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10/31 「異常」を「以上」と転換してしまったらしい。1時間後読み直して気付いたから良かったものの、また恥ずかしい思いをするところであった。毎度の事だから、そうくよくよする事もないのであるが、体力共々脳の退化が寂しい。我人生に、もう「上り坂」などないだろうが、「下り坂」は、もう少しゆっくりであって欲しいと願うものである。しかし、山歩きだけ「登り坂」があるのである。それは苦しく山登りを「人生の縮図」などと言われる由縁であるが、最近は、「下り坂」でも結構辛いのである。まだ重荷を背負ってでも「登り坂」の方が楽とは、人生に当てはめれば、どのような状態なのであろうか? 「目標」があるという事であろうか? 今年は「まさか(坂)」があった。もう二度と味わいたくない「坂」である。
明日も天気を気にしないで、私はやっぱり登り(歩き)続けたい。自分の足を確かめたいし、信じるためにも歩きたい。台風や地震に見舞われている方々に、何の支援も出来ない恥ずかしい自分であっても・・・・・。 p.m.4:40
10/30 左足に違和感がある。どうしたのだろう!心当たりがない! 両足の脛は傷だらけだが関係がない。階段の上がり下がりは特別異常がないのであるが、何かの拍子に膝の裏、時には表に少し痛みを覚える。先日の大猫山でルートを外れて登り返す時に、膝を打った事が原因なのだろうか?それとも脇に樹木を抱えながら滑った時の衝撃なのだろうか? ずーっと過去にも、膝が可笑しい時があったが、何にもしないで数日で治った事があったのだが・・・・・。足は命! 本当にどうなのか登って見なければわからない。登山シャツやズボンが綻びて来たように、足の何処かが、擦りへってきているのかもしれない。ならば未だいいのだが・・・・・。
10/29 お天気がしばらく続いたと思ったら、また雨になりそうである。さて、“ 今度は何処へ?” などと思っても、だんだんと選択肢が限られて来る。雨もそのうち冷たくなるであろうし・・・・・。晩秋の今、台風や地震の後遺症で、思わぬアクシデントも頭に入れておかねばならないし・・・・・。何を贅沢な!同じ山、近くの山、何処にでも山はあるではないか? 低山ほど、クマさんにお会い出来る確率が高いと言うけれど。 p.m.11:50
10/28 国土地理院が剱岳の標高を発表し2、999mとなった。今夏、山頂に三角点が設置されてから、富山県民や山を愛する者が、国土地理院のGPSを駆使しての結果を注目していた。“ 3,000mに達せず残念!” の声があれば、“ 3,000m丁度では何となく味気ない。” “何mになろうが剱岳には変わりはない。” などと様々な思いがあったようである。
3、003mから2,998mになった昭和40年代前半、「一万尺」を切った時の私は、とてもショックだった。しかし今は “ もう標高などは、どうでもいい。” と30年以上の親しんで来た高さに慣れてしまっているようである。
こんな文献を見つけた。2,998mになる前の話になるが、その当時は1/50000地形図があったが、まだ1/25000地形図がなかったようである。航空写真や現地調査をもとに、等高線を描く他にポイントとなる所の標高を測定する事になるが、その結果が2,997mだったそうである。(1/50000地形図では3,003m) 周囲から抜きん出ている山頂には、三角点が設置され、緯度経度ともかなり昔から正確なものだったらしい。しかし、剱岳のような三角点も標識もないものでも、必ずしも正確でないかもしれないが測定は出来る。その値を標高点、その数値を標高点数値と呼ぶらしい。2,997mと3003mの誤差は6mでたいした事がなくても、3,000m級の山でなくなって事になった。当時、「剱岳3,003mから2,998mに転落!」 とマスコミの話題になったのであるが、どうして、2,997mが2,998mになったかである。
測定結果は2997mだったが、新刊地形図の数字は2998m。新米測量士に代わってベテラン技師が測定し直したという訳ではなく、また、過去の剱岳の標高測定結果はずっと3003mではなく、柴崎測量官時代は2998mという測定結果もあり、標高点の数値に数mの誤差があるのは当然、測定結果からみれば3003mより2998mのほうが正しいようだから2998mという値に戻したというものだった。(ノノムラ クニオ氏の記事を参照) p.m.8:25
