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8/31 8/27~8/28に、辰口氏が赤谷山100回登頂を果たした。双嶺グループの面々と山頂で祝杯をあげられた事が、今日の北日本新聞朝刊に載っている。休日の関係上、山中で祝ってあげる事が出来なかったが、心からお祝いを申し上げたい。100回とは、とてつもない数字である。2~3時間で行ける山でもないし、週一回出掛けたとしても、お天気の事もあるし、年に20~30回が限度であろう。彼は、赤谷山と言うより、剱岳が好きなのである。剱岳が見える山が興じて赤谷山になったようである。千石城山・赤谷ノ頭・中山・大猫山・細蔵山・大倉山など、上市町には剱岳が見える山が多くある。彼は、未だしばらくこのエリアから抜け出す事が出来ないであろう。小柄で真っ黒な顔、どこか人懐っこい彼は、ブナクラ修復グループの一員でもあり、下草刈などの奉仕にも精出しいる根っからの山好きである。 p.m.8:15
8/30 唐松岳行きに際し、東京の娘が、父の日にプレゼントしてくれたリック(モンベルのZERO-POINT チャチャパック45)を使用する事にした。小物を機能的に収納出来るポケットが多く装備されているので、一度試してみたいと2ヵ月半の間、その出番を伺っていた。好天・再出発などの諸条件が整った昨日、娘を担いでいるような気持ちもあってか、担ぎ易く便利であった。“ プレゼントに何が良いか?” の問いに何時も“ 山の用具。” と答えてしまう自分に、東京では多くのお店があるというものの、どのようにして選んでくれたのかとその姿を思い浮かべ、山に興味のないのに申し訳ないと思ってしまう。“ 一度東京へ来てよ。” と逆にせがまれる娘と父の間柄。山の事しか頭にない、子の事を思わぬ父であるが、何処かで「私の父は山が好きなんです。」と、それはそれで認めてくれているような話を他から聞いた事がある。嬉しい事である。
8/29 病み上がりの「唐松岳」行きは、午前4時発、午後9時帰宅となった。高速なし、行き帰りの運転は私一人が、そして、2基のリフトをパスするという予想通りのものとなったが、「山ノ神」には、まだまだ負けるものではなかった。そして、鼻詰まりとタンが絡む以外は、普段と全く変わらなかった。好天が約束されていたはずなのに、上昇気流が見る見る間に青空を狭め、五竜岳側を真っ白に、何とか見えていた白馬三山も、怪しい雰囲気になっていってしまったのです。しかし、唐松山荘・そして唐松岳に登ってからは、立山・剱岳をはじめ、毛勝三山、そして、で~ェんと五竜岳が目の前に現れた。只、白馬方面は、天狗の頭より上が、なかなか晴れなかった。今日も山頂滞在時間は1時間半とゆっくり時を過ごし、先の一週間のモヤモヤを払いのけれた感じの山行であった。山頂を後にして降りかけたところに、「元さん?」と声をかけてくれた人がいた。「え~ッ、どうして? 富山県の方?」と尋ねると、「私も高岡」と言って、快足を飛ばし降りて行かれた。「山ノ神」が、“ 声をかけてくれた人に、名前も聞かないで放って置いていいのけ・・・”などと言われては格好がつかず、私も追いかけて名を尋ねた。何とその方は、私と中山君の間では噂になっている澤課長(今の役職は知らないが・・)であった。もちろん、面識も無かったが、何故かホットしてしまった。八方尾根から登った彼は、唐松岳から直接祖母谷温泉(泊)に下り、今度は不帰・清水岳を経由して、白馬岳(泊)へ。そして、三日目の今日は、唐松岳に戻り、八方尾根を下りる途中なのだという。また、天狗みたいな方と知り合いになれそうである。
