6/30 7~8月のスケジュールがなかなか決まらない。しかし、残雪期と違って、チョット遠出をする機会が生まれるから、それはそれで楽しい。旅と同じで計画中が一番楽しいのかもしれない。もう一日休日が長ければなどと、常に欲は深いが、その欲深いのも今だけかもしれない。足腰などの体力に加え、車の運転が付いて回る。「山で遭難しなくても、車で遭難!」などと言われる由縁である。名山を登って、その付近の名所旧跡を辿るなどというのはいつの事だろう。そんな事はあるのだろうか? だから、今は、自分に与えられた範囲以内で、精一杯動き回るのが「関の山」である。それでも喜ばなくちゃ!



6/29 この時期どの山に登っても「虫」に悩まされる。ブヨからオロロまで・・・(本当は、あまり虫の名は分からないのであるが・・・。)少々刺されても何ともない人もあれば、それこそお岩さんのように腫れあがる人もある。中には、上着の上から刺す虫もいて、ホトホト困ってしまう。その対策として、私は防虫ネットと防虫スプレーしか知らないのであるが、何か他に手立てはあるのだろうか? まあ~、虫のいない所へ行けば良いのかもしれないが、そうとばかりも言っておられない。刺されて痛い・痒いばかりでもない。食べ物や飲み物にも、入ったりくっ付いたりするから面倒である。コッフェルの中に入った時などは、「いい出汁になる。」などと、笑っていたが、やっぱり気分は良くない。また雰囲気で飲むビールだけにこれも頂けない。防虫ネットを着けいるのを忘れて、食べ物を口に入れようとしたり、唾を吐こうとして失敗したりした事もある。防虫スプレーを顔に掛ける際のご婦人方への忠告として、「土砂崩れ」にならぬよう細心のご注意!



6/28 大日岳行きが中止になり、雨の予想で集合時刻を八尾町7時40分にしたため、少しラッシュに気を揉んだものの、自宅発が7時頃だし、起床もそんなに慌てなくてもいいし、久し振りにゆっくり出来たような気がした。小白木・前白木もなどと勢いは良かったのだが、避難小屋で一服すると浮島と前白木は「今日はいいや!」となってしまった。知らなかったとは言え、「山ノ神」に、小さなスイカを担がされたのだが、それもお腹がいっぱいになり、ナイロン袋に入れた雪と共に、もう一度持ち帰って、新しく出来た大長谷温泉で食べるという「好山病友の会」では珍しいスケジュールであった。「久し振りにたくさん歩かなかったね!」の言葉は、歩き足らなかったのか、それとも満足だったのか、後日そーっと聞いて見る事にしたい。



6/27 今年は何処の山でも、どんな花でも美しく咲いているようであるが、白木峰のニッコウキスゲも、漏れていなかった。しかもその咲き方が例年よりも早いようである。私の見たところ、3~4分咲きで、今週末には満開になるのではないかと思われる程である。昨年は不作の年だったのか、その咲き方にちょっぴり寂しかったのであるが、今年は何年に一度の豊作(当たり年)なのかもしれない。天気予報の纏まった雨に仕方なく大日岳行きを諦め、雨具を着込みながらの白木峰行きとなったのであるが、連日の晴天のせいであろうが、小白木峰までの縦走路もぬかるんでいず、快適なものであった。その先の池塘からの金剛堂山は、はっきりと姿を見せなかったのであるが、白木峰に戻るに連れて、雨も風にと変わり、纏わり着いていた小虫をも吹き飛ばしてくれ、次第に展望も回復に向かってくれた。ササユリはまだのようであるが、マスコミのニュースにならぬうちに、白木峰に訪れられると良いのでは・・・・。 p.m.11:55



6/26 こんなにお天気が続いたのに、明日は「強雨」の予報が出ている。でも、何だか降らないような気がするのだが、独り善がりなのだろうか? 安全のためにと、行ってもつまらないだろうという事で「大日岳」行きは中止になった。「どうする?」「それでもいい・・」優柔不断な私は、皆に問い掛けたら「やっぱり歩きたい」などと私が喜びそうなメールが返って来る。さすが「好山病友の会」の面々である。昨日、朝日岳を乗り物に頼らず日帰りした長勢君までが、「行きます。」の返事となった。ニッコウキスゲの下見などと「、北ちゃん」のユニークな提案に乗っかって、白木峰に出掛ける事になった。風衝地帯をずーっと歩けるのか、それとも避難小屋で「山の話」に盛り上がるか、また、降りてしまってからの温泉にどっぷりと浸かるのかは、明日のお天気を含めて、行って見なければ分からない。 p.m.11:25



