 私の中のあなたは いつまでも高校生のままなんです。” “ 当たり前だよ!高校卒業から何年経つと思うのよ! 孫の話をしている仲間だって何人もいるのだぜ! ” G女史は、高校時代の同級生で最近PCの前に座るようになったらしく、一年に一度の賀状だけが、近況報告だったのが、私のHPを見て、おそらく様変わりしているのにビックリしたのであろう。真面目だけが取り得の私が、「山ノ神」をネタにして、ふざけているように感じたのか、それともいい年をして、一年中、「山」「ヤマ」「やま」「YAMA」と言っているのに呆れてしまったのか分からないが、お互い少年・青年期のイメージを壊したくないからの思いからかもしれない。逆に “もっと面白い事を期待している!”と言う悪友もいる。でも大方の仲間(山友達ではない)は、私のHPなど完全無視しているし、(最もPCに興味のないものも多いが・・・)こちらも、山に興味のない人が見ても面白くもないと言い続けている。そのように様ざまな見方があるらしいが、私は単純に「山に行きたい!」「山に行けなくなったらどうしよう」と言う気持ちを綴っているだけで、時折、固有名詞も飛び出し迷惑をお掛けしているかもしれない。でも、自分では、日記的要素が強く出来るだけ正直に書きたいと思っている。イニシャルだけでは、存在感がなくなってしまうからでもある。そして、当欄や紀行文に登場する「愛称」は、今では随分と認知して頂いているように思うが、やはり独り善がりなのであろうか・・・・・・p.m.7:40
12/4 すでに忘年会の連絡が3件ある。その時間と費用を山行の費用や装備に回したいくらいであるが、有志で集う会であるから、楽しくないはすがない。しかし、芸もなく人をもてなす技量ない私は、結構辛くなる事がある。「山の会」に属していない私は、山の友と下(下界)で飲む機会は少ない。上(山)でも下でも、気のあった方々と100%山の話で飲むならば、それは楽しくてしょうがないだろうと憶測するのは、独り善がりなのだろうか! 日帰り登山が多いから、どうしても山頂での祝杯が少なくなり、盛り上がりが小さくなってしまうが、近年それが慣れたためか、あまり苦にはならなくなった。そのために山頂滞在時間が少なくなり、「山ノ神」にしてみれば面白くないようである。今冬も雪中キャンプの計画を模索しているが、寒いのはイヤで、大いに飲みたいくせに、荷は担ぎたくないのでは、私はどうしたら良いのだろう。荷揚げのための二往復を提案する「山ノ神」から逃げ出して、単独行を願う気持ちを分かってもらえるであろうか! p.m.0:45
12/3 立山・室堂の積雪が12月1日現在40cmと、昨年よりも4mも少ないとの事である。一日荒れれば、すぐ1mくらい積もってしまうというけれど、やっぱり地球は、だんだん暖かくなる方へ変わって来ているのだろうか? 雪が降れば生活に影響する事になるが、降る時に降って欲しいというのが、山を愛する人だけでなく、皆の思いではなかろうか? こんな状態が続けば、山行計画自体が変わって来る。冬にあまり縁のなかった方々でも、真冬に歩く事になるかもしれない。でもそこは、やっぱり冬なので、それ相当の装備が必要になってくる。朝降っていなくても、昼から降るという事が充分に考えられるからである。ベテランであれ、初心者であれ、山を愛する心は、そうは変わらない。どんな低山であろうと雪があれば雪山、冬行けば冬山である。後は、自分がどう自然と向き合うかだけであろう。 p.m.10:10
12/2 「山があっても山無県」などと言って、意気込んでいたものの、上高地公園線に入っても、路面が濡れていて空が黒い雲に覆われていた。中央高速の岡谷ジャンクションを過ぎたあたりから、雲が切れ始め、南アの山々と富士山がばっちり迎えてくれた感じになった。本栖湖付近で、朝霧高原からのルートを、下部温泉からのルートに替えて「毛無山1964m」に向かった。車の中で往復12時間近くも過ごしてしまったが、兎にも角にも、今日は一日中「富士山」に尽きた。これから西高東低の気圧配置になった時、時々は太平洋側の低名山を歩くつもりでいたが、大事に使って来たハイウェーカードの残額も少なくなり、冬まで遠出は出来ないようになるが、「山ノ神」の采配次第では、小さくともその望みは繋ぐかもしれない。ところで、今日も、アルコール厳禁の山行となり、一刻も早く家に帰り、冷たいものを喉に流し込まなければと、後から煽りたてたのが奏効し、下山タイムが大幅に短縮出来た。しかし、車の運転は、なかなかそのように上手くはいかなかったようである。疲れた! p.m.11:30
12/1 チョット出発が遅れたが最初から雨だった。それども迷わず「金剛堂山」にした。この時期にしては、雪が全くなく、雨がかえって、晩秋から初冬の寂しさを醸し出していたような感じであった。百瀬川を渡るにしても、落ち葉を踏み締めるにしても、また違った「金剛堂山」を見つけたような気がした。ムラサキシキブの青い実やツルリンドウの赤い実が、落葉が進んで丸裸になっているようでもあるし、そして何だか朽ちた怪しげな木が、マンサクの木だと「山ノ神」が言う。只登るだけの私でも、何だか気になる光景であった。本来なら葉が落ちて見通しが良いであろうに、生憎の雨で何だかやっぱり寂しい。出来れば今年中にもう一度訪れたいと思っている。それは積雪期の金剛堂山にも近頃興味が湧いていて、その偵察も兼ねての事なのだが、上手い具合に休日とお天気が合致してくれれば良いのにと願うだけである。今日は雨だし、何だか体調が可笑しく思えたので、「山ノ神」に運転を替わって貰う事あるかも知れないと告げ、アルコール厳禁を申し渡して出掛けたつもりであった。今日は、とても滑りやすい道を、何時もより順調なタイムで登っていたが、いよいよ最後のなってから、疲れてしまったのか、どれだけ声を掛けても「山ノ神」は登って来なかった。少し風も吹く山頂の霧雨の中で、カップめんとコーヒーを飲んで昼食としたが、50分間の滞在時間の感じが、何時もと頗る「山ノ神」の態度が違うのである。もしかして、なかなか山頂へ上がって来なかった空白の10分間を、何処かに腰掛けて、またプシュと缶の蓋を開けて楽しんでいたのではなかろうか?その問いには、一向に答えようとはせず、只ニヤニヤで、家に戻っても息つく間もないように飲むエネルギーは、山歩きと違ったものなのであろうか? p.m.10:10