8/28 可笑しな事が起きた。昨日の夕食に「山ノ神」自身のためであろう缶ビールが3本冷やされていた。喉がカラカラ状態で、病院の薬も飲んでいない事もあり、“ その缶ビールを点滴の代わりに飲ませよ!” と「山ノ神」に交渉してみた。普通ならダメだと言うのだろうが、意外にも軽く譲ってくれた。5日間も飲んでいないから、可哀想だと思ったに違いないが、前日まで飲みたいとも思わなかった。しかし、昨日の「梨」を頂いた同様飲んでみたら、五臓六腑に染み渡たった。(3本も飲んだのではない。)それが奏効したのか、今日は別人のように蘇ったのである。私の病名は、もしかしたら、「ビール欠乏症」だったのでは・・・・・・・。この余勢を買って、明日は「唐松岳」になりそうである。高速なし、リフト利用なしの高待遇である。病み上がりの私を試すらしい。 p.m.7:40
8/27 この度は、またまた多くの方々に心配頂きました。病で臥せっていたと書かなければ、山の何処かで転落しているのかと、ご心配をかけているようです。毎日毎日つまらぬ事を書き綴っているだけなのに、涙が出てきそうです。早くHPの更新をと思っていたのですが、あれで精一杯でした。
仕事をしてみて、100%の回復ではないが、もしかしたら、明後日は、ちょっとした山なら行けるのではないかと、手ごたえはあった。しかし、今回だけは「山ノ神様」の言う事を、よ~くお聞きしてからにします。でも、あのお方は、自分の好きな所へは、私の身体など顧みずとも、すぐ許可するに間違いない。それも、明日の私の働き具合で決まるのかもしれない。 p.m.11:25
8/26 24時間中、口にしたのは、ポカリをコップに2杯だけであった。27時間後恐る恐る食べたのが、伸子さんから頂いたという梨であった。美味しかった。食べれたという事が嬉しかった。前夜の夢の中に、両親(故人)が台所に現れた。きっと「もうちょっと、しっかりせよ!」とでも言いたかったのであろう。それほど衰弱していたのかもしれない。夜になって、薬を飲まなかったからか? 平常の半分くらい食事を取れるようになった。でも変な表現かもしれないが、「頭の中が気持ち悪かった。」
そして、心配してくれているだろう山の仲間達に、“ 体調不調により二日間臥せっていました。明日、何とか起きなくては・・・ ”の最低限のメッセージを送った。
8/25 栂海新道縦走から戻った時の喉の状態は、出掛ける前より痛くなくなった。しかし、後々の事を考えて、医者嫌いな私が病院を尋ねたのであるが、その診療科を間違えたのだろうか? 与えられた錠剤とカプセルを飲みだしてから、鼻汁は止まらなくなり、咳は辛いほど出るようになる。それだけならいいが、微熱(37.9度)出て、気分が悪くなり食欲がなくなってしまった。そうなると立っていられなくなり、床に伏せってしまった。風邪だったのだろうか?それなら内科の方が良かったのか?でも、耳鼻咽喉科でも、その事くらいはわかるだろうと思いながら、薬を飲まないで寝てしまった。
8/24 「元さん」・「元ちゃん」が、ちょっと名が売れたせいか、過大評価されがちである。「岩や沢に行かないかね?」の声が掛かる事がある。「怖いのはもういいんです!」と答えて逃げている。「○○尾根や△△谷は?」にも、いまの私の力量では行けませんと正直に応対している。特別な早足でもなく、敏捷さにも欠けるようになってきた自分を見失わないようにしている。増してや人を誘う時ならば、自分がフォロー出来るかどうかも問題になってくる。過信されないように、また過信しないようにしていくのが、私の山人生を長続きさせる方法かもしれない。
