3/31 目が覚めたら薄っすらと雪が積もっていた。車の上となると軽く10cm以上の積雪であった。「明日でなくて良かった。3月の雪で良かった。」 などと、意味もない事に一憂している。雪だけならいいのであるが、その後に、高温・雨のおまけまで付いて来るとなると、4/3 の山行計画に支障がでなければいいのにと思わずにはおれない。実行されると3年連続の同時期の「大明神山」行きになる。今度のメンバーからして、私が一番鈍足になりそうであるが、「待ってくれー」の回数をちょっとでも、少なくなるように頑張らなくては・・・・・。



3/30 「333333回アクセス達成おめでとうございます。 3月29日23時19分でした。チョツト気になって、アクセスしたらタイミングが良かったです。早速画面の保存をしておきました。」 と、K氏から夜半にメールが届いていた。自分としては、あまり気にしていなかった事だけに感激である。確か前回も、節目となる数字をゲットしてもらったはずであるが、K氏は特別山に興味があるわけでもないのに、私の面白くないHP覗いて頂いている事になるが、嬉しいやら申し訳ないやらである。こうしたファン(チョット自惚れの表現)のお陰で、私のHPがあるのかもしれない。



3/29 日にちとしては、未だ2日あるが、3月の私の休日は、既に終わっており、今年も早や1/4が終わったのである。結果としては、この3ヶ月間に行きそびれた山名は、鉢伏山・細蔵山など幾つかあるが、全体的には、「まあ~、こんなもんか!」である。非公開ながら、4月の予定も、ぎっしりと詰まっており、後はお天気次第と言ったところである。唯、納得していたとは言え、月ヶ原山・多子津山・三ッ倉山の「越中の百山」に、計画すら出来なかった事が少々心残りである。これからでも、お天気さえ味方すれば、他に届きそうな山名が、幾つか浮かぶのであるが・・・・p.m.11:00



3/28 前回の反省から、「仁王山・白木峰」には、慎重過ぎるくらい「滑落と彷徨」に気を遣った。結果的には、重い物(余計な物)を、担がせた結果になったかもしれないが、これが基本で、「使用しなかったではないか・・・」 などと思ってはいけない。

 それにしても、3月の「仁王山・白木峰」は素晴らしかった。予想通り白木峰山頂の雪量は少なく、そして硬く穴掘りに苦労したが、黒ネコ設計のもと、短時間で住み心地の良いレストランづくりは、今日も完璧であった。晴天の割には、立山連峰を、はっきり確認出来なかった事を除けば、「後は全て良し。」の今回の山行は、林道を殆ど使わなく、ブナ林の中を長く歩く事が出来た。私が考えていた880mから林道歩きをせず、963mPから、北西に進路を取る実に楽しく気持ちの良いものであった。「好山病・・・」に感謝!
 

3/27 謹慎などと言いながら、休日は山に行かなければ、心身とも可笑しくなってしまう。GPSの大家である「北ちゃん」が、「今度はしっかりやる。」 「間違いなくやる。」 などと、私と同罪のように言ってくれるし、恐る恐る好山病友の会のメンバーに 「仁王山・白木峰」山行を呼びかけてみると、我々を含めて参加者が7名となった。
 あの熊の襲撃を受け、未だ完治していない長勢君までが、参加の意思表示をしてくれたのであるから、俄然盛り上がった。私としては、2月末の西新山以来一ヶ月ぶりであり、彼の未だ足が痛いを鵜呑みにして、「彼の荷を軽く、そして労わりながら・・」 などと、事前報告をしていたのであるが、その気を揉んだ我々をおいて、先へ先へと行ってしまうのである。正しく好山病であるが、「この先長い彼が、 また、何処かを傷めなければいいのに!」 と思ったのは私だけではなかったであろう。

 如何様な雪質にも対応出来るよう万端の準備を周到にした今回の山行は、仁王山々頂で25分、白木峰山頂で3時間を楽しみながら、林道を殆ど歩かず最短のルートを歩いたのであるが、参加者一応に感嘆の声をあげながら、八尾の奥深い山を味わったのである。今回は、久し振りに日が暮れぬうちに下山できたのも、レベルアップの一つかもしれない。 p.m.11:25



3/26 細蔵山で「豆ちゃん」と「ねぎちゃん」が出会ったらしい。各々パーティを組んでいたと思われるのであるが、初対面なのに、私を知っている人同士が会話を楽しんだとなると、何故か私までが嬉しくなって来る。

