11/30 パーティーを組んだ山行が終わると、同行してくれたメンバーが、楽しかったのだろうかと考えてしまう。自分が楽しい時は、誰かが気を遣ってくれたからである。グループの継続は、山歴の長短や脚力の有無などよりも、山への情熱・憧憬に委ねられそうである。
 一ヶ月前から、左膝に違和感を覚え、人形山への前日には腰にピリッと電気が走った。そして、人形山登山口へ、あと10mの下山時に、うかつにも転び左手首が今も痛い。多分、腰・手首は時間の経過と共に、その痛みは解消すると思っているが、今まで経験した事ない膝には一抹の不安を感じている。歩く事に支障はないのであるが、咄嗟の対応に付いていけるかが心配なのである。80歳になった現在でも、元気に山に登り続けておられる寺口氏を手本(目標)にして頑張らなくてはと、先日の人形山で俵先輩と交わした言葉にうなづいていたばかりなのに、同氏の子供のような年齢で、「歳を感じる!」などと、戯けた事を言っていてはだめなのであろう。心身とも鍛え直さなくてはいけない。



11/29 “ 雨の心配はなさそうである。” と思っていたのに、午前4時頃目を覚ますと、かなり強い雨が降っていて、これは参ったと思ってしまった。しかし、ここはITの時代、雨雲は北陸地方の沿岸部だけにあるように推察され、とりあえず登山口に集合となったが、誰からも異論はでなかった。そして、予想通り出発時の雨だけは回避されたのであった。1200mから雪が舞い始め視界は殆ど利かない山行であったが、「久し振りの山行!」「人形山の頂きは初めて!」「パーティーを組んだのは初めて!」など、それぞれの思いはあったものの、ずーっと喋りっぱなしで、霞みの中の寒さも吹き飛んでしまったようであった。また、“ 年に1~2回ほど一緒に!” で集まったグループなのに、“ また行こう!” などとなるのではないかと、良からぬ心配をしなければならないほど、山頂での雰囲気は良かった。今夏“ 剱岳に行って来た。”などと自慢げに語っていた「鉄ちゃん」、そして、“今度は、お酒も肉もいっぱいリックに詰め込んで来る。”と楽しそうに言っているように思えたが、私の独り善がりであろうか? 今度の企画に尽力して下さった俵先輩に、感謝しなければいけないのに、食が進まなかったし、得意のシャッターチャンスも少なく、全く申し訳なかった思いがする。久し振りに中山君(はるちゃん)を引っ張り出せたのは、私にとってとてもハッピーだった。五箇山荘で汗を流し、帰宅してから別の有志との「忘年会」に臨んだ。その帰り道に大きな月が出ていたが、“世の中とはこんなものか!” などと思わされた。



11/28 我々の僧ヶ岳山行の翌日に、「シュンちゃん」と堀シェフが、その僧ヶ岳から駒ヶ岳に出掛け、北駒ヶ岳から「トチの湯」に下ったらしいが、途中、北駒ヶ岳山頂で、今夏に「僕の山ある記」を出版された能登氏と遭遇し、行動を共にされたようである。3人は、同じ黒部の方々であるが、初対面であったらしい。そして、その方々が私の知人であったとは、また奇遇である。世の中は本当に不思議で楽しいものである。
 明日のお天気は何とかなりそうである。「人形山」のメンバーも、また面白い事になる。でも、皆山好きなのだから、それはそれで良いではないか! p.m.10:30



11/27 念願であった同業者の山好き同士での初山行が明後日に迫って来た。“ 何でこんな時期に?” の感は歪めないが、こんな時期にしか時間が出来なかったのである。少人数であるが、この機会を作れただけでも喜びを感じている。只、お天気が芳しくなく、せっかくの機会に水を差されるれる思いがしてならない。年に1~2回ご一緒出来るグループにと思っているだけに、最初だけは何とか雨が落ちて欲しくないものである。雨でも行く私に合わせてもらっても、面白くないはずである。まずはもう一日様子を見る事にしよう。そんな折、福井のM女史が西穂に行くという。人形山の企画者の一人でもある私は、ゴツゴツ・カチカチの山は、もう私の行く山ではないとやんわりと断った。 p.m.11:25