6/25 山にはいろいろな登り方や楽しみ方がある。岩登りや雪山ばかりが登山ではない。こんな話を聞いた事がある。厳冬期に剱岳や穂高岳など北アの山々に、そしてヒマラヤやアラスカの山を登った事もある人に、大倉山や細蔵山の事を尋ねたら、その山の存在すら知らなかったというのである。何処も彼処も知るはずがないのであるが、その人は富山県もしくは、富山に縁のある方だっただけに、チョット寂しかったと言うのである。分からない気もしない。逆に富山の山、もしくは近郊のしか登らない人もあれば、富山の山はそこそこに、名山に目を向ける人もある。もっと極論を言うと、ピークはともあれ、高山植物や動物だけに目を奪われる人もあり、沢だけを歩いている人もいる。どれも味があり、どれが良いとも言えないものである。しかし、それを自慢したり、他の人の楽しみ方を否定すると可笑しくなってくる。同胞だけとの交流ならば、そう可笑しくもならないのであろうが、便利なインターネットが、チャチャを入れたりして、つまらない思いもしなければならない時もある。信念を持っておれば、そうそう揺らがないのであるが、なかなかそんな人間になれない。自分が気分の良い時は、相手方が気を遣っている事だろうし、相手を気分良くしてやる時は、自分が気を遣わなくてはいけないように、相手を認めてあげれば、何時かはこちらの事も認めてくれようというもの。



6/24 今年はお花の当たり年なのであろうか? 栂海新道・犬ヶ岳ではカタクリの咲きっぷりに歓声を上げたが、雨飾山小谷ルートでは、シラネアオイ群落の凄さには驚いた。人の入らぬウド谷でもシラネアオイが見事であった。犬ヶ岳や三ヶ辻山の頂上付近では、シャクナゲを見たが、袴腰山や富士写ヶ岳などでは、例年以上にシャクナゲがきれいであったと聞く。この分だと、昨年あまりよくなかった白木峰のニッコウキスゲにも期待を持ってしまいそうだが・・・・・。

6/23 「山の話」だけに拘っている私だけに、ネタ切れする事も多く、同じ事の繰り返しになるのは歪めない。「山ノ神」を肴にすれば、「ちょっと酷いんじゃないの?」「女を侮辱している!」などと叱られるし、自分の体調を大げさに述べるものだから、凄~く心配して頂く事もある。一寸した自惚れもあれば、滅入った時の憂さ晴らしもあるかもしれない。時にはやりきれない気持ちを、選んだ語句や短文に認める事もある。後日読み返してみると、誤字脱字は別として、はにかんでしまう事もある。辛いと思いながら、当欄を綴り続けているのは、本当の自分を覗かせている時なのかもしれないし、楽しんでいる時なのかもしれない。



6/22 可笑しな表現であるが、先日の雨飾山行きで、ハレルヤの今年のスケジュールがほぼ終了した。12月から5~6月くらいのまでの月一(第3日曜日)雪限定山行のようなものであるから、そうそう山行回数は多くはない。しかし、個人的お付き合いがあるから、いつも身近な「山の友」という感じである。そして、6/27の大日岳が今年前半最後の山行で38回目(39日)となる。昨年同期と比べると、4回(3日)減となるが、これは暦の関係で仕方がない事で、よく出掛けている方だと思う。好天にも恵まれ、3月から一日中雨具を纏っていたのは、前大日岳くらいで、それも防寒的意味合いの強いものであり、また、牛岳行きが少ないという事は、内容も自分としては、かなり充実していたように振り返っている。体調は必ずしも良くないと言い続けているのは、ウソであろうと言われそうであるが、自分に鞭打っているから病魔も表に出て来ないのだと勝手に思っている。実はチョッピリ疲れている。でも、休むともう歩けなくなるような気がするから、歩いているようなものだ! その意味からしても、今夏に与えられている連休はフルに活用して、泊り込みに出来ないかと思っている。雨の時はイヤなのであるが、経済的を考えるとテン泊が多くなる事は歪めない。剱沢などのキャンプ地で、ずーっと寝転んでいるのも悪くないと思いながら、出かけてしまえば、長い急な雪渓を登りたくなるのは必死である。山に復帰した「山ノ神」の調整にも悩むところであるが、これからの私には、ゆっくりなのが丁度いいのかもしれない。



