2/28 昨夜の月や星も何処かへ行ってしまい、登りがけから雲行きは怪しくなった。小川朝日ダムにも雪がいっぱい。発電所向かいの「くろべ平」までの杉林は、何時になく地肌を見せていなかった。その急斜面を登り始める頃から雪が舞い始めたが、長勢君の力強いラッセルに、eiko女史・「山ノ神」・急遽参加になった高田氏と私の4人は、引っ張られぱなしであった。フードを被るほどに風雪が強くなっても、もしかしたら、大地の山頂に立てるのではないと思うようになっていたのだが、夢創塾・鍋倉山からのルートと交わる直下で、アクシデントが発生し、協議の結果、先に進まず雪洞を掘り、暖を取る事になった。最近雪洞堀に燃える我々は、横穴と縦穴のミックスの住居を造り、その暖かさを実感するに至った。大地には届かなかったが、雪洞作りも含めて3時間余りは童心に返り実に楽しかった。今後の予報とあの雪量では、しばらく初雪山日帰りは出来ないのではと思ってしまった。 p.m.8:30



2/27 いつもの事ながら、ギリギリに目的地が決まる。お天気が崩れる予報があるが、その予報が遅れることを期待して、大地山に行く事になった。今は凍ってバリバリ、明日の後半は腐る、或いは雨っけの雪を想定している。初雪山を望む事が出来ればハッピー、見れなくて元々のつもりで出かける。美しい雪と穴掘りが目的? 明日も「魚津のあんちゃん」に頑張ってもらおうか!飛び入りの紳士にどう映るやら・・・・・。 p.m.11:35



2/26 予報が悪いが、今日の天気のようであれば、明後日の大地山に行けるのではないかと思ってしまった。800mあたりからの広い尾根はいやらしいが、降っても何処かへ行きたいわけだから思い切ってなどと思ってしまう。しかし、明日午前中までというけれど、チョット強く雪が降り出してしまった。諸条件を考慮して、明晩に決定したいと思っているが、雪洞を掘りたくてウズウズしているあの若者を、どうなだめたらいいのかと思案している。お天気が回復すれば何もかも解決するのであるが・・・。 p.m.11:45



2/25 単独行が多いと思っていたが、イザ過去の山歴を調べてみると、近年はそれほど多くはなく、逆にビックリしてしまった。昨年は、独りで家を出て、山中誰とも会わなかったというのは4~5回程度、今年も今のところ、独りで家を出ながら、他の登山者と交わっている。ハレルヤ・「好山病友の会」、或いはその他のゲストとの山行など、交流が増えたという事なのだろう。以前は低山だけれど雪山では、誰とも会わなかったのが、「山ノ神」と二人になり、そして友人が増え、楽しい味を覚えたのかもしれない。共通の想い出が多いほど楽しく、その世界も広がって行くが、誰だって人間。時にはセンチメンタルになる事もある。独りになりたい事もある。誰かに話を聞いてもらいたい時もある。顔を見るだけでもいい時もあり、人様々である。



2/24 恥ずかしながら、「メガミット」という言葉を知らなかった。今夕、先日の八乙女山に同行してくださった吉尾氏が来訪され、二冊の本を置いて行かれた。私は生憎仕事中で、満足な応対が出来ず本当に申し訳なかったが、「メガミット」という言葉を残され立ち去られた。「男のこだわり野遊び術」の本にその項目があった。ネットで調べてみると、「シェルターテントとタープとの中間的なシェルターで、ピラミットの形をしている。」との事。先日は雪に覆われた東屋を休息場にしたが、雪洞の話題も多く出たものだから、昔から山に親しんでおられる同氏が、そのアドバイスをしに来られたようであった。普通雪洞には二種類有り、積雪が豊富な斜面に作る横穴式と、積雪が少ない時に掘る縦穴式がある。横穴式は内側がドーム状になっていて、内部が暖かく快適であるが、充分な雪が必要であるし、手間が掛かる。縦穴式は、中に人が座れるくらいの深さの穴を掘り、上にスキーや木の枝を渡してシートをかけ天井にする。雪が少なくても出来るが保温性に欠ける。メガミットは、その縦穴式雪洞に上にのせ、四隅をぺグで固定し、さらに裾周りを雪のブロックで固めるというものである。更にツアー用のストックを二本連結しポールの長さを自由に調整出来るというのである。穴が深ければ階段を作り、また中央にブロックでテーブルを作れば便利である。無雪期でも底がない事を逆に利用すれば、とても行動的だと賞賛している。試してみる価値はある。我々も先般牛岳で、まがいなりの雪洞掘りがワンステップであり、次の雪洞作りが楽しみなのである。 そして、雪山では、ツエルトよりも、シャベル方が、必須アイテムのようである。p.m.11:20



