4/30 5/2に予定していた「東笠山・西笠山」行きが、雨の予報と子供達の帰省で、もう一つ気分が乗れず、山友にもその旨を伝えたら、何かいっぺんに気が楽になった反面、張り詰めたものが急激になくなっていくような感じである。どんな事をしても、また何処であっても、私が山に行かないわけがないが、ハードな山行が続いただけに、ちょっぴり寂しさもある。3人の子供達が昨日・今日・明日とさみだれ的ではあるが、一同に帰省する事がなかっただけに、「私の休日に帰ってくるな!」などとも言えない環境である。低山を夜明け前に出掛けたり、子供達の外出時に、こっそり出かける事になりそうである。 p.m.8:30



4/29 今日は、時雨模様。今夜から、次々に子供達が帰省するようである。(必ずしも全員の予定を掌握していない。)5/2に「傘マーク」がついた。「子供達が帰って来るのだから、家にいてもいいのじゃない!」と「山ノ神」に言われるのがイヤで、未だ行き先を決定出来ないでいる。家にいても、子供達が家にいるわけでもなく「アゴテン」を食らうだけである事を「山ノ神」も重々知っているから、強くも言わないのであるが、「いい加減な時間まで帰って来てくれ」である。好天ならば奥深い山入りが、そうもいかなくなる。ならば予報通り「雨」になれば、近間の山になり、誰もが納得する事になる。 p.m.4:55



4/28 舟杉氏のHPを見ると、私達と同じ片貝第2発電所からスタートされたようである。成谷山(1,600m)で引き返され、成谷堰堤まで戻ると、ゲートが開放されたようであり、車の乗り入れにがっかりされたようであった。「規制解除が早くなる事はないのだろうか?」と問い合わせても、頑なに連休明けを繰り返された当局の説明は何だったのであろうか?昨年も馬場島への剱センターゲートの解除を上市署に問い合わせたところ、担当者はいつになるかわからないと言われたが、ではと土木事務所に問い直してみると、翌々日に開放になると言われて計画が上手く運べた。不親切なのか、横の連絡がないのか私達にわからない。ここ2~3日の南風に伴う高温が関係者の心を解かしたとでも思うようにした。また、林道を長い間歩いたからこそ、あの素晴らしい光景を、目の当たりに出来たものと、自分に言い聞かせている。



4/27 以前から、携帯からも見れるHPを模索していたが、見切り発車の感は歪めないがスタートしてみた。マニアルを購入せず手探り状態故に、上手く届いているのかよくわからない。自分の携帯からも画像が上手く受信出来ないでいるからである。メカに弱い私が、新たなチャレンジなのだから滑稽であるが、少数でも喜んでくれる人もあるのだから励みになる。PCを持たない人、或いは、不規則勤務の方が、時間の合間に覗いてくれるなど、思いもよらぬ報告が届き感激をしている。容量・速度などわからない事ばかりであるが、小さなファンも大事にしたいと思っている。しかし、携帯ならではの特徴を生かしたHPでなければ、その意味も薄く、また頭を練らなければならない。歳だと言うと、また叱られるが、古い知識しか持ち合わせていない自分に、山へのチャレンジのような、エネルギーを生み出せれば、私も、もう少しは、ボケないでおれるかもしれない。 p.m.10:40



4/26 昨日も山から帰って就寝したのは午前0時を回っていた。そしてHPの事が気にかかり起きたのが午前5時であった。でも、さすがに疲れたのであろうか、布団からはみ出てしまっていた。一方の「山ノ神」は、大物なのか私より5時間も後の10時を回っていた。「別室」でお休みとは言え、あまりにも「山ノ神」の起床の遅さに、もしかしたらとまで思ってしまったのだが、悠々としたお出ましに開いた口が塞がらなかった。これもまた可笑しな話であるが、「疲れはどうか?」「足は痛くはないか?」と尋ねるのが恒例になっている。我家の「山ノ神」様は、間違っても、「足が痛い!」などは口にしない。「快い足の疲れ」などと、次週の山行を意識したものになってしまっている。時折、「頑張ったね!」と言ってくれないなどと戯けた事を言われると、仏の元様も白けてしまう事がある。 p.m.11:00