6/21 私に、また新しい山の友が出来た。昨日ウド谷に同行してくれた長勢夫人である。表現は適当でないかもしれないが、本当に可愛い方であった。久し振りの登山であったというから、相当体力的には辛かったように感じたが、結婚前に初めて連れて行かれた所が毛勝山だというのだから、目的地まで頑張り通された。これから、時々我々に同行して頂くと、彼のブレーキ役になり、おじさん・おばさんの山行的には、随分助かるのだが・・・・。
今年はお花の当たり年なのか、ウド谷にもカタクリやシラネアオイが咲き乱れていた。また私の知らぬ山の幸があるようである。その中で、「北ちゃん」が採った一握りのギボウシが私の所に紛れ込んでしまっていた。帰路の車の中で、先に出発した彼に、その事を連絡したのであるが、今更戻るわけにはいかないから、私に食べてくれと言ったのであるが、しばらくしてから、「多分大丈夫だと思うのであるが、たまに間違えて食中毒になる事もある。」という携帯が掛かって来た。今朝また「食べましたか?」 の催促? のメールがきたので、「午後1時に食べました。ニュースになるのは夕方以降でしょう。」と返事のメールした。「山ノ神」は、ギボウシにはかなり自信はあったようであるが、この手の物は、そうそう心配ないと言いながら、まずはダンナサマからなどと、この時ばかりは私を立てるのであった。こうして、メールを綴っているのですから、何にも事は起こらず、結構美味しいもので、もう少し食べたかった。「北ちゃん」ドキドキしながらご馳走様!



6/20 多くは語れないが、黒部の谷(ウド谷)に入る機会を得た。滝倉山・サンナビキ山など私には遠い山であったが、何故か、もしかしたらなどと・・・少々心がときめいている。(体力は別にしても、少しは少年のように、そんな時があってもよいのでは・・・と思っている。)県東部には早月川・片貝川・黒部川・小川が流れているが、その河川に挟まれた山々は、我々の目を楽しませてくれる素晴らしい山容を誇っているが、こと一つ一つの斜面や谷を見つめ直してみると、それは荒々しく、容易に人を寄せ付けないようにみえる。黒部川流域の山は、片貝川流域の山と、また一つ違った味を醸し出しているが、その両者の流域に挟まれた山並みは、武者震いさせながらも心を引き付ける何かがあるように思えてならなかった。宇奈月からの帰路、6人の友人宅を訪ねたため、自宅に帰ったのが午後10時半を回っており、テーブルに着いてビールを飲んでも、ウトウトしてしまう状態であった。



6/19 今年5度目のハレルヤ山行は、必ずしも好天とは言えなかったが、まずまずの山行日和であった。荒菅沢手前30分程から、山頂直下までシラネアオイの見事な咲きぶりに一同は、「今までいろいろ見てきたが、その全部を今日一日で見たような気がする。」のコメントまで出るくらいであった。その荒菅沢から夏道を捨て、長い雪渓に取付いたが、下で見た以上の斜面を、皆が元気に登って行った。しかし、その突端から夏道に戻るまでの草付やヤブに、事の他難儀をしてしまった。草付では、「シュンちゃん」に、ザイルを出してもらったが、ヒヤヒヤものであった。幾多の落石や、ヤブ漕ぎにも、身が縮む思いであったが、メンバーのレベルアップには驚いてしまった。近道のはずが、通常ルートより時間を要してしまったが、登ってしまえば「楽しかった!」「凄かった!」の連発であった。このシーズンは、何処の山でも、小さな虫に悩まされるが、雨飾山頂も御多分にもれずいたたまれず、直下の雪上に、シートを広げての昼食となった。1月の大鍋騒動の「ハゲ山」、3月の林道から伊折橋まで駆け抜けた「土倉山・大倉山」と並び、今回も忘れられぬ山行となりそうである。 p.m.9:10