11/26 夜になって台風並みの風が吹き始めた。何でも朝鮮半島に低気圧が発生して、それが急速に発達して通過するかららしい。また急速に回復するようであるから、休日は期待はしているのであるが・・・。今日は3件の山の便りがあった。eiko女史から親友との心温まる山行報告であり、牧野さんからは、「中山」の新ルートの情報、笠間さんからは、最近の山行報告と心情が綴られていた。私は目を細めて拝見させてもらった。



11/25 山に登って富士山を見る事が出来たら、何だか得をした気がする。北アに登ったら、すぐ槍を探す。それは北アに限らず、その近郊の山々からも、その特徴ある山容を、容易に見付けれるからかもしれない。富山県人なら剱である。あの先鋭な山も、時として、不思議なくらいに姿を変える。別山から見る剱が一番美人だと言う声が多い。大日岳から見る剱が三角で、最も剱らしいと言われて久しい。仙人付近からは、ヨーロッパ調でカメラマンには人気がある。若い頃は、“ 八ツ峰のマイナピークからが良いんだよ!” と聞いたがその機会を逃した。またハシゴ段乗越からも、天候に恵まれず、その絶景にお目にかかった事はない。赤谷・猫又・毛勝などの北方稜線からの眺めは絶景に違いないが、てっぺんが三角でないから、騒がれるほど私は驚かない。それは以前、極一部の山男しか見る事の出来なかった光景だったので、持てはやされたのではないかと推察する。後立山からは、穏やかでそれなりの姿を見せてくれるが、チョッピリ遠い。最近人気の大猫山に初めて登った時は、流石に驚いた。間近に見え、左右から圧縮されたようなゴツゴツした山容だが、望遠レンズなどはいらなかった。もう少し後に下がった細蔵山も、大猫山に負けないくらいの展望台である。しかし、私は大地付近からの剱も見逃したくない。少し遠いが、周りの雰囲気はアルペン的で、トレースを辿らなく汗を流した後の、あの絶景は未だに忘れられない。剱にはその人その人の思いが託されており、何処が一番の展望台とは言い切れない。ハゲ山、城ヶ平山、千石城山などは、気軽の行ける素晴らしい剱の展望台である事間違いない。



11/24 「元さんの山歩き」と改名して、今日で半年になりました。本当に日の経つの早いものです。皆様に元気付けられたと言うものの、「やめた!」から「復活」まで、わずかな日にちでした。“ 心配させておきながら、どうなっているの?” などと思われたに違いないでしょうが、私にしてみれば、結構長いものでした。「有事」は爆弾となって、私の心の中にくすぶり続けていたのですが、山とHPを私のライフスタイルから、外すわけにはいかなかったのです。それは今とて同じなのですが、心と身体のかい離を感じて来ているのも事実です。この半年で42、000超のカウントが示すように、“ 俺もまだ捨てたもんではないな?” と心を奮い立たせてもらっているのも事実です。私の身近な方々、また全く知らない方々かも知れませんが、本当にどうなっているのかと思う程のカウンターの進み方です。同じ方が何度も何度も叩いてくれているのかと思ってしまいます。カウンターも200,000件に近付いて来ました。この先は、多くは望みませんが、HP開設5年、復活1年、その次は当欄開設5年あたりを目標にしたいと思っています。それも山歩きが続いている事が条件です。 p.m.1:25



11/23 今日は素晴らしいお天気だった。何処へ行っても良かったのではなかろうか? こんな日ばかりではない事を知っていても、何だか分からないけれど腹が立ってきた。“ 苦しければ苦しいほど、何時かはきっと良い事がある。” などと自分に言い聞かせているのだが、まだ人間が出来ていない。
 大猫山から帰ってから、僧ヶ岳行きに備えて冬タイヤに換えた。何故かタイヤがとても重く感じた。ここにも身体の衰えを感じてしまった。結果的には冬タイヤはいらなかったのだが、例年12月1日にはタイヤの交換を行っているし、11月末の山行にはチェーンを携行していた経緯があるから、1200mの高度がある林道だけに、何の抵抗もなかった。増してや、来週の休日に、知人との山行も決まっているし、早めのタイヤ交換はそれなりの意義はあったのである。今年はあと7回の休日を残すだけになったが、そのうち3回の予定が出来た。こんな毎週山行は今年限りかもしれない。 p.m.9:50



