12/31 下界では少々不満の事があったとしても、多くの山仲間との親交が深まり、新たな山愛好家との出会いもありました。その点、山では満点の一年間であったように思います。闘志や体力が衰えようとも、秘めた情熱はそうそう変わるものではありません。  また、この一年間は、これほどネットの威力を感じた事はありませんでした。。私の世代の多くは、「ネットでの・・・」「ネットなんか・・・」とアナログが如何にも正当だとばかりに毛嫌いをするのですが、「出会いは出会い!」 きっかけであって、人間「誠意を尽くせば・・・」 であり、また「多くを期待しなければ!」、を心掛ければ、上手く付き合っていけると確信しているものです。現在親交を深めている多くの仲間達も、直接・間接を問わずその恩恵を受けているのは間違いないところです。
 しかしながら、赤裸々に綴る我HPによくぞ一年間お付き合い頂きまして、本当に有難うございました。来年も大代わりしない内容になると思いますが、行き着く所(終着点)を求めながら、もう少し頑張ってみようと思っています。



12/30 ようやく私の賀状作りが終わった。しかし、今度は「山ノ神」の番である。PCは占領されるし、あれやこれやのアドバイスが必要になって来る。ここへ来て完全に我家のライフスタイルが崩れてしまった。でも、もうちょっとである。お正月に長勢君から「鋲岳・烏帽子山」に誘われた。このところのお正月山行にはない山名だけに、興味深々なのであるが、帰省する子供達の手前、3日間とも朝早くから、暗くなるまで山に入っているわけには行くまい。(出掛けるつもりではいるのだが・・・)手近な山にしか行けまい。



12/29 前日の山の仲間への賀状に続き、昨夜は、親戚・業界・中高時代の友人達宛ての賀状を午前3時まで掛かって作り上げた。地域別に区分けして、朝一番の集荷に間に合うように投函して、区切りをつけたつもりであったが、残りの120枚を見て驚いた。なんと、差出人である自分の住所氏名を印刷し忘れたのに気付いたのである。折角頑張ったのにがっかりである。「山ノ神」曰く、「自分で凝ったつもりでも、相手方がどう思うかは別だよ!」それも、そうであるが、自分の住所氏名を幾通りも作ったのがアダとなってしまったようである。でも、コメントもあるし、分かりにくいが小さい写真もあるから、大方の人は、私からだと分かるハズだと勝手に解釈するしかないのが現状である。どちらにしても、私が悪いのである。気を取り戻して、後の分をそれなりに頑張るしかない。来春の山行予定を提案されているが、その返事を出す余裕も無く申し訳ない。 p.m.9:30



12/28 押し迫らなければ動かない性格で、今年も今になって、賀状作りに翻弄されている。「さ~っとやればいいのに!」 それもそうなのであるが、何かに拘っている。ステキな賀状にはならないが、PCを使いながらも、一人一人にメッセージを加えたいのが私の信条。私の400枚が終わらなければ、「山ノ神」の賀状に手がつけられない。今日も徹夜であるが、なかなかはかどらない。



12/27 先日のカウンターの30万件ヒットを記念して、K氏がプリントアウトして、私にプレゼントしてくださった。その仕様は、さすがメカに強いK氏だけあって凝っていた。この日は、「北ちゃん」の考えた挙句のメッセージに、心が揺らいでいたが、このプレゼントをもらったからには、もう少し頑張らなくてはいけないようだ。



12/26 昨夜の就寝は午前3時。その疲れか、それとも除雪の疲れか、目が覚めたのは、午前7時をとっくに回っていた。約束をしていないと、やっぱり緊張感が薄れて、だらしなくなってしまうかもしれない。そんな事もあって、登山口発が午前9時40分であった。頭から山頂に立つ事を諦めていたのであるが、今年最後の山歩きだけに、少しでも長く、少しでも高い所までの意識が働いていた。
 しかし、今日の自分は情けなかった。雪が膝上になると、足の回転が遅くなるどころか、上にあがらなくなってしまった。「山ノ神」が強くなったのではなく、私が弱くなったのである。「未だ術後一ヶ月半ではないか!」 「血管が無くなったのだから当たり前だよ!」は私の慰めにはならない。かすかに残るトレースを避け、真新しい斜面を登ったとは故、高度をあげる毎に強まる風雪が、試練とばかりに吹き寄せてきた。無念である。3時間後の午後0時40分、六合目でタープを張り食事とした。ラーメン各一袋だけで、アルコールもなし、極シンプルなものとなった。(「山ノ神」は、密かにビールを隠し持っていたようであったが、飲める雰囲気ではないと悟ったらしい。)
 時間のない時、天候の悪い時に登るのが定番であった「牛岳」は、私にとって、体力・精神を鍛え直すホームグランド的な、もう一つの顔を持っているのである。 p.m.9:15



