7/31 体調が悪く、やっとの思いで蓮華温泉に辿り着いたのが午後7時であった。
 白馬大池から失速し始めた「山ノ神」であったが、小蓮華山での休憩なしで通過し、三国境まで行ってしまおうと言ったのである。「山ノ神」にしてみれば、大雨であったとは言え、一昨年の未登頂(小蓮華山で退却)の悔しさが頭から離れず、少しでも先に思いがあったのかもしれない。
 私はその頃からお腹が空きだし、喉の渇きが激しく、何だかちょっと可笑しいと思い始めていた。(水分を取っていなかった。)山頂では、祝杯をあげるハズだったのに、頭が痛く、おまけに足が攣り始めた。可笑しい!これが本当の「高山病」でなかろうかと思ったくらいであった。(好山病が高山病では、洒落にならない。)
 少~しだけ頭が痛く、少しだけ胸が気持ち悪かった。でも「ビールのない山なんて考えられない。」と言う「山ノ神」は、苦しんでいる私をよそに、ビールを片手に、他の登山者といろいろ会話し楽しんでいたようであった。

 それまで、まずまずであった展望は、山頂に到達する頃からガスに覆われ、立山連峰方面は全く見えず、隣の旭岳と清水岳の下部だけが見えるくらいになってしまった。しかし、高山植物は大雪渓経由のものと比べて、量こそ少ないかもしれないが、それなりに、目を楽しませてくれるものであった。

 それにしても、下山時は辛かった。山頂から、蓮華温泉まで5時間半も掛かってしまった。こんな事もあるかもしれないと思い、私のリックの中には、そのためのフル装備が用意されていたが、そんな事に屈するわけにはいかないと必死に歩いた。「山ノ神」は、「何かあったらどうすればいいの・・・・」であった。ライトもあるが、とにかく転ばず、暗くならないうちに、登山口に辿り着く事だけを考えた。

 私の山人生が、これで終わりかと思ったくらいに、足が思うように上がらなかった。これからの私の山歩きを、もう一度見直さなければいけないようである。
 でも、不思議な事が起きた。眠くてしようがなく、しばらく「山ノ神」に運転を代わってもらったのであるが、再び私がハンドルを握る際、悪くない反対の耳に強烈な痛みが走った。それを境に気分が一転したのである。家に戻れば、膝の違和感は別にして、冷たいビールは、ドンドン喉を通過していった。



7/30 朝方は雨であったが、午後からその雨雲が、何処かに吹っ飛び、北陸も梅雨明けとなった。それとは反対に、私の一番弱点である耳痛が始まった。おまけに午後から歯にも激痛が走っている。

 お天気が整った明日は、日帰りの白馬岳と思っていただけに、「何だ!この痛みは!」と狼狽えている。一昨年の盆休に、大雨で小蓮華山で退却した苦い経験を、「山ノ神」と共に、リベンジのつもりであったが、ここに来てちょっとまずい展開になっている。
 4時間足(4時間で失速する。)の「山ノ神」にすれば、日帰りのロングコースは、あまり好きでなく、唐松岳当たりになれば、「黒菱平」当たりから歩いても良いのにと、代案を出して来る。

 ここまで来たら、何としてでも行く。休日に病院や医院には行ってられない。休日は山に行く日である。でも、蓮華温泉から、白馬大池経由とは未だ決まっていない。猿倉から、大雪渓経由もある。どちらにしても、夜が明ける前に、出発する事は間違いない。 p.m.9:10



7/29 予想された雨も大した事なく、大方の人達は、予定通り思い思いの山に入られたようである。週初めには、北陸にも梅雨明けが告げられるであろう。
 「愉快な仲間達に、半日載せた女性は誰?」 「あなたの書き込みに同感!」 「我が家もそうです。」など、意外な反響に私は苦笑している。面白くない男の精一杯の洒落と思ってくだされ・・・・(まあ~、オーバーでも、ウソはないのであるから)
 いやはや、何と申せばいいのであろうか!!!



