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8/31 今日で今年も2/3が終わりであるが、元日に立てた今年の山行目標達成には程遠い。百名山は5座中1座、百・二百・三百は、12座中2座では問題にもならないであろう。その中で、越中の百山は、5座の目標中3座であるから健闘という事になるかもしれない。この時期であるから、越中の百山の踏破を重ねる事は出来ないが、全国の名山の方は、元気でさえあれば、あと幾つかは上乗せ可能であろう。しかし、御札集めのような目的ならばそれで良いのだが、その時間と費用を考えると、本当にそれで良いのかと、何時も心の格闘を繰り返している。登って見なければ、行って見なければその良さも、良くない所もわからないからである。行ってしまった人、登ってしまった人は、それなりに凄い人である。大げさかもしれないが、何もかもを犠牲にしてやり遂げたに違いないから、ある程度は尊敬しなければいけないように思う。それを自慢出来るかはまた別の事であるが・・・・。私は欲張りであるから、その他に、富山の山や近郊の山を、何度も何度も登ってみたいのである。一度や二度ではその山の良さなんてわかるハズがないからである。それを達成するためには、我家には大きくて高いハードルがある。同じ山、ハードな山は、どれをとっても、「山ノ神」の苦味潰した顔が思い浮かんできて言い出せないのである。 p.m.11:59
8/30 結果的には「大日岳」になった。何組かの下山するパーティーに「台風ですよ!」と言われ、「ちょっとそこまで!」といなしたが、それでも、登る人は我々の他に誰もいなかったようである。稜線は強い風が吹いたが、大日岳で久し振りに剱岳を仰ぐ事が出来た。「10時まで」と言う格言?があるように、日帰りでは、特に夏は上昇気流のために、なかなかお好みの山々を拝む事が出来ないのである。
さてさて、今日も「山ノ神」同行となったのであるが、お互い気まずく、車の中どころか、山中もだんまりであった。しかし、登山口から30分程の所でヘビが出たらしく、「山ノ神」が「キャー」、そして、「先に行ってくれ!」と口を開いたが、その後はまたダンマリ・・・ダンマリには私もダンマリ。ところがである。稜線に出て剱岳が見えるや否や、「シャッターを切ってくれ!」とか、「あそこが何処そこだ!」とかで、冷戦が停戦状態になってしまったのである。下りになって、また思い出したのか、それとも疲れ果ててしまったのか、大日平のベンチで寝そべってしまったのである。とにかく後に付いて来なくなってしまったのであるから本当に弱ってしまった。でも、ちょうどその頃から雨が降り出し、水入りになってしまったのであるが・・・・。 p.m.9:35
8/29 “ とりあえず出掛けてみようか? 降ったら降ったで予定を変更すればいい。” のはずであったが、私がプッツリ切れ、「遠出」はしないと宣言してしまい、出掛けるなら飲まないビールやお酒を飲んでしまった。台風の影響があるかないかと言っている時だけに、装備の事やコースの事などを点検、ならび確認を示唆したのであるが、他人事のように振舞う「山ノ神」に、少々カチンと来てしまった。終いには、別行動だから心配しなければならなくなるのだと言い切られては、益々頭に血が上ってしまった。きっと明日の富山は降らないであろうが、大日岳・大猫山・赤谷山などと言えば、また「エーッ」が返って来るに決まっている。明朝一声掛けて起きなかったなら、「山ノ神」を放って出掛けようかと思っている。そしたら家に帰れなくなるのでは・・・・・・・・。 p.m.10:30
8/28 台風16号の影響であろうか、松本周辺の予報に、「曇り」や「雨」が入って来た。富山などの日本海側は、「晴れ」や「曇り」などと、中途半端な予報で、判断を迷わせるのである。結論は明晩に出す事になるが、ゆっくりの台風はどのような動きをするのだろうか? 遠出の山行は、始めから雨では行きたくないし、登りがけの雨も困ったものである。いっその事、ざーっと降ってくれたら諦めもつくのであるが、さて、今から代案を考えておかなければいけないようである。 p.m.11:50
