3/31 一昨日、高杉山から戻って「山ノ神」との食事時に、“ いつもより元気がない。会話がない。「山の話」をしない。” などと私の異変を感じていたらしい。高杉山行の前日から左側の眉・額周辺が痛かった。特にうつむくと異様なくらいに痛かった。しかし、山行時は不思議なくらいに何の不都合もなかった。食事を終えて、PCの前に座ったのだが、頭と共に目が重く、まるで思考力がなくなってしまった。吐き気があるわけでないし、疲れや雪目の影響で頭が痛いものと思い込んでいた。でも、中一日置いた今朝は、どうにもならないほどの痛さにとうとう脳神経外科を訪ねた。CTを撮ると脳には異常なく、左の額から頬にかけて、ウミのようなものがあるとの医師の指示で耳鼻咽喉科に回された。また検査を受けたが、与えられた薬で随分楽になった。3~4日程は、何をするのもイヤで、紀行文などは「工事中」の連続であったが、これからは意欲を出して頑張らなくては・・・・・もちろん「調整中」などと表示されている日程にも、行き先が変わろうと山に行かないわけがない。行かなくなったら、もう私はダメな時である。 p.m.11:40



3/30 高杉山1300m付近で、「山ノ神」から「ハゲ山」にいるというメールが届いた。“誰もいないが、展望も良くいつまでもいたい!” というものであった。今回の高杉山行は、「山ノ神」にはチョット荷が重いと感じ、外した代償として車を取られた。標高の低い有峰小口川・水須までであっため、娘の愛車(ミニカ)でも行く事が出来たが、時として不合理な車の割り当てになってしまう。家に戻ってみると、その後猿倉山に行って来たとか、朝日町で警察の検問を受けたとか、何処をどう飛び回っていたのかと思う次第である。また、それを聞かない(無関心)と言ってはまた憤慨するのであるが、それこそ、私にではなく、「山ノ神」にGPSを付けておけば良いのかもしれない。次週も私の願いを通す時は、ガタガタ道をミニカで行かなければならないかもしれないが、今のところ、好天の予報ではなく、「山ノ神」同行の可能性は高いようである。 p.m.11:35



3/29 長い行程を予想して「北ちゃん」と小口川・水須ゲートを午前5時に出発した。三つ目のトンネルを抜けると林道にも雪が現れた。小口川第二発電所からは、送水管沿いを歩かず、昨年同時期に西笠山行きで「シュンちゃん」と「ターさん」が、登ったと思われるサージタンクへの直登(標高差240m)を選んだ。折からの高温に今にも崩れそうな雪の斜面であったが、ワクワクすると言う「北ちゃん」の後を追った。サージタンクに着くと熊を追っていると言う猟師と出会い、途中話し込んだり、鉄砲を覗いて見たりして、ペースダウンしてしまったが、高杉山頂には10時45分頃着いてしまった。やっぱり雪量が少ないのか、「高杉」の名の通り360度の展望とはいかなかった。しかし、茂みの間からは、お馴染みの北アルプス北部の山々が我々の目を楽しませてくれた。特に鉢伏山と昨年登った熊尾山・東笠山・西笠山が大きく見えた。期待していた「剱岳」は大日岳の上に、黒く小さくてっぺんだけしか見せてくれなかったが、お天気が悪ければ何も見えない事を思えば大満足であった。3時間近く山頂で楽しんだ後、猟師が教えてくれた、1150m付近から直接水須付近に降りるルートを辿ったのだが、入り組んだ尾根や谷に恐れをなして退散し、往路と同じルートを下った。好天に恵まれ、登りたかったピークにも立て幸せの一日であったが、帰宅してから目と鼻がショボショボになり、今日まで何とか乗り越えてきた「花粉症(自己診断)」の再発である。



3/28 今夕筏井氏から、初雪山登頂なったという電話を頂いた。同じ山仲間からの感動のメッセージは何よりも嬉しい。ましてや、まだ家に戻っていないのに、私のようなものにメッセージが届けられるのであるから尚更である。そして、受話器に後方にいる仲間の歓声も伝わって来て、何故か自分も一緒に登った錯覚に陥った。私は、はっきりメンバーを掌握していないが、小竹夫妻・細川女史・上総の哲ちゃんそして堀シェフだったのであろう。殆どが「ハレルヤ」のメンバーであり、憧れの初雪山頂に立てた事を祝福してあげたい。それにあやかり、私達も明日は、きっと「高杉山」の頂きに立ってみたい。 p.m.10:10