10/27 寒くなって来ると熱燗がいい。酒飲みというのは意地汚く、もうチョットが欲しい。それはどれだけ飲んでも、もうチョットである。私もご多分に漏れずその口である。しかし、そんじょそこらの酔っ払いと違うのは、飲んだ後、テレビを見るだけになったり、すぐ寝るのはイヤなのである。飲んでも酔っ払いたくないのである。(実際には酔っ払っているのであろうが・・・・。)即ち読書をしたり、PCを触ったりしたいのである。しかし、これも否応無に迫る体力の衰えなのか、その酔いとの格闘に負けるようになってきてしまっている。このところも、PCの前で転寝(うたたね) の日々が続いている。二合のお酒はやっぱり多いのかもしれない。でも、自分では気付かないが、本当は山歩きの疲れがあるのかもしれない。
10/26 何だか一日中寒かった。高所では雪に違いない。「昨日は楽しかった。」と中山君にメールを打つがなかなか返事が来なかった。お昼頃ようやく「完全に二日酔い!」のメールが来た。山歩きに置き換えると “ 遭難 ” である。二人ともでなくてよかった。
明日はかなり冷え込み、雪も低い所まで降りて来るようである。新潟県中越地方の方々には本当に辛いものになるかもしれない。
昨年11/16の僧ヶ岳、12/1の金剛堂山には全く雪がなかった。しかし、僧ヶ岳では雨で翌日(11/17)の人形山では、1100m以上では雪になった。また、12/15の金剛堂山では1mを超える積雪であった。
因みに、一昨年11/4の高落場山には120cmの積雪があり、山のお天気など、一日で大いに変わるようである。
10/25 予報が好転したので、またもや大猫山に出向いた。eiko女史の個展を見に行かなければとのタイムリミットがあるため、「山ノ神」には辛いものであったらしく1500Pでリタイヤ! そこへ昨秋お会いした福井の遊山行様御一行と遭遇しお互いビックリするやら嬉しいやら・・・・・。時間を切って解放された私は、御一行の中の女傑M女史と、先々週に探し出せなかった三角点を模索! ヤブの苦手な私と違いM女史は、さっさとヤブの中に消え難なく三角点を探し当ててしまうほどのあっけなさであった。山頂ではあまりにの歓待で、“ 帰らなくては!” と言いつつ、お腹が一杯になるまで甘えてしまった。今日も期待したほどの剱岳を仰ぐ事は出来なかったが、暖かいものを胸に秘めながらの下山路は、何故か早朝時の樹木の色付きよりも鮮やかに感じられたのは気のせいだろうか?
休日毎に山に出掛ける我々は、一風呂浴びる事無く帰宅するのであるが、今日はeiko女史のパステル画の個展を見に行くため湯神子温泉で汗を流し、普段着に着替えて出向いた。展示されていた絵は、全てが「山の絵」であり、絵(美術)の事など分からぬ私にも興味深く拝見する事が出来た。“ 写真よりステキだね!” の評価は、彼女自身が登って感じたものを描き続けているからであろう。一緒に登った時のものも題材にされているから尚更好感をもてたのかもしれない。
午後7時から、久し振りに中山君(はるちゃん)と我家で一杯やる約束をしていた。私の山の理解者である彼は、要の所は必ずと言っていいほど同行してくれたものであったが、最近は忙しさの他に膝痛のためめっきり同行が少なくなってしまった。飲んで酔うほどに、山という「共通の想い出」が次から次へと懐かしく思い出され、「山ノ神」も加わったというものの3時間で清酒1升5合があっという間に飲み干されてしまった。楽しい酒は良いものである。早く膝痛を治して山に戻って来て欲しいと願い、若き日と同じに越中中川駅で終列車に乗る中山君を見送った。
10/24 初メールを頂きながら、誤って削除してしまい返事が出せないまま、どうしたものかと「何でもコーナー」に、その旨を記載したら、神奈川の山口さんからメールが届いた。メールを出しながら、返事も来ないHPを覗かれる事などないと思っていただけに、何故か不思議な縁を感じている。
奥秩父の乾徳山・両神山に出掛ける前夜に確認したメールだったが、帰ってから改めてお返事と思っていた。しかし、疲れと眠さもあったに違いないが、HP公開の宿命なのであろうが、ダミーメールがあまりにも多く届いていたために、恐らく間違って一緒に削除してしまったようなのである。遅れても必ず返事をモットーにしているだけに、4~5日心に引っかかっていたものが払拭され、とても嬉しく感じている。百名山の「金峰山」が、そのきっかけらしいが、多くのHPの中で、何でと思わずにはいられない。そして、その文中にある「山ノ神」の膝痛の記述に、アドバイスを寄せてくださった優しい気持ちに感謝をしなければいけない。 p.m.11:55
10/23 我家では、一言多かったり逆に一言足りなかったりして、不穏な空気が流れる事がしばしばである。その険悪な状態から脱するに、誤らなくてもいいの誤ったり、ご機嫌を取ったりしなければ収まらない時が多い。「昔は何でも言う事を聞いてくれたのに!」 何時の間にか可笑しくなっている。あっちからプロポーズされたはずなのに、何時の間にか、私がプロポーズしたようになってきているし、「イヤだったら出て行け!」が、「あんたが出て行かれ!」になって来ている。