8/27 「profire」に、「私のHPに登場する(登場した)愉快な仲間達」と題して、勝手に思い付きや思い込みを載せているのであるが、修正を求められた事があっても、まだ苦情らしきものはない。“嫌な事を載せているなあ~。” と思っても、仕方がないと見逃して下さる温情だと思っている。本当は、メールを頂いている(頂いていた)方々が、まだまだ沢山いらっしゃるのであるが、載せていいものかなどと思っている内に、タイミングを逃したりして現在に至っているものも多い。そんな方々と、チョットでもお会いしたい心と、気恥ずかしくてやっぱりダメだという気持ちが何時も交差している。偶然山中でお会いして、一時の語らいがあれば一番ハッピーなのだが、ドラマのような事はそんなに多くは望めない。私は山行歴が長いだけで、特別な登山技術や知識を持ち合わせていない。しかし、誰でもそうであるように、私も山への憧憬は誰にも負けないと思っている。燃えている時こそ、そんな機会に多く恵まれる事を願うものである。
8/26 チョットの鼻風邪だったが、鼻汁が出てとても辛い一日であった。ティッシュ-が一箱なくなり、洗濯鋏で鼻をつまんでおきたくなるほどであったが、ヤケクソで熱燗を嗜んでから、不思議な事に苦痛から解放されハッピーだった。
そもそも、朝晩涼しくなったというのに、「山ノ神」が暑いと言って、戸を開けて寝るという習性が原因である。私は暑いのを我慢して朝の寒さのために備えているのだが、何時しか締め切った戸を解放されているのである。タオルケットを跳ね飛ばすほどの寝相の私は、薄手半袖のパジャマでは、たまらず明け方寒さに目を覚ましてしまったのであるが、今日一日、鼻の他に喉まで調子が悪かった。
キャンプ場では、寒い寒いと言って厚手のシュラフに、マットまでせしめられるのに、家中では、まるで反対なのである。今日はフトンと枕を持って、何処か別の部屋に避難しようかと思っている。次の山行予定日まで、「山ノ神」のお尻の状態が良くなるのが先か、私の鼻・喉の治りが速いか競争である。 p.m.10:50
8/25 オセロのように、ころっと予報が良い方に変わった。台風の影響はないのかな? 喜ばせておいて、直前になってから、またころっと変わるかもしれない。しかし、計画を立てるには、お天気マークの方が元気が出る。次週は5年ぶりに燕岳などと言ったら、「山ノ神」が乗って来た。3大急登の合戦尾根とは、名ばかりで左程でもない。ならば大天井岳まで足を延ばすかにしたが、コースタイムが燕山荘から往復5時間半である。出足は一緒にと思っていたが、これでは恐らく間に合わず、始めから別行動で、最後に燕山荘か合戦小屋で待ち合わせるしかない。でも、「山ノ神」は燕岳はお気に入り、しかも、たっぷりビールを飲む時間があると、今からご機嫌なのである。そうなると、またまた帰路は、下道を私一人がハンドルを持たなければいけなくなる。どうであれ好天が条件である。 p.m.3:30
8/24 昨日の「城ヶ平山」の下山時に、濡れた板の上で「山ノ神」が滑って転んだ。まともに臀部を強打したようであり、なかなか起き上がれなかった。「デンチュウでござるか!」などと、手を差し出したが、「この痛い時に何を戯けた事」をと、叱られた。誰もいない山中とは言え、「何処が痛いのか見てやろう!」かとも言えず、チョット触れても痛いから、おんぶも出来ず、自力で唇を噛みながら足を引き摺って車まで戻ってもらった。
家に帰ってから、打撲・挫傷の様子を見せようとした「山ノ神」に、「恐れ多くも・・・・」と控えさせてもらった。あの様子では、ダメージが強く、次週の山行に影響を及ぼすものと思われるが、何せ只者ならぬ「山ノ神」、なかなか自由の身にはされてもらえないのである。 p.m.10:00
8/23 内容はともかく、全休日「山」に出掛けていると、家事が少し留守になるし、前夜・夜半・未明・早朝発が続けば聊か疲れも出たようである。雨に託けて、ゆっくり発で近間の低山のはずであったが、帰路スーパーで買物をしたものの午後7時半過ぎに家に戻っては、結局何も出来なかった。
今回の「千石城山」行にはもう一つの目的があった。山に登った事がない人や最近登り始めた人から、簡単な山を尋ねられる事がある。その時真っ先に勧める「千石城山」をプリントしようとしても、カシミール地図に登山道はおろか、林道も記載されていないのである。市販されている「富山県の山」に載っているから、コピーという手段もあるわけだが、手作り地図が前々から欲しく、GPSを使っての軌跡を林道・登山道の案内図にしたかったのである。立山側からの大辻林道も長尾峠で切れているし、(最近発行の国土地理院の地形図はそうでなかろうが・・・・)自分なりに、補足していきたいと思っている。それにしても、初めて山に登る人に、いろいろアドバイスするのは難しいものである。