3/27 今日もそうであったろうに、明日も好天に恵まれ大勢の方々が、思い思いの山に出掛けられる事であろう。朝はカチカチ、日の当たる午後はグジャグジャと、足元は結構大変なのであるが、お天気に勝るものはない。私の友人知人達も、あちこちの山に出掛けるようであるが、気を付けて楽しんで来て欲しいものである。土日だけお天気で、後は雨などのお天気予報であるならば、精神衛生上良くないのであるが、何とかもう一日大丈夫のようであるから、イライラも薄らいでいる。一昨日も今夜も会合のち懇親会と賑やかなのであるが、やはり私には、辛くとも歩くのが良いようである。いっぱい汗を流しご褒美の宴ならば、ご馳走などなくても冷たい一杯で充分である。 p.m.11:00



3/26 「シュンちゃん」の言葉を借りれば、この時期の天気予報は占いのようであると言う。その通りかもしれない。あれだけ何日も次の月曜日は、雨の予報が出ていたのに、今夜の予報では曇りの中に晴れマークが出て来た。少しでも雨が入れば、長くて遠い「高杉山」を諦めるつもりでいたから、思わずニッコリしてしまった。そこへケガで手術入院しておられるお母様の容態が良くなったから、月曜山行が可能になったと「北ちゃん」から嬉しいメールが飛び込んで来た。もしかしたら「越中の百山」の一座を踏破出来るかもしれない。もちろんお天気もよく、家族全員が健康である事が最大の条件である。 p.m.11:05



3/25 今日現在、21回の休日全てに山行が出来皆勤である。半分がお天気に恵まれず、うなっているが、月一回の日曜日は、「ハレルヤ山行」が待っているし、月曜日にも時々であるが付き合ってくれる仲間もある。「山ノ神」との二人山行が断然多いものの、時々なれど単独行もあるし、これ以上望むのも贅沢かもしれない。山行内容はだんだん落ちていくかもしれないが、それは仕方がないものだと諦めも感じている。しかし、「山ノ神」にしてみれば、近年山一辺倒でそれも異常に感じているらしく、燃え尽きる前の「輝き」のように見えるらしい。それもあってか、昨日の「タレント・いかりや長介氏」の遺影をテレビで見て、なかなか渋い顔をしていると晩年のいぶし銀なる演技と共に称えたのはいいのだが、私にも気に入った写真を遺影候補に指定しておけと言うのである。因みに「山ノ神」は13年秋に「斑尾山」で撮ったものを決めて大伸しにしてあると言う。山に登らない人は山は危険な所で死と隣り合わせのように感じているようである。私も、若気の至りで「山で死んでも!」などと思った事がないでもないが、今は山でなんか死ぬものか、死んではいけないと思っている。そして、死ぬまで山に登りたい(歩きたい)と思っている人は私だけであるまい。 p.m.7:00



3/24 今、「高杉山」の他に、「大明神山」と「クズバ山・西大谷山」に心が動いている。気持ちが注がれるだけであって、軟弱な私の心を奮い立たせるには至っていない。雪量・雪質によってチャレンジの適期が違ってくるし、短くもなって来る。パーティーを組む機会も少ないし、「山ノ神」との軋轢もある。「越中の百山」の完踏を目指すのなら、それくらいをクリアーしなければとても覚束ない。自分では、“チョット無理かな?” と思いながら、淡い思いは断ち切れないでいる。しかし、例えその夢に届かなくても、新たな自分なりの目標を設定すれば良い事であって、「勲章」ばかりに拘る事もないであろうが、だんだん丸くなっていく自分に、一抹の寂しさを感じられずにはいられない。 p.m.10:45