6/18 明日は急遽「山ノ神」も雨飾山に出掛ける事になった。リスクはあるが、精神面を考えるとその方が気が楽である。そのリスクの一つは、私への荷の重さに関わって来るが致し方ない。明後日もフォローするからと、黒部峡谷へ出掛ける事になる。 p.m.11:59



6/17 ハレルヤ山行は雨飾山に決まった。同山行は、多分来冬までの半年間お休みになるだろうから、充分楽しんできたいと思っている。それにしても、毎回ゲストのように送迎までしてもらって本当に申しわけない気持ちだ。翌日(6/20)は長勢夫人が参加という案が浮上してきたが、それなら「山ノ神」参加もありゆるかもしれない。



6/16 先日の大猫山は、家に帰ってからも「山ノ神」の機嫌が何時になく悪くなかった。何処か自分の好きな所へでも出掛けていたのかと思っていた。普段なら「何処へ行って来たのか?」と聞かない(尋ねない)と言っては怒るはずなのに、何だか変だと思ってはいた。私は根掘り葉掘り聞かないタイプなのだが、「山ノ神」はどちらかというと逆に何でも聞きたい方である。だから余計な勘繰りまであり衝突を繰り返すのである。一日中365日休日まで一緒にいて、頭のてっぺんから、足のつま先まで知り尽くしたいタイプである。
 山行予定を切り出す毎に、気まずい日が続いていたのが、その日から、少々雪解けを感じるようになっていた。そんな折、福井の女性kyuさんのHPを読んでいると、何か変だな!可笑しいぞと気付いた。

今日は驚くことがあった 富山の山友が突然やってきた・・・駅にいるんだけれどというので驚いてしまった もしや夫婦仲の良いのにけんかでもしたのかな?旦那さんは山・・貴方は???急いで軽トラを走らせると相変わらずのんびりとしたゆったりモードの彼女であった(^^;)聞けば・・3時間ほどで車でやってきたらしい。。とりあえず我が店まできてもらい話をした・・・話をしながら涙が流れたり笑ったり1時間あまりであったが心から話の出来る山友・・・お昼に旦那が帰宅したので山友に我が家の自慢の畑に連れて行き・・作物を採ってもらい持って帰ってもらった・・・2日間畑にいかなかっただけで・・・おどろくほど作物は大きくなっていた・・なすび・きゅうり・・・じゃがいも・・・えんどう豆・アスパラ・・・苺。。山友はルンルン気分で収穫作業をしていた・・・おかしいくらい喜んでいる・・子供のよう(^^)彼女は山にいけなかったが・・・山は山でも勝山にこれて本当に良かったと話して遠い彼女の家に帰宅した。彼女が帰ってから私は思った・・・山好きな方は皆・・・逞しく行動力がある 私も同類かもなぁ・・・・・

 「山ノ神」は、福井の勝山まで出掛けていたのである。先月も、白馬方面に出掛けている。高速はダメ。山道はダメ。狭い道・雪道・バイバス・バックなど殆ど運転が出来なかったはずなのに、最近は人が変わったように出かけて行く。休日は「家の中にいると死ぬ!」とまで言い切る。適当は憂さを晴らしているハズなのに、私には首輪を付けようとしているのである。



6/15 6/19は、先月予定のハレルヤ山行に欠席(黒部五郎岳行きのため中止)したため2ヶ月ぶりとなる。事務局にその行き先の選定を預けられたが、どうも候補が頭に浮かばない。「雪があるない・・」 「この頃特有の虫!」 「同じ山もどうなのだろうか?」まだ日があるのだが、天候と共に、どうしたものか悩むところである。その翌日も「山ノ神」の兼ね合いもあり、如何に山バカ言えども・・・バランスも考えなくては・・??