4/25 自宅発午前3時15分。片貝第2発電所発午前4時35分。北駒ヶ岳着午後0時30分。片貝第2発電所着午後7時45分。自宅着午後9時10分。久し振りに疲れた!成谷堰堤までは、車の乗り入れに何の支障もないのにと、ブツブツ言いながら歩いたが、その先の雪量は例年にない多さであった。何時もは溶けてしまっている僧ヶ岳登山口にも残雪があった。雪解けが進んでいる所のイワウチワの群落に歓声を上げ、大きな大明神山と対峙しながら急登が始まった。晴天・豊富な雪量、入山は我々6名パーティーだけの好条件の元、大明神山から毛勝山に展望の主役が変わる頃、気分は最高潮に達したのであった。しかし、駒ヶ岳は遠かった。それにしても、よく頑張ったものである。僧ヶ岳山頂から駒ヶ岳を仰いだ時点で、ミニ宴会を省いても、その遠さや雪庇また持ち時間などを考えると、北駒ヶ岳までさえも行けるのかなと思ってしまった程であった。いざ北駒ヶ岳山頂に立つと、「もうチョット早く着いたら、駒本峰まで行けたのに!」などと反省しきり。でも、宴会(食事)を止めてまで行こうという者は誰もおらず、すぐテーブルの設定となってしまった。



4/24 お天気周りの端っこに当たった月曜日(4/25)のここ2~3日の予報は、まるでオセロのようにコロコロ変わって、本当にヤキモキさせられた。しかし、直近では「晴れ」マークが付き胸を撫で下ろしている。先日来の高所での積雪、片貝第2発電所からの林道歩きなど、決して良い条件でない明日の「僧ヶ岳・駒ヶ岳」行きは、それこそ「非日常」そのものであるように思う。山を愛する者、自然を愛する者にとって、日頃歩かぬ所を歩かなければならぬわけで、また新たな発見があるかもしれないし、「忍」を呑み込まなければならぬような試練が待っているかもしれない。単独行でないだけに、お互い顔色を伺わなければいけないところもあるかもしれないが、逆に励ましあって想い出深い林道歩きになるかもしれない。ともあれ明日は毛勝山や大明神山などが、どのような姿を見せてくれるのか楽しみである。 p.m.9:00



4/23 名古屋の蒔田さんから次のようなメールを頂いた。(未承諾のまま全文記載)

御無沙汰しております。でも毎日拝見しています。 4月9日 日照岳で富山から来た、大正生まれの単独の方にお会いしました。 この山で亡くなられた高田さんという女の方の捜索にも加わり、毎年のように 追悼登山をされているそうで、一緒に山で撮られた写真を何枚か見せていただき ました。手には数珠をされていました。先日3人の大正生まれの方のお話がのっ ていましたので、もしかしたらその内のお一人かと思いまして。 頂上から駐車場まで一緒に下りましたが、笈ヶ岳や猿ヶ馬場や大笠山など本当に お詳しく、帰りも1人で車を運転して帰るのを見て、こんな元気な80代がいる なんて本当にびっくりしました。 その方は『細蔵山が一番いい』と言われていました。この時期皆様のホームペー ジに載っていますので、私共もいつかはと思いました。 通行止めの情報、林道や沢の雪の情報など、いつも参考にさせていただいており ます。これからもどうぞよろしく。


 蒔田御夫妻とは、まだお会いした事がない。2年前同日に、「ターさん」がブナクラから、私が猫又谷から大猫山を目指した。(最終目的は、鬼場倉ノ頭であった。)その記述を当欄に載せたのであるが、私達も大猫平まで行っていたとのメールを頂いたのであった。また、「ターさん」と一言交わされたようであったので、余計に印象として残っている。それ以来、時々山行報告を頂き、どんな方々なのだろうと自分なりに思い浮かべている。また、「富山の山」が大好きなどと言われているから、いつかバッタリ、山中でお会い出来るのではないかと期待している。文中の高田明子女史が亡くなられて満5年になろうとしている。(平成12年3月15日遭難、5月4日発見)飯綱山・毛勝山・早乙女岳・真冬の小佐波御前山・負釣山など、2年の間に5回ほどの山行機会があったが、「大地や初雪山に行きたいな!」にっこり笑って語りかけられた事を今もよく覚えている。時々思い出される小さな山友でしかなかった私であったろうが、彼女の追悼としての山行を忘れてしまっていたような気がする。負釣山の写真を渡せないままになってしまったのも心残りであった。