12/25 「山ノ神」の晩酌する姿を横目で見やりながら、今日からようやく年賀状に着手した。と言っても、レイアウトも何も決まっていなく、そして欲にも、一人一人にコメントを加える算段であるから、この先が思いやられる。明日は悪天が予想されるが、最後の休日で何としてでも、歩きたいし、その事において、賀状がまたまた遅れるのである。



12/24 年賀状に未だ手を付けていない。いつもの事であるが、今年こそ、早めにと意気込んでいたはずなのに、もうこんな時期になってしまった。昨夜もPCの前に座ったのであるが、除雪の疲れか、またまた飲み過ぎか、何もせずにウトウトしてしまった。「今日は、アルコールなしで頑張るぞ!」 と思った矢先に、「元ちゃん山荘」からイブを楽しもうと声が掛かった。「エエ~エッ、この歳になっても?」 と疑ったのであるが、Respirar坂本夫妻と酒を交わし合えるのは、この上もない楽しみであるから、飛んで行く羽目になった。HPはチョット早めに・・・でも年賀状はどうなるのじゃ・・・・ p.m.7:00



12/23 もう残すところ、あと1回の山行機会となった。私の登り納めは「牛岳」という観念が強かったが、思い込みとは甚だしいもので、過去8年の記録を開いてみると、意外にも牛岳は3回であり、大辻山2回、そして、小佐波御前山・千石城山・利賀の高峰が各1回あった。余程の事がない限り、その牛岳に出掛けるつもりであるが、「山ノ神」から、また「牛岳」? などと言われるに違いない。その事があってか、年始の「牛岳」には、近年「山ノ神」の同行がないような気もするが・・・果たして来年は? p.m.11:59



12/22 何時まで続くのであろうこの雪。昭和38年の豪雪の話をしたら大昔だと言われてしまう。そう言えば、高校受験の年であった。国鉄(今のJR)も幹線道路も全部ストップしたし、商店の食料もなくなったようであった。学校も何日か忘れたが休みになったし、古城公園にあった公会堂(現高岡市民会館)が、雪の重さに耐え切れず、潰れてしまった事も当時のニュースになった。確か入学式の頃でも日陰には残雪があったように思う。その年の秋から、野球部に見切りをつけ、山岳部に入ったのである。 p.m.9:05



12/21 昨日の余韻を楽しみながら、着替えもせずシュラフに潜った。持ち寄られた食材が皆の口を通す事無くたくさん残った。またアルコールも未開封が多々ある。「今度のパーティーまで残しておいて!」 の声も聞こえて来そうであるが、手で耳を塞げば、これで厳しい「年の瀬」を越せそうである。
 昨夜、福井の「宮ちゃん」から電話をもらった。最近PCを始めたらしくIT電話である。携帯HPの事についてであったが、何故か何処でも、いつでも見れて彼女には都合が良いようである。携帯HPは、多分4~5名くらいの人しかみていないと思うのであるが????である。
 その「宮ちゃん」、ラッセル隊を引き連れて来れば、厳冬期の荒島岳でも経ヶ岳でも、ガイドしてくれると言う。1月か2月の休日に好天が巡り合えば良いのですが・・・ p.m.7:00



12/20 二日酔いの様子もなく頗る元気であったが、寝不足が祟り目を開けているのが辛かった。きっと私だけでなく、ショボショボの目をして、職場に戻ったと思うのであるが、次の休日の山行を楽しみにして、何が何でもの気力で頑張り通した事であろう。
 「飲めるのが当会の入会条件ではないが、よく食べよく飲む!きっと飲めない人は辛いであろう。」とメンバー共通の弁。でも、「出来れば飲まなくて、車を運転してくれる人がおれば・・・そして、大型車を運転出来る人・・・」などと、勝手言い放題である。でも、「決して人を貶さない、そして、誉めちぎる。」これが我「好山病・・・」の良いところ(特徴)なのかもしれない。
 お陰様で、山行にも匹敵する程の楽しい「集い」とする事が出来き、皆でゴロンと寝れたのは、若かりし頃を思い出したり、また若き鋭気をもらったような気がしてならない。 p.m.11:00