 明日の仁王・白木山行は、久々に我々の前に顔を出す長勢君の復帰山行と題した。恐れを知らなかった彼でも、大きな杉を見ると後退りするというのであるから、やはり熊は怖い。そんな彼の顔を、それとなく覗いてみたい。そして、  明日のお天気を信じたい。頂きに立ち、いつもの儀式を執り行いたい。 p.m.9:30



3/25 前回の山行後、有言・無言に問わず、随分心配して頂いたようである。何もネットを通じて述べる程のものではないのかもしれないが、自分のやり切れない気持ちをぶっつけた事と、今まで何事も起きていない仲間への警鐘となればなどと、相変わらず自分善がりで綴っている。
 でも、今日で気持ちが随分楽になった。これからは、力んでもしょうがない自分の「山歩き」の道筋を、時間を掛けながら探求する事になる。誰もが手がけた事がない内容で、山と親しむ事が出来ればなどと、思うのも今だけかもしれないが、でも、そんな気持ちを、ず~っと続けたいと思っている。
 「謹慎」などと、格好をつけようと思ったけれど、そんな事も出来ず、独りで山に入ろうかと思っても、やはり人恋しくなってしまう。「好山病・・・」の面々を、忘れずにはおられないのが現状である。 p.m.11:55



3/24 今日、山に行って来た話1件、今度、山に行く話3件のメールがあったが、山の事を考えなかった一日であった。こんな事は久し振りである。それにしても、良いお天気であった。明日も良さそうである。



3/23 ちょっとイヤな事や、少し悩む事を滲ませて綴れば、それなりに、気を紛らわす事も出来るのであるが、今度ばかりは、曝け出す自分が恥ずかしくなった。「赤裸々・・・」にも、それなりのプライドがあるからかもしれない。時が過ぎれば、地形図を見直せば、大した事でもないのかもしれないが、ミスが重なった時を想像すると、ぞーっとしてしまうのである。浮かれていた自分を戒めるのに、ちょうど良かったのかもしれない。



3/22 PCの状態が良くない。私の心身を映したかのようにである。山の失敗・反省は、それはそれ・・・でも、やっぱり、ちょっぴりでも引き摺ってしまう。  嬉しい事・楽しい事・また達成感などは、次の夢や欲望のためか、ほんの一時なのに、悲しい事や辛い事などは、本当に長い間心の中で、燻り続けるのである。 次ぎ行く山名が浮かばない。でも行かぬわけがない。



3/21 山中で使わなかったGPSのデーターを、PCに落としてから、「あ~っ」と声をあげてしまった。1054mポイントのかなり手前から斜面に降りているのである。「山ノ神」と昨日の反省をしたところ、降り始めは、やはり可笑しいと思ったようであった。可笑しいと思った時、何故口に出して確認しなかったかという事も間違いの一つであった。
 もう一つは、大倉山に初めて登った人達に、登りと違った降りを先行させてしまった事や、ペースが速過ぎて、自分達に考える余裕がなかった事も事実である。また、GPSを雨蓋から出さずに、他人任せにしていた事も大いに反省しなければならない。

 何もなかったからいいようなものの、あの急斜面の雪質状態が違っていて、滑落や雪崩れなどの巻き込まれたらなどと思うと、ぞ~っとする。また、日が暮れなかった事が本当に幸いした。もう一点、パーティーが離れてしまった事も、あってはならない事であった。私の統率力・判断力が、今回の山行において欠落していた事は間違いなく、暫し謹慎しなければいけないようである。



3/20 このところの私の山行は、馬力のある若い衆に引っ張られ、その後をチョロチョロ付いて行く形態が多い。今回の大倉山行は、そんな私の不甲斐なさが、少し悪い方に出てしまい、皆に迷惑を掛けてしまった結果になった。
 登山口(無雪期ルート)の手前300mの573mポイントから取付いたが、地形図上で込み合っている等高線が示すように結構急登が続いた。前日からのものであろうか、かなりの新雪あったが、青空が雲の切れ間から覗いたりしていたので、難なくクリアしていった。「もしかしたら、剱岳を拝む事が出来るのではないか。」のかすかな期待も、1100mを超えたあたりから、降雪に加えて、視界も悪くなり、雪庇を避けるように歩かなければならなくなってしまった。それでも、正午過ぎには何にも見えない(視界30m前後)山頂に辿り着く事が出来た。この時点で、土倉山への縦走を完全に諦め、恒例の穴掘りを始めたのであるが、その後に、少々不安もあったので、簡単なものにし、早々に食事を始めた。
 それでも、防壁を含めば、背丈以上の縦穴になったのであるが、何せ天井がないもので、ご馳走や飲み物に、雪が覆い被さってしまう状態であった。2時間ばかり過ごした山頂を後に、ちょっとばかり気になっていた、雪庇も通過した頃から、山頂付近は別にしても、お天気が回復傾向になって来た。往路を辿る事が一番ベーターであったのであるが、私は1054mポイントを少し過ぎた頃から降る通常ルート(無雪期ルート)を勧めてしまった。

