2/28 昨夜は、やはり疲れたのであろうか、いつでない早く眠りに着いてしまった。(と言っても午後11時頃) 当欄の穴を空けてしまったと言っても、いつもの事だから慢性になって来ている。さてと綴ったのであるが、読み返さないものだから、文章がメチャクチャで繋がっていない事に気付いたのが今晩となってしまった。「あ~あっ、恥ずかしい!」 でも、何でも有りの当欄では、致し方ないか? それとも「恥の上塗り」に感じられているのかもしれない。「あの字が間違っています。」 「文章の辻褄が合いません。」 の心温まるメールも、最近は影をひそめている。「それくらいなら・・・」 の容認であれば嬉しいのであるが・・・

 西新山の下山時に、「HPに疲れる事もあるんだよ! 止めようかとか、仲間内だけが見れる小さなものにしようかとか、また別物に作り変えようかとか・・」 同じHP作りをしている「北ちゃん」に投げ掛けたら、どうでもいいけれど 「このコーナーだけは残してよ!」 などと、励ましとも、慰めとも取れる言葉に「やっぱり、これしかないか・・・」 と思ったのだが・・・
 正直なところ、性格上あまり面白い事も綴れず、悩むところであうが、私にはそんな事が期待されていないと思えば、結構楽になるが、辛いところでもある。
 山中でも、私のキャグは、「オヤジキャグ」と言われ、雪中で身震いまでされるのであるから、「座布団一枚」などと言われた試しがない。やはり私のギャグは、「クールビーズ」並であるらしい。でも、それなりに存在感があるから、何とかグループに、しがみ付いている事が出来るのである。

 昨日の西新山行きの大亦峠付近への急斜面下降時に転倒してしまった。筋肉が炸裂したのではないかと思うほどに痛かったのであるが、滑った際にスノーシューが、脹脛を蹴った感じになったようである。みるみるうちに打撲痕が紫色になったのであるが、今日は痛いながら、その色も薄く広がっていっている。もちろん、歩く事に支障がない。 p.m.9:00



2/27 またしてもロングコース、洞山から西新山に行って来た。私としては8年ぶりの西新山であったが、記憶とは全くあてにならぬものである。もっとも2~3日暖かい日が続き、そして冷え込んだ雪面がクラストし、斜面が全て急に見えてしまい、唯一人カンジキの「山ノ神」には辛い登高となった。スノーシューは、その斜面を直登出来るだけに、尚更であったようである。それではと、最後の斜面を「山ノ神」のカンジキと、私のスノーシューを換えたのであるが、衣服や荷に私の体重を加えると90キロは超えるであろうから、予期せぬ沈み方をし、先行くスノーシュー隊を目で追いながら、私もやはり辛い思いをした。

 今日のメンバー・コースからして、山頂の宴を半ば諦めていたのであるが、山頂間近とみるや, 長勢建設社長が走り出した。我々が山頂に辿り着いた頃には、幅はともかく、背丈以上の深さを掘り進んでいた。今日は、社員もおらず、自らの掘削作業であったが、あまり時間はないものの、暖かくして食事をしようとの、彼の思いやりでもあったのだろう。しかし、掘り進むと樹木にぶち当たるという、いつでもない設計ミスが発覚してしまった。それではと違った方向に掘り抜いたのであるが、耐震強度問題が浮上し、大笑いしながら、「長勢設計」を肴にテーブルを囲んだ。展望も利かない西新山頂上は、いつもと違った様相ながら、やはり長勢スペシャルの穴の中!・・・・・・

その長勢君、懸命の作業が災いし、ちょっと腰を痛めたらしい・・・、
一方腰痛の「北ちゃん」は、急斜面を登ったら、その痛みは何処かへ飛んでいったらしい・・・・
「キャーキャー」言いながら、何処にでも付いて来るeiko女史のエネルギーと山への情熱を再確認した。
もう、これで完全に「好山病」に感染してしまった「きくちゃん」
今まで、いらないと言っていたスノーシューの威力を再認識し、我家の家計を揺るがすかもしれぬ「山ノ神」などなど