7/28 未だ明けない梅雨空のように、私の心も可笑しいな状態である。「ご飯だと呼んだのに、すぐ来なかった!」「全然聞こえなかった。」本当に些細な事で揉める。揉めるのは良いのであるが、「山ノ神」のダメなところは、すぐダンマリになる事である。通常なら一週間は続く。
 しかし、何となく山行前日までに、「なし崩しの和解」が成立するのであるが、この頃は、「何で?」の思いが強く、「このままでいい・・・」と思う事さえある。

 ならば、「一人での山行も実現するし・・・」なのであるが、ガソリン代や食料代の捻出に、頭を絞らなければならなくなるし、それから、ず~っと、兵糧攻めを覚悟しなければならなくなる。白旗を揚げる前に、やっぱり「何気なくの和解」に持って行くしかないか・・・・・



7/27 その手法が、良いか悪いかは別にして、お風呂の中で、膝を曲げる(正座)訓練を、最近はサボっていた事に気が付いた。足だけを見ると、術後の傷跡は別にして、浮き出ていた静脈瘤も気にならなくなったし、(もう一方の足には、少しあるが・・・)皆と遜色なく歩けるのだから、これ以上不満を述べたら罰があたるかもしれない。

 週に、二日間歩ける時は、まあまあなのだが、週一だと体力の維持が難しいように思う。2年前まで、下手くそでも、バトミントンを続けていたから、それなりに自信があったのだが、最近は、「やってない。」事の不安が付きまとう。
 ちょっとした合間の運動を心がけるようにはしているのであるが、ついつい忘れてしまうのである。定例化或いは恒例化していなければ、意志の弱い者にとっての継続は難しい。
 好きな事には、力を傾ける事が出来るのであるが、その好きな事への補助的なトレーニング・基礎トレーニングは、疎かになりがちである。体力は確実に落ちていく。そして、知らず知らずの内に、気力も失われようとしていく。この点、仲間からの励ましは力となる。

 先日、気になっていたこめかみ付近に出来たホクロが、だんだん大きくなっていくのに懸念を抱き、総合病院の皮膚科を訪ねた。2時間待って、1分間の診断結果は、「ホクロでなく、皮膚の老化で出来たイボです。」だった。その周りにあるホクロもイボだという。毎週のように山に登っているから、紫外線が悪いのかと尋ねても、担当医は「皮膚の老化」の一点張りであった。そして、形成外科に行くように勧めてくれたが、「またすぐなるでしょう。」のおまけの言葉まで付けてくれた。

 私は左足甲・右手甲・左上腕の3回の骨折経験がある。足は、少年時代の運動過多による疲労骨折、手は、30~40代にスキーでの転倒である。今は尚更弱くなっているのは明らかで、転ばない事に気を払わなければ、大好きな山から離れなくてはならなくなる。
 危険な事をしない他に、日常は、栄養や休養を充分に取る事や、過度なるアルコール類からの回避などに、気を付けなければいけないようである。もちろん簡単な運動でも良いから、身体を動かし続けていなければならないのであろう。



7/26 「希望的山行予定表」に山名を書き込もうとしたが、「山ノ神」に見られたら、「また、私の苦手な山ばかり」と、言われるのが落ちだから、自重する事にした。
 次行く山を決定するにあたって、いろいろ探るのは、登るのに匹敵するくらい楽しい。しかし、「山ノ神」は、そんな楽しみ方を知らない。新たに出掛ける山でも、殆どリサーチする事はなく、帰ってから、ガイドブックを覗くタイプである。「ちょっとでも遠く、そして歩く距離が短ければ最高!」とまで言うのであるから、相(愛)受け入れ難いところがある。

 「早池峰を、一泊で行けないか?」 などと言う人だから、「蔵王山」「吾妻山」「天城山」などを提案すれば、諸手を挙げて賛成するに決まっている。それが「大猫山」「赤谷山」や、名山でも「佐武流山」や「鳥甲山」などの比較的登り難い山では、また横を向かれてしまうのである。
 夫婦は直前の変更があっても、或いは、少々遅れても、差程気にしなくても良い利点があるが、特に今程の歳になると、無視するわけにも行かず、お互いわがままが出て、なかなか上手いわけにはいかないところも多い。もしかしたら、山行予定表なるものも、早々に没になる可能性が高いかもしれない。 p.m.11:59