 山頂側から見れば、1054mポイントを、少し過ぎた頃からの口伝えが、1054mから、もしくは、少し手前からに伝わったのかもしれないが、先導者の後を伝ってしまった。地形が何だか違うと思いつつも、雪の着き方なのだろうかと疑いもしなかったし、5台のGPSがあるから、間違いないと高を括っていたからかもしれない。もう一つは、GPSに精通している「北ちゃん」の存在があり、何もかも預けてしまっていたのも原因の一つであったかもしれない。
 降ってしまって、可笑しいと思った頃はもう遅く、時計と陽の陰りが気になってしまった。ちょっと歩けば雪崩れを誘発しそうな(実際には、小規模なものが幾つも起きた。)斜面をトラバースをし続けた。結果的には、GPSと先行した若い衆の力に助けられた感が歪めないが、登山口から上流250mくらい上の尾根を伝って林道に辿り着いたのである。真っ黒な雲の中に、夕日が沈みそうであった。その後、1時間の林道歩きは、反省のしっぱなしで、どんな山でも決して侮れない事を肝に銘じた。



3/19 昨日牛岳に登られた高岡の高嶋さんから、稜線に出ると風が強く、我々が3/13に残した遺跡(雪洞)に潜り込んだとの画像付きのメールを頂いた。3パーティー4人の方々が利用され、山談義に盛り上がったようである。
 我々が去る時、天井壁も厚く、落とし穴になる事もないであろうし、降雪もあり、少しは埋もれるのではないかとの安易さもあったのであるが、再利用されるとなると、汚して来なかったであろうか? その後の危険はないであろうかと、違った意味での心配がある。

 今日は姪(山ノ神の妹の次女)の結婚式に出席のため、山行はお休みである。式が午前10時、披露宴が11時からであるから、帰宅後、まだ山に行けるなどと考えたのであるが、また叱られてしまった。それは、「山ノ神」の飲酒しないが前提での事。代行やタクシーで帰っても、その後の運転が出来ないからである。「山ノ神」が、「飲まない。」と首を上下に振ってくれない限り、その計画はおじゃんである。それ以上の事を言うと、「あんたは何を考えているの。」と、今度は叱られるどころか、蹴っ飛ばされそうである。 a.m.8:45



3/18 腰痛のため山に行けず地団駄を踏んでいた長勢君(真っ黒ネコ)が、リハビリと称して、橋本君(ヒロシ)と、大熊山に出掛けたらしい。そのヒロシから、「1400m付近で、長勢君が熊に膝を噛まれた。」とのメールが届いた時、ヒャーッと思ってしまった。その後の文面に「黒熊と真っ黒ネコの勝負は、里熊に軍配があがった。」と、ひょうきんに綴られていたので、何となく気分が落ち着いた。

 真っ黒ネコは、今、売り出し中の「好山病・・・」のヒーローであるからにして、何かがあったら、それこそ大変である。ヘリを要請したいくらいの激痛を伴ったらしいが、傷を負っても山魂が走ったのか、データーを覗くと、大熊山頂を踏み、コット谷を下って来ている。恐ろしき男である。救急で診てもらったしいが、通院しながら、感染の恐れ・骨の異常・傷口の事など完全に治して欲しいものである。

 大熊山は名の通り熊の話が多くある。「寝ていたら熊に顔をなめられた。」と言う話を聞いた事があるし、「越中の百山」の書籍で、大熊山を担当しておられた尾井氏などの記述によれば、「朝起きたら、テントの周りに、熊の足跡がたくさんあった。」がある。“ 気を付けて行けよ!” などと一声かけておけば良かったと後悔をしている。

 今年の1月に南保富士に出掛けた時、反対斜面に熊が現れて、ドキモを抜かれたが、熊の方が遠ざかって行った。人数が多いと、各人歩く速さも違い、必然的に会話も多くなる。その人声は意外と遠くまで響くもので、鈴や凛と同じく、熊への防御になると考えられる。 p.m.11:59