 私にも思いがある。もう一度「西新山」に行って見たかっただけに、気象条件には恵まれなかったが、今日はラッキーであった。この山は、好天に恵まれなかったら、なかなか一人では来れない。増してや、「山ノ神」と二人では企画さえ覚束ない。所用で来れなかった仲間には悪いが、山深く静かでステキないい山である。そして、一回や二回行ったくらいで、その山の評は出来ないなどと、改めて心に刻み込んだのである。



2/26 「一人より二人より三人が楽しい。」可愛いお雛様の絵手紙が、福井の宮ちゃんからの送られて来た。毎週ではないが、何度もステキな絵手紙が、山の便りを兼ねて送って下さる。「山が命」というアルピニストの宮ちゃんからだけに、その嬉しさを、どのように表現してよいのか分からない。今まで頂いた中で、アイゼンの絵の中に「命預けます。」が一番好き! 勘違いしたほどだけに・・・
そんな宮ちゃんは、「富山の山」が大好きである。さしずめ初雪山トライからである。でも、毎日マラソンで鍛えているあの脚力に付いて行けるであろうかが問題である。山では男も女も関係なく、強いものは強いのである。 p.m.11:10



2/25 内の若い衆が、鉢伏山に行って来た。コンディションも良かったのであろうが、午後4時半過ぎのPCメールで、その報告があるくらいであるから、相当の速さである。そんな馬力のある若い衆と付き合っているのだから、日頃体力が衰えたなどと思っているが、もしかしたら、反対にUPしていたり・・・そんな事はないか!!・・・それにしても、今年の山の雪質変化は、一ヶ月くらい早い状態である。



2/24 月に一度の日曜日休日に結婚式が入った。義理の姪だけに「山ノ神」出席で、片が付き、「しめしめ、私だけが山に・・・」のつもりであったが、「私も出席せよ!」の連絡があり落胆している。もっとも、義理にせよ叔父であるからに、それもそうなのであるが、招待状の宛名が「山ノ神」だっただけに、3月の山行に支障がないと踏んでいたのである。こうなれば、しょうがないところか・・・・



2/23 「好山病友の会」の重鎮である「北ちゃん」が腰を痛めた。詳しい事は分からないが、次回の山行に参加出来るかどうか分からないという。でも、仕事が出来るのであれば、大した事はないのであろうが、新たな山に行くのは、彼が楽しみにしていただけに決断がつかない。こんな時にこそ「山ノ神」の「雨降れコール」が、ふさわしいのかもしれない。
 その「山ノ神」は、何が気に入ってか、ここ2ヶ月間程は、シュラフの中に入ってご就寝なのである。床を引かなくても、上げなくてもいいから、などではないと思うのであるが、いつの間にか、山浸りになってしまったのかもしれない。しかし、外ではめっぽう寒さに弱く、一段上のシュラフでないと寝れないのである。来月上旬に、長らく温めていた大地・初雪山でのテント泊が、現実化するかしないかは、「山ノ神」の精神力如何である。 p.m.11:30



2/22 2日前、富山県知事政策室から、地域資源のHPリンク集と、山麓部のウォーキングコースを紹介する「水と緑といのちの回廊」HPを作成したいので協力して欲しいというメールを頂いた。その依頼の内容が、 ○夫婦山http://www.geocities.jp/hatuyuki888/myotoyama/myotoyama160621/myotoyama160621.html であったから、何故か複雑な気持ちであった。過去にも魚津市・現生涯学習課の片貝山荘コーナーにある「山を愛する人のページ集」に掲載の依頼を受けていた事があったが、「元ちゃんの山歩き」から「元さんの山歩き」に変更した際、リンクを外してもらった経緯がある。それは、山への想いを綴れども、紀行や情報の発信が疎かになって来ているからでもある。



