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12/31 好き勝手を書き続けているHPなのに、訪れてくださる皆さんや、また、わがままな私に同行してくださる山の仲間、そして、メールを通じて叱咤激励してくださる方々など、この一年本当に有難うございました。特に5月有事の時は、大勢の方々に助けて頂き、そのお陰でここまで続けて来られたようなものです。来年は、飛躍などと大げさなものでなく、もう一座、もう一回の気持ちで、大事に山歩きを続けて行きたいと思っています。そして、また新たな出会いがあれば、そんなハッピーな事はないでしょう。今まで山に行けた事や、多くの仲良くして頂いている山の友に、改めて感謝したいと思います。 p.m.9:25
12/30 予告なしにニ男の次に長男がやって来た。明日は長女が帰省する。だんだんと山に行けない条件が揃って来る。こっそり夜明け前に出掛けて、お昼過ぎに帰って来れば、何とか格好がつくのであるが、如何せんサミダレ式に戻って行くとなれば、「勝手に帰れ!俺は山に出掛け来る。」とは、山バカのオヤジとて、ちょっと都合が悪い。しかし、二男が出来てから、ずーっと撮り続けていた元日記念写真を、久し振りに全員揃う事が出来そうである。(同じ場所で、20年も撮り続けると、これは面白い。)
12/29 今年初めて元日に山に出掛けた。と言っても市内にある二上山・大師ヶ岳であって、標高は274mである。今まで元日は予定が多く登る事自体諦めていたのであるが、早朝に出掛ければ何とかなると思った。そんな事もあって、全休日山行日の目標が出来たのであった。今度は、ちょっと足を延ばし、「千石城山」か「尖山」などを考えていたが、現時点の予報ではダメであろう。初詣感覚の山行も、午前中に高岡に戻らなければならないのでは、雪量が少ないか、好天でなければチョッピリ苦しいところである。
12/28 ようやく年賀状が出来た。お一人お一人へのコメントも、最後は手抜きになった感は歪めないが、赤い目を擦りながらホット一息である。今年は、山行回数・日数とも自己記録更新となったものの肉体の陰りが顕著になってきた。二ヶ月前に左膝周辺に異変を感じてから、いつかは来ると思っていた症状があらわれた。昨日の大辻山から降りた長尾峠で、今までやった事のない身体へのメンテナンスと決め込んで行ったストレッチ?で、その後は、ずーっと足が攣りっぱなしである。“ 疲れやすくなる。”“攣る。”“動かしていた方が楽である。”の症状を気にしながら歩いて来たが、今回はちょっとショックである。勝手の「黄金の足」は無理にしても、私はずーっと歩きたいのである。車の事を述べただけでも、心配してくださる方々があったのに、こんな事を綴れば、“ どうしたの?” などと言われそう。でも、じーっとしているのが辛いだけで、歩けば楽になる「好山病」特有の症状であるから、心配して頂くほどでもない。こんな事を明かしながら、次ぎ行く山を模索する「山バカ」に自分ながら呆れている。
12/27 年賀状できりきり舞の私と、朝寝坊の「山ノ神」で、今日も出遅れてしまった。私は「牛岳」、「山ノ神」は「千石城山」を提案したがまとまらず、「来拝山」「大辻山」「高峰山」のある大辻林道に車を向かわせた。予想をはるかに上回る積雪は、城前峠で15cm超、長尾峠で25~30cmもあった。無理矢理車を長尾峠まで入れたので、行けるかどうかはわからないが、大辻山を目指す事にした。遅い正午発である。2時間がタイムリミットと決めていたが、真新しい雪の感触は良く、2時間で山頂へ到達する事ができた。ずーっと雪は降り続いていたが、登り納めの山として、「大辻山」は最高であった。もう一降りすれば、根も岩も完全に雪の下になるであろう。積雪は40~70cmといったところか! p.m.7:45