11/22 「好山病」を何処でもらって来たのか、H.hujii氏から、「元さん、休暇を取った。僧ヶ岳に行きましょう。」と言われ、この時期に僧ヶ岳とは、増してや烏帽子口に車が入るのか?と疑ってしまった。そこは彼のネットワークは優れており、“ 雪がなく車が入れる。” の事であった。そして、もっと凄い入れ込みに感じたのは、集合場所に、約束の時間より1時間半~2時間前に来てしまったと言われるから、事の他参ってしまった。しかし、そのお陰で私達は一日楽しい思いをさせてもらった。烏帽子登山口からうっすらと雪。昨夜の雨は、高所では雪になったに違いない。必ずしも、すっきりとしたお天気ではなかったが、雪上を歩くのは実に楽しい。そして、意外にも山頂で俵先輩に出会うとは、予想もしていなかっただけに感激であった。H.hujii氏が、真新しい雪の上を、如何様な思いを持って歩かれたか、今度会う時が楽しみである。 p.m.9:50



11/21 一昨日まで、この日の山行はなかなか決断出来なかった。ワケはさて置き、晴れれば大猫山、降れば牛岳を、ゆっくり一人で歩きたいと思っていた。「山ノ神」が、今朝になってから、「夫婦山」がキャンセルになって可愛そうであったが、“ 天気予報なんて何?” と思いながら、今回は良い方に転んだのだから、何の文句もなかった。剱岳と対峙しながら大猫平までか、11時頃までを一つの区切りとして登り、人生観を正してみたかった。頭の中では、人気のない山中を、ゆっくり歩いて、何かを極めたいと思うのであろうが、結果的には苦しさを求めて、雑念を払う簡単な道を選んでしまうようである。
 今冬?初めての雪に遭遇した1600m辺りで、踏跡に新雪が覆い被さっていた。昨夜の雨はやはり高所では雪になったのであろうが、昨日も誰かが登っていたのだと思われた。しばらくして、ガサガサとする物音と共に一人の男性が現れた。聞くと写真を撮りに昨夜は上で泊まったらしい。世の中には、上には上があるものだとつくづく思ってしまった。今日も剱岳本峰の頭だけが、最後まで白い雲に覆われていたが、大猫平の雪原に遭遇するだけで大満足であった。山頂まで足を延ばさずとも、大猫平を見下ろす所まで、ちょっと上がってみたが、見る見るうちに剱岳の稜線が、ガスに覆われだしたかと思いきや、雪が舞って来た。その先の天候の崩れより、その「白きもの」との対面が、何でかうれしいものであった。



11/20 今日は私達の結婚記念日である。チョッピリ厳しい経済情勢もあって、子供達からもらったお祝いのメールと、「27年間有難う。」「これからも・・・。」と、二人で交わした会話以外、日頃と変わらぬささやかな二人だけの夕食であった。当欄(山への一言、以前は山に関する毎日のコメント)を振り返ってみると、昨年はハレルヤの序曲となり得た高岡での宴!一昨年は母が亡くなる前日であり、その前年は、雲取山と大菩薩嶺から戻った翌日であった。日記的な当欄を公開しながら、自分にプレッシャーを掛けているのだろうが、他の人達から見れば可笑しなものであろう。平成13年1月9日からの分が当欄に残っており、自分善がりの思い出としては良いかもしれないが、情報としてはもう用を足さない。容量の事もあり、いずれ行く末を考えなければならないようである。 p.m.11:59



11/19 高いビルの上から下を望み込むのを想像するだけでも、すーっと血の気が下がる程、私は臆病で弱虫です。無雪期の「牛岳」くらいなら、何ともないのだが、低山でも誰もいない雪山を歩く時、凍り付いた岩場を行く時、そうでなくても、始めて行く奥深い山など、いつも不安がいっぱいでビビッテいる。落石、滑落、落雷などの痛い目に遭った事があるからかもしれない。自分が企画する山行などは、イザという時にフォローが出来るかという事も、頭の中に入れておかなければならない。私の出掛ける簡単な所でもいつも自問している。万に一度も後で悔いる事がないようにと思うからである。「あんな所に行けるかな?」 などと臆病過ぎるくらいが、丁度いいのかもしれない。車も上り坂で凍っているのに気付けばいいのだが、下り始めてから気付いても遅い時があるではないか? 
 4年前の3月に、日照岳で散ったT女史を少し知っているが、その凄い脚力にものを言わせ、誰とでも、何処へでも、何時でも出掛けるほど山好きであったが、只一つ、それまでに怖い目に遭った事がなかったのが、落とし穴だったように思われてならない。今は遠くステキな思い出しか残っていないが、彼女がもう少し、臆病だったらと思ってしまうのである。 p.m.11:45