2/21 二日連続の山行はやはり疲れたようである。帰宅して、後片付けをし、風呂に入り、食事をしながら、軽く一杯やったせいなのであろうか、PCの前に座ってHPの更新をしようにも、目が開かず諦めたのであるが、その先に覗いた鏡には、雪目なのであろうか、ウサギの目のように真っ赤になっていた。
 その遅れた更新をしようと思って起きたのが午前5時であった。こんな事がずーっと続く。5年以上続いていると思えば滑稽で可笑しな事である。いったい誰のために・・・(自分のために決まっているじゃない・・・)でも、山行前夜は3時間以上の睡眠がないと、ロングコースは辛くなって来た。特に帰路の運転がいけない。その距離が長いと尚更である。

 汚いながら日に焼けた黒い顔は、自分では結構気に入っているのであるが、当世では流行らないのか、いや、学問が進み後遺症の事を考えれば、そんな事はナンセンスなのであろう。確かに汗・汚れ・焼けるなどの従来の難問を解決すれば、短小軽薄になった用具や、ファッション的にも随分様変わりした事を思えば、これからは、中高年ばかりではなく、若い年齢層の方々も山に飛び込んで来ても良いような雰囲気になって来ていることは事実であろう。でも、自分の子供達の事を見ていると、体力・気構えなど、まだまだ軟弱である。修行と取るか、チャレンジと取るか、またまた癒しと取るかは、人それぞれなのであるが、ファッションなどと言い、見た事もない格好の若者が山に溢れる事もなかろう。
 雪山は濡れるが汚れない。着るものも履くものも乾かせばよく、後始末が実に楽である。山の中に入れば、白と黒(時には青のプレゼントが・・)その中に、思い思いの着衣の色がまたまた映るのである。その雪山も後半戦に突入している。



2/20 「午後から降る。」予報にも関わらず、すんなりと2月の「戸田峰」挑戦となった。私自身、4人のメンバーで、別荘川の右岸を出発点にして、877mのピークに取付いてから、8年ぶりの「戸田峰」、また、「戸田峰」に語り尽くせないほどの想い出がある「北ちゃん」と共にの企画であったが、今日も若い衆に引っ張ってもらった。
 それにしても、大きなアップダウンは少ないものの、「まだ? まだなの?」の叫びが、今にも爆発されそうなロングコースである。雪量の割には、雪質に助けられ、ラッセルへのエネルギーを割く事が、9名全員の山頂に繋がったのであろう。この奥深い山へのチャレンジと予報からして、長時間の山頂滞在を期待していなかったのであるが、それでも大きな穴が掘られ、山頂ホテル「好山病」が設けられたのである。難儀して取り付けられたタープが、雪に変わってから奏効し、今日も「暖」を取る事が出来たのも、若い衆のお陰である。
 何と言っても、今日の最大の収穫は、「さおりさん(長勢夫人)」が、亭主の激励付きであったが、最後まで踏ん張った事であろう。彼女も完全に好山病に感染し、賑やかなメンバーの一員になるであろうが、このところ「好山病友の会」には、どの会にもない「珍現象」が起きている。それは、高齢化に悩んでいる他の会をよそに、毎月毎月若年化(平均年齢の若返り)が進んでいるのである。私からみれば、弟や妹のような人達から、自分の子達のような年齢の方が多くなりつつあり、終いには、私が弾き飛ばされてしまいそうな勢いである。これからは「歳だ。」などと言う事自体慎まなければいけないような・・・