12/26 私のカードクター「肇ちゃん」の計らいもあり、点検を終えて、しかもあまり費用もかけずに愛車が戻って来た。チョット見てくれが悪くなったが、安全なら良しとしなければならない。何故きゃっぷやナットを持ち去ったり、緩めたりしなければならなかったのかわからないが、私の身の回りに心が病んだ人がいた事になる。“ 可愛そうに!” などと少し心に余裕が出来た。今年も怒って損をした事がたくさんあった。「忘れる事である。忘れるが得! 笑えば大得である。」・・・・明日は、今年最後の山行であるが、まだ行き先が決まらない。年賀状もまだ完成していない。やる事がたくさんあるのにと思いながら、今年77回目(79日)の回数をこなす事になるが、タイヤ周りを再点検してから出掛ける事にする。
12/25 予報に反して朝から素晴らしいお天気である。この後ずーっと雨または雪の予報だから、今日の好天は今年最後かもしれない。昨日は、山関係以外はパッとしない一年を締め括るように、黒い服を着たサンタがやって来た。愛車の右前と左後のタイヤのキャップとナットを外され(無くなっている)ピンの所が壊されていたのである。(車の事は詳しくないので・・・)不安なのでディラーに点検してもらう事にした。あくどい悪戯だと思うのであるが、もしかして、私を山に行かせたくない者がいて・・・こんな悪戯な事をやる者としたら・・・三人の子供は東京・大阪・愛知だし、こんな事が出来るはずがない。すると我家にもう一人いる。まさか・・・・・。ダメなら娘が残していった軽自動車がある。それでもダメなら、電車・バスを使っても俺は行く! などと冗談を言えているからまだ良いものを、これがわからず、運転中に何かがあったらと思うとゾーッする。私は何も悪い事をしていないつもりですから、二度とこんな事をしないようにと願うものであります。 p.m.1:50
12/24 大辻山下山中、「花じい」から山行機会が少なくなるかもしれないと聞かされ、自分の耳を疑った。知り合って来春2月で、まだ3年しかならないし、年に1~2回しか同行機会がないながら、何か寂しさを感じてしまった。私と「花じい」は、元々休日が違うし、機会そのものが少ない。月に3度も雪山を一緒した事もあったが、そんな欲張りは言わない。年に1~2回の機会を維持してくださいよと願ったら、「仕事もオフも忙しいのですが、仲間と山に行く機会は大事にしたいのです。私がこう
いうことに興味を持ったのも、すばらしい人々に出会えたのも、山歩きがあったから
ですし、自分自身の原点として大事に思っているのです。」先の事は分からないだけで、「もちろんです。元さん、ハレルヤの皆さん等との山行は大事にしたいと思っています。」とあって安堵した。植物研究またボランティアなど、彼の行動力に頭が下がってしまうが、私も何かやらなくては!「 山を汚さない!」から、山のゴミを一個拾らう(持ち返る)と、ささやかなグレードアップぐらいでは何にもならないであろうか? p.m.0:00
12/23 叱られるかもしれないが待望の雪が降った。しかしその量は少なく、薄っすらと屋根や車の上に積もっただけであった。HP上で、らいちょうバレースキー場ゴンドラ山頂駅の積雪を見ても15~20cmであった。ならばと、白馬の各スキー場を覗いて見たが、殆ど積雪がなく休業状態であった。真っ白な雪の上を歩く気持ちは何事にも変え難い。しかし、これが多過ぎるとまた厄介である。雪がなければ、時間のない元日も、初詣感覚でチョットした低山に登れるかもしれないなどと、この「山バカ」は、極楽トンボ思考になってしまう。もう一週間もすれば娘が帰省する。(息子達からは、まだ連絡がない。)「お父さん、いつ山に行くの?」 「・・・・」希望的山行予定は、しばらく休まなければならない。