最近は来なくてもいいはずの山にまで付いて来る。聖域を侵され、行動範囲まで狭められて行く。帰ってイヤな顔をされるより、引っ張り上げても山へ連れて行った方が楽か・・・・・・・。こんな事を見られたら、また叱られそうであるが、最近は違った思いがある。ケガや病気をしたらどうなるのであろう。山どころか、何処か片隅に追いやられてしまうのではないかと不安でたまらない。
ある書類の続柄に「妻」と書かなければならないのに「毒」書いてしまった友人の息子、堀シェフが奥様の名「安里」を「安狸」と書いてしまったと聞いた事があるが、どうもその後がいけないようである。私がそのような事に陥ったならば・・・・想像もしたくない。 a.m.9:45
10/22 H.Fujii氏に薬師岳・白山・天蓋山の写真を見せてもらった。以前にも槍穂高・常念などのきれいに撮れた画像を楽しませてもらっていた。同氏は、笠間さんや「花じい」の知人で、私の新しい「山の友」になって頂けそうである。「年末に大辻山でもどうですか?」の問い掛けに、同氏の雪の山への憧憬を強く感じられたのだが、私勝手の思い過ごしだったのだろうか! 日曜日には、大猫山に行ってみようかと言っておられたが、晴れれば落葉後の大猫山は、剱岳をずーっと眺めての登高となりそれは素晴らしい。
私達の新しい山の友 F女史(最近はeiko女史と私が勝手にネームを変更している。)のパステル画の個展が始まった。F女史は最近ご無沙汰している「ターさん」夫妻の知人で、彼女の事を画伯と呼んでいたように覚えている。私は美術の世界は全くと言っていいくらい無知であるが、きっと良いものは良いだろうし、是非拝見しに行きたいと思っている。どんな雰囲気なのかもわからないのだが、きっと山の絵が数多くあるのではないかと期待している。でも山帰りに寄っては失礼なのだろうか?
10/21 我家は街の中の一軒家である。周りが全て駐車場で、高い構築物もあって風当たりが強い。先月上旬京都旅行の時も台風(18号)に見舞われ、家に戻ればシャッターの支柱が二本外れブラブラ状態で危機一髪であった。
今一つ心配だったのが40年前からの錆びた外装トタンが、いつ外れるかだった。凄い風音と共に外回りに異変を感じた時は、何と古いトタンでなく、10年前にリホームして安心していたトタンが次から次へと剥がされて行くではないか。壊れていく家に “ 何で!” と思いながら、吹き飛ばされて他の方々の車を傷付けてはと必死に押さえたが、相手は凶器化していた。
吹き飛ばされたトタンを拾いに行けば風圧に押し戻されるし、トタンに釘打とうとしても、すぐ剥がされてしまい、そのうちシャバ中の物が飛んで来る。仕方なしに家中に入るが、バタバタ聞こえる音に空しくもあり恐ろしかった。只早く時間が経つ事だけを祈り、とうとう寝ずに世が明けてしまった。強風の中、外に出たり、屋根にあがったりした事は、山で言う「掟」を破った事になるのかもしれない。しかし、山でも、下界でも行かなきゃならん時、しなきゃあかん時があるんだよね! p.m.4:00
10/20 台風・・・・我家はHPの更新どころではなかった。
10/19 キャンプ指定地でない(禁止とはなっていなかったが・・・)駐車場の片隅で、そーっと、一夜を過ごすつもりであった両神山・日向大谷の登山口に、けたたましくパトカーがやって来た。その後も続々とやって来る。“ 事件か事故だよな!”“ 上には二軒の民宿しかないはずなのに?” やがて消防車がやって来た時には遭難だと察した。真っ暗の中、灯りを消して、只じーっとしているだけで、上でどのような事になっているのか想像の世界であった。夜半に諸車が引き上げて行く音が聞こえたから、解決したくらいに思って目を閉じたが、その気配でクマが近付いて来なかったのではないか!などと良い方に考えた。
早朝登山口に立っても、何事もなかったようにひっそりとしている。駐車場には豊橋ナンバーの車が一台やってきただけであった。
清滝小屋より上部で、小屋に宿泊したと思われる擦れ違う登山者に、昨夜何かあったかと尋ねても知らないと答える人ばかりであった。下山時にその清滝小屋で、もう一度腰を降ろして、登る時に電話の応答に大声を上げて取付く島もなかった小屋のオヤジさんと声を交わして昨夜の件がわかった。83歳の単独行の男性が登山道から滑落したらしい。その事で警察か役場から、お小言を言われたらしく、それが電話の大声らしかった。夕食の準備をしていた時に、滑落した人も、通報した人も小屋横を通過して行ったらしいが、小屋に一声掛けて行くなら、注意も指導も出来るが、そんな事で文句を言われても、どうしようもないと我々に愚痴をこぼされた。終いには一人一人カメラで撮るとか、リストでチェックしなければならなってしまう。などと!