8/22 明日の予報も悪く山行意欲が湧かない。恐らく近間の低山行きになるであろう。そんな中、純子女史から、立山三山を縦走して来たというメールを頂いた。今日は、必ずしもお天気でもなかったはずだが、“ 山に行きたい!” という気持ちがそうさせたのであろう。私だったら、有料の乗り物に乗ってまでは行かないかもしれない。 p.m.11:55
8/21 山行の楽しみの一つに食事がある。何を食べようかとまるで童心に返れる時でもある。しかし、これが数多くなると、逆に何にしようかと悩んでしまい、結局のところ、相も変らぬパターン通りになってしまう。定番のおにぎりは必需品であるが、これだけ回数が多くなると、コンビニでお世話になるのも負担になるし、どうしても「山ノ神」にお願いする事になる。しかし、車中や出発前までに食べないと私(達)の場合は殆ど残ってしまう。宴会付きのパーティーの場合は尚更で、単独行の時は食べる時間もなく、また欲しくもなくなってしまい、非常食化してしまうのが落ちである。
私の多く用いているのはパン(菓子パン)で、行動食のようなものである。しかし、これも次第に甘いものを避けるような傾向にある。これが宿泊するとなると、麺類ばかりもイヤになってしまう。最近はいろいろな手法の飯類が出回っているが、なかなか思うように食べられない。翌日の朝食のメニューに、あっさりお茶漬けを食する事がある。水を使わないで、直接ラップに御飯を乗せて包んだ物を、準備しておけば少しは長持ちする。食べにくい朝食も、こうすれば結構胃袋に流し込めるものである。腹持ちは悪いかもしれないが御飯は少量の方がいい。
8/20 気恥ずかしいが今日は私の誕生日。もう、そんな日が来なくてもいいなどと思っていても、365日が過ぎると、またやって来る。週一の山行だと、53回登れば一年になる。ならばと、年70~80回試みているが、尚更一年が速いようにように思えるから不思議である。「益々速くなって行く1年。」それは、年齢や経験からそう感じるのであろう。20歳の一年は1/20、50歳の一年は1/50であるから明らかである。また一度通った道は、次の時に歩けば早く感じるものである。
東京の娘からのプレゼントは、山用具ではなく、「ボケないためのドリル」であった。ボケて欲しくない子供の思いであろうが、周りから見れば、最早その域に達しているのだろうかと、チョッピリ寂しくもなる。チョットと歳の差はあるが、同年代の仲間と交流が多いだけに、まだまだなどと、強がっているが、危ない事をしていると思われているのかもしれない。 p.m.4:20
8/19 「だるい」「ダヤイ」を連発するもので、「花じい」からビタミン不足ではないかと、心配してくれるメールが届いた。暑いときはビタミンの消費が多くなり、その上、水分を多めに取るのでビタミン排出量も多くなるという。Bの系統が多く消費されるから、B1、2、6,12などを多く含むものが良く、ビタミン剤による補給を検討してみてはどうかというものであった。
私の場合は、年齢の割に山行回数が多く、単なる遊び疲れの感が歪めないが、「花じい」の雑学は大したもので、彼が窮地に追い込まれた一昨年の春に、寒さを和らぐため、頭痛薬を飲んだというから凄い。それは発熱の予想を加味したものであったそうである。どちらにしても、私の事を心配していてくれている気持ちが嬉しい。その「花じい」とは、昨年9月下旬の朝日岳、11月末の「雨飾山」以来、山行機会がない。しかし、「元さん、思いは通じるものです。今年必ずご一緒しましょう。」というメールも大事に温めている。
8/18 「雪倉岳」も蓮華温泉からの「白馬岳」も初めてだった「山ノ神」に、3日間通じて何が一番印象的だったと聞いてみたら、“ 2日間のキャンプ ” と意外な答えが返って来た。まあ~、しばらくは「ダヤイ」だけで、長く歩かされたとか雨の中の怖さの方が、脳裏に焼き付いている事であろう。
このところの暑さなのか、それとも疲労が蓄積しているのか、身体がだるくて仕方がない。それでも次ぎ行く山の事で、頭の中がいっぱいなのである。尺度は各人違い一概に言えないのであるが、自分の限界いっぱい歩きたい方である。しかし、その心とは裏腹に、楽な方へも心が傾くのである。さて、来週は何処にしようか?