12/22 大勢での山行は、盛り上がれば楽しいし、新たな親交も生まれる。苦手でも合唱となれば少しは付いていける。オーケストラがなくても快い響きとなるのは、山がバックになるからであろうか? そんな余韻が冷める頃、再会を求める心と、生意気にも本来の山行スタイルへの執着との乖離が生じて来る。自惚れでも何でもないが、一つ一つの出会いが嬉しくてたまらない。世にはネットを否定する人もいるが、ポリシーさえしっかりして悪用さえしなければ、こんなに便利なものはない。そして自分を失わない事であろう。私自身「山とPC」は、切っても切れないものになってしまった。どちらが欠けても続ける事が出来ないような気がしてならない。只、私のHPは、私の山の記録なのであって、公開するために歩いているのではない。でも、評価されるとチョッピリ嬉しくなる。時々、難敵(私レベルの・・)に立ち向かいたいと思うのは、まだ私にも僅かながら冒険心が残っているからであろう。「登ってみたい!」「行ってみたい!」の心が続く限りHPも続ける事が出来るのではないかと思っている。 p.m.8:00
12/21 人生にはいろいろな出会いがある。しかし、チョット遅れただけで遭遇しなかったり、チョットよそ見をしたばかりに聞き逃し、絆を強く出来なかったりする事もある。だから私はその出会いを大事にしたいと思っている。でも、出会ったからには必ず別れが付いて回る。私にもほろ苦い別れが沢山ある。「♪ ひとつだけ こんな私の わがまま 聞いてくれるなら あなたは あなたのままで 変わらずにいてください。」
そんな意味でも「♪ 山と仲間」は、感動の一曲である。一年前に「シュンちゃん」が唄ってくれて、とてもいい曲だと思っていた。私は元来唄は苦手で、下手だから唄わない。唄わないから下手になるなのだが、今回の大辻山行では、剱岳や大日岳を眺めながら、この曲を唄えたら、また知らない人達にも覚えて頂きたいと印刷・コピーをしたものを持ち込んだ。しかし、意外にも知らない歌詞があり教わったのだが、家に帰って探しても見当たらず、昨夜「花じい」に、問い合わせてみた「♪ あれは 二十歳(はたち)の 夏の終わり 山に行こうと 誘ってくれて 慣れぬ私を 叱った人 本当のやさしさ いつか知る」
歳を重ねると涙腺が緩くなるばかりではない。想い出を感傷に重ね合わせられるのは、それだけの量・質があるからであろう。山行く心も想い出作りで、共通の想い出が多い人ほど心豊な人なのかもしれない。 p.m.0:00
12/20 昨夜は、大辻山の余韻を楽しみながら、チョッピリお神酒を頂いたら、またまたPCの前でコックリが始まった。でも次ぎ行く山は、午後からの雨を予想して「負釣山」とした。
負釣山には予想通り全く雪はなかったが、ぬかるみもなかった。1/6以来の負釣山は、初冬の山と言うより晩秋の山であった。山頂から眺める「初雪山」や「白金ノ頭」に雪がなければ様にならない。しかし、朝日小川ダムから大地経由の初雪山や、今春辿った白金ノ頭へのルートを目で追った。どれも長いコースである。条件さえ揃えば、今度は、その隣りの「定倉山」に是非行ってみたい。体力も気力も落ちてきているのに、この時ばかりは、「山の空気」が私に活力を与えてくれるような気がする。それがすぐに消えるから(持続しないから)、またすぐ山に登らなければならないのかもしれない。 p.m.7:10
12/19 少雪でチョットぬかるみも気になったが、雨があがって、時折映画のスクリーンのように、雲の中から、剱岳や大日岳が現れては消える、何とも言い難い光景に何度も歓声があがった。出発は15名だったが、山頂に何故か突然北尾根からやって来た中山君。そして、時間が経って後を振り返ると、初対面の「しずか様」ご夫妻が立っておられるではないか。(山頂で18名になる。)