3/23 台所のPCで「山ノ神」が、私のコラム「山に関する毎日のコメント」を見ている姿を目の当たりにして思わず嫌な感じがした。“ 私の事ばかり書いていると、誰も見てくれなくなるよ!” とボディーブローを食らった。それもそうなのであるが、イヤイヤながらも私のパートナーである事は間違いないし、いつも監視されているわけだから、否応無に当欄に登場してしまうのである。「山ノ神」が不参加であった一昨日のハレルヤ山行は登山日和の晴天、同行した昨日の「奥ノ山」はヤブに降雪の悪条件、それこそこの条件下で、過日から山行予定に載せている「高杉山=単独行」を恐る恐る打診をしてみた。この時期を逃せば、また来年まで行けないし、来年はどうなるかわからないなどと、かなりの風を吹かせていたからか、すんなり認めてくれたのであるが、予報は思わしくない。また、暖冬の煽りを受けて、恐らく取付きの斜面に雪がないかもしれないのである。長い林道歩きも含めて、私の体力でその頂まで届くかどうかわからないが、年を重ねれば尚更遠くに行ってしまうような気がする。しかし、好天でなければ潔く諦めるつもりである。今春は私の休日の晴天率はとても低く嘆いているのであるが、そのうちきっと良い事もあるだろうと残雪期に期待している。 p.m.8:45



3/22 好天に恵まれながらハレルヤ山行に参加出来なかった事や、メールを送ったのに返事がなかった等の理由なのだろうか、帰宅しても「山ノ神」の顔色・態度は思わしくなく、缶ビールだけがゴロゴロ横たわっていた。「明日はどうする?」と問い掛けても「お天気が悪いし・・」の返事しかなく仕方なく自分でラーメンを作って食べた。寝不足のためなのだろうか? PCを操作しても文章になるどころか、何度やっても違ったキーボードばかり叩いていた。午前0時頃諦めて床に入ったが、朝はすぐやって来た。目覚し通りには起きれなかったが、私に起こされた「山ノ神」は、「本当に行くのか?」「何処に行くのか?」と疑いの眼差しで私を見つめていたが、何処でも出掛けるのが好きな「山ノ神」だけに起きないわけがない。県内は午前9時頃雨の予報であったが、登り始めだけは降らないで欲しいとの思いで午前7時の出発となった。一度出掛けた事のある「奥ノ山」なら、何とか午前中に勝負出来るのではないかの甘い気持ちで臨んだが、登山口までにチョット時間を費やし過ぎたのと、林道の雪があったりなかったりと状態が良くなかった。また檜峠から標高700m位までの雪の状態が良くなく、ブッシュで結構時間を費やしてしまったのと、その途中から降雪となったしまった。頂上付近からは視界が100~150mくらいになってしまったのと、10㎝の新雪が積もった。帰路、消えかけたトレースを辿って、落としたコンパスを探していて、ルートから外れビックリして登り返したミスもあったが、檜峠からすぐ尾根に取り付いた方が、雪を拾うのに良いのではないかと思った事が、ヤブ漕ぎになってしまって、「山ノ神」を消耗させてしまい、後に疲れがたまった原因を作ってしまったようである。展望も何もなく、ヤブと降雪には全く口も開かなかったが、山頂で一本の缶ビールと煮込みうどんを食べてからは、見違えるような別人になり、また、残雪の間から顔を出すフキノトウを採ったからであろうか、帰路の車中は頗るご機嫌であった。この後「余計な一言」さえなければ、我家は平穏のはずである。 p.m.9:50



3/21 我グループの名の通り見事に晴れた。朝日小川ダム発電所前の杉林の直登は雪がなく林道を歩いたが、尾根に出てからは、対岸の負釣山から朴木山・猪頭山に連なる山々の上に、剱岳や毛勝の山々・駒・僧ヶ岳などが浮かび上がって来る。我々はそれを充分楽しみながら「稜線漫歩」のつもりで歩いた。例年に比べて非常に少ない雪に戸惑いを感じたが、しかし、「大地は大地、初雪は初雪」で、その展望なるや、この高さ(標高)にして、これだけのアルペン的な雰囲気を持った所があるのだろうかと思ってしまう。剱~僧までは言うに及ばず、栂海の白鳥山・犬ヶ岳・黒岩山そして何故か今日は特別に朝日岳が良く見え、小屋どころかアンテナまで見えていた。白馬岳や旭岳そして針ノ木岳まで見え、我「ハレルヤグループのスポークスマン」が、まるでこの山々は、私のものであるという感じで堪能している姿を見て、惚れられる山も幸せなものであると思ってしまった。この上天気に5パーティー9名の初雪山挑戦者を見たが、我々は、大地山から黒菱山・焼山へと「稜線漫歩」を続けた。このハレルヤ山行に付いて行けるかと悩んで辞退した親友の中山君が、我々が黒菱山に向かう寸前に、諦めきれずに大地山にやって来たが、心広きハレルヤのメンバーは、彼を快く迎え入れ我らの縦走に加えた。その縦走路は、少雪の影響もあって何時もの雰囲気と少々違っていたが、メンバーは環境が整わなければ、とても来れぬルートに一応に感激をしていた。その感激は何時ものミニ宴会にも現れ、初雪山をバックにコーラスが響き、新人歓迎の月光仮面踊りまで飛び出すものであった。また、メールやHPなどを通じて知り合いの豊本氏・池原氏・中林氏に、大地山直下でお目に掛かれると言うプレゼントまであり思い出深い山行であった。