3/17 ようやく紀行文を綴る気になった。と言っても万年「牛岳」の事。「もうどうでもいいや!」と「何か新しい事」の思いが交錯して、なかなかキーボードを叩けず、自分でも情けなくなっていた。「山行記録」・「とやま山歩き」・「越中の百山」の山名を全部青く(リンク)する事に意気込んでいたのに出来ず、プッツンと切れてしまったのかもしれない。また、きれいな画像や記述巧みなHPが、ドンドン登場して来て、私の役割も終わりかななどと、驕っていたのかもしれない。
 まだいろいろ考えれば、特徴を出せるかもしれないなどと思うより、正直に綴る事の方が、個性が滲み出るのではなかろうかと、思うようになったような気もする。

 才能もないのに、力んでみてもしょうがないし、形式にとらわれず、飾りもせず、他人を中傷しなければ、応援してくれる人もあるのだから・・・・・・何せ、私には6年間の歴史があるんだ!
 GPSで、様変わりしてしまった山歩きであるが、「山へ憧憬や絆」は、そう変わるもではないだけに、私にも、もう少しの救いがあるように思う。もう少し頑張らなければ・・・私のために! p.m.10:05



3/16 静脈瘤の術後4ヶ月で、初めて一日中強力ストッキングを脱いでみた。私にしてみればコルセットを外したようなもので、とても不安であったが、時間が経過するごとに、精神的にもふらつく事はなかったように思えた。しかし、湯上りに足を眺めるに、術を施さなかった所や、反対の右足の血管の膨らみが気になって仕方がない。鼠形ヘルニアの手術の時も思ったのであるが、患者からしてみると、都合の悪い所は、この際全部処置して欲しいなどの思いがあったのであるが、医師側からみると、そう闇雲に切ったり貼ったり出来ないのかもしれない。でも、それは、何度も手術台の上にあがるのは避けたいからである。
 私の担当医は二人いて、ストッキングの使用期間を3ヶ月、6ヶ月と意見が分かれていた。これからは、徐々にストッキングを脱ぐ機会を増やしていき、山行時にも一度試みてみようと思うのであるが、それは短い行程のものから始めなければなるまい。



3/15 今年も期日ギリギリで確定申告を終えた。毎年早めにと思いながら、こうなってしまう。年賀状もそうであるように、追い詰められないと動かぬようになってしまったのかもしれない。 「来年は大丈夫、今日まできちんと記帳されており、仕訳もなされている。」いつもこうなのである。この後が問題なのであるが、果たして来年は? となる。

 何だか身も心もいっぺんに解放されたようである。3~5月の山が大好きな私は、うきうきしている。「この時期の半分は、自分の好きな所に行かせてくれ?」 と「山ノ神」との間に、暗黙の了承を得ていたように思っていたのであるが、最近は2回(2週間)続くと膨れるという事態になって来ている。「その間、自分の好きな所へ行けばよいのに・・・」などと、かなり以前から「独立の勧め」をしているのであるが、理解には程遠いようである。「雨降れコール」や膨らむ顔よりも、がんじがらめにされる「翼を折られる。」のが一番辛いところである。
 その矢先、不吉にも、膝に違和感を覚えた。「自由に計画を立てさせない。」 「山ノ神」の怨念なのか? 「その山は、私が行ける山か?」 などと聞いて来る時が、一番ヤバイ時である。  どちらにしても、代替の部品がなくなって来ている年代である。何かの方策(手術)も、唯削り取るだけで、身体は衰えていくばかりである。ず~っと、山に行きたければ、少々のプライドは捨てても、大事に大事に、自分の身体を慣らして使っていくしかないのではなかろうか! p.m.5:20



3/14 一人歩きしていると人が恋しくなる。平日のマイナーの山なら尚更である。その時出会った方との音信となると、どうも怪しくなる。でも、年賀状のやり取りだけでも続いている方であるから、まだマシの方かもしれない。ネットの時代になって、その事情が一変したように思う。堅苦しい時候の挨拶などを省ける事もあり、山を降ればすぐにやり取りが可能である。しかし、如何にネットと言えども、その文面から個性が滲み出て、相性が合う合わないがあるように思う。私の山仲間を考えると、日帰りと言えども、行程が長く食事の時間も長い。それが毎週のように続いていて、しかもネットが加わって来る。絆が強くならないわけがない。