8/23 ちょっと身体が都合が悪くても、山に行かなければ気がすまない。それは、どんなに近くの低山であってもいい。栂海新道の時は腰痛もあったが喉が痛かった。押さえても痛かった。不通なら山に行けば治るような錯覚を生じるのであるが、今回は下山しても調子が一向に良くならず、今日、思い切って総合病院の耳鼻咽喉科を訪ねた。しかし、“ ちょっと腫れているだけですね!” の診察で、後は薬で様子を見ましょうとの事、大事には至らず善しとするところであるが、薬を所望してから、何だか様子が可笑しいのである。今日は薬を飲んだ事だし、お酒は飲まない事にしたが、PCの前で居眠る事無く、HPをはかどらせなければならないが・・・・・ 果たして p.m.9:40
8/22 遠出を好む「山ノ神」と、またまた意見の食い違いが生じた。何も予報が良くないのに、時間と費用をかけて行く事もなかろうと、最近ちょっと元気のない私は、「山ノ神」を一蹴してしまった。1mでも遠く、1秒で遅く帰りたい「山ノ神」だが、もう舅・姑もいなくなった今日、増してや二人暮らしなのだから、ちょっぴり考えを修正してくれても良さそうなものだが・・・・。今朝5時ざーっと降った雨(結果的には通り雨)に、これでこそ遠出はないと高をくくっていたが、雲は多いもののだんだん陽が差して来るお天気に、「また牛岳やろ!」の言葉を残して、先に何処かへ消えてしまった。そんな事で、カギをかけ午前10時スタートの「牛岳」となる。登山道に生茂る草木がちょっと気に掛かるところであるが、自分の身体の調整・維持には丁度良いと思っている。「山ノ神」がおらず単独となれば、己を見直す「哲学の道?」になる。 p.m.7:00
8/21 やっぱり歩きたくて「中山」に行った。山頂着が11時だったが、予想に反して、「剱岳」がちゃんと見えた。12~13名の方々とお会いしたが、別段お話もせずシャッターを2度お切りしたくらいであった。1時間余山頂に滞在した後、最近切り開かれたという東小糸谷へのルートを辿った。きれいに整備され気持ちの良いルートであった。3ヶ所沢を渡らなければならないが、特別の大雨でなければ問題ないルートであった。クズバ山・西大谷山への挑戦権を得るためにも、この辺の概念を頭に入れて置かなければとの思いがあっただけに、それなりの収穫?はあった。まだ歩き足りなくて、「稲村」から左折して、大辻林道を辿り、鳥越峠から高峰山に登った。その頃は、約束通り雨になっていたが、ぬかるむ事無く、結構快適に歩く事が出来た。山頂では、薄っすらと大日連山や毛勝三山が伺え、その後に、カメラでは撮る事が出来なかったが、ぼんやりと剱岳を確認出来た。結果的には、遠出が出来たかもしれないが、何か気が乗らなかった。アルペン村から「山ノ神」に運転を代わってもらった。 p.m.10:15
8/20 昨夜、Respirar坂本家に招待された。あまり外食をしない私だが、もっとも楽しみにしている一つでもある。その設定も私の誕生日の前夜と心憎いまでの演出である。近年山から遠ざかってしまわれた坂本夫妻であり、さほど共通の話題もないのであるが、理屈なしで楽しいのである。しかし、昨夜はどうしたわけか、私の誕生日を迎える時間まで、ピリッとした態度を保つ事が出来なかった。目がひとりでに閉じようとして仕方がなかった。でも、午前0時を回るまで、私の大好きな山の話を聞いてくださる忍耐強い方々である。その宴や栂海新道を歩いて来た事で、誕生日の今日は、本当に年齢を感じてしまった。眠い眠いである。明日から予定していた「塩見岳」行きもお天気を理由に回避したが、目がさめて好天となれば、また悔しい思いをするのであるが、それはそれ、眠たい!疲れた! こんな事はなかったのに!