8/17 どんよりとした空模様の中、テントを撤収し、白馬岳に向かった。「上」では、考えられないような三昧をしただけ荷物は多く、駐車場まで運ぶのに苦労をしてしまった。出発は大幅に遅れたものの、雨の雰囲気からして、この撤収は正解であった。 ポツリの雨は「天狗の庭」までもったが、後はずーっと雨であった。
昨日の疲れもあったのだろうが、次第に風雨が強くなる白馬大池から小蓮華までの稜線では、“ そのピークはまだか?” と「山ノ神」の顔が泣きそうな感じになっていった。
雨の中、多くの登山者が頂を踏まずして、降りて来るのに、“ せめて大池まで。” “ 小蓮華まで。” などとその行く手を延ばしたが、私の気持ちを知ってか、“ あんただけ、先に行ったら!” と言った「山ノ神」の言葉通りにしなくて良かったくらいの雨・風になり、別行動の戒めを、今更ながらに強く感じた山行であった。今日の撤退も「山ノ神」には、勉強になったはず・・・・。
8/16 雪倉岳と白馬岳を蓮華温泉から日帰りするという計画にしたが、「上の何処か」に泊まればいいものをと不思議がるかもしれないが、二日連続長い行程を歩くのが今回の目的であった。
とかくピストンは敬遠されがちだが、同じ所を2度通るわけであるから道を覚え易いところもある。お花の多い鉱山道に、ご満悦の「山ノ神」ではあったが、雪倉岳山頂直下(4~5分の所)で、休む間がないと、どっしり腰を降ろしてしまった。
もっとも何もない雪倉山頂よりも、「剱岳」や「針ノ木岳」を眺めながら、ちょっとでも休みたかったのかもしれない。(後で知った話だが、またしても、ぬるいビールを飲んでいたらしい!)
雪倉岳は、「北岳」「鳳凰山」「笠ヶ岳」に匹敵するくらいの山行だと言うと、「山ノ神」も痛い足を引き摺りながら、まんざらでなかったようであった。
8/15 お天気が回復するというが、本当かどうかわからない。とりあえず、車に乗って何処かに行ってみようと思っている。まだ何も準備していない。お昼からになると思う。そして、次の更新は何時になるかわからない。 a.m.10:00
テントと食料、そして、万が一の事を考えてポリタンに充分は水を入れ、高岡を経ったのが午後1時半頃。蓮華温泉の駐車場は意外も空いていた。また、心配していたキャンプ場も、飲料水に流水、またトイレなど申し分なかった。そして、料金も一人300円と格安であったが、夜遅くまで騒いでいるキャンパーがいて眠れなかった事だけが難であった。
8/14 何もかもが思うようにならない。思うようになる方が可笑しいのに・・・・わかっているのに・・・まあ~、焦らないでオリンピックでも見ながら・・・三ヶ月前のようにならないから、ご安心の程。 p.m.11:25
8/13 無情にも15日に続いて14日も傘マーク(雨)が出た。このところの疲労も重なっていっぺんに意気消沈。行き先も決まっていない。でも、楽な所には行きたくないのだが・・・・・。
8/12 「よっちん君」がやって来た。14日の上高地ツアーがキャンセルになったから、何処か適当な「山」がないかというものであった。「ダヤイ」のがダメだと言いながら、高妻山と戸隠山の名をあげて、コースタイムとその内容を尋ねられたが、私の説明にあっさり諦め、他にないかと言う。北信五岳の残り飯綱山・斑尾山・黒姫山、そして、白山などを勧めたが、愛妻の由美子夫人と相談してからになると言う。彼は、口でこそ簡単な山などと言いながら、登りかけてしまえば頑張りもあるのであろうが、私と決定的に違うのは、マイナーな山を嫌い、メジャーな山行に終始している点であろう。彼は独特の話術を持ち、また持て成しも上手く、一言交わせばたちまち彼の虜になってしまうほどの人物。人の集まらない所ではその良さを発揮出来ないから、彼なりに目的地を選ぶにも苦慮している事になる。