2/23 トレースがない大地・初雪山に行きたいなどと常々言っているが、もう一つ違った理由がある。「白色」が似合う初雪山に、黄砂の影響のない時に行きたいからでもある。今日は「春一番」で、少なかったとは言え、黄砂が飛んだようにも報じられた。ピッケルが刺さらないほどの頂の時があれば、昨年のように、多くの小枝が顔を見せているような時もある。今年も多くの人達の心を唸らせる絶景を見せてくれるだろうか? 一日も早く大地山頂に立ちたいものと願っている。初雪山へは、その後何時の機会でもいいと思っているが、必ずしもお天気の時ばかりでなく、その機会を逸する事もある。 p.m.11:15



2/22 最近、当欄にも時々登場する辰口久一氏の赤谷山の登頂回数が92回だそうで、今秋にも待望の100回になりそうである。その記念山行が「私の休日に合わせてよ!」などと先日の八乙女山行でお願いしていたのだが、私の我ままばかりが通るわけもない。酒豪の彼と、運転の事も気にせず、夜空の星と剱岳のシェルエットを肴にすればなどと、その期待に胸が躍る。その剱岳北方稜線の山などに比べれば、それこそ「月とすっぽん」になってしまうが、昨日の牛岳山行が90回目となった。この調子でいくと、予定通り来冬に100回を迎える事が出来そうである。天候の悪い時や時間がない時に、牛岳に通ったわけだが、今想えば一回毎に想い出が甦る。その時思いもしなかったが、母への介護の合間を縫って通った牛岳が、今となっては一番印象的である。 p.m.5:50



2/21 「雪でも行く?」と若きラッセル隊長・長勢君に連絡を取ると、「もちろん行く。」との返事、夜遅くeiko女史からも「行くちゃ!」の返事で、準好山病友の会?山行となる。五合目まではトレースの上に、昨夜来の降雪が覆い被さっていたが、アルバイトせずに楽チン!その後は強力なラッセル男が、引っ張っていってくれた。その頃、我々の後を追って来られた俵先輩と合流する事が出来たが、ブリザードのような地吹雪の中、三角点手前で、「所用があり。」と先に撤退されて行かれた。残念!・・ 権現様のある山頂を踏んだ後、食事場所を求めて彷徨ったが、長勢君持参のシートを張って風を凌いだ。しかし、長時間に耐えられず、雪洞を掘って潜り込んだ。これがまた暖かく、これからはこの新方式を採用するとになりそうである。次週の大地行きの話題で燃えながら、快適に下ったのだが、私のカンジキにトラブルが発生し、完全にエネルギーを使い果たしてしまった。



2/20 ハレルヤ6名に、もうメンバーのような辰口氏、そしてゲストして初参加の吉尾氏が、砺波ICで揃って、出発する頃には、雨に雪が混じり、登山口の閑乗寺に着いた頃には、完全に雪に変わった。雪が舞う中、雪質・雪量の割には、快適な登高となった。元気で力が余っている者ばかりであるから、大寺山まで行くのかと思いきや、八乙女山の頂きを踏んでからは、「もういいや!」と堀シェフの料理の方が気になってしまったらしい。背の丈の1・5倍位積もった東屋は絶好のレストランとなってしまい、イカ墨のスパゲティーやアイスケーキなど、いつもの手の込んだ絶品に皆が賞賛した。レストラン閉店頃には、流石ハレルヤで、一時的にも陽が差し、青空が広がった。カッコの良い「牛岳」をバックに、記念写真を撮れるおまけまで付いて、皆ご機嫌に山を後にした。 p.m.7:20