8/19 由利香さんの報告によると、大天井岳山頂付近で、同行者の靴底(ソール)が完全に剥がれ、もう片方のソールもそれに近いような状態に陥り、大天荘で接着剤の応急処置をしてもらったが、すぐにも歩けず、また雨模様になったため予定を変更して、その山荘で宿泊となったようである。翌日、靴が何処までもつか不安を抱えながらの歩行であったようだが、常念小屋に何と登山靴が売っていたそうである。それも各サイズが取り揃えてあり、下界よりも低価格であったとそうだ。年間150件程の事故があり、山小屋で備えるようになったらしく、由利香さん達は、そこで靴を買い快適な残りの山歩きを楽しまれたようである。最近の靴メーカーによると、5年100回、ハードな使い方をすると3年60回を目安にしているようである。また、出発前に引っ張る、叩くなど靴の点検も勧めている。私も一度だけ、それもずーっと前の事であるが、経験があり、リックの片隅には、テープ・紐などを忍ばせている。劣化は突然やって来る。使用頻度の高い私の靴もソールが随分減って来ている。靴だけはケチってはならないのだが・・・・
8/18「今、会社のパソコンで元さんの無事を確認しました。栂海新道へ行ったのかなとは思っていましたが、日程が予想出来なかったので遅いな~。 最近の天候では暑い濡れる滑るので、何処かでまた回転して、病院にいるのかと思っていました。病院ならまだいいのですが、2人で出かけた場合、帰ってこれない時は、誰が助けを呼ぶのだろうとも・・・自分は行き先は先輩に告げ、助けは好山病にお願
いするよう、チビに言い聞かせています。(チビとは、奥様の事)」
正午前、長勢君から頂いたメールである。年齢が親子のように離れているが、「山」を通じての友人だけに、冗談を交えながら、心配してくれた事に嬉しく思った。私達もご多分に漏れず二人暮し故、行き先を書き止めていっても、当てにならず、今や我HPの方が分かり易いかもしれない。(しかし、現在は、常に予定変更があったり、また、自分を拘束してしまう事から、希望的予定表を割愛している。)私は単独行の場合は、「有事」に備えて、それなりに私の考えを「山ノ神」に伝えてある。最近「好山病友の会」で話題になっているのは、その有事に備えて、近親者の電話番号の登録である。友人同士は携帯電話を知っているのであるが、家族からの問い合わせには、登録していない事から、悪戯や間違い電話と受け取る事が多いからである。
8/17 「坂田峠から犬ヶ岳を往復する事を思えば、犬ヶ岳から日本海までは、そんなに大した事はないよ!」と出発前に「山ノ神」を安心させた言葉。しかし、実際ぬかるんだ登山道を歩かなければならないし、また歩き始めて3日目の疲労も蓄積されてきて、滑ったり、つまずいたりする事が多くなって行く。栂海山荘から白鳥山まで4時間。たった一切れのグレープフルーツが皆の息を吹き返し、シキワリ(水場)まで頑張り昼食となる。荷造り時点で、外したはずの缶ビール2本が、「山ノ神」のリックの中から出て来たのには、流石の私もにっこりしてしまった。