今でこそ山行回数が少ない彼だが、若かりし頃に、何度も名山に誘われたが、それこそ時間的にも
経済的にも余裕のなかった私は、彼の要望に答えられず、寂しい思いをしたものであった。山への憧憬は今の私以上であったかもしれない。その彼も今は「ダヤイ」と言う言葉でごまかしているのであろうが、本当は仕事上や各種立場上、私のような「極楽トンボ」な訳にはいかないのであろう。私のHPは意地でも読まないほど徹底しているが、「イチャモン」を付けられる事を望みながら、また時々登場させようと思う。チョットやそっとで、絆が切れない仲であるから・・・・・。
8/11 盆休が近付いて来た。こんな事を言ったら、罰が当たるかもしれないが、私としてはあまり良い形(8/15~8/17)の休日ではなく、未だにその計画が立たない。
ではと、PCに残っている過去7年間のデータ-を調べてみると、意外にも昨年を除き大型の山行をしていない事がわかった。
今は亡き母や子供達の事もあり遠出が出来なかったのかもしれない。その合間を縫って、近間の山へ行く事の方が多かったのかもしれない。
元気があった頃は、時間がなく、時間が出来そうな頃は、次第に元気がなくなっていくようである。そして、良い時等ほんの僅かで、苦しい辛い時の方が多いのかもしれない。でも、過ぎ去った事の辛さは次第に薄らぎ、何故か一つ一つが懐かしく自分の大事な歴史となっていく。
山に限って語るとすれば、以前と違い最近出来た「山の友」と同行の機会を得る事が出来、大いに楽しんでいる。しかし、“ 青春とは想い出作り!” などと、上手い事を言った人があるように、若い頃からの友とは、近年著しくその機会をもつ事が出来ない。過去なくて未来はないように、共通の想い出なくては、多くを語り合う事が出来ないような気がして寂しくなる。
でも、人それぞれである。お互い良さを認めあえば、長~く付き合える事が出来るから、そう向きになる事もあるまい。
昨年は、最後の一日を雨で流されてしまったが、今年はどのような予定を立てようか?その休日(盆休)のまでの方が楽しいのかもしれない。 p.m.5:10
8/10 昨日は「猫又山」から帰って体重計に乗ると4~5キロも減っていた。何時もは鈍らでリックを降ろすのもイヤだったのに、1.5Lのお茶を全部飲み干してしまった。それほど蒸し暑く、衣服はジュクジュクだった。しかし、風吹く所ではすぐ乾いてしまうのだが、綿のパンツだけは参った。そして、樹林帯に入るとまた元通りであった。
菓子パン2個以外は喉を通らず、“ 腹減った!” “ 何か食べたい!” を呪文のように繰り返し登山口に戻った。上市の市街地のコンビニで買ったものはアイスクリーム。家に戻って飲んだ水量は1L。時間を掛けて350Lの発泡酒を4本。後は何もいらなかった。
何時もなら翌朝には同じウエイトに戻るリバウンドが怖かったのだが、今回は1キロしか回復していなかった。
最近「山ノ神」同行の機会が増え、ゆっくりペースは良いとしても、口に物を入れる機会が増えているからか、山行後のウエイトに変化が少なかった。久し振りに身体もビックリしているのであろう。こういう機会が4~5回も続けば、尚更やつれたと皆に言われるかもしれない。 p.m.2:20