12/19 「好山病友の会」の忘年会を狭い拙宅で行う名誉!を受けて、7台(8人分)の駐車スペースを確保するために、山行計画を折からの寒波襲来で、やむなく中止にする事にし、途中休息を入れながらも8時間を要した。それこそ疲労困憊であった。何とか二上山や三千坊山に行きたい!と思って頑張りつつも、正午に近付くにしたがって、諦めムードなったのであるが、こんな事に汗を流せる自分に幸せ感漂っていった。
 山での宴はあっても、下界でのお付き合いは、オフ会でもあるまいし、そうそうないのであるが、何故か何時の間にか約束され、皆がその企画に乗っていった。少々の会費と、飲み物は各自持参するというものであったが、それ以上のご馳走が持ち込まれ、食べ尽くせない飲み尽くせないものであった。「北ちゃん」製作の突坂山(今春)・雨飾山(2年前)のDVDを楽しみ、ゲストとして、メンバーが会いたがっていた「黒部のシュンちゃん」を招き、大いに盛り上がり、シュラフ持参の皆が床に着いた頃には朝刊が届いていた。直前になって、家庭の事情で来れなくなった「まきちゃん」が、ちょっと可哀想であったが、その分まで皆が大いに楽しんだように思えたが、さて、こんな企画の次があるのであろうか・・・・どちらにしても、家庭平和で元気でなければ続かない。



12/18 やはり道中は、凍結してツルツルであった。でも、集合場所のアルペン村には7名が集まった。会合をほっぽり出して、駆けつけてくれた「花じい」とは、一年ぶりの再会である。ハレルヤ本体である高岡組撃沈の中、懸命に除雪して参加してくれた筏井氏、行かなければならないでしょうと背中を押してくれた「シュンちゃん」、「ラッセルは任せろ!」と長勢君、難しい・辛い関係なく、節目に現れるeiko女史に私達夫婦の7名である。
 「意外と降らなかったね!」 の言葉に、筏井氏の移動性高気圧が張り出してか、山頂に近付くにしたがって、しばらくの間であったが、青空まで広がっていった。
 同窓的山行のタイトルが利いてか、歩き始めてしばらくすると、ヤブの「まっちゃん」が現れた。宴最中では、差し入れもって、池田氏がひょこんと現れたのにはびっくり! 今回は奥様なしのお目見えであったが、お会い出来て非常に嬉しかった。
 山頂では、シュンちゃん持参の大きなメガミットに寒さを凌げて助かった。思ったより少ない雪量に長勢スペシャル(テーブル・ベンチ)は設計通りいかなかったようであるが、山談義には充分すぎるものであった。いつもなら、日没近くに下山するのが通例のようであるが、今回ばかりは、陽の高いうちに下山となり、アルペン村食堂でコーヒーを飲みながら反省会?まであり、いつものパターンと違った楽しみ方をする事が出来た。 p.m.10:20



12/17 企画者の一人として、「中止」が、頭を過ぎったが、何処からともなく聞こえるブーイングに、行ける者だけでもをと、トーンダウンして「尖山」となった。559mの低山とは言え、真冬の山である。横江集落から歩けば3時間は掛かるであろう。でも、「行きたい。」「久しぶりに会いたい。」などと小さな声が聞こえて来る。中には「面白い!」 「私は変人だろうか?」などと言われても、私は○○カウンセラーではない。明朝の凍結を予想して、集合時刻を遅くしたのであるが、果たして集合場所に、何人が辿り着くのであろうか? 参加した者だけに、「共通の思い出」としての無形の財産が残る。 p.m.11:00