2/19 第3日曜日は「ハレルヤ山行」。「赤谷ノ頭」は、悪天の予想で今回もお流れとなり、雨の「八乙女山」となりそうである。「シュンちゃん」・絹子さん・「山ノ神」が所用で欠席となり、チョッピリ寂しい。しかし、また新たな想い出が出来そうな予感がする。雨だけは何とか避けて欲しいと願ってくれた伸子さんであるが、晴れ男・筏井氏が参加してくれるからには、何とかならないでしょうか! p.m.11:55



2/18 今、10枚のハガキを投函して来た。10人の中で、2人以外はPCに縁のない方々で、メールにはないワクワクした気持ちになれるのは何故であろう・・・・・。私としては、山の雰囲気を味わってもらうため、ふんだんに画像を入れ、コメントは僅かなのであるが・・・・(手抜きかもしれない。)しかし、何の能もない私は、日頃のご無沙汰も、只、山、山でいいのである。
絵手紙を送ってくださるM女史、「ガニマタ出歩きます。(絵はカンジキ)」 先日は、「命あずけます。(絵はアイゼン)」を頂き、一瞬ドキッとして、「山ノ神」の目の前で隠そうとしてしまった。よく見ると何の事はない。絵手紙とはこんなものであるが、実に良く書けている。そして、それが全部山の物であるからいい。「ドキッ」としたのは何! 真面目な私と言っても、何処か心の隅に「スケベー」が住み着いているのかもしれない。妬いてくれる「山ノ神」がいてくれるだけでも、喜ばなくてはいけないらしい。 p.m.1:45



2/17 二度お付き合い願った長勢君に「何故?こんなオッサン(達)と?」と尋ねたら、若者の方が軟弱で、中高年の方が元気だと言ってくれた事がある。そんな事はないと思うが、実際我々より、かなり年上の方でも、凄いという方々を何人も存じている。年齢より「山が好き!」を前面に出せば、そのギャップを埋める事が出来るかもしれない。しかし、若者と付き合うという事は、体力以外にも相当のエネルギーがいる。それが心身とも、リフレッシュしてくれると信じている。年齢・性別問わず仲良く付き合えるのは、「山」だからなのかもしれない。



2/16 錯覚かもしれないが、「好山病友の会」の知名度が上がって来たように思える。「なかなか面白い名である。」とか、「私も一緒に・・・!」などと嬉しがらせたり「どんな会なのですか?」と問われたりする事が増えて来た。(チョットだけだけど!)グループの名が欲しかっただけで、特別会則もない。「北ちゃん」の休日が月曜日、私達も休日の6割強が月曜日、eiko女史も月曜日に休日を取りやすいなどを利用して、「年に7~8回くらい、一緒に山へ行こうよ!」が発端! お互い思いやりがあって、自惚れなければ、大体上手くゆく。そして、時々ゲストが現れ、会に新鮮味がある。行くと決まれば、悪天でも行く。でも、行き先が直前に決まるという事も有り、「山の会」としては、あまり誉められたものではない。だから「友の会」??? ガツガツ登る会でもないが、お互い心に秘めた山への思いがあるようで、それが小出しなのがいい。私が勝手に決めるわけにはいかないが、心が通じ合って、楽しく登れるのなら、誰だって拒まない。自分達の力量の範囲内で「頑張る!」し、弱い者に合わせる気持ちもある。したがって、そう変わった事をしているわけでもない。只「山が好き!」なのである。
 「好山病」のネーミングを教えてくださった松尾氏が、福井で「友の会」を立ち上げてくれて、協会(狂会)を設立出来れば面白いと思っているが、まだこんな話をした事はない。バカな・・・少しくらいふざけたっていいじゃない! p.m.8:15   <まだお酒は入っていない。>