3/20 明日はハレルヤ山行である。当初の「白金ノ頭」は来春に回し、今回は朝日小川ダム~大地山~黒菱山・焼山~大平への縦走予定である。9名参加の予定が6名にまで落ちてしまったが、行けないメンバーのためにも、素晴らしい展望を満喫して来たいと思っている。直前になって叔父様が亡くなられて、行けなくなった堀シェフには本当に“きのどく”だ。ハレルヤ山行は、名の通り晴れるのであるが、明日もメーンの尾根歩きや、ミニ宴会の時こそ晴れて欲しいものである。雪の付き方チョット心配ではあるのだが・・・・ p.m.11:05



3/19 年頭に「越中の百山」5座の踏破を目標にあげたが、チョット厳しくなった。小矢部川水系の2座を外したし、単独では “おっーと” という所ばかり残っている。まあ~、後1~2座登れれば良いとしなければいけないのだろう。小矢部川水系の2座の他に、常願寺川水系2座、早月川水系2座、片貝川水系3座、そして黒部川水系の8座と残り17座である。それを減らすには、今夏盟友達が私を黒部の奥に誘ってくれるかどうかにかかっている。未だ、17座も残っていると思うのか、よくもここまで登れたと思うかで人生は変わってくる。私は、欲を前面には出さないが、小出しにして、猛者と言える盟友達に小さな夢を繋いでいる。 p.m.7:50



3/18 今冬は、一時的に大雪となったが、均してみるとやはり暖冬で、追い打ちをかけるように、高温が続いて雪解けが早まっている。雪の状態が例年と違い踏み抜きなど思わぬ事故(ケガ)に気を付けなくてはいけない。こうなると、予定も大幅に見直しを迫られて来るし、機会を失う事にも繋がって来る。昨日の高岡は最高気温が24℃だったが、今日は一転日中の気温が3℃まで下がり、午前中の雨に雪が混じっていた。山には恵みの雪となるほど降ったものだろうか? 明後日のハレルヤ山行(3/21)が、好条件の中で決行される事を願いたいものである。 p.m.5:10