宴と言う人もいるが、初対面の方々を含めた語らいの場が3時間も続いた。「花じい」や辰口氏、桝天さんの歌声に痺れてしまった。我らのエース「シュンちゃん」や筏井氏も負けずと唄いコーラスとなった。伸子さんや絹子さんは鍋奉行に徹してくれ、申し訳なかったが美味しいものを腹いっぱい食べるさせてもらった。初参加のH.fujii氏やイマイチ女史には、我々のパーティーがどのように映ったのであろうか? ケガを押して駆け付けて頂いた池田夫妻にお会い出来た事も今日の大収穫であった。あまりにも楽しく喋り通しだったので、トリとしての心積もりであった、シゲキさんの「月光仮面」が披露できなかったのが残念であった。それにしても、脚力もお喋りも凄くあのエネルギッシュな細川女史の源は何処にあるのだろう。「山と仲間」を何度も何度も唄ったくらいに、今日はとても楽しい山行であった。 p.m.7:35
12/18 “ 君は会(山岳会)に入っているのかね? ” と知人に尋ねられた。“ いいえ!無所属です。でもグループとして、近年出来た二つがあります。一つはハレルヤ、もう一つは好山病友の会。” その知人は、“ 何じゃ!その好山病友の会とは?” 私はその名に付いての経緯を話すと、その先の第一候補であった「好山病協会」を、「好山病狂会」にすれば良かったのになどと、ちゃかしていった。 ほんとだ。これは面白い。でも決まってしまったのだ! 明日は、もう一つのハレルヤ的山行である。予報は降らないとある。しかし、何度もだまされているから、まだ信じられない。でも我会に「晴れ男」の筏井氏がいるから心配ないようである。 p.m.10:50
12/17 来週にはようやく平野部にも降雪が見られるようであるが、今度の12名での大辻山行では、ずーっと雪上を歩くような事は期待出来ないようである。毎年12月や1月は、行き先選定に苦慮している事が多い。それは日が短い事もあるし、天候・雪量を加味しなくてはいけないからである。過去の記録を見てみると、地理的なこともあるが、12月は圧倒的に牛岳が多い。千石城山・小佐波御前山と続く。1月は、千石城山・牛岳・小佐波御前山と順位は変わるが相変わらず「御三家」が並ぶ。そして、お馴染みの大辻山・負釣山・八乙女山が顔を出す。近年は、その隙間を縫って条件さえ合えば、違った所へと模索するようになった。今冬は暖冬少雪の傾向であれば、意外と行き難い所へ出掛けられるかもしれない。初雪山などはこの時期とても行けないが、トレースのない大地山に行きたいとなれば、狙い目かもしれない。もちろん何もかもの条件が揃っての事である。 p.m.6:00
12/16 「HPの写真が、もう、ずっと雪景色なので、何だか不思議な感じで見ています。
神奈川でずっと暮らしていると、‘雪’は特別な物という感覚なので、雪山を楽しまれている様子、新鮮です。寒いのは苦手なので、雪山なんてとんでもないと、思っていましたが、ちょっと誘惑されますね!」神奈川の由利香からのメールの一部。北陸富山では雪が当たり前で、雪のない(少ない)のが不思議なくらいである。“ 初雪は何時なのだろうか? ”“ 年内に降るのだろうか? ” そんな話題でもちっきりである。しかし、昨年の12/21のように突然降り出し、「立山国立少年の家」からの大辻林道の積雪は120cmとなり、8人の強靭なラッセル隊を持って来てでも、長尾峠の登山口までさえ行けなかったのである。