2/15 私の山歩きとHP、そして、それに伴う拙い画像は、なくてはならないものである。昨日のデジカメ紛失は、その意味からも相当応えたのである。でもあの光景は目に焼き付いているし、同行の友からも最大限に画像が送られて来ている。幸い「山ノ神」誕生日先行プレゼントとして持参していたデジカメで、20数枚撮る事も出来たのであるが、朝の光とお昼の光では、聊かその度合いが違って映っていた。初雪山もその精彩を失いかけていたのも残念でならなかった。しかし、曇りを予想しての山行が、一転晴れになったのであるから、そう悔しがる事もあるまい。元気さえあれば、またあの光景に出会えるのである。家に戻って「山ノ神」に “ 疲れなかったか?” と尋ねたら、“ 何処も痛くはない。” と答えた。そして、“ 焼山まで行けたかもしれないね!” などと、今までには考えられないコメントまで出て来た。やはり私の身体は可笑しいのである。 p.m.11:25



2/14 大地山でも良かったのではないかと冗談がでるくらい良いお天気になった。雪量・雪質とも最高で、最初から「素晴らしい!」・「ステキ!」・「いいね!」のコールが連発であった。大鷲山は標高こそ817mであるが、取付きが50~60mで標高差が760m程あり、山頂に至る尾根は、海に近く絶景である。しかも私の大好きな初雪山が、黒菱山から眺めれる山容とよく似ているのである。今日は、人間ラッセル車の長勢君が、一手にラッセルを引く受けてくれ、「好山病友の会」のメンバーをどんどん引っ張ってくれたのである。その勢いでは、大鷲山の山頂から大きな鞍部を越え、焼山・黒菱山に届くのではないかと思う程であった。“ この時期に、大鷲山から焼山や黒菱山に行くパーティーなどないから凄いぞ! ” などと、言っていた私が、749mピークの手前で、大事なデジカメを雪中に落としてしまったのである。僅か20~30mの区間でありながら、皆が一生懸命探してくれたが、残念ながらとうとう発見する事が出来なかったのである。今日はいい画像が撮れたと思い込んでいた矢先の事であったし、大鷲山頂上越えが実現しなかった事も含め、かなりのショックであった。大展望の頂上では、剱岳が毛勝の山々と共に、遠望出来たのがせめてもの慰めであった。また、デジカメ紛失の痛みを和らげてくれるくらいに、今日の山行は楽しくステキであった。そして、ずーっと私の事を気遣ってくれた山友に感謝したい。 p.m.11:40



2/13 今日は非常に悩ましいお天気であった。お天気が崩れる予報でありながら、陽が時々差した。青空かと外に出てみれば、西にも東にも雲が湧いていた。晴れたら大地山に行きたいと思いながら、どう見ても予報は悪い。しかし、明日は明け方まで雪であるが、日中は曇りがちで遅くには晴れ間も出るであろうと言うのである。しかし、今夕になって、いや夜になると尚更お天気が崩れ、雪が降り出した。(予報通りと言う事か・・・)「好山病」の諸氏に、大地山か大鷲山に行こうとメールを出していたが、天気に関係なしに出かけるという返事ばかり・・・・。大地山は初雪山を眺める事もあり、次週以降に延期し、海沿いの大鷲山行きになった。さて、5人のメンバーで珍道中になるのだろうか・・・・! p.m.11:59



2/12 10日前に「山口の涼子さんからの手厳しいメール」として当欄に載せたのであるが、その反響たるや想像以上であった。“ 寂しいけれど、ちょっと慎まなければ・・・・” “ 涼子さんに叱られるぞ!”など、メールで、また山中で、涼子さんの名が出てくるようになった。私自身のために、また同僚への警鐘も兼ねて掲載に至ったのであるが、当人の涼子さんは、そんなつもりでメールを送ったのではないとの事。