8/9 午前3時に携帯アラームが鳴った。歳を重ねると実際にはその前に起きているのだが、「行くのか行かないのか?」「行けそうな所でないのだろ?」の会話で決まった。
雨にやられたら大変だし、午前中が勝負だと思っていたから、「わかった!わかった!私一人で行くよ。」
ところが、雨具・ツエルトなどなどを準備していると、「山ノ神」も準備をし出したではないか。
では「中山・馬場島」とわかれよう。「イヤイヤ付いて来る。」と言う。
昨日までは止めておくなどと言っていたのに・・・・何時も直前なのである。
それだけなら未だ良いのであるが、食料を仕込み始めたのである。
自宅発4時、登山口5時半発でないと目的を達成出来ないのに・・・その後の会話は省略・・・・・
結局、イヤな顔を横目に、私一人で行く事になったがしばらく振りである。
しかし、最初から足元がフラフラつまづいてばかりいた。大ブナクラ谷では滑って横転し水の中に浸かり、ポシェットのデジカメや、カシミールの地図も濡らしてしまった。猫又山山頂直下の雪田付近の高山植物を撮ろうと寝そべった時、足が攣ったり散々であった。
過去の猫又谷からの登頂時は、素晴らしい剱岳を眺めただけに、ブナクラ谷からの剱岳がどのように変わって行くのかが、今回の狙いであったが、このところの雨に打たれ続けている私には、今日もその光景を見せてはくれなかった。
ほんのチョッピリ、ガスの切れ間に見れた剱岳と、最後まで雨に遭わなかったのが、せめてもの救いであったが、今日の山行は、まるで蒸し風呂に入ったように衣服はベタベタ・・・
「上総の哲ちゃん=超人」には適わないが、4時間で山頂に立てたのだから、まずまずであったのではないだろうか・・・
未だ「山ノ神」は外出中である。顔を見るのが怖い! p.m.7:10
8/8 暑さと飲み過ぎで、チョット身体が参っている。明日は「猫又山」へと思っていたのだが、まだ雷が収まらないようなので思案中である。
空を見上げると大丈夫のような気もするが、ブナクラ谷を行くわけだからあまり気持ちが良くない。夜半まで迷いそうである。 p.m.8:40
8/7 栂池のゴンドラがまた落雷でしばらくの間、運転停止になったようである。それにしても、今夏は雷が多いし、局地的な豪雨に見舞われているようであるから、川や沢を渡る或いは遡行の計画は辛い。
昨夏、大日岳の下山時に豪雨に見舞われ、日頃は何ともないと思っていた小沢が氾濫し、30人程の登山者と共に小沢を渡れず、うろたえてしまった事があった。
勇気ある方が渡してくれたロープに繋がって渡る事が出来たのであるが、流されそうになって半べそをかいていた子供さんもいた。結果的には30~40分程待機すれば、水も引き簡単に渡れたのであるが、その雨が何時止むかわからないし難しい判断であった。
北陸は“ブリおこし”の雷を連想しそうであるが、実際、雷は夏の「季語」ではある。しかし、
もう雷はいらない。
8/6 日の長いこの時期は、とかく日帰り山行が話題になる。日帰りでも自宅発の日帰りと前夜に現地に入っての日帰りがあるが、その気になれば、北アのまん中の山以外は殆どがその対象になる。
剣岳も槍ヶ岳・穂高岳もであるが、鷲羽岳や水晶岳まで行けると言うとんでもない人もいる。仲間内で競ったり、こっそり自分の胸の内にしているのは良いが、やたらと自慢するのは如何なものであろうか?