6/14 曇りがちのお天気とは故、雪上を歩くのに、日焼け止めを怠ったため、またまた真っ黒な顔になってしまった。顔が突っ張り、首筋が痛い。大猫山行き当初の計画は、残雪を見極めて、鬼場倉ノ頭への障りまたは、三角点探しであったが、条件が揃い「鬼場倉ノ頭」の頂きに立ってしまった。また、三角点も、面倒なヤブが雪に覆われ、GPSで簡単にその地点付近まで到達出来たのも探し当てる要因の一つとなった。昼食後、ガスの中を東芦見尾根の散策に出掛けたのであるが、「北ちゃん」が一週間前に、戸倉谷を登っている事もあり、そのルートを下りに模索したが、万が一の事もあり途中潔く撤退を決め込んだ。その登り返しは、結構辛いものがあったが、渾身の力をこめて全員が頑張った。大猫平への急な雪斜面を下るにも、ピッケルワークの勉強になったと信じている。 p.m.5:55



6/13 晴天で臨んだ大猫山だったが、またしても剱岳は、ほんのチョッピリ顔を出し隠れてしまった。大猫平からは予想以上残雪で、(予想通りと言った方が良いのかも)山頂付近までは、「好山病友の会」得意の直登で臨み、参加者4名は事の他ワクワクであった。「鬼場倉ノ頭」まで足を延ばし、大猫山の三角点も探し当て、山頂で今日もテーブル付きのミニミニ宴会となる。後余勢を買って、2135m付近まで出掛け、またまた戸倉谷を下ろうと模索したが、ガスに阻まれ撤退を余儀なくさせられた。「今日も、山中12時間以上だね!」の言葉が誰となく出たが、これが定番となってしまったようである。男3名の中で、eiko女史が頑張った! p.m.9:00



6/12 ちょっと早い父の日のプレゼントとして、東京の娘から45Lのリックが届いた。山に興味のない娘だが、高田馬場の山用具店に出かけて購入してくれたものだ。無骨者の私には似つかないほどの機能性が高いリックであり、ちょっと多めに荷を担ぐには、丁度いいようである。就職してまだ2年余の間に、誕生日や父の日として、登山シャツ・登山ズボン・ロングスパッツなど、昨秋は京都旅行までプレゼントしてくれた。東京での暮らしも大変だろうに、また、「山に行けなくなるから」と、一度も娘の住まいを訪れた事のない父であるのに、有り難い事である。娘の思いやりに答えるためにも、ずーっと元気でいなければ・・・・。 p.m.1:30



6/11 「何故山に登るのか?」・・・それ以前に「人生とは何ぞや?」幾つになってもわからない。若い頃、「人生不可解なり」などと太宰治の言葉だっただろうか(間違っていたらスイマセン!)忘れてしまったが、仲間と大いに語り合った事を思い出す。やはり時々思い出さないと、益々惰性に流されてしまう。“ 竿させば流される。兎角この世は住みにくい。”などと時代は違うかもしれないが、私は何故山に登っているのかと、少なからず心の片隅にあり、小さな自問を重ねている事に間違いない。もしかしたら、最初の山は、その美しさに憧れた「逃避」だったのかもしれない。その後も挑戦(アタック)だったのか逃避だったのか、振り返ってみてもわからない。最近の私の山行は、体力の衰えと共にその言葉から離れ、美しい・楽しいの「快楽」だけを求めたものになってしまっているのではなかろうか? いやそうでもなく、かなりの限界に挑戦していると言い切れるのだろうか? 「山には、いろいろな楽しみ方がある。」など言いつつ、何かを求めているのかもしれない。 



6/10 「6/13晴れれば大猫山に!」山の仲間達への連絡を見て、「山ノ神」は“かっか”している。「置いて行く。」「自分も行ける山にして欲しかった。」が理由であろうが、私にしてみれば、あんなケガをして、まだ胸痛があるわけだから、もう1~2回(少なくとも3週間)じーっと我慢をするのが常套だと思っている。でも、それが「山ノ神」には通用しなく、他の人達の事を捨てでも、自分の事を優先せよの事である。いわゆる思いやりがないというのである。“ 「山バカ」だと知っているくせに!” そういって私を困らせるのである。
 もう「雨降れ!」コールが始まっている。犬も食わぬと言うけれど、私はその手を食わぬ事を最近わかり始めてきたのである。 p.m.11:20