・お酒を飲むと歩けなくなるので特に行程の長い日(前夜も)は飲まない ・雪の中でじっとしてると凍えるので長時間休憩しない方がよい と私達は考えていますので、雪中の宴会が不思議に思えたのです。 万年雪の高山に囲まれた富山の方はやっぱり強いということでしょうね。 低い山ばかりの私達には飲んで10時間以上歩くなんて考えられません。 それに登山口までの運転が3~8時間あるので、お風呂に入ったり時間 を潰す余裕もないのです(早く帰らないと叱られる人もいますし)。

そして、今後誤解を 招くようなメールを送らないよう慎みますと結んであった。その文中には、どのように宴会をしているのか?テントの中で、靴を脱いでいるのか?など、雪国でない方の素朴な疑問もあった。
 山口県の瀬戸内に面する所にお住まいの涼子さんは、雪を求めるとなると、中国山地の島根や鳥取まで出掛けなければならないようである。(間違ってたらゴメン!)山岳会に属し岩や藪などに挑戦し、会の重鎮でもある涼子さんは、3年前の夏、剱岳長次郎谷の問い合わせの事に答えたのがきっかけである。「滑り落ちるとテレビや新聞に載ります。」の答えに「私は初心者ではありません。」の返事が今も印象的に記憶している。朝日岳にお招きした事があるが、今度は初雪山になどと思っても、余にも遠い距離なのである。



2/11 ちょっと寒いが陽が出た。明日も「一時晴れ」の予報である。こんなお天気が続けば、14日は大地山にしたい。1月から、ずーっとその機会を狙っていたのであるが、この時期そんな上手い訳にはいかなかった。2~3日降らなければ大丈夫と思うのであるが、折角出掛けるのであるから、展望が良くなければ、「ウーン!」と言う事になる。そして、その休日は残念ながら「曇り時々雪」の予報なのである。だから、毎週その条件を待つしかないのである。大地山に登れば、その次は「初雪山へ」なのであるが、出来れば、真新しい雪の上を歩きたい。間が悪いというか、運がないというのか、大概自分の思う通りにならず、悔しい思いをするのが常である。では、14日は何処へ? 雪が降るというから、また迷ってしまう! p.m.11:59



2/10 「元ちゃん、体調はどうなの?」などと、心配してもらっている。心配されるような事を書くからいけないのだと「山ノ神」に叱られている。「今のところは、何とか同行の志について行っているし、お酒も飲めるのだから、大丈夫だよ!」と答えている。退院して、すぐに足を引き摺りながらでも出掛けたし、母の喪が明けないうちでも、山に出掛けているのに、行けないとなると、それこそ「お先真っ暗である。」でも、1回1回、もしかして、これが最後かもしれないつもりで登っている事は間違いない。もう1回登りたい。もう1年登りたい。そして、一歩一歩大事にして登っていきたい。でも、ハーハ-息を上げながら登るのでなければ、本当の山登りでないのかもしれない。 a.m.9:40



2/9 過去、「シュンちゃん」と「山ノ神」と3人だけの山行は、悉く悪天であった。11月上旬だというのに同じ高落場山は1m超の積雪で雪が舞った。1月洞山では、雪でなく冷たい雨が降った。今回も滑り出しは雨であり不吉な予感もあったが、我々の熱気で、それを吹き飛ばしような気がしてならない。大量の積雪は、見事なブナ林を際出させていたし、山頂では、完全にガスで覆われるまで、墨絵のような展望を楽しんだ。その余韻は、我家でのミニ宴会までに発展してしまった。我々はかなり盛り上がっていて、ハレルヤの幹部にまで、ご足労願う形になってしまった。