12/15 「花じい」との山行機会を優先してしまったためハレルヤの仲間に迷惑を掛けてしまった。でも、人気の「花じい」との再会を楽しみにしていたのは、私だけでなかったようである。「花じい」とは、1月の「赤谷ノ頭」でご一緒出来ず、昨年11月末の雨飾山以来である。ハレルヤの仲間とも6月の大日岳以来の久々なのである。「赤谷山の主」辰口氏も加わるから賑やかになるに違いない。今のところ雪はない。(少ない) 早く山頂に着き過ぎると大宴会になる危険性がある。運転手付きと言えども、歩く時間より宴の時間の方が長いのはチョット考えてしまう。お互いよく分かっているのであるから、その「幻の水」を、そーっとリックの中に忍ばせていて、イザという時の出番を待つ事になる。嬉しい話がある。12/12H.fujii氏が「少し色褪せかけた赤いちゃんちゃんこ」名で、山の情報をくださる富山の池田夫妻と出会ったそうである。お互い面識のない方々のはずなのに、何故か私の話題になり、“ ヒゲのない元さんに会ってみたいになったそうである。” その池田夫妻は、2年前の同時期に、「シュンちゃん」と「花じい」が、母を亡くした私のための復帰山行を、同じ大辻山で企画してくれた時に、ガスの中の宴の最中に現れた夫妻なのである。“「花じい」って若いんですね!” “ああっ「黒部のシュンちゃん」” 、“ あれ、ターさんは? ” などと私のHPに登場する人物を覚えてくださっていた方である。その池田氏は足首を骨折され、まだリハビリ中で、長倉峠まで車が入るのなら、自分達のペースで来るかもしれないとの事である。木曜日夜からの寒気が、どれだけの降雪をもたらしてくれるのか期待する半面、今日頂いたメールの署名が「少し色褪せた・・・・」から、「すっかり色の褪せた赤いちゃんちゃんこ」に、変わっていた池田御夫妻に会いたいものだと複雑な気持ちである。
12/14 昨日のお天気が、今日のようであれば良かったのにと思う程素晴らしいお天気であった。家路は県西部に近付く程、路面は濡れていなかったし、空も明るかった。結果的にはお天気の悪い方面の山に行ったような感じであった。白鳥小屋は、外の降雪を全く感じさせない程暖かであった。始めは寒い寒いと言っていたのに、頭をぶつけながらあがった明るい二階でのキムチ鍋に、顔も真っ赤になるほどであった。時折、誰か来たのではないかと思わせるように、ドアが鳴ったりしたが、こんな所で泊まれたら良いのにと皆が思ったに違いない。唇の乾きを湿らせるくらいの量のお酒でも、我々にはちょうど良かった。そんな盛り上がった時にも、“「ハレルヤ」の名はいいね!” ぐらいでグループの名は付かなかった。下に降りて雨具を着ながら、誰ともなく言った「好山病」が気に入っている。それを使いたいという事になって、「好山病協会」となったが、あまりにも奇抜過ぎる事に気がつき、「友の会」を付け加えた。今年は、「犬ヶ岳」「金山・天狗原山」「頚城駒ヶ岳」そして、昨日の「白鳥山」の4回の機会を得る事が出来た。さて、来年はどの程度行けるものやら・・・・。「北ちゃん」「eiko女史」「山ノ神」そして、私の4名でのスタートである。 p.m.5:00
12/13 坂田峠付近から「山姥の洞」方面に延びている林道は完全舗装であった。しかも標高は760m、白鳥山までは110分のコースタイムである。洞や滝があるものの、金時坂やシキワリを経由する坂田峠からとどちらが良いかとの批評は避けたい。今も上路から登られているだろうし、私が初めて白鳥山へ登ったのも大平峠からであった。栂海新道に出てからは、降雪が強くなり、白鳥小屋で食事のための滞在時間中、新たに2~3cmの積雪があった。コロコロ変わる予報中、山行日は決まっていたが、前日まで行き先が決まらなかった。同メンバーでの山行が4回目となった今日、白鳥小屋でグループ名がようやく決まった。少々の悪条件でも出かけるに相応しい名、「好山病友の会」である。山行日は不定期だし、今のところ会則も何もない。