早駈けは多くの山行機会を作ってくれたり、経費が少なくてよいなどの利点があるものの、「もったいない!」の言葉で表されるように、山の良さをじゅっくり堪能する事が出来ない欠点もある。
先般の我々が決行した笠ヶ岳日帰りは、実力(体力)以上の行動で、大げさな16時間余であった。
健脚者なら余裕をもっての日帰りが可能であろうが、我々は修行・訓練の域を越え限界に挑戦したようなものであった。しかし、やはり日没後の行動は慎まなければならず反省している。
山行回数が多い割には、岩場や急斜面また大きな段差などが苦手な「山ノ神」に、自信を植え付けたかったのも一つの目的であったが、疲労だけが残ったようであった。しかし、“よくぞ!あれだけ歩けた。” と山だけでなく、やれば出来る自信を持ち続けて欲しいと思っている。 p.m.6:25
8/5 昨夜は、4日ぶりに6時間ぐらいの睡眠を取る事が出来た。でも眠くてしょうがなく座ると5分も経たないうちに、コックリと舟を漕いでしまう。こんな状態では、HPの更新もままならず、誠に申し訳ない気持ちである。そして、この先まだ諸会合が続く・・・・・。でも、その中にはRespirar坂本夫妻の招待など多くの楽しみもある。
次回の行き先はまだ決まっていない。この頃は天候のせいもあるが、直前までなかなか決まらない。天候ばかりでなく優柔不断だからかもしれない。
その点からも「山行計画(予定)」は、私なりに意義あるものであったが、何時しか赤裸々に綴る当欄の他に、その先々まで公表するのも如何なものかと思うようになってしまった。
また、そのお陰で思いもよらぬ出会いもあったが、こちらも生身故直前の変更・中止などもあり、ご迷惑を掛けた事もあったようである。
「今日は何処へ行っておいでるのやら?」などと、ファン(生意気でゴメンサイ!)の違った見解を得、何処かで生かせないものかと思っている。 p.m.5:35
8/4 笠ヶ岳からの下山時(3時10分頃)、自分達の進む前方にヘリコプターが旋回し始めた。何事かと思い急いで近付いたが、ヘリコプターは見えなくなる程に何処かへ行ってしまった。
そこにいたのは、大阪のYさんという中高年女性で、顔が青褪め「高山病で歩けなってしまった。」と言う。同行していた女性二人は、救助依頼に先を急いだのか、それともヘリコプターに任せるつもりだったのか先に行ってしまったという。
たまたま笠ヶ岳山荘を目指す若い二人の女性と合流して、どうしたものかと思案している会話の中に、その二人の女性達は笠ヶ岳山荘からの救助に向かっている方と会ったという。そういえば黒い上下のトレニングウエア姿の男性が、大きな荷を担ぎながら、物凄い速さで駆け降りて行ったのを私達も確認していた。
後でわかった事だが(その主と会って話をした。)その男性と救助を待つ人(Yさん)と顔を見合わせているのだが、お互いにその方達と認識出来なかったと言う。
その女性はハイマツの所に荷を寄せ、ニッコリ笑っただけと言うし、捜索者は当然付き添いの仲間が一緒しているものと思い込んでいた。
若い女性達が改めて山荘に携帯電話をして確認している所に再びヘリがやって来て、大阪のYさんが救助されていったが、彼女の顔色こそ悪かったが、本当にヘリ要請が必要であったのかと思わずにはいられなかった。
もちろんあの様子では、新穂高や双六へは行く事が出来なかったであろうが、歩けなくなったから、ヘリを要請したように思えて仕方がなかったが、あのままでは遭難するから、やはり救助要請は正しかったのだろうか?また二人の仲間は何処へ消えたのだろうか?