11/18 晩秋から初冬に掛けての行き先選定に悩む事が多い。増してやパーティーを組むとなると尚更である。こんな時期に穂高や立山に行く人達もいる。軟弱な私には到底真似が出来ないし、「山ノ神」同行となると、そんな事は思いも浮かばない。そして、雨に見舞われるとなると、どうしようもなくなる。「また同じ所?」 !!!!!!!! 歩けるだけましだという事を忘れてしまう。

 

11/17 東京の娘から「山ノ神」の意味を知っているか?と言うメールが今夕届いた。私のHPにあまりにも「山ノ神」が出て来てイヤになっての事なのか? それとも意味の履き違えとでも思ったのか、gooの辞書のHPまで記載してきた。

(1)山を支配する神。粢(しとぎ)やお神酒・虎魚(おこぜ)などを供えてまつる。神の性格や祭日・まつり方などは、地方やまつる人々によって異なる。農家では春秋に田の神と交替するという。
(2)俗に、頭の上がらなくなった自分の妻のこと。特に、口やかましくなった妻をいう。
(3)カサゴ目の淡水魚。全長15センチメートルほど。体形はカジカに似る。体色は茶褐色で、鱗(うろこ)はない。食用。中国・朝鮮に分布し、日本には筑後川付近にだけ生息。タチャ。

などと記載されていたが、私は他の辞書の「妻のこと。特に、結婚してから何年もたち、口やかましくなった妻。」の意味を採用しているが、皆様方はどのように・・・。  その「山ノ神」のコンテンツを用意しているのだが、なかなか思うようにならない。(未定のまま)  近々違ったものに変えようかと思っている。 p.m.8:30



11/16 半年前の自分はボロボロ・・・・・。今こうやっておれるのも「山」のお陰! 大自然の中を歩けるのがその理由! また、小さいながら常に目標を掲げる事が出来るのも大きい事なのかもしれない。何も「山」でなくとも、身の回りに何ででもあるのでしょうが、たまたま私は「山歩き」。「山」のためなら、何ででもするとまではいかなくても、出来る事ならそんな一生を送ってみたい。でも、寂しがりやだし、強靭な身体でもないからちょっと無理であろう。しかし、そんな夢を持ちながら、心は少年のように、ずーっと関わっていきたいと思っている。一年でも長く、一回でも多く・・・・である。来年は「大明神山」や「白金ノ頭」へもう一度行ってみたい。念願の小矢部水系奥に2座が残っている。大地や初雪山は何回でも行きたい。などと欲張りである。期間限定であり、休日が好天に恵まれなければ、その機会がない。また、これからは「運」と、同行してくれる仲間にも恵まれなければ、その夢もそのまま遠いものである。
 「夢」とか目標は、当たり前の事であるが、一日にしてならず、さしずめ次ぎの山行機会を大事にしたいと思っている。 p.m.10:25



11/15 目が覚めたらやっぱり雨だった。何処に出掛けても展望が利かないというものの、やっぱり歩きたかった。ゆっくり歩いて2時間ぐらい。出来ればぬかるみがないコースという事で、小佐波御前山行きになったが、自宅を午前11時近くと遅い出発となってしまった。始めから雨具を着込んだものの、そう大きい雨でもなかったし、雨のそれなりの展望であった。今冬の山行時に祠の位置がはっきりしなかったという事で、その地点をGPSで確認する事も忘れなかった。今日は、節約に徹し、いつも持参する菓子パンもなし、乾麺を2個だけリックに入れて来た。立派な避難小屋で食事をする事にしたが、入ったなり大粒の雨となった。しかし、30~40分の休憩の間に、青空が所々に現れるようになり、傘をしまいこんでもいいようになった。しかし、車に戻る頃にはまた雨が降り出した。  小佐波御前山の避難小屋は、きれいに整頓されていて気持ちが良かった。いつまでもこうであって欲しいと願い、我々も土間に吹き込んでいた落ち葉をきれいに掃除してきた。きれいにしておけば、次に利用される方も汚しにくいものである。積雪期にはとても有難い避難小屋である。