3/17 3~5月の山行は、私の自由にさせてくれと「山ノ神」に頼んであるのだが、今回もなかなかお許しが出なかった。“ あんたも自分の好きな所に行ってもいいよ!” と「山ノ神」に言っているのだが、自分ひとりで行く気になれないのか、それとも、私が危険な所へ出掛けてしまうのではないかと心配なのかもしれない。「白金ノ頭」行き当日も、「山ノ神」が何処へ出掛けたなどと、さほど気にかけず(「山ノ神」にしたら、あまり気にかけないから気に食わないらしい!)ヘトヘトになって降りて来た対岸に、私の行動を眺めている二人の人物がいた。転んだり雪の深みに嵌ったり、渡渉するのを見入っているのである。ようやく、車に辿り着いてみると、今回の登頂にいろいろアドバイスしてくれた「堀シェフ」と「山ノ神」であった。堀シェフには、“ 登り始めた!” との携帯電話を掛けた事もあってか、無事に降りて来るのだろうかと心配してくれたのだろう。「山ノ神」は、何で?行く所がなかった?本当に心配だった?もしかしたら、本当に山に行ったのか?とか本当に単独行なのか?などと私に疑惑を抱いたのでは・・・私が、そんなに持てるわけがないか!・・・・そして、私が、到着する前に、「シュンちゃん」までが、アイスクリームとジュースの差し入れを持って来てくれたと言う。晴れで降水確率0%だったのに、登り始めから雨。そして上部では視界不良!だっただけに、気だけが若いこのロートルを本当に心配してくれたようであった。その間。「山ノ神」の計らいで、黒部で軽く一杯やる段取りになっていた。我々は、別行動だっただけに2台の車だったが、珍しく「山ノ神」が飲まないで、車を運転して行くと言う。そして、もう一台を「シュンちゃん」宅に置かせてもらって、翌日取りに行く事になった。黒部に車を置いて、また翌日取りに行くなんて、こんな凄いエネルギーがあるのなら、“もっと山歩きに力を出せ!” と言おうものなら、それこそ大変である。
 その車を取りに、仕事を終えて早めに出たつもりであったが、富山市の神通川に差し掛かる前に、“ところで、車のカギを持って来たのだろうな!” と問い掛けると、「ありゃー、忘れた。忘れてはいけないと思いながら・・・・」結局、高岡に戻り一時間のロスで、“何とも、はやーである。” 私の単独行に対して常々「山ノ神」に疑念を持たれるのであるが、「天地神明に誓っても心は美しいのである。」しかし、「山ノ神」は理解せず、今回も、呪いか怨念かわからないが、晴れ降水確率0%を覆してしまい初雪山を望ませてくれなかった。“自分が行けないから悔しい!”が本音らしいが、毎週思い思いの山に出掛ける「山ヤ」達の事を思えば、私はとても優しいダンナのはずなのだが・・・・。もしかしたら、彼女(山)に私独りで逢いに行く事に嫉妬しているのだろうか??



3/16 ガスのため「白金ノ頭」の広い雪原を最後まで見る事は出来なかった。お日様が真上にある事はわかるのであるが、如何せん晴れるどころか、ガスのため視界が20m前後で、私の足跡でさえ確認する事も出来ない程であった。4~5秒の間隔で、二度ほどガスが運ばれたかやに思えた事もあったが、45分間の滞在時間では、山並みを一度も確認する事が出来なかった。広い山頂の低く細い木に堀シェフが先月付けた赤いテープと、前日に「シュンちゃん」が付けた赤いテープに、私もピンクの細いテープを括り付けてきた。初雪山を撮る事も出来ず、仕方なし真っ白なガスの中で、道標代わりのテープの前で記念写真となってしまった。「白金の頭」は元より初雪山が登るに連れて、ズームアップして行く様を期待していたが、来春までお預けである。そして、「白金ノ頭」も一年に一度は行ってみたい山になりそうである。 p.m.6:20



3/15 昨夜ようやく「山ノ神」の許可を得、「白金ノ頭」に挑戦する機会を得たのに、起きてみれば道路が濡れている。登山口で準備をしていると、雨が降って来た。降水確率0%ととはどういう事なの?などと思いながら、堀シェフや「シュンちゃん」らの声援を受け、増してや「山ノ神」の渋々の英断?だっただけに、何が何でも登りたかった。しばらく登ると雨が止み、1200mくらいから青空が出てきたが、先に進むに連れガスが前途を不安なものにしていった。一気に高度を上げてからの山頂までの行程は、アップダウンの連続と小さいながらも雪庇の連続であり、視界20m前後とは、初めての山故に何度も地形図とコンパスを見た。初雪山を見たくて登った山であったが、上部ではとうとう最後までその勇壮な姿を拝む事は出来なかったが、「越中の百山」の一角の山に久しぶりに充実した山行を楽しむ事が出来た。また黒部で「シュンちゃん」や堀シェフと下界で飲む事が出来るとは思ってもいなかっただけに、私にとっては素晴らしいプレゼントになった。 p.m.11:55



3/14 「シュンちゃん」と「ターさん」が「定倉山と白金ノ頭」をやってのけた。しかも、白金ノ頭でわかれ「ターさん」は直接朝日小川ダムへ。「シュンちゃん」は初雪山を越えて、大地経由で同じ朝日小川ダムへと凄い事をやりのけた。しかも、初日は、吹雪で視界も悪く、お昼前にテントに沈殿だったとの事。指をくわえて報労を聞き及んでいたが、ようやく明日の鳥ヶ尾山・鉢伏山の計画をキャンセルする事を「山ノ神」が認めてくれ、何とか「白金ノ頭」に挑戦する事が出来るようになった。許可が遅く誰も誘う事が出来ず単独行になるが、あの取り付きだけが不安である。 p.m.11:15