4/22 昨年の馬場島への剱センター前ゲートは4/16に開き、大倉山への桑首林道は、4/6に林道が交差する所まで整備され、4/26の「僧ヶ岳・駒ヶ岳」行きに、片貝第4発電所(成谷堰堤)まで車を乗り入れる事が出来た。今年は雪量が多く、ようやく剱センター前のゲートが、今日開放されているようだが、片貝流域は県土木センターに問い合わせても、連休明けにならないと、第4発電所までは入れないという。整備・雪崩の危険性などがその理由であるらしいが、3つの林道を昨年も今年も歩いたものとして、その理由だけではなかなか納得いかないものである。除雪作業や、駐車スペースの確保が出来ていない理由なら、理解が出来るのであるが、「工事・作業の邪魔?」となる事もないのではないかと思う。では、やっぱりゲートの強行突破や工事・作業に支障があるような事が過去に有り、そのマナーの悪さが、請負う業者の「登山者」いじめになっている感も歪めないようである。4/25の「僧ヶ岳・駒ヶ岳」行きは、第2発電所ゲートから歩くと、駒ヶ岳に届かなくなる可能性が高くなる。されとて、暗闇からのスタートも毎週歩く者としてチョット辛い。駒ヶ岳に届かなくても、毛勝山群を眺めるだけでも私には値ある山行なのだが・・・・・・・。 p.m.2:10



4/21 先日、富山の山本氏から、初雪山へ出掛けた際、私が1/2に牛岳でお会いした粟野氏に出会ったというメールをもらった。その粟野氏は、大正15年生、県外の友人を案内するための下見に来ていたのだというのだから凄い。私の知人である寺口氏は、その粟野氏よりもまだ年上、それより上に有名な秋山氏おられる。「牛岳の3妖怪」と粟野氏が言っておられたが、3人の共通点は、今も雪山を単独で登られるのだから、子供のような私達が、「歳だ!」などと戯れておれば、お叱りを受けそうである。



4/20 「越中の百山=北日本新聞発行=」を初めて手にした時は、私の知っている山の名が殆どなく、「何~だ、この本は?」と思ったものだった。初版が昭和48年、改訂版が昭和56年であるから、息の長い「山の本」である。はっきり覚えていないが、越中の百山123座を意識し始めたのは、10年程前のように思う。始めは半分、そして100座などと目標を掲げていたのが108座までになった。この先は、時期が限定される上に、天候や限られた休日など、必ずしも思うようにならない。また一人で出掛けるのも臆病になる山域ばかりが残っている。健康が維持出来、テンションさえ下がらなければ、あと5~6座くらいは何とか行けそうであるが、完踏となるとなかなかである。3月に「シュンちゃん」が、定倉山や猪頭山・瘤杉山など企画をしてくれたのだが、諸事情で流れてしまった。ここに来て、長勢君の登場で黒部流域の山に挑戦する機会が浮上して来た。「元さん」に同行してくれると言うのだから、それを逃す事もないであろう。一回で登頂出来なくても、偵察で「足場」がつくれたらと思っている。「シュンちゃん」と堀シェフの暖かい温情に甘え、元気な長勢君、ヤブでお世話になるかもしれない「北ちゃん」、たくさんの情報の持ち主の尾田氏、山の事を知り尽くした宮下女史などの力を借りれば、「越中の百山」完踏も夢でもないように思えて来た。但し、「山ノ神」が解き放してくれる事が条件である。