2/19 今日のハレルヤ山行(月一回)の大品山は晴天に恵まれた。雪が硬くとても歩き易く、雪上ハイキングそのものであり、毛勝の山々から大日岳や立山方面の展望は素晴らしかった。大方は、カンジキも装着せず、壷足のままで午前10時過ぎには、大品山に辿り着く事が出来た。「こんな早く着いてしまった。」 後はお決まりのパターンである。
 途中、長靴がトレードマークの岡田氏にお会い出来た。彼らは、スキーハイキングと称し、すーっと消えてしまった。「今日は、長靴ではないですね。」 とピカピカのスキー靴を触らせてもらった。鉢巻スタイルは今日も健在で、「元ちゃん(彼は、もとちゃん)」 と呼んでくれる。そんな彼らの仲間で、別行動中の篠川氏に声を掛けて頂いた。何か新しき山の知り合いが出来て、随分得した気分になったが、あのようなスキーの腕前を拝見してでは、近寄りがたい存在かもしれない。
 今日はスノーシューを履いて5回目の山行となったが、硬く締まった雪でも、快調に登高する事が出来た。しかし、下りは事の他に難儀をしてしまい何度も転んだのである。テクニックが掴めず、まだまだ修行が足りないという事であろう。 p.m.9:35



2/18 「何故そんなに山なの?」 その問いには、「分からない。」 としか答えられない。特別の事をしているわけでもないからかもしれない。「グレードの高い目標があれば・・・」 そんなのがないからいいのかもしれない。「本当は欲しいのかもしれないが・・・」
 答えにならないかもしれないが、「また登りたいから・・・」 「途切れると自信を失うから・・」 が正直なところかもしれない。それなのに、やっぱりそれなりの欲望が絡んでくるから不思議である。「あの山も、この山も」に思いを走らせ、また途切れ、「何とかならないか!」 などと、それなりの夢が希望が湧いて来る。「まだ歩けるなら・・・」 新たな出会いは、格別の勇気を希望を湧き出させてくれる。その時の「錯覚」が、一時的にも若さをくれるような気がしてならない。 p.m.11:59



2/17 「お母さんの誕生日プレゼントは何が良いと思う?」と東京の娘から問い合わせがあった。私には「山の用具」を贈ってくれるのであるが、「あんたばっかし・・・ (あんたばかり)」を妬みのように聞いているので、リックもそうであるが、消耗度の激しいロングスパッツを提案した。そのプレゼントが今日届き、「山ノ神」は笑顔が絶えなかった。しかし、本当の誕生日である明後日のハレルヤ山行には、所用のためそのスパッツを披露出来ないのである。しかし、もう一日待てば、「好山病・・」の戸田峰行きに使用出来るのであるから、そう焦る事もなかろう。その娘も今春嫁ぐのである。「あ~っ、山に行けなくなる。」などと言う親に、もうプレゼントなんか、くれないかもしれない。 p.m.11:55



2/16 私は、昭和56年9月に、初版本ではないが、改訂版第1刷発行の「越中の百山」を購入している。(定価1,800円)富山県教職員山岳研究会・富山県高等学校体育連盟山岳部編・北日本新聞社発行である。
 帯には、ふるさとの山のすべて・・・「富山県の中級山岳のうちから123を選んで、各山の特徴や四季折々の姿、山名の由来、登山コースなどを詳しく紹介した登山案内書。写真・スケッチのほか各山の地図も収録。」 とある。
 昭和56年と言えば、私が34歳の時である。私の記憶では、もっと若い時に購入したような気がしているが、(初版本は昭和48年8月) そのように記載されているから間違いないのであろう。何故「越中の百山」を買ったか分からないのであるが、自分の知っている山や、大好きな山が載っていない事に、あまり面白さを感じなく、しばらく本棚に埋もれていたようにも記憶している。
 石坂久忠・佐伯克美・佐伯邦夫・中村昭平・橋本廣・湯口康雄の各氏(執筆者21名)が編集委員になって、載せられている123座は、北アルプスの稜線上にあるものを除いて、富山県内にある標高700m以上の山々である。当時は、半数以上の山には道はなく、ヤブを潜ったり、積雪期にしか登れなかったのであるが、今は幾つもの山に、登山道がつけられたりして、登り易くなってしまった面もあり、ちょっぴり寂しい気もするが、それはそれで、多くの山好きを、山に迎える事になっているのであるから、喜ばしいのかもしれない。
 しかし、「越中の百山」は、決してガイドブックではなく、今となっては、一種の文学書である。私は、その「越中の百山」を、こよなく愛している「山バカ」なのである。 p.m.11:59