12/16 雪降れば、ハレルヤ山行の始まりであり、私にしてみれば、これから、月に一度の楽しい集いである。欲張りな私は、この機会を利用して、日頃ご無沙汰している山仲間達と一同に語り合いたいと思ってしまう。「大辻山」が定番であったが、今回の寒波襲来で変更を余儀なくされるかもしれない。今後の降雪によっては、行けない人・行かれない人が出るかもしれないが、車が動く限り何処へでも行きたいという輩が多い。降る降ると言っていて、降らない事の方が結構多いのであるが、今回ばかりは違うのであろうか? 「山バカ・山キチガイ」達は、どういう結論を望むのであろうか・・・・ p.m.11:35



12/15 日中陽が差し、断続的に降り続いた雪も一服で、かなりの除排雪が進んだ。滋賀・福井・新潟の局地的に、12月としては記録的な大雪となっているようである。また、JRも昨日から大阪方面への列車は、全く動かなかったようである。先日我々が出向いた金剛堂山の登山口「利賀」でも、積雪が150cm超であるが、ここは全国屈指の豪雪地帯だけに、ニュースにならないのかもしれない。福井のkyuさんの所(勝山市)も、物凄い雪量のようである。それでも、山行く余裕・気力は衰えないのであろうか?



12/14 これだけ断続的に雪が降り続くと参ってします。我家の前の道路は、2年前から消雪装置が使えない事も手伝って、周囲の除雪をするに半日は掛かる。増してや、雪の後始末が大変で、積み上げなければならない。その疲労が、一年一年ジュッワ・ジュッワと身体の節々まで伝わって来る。しかし、こんな事で、負けてはいられない。
 雪が降り続こうが、次の山行の事が頭から離れない。除雪中で、車が前に進めなかったり、駐車スペースがなかったり、いろいろな事を経験したが、山から降りて来て雪に埋もれている車を掘り出した事、また小規模とは言え、雪崩で道を塞がれた事もあった。車が置けるくらいのスペースを除雪したがドアの開閉を考えず苦笑いした事もある。



12/13 術後5回の山行は、長くて片道2時間半程度。昨日はラッセル付きの4時間であった。普通は、後方に付けば楽なはずなのであるが、「好山病・・」は速いのである。30代・40代のメンバーは元気がある。同年代だと言っても、「北ちゃん」「山ノ神」は私より6歳も若い。この中でペースを合わせなければいけないのであるから、言葉は優しいが、もう病人扱いをしてくれない非道のメンバーである。頑張らなければ、次ぎ行く山に連れて行ってもらえない・・・・。「辛い!」「楽しい!」の感情が交差しながら、私のような者に付き合ってくれる事に感謝!である。山から降りて、別れの挨拶をしようと車から降りた時に、不覚にも二本の足共攣ってしまった。リハビリ途中と言っても、まだまだ鍛錬・修行が足りないようである。24時間前、高岡には全くなかった雪が、一日中降り続いたために、現在40cm積雪になってしまった。家周りの除雪は、ラッセルよりもっと辛い。 p.m.7:55



12/12 高岡では雪がなかったが、小牧ダム付近から雪が現れ、豪雪地帯「利賀」に着いた時は、これほどまで違うものかと感じる雪量であった。(登山口の積雪100cm) しかし、冬型が強まる予報とは違い次第に青空が広がっていった。1346mまでスキーのトレースがあったものの、我々を先導してくれた、長勢君と「まきちゃん」の奮闘で、その先の栃谷から4キロ地点まで到達する事が出来た。(標高約1500m) もうちょっと頑張れば、金剛堂山頂上に辿り着いたのではないかの位置であったが、病み上がりの私の事も考慮してくれてか、スキー場から4時間を超えた所でストップしてくれた。長勢スペシャルと言われるフード付きのテーブルとベンチが作られ、山頂方面を眺めながら得意の団欒が始まった。しかし、その頃から雪が舞い始め、下山するにしたがって降雪が激しくなり、今更ながら、山のお天気の変わりように恐ろしさを感じてしまった。今日も、こんなに楽しくて良いのかと思いながら山を降りたが、8名全員そのように思ったに違いない。 p.m.11:20