11/14 PCの前に座っている割には、何事もはかどらない。HP作り以外の事もドンドン溜まっていき、何が何だかわからなくなってきた。敵は!酒か?でも、私は普通の酒飲みとチョット違う。飲んでも、何かをしたいのである。しかし、酒には睡魔が付いて回る。振り払っても振り払っても眠くなる。当たり前の事であるが、私はそれがイヤなのである。では、飲まなければいいのに! 本当はそうなのであるが、まるで麻薬のように飲まなければ寂しい事もあるが、「山ノ神」一人を食卓に残す事になり、PC未亡人と思われてしまいそうになるのである。
 酒と言えば笠間氏が登場する。「インターネットの時代に葉書なんて珍人のする事です。」と書かれていたが、同氏から心温まる便りを頂いた。マシンの調子が悪くメール出来ない事や、最近の山行状況も記載されていた。“ ビール片手に登っています。” と結んであったが、ビールの1~2本、お酒の1~2合など、うがいみたいなもので、飲んだうちには入らない。とメールを頂いた事がある。「花じい」らとの位山・川上岳山行の際、チョットだけお会いした同氏であるが、この豪傑を山にお誘いするには、ちょっと考えてしまう。
 明日は、あまりお天気が良くないようである。こんな日こそ、ちょっとだけ歩いて、日頃やり残している事を片付ける絶好のチャンスなのであるが・・・・果たしてそんな上手い事になるであろうか? p.m.11:05



11/13 「北ちゃん」の頚城駒ヶ岳のGPSデータ(どこでも名山 山日記 http://www.ne.jp./asahi/yamaga/suki/)を見て、改めて我々の歩いた軌跡と地形図の登山道との相違を確信した。過去の駒ヶ岳山行での林道や登山口の認識が、間違っていた事になるから背筋が寒くなる。私のGPSの使用法は、どちらかといえば、雪山の基点の模索やルートの軌跡、そして万が一の時の御守(トラックバック)的に使ってきた。それも、操作がなかなか覚えられず、失敗の連続であった。まあ~、少しは「らしき」ように使えるようになってからは、カシミールに取り込むのが楽しみになっている。今回の事で、無雪期にも、もう少し真剣に取り組んでみようと思うようになったし、地図上に載っていない林道も調べてみたくなって来た。 p.m.7:40



11/12 お天気を考えると、ずーっと先まで計画が立てられない。もっとも、これから翌年の2月ぐらいまでは、そう変わった所にも出掛けられないし、前日までに行き先が決まればいい事になる。しかし、誰かを誘ったり、会山行となるとそうもいかない。それが、毎週(休日毎に)出かける者と、心の準備をしておかないと出掛けられない者との差かもしれない。同じ山でも、その時その時で違うように、同行者によっても、それは山行の雰囲気が変わるし感性が変わる。ワイワイガヤガヤがイヤだという人もいるし、同行を願いながら自分の世界を大切にする人もあり、世の中は様々である。何が良いとは言えないし、その教科書もない。でも、私は一回毎の山行を大事にするし、その度毎の出会いも大事にしたいと思っている。世の中はどんな事で、どうなるかはわからない。私がどれだけ好感を持っても、そっけなくあしらわれる事もあれば、“ もういいや!” などと思っていても、そうでない事もあると同じである。でも、世の中に「以心伝心」などの言葉があるように、そう悲観する事もない。しかし、どちらにしても相当のエネルギーがいる事に間違いはない。 p.m.9:55



11/11 「GPSと登山道が違っていることをよく経験します。最近ではGPSなるものが用いられて、かなり正確な記録が取れるかとも思いますが、昔はどんな方法で登山道を地図に記入していったのか、ズート前から一度聞いてみたいと思っていたんです。地図を記入した人が直接ルートを歩いて測量してたのかな? なんて単純に思っても見たのですが、航空写真だけで、分かりにくい所もあろだろうし? もっとも、崩壊したり、ルートの変更があったり、することもあるだろうけど? 元さんはどう考えられますか?
 上記は、山順さんから頂いたメールである。私はつい先日まで、地形図が正しく、GPSとの相違はGPSの方が感度が悪かったり、私の操作法が悪かったりしているものだと思い込んでいたものですから、返答に困ってしまったのですが、わからないものはわからないとなってしまった。でも、それを機会にどのように地形図が作られているのか興味が持たれてきた。航空写真や現地調査でわかるのだろうか?また現地調査とはどのようなものなのだろうか?と・・・・・
 山順さんからは久し振りのメールなのだが、まだお会いした事もない。文章には細やかなものを感じながら、情報によると雪山はもとより、ヤブ漕ぎまでされる豪傑で、以前に “ 失礼ですが、男性なのですか、それとも女性なのですか?” 問うてしまった事があった。その時の答えが、またユニークで「中性」と返って来たのである。多分、私よりお姉様の山順さんは、どんな方であろうと想像するだけとして、「山の話題」を数多く教えて欲しいと願うものである。 p.m.8:25