4/19 細蔵山頂に持ち寄られた料理を久し振りに食べ尽くす事が出来なかった。女性4名に、料理人の「北ちゃん」がおれば、そうなるのも当たり前なのかもしれない。風もなく高級雪上レストランとしては、冷たいビールがちょっと少なかったかもしれないが、ロングコースであり、車の運転もある事から、許される範囲以内であったような気もする。それにしても、今回の女性軍は強かった。花粉症に悩まされている福井の二人組は終始マスクをしながら、ティッシュを入れるナイロン袋をぶら下げ、杉の木をなるべく避けながらの悲願の細蔵山であったらしい。宮下・黒川女史は、山での師弟であるらしく、黒川女史が、宮下女史に合わせた休日が、我々「好山病山の会」の月曜日と類似しており、交流が深まる事は間違いないであろう。今冬キリマンジャロまで出掛け、既に日本百名山も完踏しているイマイチ女史も、賑やかにパーティーを盛り上げてくれたように思っている。そのイマイチ女史にもお礼をと頂いたメールが、「今市さん」になっていたのも面白いと思った。(本当の名は、今市ではないから。)「山ノ神」も今回はムードに乗り、山頂に届いたのは、「取り残されるのがイヤ」の一念だったのかもしれない。前日の早乙女岳にも参加しながら、下山後ふきのとうを採ろうという元気が、まだ残っていたのだから進歩したのかもしれない。



4/18 福井から宮下・黒川女史を迎えての細蔵山行は、始めからヤブ漕ぎとなった。5週間前は、伊折橋詰から歩き、また取付きからビッシリ雪が着き、今日のヤブなどは想像も出来なかったのであるが、木ノ根山で力尽きた事を思えば、今日は、はるかに楽であった事になる。また、「山ノ神」の1330mで待機を想定していたのであるが、ムードと昨日の余勢が伴い、7名全員登頂の中に含まれる結果となった。剱岳の大展望台である細蔵山頂上に立てたのであるが、折角「晴れ」なのに、剱岳は霞んでいた事と、てっぺんがほんのチョット見えなかったのが、企画者としてチョッピリ残念であったが、しかし、参加者は、このロングコースに頗る満足のようであった。 p.m.8:30



4/17 ヤキモキした小又川遡行も意外な程に通過出来、雪量の多いコット谷をワイワイ良いながら、素晴らしいお天気の元に歩く事が出来た。早乙女岳から大日岳や、鞍部から大熊山へのバリエーションも考えられたが、堀シェフの料理が気になってしまい、そんな事はどうでも良くなってしまった感じであった。我々8名と、登高中に知り合った小川・中村・石黒さんのお客様を迎え、またまた楽しい宴会になってしまった。高落場山で「シュンちゃん」の山スキーを見た時より、今回は相当腕をあげたようで、皆が拍手を送っていた。千葉から来てくれた「哲ちゃん」は、本当に満足してくれたのかチョット心配。また、今回企画してくれて参加出来なかった筏井氏の心遣いにも感謝したい。 p.m.8:00



4/16 今日は快晴。下界は花見で賑やかであるが、大勢の山好きは、思い思いの山に出掛けられた事と思う。明日・明後日もお天気の予報だから良いものの、それが「雨」の予報だったら、きっと心中穏やかでなかろう。明日は楽しみにしていたハレルヤ山行であるが、小又川の雪の状態次第である。断念!などとならぬような環境であって欲しいと願うだけである。 p.m.5:20



4/15 「小又川が荒れている。」「水量が多い。」「高巻を強いられる。」「ゲートが閉まっている。」など早乙女岳山行に寄せられる情報はきついものばかりである。その山行に合わせて「上総の哲ちゃん」は、もう家を出ているはずであるが、現場を見ていない私にしてみれば、不安がいっぱいである。「足手纏いになるかもしれない。」「迷惑をかけそうである。」など「山ノ神」の心は揺らぎ始めている。高巻・渡渉・デブリの林道歩きなどの中から、安全なものを選択しなければならなくなるが、もしかして、代案も頭に入れておかなければならないのかもしれない。そんな中、「元ちゃん山荘」から招待を受け、動けなくなるほど、飲み食いをしてしまったが、「どうしたものか?」の不安・悩みはずーっと頭から離れなかった。



4/14 17日の「早乙女岳・大日岳」行きは、ゲートの事もあり、早乙女岳止まりになりそうである。しかし、諸条件が揃えば、その限りでもないなどと、健脚「上総の哲ちゃん」に託けてまだ諦めきれないでいる。でも、そんな事はどうでも良い事で、久し振りに会う顔もあり、それだけで楽しいのである。その翌日の「細蔵山」行きは5名になったが、条件は違うものの5週間前の雪辱を期す事になる。今夜の会合に出かけている間に、中山君から電話があったらしい。「18日は久し振りに歩きたい。」と、「山ノ神」には感じられたと言う。私の親友で、私の山歩きの事を一番理解してくれる彼を、どうしても引き入れたく、明日になって改めて誘ってみようと思う。「お前の荷は俺が担ぐ。」の意気込みで、美味しそうにお酒を飲む彼の姿を、山中で久し振りに見たくなった。 p.m.11:59