どんなに厳つい顔をした山小屋の主であろうが、言葉を掛ければ意外と優しい声を掛けてくれる。泊まらなくても、何も買わなくても、関係ないことである。山にいればいるほど人が恋しくなる。それは僅かな時間であってもかもしれない。富山から来たと言うと、驚いて “ 気を付けて!” と優しい言葉を掛けてくれた。
10/18 秩父往環道(雁坂みち)は所々に道の駅が存在しており、快適に走行する事が出来たが、大滝村から県道37号で両神村に入る時、一瞬これで良いのかと思った。両神山登山口・日向大谷(ひなたおおや)に着いたのがもう薄暗くなっていた。車も誰もいない駐車場であったが、幕営禁止と書いてあったので、もう少し下がった別の駐車場で、遠慮しながらそーっとテントを張った。小さなロウソクを立て暗闇の中の宴会?をして、テントに潜り込んだが、何となく「クマ」が頭から離れずなかなか眠れなかった。
両神山は信仰の山らしく、いたる所に、石碑・石仏が置かれていたが異様とまでは感じなかった。清滝まではずーっと川の流れを聞きながらの登高となるが、高度を稼ぐのは一時間も経ってからであった。両神山は百名山であるけれど、登る前からあまり過度の期待をしていなかったのであるが、産体尾根の見晴らしの良い所に出てからは、紅葉が目に飛び込んで来た。個人用地の問題で白井差からのルートがダメになって、ちょっぴり陰りを見せていた両神山であったが、今は八丁峠からの登山者が多いようである。昨日の乾徳山より尚一層小さく見えた富士山であったが、視界は前日同様大パノラマを展開してくれた。どの山も登って見なければ分からない事が多い。体調・雰囲気などいろんな事が作用しその印象を変えるものであるが、昨日・今日は、正に「百の山頂に百の喜びあり。」であった。
帰路は佐久を経由した信州側からと思っていたが、分からぬ道路事情を加味して、往路と同じルートを辿ったのであるが、甲府市内の渋滞には参った。早くビールが飲みたくて、松本ICから平湯まで、安房トンネルを使わず70分、でも、上宝道の駅で運転を「山ノ神」に代わってもらってから、眠り込んでしまった。今回の山行で異変があった。二つのピークとも「山ノ神」にビールを持たせなかったのである。悔しがる「山ノ神」であったが、ハンドルを握らなくてはならない時もあるから・・・・には、どうしてもとは言えなかったようである。でも、飲まなくてもいいから持参したかった・・・とは、 “どういうこっちゃ!”
10/17 早く出発しようと言いながら、結局午後11時半を過ぎてしまった。福地・平湯間で極度の睡魔に襲われ危ない運転となり、安房トンネル前でかなりに時間を眠りに使ってしまった。今年3回目の山梨県の山となる「乾徳山」は、甲府昭和ICから石和から秩父往環道で三富村徳和から入った。二百名山「乾徳山」は、何の変哲もない里山の雰囲気を持っていたが、国師ヶ原や扇平周辺から富士山が見え始めると、一変にステキな山に変身した。大菩薩嶺や毛無山・三ツ峠山から見るよりも小さいなどと、富士山大好きな「山ノ神」がはしゃぎ出した。またその辺一帯はススキが一面に生えており、何故か富士と似合うのである。山頂に至る岩場はスリリングで、多くの登山者を魅了させていた。休日の晴天は、次から次へと、いろんな方々を山頂に運んでいたが、若いカップルやグループも多く見かけられ、ホッとさせられた。
10/16 明日・明後日の連休の過ごし方になかなか合意が得られなかったが、今回は後々の事を考えて、「山ノ神」の遠出(遠征)希望を受け入れる事にした。晴天の赤谷山・猫又山・毛勝山・大笠山・白山などに心残りはあるが、名山歩きにも興味がないわけでもないから、行くからには充分堪能して来たいと思っている。