3/13 3/15の山行を未だ迷っている。ようやく鳥ヶ尾山から鉢伏山のどの地点まで行けるか分からないが、その方面に出掛ける事を決めようとしていた矢先に、堀シェフから “出掛けられるのなら・・・” と、「白金ノ頭」の情報をもたらせられた。ハレルヤ山行で、同所を雨で流すかもしれない事も考えれば、何としてでも出掛けたいのであるが、この先「山ノ神」との同行がなくなる事を頭に浮かべると、明後日も単独行を願え出るのが心苦しい。月初めの大地山へ出掛けた時に、“ あの斜面の何処を取付くの?” と一緒に眺めた経緯があるだけに余計である。ロートルとは言え単独行を心配されるようになっては、もうお終いのような気がするのだが・・・・・・ p.m.11:55



3/12 ようやく所用も解決したが、なかなか当欄を開き書き込む気にならない。不思議な事に時間がなかったり、苦しい時に勉強が出来るように、僅か何行かの書き込みもそのような事なのかもしれない。最近、他のHP(もちろん、山関係のHP)を拝見するにあたって、真新しくセンスを感じてしまう。また、情報量も多く、私もこれまでかなどと思わざる得なくなっている。楽しくてならなかった頃から、それなりの時間を費やした事も原因の一つかもしれない。また、山行スタイルの変化も考えられるし、何が何でも「山」へが、知らぬ間に余裕を失わせているのかもしれない。そして、それこそ知らぬ間に、何人もの方々を傷付けていたかもしれないのである。熱い山の思いを綴るのが目的であったのに、自分の弱い所を曝け出し、同情を求めるようでは終焉近しというところかもしれない。「田舎的」は、私のテーマであったから、それほど苦にならないのであるが、内容が伴わなく辛いのである。自分の体力低下を棚に上げて・・・・・・・かなり  p.m.11:40



3/11 3/20は、娘が友人の結婚式出席のために帰省する。翌日の3/21は日曜日だから、当然娘もゆっくり故郷で過ごしていくものと思い「山ノ神」が、ハレルヤ山行に不参加の意向である。オヤジはいてもいなくても左程影響がないと思うから、約束のハレルヤ山行に出向くつもりである。しかし、先般娘から「山ノ神」に、電話かメールか知らないけれど、“我々の休日に帰省したら迷惑なのか?” の打診があったらしい。もしかしたら、翌々日の3/22も休日だから、我々と貴重な時間を過ごすつもりであったのかもしれない。「友人がHPを見て、邪魔らしい!」と伝えてくれたと言っていたが、娘自身が私のHPを見てそう思ったのかもしれない。自分の住まいも見に来てくれないオヤジに、愛想をつかしているのか、それとも、後何回登れるかしれない親の哀れさに、同情してくれているのかわからないが、親とて娘に会いたくないわけがない。“娘よ何処の山に登っていても、君の事を忘れているわけがない。”一晩だけでも、どんな遅くなってもいいから一回ぐらい食事をしたい(君の前で飲みたい)! p.m.11:59



3/10 今度の休日(3/15)は、今の予報から晴れである。悪いお天気が続いたから、事前に「晴れ」などと分かると今度は、逆にどうしようかと迷ってしまう。3~5月は、「自由に使わせてくれ!」と「山ノ神」に申し伝えてあるのだが、そう自分の思う通りにはいかないものである。3/10現在、今月3回の休日を全部共々に過ごしたなどと言っても、それは通用しないのが我家である。3/21のハレルヤ山行に我が身だけの参加の事もあり、3/15は充分考えて行動をしなければ後々に支障が来る。高杉山は「北ちゃん」と、初雪山は二人では届かないし、独自の白金ノ頭の機会も失いそうであり、よわったものである。では、やはり「奥ノ山」か? 鳥ヶ尾山から鉢伏山もチョットきつそうである。 p.m.11:55