2/15 何気なしの一言、一行が相手の気分を壊してしまう事がある。なるべく、でしゃばらないようにとか、口数を少なくなどと、日頃から気を付けているのであるが、ついつい調子に乗って後悔してしまう。相手の気持ちを考えているのであるが、どうも充分に伝わらないケースが多く、小心者の私は、いつも後から胸を痛くしている。心の底に「良く思われたい!」も、あるから葛藤が生じて来るのであろうが、その事自体貧困である。もう少し、聞き役に、そして、強い意志を持っていなければ、「年甲斐もなく」になってしまいそうである。



2/14 昨日の大高山・唐堀山からの下山は、未だ明るかったものの予定をチョットオーバーした午後5時20分頃になった。疲れ切った皆の身体を癒してくれたのは、「おかえりなさい。」のメッセージを持った「ゆきだるま」であった。(あとで分かったのであるが、手作りのチョコレートまで添えてあった。)
 家庭内の急用で、「来る」 「来れない」 と二転三転した今度の山行に、「まきちゃん」は、用事を終えてトレースを追う事になったのであるが、好天とは言え予想以上の強風は、我々のトレースを悉く消してしまったのである。「尾根は広いが、視界は良いから・・・」「良いものの危ないから来ない方が良い。」 「仲間に追い付いて来て欲しい。」 などの思いを交差させながら、先を急いだ。初登場の「きくちゃん」などは、“ 600m以上の雪山は初めてだ!” と言いながら、「感激!」を連発していたが、そのパワフルな黄色い声援にも似たものが、我々を山頂へ導いてくれたのかもしれない。

 唐堀山発が午後2時を回ってしまったが、登り(行き)と打って変わった重い雪をものともせず、皆の脚力は衰える事がなかった。午後4時半頃であったろうか、我々のトレースと違ったものを発見し、「もしかしたら、まきちゃんのものかもしれない。」 「やっぱり、まきちゃんが来たんだ。」 と、ホットな気持ちになったのは私だけではなかったのではなかろうか! その「まきちゃん」は、我々を待ち切れず、後は、「ゆきだるま」に託していってくれたのである。



2/13 大高山までの低温に手や耳が痛く、強風は7名のトレースを皆消してしまう程の凄まじいものであった。しかし、素晴らしき晴天に、遠望ではあるが、北アの山々を喜びを交えて堪能する事が出来た。それより先の唐堀山へは、この時期にして、行けるかどうか自信はなかったが、好天や雪質、そして、チームワークが奏効し、とうとう山頂に届いたのである。しかもミニ版となっても、ベンチやテーブルが施され、いつもの儀式は行われたのである。「この辺で止めようか!」よりも、「もう少し先へ!」「もうちょっと行ってみよう!」が勝ってしまい、結果的には7名全員に大満足もたらした。
私などは、この時期に、このような形で歩ける事など余程の事がない限りもうないと思える程で、同行してくれたメンバーに、深く感謝をしている。そして、共通の想い出を、また刻む事が出来たのである。 p.m.11:30



2/12 明日は、時期としてはちょっと早いが、「好山病友の会」で、大高山~唐堀山を目指す事になった。明朝は低温、そして、夕刻から降り出した雪に、天を仰いでいる。ただでさえ、駐車の事で頭が痛いのに・・・・でも、「予報は晴天!」 唐堀山には届かなくても、行ける所まで行く勢いである。主力の一部が抜けるが、また新たなゲストが登場という事で、話題には事欠かない。 p.m.10:40