6/9 6/6と6/7は自宅発が午前5時と少し楽をした。ずーっと5時集合(時には4時半)が続いた。県東部の山行機会が多く、どうしても、その1時間~1時間半前までには出発しなくてはならず、それよりもまた1時間前に起床しなければならない。HP更新が遅れ就寝が夜半になる事の多い私は、寝付きが悪く、起床予定時刻より早く目が覚めるため、睡眠時間が極端に少なくなる。本当に身体に良い事をしているのかと、疑心暗鬼になる事もしばしばであるが、丸々一日遊ぶのであるから、そのストレスはない。しかし。食べ物にちょっと工夫を施したい「山ノ神」にしてみれば、その食材選びや出発時間にプレッシャーがあるらしい。行けば(参加すれば)楽しいくせに、出発時間がルーズになる二人だけの山行をも、時々計画に組み入れるよう強請るのに、私はチョッピリ困っている。また、先月末のケガにより、胸痛の「山ノ神」の登場は、もう1~2回控えて頂きたいのであるが、その話題になると、一日中雰囲気が怪しくなるので、「さわらぬ神に祟りなし」を決め込んでいる。



6/8 怖い思いをしたら、もう行きたくないとか、二度と行きたくない気持ちになるのであるが、今回ばかりは違っていた。若き戦士長勢君の他、「シュンちゃん」や堀シェフ、そして宮下女史の顔が浮かんだ。時間をたっぷり掛けてとは、前夜テントの中で、大いに語り明かし、その精鋭にサポートされて山頂に着くというシナリオである。でも、この名剣山だけは、そんなに甘くはなく、よからぬ者を跳ね除けてしまいそうな雰囲気の山である。もっと鍛錬せねば、不心得の思いを持っている私だけがオミットされる事になりそうである。黒部流域の山々は私にとって遠い存在であったが、何故か今回の事で、登れるか登れないかは別にして、意外に身近な存在になりつつある。奥鐘山・不帰岳・百貫山、もしかしたら・・・・でも、そんなに時間があるだろうか? p.m.11:50



6/7 「明日は何処に?」の問いかけに「本当は祖母谷に行きたい!」との私の要望に長勢君が応じてくれた。先月中旬、テン泊の計画が流れ(名剣山・奥鐘山が黒部五郎岳に変更)、もうその機会がないかと思っていた。祖母谷への道が開通した一昨日に、偵察に出掛けた長勢君が、頂きを極めてしまった。その日たまたま起きた事故に遭遇した彼は、持ち前の技量を発揮し残りのメンバーを導いたり、当局に通報の手助けをしたらしい。その際落としたGPSを探すのも今回の山行の目的の一つにもなった。日帰りで登頂を果たした彼と違いロートルの私は、「名剣沢まででもいい。」「アイゼンを着ける所まででもいい。」「二又まで行けたら最高。」などと幾つか目標を設定し、いつでも撤退を覚悟しての山行としていた。名剣沢は、名の通り谷ではなく沢であり、想像以上の傾斜であった。毛勝谷や猫又谷など比ではなく、休日・天候・同行者など余程の幸運が重ならないと、私のような者が登頂出来るわけがないと思った。そして、時間に追われず、やはり前泊が条件であろう。それでも、正午過ぎに、標高1,686mまで登り、岩門を眺めれる位置まで到達出来た。もちろん長勢君のフォローがあったからでもある。二日前と比べて、「大きな石(岩)の位置が違う。」「クレパスが新たに出来た。」などと、名剣沢の刻々変わる様も教えてくれた。「登るよりも下る方が怖い。」と言う表現があたるように、彼は一度登ったからと言って、次もという気になれない特別の山だと盛んに言っていた。また、ピッケル・アイゼンが、これほど頼りになる山もそうないであろう。今日は、頂きに立てなかった割には、晴々と頗る満足な一日であった。 p.m.11:59



6/6 今日は時間がない中、三ヶ辻山と人形山に行って来た。いろいろお花が咲き乱れる中か、白のタムシバが一番印象的だった。大笠山・笈ヶ岳、そして、今日は白山が何時になく大きく見えた。また、昨秋台風で傷んだ宮屋敷跡の鳥居が新調されていた。休む毎に何故か旧友が囁いてくれたように、独りで登ったような気がしなかった。青空がそのような雰囲気にしてくれたのであろうか・・・・。p.m.11:50



6/5 名剣山の遭難事故のニュースが飛び込んで来た。偵察に出向いていた長勢君が現場で遭遇したらしい。またその遭難者がeiko女史の知人であるらしい。夕方のニュースも見ていなかったので、直接聞いてビックリしている。だんだん他人事でなくなって行くような気がしてきた。 p.m.11:35