2/8 前日の牛岳同様、何処まで登れるかの思いであったが、「シュンちゃん」が、スキー訓練を兼ねての参戦で気が楽になった。五箇山トンネル手前(城端側)の取付きは、予想通り物凄い雪量であった。当然トレースなどはなく、地形図を確認しながら、「シュンちゃん」の後につく。「シュンちゃん」の後に付くと意外と沈まない。??(シュンちゃんに感謝!)1時間半程度で唐木峠に着いたが、看板などの標識は何も見えない。沈まないため杉林沿いに歩いたが、急登となった時点で、「シュンちゃん」たまらずスキーを放棄! その頃から小雨が小雪に変わる。ブナ林が現れる頃、ここでも標高点の位置の違いを発見! 我慢して我慢して4時間半掛けて登った1122mの高落場山頂からは、幻想的な眺望がプレゼントされた。山名板は完全に雪の下となり、風当たりのせいで山頂そのものが狭く感じた。五箇山や石川や岐阜県境の山々を、2時間じゅっくり腰を降ろして堪能しきった。下山時に何度もスキーとカンジキを取り替えていた「シュンちゃん」は、最後の最後にステキなシュプールを描いていた。



2/7 牛岳しかないと思って出掛けた。あれだけ降ったからトレースなどなく、何処まで行けるやらと思いながら、気合いがもう一つで出発も遅れた。しかしである。トレースがあった。猛者がいるものである。スキー、カンジキ、スノーシューの跡が降りて来ている。しかも既存ルートの西側を・・・・そして、いつもの登山道を横切り牛岳ヒュッテの東側を辿っていた。そして、そのトレースは、三角点まで続いていた。おそらく、牛岳に精通した何処かのグループ(山の会)の方々のものに間違いないであろう。お陰様で時々青空を見ながらルンルン気分のまま、3時間程で三角点まで行く事が出来た。権現様までとも思ったが、町内の方の弔いが有り、時間に間に合わなければ、明日の予定が狂ってしまうし、霞みかけた北アや五箇山の山々を眺めながら、我慢の心境で三角点止まりとした。牛岳の久しぶりの大量の雪に、何だかアップダウンが小さく感じたが、何もかもを埋め尽くして、とてもきれいさだけが浮かんで来た今日の山行であった。 p.m.11:10



2/6 すっきりしない体調と明日・明後日の行き先が決まらないまま、我HP「元さんの山歩き」が満5年(「元ちゃんの山歩き」から通算)を迎えてしまった。外は、細かい雪ながらまだ降り続いている。記念にと遠出の気分にもなれず、かと言って憧れの山にも手が届かない。やはり私には「牛岳」あたりが丁度いいのかもしれない。しかし、この雪では山頂どころか、稜線までも辿り着かないであろう。 p.m.1:00



2/5 体調が悪かった。飲んだら気分が晴れるかと思ったが、そうでもなかった。久しぶりに午後11時前に寝る事になる。



2/4 ようやく週間予報に一つだけであるが、「晴れマーク」が出て来た。しかし、まだあてには出来ない。また、週末に山行予定のある方々でも、この雪量では、何処に出掛けても大変であろう。私自身も、どうしようかと迷っている。昨日もあったが、今日も会合がある。帰ってからゆっくり考えてみたい。私の休日は、土日ではなく、月火であるから・・・・。 p.m.6:45



2/3 今回の寒波には、ちょっと参った。昨年から自宅前道路の消雪装置が停止。自宅の前・横・後の除雪をすると半日は掛かる。雪の捨て場がないから、積み上げなければならず、水っけの多かった今朝の雪の重みに、少し腰に異常を感じてしまった。すぐ脳裏に「山に行けなくなるのでは!」が掠めるのであるが、自己診断では疲労からのものだと思っている。午後から自宅前道路の除排雪が行われ、ガタガタ道もすっかりきれいになったし、年々衰える身体を少しは休める事が出来るようである。
昨年の今日(2/3)は何をしていたのだろう? 山梨県の「黒岳」に出掛けたようであるし、一昨年は「牛岳」である。同コーナーで、それを確認出来るのは、私としてはとても便利である。 p.m.11:55



2/2 山口県の涼子女史から手厳しいメールを頂いた。

富山では山に登れ ば飲むのが普通なんでしょうか? こんなこと言うと白けてしまいそうで黙ってましたが、私の周囲の 山歩きとは趣が違うので県民性の違いかなと思いまして・・・。<中略> やはり雪国の人はアルコールに強いのでしょうね。雪の中で2時 間も宴会なんて信じられません。私達は作って食べて1時間、行 程の長い日は弁当で30分くらいです。因みに会では30分歩いて 5分休憩を守らないと古参会員に怒鳴られますが、友人と行く時 は珍しい花や樹木があればすぐ停まります。Mパーティーでは 休憩は少なく、昼は行動食のみのこともあります。