金時坂を下り坂田峠に着いた時は、皆にかなりの安堵感が漂った。私には、この先の「尻高山」と「入道山」に少し拘りがあった。「とやま山歩き118座」の中の2座であり、一度ピークを踏んだ事があったが、複数回登頂を目標に掲げるからには、是非この機会に、もう一度という気持ちがあった。わざわざこのピークを訪れる事がないだけに、日本海への途中に踏めたら越した事はないと思っていた。尻高山を越えて、上路・橋立線の大平峠に一旦降り、二本松峠・入道山を目指す。さほど急登ではないのだが、なかなか足が上がらなかったように思えた。8号線の車が走行する音が聞こえ出してからは、我慢の下りであった。栂海新道登山口では、「シュンちゃん」の粋な計らいで、5名手を繋いで最後の一歩を降りた。8号線を渡り、急階段を降りて荒れた日本海に、手や足を入れた時の感激というのか達成感・あるいは満足感に、各自いろいろな思いがあったに違いない。また、、最後の最後まで「シュンちゃん」夫人に、ご足労願ったには間違いない。そして、わがままな私達にお付き合いくださった森山夫妻にも感謝しながら、また何時か「栂海新道」の共通の想い出を語り会える事があったらと新しい山の友に思うのである。
8/16 長い行程故に朝食をお腹一杯詰め込みコーヒーまで頂いて、霧雨の中を行く我々を、美女二人に姿が見えなくなるまで見送って頂いた。朝日岳山頂付近は、タカネマツムシソウだらけ!(富山弁=ばかり)ちょっと青空が覗いた「吹上げコル」までの下りは、お花を撮るのに忙しく、前にはなかなか進まなかった。「吹上げコル」からは、いよいよ栂海新道である。
“ 栂海新道は何処から何処まで? ” 長栂山の「栂」と日本海の「海」で、「栂海」。サワガニ山岳会が永年にわたって切りは開かれた道と聞く。今は蓮華温泉・朝日岳の分岐である「吹上げコル」から、日本海までを栂海新道と称しているらしい。そして3000m級の白馬岳(2,932m)から、親不知の日本海(海抜0m)までのコースが人気がある。と「シュンちゃん」が熱っぽく語ってくれた。照葉の池の手前の池(池塘)付近の登山道は、先日からの雨のためなのであろうか水没していて、花を踏まぬように草地をそーっと歩かなければいけなかった。(黒岩平でも同じ状態の所があった。)長栂山~黒岩山平はまだ歩いた事がなく、今回とても楽しみにしていた所であった。今年は雪解けが遅かった事もあったのだろうが、お盆時期というのにアヤメ平はお花がいっぱいであった。アヤメこそ終焉に近かったが、クルマユリの群落に一同が歓声をあげたくらい凄い花量であった。どっと湧く黒岩平の水も楽しみの一つであった。その冷水に2本の缶ビールを委ね、5人で分けて飲んだのも美味しかった。黒岩山~犬ヶ岳も私にとっては、初めてのコース。その途中にあるサワガニ山で全員の写真を撮るのが一つの目的としていた「シュンちゃん」の想いがあった。日帰りではなかなか来れないピークであるが、特別のピークでもない。栂海の山々を知るに連れ、サワガニ山岳会(小野健氏)の偉大さが分かり、同じなのピークに何か惹かれるものがあるのかもしれないと、私は勝手に想像してしまった。犬ヶ岳山頂に差し掛かった頃、雨がポツリとやって来たが、そのまま宿泊地である栂海山荘に駆け込んだ。5パーティー12名が避難小屋を利用したが整備された快適なところであった。(使用料として、1名1,000円を木箱に入れて来た。)