4/13 ダミーメールが多く届く中、今日は16通の本当のメールが届いた。その中に13ヶ月ぶりだという堀シェフからのものがあった。何年も前に購入した高額のPCが、ようやく修理を終えたものと推測している。堀シェフは「シュンちゃん」の親友で、「森石山」からの付き合いであるが、その以前に知らないながら、大猫山で一言交わした経緯がある。彼は、どちらかというと、PCがあまり得意でないらしく、面白い文面の葉書を時々出してくれ、私を喜ばせてくれていた。PCメールで瞬時に伝達する事が出来るが、彼からの便りがなくなるような気がしてチョッピリ寂しい気持ちである。17日の山行では、大日岳どころか、早乙女岳の山頂にも届くかどうかわからないから、今回は「雲上レストラン」に徹するという堀シェフの料理を捨ててまで、大日岳に足を延ばす者がいるのだろうか?そうなると、またまた大宴会になる恐れがあり、これも心配の種である。それにしても、私よりも10歳も若く、健脚で鳴らした堀シェフの心臓が、バクバクするというのだから事の他心配である。まさかコット谷で宴会になる事はあるまい。 p.m.11:50



4/12 17日のハレルヤ山行に、上総から「哲ちゃん」がやって来る。面識がないのは私だけらしいが、日本中を駆け回っている彼が、どんな人なのか想像するだけでもチョッピリ楽しい。その「哲ちゃん」が、大日岳登頂に拘らず、皆と行動を供にすると述べてくれているので、主催者側の一人として肩の荷が下りたような気がしている。そうなると、逆に何とか条件が揃いその頂に、皆で立つ事が出来ないだろうかと考えてしまうから不思議である。



4/11 古式にのっとり行われた義兄の通夜・葬儀で、正座やあぐらの苦手な私は、膝や股関節の調子を尚更悪くしてしまったような気がする。足が悪いなど誰もが信用されないであろうが、どうやったら、もう少し歩けるのだろうかと、いつも頭の中はその事ばかりなのである。錆び付かせないなどの引用をするのも、惰性のまま歩き続けたい一心なのである。昨夜は、そのような状態と雨も予報もあり、合間をみて、「牛岳に行かれればそれでいい。」と思っていたのが、予報は私にとって良い方向に外れようとしていたので、急遽と言ってもチョット遅かったのですが、牛岳を通り越して、利賀の金剛堂山に向かってしまった。しかし、道中小雨が降り、それも利賀に近付くにつれてライトを点けなければいけないほどの視界不良であった。登山口10時発と1650mもある雪山の出発としては誉められたものではない。その山中も視界が70~80mくらいで、只、歩きに来たようなものだけだったが、標高1300mを抜けた頃から、青空が広がり、それこそ雪山での雲上の人となった。その光景は素晴らしく、各山の頂が雲上に浮かんで見えるのだから、少々お天気の悪い時でも山行は止められないのである。しかし、高度を上げる私達と雲の上昇が、追いかけっこになったが、ある程度の所で止まってくれ、その気分は最高であった。帰路は、その雲の中に入っていく訳であったが、まるで「くもの糸」を連想するような霧雨と共に、またまた視界が悪くなってしまった。登山口近くの沢に架かるスノーブリッジを渡るのもスリリングで、栃谷登山口まで車が入れないくらいの時の金剛堂山に、魅力があるのかもしれない。 p.m.11:25