3/9 昨年5/5西笠山5/6早乙女岳の連続山行は、お天気に恵まれ素晴らしく楽しいものであったが、翌日から、「雪目」なのかしばらく目の調子が悪かった。先般3/1大地山3/2大高山から帰っても、やはりコロコロし、皆から目が赤いなどと指摘を受けた。最近の体力低下と共に、私の目も衰退の一途を辿っているらしく、二日間も雪の中では、もたないようである。この頃は雪焼けで真っ黒な顔も、左程もてはやされず、もしかしたら、汚いなどと敬遠されてしまいそうである。こと目に関する事は、自分だけが苦しいのであって、サングラスなどで防御せざるをえまい。昨日の「牛岳」は、安物のサングラスを使用したのであるが、目が随分楽であった。立山にゲレンデスキーを担いで登った頃は、格好でサングラスをかけていたものであるが、今や身体のために使用しなければならなくなってしまった。 p.m.11:35



3/8 晴れると「牛岳」に来たのが悔やまれるのであるが、昨夜来の新雪に今の私と「山ノ神」には、「牛岳」がちょうど良いのかもしれないと思いながら歩いた。今朝メールを頂いた「柴犬さん」等の昨日のスキー・トレースを半分ほど利用させてもらい、消耗を回避する事が出来たが、それを外れると膝上までのラッセルとなった。しかし、2週間前の雪量よりは少なく、そうビックリするものではなかったが、登山口からカンジキの装着であった。今日の食料は、カップめんにソバと菓子パンを除けば、全て「山ノ神」のビールの「おつまみ」ばかりであった。三角点では、雪洞の真似事を試み、「山ノ神」の住居を造り、私だけが頂上へ「タイムトライヤル」などと尻を叩かれた。その間に、ビールを片手に、しゃぶしゃぶと刺身を賞味し、立山連峰の遠望を楽しんでいたようである。私には愛情細やかに?「ノンアルコールビール」が用意されていたが、何と表現していいものか・・・・また「牛岳」か、などと陰口を叩かれそうであったが、ハレルヤ山行の時ほどの展望ではないにしても、その時から見れば雪量も豊富だし、またとない3月の牛岳を楽しんだ事になる。 p.m.11:20



3/7 チョッピリ喜ばせるように、月や星が雲間から顔を出したが、また雪になった。「奥ノ山」行きは中止で、またまた「牛岳」になりそうだ。きっと下山する頃に、お日様が顔を出すだろうが仕方がない。私には、帰ってからする事が山ほどあるから丁度よいのかもしれない。



3/6 先日の大地山頂で降雪の中ツエルトを張る事になったが、私のツエルトはボックス調なので、3人が入るのにはチョット狭く、増してや食事をするのに適しなかったので、「北ちゃん」の屋根型のツエルトを張る事になった。いつも大地山頂は風が強く、テントやツエルトを張るのには適さないのであったが、その日は風があまりなく、雪量も少なく、木々も高く顔を出していたので、ツエルトを張るには充分であった。かねてからぺグ(杭)の替わりに割箸が便利だという事を聞いていたので試してみる事にした。張り綱を割箸に縛って(絡めて)雪中に埋めるわけであるが、その割箸を手に取って「山ノ神」曰く、“ 何処かの山岳雑誌に、割箸の割目に張綱を入れて雪中に差し込めば簡単!”だと。箸が割れる事を心配したが、その日はOK!でもそれが正しいかどうかは分からない。そして、真冬の雪の中であり、凍って回収不能な事があるため、素材として割と自然に優しい割箸の使用を考えたのであるが、枯れ木などの自然の物が一番良い事に間違いない。



3/5 福井の松尾氏の紹介で相互リンクしている「CRACLI」のkyuさんに、未だお会いした事がないが面白い。山の事は未だよくわからないと言いながら、今冬ピッケルや12本爪アイゼンを話題に「掲示板」を賑わせていた。お茶目なkyuさんは、私に高間(高岡の本間だからかな!)のニックネームをくれたが、その掲示板の「若さ」に、ついていけないからそっと見ているだけであるが、チョット年上の松尾氏は、やはり気持ちが若いのか、その仲間達と充分に楽しんでいるようである。「私の知らない人種」でユニークなkyuから、時々であるが、私の脇をくすぐるようなタッチで、メールを頂く事がある。しかも、「元ちゃん」「元さん」でなく、「元様」であるから、否応無に迫り来る「元じい」への思いやりだと苦笑している。