12/11 利賀の積雪が75cm スキー場の表示は90cmである。日照時間の短いこの時期に、冬型の気圧配置が強まるとの予報で、チョッピリ悩んだが、仲間を説き伏せる元気もなく、今晩から明日の昼までは、曇りがちで降雪量も少ないと呼んで、金剛堂山を決行する事にした。
 利賀は同じ五箇山でも気温が低く、降雪量も多い日本有数の豪雪地帯である。以前車のトラブルで、 JAFにお世話になった事があったが、その時に、「 どんな所でも来てもらえるのですか?」 と尋ねた事があったが、 「冬の夜の利賀だけは行かない!」と言われた事があった。私の冬タイヤも5シーズン目であり、ちょっと心配なため、先程チェーンのかけ方の練習を久々にやってみた。「備えあれば憂いなし!」 何事もなければそれで良し。 p.m.10:30



12/10 最近、「粋」に感ずる事が少ない。若い頃は、「貴様と俺とは・・・」、あるいは、運命共同体とか言って、契りをかざしていい気になっていたが、歳を重ねるにしたがって、それらしき事が、何処かへ吹っ飛んでいってしまった。それは、お互い各事情があり、当たり前の事であるが、時々寂しさを覚える事がある。いつも会えるから親友、時々しか会えないから親友ではない事はないが、あの時代、燃えた事に懐かしさだけを感じるのはなぜであろう。「弁える=わきまえる」という壁があるのかもしれないが、私はもう一度昔に返りたい。うまいもすっぱいもわかっておれば、もうちょっと、いい人生を送れたのかもしれないから・・、でも、それはそれ、後悔などない。
 今は休日、それは山に限ってであるが、「ツー、カー」で響きあえるものがある。それは、運命を左右するという大げさなものではないが、少なくても、老若男女が心を一つにする時である。「青春」から「朱夏」に変わろうが、また「白秋」になろうが、心いつも青春。世の先輩達は、皆そうであったのであろうか・・・
 「朝日小屋を ダシに鍋でもやろー会 !! 」 の宴の最中から電話をもらった。次から次へと変わる電話口の声は、相変わらず楽しそうに盛り上がっていた。管理人慰労会的要素もあるこの集いに、声をかけてもらったのであるが、もちろん仕事もあるが、私のような者までとチョット萎縮して、ご辞退を申し上げたが、もちろん皆が山好きでステキな人達ばかり、少し後悔したが、私には、まだ多くの山行が企画されているから、それで良しなのである。



12/9 今日から営業したスノーバレー利賀のスキー場のHPによると、第一ゲレンデの積雪は60cmとなっていた。この後も雪の降り易い予報で、12/12の金剛堂山行きが懸念される。大雪・吹雪・大雨以外は、必ずと言っても良いくらいに出掛ける「好山病友の会」の面々であるが、果たして今度はどうなるであろうか? 既に山頂でのメニューが「スキヤキ」になっているが、果たして希望通り「お山のてっぺんで、頂く事が出来るのであろうか心配になってくる。「冬至10日前」という言葉があるように、日が一番短い時である。てっぺんに拘る人もあれば、山の雰囲気を味わえれば、それで良しの人もある。今度は8人パーティーになりそうであるが、どのようになるかは、これも天候次第である。 p.m.11:59



12/8 寒~くなると、コタツの季節であるが、我家には何年も前から、コタツが消えてしまっている。テレビにコタツ、そしてお酒は仲良過ぎて、ついついウトウトしてしまう。その点は、コタツがなく、テレビもあまり見ない私は、「何か」をする事が出来る。でも飲んでしまったら元の木阿弥だ!
 冬はコタツで丸くなる「おじさん」「おばさん」が多く、「寒いのに何で・・・」と、我々の事を変人扱いする向きもある。しかし、これだけは、やってみなければわからない。動けば暖かい。歩けば汗が出る。何もかもが美味しい。雪に覆い被された景色はステキである。自分なりのチャレンジもある。ママゴトも楽しい。気の合った仲間達との交流も愉快で楽しい。でも、自分の技量を自覚するのを忘れてはならない。
 私は寒いのが苦手であった。スキーを始めた頃から、“ もっと降れ!もっと降れ!”となり、寒さを楽しむ事が出来るようになった。そのゲレンデを去ってから、尚更、雪が好きになってしまった。「悪魔」にならぬ雪と、今冬も仲良く付き合えたらと思っている。 p.m.7:40