4/10 やっぱり雨になった。明日は横岳を止めて、雨の合間を見て「牛岳」に行く事にしようと思っている。 p.m.11:00



4/9 どんな事があっても、何があっても山の事が頭から離れないほど私は不心得者である。母の介護の時もそうであったように、また子供達が帰省していても、「空きあらば山へ」の気持ちは変わらない。その子供達や、たった一人の兄弟である埼玉の姉にも、「私の休日に来てくれるな!(休日以外に来て欲しい。)」というくらいなのだから自分ながら呆れている。でも、「自分の生き方の確立」という点では、他人が何と言おうが、流されずに必死に頑張っている。慣習を破るにしても、他人の口を気にせぬにも、かなりのエネルギーがいる。信念は常に揺らぐが、これも人生!威張らないで謙虚に、小さな事にも汗を掻き、涙する人生でありたい。若い頃に「義理や人情」と言っていたのに、今の私は何なんだろう!長い行程を汗を流しながら歩けるのに、それ以上の何を求めよういうのだろうか? 「私は幸せ! 世の中に私より辛い人・困っている人が大勢いる。」一時的にしろ、その事が分かるだけでも、私は少し進歩したのではないかと思ってしまう。しかし、歩けなくなる不安が付きまとっている。そうなった時、私は謙虚でいる自身がない。 p.m.1:50



4/8 「いつ何時訃報が飛び込むかもしれないから、その時はご容赦を願いたい。」とドキドキしながらの山行を続けていたのだが、今朝とうとう義兄(家内の姉の夫)の訃報が伝えられた。葬儀の段取りが決まらぬ時点で、予定されている横岳山行のまとめ役の辞退を山友に知らせ理解を求めた。結果的に葬儀は日曜日になり、休日は空く事になったが、何処かに出かけるにしても、きっと涙雨に見舞われるであろう。 p.m.4:00



4/7 長い間山歩きをやっていると試行錯誤の連続である。自分のやっている事を正当化しようとする。他人の意見に耳を傾ける間がない。それほど山を愛する者達は個性的なのかもしれないが、言い返せば我ままなだけかもしれない。もっと素直にいろいろ意見を伺っておればなどと思うに至までは相当の時間を費やしてしまった。しかし、「若気の至り」だけで片付けられないそれなりの粋やロマンがなかったわけでもない。若かりし頃の山行記録には、山行に関しての目的を綴られていた。「友と友情を語りあう」「白い雪を求めて!」「身体をいじめ尽くして」「頂きで月と星を眺めながら・・・」などなど。ガリ版刷りの西洋紙にコース・装備・同行者などと共に記されたものを、ある物事の区切りとして処分してしまったが、今もその内容は、ついこの間のように、はっきり覚えている。その山行毎、或いは、一座毎に青春を語るには充分過ぎるくらいの想い出がある。今は、速さ・回数などばかりでなく、歩ける事の喜びを噛み締めながら、一つ一つの山行機会を大切にし、想い出深いものになるよう心掛けている。そして、幾つになっても、ロマンは限りないと信じている。 p.m.11:20



4/6 2日間の山行、しかも夜遅く帰り、HPや何やらで、寝不足が続きチョットだるい。本当に身体に良い事をしているのだろうかと考えてしまう。でも、疲れきってしまうからストレスは発散してしまうような気がする。しかし、他の事が次から次へと、ちゃんと湧いて来るから、そうとも言い切れないようだ。一昨年秋に日光白根山でお会いした千葉の川久保氏から、200名山である毛勝山の問い合わせがあった。出来れば黄金週間に登りたいので、アクセスやその状況を尋ねるものであった。同氏とは、賀状だけのお付き合いであるが、何でか嬉しくなってくる。山行予定日が私の休日と重なる部分もあるので、出来ればお供してあげたいようにも思うが、兼ねてからの自分も希望(予定)もあり、この先一ヶ月の間に擦り合わせなければならない。少しの間を山中で過ごしただけなのに「山の友」とは不思議なものである。昨日の大倉山では、高田氏の他に、もう独りの方と一言交わしたが、「山のソナタ」のHPを管理しておられる舟杉氏であった。我々と違ったルートを模索しておられるようであったから、きっと山の精通者なのであろう。



4/5 今日のお天気が、昨日の「大明神山行」なら良かったのにと思っても仕方がない。今日の大倉山は、登山口が午前9時15分発と、まだたっぷり雪がある林道を、歩かなければならない山行としては、遅い出発である。単独で土倉山に登ると言っていたeiko女史に、我々の大倉山まで足を延ばしたらのつもりで、携帯メールしたのであったが、林道のデブリに撤退を余儀なくされ、他の山に移動中だとのメールが届きチョッピリ残念だった。しかし、1053mのピークで高岡の高田氏と遭遇し、山頂までご一緒して頂いた。予定があったのかもしれないのに、ピーカンの空の下で、剱岳や毛勝の山々を眺めながら、私達夫婦に付き合って頂いた。例の如く、山頂発が午後4時を回り、車に戻ったのが、昨日よりも15分遅い午後6時50分であった。毎日暗くなるまで山歩きなどとは、如何に好きだと言えども、ちょっと可笑しいのかもしれない。 p.m.9:55