12/12 黒部の堀シェフのお父様が亡くなられお通夜に行って来た。行って来たと言うけれど、通夜式が終わってしまっている時刻に行き、実に顰蹙ものである。でも、心が通じればいいという気持ちで出掛けて来た。堀シェフは、「シュンちゃん」を通じての山の友で、そう何度もご一緒したわけでもないが、彼の印象がとても強く出掛けたのである。厳冬の森石山のガイド役、ハレルヤでの同行の他、白金ノ頭からの帰還を登山口で待機していてくれたインパクトはとても強烈なものであった。また、顔見知りになる以前に、大猫山で一声かけたのが、掘シェフだった事が、後から分かったのも驚きであった。そんな彼のお父様の遺影を拝見しながら、とてつもないスポーツマンであったと聞かされ、今の彼の強靭な足腰に頷ける事が出来た。お父様のご冥福を祈ると共に、彼の復帰山行は、是非私の休日に合わせて欲しいものだと願うものである。
12/11 「山と渓谷」の年間購読を止めて半年になる。また書店にも足を運んでいない。経済状態が悪く真っ先に削られたのが「山と渓谷」となったわけである。ずーっと読み続けていると、そんなに真新しいものが多くはないのであるが、先鋭に映し出された表紙の山の写真や、特集とされる記事を読むにつけ、山行への意欲を掻き立てていてくれた。私にはそのムード(雰囲気)だけで、「山と渓谷」の値は充分あったと思っていた。「おーい!何か山の話題はないか?」 こんな日にも役立っていたと思う。
12月の雨やミゾレには、山行意欲を削がれてしまう。そして、山行計画自体難しい。雪はまだか・・・・・。
12/10 昨夜にアクセスカウンターが200,000件を超えました。本当に有難うございます。何度も申し上げますが、開設当時は、1,000件を超えるのに7ヶ月を要した事を思えば夢のようです。この先は、あまり欲張らず、1/9の当欄開設4年(残っているものから!)2/6のHP開設5年、5/24の復活1年を目標に、コツコツやっていきたいと思っています。そのためにも、精進して自分の身体を大事にしなくてはと心新たにしています。昨日、市内の高田氏より、“ あまり立派過ぎるというか、手が届かぬHPより、同レベルというか、間に合うHP、参考に出来るHPがいいのですよ!毎日に拘り過ぎず、気楽に続けてくださいよ!”とお褒めというか、激励というかお言葉を頂き、妙に納得した。現在の自分の技量をそのまま書き続けていけば、多くの方々に喜ばれ?まだまだ交流が増えるかもしれない。それから、「赤裸々」に書く事もないとの忠告も時々受けるのであるが、それを除くと私らしさがなくなってしまうような気がしてならないのですが・・・・・。どうしよう! a.m.9:05
12/9 あまりしたくない話であるが、一日山に入ると必ず生理現象が起こる。以前、当欄で、せめてティッシュ-でなく、トイレットペーパーを使おう。その方が、まだ溶けたりして自然に優しいと提案した事があった。しかし、こんな話を聞いた事がある。“ 白いきれいな花が咲いていると思って近付いたら、ティッシュ-の花であった。” また、“ 雪山で雪を溶かして水を作っていたら、ティッシュ-が浮かんできた。” この産物は、自分から離れると嫌われものになる。私達は最近、このペーパーを持ち帰る事にしている。慣れればなんて事はない。自分でマニアルを作る事である。私はペーパーをなるべくきれいに使いナイロンの袋を二重三重にすれば全く問題はないと考えている。山に入る者、何らかの方法で自然を守らなければならない。 p.m.11:35