平湯・松本・甲府・秩父往環経由で三富村徳和から「乾徳山 けんとくざん」、翌日は「両神山」で、その後は、佐久か下仁田のどちらかに出るのであろう。もしかして、「妙義山」などという事はないであろう・・・・・・・。安房トンネルを含め高速をどれだけ使わせてくれるかわからないが、最近すぐ眠くなる私には、山登りよりもハンドルを長く握る事の方が辛いのであるが、“ 飴と鞭 ”を「山ノ神」に上手く使い分けられそうである。「山ノ神」の掌に乗っかり如何様にでもされる身の上から、早く脱却するよう努めなければ、本当の山歩きが覚束ないような気がする。 p.m.6:40
10/15 やっぱり立山は雪だった。室堂で20cm、天狗平で7cmだったそうだ。火打山に登った筏井夫妻の報告によると、朝方のお天気と打って変わって晴天になり、7~8cmの新雪の上ではしゃいだそうだ。ところにもよるが、1500m付近まで白くなり、一気に秋が深まったようである。そんな寒い日であったが、Respirar坂本夫妻の訪問を受け「クマ談義」に思わずアルコールが進んだ。でも、尾田氏に頂いた清酒「八海山」は大事に隠した。
10/14 今日は寒~い一日であった。このところ懐が厳しいので、余計に半袖姿の私には堪えた。高所では雪ではなかろうか? 明日は「晴れマーク」の予想だから、もしかしたら、立山連峰が真っ白になって見えるかもしれない。このところの天候は必ずしも順当ではないが、山(高所)では、晩秋から初冬へと変わろうとしている。今年は必ずしも紅葉がきれいとは言えないと聞く。しかし、それは所によっても違うし、自分の心の持ち所によっても大いに違う。一枚の赤い葉が落ちるだけでも、サラサラ落ち葉を踏み締めるだけでも、自分なりの秋を見付ける事が出来る。これが冷たい雨の中を、只一人歩くとなるとその感傷が、じわ~っとしみるのである。それは古城の公園よりは、自然に近い山道の方が物思いに深けるには最高である。そんな機会を「山ノ神」は奪って行く。中5日の休日は連休となってすぐ来る。「山ノ神」は名山の遠出を希望。それも良いが、また大猫山でもいいくらい。ブナクラには赤谷山もあれば猫又山もある。近間の山で、階段を登るのが辛くなるより、ルンルン気分の遠出を望む「山ノ神」との駆け引きが、明日明後日まで続きそうである。 p.m.11:59
10/13 昨夜は友人とのやり取りに気まずさが残り、それを引き摺った形で当欄に臨んだわけでもないが、かなり遅い時間に目を擦りながらが災いしたのか、朝起きて読み返してみたら、辻褄が合わないようで少し手直しをした。そこへ初めてメールを下さった市内にお住まいのO氏から、GPSのspellの間違いと、直近の日付の間違いを指摘頂いた。「ありゃ~」と赤面したが只々感謝である。日頃から誤字脱字、意味不明瞭などの他に、面白くないのに赤裸々も加わり・・・・。なのに、どうして・・・・見てくださるのか、只「山」だけなのに!
実に山はいい。人が煩ければマイナーな山へ行けばいい。雨の日に行けばいい。人が恋しければ、土・日に、またはメジャーな山に行けばいい。ワイワイ騒ぎたければ、人を誘えばいいし、頼めばいい。物思いに耽たければ、単独がいい。
私の山歩きは、想い出つくり。共通の想い出つくりは私の財産。今やHPつくりも私の財産。それに関わってくださる方々も私の財産。 p.m.11:59
10/12 昨日の大猫山は今年2回目。通算9回目であった。10回くらい登らないとその山の事はわからいと言っている私であるが、当日もお会いした辰口氏などは、赤谷山は88回目(89回だったかも!)だそうで、とても比べるというレベルのものではない。 小雨振る中、新潟県燕市から来たという62歳の男性(単独)が、「富山県の山=分県登山ガイド」を頼りでやって来たと言う。“ 赤谷山はどうか?” “あなた方は何処へ行くのか?” と尋ねられた。“ 我々は大猫山。” “この駐車場から直接登る。” “今日のお天気では期待出来ないが、剱岳を仰ぐのであれば、大猫山が良い。” と答えた。4回も渡渉する雨の赤谷山よりは、アドバイス通り大猫山を選ばれたのか、先に出発してしまった辰口氏だけよりは、5名のパーティーの方が言いと思われたのか、もしかしたら、美形(?)の女性達に吸い付けられたのか定かでないが、山中はこの6名だけであった。新潟の男性・西丸氏は、先にも行かず、距離を置く事もなく完全にストーカーだった。しかし、物静かで、遠慮がちの彼に、誰も邪魔だとは感じなかったばかりか、かなりのシャッターマンとなり重宝されてしまった。