2/11 夕方まで動いていたPCが、買い物から帰った午後9時頃から、全くウンともスンとも言わなくなってしまった。このところ、ウィルスがよく寄って来ていたせいなのであろうか? ことごとく撃退していたと思っていたが、でも間隙を縫われて侵されてしまったのであろうか? しかし、午前0時を過ぎてから、何度目か分からぬアクセスに、ウィンドウズも呆れてか動き始めてくれた。「あ~っ、やれやれ」 である。町内のPCの巨匠にお願いしなくても良くなる。でも、今夕、13日の山行(好山病友の会に関しての連絡を、「北ちゃん」にお願いしてしまったのであるが、申し訳ない事をしてしまった。しかし、こんな「有事」なら、許してもらえるかもしれない。13日は、新顔がお目見えとの事、新風を吹き込んでくれるものと期待は大きい。



2/10 今年は何だか雪の状態が変だ。まるで3月の山を歩いているようである。雪が早く来過ぎたのか、それとも、どっと降って、寒さで締め付けられ、フカフカの雪の状態でないのかもしれない。しかし、下は硬く雪は重い。それはそれなりに、気を付けなければいけないのであろう。でも、何時もより早めに今まで行けなかった所へ、足を延ばせるかもしれない。そうなると、我家では、また厄介な問題が起きて来る。「あんただけ?」となり、「山ノ神」の「雨降れコール」が始まるのである。



2/9 左下肢静脈瘤の手術をして3ヶ月が過ぎた。二人の担当医の意見が分かれていたが、目安とする強力ストッキングの着用期間が過ぎたのである。(一人は3ヶ月、もう一人は6ヶ月の意見) 現在、就寝時以外は、ずーっと着用している。血管が浮かない(飛び出ない)ためのものだが、当然締め付けられて血流が悪く、足が特に指先が冷たい。その証拠に3本の指が、今も軽いしもやけ状態である。そんな不都合なものだが、3ヶ月も愛用(着用)すると不思議なもので、自分の足の一部のようなものになっている。
 術後あまり日が経たない頃だったろうか、数時間程履かなかった事があったが、杖のない状態、或いはコルセットがない状態とでも言えばよいのか、支えのない身体が不安で仕方がなかった。症状を見ながら、徐々にストッキングから解放されようかと思う反面、再び静脈瘤の病に冒されるのはイヤだし、このままずーっと着用しようかと思ったりもする。風呂上りの反対の右下肢には少なからずも、その症状を確認する事が出来るからである。でも、もう手術はしたくないから、膝の故障と合わせて大事に付き合っていきたいと思っている。「私は、ずーっと山に登りたいから、無理せず身体を大事にしていきたい。」と初対面時の大平君の言われた言葉が思い浮かんで来る。



2/8 2/6で、今流でいう「ダサイHP」が満6年を迎えた。何とか6年である。今度の目標は、私の誕生日である8月とした。形骸化したHPが尚も長く続けれる自信はあまりない。只、HPと私の山歩きは一体化していて、どちらかだけを止めるわけにはいかないと思っている。憂さ晴らしというストレス解消の場でもなければ、自慢を書き続ける場でもなくなってきている。家内を「山ノ神」と称して、肴にしているのも何時まで続くかである。赤裸々に綴れば自分の恥を曝け出すだけ・・・・ガイド的要素も失われてきているし、何を拠り所に書き続ければいいのであろうか・・・・でも、でもである。日毎にカウント数が増えて行き、山仲間が増えて行く、このギャップを、どう感じればいいのであろうか? 背中が丸くなっている画像を見て、また深く刻まれた顔のしわを見て、もうこれまでかと思ってしまうのである。若きメンバーの中にいると、ついつい自分も若いのではとの錯覚に陥るのであるが、皆の負担になっていなければいいのにと余計な心配をしてしまう。でも、嫌われるまで、付いていきたいものである。 p.m.10:50