3/13 チョット疲れ気味と予報が雪なので、私としては近間の低山で、「牛岳」を提案するも、快く承諾してもらい5名の山行となった。時には横殴りの風雪を伴ったが、静かな山を、キャッキャッと登るのも楽しいものである。
 所によっては、30~50cmの積雪を観測し、真新しい雪に、我々は喜びながらの登高となる。今日は登頂後、三角点に戻り雪洞堀の練習となった。天井を平にしないと結露で悩むとか、開口部が広く雪が吹き込むなどの苦い経験をしたが、非常時にもぐり込む訓練となった事は間違いないようである。あの硬い雪を、スノーソーで切って、効率をあげたテクニックを、「ひろしスペシャル」と名付けたが、もっと時間があれば、「北ちゃん」と橋本君の手際よさを持ってすれば、ステキな居住空間となる事受け合いであろう。

 稜線は-5.8度。雪洞の中はそうでもなかったというものの、風雪が吹き込み震え上がる程の寒さであったが、その作業に1時間以上費やした事もあり、その雰囲気を充分に楽しみながら、またまたご馳走に舌鼓を打った。
 しかし、山に登れば体重が増えて、下界でダイエットをしなければならないのでは、ちょっと困ったものだという事になり、入山時と下山時に計量をしようという事になったが、その計量器の寄贈者が現れるまで、やはり現在のままで行くことになった。「山に登って太る。」これも「好山病」なのかもしれない。 p.m.10:40



3/12 今日は嬉しい事があった。早朝、H.Fujii氏から 「昨日無事初雪山に登る事が出来ました。・・・(途中割愛)・・・・ところで、テントポールセットを見つけたのですが、元さんのと違いますか?」の携帯メールを頂いた。私はテントを担がなかったが、もしかしたらと思い、シュンちゃんとeiko女史に、その旨のメールを送った。するとeiko女史から、「紺色の袋に、赤のポールですが、それなら私のです。今みたらない。テント、シュラフだけ先にかわか乾かし、後は気付かなかった。」とメールが届いた。
 H.Fujii氏ら一行は、我々が大地からの下山路に使った杉林の中で見つけて戴いたようである。普通なら、誰のものか分からぬのだが、たまたま我々が、大地・初雪山へ行った事をご存知だったから、ご連絡頂いたようなものだった。同氏らに感謝しながら、ラッキーと自分の事のように嬉しかった。



3/11 娘が、所用のため週末の連休を利用して帰って来た。結婚式の段取りの話をしていたら、私が思っていた日にちと違っており、またもや、ブーイングを食らった。もっとも、最初は5月の第2土曜日と聞かされ、仕事を休まなければならない事が脳裏を過ぎった。しばらくして、第3に変更の知らせが来た。今度は「山に行けなくなる。」と言ったら叱られてしまった。そして、その日は第3日曜日だとばかり自分で勝手に思い込んでいたが、よくよく聞いてみると第3土曜日だったのだ。

 何でも良くしてくれるのに、私はダメオヤジ。娘の住んでいる所に行った事もなければ、結婚式の段取りも費用も皆娘任せである。「山・やま・ヤマ・・・」ばかり言っているオヤジは、実に頼り無く愛想を尽かしているハズであるが、家に戻れば、箸の上げ下ろしや、話し方まで首を突っ込み、うるさい小姑ぶりを発揮するのである。「結婚式を終えて、すぐ帰れば山に行ける。」などが娘の耳に入れば、また叱られるかもしれない。



3/10 「何だか疲れちゃった!」大好きな「大地・初雪山」に行って来たのに・・・しかも、テン泊も出来たのに・・・町内会の会合やその他の諸会合、未提出の確定申告、HPの更新、メールの返信、それでも行きたい休日の山行。飲まなきゃいいのに、それでも飲んじゃうし・・・身体が分解しちゃうような・・・感じかな!

   でも「好山病友の会」の同士と、いつも語っているように、山に行ったら治るのかもしれない。次ぎの山行日は、雪模様の予報で、雨よりは良いが、奥深い所には行けないようである。白金ノ頭・鉢伏山・細蔵山・小矢部水系の山などは、その先になるが、果たして、雪は都合の良い状態で残っていてくれるだろうか?