標高2000mを越えたあたりで、山頂へは東に曲がるのであるが、女性達には先に山頂を踏んでもらう事にし、松尾氏とその西丸氏と私の3人は、普通の人はあまり気にならない三角点(2055m)を目指す事になった。すぐそこと思っていたが、ヤブの中では、身体の見動きがなかなか出来ず、GPSの使用を持って来てでも、なかなか三角点には到達する事が出来なかった。家に帰って、GPSの足跡(軌道)を辿ってみると、南または南西方面へ、あの沢らしき所を越えて、平に見えた所が三角点だったのであろうが、直線で10mもなかったような気がする。腕が木々の枝や葉に傷付けられただけでなく、腕時計もすっかり狂わされてしまうほどのヤブ。松尾氏などメガネのレンズを傷つかせてしまったようであった。もうチョットで三角点であったが、食料・飲み物・コンロ・燃料などを待ちわびている女性軍の事が気になり、引き上げる事になったが、GPSはこの時も威力を発揮してくれた。今度行けば必ず探し当てる自信があるが、苦手なヤブを漕いでまで行く気になれるかである。
今や遅しと待ちくたびれる女性軍、兵糧を差し出すと、俄かに元気を取り戻したようであった。視界は完全に消滅し、ガスの粒が目で確認出来るようなお天気に変わってでも、山の話に花が咲き、笑いが絶える事はなかった。“今度来る楽しみが出来た。” “お花の時期はどんなのだろう!”などと上等の気遣いをしてくれた福井の友人達に感謝をし、大猫山でなくともいいから、ブナクラ周辺の山々で、また何時か再会したいものだと思わせるくらいの「愉快な仲間」として、私は大事にしていきたいと思っている。 p.m.11:59
10/11 前夜の内に馬場島入りする福井の客人(kyuさん、kotamaさん、松尾さん=後見人)に、“ 雨の心配はなさそうだ。”とメールを送信した後から雨が降り出した。買物に行った時も、寝る寸前でも雨は降り続いていた。でも、家を発った午前4時頃は、まだ月や星も少しは輝いていたのだが、車を走らすと共にまた雨が降り出し、馬場島に近付けば近付くほど、その強さは勢いを増していった。暗い中、予想をはるかに上回る若い女性達との初顔合わせをして、どうしたものかと雨の止むのを待った。
雨が小降りになった頃合を見て大猫山決行となる。ブナクラ取水口駐車場では、赤谷ノ王(辰口氏)とまたまた顔を会わし、健闘を誓い合った。福井の猛者達も恐らく最初の登りにビックリだった事であろう。すぐ雨具を脱いでしまった。雨覚悟の登高も、どうしたわけか標高1500m付近から、青空が広がり出し、真っ白なガスの中から、剱岳の稜線の一部が浮かび上がって来たではないか!山頂付近の青空はぐんぐん広がって行けども、剱岳は何をたじろいでいるのか、全山容は最後まで見せてくれなかった。しかし、完璧とは言えないまでも、大猫平の神秘な光景にワーッと歓声があがり、主催者側として胸を撫で下ろした。新潟県から来たという男性を含む男3名で三角点(2055m)を探しに行った頃から、山頂付近はまたガスに覆われしまったが、祝日でもこの天気では他に登山者はなく、大いに会話が弾んだ。
経ヶ岳でお会いし、能郷白山をご一緒して頂いた松尾氏、cracliのを主宰するkyuさん、そのお友達のkotamaさん。「とやまの山」を気にいって頂いたでしょうか? 数多くの山行機会を持てそうにはないとしても、七夕様のように年に一度くらいは、“チョット登り甲斐のある山に来てみては?” と思ったのであるが・・・・
下山はまた雨になり、大猫山も「大根っこ山」の様相を呈し、滑り易くなりいっぺんに疲労を増してしまったに違いない。「山ノ神」も私同様、若き女性達にパワーをもらったのだろうか?めまぐるしく変わった雨の大猫山行は、実に楽しい想い出になる事間違いなし!