2/7 何日も前から、この日(今日)は予報が悪かった。でも、行かぬわけがない。行かなきゃならないのが、我家のライフスタイルなのである。二人だけの山行となると、予定を立てても思うようにならず、出発時刻がどうしても遅くなってしまう。雨覚悟の「千石城山」は、所々ワイパーを回したもののそれ程でもなかった。森林センターを出発したのが午前10時を回っていた。雨具を纏ったもののすぐ汗ばみ脱いてしまった。いつのものか分からないが、トレースがあって楽チンであったが、杉林上部でなくなってしまった。
 そこからが真骨頂で、思うが侭に歩き回る事が出来るのである。稜線に出ると流石に風が強く、顔が痛くなるほどであった。山頂に繋がる尾根道が、こんなに広かったかと思うほどの雪の着き様であった。そして、山頂に辿り着いた瞬間、広々とした山頂を疑った。あの疑似木で出来た藤棚も何もないのである。それ程雪量が多いという事なのであろう。また、雨が近いのであろう山が大きくはっきり見えるのである。寒さに耐え切れず穴を掘った。これがまた暖かく滞在時間の短いのがもったいないほどであった。しかし、やはり雨がやって来たのである。早々に引き上げたのであるが、それとは反対に、高度を下げれば、陽が差して来る可笑しなお天気であった。今年初めての「千石城山」は、昨年のお正月(1/3)以来だとは思わなかった。いつも行っていると思っているが、錯覚というのか人間の記憶などあてにならぬものである。 p.m.11:55



2/6 ちょっと不義理をしたようにも思ったが、黒川の上流小坂に向かった。途中、射水市の南郷道路でさえ-4℃(この日の高岡の最低気温は-5.3℃)の表示が出ていた事もあって、川沿いの抉られた林道の濡れた路面は、ガラスのようにツルツルで、岩盤の上は長くて大きいつららが、今にも車に刺さりそうであった。
 大双嶺山は、ちょうど4年前(平成14年2月4日)「ターさん」・花じい・中山君・「山ノ神」と私の5人で、やって来た山である。あまりにも早く山頂に着き過ぎて、午前9時半過ぎから宴会をした想い出がある。(今から思えば1時間半程であるから、かなり優しい宴会であったものである。)そして、蛇越に繋がる大双嶺村跡方面へ、今にも雪崩れが起こりそうな谷筋を下って周遊したものであった。今回はその谷筋を止め尾根経由で周遊するつもりであったが、山頂発が午後2時という事もあって、同じコースを戻る事にした。
 しかし、もう一つのピーク(ピークらしくないピーク=双耳)に戻ってから、変な虫が動き出し、南側の尾根を下る事にした。ちょっと急な斜面もあったが、それこそルンルン気分で下って、もう少しで林道という所に来て、ミニミニ十字峡のような所に遭遇し悩んだ。靴を濡らすのは何ともなかったのであるが、そこに降りるのにちょっと厄介であった。悩んだあげく、その流れが(沢)がなくなる所まで急斜面を登り返し、今度はその流れに沿って、杉斜面をトラバースする羽目になってしまった。でも、予定の範囲内に車に戻る事が出来また楽しい想い出となった。 p.m.11:15



2/5 明日の山行は悩んだあげく、今ほど「大双嶺山」にした。スノーシュー隊4名の来拝山には、「山ノ神」がちょっと可哀想だし、牛岳にしようと思ったのであるが、牛岳は「山ノ神」にしてみれば、代わり映えのしないところのようで、面白くないらしい。
 明日は冷え込んで、どの山も良いのであるが、それが通じないようである。今思い切って、一度しか行った事のない「大双嶺山」に、この機会を利用していく事にしようか? あまり標高の高くない山なのだが、「越中の百山」である事は間違いない。小坂地区に存在する山にも一緒に登って来ようか? それもこれもお天気次第である。 p.m.11:15