3/9 大好きな「大地・初雪山」の余韻が、だんだんと薄らいで行く中で、「シュンちゃん」・eiko女史から送られて来た画像が、またまた私の胸が熱くする。テン泊出来た事、トレースのない初雪山、好天であった事、「山ノ神」を山頂まで導いた事など、多くの感動の要因があるが、悪天の後の好天、そして、静かな山で、気のあった仲間と、長い時間を共有しあった事が、尚更印象深いものにしているのかもしれない。

 夫婦だけでは来れなかったかもしれないし、お互いわがままが出て、いつどうなったか分からない。増してや雨、また敷物を忘れる失態があったから尚更であった。
 他のグループと同じ大地・初雪山に来た事があるeiko女史であるが、今回の素晴らしい山行に、感嘆の声をあげてくれたのには、同行者としてとても嬉しかった。また、彼女が参加してくれなかったら、「山ノ神」の初雪山登頂も、実現出来たかどうか分からなかったであろう。その点からも非常に感謝である。
 また、この山域に精通している「シュンちゃん」の同行が、力となった事は言うまでもないが、彼の持ち合わせた美声や、面白みも山行に花添えてくれた事は間違いない。

 今回の山行で感じた事は、「こんな山域を日帰りするなんてもったいない。」 「充分に時間を掛けて過ごしたい。」 などと思ったのは、日帰り山行がきつく感じ始めたからかもしれない。どちらにしても、今度の山行は、私の山歴に深く刻む事になり、何かに付けて語る事になるであろう。 p.m.11:45



3/8 昨日の「大地・初雪山」の帰路、午後8時ちょっと前に、閉店間際の山用品店へ立ち寄った。レジで、「今年は、スノーシューが良く売れたでしょう。私も買いましたけれど・・・」などと、噂のT氏に一声かけたら、「好山病の方ですか・・」などの返事が戻って来た。この店では、長勢・橋本君が、その名を広めたようである。

 その長勢君が腰痛で悩んでいる。直接その状態を見たわけでもないが、彼のHP(真っ黒ネコの散歩道)で、悲痛とも言える程の叫びをあげている。動くのもやっとなのに、「歩きたい。山がダメなら、河原でも公園でもいいから、出かけたいと・・・」その日も夫人と食器類を買いに来たらしい。正に典型的な好山病である。それも重症である。
 彼は、「好山病友の会」のスターであるから、彼を欠くと山行計画にも支障が出て来る。早く完治して欲しいが、後々の事を考えると、慎重過ぎるくらい大事にして欲しいと思う。

 振り返ってみると、知らず知らずのうちに、彼に負担を押し付けていたのかもしれない。それを彼の喜びだと思っていたのかもしれない。これから大いに活躍してもらう悦材だけに、焦らずじゅっくり養生をして欲しいと思う。そして、また真っ黒ネコの元気な姿を見せて欲しい。まさか、次回の山行に来る事はないと思うが・・・・私は貴君を背負えないから・・・。



3/7 前日の雨も約束したかのように止み、未明から満天の星空になった。その代わりに、何もかもがカチカチになってしまった。大地山頂での「日の出」には間に合わなかったが、剱岳や毛勝の山々が、浮かび上がって来た頃からは、皆「来て良かった。」のルンルン気分になって来た。昨日の降雪は、前日大地経由で黒菱山に行った「シュンちゃん」達・ハレルヤ一行が付けたトレースを、かすかに残す程度で、美しさを甦らせていた。(シュンちゃんは、連日の大地という事になる。)

 大地までの何ヶ所かに、雪着きの悪い所があったが、初雪山までは、想像よりもはるかに多い雪量であった。1223mのピークも、難なくクリアーし、アルペン的な大パノラマを楽しみながら、パチパチシャッターを切りながら、山への思いを語り合いながら、速く歩くにはもったいなく、焦らずゆっくりと歩いた。
 初雪山行には、珍しい程風もなく穏やかで、サンサンと照る日差しだけが痛かった。最後の登り頃には、さすがに大腿部に応えたようであったが、山頂に立てた満足感は、それをも忘れさせてくれたようだった。

 さすがに、山頂だけは、風が強かったが、でぇ~んと構える朝日岳が格好よく、昨夏歩いた栂海の山々へと目を向けさせた。白馬周辺の山々や、遠くは槍まで姿を現したが、私は、白金ノ頭や定倉山への稜線に目を奪われてしまった。でも、剱岳や毛勝の山々がピン色になり、バックの空が、青みを増した頃の素晴らしさは、本当に来て良かったと思ったのである。
 「こんな初雪山は、そう滅多にない。」などと、何度も口にしてしまったが、それには皆頷いていた。正午過ぎに山頂を経ち、午後2時には大地山頂に戻った。キャンプサイトでは、遅い昼食になったが、蕎麦とコーヒーにケイキと、ボリューム感こそなかったが、美味しく満足のいくものであった。
 キャンプサイト午後4時発となったが、何の不安もなかった。621mのピークを避け、またいつもより、やや西側のルートを辿ったが、それが奏効し、朝日小川ダムには、まだ明るいうちに辿り着く事が出来た。私の企画した「大地・初雪山」だったが、eiko女史・「シュンちゃん」が参加してくれた事で、より素晴らし山行となった。お二人に心から感謝したい。そして、「山ノ神」自身の山歴を飾る素晴らしい一日になった事だけは間違いないであろう。