10/10 またまた予報がひっくり返り胸を撫で下ろしている。馬場島周辺(早月川流域)が、初めてだという福井からの客人2名と、その後見人と称する松尾氏が、大猫山にやって来る。せっかくおいでになるからには、紅葉はともかく、「剱岳」を一時だけでも眺めてもらわなければ、「とやまの山」を愛する者として、また案内するものとして申し訳なく、今は雨の心配から、視界が広がるかどうかに胸を痛めている。雨でも来るという猛者達に、馬場島周辺やブナクラの雰囲気、そして東芦見尾根の一角は、どのように映るのであろうか? 高1の時、上市から路線バスに揺られて、初めて白萩川に足を入れ、沢登の真似事をした所でもあり、重荷を背負って早月尾根を下って来た青春の想い出多き地である。時が流れ環境が変わったとは言え、山容はそのままである。私の多くの想い出がある大好きな馬場島を知ってもらうためにも、是非晴れてもらいたいのである。 p.m.3:10
10/9 ワーッ、予報がまた変わった。強い台風22号が、速度をあげてしかも東寄りに抜け、好天が約束されているものと思っていたが、太平洋側にその恩恵をもたらすものの、日本海側は曇りに小さな傘マークが乗っかっている。やはり昨日は、はしゃぎすぎか? いや最後の最後までオセロの如く、ひっくり返る事に望みを繋ぐ! p.m.11:20
10/8 俵先輩のHPの更新が行われていないので尋ねてみたら、お天気が悪くてタイミングをずらし、一ヶ月以上も、山に出掛けておられないというお返事を頂いた。昨秋も同じようにお天気が悪く、地団駄を踏んでいたように思い出された。「あんたは、どないしても出掛けるから・・・・」と会う度に呆れられているが、「好山病」とお互い認識しあっている。今年こそ、その俵先輩と「鉄ちゃん」あたりに声を掛けて、近間の山でも良いから、何年来の願望をかなえたいと思っている。
この三連休は、またも台風の影響を受けて、多くの方々が二の足を踏んでおられる事であろうが、最後の11日(月)当たりに好天の兆しが伺えて来た。毎度雨に祟られていた私にもようやく光が・・・という感じであるが、ここではしゃいでしまうと、「ツキ」が逃げそうなので、もう少し温めてから、ホットな情報をお伝えしたいと思っている。 p.m.10:35
10/7 一昨日、八乙女山・大寺山の帰路、先週牛岳の熊情報に庄川町役場が対応して下さった立て看板を見に行って来た。私がメールをしなければ、町役場の仕事が増えなかったのにと思う心と、どのような看板が立てられているのかとチョット興味があったからである。「9月27日 午前7時頃、牛岳8合目付近において、クマが目撃されました。 今年はクマが非常に多く目撃されており、登山される方には十分にご注意を払われますよう、お願い致します。」から始まり先週お伝えした対処法が書かれていた。
「万が一、クマに出会ったときは、静かに持ち物や衣類を地面に置き、それらにクマの注意をそらして静かに逃げましょう。」の対処法に聊か不満があったが、持ち物に注意をそらすのがいいと知人・友人が言う。お前はケチ(いや貧乏性)だから、つい物を持って逃げようとするが、それは危険だという。熊は近眼だからその対処法が正解だとも言う。知らないもの分からないもの同士で結構盛り上がってしまった。 p.m.7:00
10/6 「元ちゃん」は、私が長~い間呼ばれて来た愛称で結構気に入っている。歳を重ねて来た現在でも、知人・友人から呼ばれても何の抵抗もなく有り難い事だと思っている。しかし、かなり若い人から、呼ばれると、嬉しいがチョット照れてしまう。オッサンぽいが、「元さん」がいい。最近「元様」「元さま」などと、私を擽るようなネーミングで呼びかけてくださる方々が登場して来た。お会いした事がないからいいようなものだが、「がっかり」の落胆の様を想像するに、なるべくお会いしないようマイナーな山歩きが続きそうである。でも、やっぱり「元ちゃん」が好き! 山歩きが続けられる間は、「元ちゃん」で呼んで欲しい。それでは、「元さん」→「元じい」のシナリオが崩れてしまいそうだ。秋の空模様のようにクルクルと変わる私の心、(○○○心と秋の空などとは毛頭言えない。)一時でも「元さま」と有頂天にさせてもらった事に感謝したい。 p.m.2:50
10/5 今日も雨。しかし、行き先も決まっていないのに「山ノ神」が、おにぎりとお茶をつくっていた。珍しい事である。午後から雨が強くなるような気配に、山奥まで車を入れるのもどうかと思ったが、以前真夏に最高点を求めたが、わからなかった大寺山に矛先を向けた。
八乙女峠から、作業道(林道)に車を乗り入れようとしたが、荒れていて進まず仕方なしにバックをして歩き直した。それが正解で、無理して突っ込んでおれば、大変な事になっていたかもしれない。下草が腰・胸どうかすると背丈以上に伸びていたり、ススキなどが雨の重さに耐え切れず作業道に覆い被さり、まるでヤブ漕ぎの連続であった。