12/8 私の取り扱いが悪いのか、使用頻度の問題なのか、またまたカンジキを買ってしまった。(アルミ製)五つ目である。出刃部分が、ねじれたり緩んだりして、接合部の鋲が取れてしまうのである。購入店を介して、製造元に修理に出したが元の木阿弥だった。ならばとホームセンターで、ビーズを買って締め直したものを、人形山で試してみようかと持参したのであるが、点検を怠り、片方のバンドを付け忘れて来て使用せずに終わった。未だ雪量が少なく、この時期に実験しておかなくては、イザという時に痛い目にあってしまう。その煽りを食って、次回からの山行が不安故、カンジキの購入となってしまったのである。“ そんなに山が好きなら、万全の備えをするのが本当だろう。命がかかっているのであるから、何をケチケチしている。他のものを削っても、安全な装備につぎ込め!”これが今は亡き母の口癖であった。違った意味で、母は私の山に対する一番の理解者だったのかもしれない。
12/7 “午前中は晴れる。” を信じて先週に続いて人形山にしたが、思う通りにはいかないものである。中根山荘に至る林道の上部は、凍結してカチカチだった。登山口の駐車場の積雪は10cm超。始めから真新しい雪の上の登高となる。しかし、風は強くなるものの、一向に青空が出て来なかった。しかし、梯子坂に至るまでは、まずまずの展望であった。積雪が30cmを超えると、流石に二日間連続の雪中行軍となり、「山ノ神」の脚力に陰りが見えて来た。強風・ガス・寒さに居たたまれなくなり、三ヶ辻山分岐で、大笠山や笈ヶ岳の雄々しい山容を拝んでから退却とした。またまた、私一人山頂へと勧めてくれたが、万が一の事や待つ者の辛さを考えると、雪山ではとても出来なかった。途中風当たりの少ない所で、簡単な食事をして、雪道を駆け降りた。その快感を覚えたら忘れられない。 p.m.8:25
12/6 理由はわからないのだが、「山ノ神」と、ここ2~3日気まずい雰囲気が続いていた。そして今日の日中の予報も悪く、山の話も出なかった。私は早起きしてHPの書き残しを終えて、空を見ると必ずしも良いとは言えないが、青空も見えるのである。予報は相変わらず夕方からの回復である。起きて来ぬ「山ノ神」を置いて、五箇山周辺の山にでも出掛けようかと思った矢先に「山ノ神」が起きて来た。「行くのか?」一応声だけはかけて見るつもりであったが、「OK!」なのである。今まで何を怒っていたのか知らないが、休みになると「平和条約」が成立するのである。いや休戦協定かもしれない。人形山を独り駈けと思っていたのだが、午前8時半発ではチョット遅過ぎるし、利賀の金剛堂山行きに変更した。と言っても、初冬の1650mの山である。471号線に入ると道端に雪がある。もっと高度を上げると、少ない雪であったが、除雪されていた。スノーバレー利賀から先は真っ白な道を走った。登山口には10cm位の積雪であった。密かに天候の回復を願いながら、やって来たのであるが、最後まで視界は開けなかった。「山ノ神」が、何で私の後につんだって来る(ついて来る。高岡弁いや富山弁)のか未だに分からないのであるが、重荷を降ろす快感を覚えたのか、それとも、真っ白な雪の上を歩く喜びを覚えてしまったのであろうか? 私から見ると、その極意は、まだまだ先の事で、山頂でビールを飲む事だけなのかもしれない。今日も手が悴むほどの寒さ冷たさなのに、それだけは嗜んでいたようである。 p.m.9:25
12/5 一日中可笑しなお天気だった。風は強いが気温は高く、そのうち霰が降った。東京では朝方強風で、日中は夏日であったとか!北海道の西部では低気圧の発達で風雪が強かったとか? 明日の午前中は山沿いで雪マークが付いていた。まだ行き先が定まっていない。仕事のように出掛ける自分が可笑しい。何故!そんなにしてまで?それは自分の体力に不安があるからの何物でもない。