12/7 二日間歩いてみて、やはり足が思うように上がらなかった。こんなハズではない。「山ノ神」に付いていけない。先行して一生懸命歩いてもピッタリ後に付かれてしまう。“ 術後一ヶ月だ!当たり前ではないか?” の慰めよりは、“ 未だ一ヶ月なのに凄い!” になりたかった。まるで幼児や少年のようであるが、それだけ夢中になれる空間なのである。日頃「歳だから・・・」と言っていた事が現実となるのがイヤである。来週は五箇山の山にと宣言しながら、後からノタノタと付いて行かなくてはならないのか! もしかしたら、“ おんぶ” しましょうかと、からかわれるかもしれない。 p.m.11:59



12/6 やっぱり何処かへ出掛けなければ休日とは言えない。所用を済ませ大辻山・来拝山・千石城山・城ヶ平山を候補にして、高岡を出たのが午前9時40分頃であったであろうか! 8号線・富山市豊田に差し掛かった頃、「元さん、車は大丈夫? 今日は何処へ?」のメールが橋本君から届いた。「この時間だから、行く所が限定されるけれど・・・、もしかして、今日は休み?」 「来るかね?」 「行きます。」 思いも寄らぬ同行者が出来たので、山頂に到達出来る「来拝山」となった。大辻林道入口では、最早積雪が50cm位。先行する我々に、追い付いた橋本君の第一声は、「スイマセン。援軍のはずが、家にカンジキを忘れて来ました。」であった。「でも、カンジキを貸して頂けるなら、私に先頭を任せて下さい。」 とのその気遣いだけでも嬉しかった。来拝山も初めてなら、真冬のカンジキ装着も初めてだという橋本君は、さすがマラソンで鍛えた身体だけに、身の動きは軽かった。山頂でタープを張って、雪を凌ぎ温かいラーメンを食べながら、「静かな山も、いいものですね!」 が彼の口から発せられ、「この人も、重症患者予備軍だ!」と、思わず心中でニコリとしてしまった。下山ルートを変化?のある城前峠としたのであるが、痩せた急な尾根を降りてからが大変であった。



12/5 2時間ばかり寝て起きてみると、外は真っ白そして風が強い! “ こんなのでも行くのかよ~。” でもあっちは、好山病でもかなりの重症! “ 行かないわけがないよな ” と思いながらエンジンをかけたのであるが、エンジン音が可笑しい。それだけならいいのだが、「エンジン警告灯」のランプが、どれだけ経っても消えず、何度やっても消えない。
 重症患者の「北ちゃん」と何度も連絡しながら、最終的には私がキャンセルする羽目になった。ところが、何時頃であったであろうか、「北ちゃん」から、“ この暴風雪のため小佐波御前山に、行き先を変更する。」との連絡があったが、明日の予定も有り、それと飛んで行ける状態ではなかった。
 午前8時半頃に、ディーラーへ、その経過等を伝えるが、残念な事に、月曜は休日であるとの返答。これには聊か参ってしまった。“ 今日どころか、明日もダメではないか?」 沈み加減でいた私の姿と関係なしに、「山ノ神」は、布団に潜り込んでしまった。娘が残していった軽四があるが、昨冬からず~っと、冬タイヤを履きっぱなしであって、この雪道を走れるのかと、これまた不安になってしまった。
 今度は、何気なしに4時間経った車のエンジンをかけてみると、平常通りに作動するではないか? 「北ちゃん」に、すぐ後を追うと連絡したが、もうとっくに御前山を通過している。“ それはそれ”、こっちは山に行かなくては、やってられない性格! それなりに吹っ飛ばした。
 携帯でのやりとり通り、山は雪・雪であった。術後4週間の身、「山ノ神」の後に付いた。飲みたい飲みたいの一心の足取り、こちらは何とか付いて行かなくてはが奏効し、宴たけなわの山頂へ辿り着いた。帰路の運転手を決めるのにジャンケンを期待していたのに、雰囲気に呑まれてか「山ノ神」は、矢継ぎ早に冷たいものを喉に送り込んでいた。「あんたが運転に決まっているじゃない!」 には、返す言葉がなかった。「山ノ神」は、雪道・山道・狭い道は運転をしないのであった。(高速は解除になったのであるが)仕方なし、缶ビールの匂いと、その口をなめるくらいにとどめた。当の「山ノ神」は、飲んだ事のない泡盛まで嗜めて、いやはや参ってしまった。