11/10 一昨日の「頚城駒ヶ岳」をGPSで軌跡を辿ってみたら、1/25000の地形図の登山道と接する所が、ほんの僅かで、“ この地形図はどうなっているの? ” “ えっ~、それともGPSが可笑しいの? ”になってしまった。当日もGPSそして、カシミールの大家である「北ちゃん」と、登山口を測定しながら、首をひねった経緯があり、岩壁にくりぬかれた所では、感度が良くなかった事があるにしても、どうも可笑しいのである。途中三度ほどカシミール地図とGPSを重ね合わせてみたが、必ずしも納得とはいかなかったのである。私は下山時には、GPSを作動させなかったが、登山口に到着してから、林道を確かめるために、スイッチを入れたが、これも自分の思いの道とかけ離れていたのにはショックであった。「北ちゃん」のコメントを、もらわないとわからないのであるが、改めて地図の見方の難しさに驚いた。登山口に辿り着いた時、冬登るのに新潟市から偵察に来たと言う男性にあったが、駒ヶ岳を見上げながら、バンド状のルートの認識が違っており、あれで雪山に登るのかと思ってしまった。はっきり言われる方の講釈に嵌ってしまう事があるが、自分を信じなければならない時もあると、しみじみと感じたのである。 p.m.10:40



11/9 連日のように間違いが続いている。脳の退化の他に、余裕のなさがそうさせているのであろう。昨夜も睡魔に襲われ、早朝のカキコミとなったのだが、「(ぎゃっこう)(きゃっこう)」のまま転換し、確認する事無く、転送してしまったようだ。一昨日は「焼山を焼岳」と思い込んでしまうなど、もう、呆れられてご指摘などないのであるが、恥ずかしい思いは変わらない。日記的なもので、そんなに気にしないでもよいのではの声もあるが、公開しているのであるから、もっと慎重でなくてはならず、この機会に気を引き締めなくてはと思っている。
 昨日、山から帰ってから、「山ノ神」が、北日本新聞の文化面に、小竹茜さんの「米大統領と大学生」というタイトルの記事を見つけた。茜さんは、我ハレルヤの仲間、小竹夫妻の愛娘である。彼女は、今春「八ヶ岳」で冬山訓練と称して、「岳人」にも登場するという文武両道の若者である。そんな娘さんをもつ夫妻は、今尚向学心があり、それを受け継いでいるのかもしれない。飲んだら「月光仮面音頭」を陽気に踊ってくれるダンナ!、横で笑い転げる奥様! 何事においても自慢する事無く、我々と気さくに付き合ってくれるハレルヤの事務局長とは、もう5ヶ月も山行機会はなく降雪が待ち遠しい。 p.m.7:15



11/8 頚城駒ヶ岳(新潟県糸魚川市)の山頂で、新潟中越地方の余震と思われる地震に遭遇してしまった。(あんなに揺れたのに、他の事に神経が注がれていたのか気付かぬ者が一人いた。)とっさに、岩壁にバンド状にくりぬかれた所の通過と、今にも落ちそうな大きな岩や、また急登場所の落石が脳裏を掠めた。しかし、崩れたり落ちたりするのであれば、もうとっくにそんな目に遭っているだろうと、開き直るしかなかった。山中の揺れは、下界で想像するようなものではなかったが、まともに細い岩峰などにいれば、心中穏やかでない事は間違いないであろう。それを除けば、車中、登高中、山頂滞在中など、全てが楽しかった。会話はもとより、自然の中での一つ一つの描写に対する感性も多くは違わず、只、速く歩くだけの山行とは違った味わいをする事が出来た。雪を載せていなかった焼山、逆光の雨飾山、霞んでいた栂海の山々・後立山連峰などと欲に切りはないが、全てのものを帳消しにしてくれるほど、皆の心に良さだけが残った山行であったに違いない。