3/4 一日中雪だったが、夜になって積雪を見る降り方になって来た。チョット少なめの山には、ちょうどいい雪かもしれない。先日の大地山で不思議な男性と出会った。降雪の中、透明なナイロンの雨具上下(しかも破れている。)に、小さなザックを担いで降りて来た。下に降りて(夢想塾)また登ってくるかもしれないと言ったので、耳を疑って聞き直した。我々が降雪から好天になった大地山頂で戯れ、カメラを抱えながら降り始めた頃に、先程の男性が本当に登って来たのにはビックリした。朝日町に住むと言うその38歳の男性は、昨年2/17にも同じような所であったような気がする。その時も、あまり山の事が分からないし、近くにあるこの山に登り始めたのだと言っていたような気する。今回も謙虚で他の山の事も分からないと言っていた。初雪山に行きたかったが、雪が硬くて断念したのだそうだ。その初雪山の事で彼はこんな事も言った。「昨年石川県の有名な方が、スキーで初雪山に登ってHPに載せられたので、初雪山が有名になった。」 彼は、その人を誰とも知らなかったが、Dr.早川がここでも伝説の人になりつつあるのかと思った。その男性は、山も最近始め、地元の山しか知らず、しかも雪山に修行のように登っているのを目の当たりにして、山にはいろいろな接し方があるというものの、改めて山は不思議な所だと思った。 p.m.7:10



3/3 朝日小川ダム(相又谷ルート)から大地山に登る際、近年出来た夢想塾ルートと交わる所を796.2mのピークだと思い込んでいた。昨春、「シュンちゃん」「北ちゃん」と分かれた所でも有り、今回「北ちゃん」とその場所を確認したら、その地点は、北に5秒、東に10秒もズレタ802m付近(当日の計測815m)であった。何回もその場所を通っているのであるが、地形図をいい加減に見ていた事になり、恥ずかしい限りである。



3/2 「一度や二度登ったくらいで、その山の事が分からない!」のが私の持論。しかし、そんなに時間もないし、いろいろな所にも出掛けたいから、せめて複数回(二回以上)登ってみたいと思っている 。「大高山」も、そんなわけで、2月上旬に企画していたのであるが、天候が悪くなかなか出番がなかった。一昨年の2月上旬に「山ノ神」と登ったのであるが、(その時は、大平氏の助っ人あり)その時の事を「山ノ神」は、積雪期としては簡単であるという認識をもって今日の山行に臨んだらしいが、ここも昨日の大地山と同様雪量が少なかった。標高700mまで、南斜面はかなりの勢いで雪がなくなっており、「山ノ神」にしてみれば、たっぷり敷きしめられた雪上を歩くつもりでいたが、あてが外れ結構苦労をしていたようである。また、最後の登りでも息絶え絶えであったし、登頂直後から予想通り降雪が激しくなり、食事にも満足の時間を費やせなかったなど、山は時期や天候によって、いろいろな顔を見せるのを忘れていたようである。「大高山」は、前日までステキな山の分類に入っていたらしいが、もう来なくていい山のフォルダーに入れられそうであるが、それはそれで、私の「聖域」を広げてくれたように思えたのであるが、それも束の間で、帰路のコースタイムが、「山ノ神」にしてみてば、好タイム?であったらしく、雪が降る中の神秘的なブナ林の印象も重ね合わせ、「大高山」は、まんざらでもなかったようであった。 p.m.8:25



3/1 新川広域農道を走っていたら、「私も行くぞー」と北ちゃんから嬉しい携帯が鳴る。ヤブの得意な北ちゃんは、40~50分の差をすぐ追いついて来てくれた。登り始めから雪模様で、風がなかったから良かったもの、だんだん降雪が激しくなり、山頂では、3時間もツエルトの中で話し込んでいた。帰り支度を始めようとした頃からお天気が良い方に好転、3人で山頂をカメラをもって駆け回っていた。北ちゃんが「晴れ」を持って来てくれたのかもしれないが、晴れないと思っていただけに、今日の大地山行の喜びは特別の思いであった。それにしても、この時期としては雪量が少ないのにビックリした。取付きの発電所から「くろべ平」の斜面の雪が無いに等しい。山頂の木々が雪の下のはずなのに、「えーっ」と思うほどに頭をもたげているから、例年より1~2m積雪が少ないと言う事になるのだろうか? p.m.9:45