12/4 妖怪大猫氏が大辻山に現れたらしい。(私の友人が山頂で会ったらしい!)彼の山行回数は、私など問題ないくらいに多い上、マイナーな所ばかりに出かけているようであったが、師走にもなると、やはり下に降りて来たのであろうか? 名前は恐ろしいが、本当は無口で誠実な若い男性である。大高山で偶然お会いした事で知人となったのであるが、初雪山登頂の折、その情報を嗅ぎ付けて、反対側(寝入谷側)から登り山頂で待っててくれる離れ業(思いやり)で、しかも、そのルートに誘ってくれ、降りてから反対側の私の登山口(朝日小川ダム)まで、送ってやろうかと言ってくれた優しい男であり、欠点をあげれば、酒を嗜まない事ぐらいである。今は某山岳会に所属して、私など足元にも及ばなくなり、会う機会も無くなってしまった。また、彼のHPは知る人ぞ知る個性的なものであるが、未だ非公開のようである。 p.m.6:30
12/3 最近私が楽しんでいたHPで、休止しているものや止めてしまったものが目立つようになった。本当は私が他人をの事言える立場ではないが、体調を崩されたのか、それとも忙しくて時間がなくなってしまわれたのだろうか、いやいや本当にイヤになってしまわれたのだろうかと心配してしまう。“ 半年前のお前はどうなったのか?” などと逆に問われそうであるが、語っても誰が助けてくれるものでもないと、私は貝のように口を閉じている。“ 良い所だけ見せたい。”ものだが、それが結構疲れるのである。「継続は力なり。」などと励まされるし、コレクションのように資料が溜まっていく楽しみもある。しかし、何事も山登りや人生そのもののように、アップダウンの繰り返しで、どうかしたら楽しい事など一瞬、また新たな苦しみに向かって進んでいかなければならない。「いい事なんてないよ! 自分のためだよ!」 該当されているHPの主は、私のHPなんか知らないと思うし、私の独り言である。 p.m.7:35
12/2 以前は「文化の日」あたりが最終登山、もしくは納会的山行などと言われる方々が多かったように思えたのであるが、このところの暖冬のせいであろうか、最終山行が遅れているようである。登山口に雪が現れるまでなのであろうか、或いはグループ化されて、もう少し大丈夫という事になっているのかもしれない。もちろん洗練された「山の会」の方々は、オールシーズンであり、我々の論ずる枠外の事である。雪山のトレースを辿った経験などはあまり当てにならず、増してや人の足跡ばかり見て歩いていたのでは、あまり役には立たない。低山でもトレースのない山を、いろいろ格闘して登るのがいい勉強になる。地形図もコンパスもいるし、ツエルトやヘッドランプも、リックの奥に入れていて欲しいものである。雪上のコンロの効率も、あの手この手と考えるのもいい。スコップが重たければ、小さなシャベルでも手助けになる事がある。真新しい雪が、もっと下に降りて来ないかと思うのであるが、生活となると、あまり多くの雪はいらない事になる。 p.m.10:45
12/1 福井の松尾氏から、“ 富山には変わった名前の山が多いね!” と言われた事がある。「赤摩木古山」「タカンボー山」「マルツンボリ山」などを例にあげられた。その周辺には、「オゾウゾ山」や「ソウレ山」(岐阜県白川村)などがある。カナ読みが珍しく思われたのかもしれない。県東部にも「イブリ山」「サンナビキ山」などが地図上にある。珍しい事なのだろうか?
しかし、富山に難読な山名はあまりない。あえて述べるなら、「笈ヶ岳」「負釣山」であろうか? 石川県になると、その笈ヶ岳に登るのに通過する「冬瓜山」は、なかなか読めない。「分県登山ガイド・石川県の山」を読んでいると「おまい山」というのがあった。どんな山なのだろう?
百名山では、「武尊山」「皇海山」「四阿山」「光岳」「空木岳」が難読だろうか?二百名山では「乾徳山」「三嶺」「えぶり差岳=えぶりは、「木」へんに「八」を書くのであるが、フォントの関係上、上手く表示出来ない。」。三百名山では、「神威岳」「一切経山」「倶留尊山」「涌蓋山」あたりか?