11/7 この頃、人が恋しくなったのか、単独行よりも気の合った人達との山行が楽しくなって来た。レベルなど、どうでもいいようになって来た。近くに住む人達や、同業の人達、または同級生などと “ 一年に一度くらいは、一緒に行こうや!” と言うようになって来た。最近ボランティアが脚光を浴びているが、私は人のためになる事など何もやっていない。「道案内」などは、ボランティアなどとは遠くかけ離れていて、そんなものではないのであろうが、仲良くなりたい、役に立ちたいなどと思うようになるのは、やはりもうそろそろ終局を迎えようとしているのであろうか? p.m.11:59



11/6 今日は素晴らしいお天気だった。このお天気は明後日(私の休日)にかけても続きそうなのであるが、よくどんでん返しに遭っているだけに最後まで分からない。「北ちゃん」とeiko女史に、我々を加えての計4人で、頚城の「駒ヶ岳」に行く事になった。このメンバーでは, 6月中旬の「犬ヶ岳」、7月末の「金山・天狗原山」以来今年3回目になる。不定期で時々だから良いのかもしれないが、気さくで結構面白いパーティーであり、「雨でも集合」などと、早くもこちらの心を読まれている。
 私の駒ヶ岳行きは3回目になるが、どうしたわけか全部11月である。登山口付近の紅葉と、山頂からの「焼山」の展望が楽しみであり、また食事と語らいも楽しみの一つである。当日恐らく飲まぬ男達を尻目に、ビールをぐい飲みする女達と、次ぎ行く山も話題になる事であろう。
 私のアドレス帳に「月曜クラブ」と登録しているが、この不定期パーティーには、まだ名はない。「お達者クラブ」のような名に代わって、ステキな名を望むのであるが、そんな事に話題が及ぶであろうか? p.m.11:20



11/5 最近携帯を替えた友人から、「返信」機能しか使っていなかったから、アドレスがわからないので、知らせて欲しいとの電話があった。我々の世代になると、その事に精通している人以外、意外とこんなものである。「登録は家に帰ってから、または職場の若い者に!」などと・・・・。
 私はPCメールを始めた時、「テキスト形式」ならば間違いなく届くから、と教えられたが、現在私に届くメールは、「リッチテキスト(HTML形式)」が意外と多い。文字を大きくしたり小さくしたり出来るし、色も変える事が出来るからであろうか・・・そして、意外とないのが「署名」である。幾つもパターンを作っておれば、とても便利なハズなのだが・・・。もっと乱暴なのが、名も愛称もないメールである。「送信者」の欄を見れば分かるではないかという事なのであろうが、やっぱり名が欲しい。それにアドレスを付け、それを登録したのが署名である。「送信者」欄がアドレスで、名もないのもあり、せっかくメールをもらっても、どんな方かも分からないのでは寂しい。「名無しのゴンベイさん」、名がイヤなら愛称でもいいのですよ! p.m.6:10

 

11/4 ゆっくり地図を見たら、先日登った「御正体山」の近くに、百名山の「丹沢山」があった。チョット上に、三百名山の「三頭山」があり、下に目をやれば同じく三百名山の「金時山」と「箱根山」があった。今年は登る機会を逸したが、百名山の「木曽駒ヶ岳」と三百名山の「南木曽岳」を考えていた時、近くに三百名山の「奥三界山」と二百名山の「小秀山」が目に入った。また富山が雨で、何処か降らない所がないかと探した時、二百名山の「武奈ヶ岳」(滋賀)の近くに三百名山の「蓬莱山」があった。
 どれもこれも行った事がないから、どんな山かも知らない。山頂近くまでロープウェーがあるかもしれないし、登山口から僅かな時間で登れるかもしれない。もしかしたら、山頂まで車で行けたりして・・・・。何度も述べているが、決して名山に執着しているつもりはない。でも、東京や大阪、或いは、京都や奈良に旅行をするのなら、今はこれらのお山のてっぺんに登ってみたいという感覚である。「富山の山」は実にいい。富山近郊の山々もいい。その合間に一つ一つ潰して行く気持ちは、collectionとかわらない。でも、年に何回かの泊まりと、夜行日帰りばかりでは、限りが見えて来る。 高度な山登りをしなくても、山一色、山一辺倒、山三昧、どの言葉も私を酔わすのである。 p.m.4:30