3/6 雨の予報で、朝日小川ダム集合を午前7時半とした。大粒ではなかったが、始めから雨具装着となるが、メンバーのザックを見てハッとした。寝る時のマットを忘れて来たのである。「山ノ神」との間で、「雨でも行くの?」 「私が行けるのか?」 「重荷を背負って登れるのか?」 「寒くはないのか?」 ばかりに話題が集中し、完全に断熱のためのマットを車に積むのを忘れていたのである。
 今更行かぬわけにも行かず、車の中に、濡れ物対策に使用していた厚さ1~2mmのマットと、薄地だが1mくらいのエアーマットをザックに詰め込みその代用とした。

 元々計画段階で、私のテントは狭く、リックや靴などを入れると、二人では窮屈なものになると思っていた。しかし、eiko女史の同行を知るや、彼女のテントを当てにして、私だけは雪洞で寝てみようとの企画に変わりつつあった。万が一の場合は、女性軍のテントに救ってもらえばの考えに・・・、そこへ、「シュンちゃん」の参戦が決り、今度は私が彼のテントを当てにして、その計画はなくなってしまった。  そんな事を思えば、死ぬわけもないのだから、少々寒いが覚悟の出発となる。

 相ノ又トンネルを過ぎた所から取付いたのであるが、雪の着きが悪く、靴もスノーシュー(カンジキ)も泥だらけになるほどで、重荷を担ぐ者には、決行辛いものであった。また、621m下の赤松付近も全く雪がなく、通過には結構時間を要してしまった。雨は大降りにならなかったが、朝日・小川ダムの出発から5時間程過ぎた午後1時半頃に、980~990m付近でキャンプをする事になった。

 まずは、「シュンちゃん」持参の集会用(宴会用)のメガミットの設営を開始し、その中で、早速暖を取る事になった。叩きつける雨音が、いつの間にか雪に変わった頃から、2張りのテント設営のために穴掘りとなる。何もかもが終了し、宴会場に戻ってからは、車の運転の心配もない安堵感も手伝って、実にゆっくりの5時間程の「山談義」となった。静かな山中で、気の合った仲間と時間を過ごせるその喜びをかみ締めると共に、こんな贅沢な事が、いつまで続けられるのだろうかと思わずにはおられなかった。 

 「日帰りの「北ちゃん」とも、こんな事が出来るのだろうか?」 「若い衆は、私(達)連れて行ってくれるのだろうか?」  など「好山病友の会」の連中の事を思いながらテントに入った。少しの酔いは、私を2~3時間の眠りを許してくれたが、寒さ(冷たさ)で目が覚めてからは、5分と同じ姿勢で眠る事が出来なかった。前日も3時間の睡眠であったが、今宵もこれくらい眠れた事に、明日の登高には支障を生じる事がないと確信した。後は、約束通りの「晴れ」が欲しかった。



3/5 明日は完璧に雨。でも、その予報の「明後日は晴れ」を信じて、我々は「大地・初雪山」に行く。幸い昨夏・剱沢キャンプの折の援軍があり、雨の雪の中のテントで、じーっと、堪え凌がなければならないところを、もしかしたら、盃を傾けながら、山談義の絶好の機会になるかもしれない。大地にも行けないと思っていた「山ノ神」が、今度は、果たして初雪山に届くのであろうか? お天気と共に雪の状態に掛かっている。「私は行けない。」と、常に言っている「山ノ神」ではあるが、このところ、急激に「越中の百山」の頂を踏み始めているのである。 p.m.11:05