 でも、今日は楽しい出会いがあった。「北ちゃん」のHPに最近頻繁に出て来る「イッちゃん」とお会い出来たのである。いつも朗らかな田村氏とあいまって、「山の話」が楽しくてならなかった。私よりも「好山病」の事が詳しいのであるから、“ こりゃ!” たまげた感じである。もしかしたら、これから我々が行く山に、大いなる助っ人になるのではないかと思ったが、我会には超人がいるから、そうはいかぬか・・・・・
 またまた日が暮れてからの下山となったが、ヘッドランプの出番に喜んでいた田村氏だが、ゆっくり考えてみると、彼もなかなかの役者のように思えてならない。
 皆と別れてから、山用品屋に寄って、高岡の用事を済ませたのであるが、血流の悪さなのか我慢が出来ない頭痛に襲われた。外は強風が吹き荒れるし、この体調では、愛鷹山(山梨・静岡)には、到底いけないと進言し、了承を得て、HPそっちのけで床についてしまった。



12/4 今日は、いったいどうなっているのであろうと思うほどの好天になった。予報なんて、あてにならないなどと思っても、明日は暴風雪? この時期、雨・ミゾレ・吹雪が嫌である。折角の本格的再デビューなのに、どうしたものかと思ってしまうが、明日の北ちゃん一行は白鳥山に行くという。“ 出来れば参加を!” と言ってくれる。“ でも無理せずに・・ ”を書き加えてくれるその優しさ! 何処まで行けるかわからないけれど、やっぱり出掛けようか! 集合時刻までそんなに時間がない・・・・



12/3 eiko女史の作品を山仲間達が見に出かけてくれたようである。彼女はいつも「山」を題材にしているからであろうか親しみは切なるものである。 今回の作品も、今夏に白山へ出掛けた時を、モチーフにしたと聞いている。私は芸術的センスがなく、批評は出来ないが、何よりも「山」が嬉しい! それが、我々と一緒に登った時にイメージしたものと知れば、尚更ホットな気分になる。

 富山も初雪に見舞われた。例年よりは遅いが、歳が押し迫るまで降らなかった昨年と比べれば、随分早いようである。平野部では、まだまだ大丈夫かもしれないが、山行く者として、今晩冬タイヤに取替えた。だんだん力がなくなっていくのか、それとも術後完全に治癒していないのか、大きなタイヤを持ち上げる作業中に脹脛に激震が走った。(でも、関係はないと思う。)5日は、“ 山に行きたい!” その一心である。 p.m.11:59

 

12/2 「気を遣うから・・・、気を遣われるから・・・」イヤだ。という事に多く直面する。しかし、気を遣わず、気を遣われずして、世の中を渡っていけるのであろうか? イヤな人と付き合う必要もないが、好きな人や大切な人へこそ、気を遣うであろうから、苦痛とは思わない。反対の場合はどうであろうか? 自分がいい気分になっている時は、相手(周り)が気を遣ってくれている時である。そんな気持ちを大切にして、ある意味での緊張感があれば上手くいくような気がする。
 会の名はあるが、会則も会費もない「好山病友の会」。でも、ファージーながら大枠はあり、ヒシヒシと、その気遣いは感じられる。それは、技量や体力をお互いカバーしあう良好な関係があるからでもある。そして、我々には、何といっても笑いがある。



12/1 山に登っていないと、情報も画像もない。牛岳の画像も飽きられるし、独りで登っていても画像は様にならない。苦し紛れに「元さんの希望的山行予定」を載せてみた。あくまでも希望であって、休日を只埋めているだけなようなものである。行きたい山はたくさんある。何度も行ってもいい山。今度こそと狙っている山などいろいろな思惑もある。
    どちらにしても、条件が揃わなければ、なかなか思い通りにはいかない。独りで出掛けたい時もあれば、大勢で楽しみたい時もある。また仲間の応援があってこそ行ける所もある。でも、想い出つくりに気の合った仲間と登るのが一番いい。共通の想い出は、何時になっても、幾つになっても、ずーっと語りあえる。それが同じ事であっても、何故か許してもらえるから不思議である。 p.m.8:10