8/15 「シュンちゃん」夫人の手厚い協力もあり、雨の中の小川温泉発となる。イブリ尾根が川・滝に変貌し、先頃からの雨具の撥水加工の云々は吹き飛んでしまった。流石、朝日岳だと思ったのは、夕日が原突入前から、ニッコウキスゲの群落が我々を向かえてくれたのである。それは、雪解けが遅れた事もあろうが、明日・明後日の我々がお花達と遭遇する序曲でしかなかった。ずぶ濡れになって朝日小屋に到着したのであるが、にっこり微笑みながら出迎えて頂いた管理人さんをはじめ、テキパキ動き回られる従業員の方々に、ストーブの提供を頂く前から心が暖かくなってしまった。最近手直しされた施設も好評のようで、「良かった!」「いい感じ!」などと、客人からの賛美を小耳にする機会が多かった。それは、登山者が楽しみにしている食事にも繁栄されているのは周知の如くである。「シュンちゃん」の計らいで、管理人のゆかりさんに取って置きの「山の話」を聞く事が出来たし、ステキな従業員のひろみさんとお話まで出来たのである。その頃は、今回ご一緒頂いた「シュンちゃん」の友人の森山夫妻とは、すっかり心が打ち解け、いつの間にか缶ビールが山積になっていた。
8/14 所用が解決したと思ったら、一週間前からの喉痛が、とうとう押さえても、飲み込む時も痛くなった。おまけに2~3日前から可笑しかった腰痛が益々酷くなり、仕方なく「シュンちゃん」に、栂海新道行きを断る羽目になってしまった。「でも、行かない!」などと甘い誘いに負けて、どうせ何処かへ行くのだからと思いお願いする事になった。途中、可笑しくなり、ヘリのお世話になろうものなら、恥ずかしくておれなくなる。オーバーヒートしないように、ゆっくりと歩いて来たいと思っています。 p.m.10:50
8/13 「山ノ神」との意見の相違で揉めているところに所用が出来た。そこへ「シュンちゃん」から、栂海新道への誘いを受けた。長栂山・黒岩山・犬ヶ岳・白鳥山・尻高山・入道山のピークは踏んでいるが、未だ通しで歩いた事はない。それだけに魅力を感じる所である。0mへの暑さも山物語にちょうどいい。そんな私の心を見透かしてか、直前まで待つと言ってくれる「シュンちゃん」の優しさ! 何とか所用を解決し、雨雲も吹っ飛ばして、同行出来ないかと思いながら床に着く事になる p.m.11:10
8/12 このところ、雨や雷雨お予報が多い。何だか気乗りしないというか盆休の計画が立たない。もう時間がないのに! そこが小回りが利くと言えばいいのか、その気になれば、何時だって出掛ける事が出来る。休みが長い盆休だから、何処か遠い所への気持ちが強い「山ノ神」と、ちょっと運転すれば眠くなる私は、北アの何処かと意見が噛み合わない。別々にと言おうものなら、しばらくは口も利いてもらえない。夫婦別々の趣味の方が羨ましいが、それはそれで、また違った悩みがあるに違いない。 p.m.10:55
8/11 「山ノ神」は、先日の薬師山行で、またまたダニに食い付かれて来た。今度は左肩甲骨の上である。上着を着ているのに何故? 私は、40年全く経験なかったわけだから不思議に思えてならない。もっとも「山ノ神」は、ちょっとした虫にも弱く、いつも「虫刺され状態」であり、ブヨ(ユ)が、いようものならお手上げである。前回のダニ騒動で、賢者から食い込んだダニに、防虫スプレーや酢酸(酢)などを塗布したら、苦しさ故に這い出てくるという情報を入手していた。今回はそのうちの防虫スプレーをかけてみた。2~3回かけてみたが、手か足か分からないが苦しそう?に動かしていたが、そのうち動かなくなってしまった。これは参った! 前回もそうであったが、毛抜きで引っ張って、途中でちぎれてしまったら、どうしようかと不安が走ったが、結果オーライであった。どうして「山ノ神」ばかりに食い付くのであろうか?すぐ座り込んで休むから・・・・? いやいやビールの匂いに寄り付いて来るのでは???