2/4 最近私の周りではスノーシューが大流行である。その効用を尋ねられる事があるが、私はまだ「若葉マーク」の段階で経験からのコメントが出来ない。二上山の特訓?もあるが、実際使用したのは、先日の大地山が初めてなのであるから・・・・。
 過去、深雪に苦渋を強いられた事が何度もある。100m進むのに1時間も要した事、或いは山頂を眺めながらの時間切れの撤退、登山口までも辿り着けなかった事など、体力の無さを棚に上げて限界を感じていた。また、術後の事も手伝って、益々衰える体力をカバーする物として、スノーシューに目をつけていたのである。幸い我「好山病友の会」のメンバーには、そのスノーシューを自由に使いこなしている長勢君や最近は橋本君が存在し、心を動かされたのも正直なところである。

 しかし、なかなか「山ノ神」の許可が下りず、満を持しての購入であった。多くを望まずとも、これで深雪とて、低山ならば山頂を仕留める事が出来ると思ったのである。カンジキに比べ浮力がある。リフターを使えば、直登が容易になったような気がする。でも、急な斜面の下りには、ちょっとおっかなびっくりである。特に目の前や、左右が切れている時などは、足が竦んでしまうのだから、もっと訓練をしなければならない。只、スノーシューは、万能ではなく、カンジキ、アイゼンなどと使い分けをしなければいけないようである。 
 もう一つ、心配がある。早くも「山ノ神」が、スノーシューで何処かへ飛んで行くのではないかと心配をしている。「私には未だ羽根が生えていない。」「君も買ったら?」 などと自由でない事を強調しているのであるが、「私は危険な事・怖い事をしたくない。」と、「山ノ神」は、そればかりである。



2/3 気まぐれながら、ちょっと休むと言っていた「北ちゃん」のHP「どこでも名山 http://www.ne.jp/asahi/yamaga/suki/」が人気上昇中である。それは、ショートムビーと題した動画の導入が寄与しているらしい。何度見ても面白い。それは自分が参加しているからであろうが、他のHPと一味違った所が受けているのだろう。彼が撮ってくれたビデオが、DVDとなって私の宝物になっているが、今後もプレッシャーを掛けながら、名作を撮って欲しいと期待している。 p.m.8:00



2/2 あまり信じられないが、また大雪だと言う。そして、私の連休2/6~2/7は、曇りに雨マークが付いている。「山ノ神」は、何を勘違いしているのか、太平洋側に行けと言う。こちらが雪で、所謂冬型でないと、あちらが晴れないという事がわかっていない。雨マークが入る時は、痛み分けなのである。冬型が強くなると、山越えも苦しく、そう簡単に行けないのであるが、ちょっとでも遠くの思いは、幾つになっても変わらないようである。
 そして、何時も行っている山はイヤだとか、厳しい山はイヤだとか駄々をこねる。朝起きの悪い「山ノ神」を置いて、そ~っと、抜け出してやろうと思うのであるが、やはり家に帰らなければならず、その報復が怖いから、ある程度妥協をしなければならないのか・・・  p.m.11:59



2/1 「今日は出掛けないのか?」と「山ノ神」に問われた。二上山特訓は一応完了で、雪量と天候を見ながら、週一くらいのペースで出掛けてみようと思っている。20年間続けたバトミントンも止めて2年近くになっており、週二の割で身体を動かす方法を模索していただけに、それがちょうどいいかもしれない。夜明けが、もう少し早くなると、時間にも余裕が出来るのであるが、自宅に戻る事を考えると、毎日は結構辛いのである。
 自分では分からないが、周囲の批評では、何かを見つけると、それにのめり込んでいくタイプのようである。(中には、熱心だと言ってくれる人もあるのだが・・・)熱し易く冷めやすいようにも見えるが、結構長続きしている事も多いのである。(山以外の事を述べても面白くないから割愛!)
 話題がちょっと違うが、私が登った山の回数ベスト10は次の通りである。①牛岳96回、②医王山32回、③剱岳27回、④大辻山25回、⑤小佐波御前山19回、⑥白木峰17回、⑦大猫山14回、⑦金剛堂山14回、⑨僧ヶ岳12回、⑨中山12回 ・・・ 何の自慢にもならない。しかし、その回数を重ねていく事が、私自身の勲章なのである。