4/4 片貝川南又谷小沢に一番近い尾根を選択した大明神山行きは、昨年のルートを下山路としたのと比べて、相当雪の付きが悪かった。小雪がチラチラ舞うほどで、思ったほど天候は崩れなかったが、如何せん視界が悪かった。1853mからは、あの広い尾根が全く分からず右往左往も出来ない程のホワイトアウト状態で、潔く撤退を決め込んだ。急斜面を降りてからの昼食は、男3人での大味的なものとは言え、長い行程の疲れを充分に癒してくれた。そして、いつもと違いアルコールも殆どない至ってシンプルなものであった。帰路、うかつにも滑って起こした雪崩から脱出は出来たが、大量の雪を川のように運ばれた様を見てドキモを抜かれてしまった。 p.m.11:59



4/3 明日はあまりお天気が良くない。でも何処かへ行きたいというか、山歩きをしたい者にしてみれば、「どうせなら計画通り行こうじゃないか?」という事になった。もしかしたら、断ってくれたら良かったのになどと思っていたなど・・・・は考えにくい。いつも出し抜けを警戒されているのだから・・・・。登りがけ(出発時)に雨、また視界が悪く困るようであれば、途中でも止めようという事で、大明神山行きを決行する事になったが、「雨はずーっと降らない。」予報であっても、見通しが悪ければ面白くないし危険もある。片貝川南又谷に遊びに行く感覚の山歩きになると思うのだが、少しでも高い所へ行ければ、それなりにハッピーである。 p.m.10:10



4/2 お天気周りの悪い山行予定日の前々日が一番頭を悩ますところだ。長い行程やあまり知らない山域は、出掛けないのがベータ-だ。増してや雪の山であるから尚更である。少々お天気が悪くても視界が利いている時は良いのであるが、それも、ずーっと保証されるものではない。はやる気持ちを抑える事も重要な事である。いつもの事だから、アタフタしないのであるが、私の「中止」のコールは、今や信用がないようである。「独りで出掛ける。」「何処かへ行く。」と見透かされているらしいが、私とて、怖い思いをするのはイヤなのである。決断するのは、単独が楽なのであるが、パーティーを組めるというのも、安心・楽しさの共有があり、気遣いを上回ればそれに越した事はない。 4/4の大イベントを外せば、雨とは言え「山ノ神」との同行が待っている。悲しいとか残念と言おうものなら、また、大目玉を食らう。その「山ノ神」は、冷たさ・濡れ知らずのプラステックブーツに言及し始めた。元々雪山に馴染まないザンバランの2足の革靴も、かなりの消耗で、おそらく腐った雪中では、足がグジュグジュしているに違いない。足元を快適にして、美味しくビールを飲もうと言うのであろうか?p.m.1:15



4/1 容量が増えた私のHPであるが、アドレスの関係上、また、「山名」からの検索が出来なくなり、「元ちゃんの山歩き」「元さんの山歩き」以外入る事が出来なくなった。現在、これだけ多くの方々に見てもらっているわけだから、特別新たな出会いがなくてもよいような気がしている。それでも、「よーっ」と声を掛けてもらう事があるのだから、私は幸せ者である。相変わらず、何時まで続くか、分からないと言いながら、自分の記録として残せればと思っている。
 今日は、朝から全国的に好天のようである。4/4の山行計画から、「山ノ神」を外した経緯もあって、何時もの如く、「雨降れ!」コールが始まった。それに乗っかるかのように「雨マーク」が付いて来た。昨年同時期に登りに9時間を要しただけに、少しでも雨の可能性があったら、計画変更である。その翌日の4/5は、ちゃんと「晴れマーク」であるが、その耐久コースを、翌日にスライドするわけにもいかず、悩みながらの山三昧である。 p.m.00:00