8/10 余計な事を書くから皆に心配をかけてしまう。(戯れ的日記なのであるからお許しを・・・) でも、次の休日には、また何処かへ出掛けますからご心配なく。山に行けなくなったら、「元さんの山歩き」はお終いです。
餓鬼岳へ出掛けながら、宮ちゃんに引率された「山ノ神」一行の薬師岳が気になっていた。帰宅した「山ノ神」の話によると、5名の中に、体調に悪い女性があり、全員山頂を踏む事が出来なかったようであった。しかし、薬師岳山荘より上まで行ったというから、もう少しなので、それは残念であったのではなかろうか? しかし、その女性の事や食事の事もあり、リーダーの宮ちゃん共々、それには拘らなかったようであった。心配した雨は、折立到着30分ほど前から強く降ったらしいが、その他はまずまずであったようだ。犬ヶ岳の滑落事故以来、宮ちゃんとの交流が増えた「山ノ神」であるが、レベルが違っても大事にしてもらって、随分楽しかったようである。
8/9 最近弱って来ている左足が、昨日の滑落(転落)で見るも無残である。(青く死んでいる所が、益々広がっていく。)そして、昨日は感じなかった首筋から、背中にかけて、口では表現の出来ない違和感がある。鞭打ち症状とは、こんなのではないのかと思ってしまう。(実際、経験がないから分からないが・・・。)過去の剱岳・早月尾根での滑落と今回の転落もそうであるが、ほんの僅かな時間なのであろうが、結構当事者にしてみれば、長い時間のように感じるのである。身体が舞う。何処かに繋がらなくては? 何処まで落ちるのやら! が脳裏を駆け巡る。 私は日頃から滑落したら、すぐに止めないと加速を増して止まらないと考えている。どんな形でもいいから、反応しなくてはと・・・。もっとも落ちたら終わりで、落ちないようにしなければならない事はいうまでもない。私の転落した所は、通常の登山道で、特別危険な所でもなく、私の不注意だけの事である。
8/8 餓鬼岳は意外に手強い山であった。登りに要した時間は5時間。下りは4時間弱であった。「結構速いペースで歩いているのに、コースタイムとさほど変わらない。喘ぎ喘ぎ登っている人達は、それこそ凄いギャップがあると思う。餓鬼岳へのコースタイムは
他の山とチョット違う。」と健脚の長勢君は盛んに言っていた。暑い暑い餓鬼岳は、山頂に至るまで展望が開けず、忍耐の二百名山であった。遠望こそ利かなかったが、静かな山を求めるものにとっては、それなりの味のある山に感じた。恥ずかしい話であるが、下山時の最終水場から魚止の間で私が滑落してしまったのである。下が滝やゴルジュでなく、樹木の中で本当に良かった。2~3回転して落ちていった時は、これは何処まで落ちて行くのかと思ったが、必死に枝にしがみ付いて声を出そうとした所が、九十九折になっている登山道の上で、長勢君が助けに来てくれた。(家に帰って、青くなった打撲痕や擦過傷を見直してゾーットしている。)落ちた時は、何かで滑ったと思っているが、長勢君によると踏み抜いたと言うのである。どちらにしても私の不注意に間違いなく、長勢君の脚力に付いて行けるかと心配していた事が、最後の1時間で、その懸念が噴出してしまった感じであった。
8/7 明日は、スペースシャトルの帰還、郵政民営化採決、母校の甲子園対戦など、私には気になる事が多い。しかし、山に入るから降りて来なければその結果が分からない。山のお天気も、行ってみなければわからないところもあり、安全を期しながら、初心貫くのみである。 p.m.11:10
8/6 8/8の「山ノ神」は福井の宮ちゃんらと薬師岳行きが決まった。私の餓鬼岳行き同様、お互い不安を抱えての山行になりそうである。健脚との山行は、自分を過信せず謙虚に対応すれば、その姿勢は相手に伝わり、それなりに見守ってもらえるものである。連日高気圧に覆われ好天続きであるが、局地的に雷雨が多いと聞く。その不運に見舞われなければ、お互い新たな想い出深い山行となるはずであるが・・・・・果たして p.m.11:35
8/5 この頃、毎日と言っていいくらいPCに向かいながら延びている。ちょっとくらいいいだろうと横になると、もうお終いである。今もそうであったが、気が付いたら1時間半程眠っていたらしい。こんなので、8/8の「餓鬼岳」に行けるのだろうか? また長勢君に迷惑をかけるだけではないかと早くも心配になって来た。その長勢君にまだ何の連絡もしていない。何時もギリギリの連絡に彼も呆れかえっている事だろう。片目だけ開けてのやっとの書き込みは、違ったキーボード叩きの連続でもある。 p.m.11:20