6/4 こんな時こそ山に行きたい。「もう一日頑張れば山に行ける。」と言う心境である。逆に、「こんな時に、行かなければ!」と声が掛かりそうであるが、我家は「山」中心のライフスタイルになっているから、身近な低山であっても、行かなければ気がすまない。もちろん、「山ノ神」は留守番である。でも、あの人の事だから、じーっと、しているかはわからないが・・・



6/3 5/29に牧野氏からの「何故山に登るのか?」「何故そんなにしてまで登るのか?」メールの一部を載せたからであろうか、3日前に北関東地方にお住まいの「みーさん」から「私の答えは、明日死ぬかもしれないから」と強烈な初メールを頂いた。冬山で遭難した時の心境、後遺症、入院当時は車椅子でも自然の中へ戻りたいなど・・・。今では仕事も生活も以前同様に戻られたらしく、生きる事は、山歩く事らしく、「何故、山に登るのか!」などと考える事すらなくなったと綴られていた。正しく「生きる=山」なのであろう。私は、そんな凄い方には返事のしようがなく、「只、山が好き!」「山が好きです!」とだけ述べた。「みーさん」は文面や送信者名から、女性に感じられるが、遭難時には、「妙に諦めがついた。」などと述べておられるから、本当に女性なのだろうかと思ったりもする。しかし、この頃は、女性の方が、肝っ玉が据わっているのかもしれない。ある意味では人生を極められた「みーさん」に、ご指導を頂かなければならないかもしれない。 p.m.5:55



6/2 「山ノ神」の重い腰を上げさせたのは、「周りの人達が心配している事も考えよ!」の一言であった。“ 骨は折れていない。ひびや打撲はレントゲンには写れない。” との高岡市民病院整形外科の診断で、バストバンド(コルセットと言えばいいのか、晒しの代用と言えばいいのか・・)を着け、あとは湿布だけらしい。肋骨にひびが入れば、只痛く安静にして時間の経過を待つしかない事は知っていたが、素人には分からない事もあり、診察を仰いだのであるが、ファージーさは変わらないようである。でも、気分的には随分和らいだ事は間違いないようで、次ぎ行く山が気になるようである。出来れば、2~3週間ほど、平地にいてもらいたいものである。福井のkyuさんから自宅で栽培された「ほうれん草」をお見舞いとして送って下さった。どうも「ポパイ」を連想してしまうが、彼女の狙いは、その辺にあったのであろうか?女性同士が連携すれば、男達は参ってしまう。 p.m.2:35



6/1 ご心配をお掛けしました。「メールや電話で、たくさんのお見舞いが来たよ。」と「山ノ神」に告げると、「ま~た、私の事を、何か書いたの?」と肴にされているようで困った風であった。でも、心配してもらえるなんて嬉しい事じゃない。しかし、「お医者さんに看てもらわなくちゃ!」の意見は完全に無視している。次の山行には、参加出来るわけがないのに、計画を告げると膨れている。それはまだいいとしても、6日夜の食事会(飲み会)をキャンセルしようとしたら、まだ可能性があるから、保留にしてくれと言う。起き上がるのも辛いのに、一体全体これはどういうことであろうか。呆れるしかない。また、「仕事をしていないのなら、飲み物を持って来て!」とメールの最後にビールのアイコンがあった。ならばと、冷たい缶ビールを二階に持って行くと、本当に持って来てくれたのかと頬が緩んだ。バカモノ・・・やるものか!
 今度の事故は、私にも責任がある。残雪を甘く見すぎたようである。予想を上回る残雪にピッケル・アイゼンの必携を怠り、大所帯だった故フォローが行き届かなかった。また、実力以上の山行回数・内容の「山ノ神」に、同行者もその事を見極められなかった事もあるかもしれない。日頃からピッケル・アイゼンが必要な山には行けない出掛けないと決め付け、その鍛錬はなく、そして付いて来る。手取り足取りがここへ来てアダとなった感じである。あの雪の状態であれば、山に行き慣れているものなら、ピッケルやアイゼンがなくても問題はなかった。また持参していても使い方がわからなければ、無用の長物になってしまう。未組織や寄せ集めのパーティーの泣き所でもある。膝元の「山ノ神」が、このような状態になって、皆さんにご心配をお掛けしてしまいました。これからは、「山ノ神」にも毅然とした態度で接しようと思っております。 p.m.5:40