11/3 「お願いだから一本だけ持って来てもいい。」昨日、御正体山頂で「山ノ神」が、我慢ならずに私に放った一言である。「山頂でビールを飲まなければ登った気になれない。」とも付け加えた。「チョット一口、何時間も山中にいるのだから・・・」なのであろうが、最近、私の体力がなくなって来ているせいもあるのだが、運転の交代もあるから、遠出の時だけは禁止している。数十万円の罰金もイヤだし、何かの時は、ほんのチョッピリでも良いわけがない事を力説しているのであるが、「山とビール」は切って切れないものだそうである。「往路は運転もする。しかし、復路はあんたがすればいい。」などと・・・。先日までは、「飲まなくてもいいから、持ってだけ行きたい。御守みたいなもの!」と戯けた事を言っていた。トホホホ・・・・ 私の一番心配するのは、遠出希望の「山ノ神」であるが、山頂付近まで来ていながら、「あんただけ、頂きを踏んで来い。私はここで休んでいるから!」と言って飲む事に重点をおいてしまう事である。私だって飲みたいのである。風呂も何も要らない。1分でも早く家に戻って冷たいものを飲みたいのである。しかし、7~8時間も掛かって家に戻っても、飲みたいほど飲めないものである。飲みたいと言いながら、「大してのめないくせに、山へ行かないで家で飲んでおれ!」などと言おうものなら・・・・・。



11/2 遠出と富士山がお気に入りの「山ノ神」。私も全国の名山をたまには歩きたい。でも今年4回目の山梨県行きで、経費の節約が脳裏に浮かんでしまい、二百名山の「御正体山」までは、平湯からトンネルを使わず安房峠越、松本・塩尻・岡谷・諏訪・小淵沢・韮崎・甲府そして御坂トンネル・河口湖・山中湖を経て登山口の山伏峠まで7時間を要した。途中道を間違えて富士・須走近くまで行き、大きな富士を見る事が出来たハプニングもあったが、歩く時間より車の運転の方が長いというのは問題である。
 初めての山というのはよく分からないので、山伏峠からの一般的なコースを選択したのであるが、始めから木々の間からとは言え、富士山を眺めながらの登高である。2度来る事がないと思われるだけに、出来るだけ多くのを画像として収めたが、これがデジカメの良いところである。
 急登という場面があっても、富山の山で訓練しておれば、大概の山は多くの汗を掻く事無く登れるのである。山頂までは、誰とも会わず、何と静かな山だと思っていたが、山頂へ細野方面から登って来られた2人の外国人と、下りで石割山に向かう3人の中高年女性と出会った。山頂からの展望もなく、只、 名山の頂きを踏むだけの山行を描いていた私であったが、登ってみれば御正体山もやはり名山に値する山であった。帰路の山中湖畔の紅葉は、山の紅葉など問題ないくらいの素晴らしいものであった。



11/1 時間がない時、お天気の悪い時は「牛岳」。そして私のトレーニングの山でもある。今日の牛岳は私のトレーナー、何時もの倍の時間を掛けて登ってみた。長い時間を歩くと、どうなるか分からないが、歩行には問題がないようである。しかし、蹲踞(そんきょ)の姿勢が辛い。膝を深く曲げるのが痛いのである。家に戻って、湯船で曲げれるという事は、何かの拍子で筋が伸びたのであろうか? 左肩も外に開くのに違和感があるし、左腕の内側にまだ傷跡が残っているから、樹木を左脇に抱えながら滑落した時のもののようである。風呂上りの今は、そう左膝が痛くないから、明日はもう少し距離を延ばして見るつもりである。
 予報と昨夜来の雨で、今日は「牛岳」と決めていたので、休日としては、久し振りにゆっくり寝れた。9月下旬のクマと遭遇して以来になった牛岳は、雨も上がり意外と新鮮な山行になった。先日の台風の影響なのであろうが、五合目ヒュッテ上までは、杉の枝打ちが行われたのではないかと思うほど、登山道は杉で覆われていた。またナラやクヌギが、根こそぎ倒れていて台風の凄さを物語っていた。葉は吹き飛ばされ、登山道に撒き散らされていたが、晴れの日に来れば、サラッサラッと気持ちが良いものである。この時期は登山道がもう少し手入がされているのだが、今年は次から次へと来襲した台風に翻弄されて手が回らなかったのかもしれない。時々見せる青空があれば、さあ~と流れるガス、サラッ・サラッと晩秋を告げそうな落ち葉に、感傷的にならざるえなかったが、ロマンチェックとは、ガラでもないかもしれない。 p.m.6:35