8/4 使用頻度が高いからであろうが、登山シャツの背中部分がスカスカだと思っていたら、ついに綻びてしまった。このシャツは、二年前に腰の部分が綻び継ぎあてをしてもらったが、他の人が見ると、通気性の考慮や補強のように感じるらしい。その素材(生地)が汗(濡れ)には良くないのか、この頃は縮んでしまい、ズボンからシャツが出てしまうようになってしまった。いよいよ寿命なのか? 何とかなれば(出来れば)もう少し着ていたい。(スカスカだから、夏しか着れないかもしれないが・・・・) 登山靴もソールの消耗が激しい。冬履くプラブーツもそろそろ耐用年数を迎える。テントは20~30年前のものである。アイゼンもぴったりこない。などなど欲を言えば切りがない。流行などは別にして、安全に必要なものだけは何とかしたいが、軍資金はそうそう思うようにはならない。正に心は冬の時代だが、そのような山に登ればいいのである。 p.m.6:55
8/3 大猫山で例のガソリンコンロを使ってみた。念のため前夜はコンロを傾げたままにして様子を見てみた。また、リックの中もナイロン袋を二重三重にし、ボロ布を入れた巾着袋に包んで持参した。しかし、油漏れの心配もなく、扱い慣れない事を除けば、まずはOK!であった。ちょっと重いが、少しづつ慣らして、威力を発揮する晩秋から初冬に備えたいと思っている。そのガソリンコンロを買った時と同じ頃に買ったと思われるホワイトガソリンが物置の棚上で見つけた。10~20年前、もしかしたら、もっと前に買ったものだけに、使えるものではないであろう。でも、何と物持ちの良い私だろう。まだ使えるのだが、現在使っていないものが結構物置や押入れに残っている。処分しなければなどと思っても、苦労して買ったものや想い出深いものは、そう簡単に捨てれない。
8/2 暑~い、熱~い日であった。いとこの葬儀を終えてから、負釣山に向かった。車から降りただけでも汗が滲んで来た。少し登りだすと陽が陰って肌を差す事はなかったが、汗が噴出して来てサウナに入っているようだった。この時期のこの時間に、このような山に登るのも、如何なものかと思ったが、故に高い山の良さが感じるというものであった。山頂では、急に空が暗くなり、ポツリホツリと来たが、それ以上降る事もなく胸をなでおろした。“ コーヒーでも飲もう ” と、「山ノ神」に水を頼んでいたのだが、イザ山頂でリックを広げてみると、コンロ・ガス・コッヘル・コーヒーがあるが、肝心の水がない。やっぱり自分で準備しなければいけないのか??? でも、コーヒーを飲めない私を尻目に、冷たいビールだけは忘れる事なく、「速く!速く!」と追い立てられたのを忘れたかのように、至福の時を過ごしているかのようであった。登山口に戻ったのが午後6時40分、あれやこれやとあったが、結局この2日間はやっぱり山に浸かってしまった。
8/1 結果的には合間を縫っての山行となる。ブナクラ取水口駐車場に着いた時には、鈍足の「山ノ神」を考慮して、猫又山を諦め、またまた大猫山となった。結果的にはそれが奏効し、始めからずーっと剱岳と対峙しながらの登高となった。150枚もシャッターを切りながら、ゆっくりを心掛けた。5回目となる「山ノ神」が、「こんなに始めから剱岳が見えるの?」と言うくらい、辛いが満足感もあったようである。しかし、山頂に着いた頃から、予想していた通りお天気が急転し、何も見えぬガスの中の人となってしまった。そして、時間が迫るにつけ、「早く!」と言いたかったのであるが、尚更の事を考え、今日は「忍」を守り通してしまった。その後が大変で、吹っ飛ばして高岡に戻った。ところがである。通夜に出向く準備をしていると、「山ノ神」の肩下・胸上に虫(多分ダニだと思う)が、食い込んでいるではないか?毛抜きやピンセットでも取れず、止むを得ず鋏で切る事ぐらいしか出来なかった。ではと思いきや、今度は目頭に、もう一匹のダニ(らしきもの)が食い付いているではないか? 通夜を欠席して、すぐさま病院に走らせた。こんな事は初めての経験であった。 p.m.11:55