7年前はこんなではなかったような気がしたが、人の手がはいらなくなると、こうにもなるものかと思ったが、では何で、こんな道をつけたのだろうか? 自然破壊の4文字だけが浮かび上がって来る。
先週の今日だけに、熊には充分なくらい気をつけた。猪突猛進型を止め、気配に、或いは出会い頭に・・・・厄介な作業道歩きは2時間を要した。今回も三角点や最高点の標識なるものに出会う事が出来なかった。しかし、家に戻ってGPSで改めて確認してみると、最高点らしき所を、これでもかと行ったり来たりして、グジャグジャに踏んでいた。雨の中を面白くもない林道を、よくも歩いて来たものだと頭を傾げたくなるのだが、でも何だか充実した一日を送った気がしているからまた不思議なのである。 p.m.6:50
10/4 雨が止んだ午前10時「中山」行きになった。しかし、車中雨が降ったり止んだり。山中では雨具を着る事はなかったが、展望は予想通り全くなかった。
雨の日の行き先は必ず揉める。「えっ、そんな所。」「また、同じところ!」それでは何処か候補をあげてみろ! 「わからない。」ならば来なければいいのに! 雨の長い行程はもっと嫌がるくせに! 「山ノ神」と私の山行目的は明らかに違う。口には出さなかったがその伏線が、後々の一言になってしまった。近年私の自由行動範囲がだんだんと狭められていく。「聖域」に雨中の単独行もあったのであるが、これもくっつかれてしまった。
今度は「熊が出るのでは?」と私に先へ行けと言う。熊は「宝くじ」のようなもので、そうそう出くわさないのに! 先に行けば、なかなかついて来ない。そのうち私のリックの紐を引っ張り始めた。「足を引っ張る」の言葉が、「山ノ神」にはカチンときたらしい。「何時も」を付け加えていたかどうかは、はっきりしないが、私は足を引っ張るを「掛詞」として使ったつもりであったが、その後は例の如く、始めから最後まで沈黙の別行動である。
もう一言山頂で “ こんな日にも飲まなきゃいけないか?” がまたまたカチンときたらしく、「そんなら飲まんちゃ!」 とさっさと下って行ってしまった。明日も休日、このお天気では遠出は出来ないと思うが、可能性が0(ゼロ)ではないはず。飲んだら運転が出来ないと言いたかったのであるが、私にはとても我ままな「山ノ神」、熊を怖がっていた割には、忘れてしまったのかドンドン行ってしまった。この先、何日沈黙の日が続くのであろうか? p.m.6:40
10/3 またまた、明日・明後日の休日はお天気が悪い。一ヶ月前までは、遠出(両神山と乾徳山)の計画をしてのであるが、明日午後8時からの会合がある事に気がつき、日帰り2回に切り替えた。しかし、それもどうも怪しくなって来た。今日の寒さから、冷たい雨の予想は、大日岳も白山もイヤにさせてしまった。近間の低山が有力!と言う事で、今夜はお酒を飲んで、久し振りにゆっくり出来る。でも、我々の計画はすぐ変更になるからわからない。 p.m.8:35
10/2 百名山・二百名山・三百名山登頂には、いろいろな考え方や思いがある。私の回りでも、時間や費用を掛けてまで行く価値があるかなどと論議になる。行ってみなければわからないし、一度や二度ぐらい登って、その山の良さなどわからないのであるが、それは登ってからの話である。でも、それには相当のエネルギーが必要だし、障壁を越えなければ実現はなかなかである。もっとも、それに拘る必要もないのであるが、何だか気になる存在なのである。私の百名山登頂は未だ60座、三百名山は117座で、目標となる数字にはとても届くものではない。でも私は、「とやまの山」を愛しながら、機会があったらその名山達に会いに行きたいと思っている。直近の目標は、三百名山の4割の120座を今年中に、そして2~3年掛けて5割の150座。百名山は、遠い目標であるが80座である。夜行日帰りで行ける山も少なくなってしまった。木曽駒ヶ岳・赤城山・両神山ぐらい。ちょっと時間の掛かる丹沢山・天城山・蔵王山。でも、2日間の休日を利用すれば80座に近付く事が出来るであろうが、そんな多くの時間を掛ける事は、今の私には出来ない。そして、長い車の運転も、私には大きな障壁になる事は間違いない。
10/1 今日は全国的に「晴~れ」だそうである。動けば汗がにじむかもしれないが、とても爽やかな秋晴れである。こんな日に山へ出掛けられば最高なのであるが、なかなか思うようにならないのが常である。自分の休日までお天気が続けば(予報だけでも)心も穏やかなのであるが、そうでなければ、だんだんと頭に血が上ってきて、イライラする。しかし、私も近頃大分大人になってきて、“ こんな日に、山に登れる人は幸せ!” “私にもいつか順番が回って来る!” などと思えるようになって来た。しかし、「山ノ神」は恐ろしい。私の単独行または、「山ノ神」抜きのパーティーで出掛ける予定の時は、「雨降れ!雨降れ!」と呪うのである。帰ればもっと恐ろしく暗い沈黙が待っている。早く大人になって欲しいと願うのである。 p.m.4:00