3/4 私のウィルス対策は、ノートン(Norton System Works) と、ルーター、そして、適切なアップデイト(Update)である。この壁で、今のところ破られた事がない。
 HP公開上、仕方がないのか、一日に何十通もの迷惑メールがやって来る。その対策として、ややこしいメールは、すぐ「削除済みアイテム」へ直行になっている。先日、友人から「返事がない!」との問い合わせがあった。それもそのはず、そのメールは、「アドレスが変わりました。」 の文面だけで、送信者欄にはアドレス、しかも文面には「署名」どころか、愛称すらなかったのである。今まで、この種のメールの殆どが、何処かで見たような名(特に横文字)を語り、わけのわからぬ文面なのである。そして、怪しげな内容のものが多く、一々読んでいると頭が可笑しくなってしまう程である。
 そんな事を思えば、新たにメールを下さった方や、年に1~2度メールを下さる方のものが、もしかしたら、その「削除済みアイテム」に紛れ込んでいるかも知れず、確認を怠って、失礼な事になってしまっているやもしれない。
 先般、小矢部の「ガンさん」からのメールも、その類ではないかと悩んだのであったが、山への思いが綴られており、半信半疑ながらお返事を差し上げた。PCメールは初めてとの事で、その手法が分からず、そのようになったそうであるが、私も危うく、チョットの事で、新しい山の友を失いかけるところであった。それも縁・・・バラエティーに飛んだ私の山仲間に引き合わせる事があるかもしれない。 p.m.10:55



3/3 10年程の間に2度山中でお会いした事のあるY氏と、昨年2度ばかり山行機会だあった。あまり多くも語らず、必ずしも愛想が良いとは思えない彼だが、二人になり、山の話となれば、結構熱いものが伝わって来る。職人気質の彼は、私よりチョット年上だが、体格や山の経験は相当なものである。しかし、「山の友」 となると、そういないらしく、私の話を聞くと、ちょっぴり羨んでいるようであった。
 そんな彼と、次ぎ行く山へ同行の約束をしたのであるが、その3日後から、体調に異変を感じ、来週から入院・手術だと言う。それまで何ともなかったようであるから、次は、自分の番になるのではないかと不安がいっぱいである。 p.m.11:55



3/2 我「好山病友の会」には、GPSとスノーシューの達人がいる。そんな事もあり、当欄でも話題にする事が多いように思う。その中で、私は初心者で、まだまだ自分のものになっていない。なのに、問い合わせなどがあると、上手く説明出来なく窮地に陥っている。
 仲間内の半分以上が、GPSを持ち合わせているから、私のGPSの出番はなく、この頃は、リックの雨蓋の中にあり、帰ってからその軌跡をPCに落とし込むだけである。しかし、使い手達は、ルート図(ポイント)を作成し、GPSにアップロードし、ナビゲートに役立たせているのである。
 私の購入の動機は、非常時のお守り(トラックバック) や、自分の歩いた軌跡をPCに落とす事、不都合であった高度計の代用などであった。その他に、いろいろと活用出来るようであったが、私は元々メカには弱く、また機内の横文字を見ると、すぐギブアップしてしまうほどである。それでもと、使い手達に、分からぬなら分からぬなりに質問をぶつけるのであるが、その分からぬ私に教えるのも大変のようである。
 付属したカシミールなどは尚更で、触らなくてもよい所を触ったりして、何処がどうなっているのか分からないのが現状である。しかし、我々ほどの年齢になると、ここで諦めるか、それともやるかの選択によって、思考の違いが出て来るのではなかろうか・・・「イライラする。」 「面倒臭い。」 これに勝つのが、次へのステップであるような気がしてならない。
 スノーシューもそうである。未だ使い始めて一ヶ月であるが、なかなか都合の良いものであり、しかし、使い勝手が悪いところもある。これも慣れである。そして、やはり脚力・体力が関わって来る。
 一つ一つを時間が掛かっても良いから、一生懸命やればいい。きっとその事を誰かが感じていてくれて、応援の手を述べてくれるに違いない。それには、いろいろな意見に耳を貸す事を忘れてはいけないようである。



3/1 「平成18年豪雪」 の名が付いた今冬の雪だが、山の雪の状態は、一ヶ月以上早く、正しく春であり、その気になれば、通常行けないような所へでも足を延ばす事が出来るし、新たな発見もある。しかし、一ヶ月の日照時間の差は、かなり違うので注意が必要である。でも、もう日が長くなっており、12時間は歩ける状態である。我々の大地・唐堀山・戸田峰・西新山などの山行も、その状態に助けられた感があったが、またの機会があったとしても、あなどる事無く、慎重にその錯覚を戒めなくてはならないようである。

 今夕から、高岡は重たい雪(水分の多い雪)が降った。この後、2~3日は雪模様の日が続くようであるが、私(達)の「大地・初雪山」行きに、絶好のコンディションになってくれないものかと願っているのであるが、天候は自分の思うようになってくれないのが常である。晴れればテン泊、これが私の長い間の夢でもある。 p.m.11:59