真面目な涼子女史の事だから、面白い記述ではなく、心配して頂いたものと感じている。最近あまりにも宴会風景?の画像が多くなったからかもしれないが、そのお気持ちを重々心していきたいと思います。最近、同行してくださる方が増えたと言っても、私自身単独や「山ノ神」との二人山行が圧倒的に多く、たまに会える「山の仲間」とのふれあいを大事にしたいと思っています。雪の中での2~3時間など、あ~っという間に過ぎてしまいます。でも、私が運転する場合は、殆ど飲みません。もし飲むとなったら、10時間以上の行程とか、飲んだ後は、休んでから運転します。どちらかと言うと、下山後は、途中お風呂にも入らず、家に帰ってから飲みたい方です。画像は、缶ビールなどの容器が映っていないと様にならないなど、ちょっと大げさなところもあるのですが、これからは、画像同様文章も少し慎みたいと思っています。余談ですが、お酒1合または、ビール大1本が、体内から抜けるのに3時間程かかるそうです。もちろん個人差があるのは言うまでもありません。お風呂に入って、或いは歩いて汗を掻いたらなどは、気分的に抜けているだけで、血液中のアルコールは、なお回っているそうです。3時間と言うのは、じ~っとしてであって、(寝るのが一番いい)動いていては、肝臓の解毒作用を妨害しているようなものだそうです。同行される有志の中にも、飲まない飲めない方も有り、のんべエ~ばかりではありません。また、「花じい」の面白い話の中にあるように、代行を頼む話まであるのですから、富山県人はちゃ~んと節度があるのです。ハレルヤは運転手付き、「山ノ神」と二人の時は、私は飲みません。また、私主宰でどうしても飲まなければいけない時は、「山ノ神」が運転します。(でも、雪道はその方が怖い!)



2/1 昨日は大沢野地内のスーパーで、買物をしてから帰宅したため午後8時近くになってしまった。濡れたものを吊るしたり、リックの中のものを片付けたり、お風呂にも入らなければならないし、食卓に着く前に結構しなければならない事がある。飲む前にサーッとHPを書き上げたつもりであったが、読み返してみると結構いい加減に書いていた。(恥ずかしいです。)
 寒波襲来の中、やはり何処かを、彷徨わなければならない我々が腰を上げたのが、少し遅かったようである。しかし、41号線に出ると殆ど路面に雪がなく、「エエッ~」と思ってしまった。猿倉スキー場周辺も除雪されていたのかもしれないが、「大雪」とは思えなかった。猿倉山への急登箇所以外、脹脛(ふくらはぎ)くらいまでしか沈まず、順調に御前山に着いた。最初から「何処まで行けるやら!」の思いがあったのだが、御前山からの林道は、風に曝されるからであろうが、全くトレースがなかった。その林道の左右が、杉に覆われるようになると、かすかに前日のものであろうトレースが見えるのであるが、いざ足を入れるとなると、何処を踏めばいいのか、わからないような感じであった。林道から離れると、いよいよ膝上のラッセルになった。小佐波御前山直下の急登では、とうとう股下から腰まで浸かってしまった。時計を見て、「止めてもいいよ!」と「山ノ神」の顔を臨み込むと、いつになく、「何時に帰らなくてはいけない制約もないから、ここまで来たら行きたい。」との事。ちょっとまずい気はしたが、その先を進む事にした。避難小屋の中は暖かかったが、時計を見ながらの食事であるはずなのに、300mlのお神酒を飲みだしたのである。暖まるのは良いが、帰路のスピードが、上がらなくなるのではないかと心配になる。「2時間で降りるよ!」と駆け出したが、猿倉山頂上に着いた時には、煌々とナイターの照明が灯っていた。 p.m.1:00