私達は、何もせず只傍観していただけで、新穂高までの帰りを遅くしてしまったが、判断は結構難しいものだと改めて思ってしまった。 p.m.7:00
8/3 笠ヶ岳から下りて、とにかくビールが飲みたかった。しかし、新穂・栃尾・新平湯、何処を探しても自販機さえ見当たらなかった。
結局眠い目を擦りながら神岡まで
買いに行ったが、もう1時間余走れば高岡まで帰れるのに、安房峠を越え、焼岳・中ノ湯登山口まで行って、泊まったのが午前0時近くになってしまった。
あれだけ飲みたかったビールも、時間が経ってしまうと余飲みたくなくなってしまうものである。
笠ヶ岳山頂での自分のビールしか用意していなかった「山ノ神」に、泊まるかもしれなかったのに、“ お酒でも何でもいいから用意して欲しかった。” と零したが後の祭であった。
何時の間にか、チョット雨かもしれない予報になったらしかったが、テントから出ると奥穂と前穂が見えいい雰囲気である。
とにかく足の裏が痛かった。「山ノ神」を揺り動かすが、目も覚まさないくらいダウン状態だった。仕方がなくコーヒーを沸かし、「焼岳」行きの準備をしながら起きて来るのを待った。
紅葉時の焼岳は良いと聞いていたが、私は、子供達が幼かった頃、中尾温泉から登った事があったが、その頃は危険で本当のピークには登れなかったように記憶している。
昨日登った笠ヶ岳を焼岳から眺めて見たかったのだが、足の痛い「山ノ神」は、ブツブツ言いながら一向にピッチがあがらなかった。
しかし、釜トンネルからの合流点を過ぎた頃から、展望が良くなるにつけ「ワッ-」「ワッ-」を歓声を上げ始め、山頂に辿り着いてからは、「来て良かった。」と、なかなか
山頂から腰をあげなかった。
結局、2時間余滞在後、良い雰囲気のまま来た道を下ったが、また「余計な一言」が、この後を気まずくしてしまった。
倒木を潜る時、前を見ていなかった「山ノ神」が頭をぶつけたのである。何時もの事ながら、足元ばかり見ていて、前方を見る事が疎かになるのであるが、“ 前を良く見ていないからだ!” と言うと、“ そんな言葉より、大丈夫かなどの優しい言葉を掛けれくれれば良いのに!” と怒って先に行ってしまった。
足が速くなる事は良い事で、それはそれで良いのだが、その先で半袖姿の「山ノ神」は、またまた凄い虫刺されに閉口したようであったが、“ 転んだ時や日焼け、虫対策からも長袖を着よ!” と、私に言われ続けられている関係上、尚更私とまともに顔を合わすのが嫌なようであった。
しかし、“ この度の歩きに良く付いて来たから、「勲章」がもう一つ付いた!” と「山ノ神」に誉めてやれば、ニコニコ顔に戻ったように感じられたが、さてさて・・・・・・。
8/2 結果的には寝ずの笠ヶ岳日帰りになり、長い長~い一日となった。“ コースタイム中に、休憩時間が入れば何とかなる。” と言い続け、「杓子平」手前までは何とか順調に経過していた。
しかし、“ ゆっくりでいいから歩き続けろ!” と言った頃から「山ノ神」が険悪に成り、何時ものだんまりになってしまった。
何度も「リタイヤ」が脳裏を掠めたらしいが、稜線漫歩になってからは、次第に“来て良かった。” “もう少しだ。” に変わっていったらしい。
しかし、登頂時間が遅くなったとは言え、あれだけ好天だったのに、笠ヶ岳山頂では雲中の人になってしまったのである。
食事はもとより、あれだけ好きなビールも、山頂で、また笠ヶ岳山荘前でも喉を通らず、しきりに山頂泊を強請った「山ノ神」であったが、約束を「盾」に私は引き下がらなかった。
山頂や笠ヶ岳山荘前での登山客達は、日帰りよりも今から新穂高に帰る事の方に呆れていた。時間は午後2時10分であった。
途中の稜線上で、「高山病」の大阪の女性が、岐阜県警のヘリで搬送される事に遭遇するし、そこでも30分を費やしてしまった。暗い夜道を歩き通し、新穂高の「足湯」に浸かッたのが午後9時前、無料駐車場からの行き帰りに掛かった時間は16時間を遥かに超えていた。
8/1 「笠ヶ岳」日帰りに挑戦する事になった。鳳凰山のように行かないと思うが二人で頑張ってみます。
私の笠ヶ岳行きは、独身時代に「よっちん君」と重荷を背負って出掛けた時以来である。その時は台風・落雷に見舞われ、もちろん展望などは皆無であった。
今回は「山ノ神」と果たして何処まで行けるか? 午後1時くらいがタイムリミットだと思っている。
もし、明晩HPが更新されていなかったら、何処かで沈没! またはその余勢をかって、翌日他の山に登っているかもしれない。 p.m.8:00