7/25 雨だと言われながら、結果的には雨具も纏わず、ラッキーな山行が続いたが、このところの2週(3休日)は、まともに雨を食らってしまった。雨の日も、乙なものだの負け惜しみはもういい。夏らしいお天気のもとに、残雪上や稜線を快適に歩きたいものだ。あまりにも雨のために、低山歩きが続いてしまったからか、次行く山名が出て来ない。

 しかし、8月は3度も、山中で過ごす機会がある。日頃、行けない所へのアプローチもよい。好きな山を眺めながら、一献交わすのもよい。空調が効きフラットな床で寝るよりも、例えゴツゴツしていても、ひんやりとした空気の中で、時を過ごすのが自分には合っているのかもしれない。
 「♪俺たちゃ街には住めないからに・・」程でもないが、若かりし頃の憧れと交差しながら、そんな機会を利用して、自分の人生を見つめ直すチャンスかもしれない。 p.m.11:59



7/24 雨の今日も、予定通り「好山病・・」定例山行が決行された。連絡係の私が、ラッシュの時間帯を考慮していなかったせいで、猿倉集合に大幅な遅れとなったが、気の優しいメンバー達は、雨(水)に流してくれた。

 小佐波御前山の往路は2時間10分、復路は1時間20分。ゆっくり歩かなければ、すぐ着いてしまうの「お叱り」を、ついつい忘れてしまい、所々でストップしながら談笑となる。
 今日も沢山のご馳走を食べるためと、各々が飲んだ缶ビール1本の酔いを覚ますために、4時間も山頂にある避難小屋に滞在となってしまった。(我々には、沈殿と文言より、滞在が似合う。)
 席上、飲むならゆっくり泊ながらと、「名月の観賞」や、「忘年会」の日取りに、早くも盛り上がっていた。 p.m.10:35



7/23 明日の「好山病・・」定例山行の行き先に最後まで迷った。如何に屋根のある所へと言っても、道中(車の運転)を含め、何が起こるかわからない。メンバーの適切なアドバイスを受けて、本当の低山歩きをする事になった。
 恐らく、事前に仕事や所用で不参加を表明していたメンバー以外は、全員の参加になると予想される。平日の雨の中、またも大勢で山中を歩くとは、他の人達がみれば異様としか思えないであろう。今春、雪山でも、その事を言いながら、自分達で大笑いしていた事が思い出される。 p.m.11:05



7/22 今日は、まずまずのお天気で、それこそ、うずうずしていた人達から見れば、束の間の山行日和であろうか? でも、明日から、また前線が北上するのであろうか、後の予報は良くない。山行を段取りする一人として、悩まざるを得なくなる。「雨」と決まっていての長い歩きは企画しきれない。短いと不完全燃焼になる。やはり、もう一日待っての決定としなければならないようである。 p.m.0:10



7/21 極楽トンボ(この時局、あまり使いたくない代名詞)の私にも落ち込む時はある。当欄に、それとなく書き込み、気を紛らわせる事があるが、「何でも書く。」「そこまで晒せなくても・・・」の私にも、それなりのガイドラインはある。他人から見てイヤな事や、面白くない事は書かない。自惚れは程々に・・・などである。しかし、書けない事は書けないし、書けない時は書けない。そんな時は辛い。私は思い込むと黙ってしまう。どちらかと言うと、内にこもるタイプかもしれない。しかも神経質であるから質が悪い。

 言いたい事を思う存分言ってしまうと大概上手くいかない。自分をいい気にさせるか、相手を傷付けるに決まっている。自分の気持ちは控えめに、相手に充分話させれば上手く行くのであるが、では自分の気持ちはどうすれば良いのか? その辺が、大物と小物の差であろうか!

 

7/20 名山(百・二百・三百名山)と呼ばれる山には、その気になれば、日帰りでも、かなりの山に行ける。夜行日帰りや、両夜行日帰りを考えれば、その数も増える。また私と違って、その日の内に現地まで入れるなら、もっと増えるであろう。2日間休みが続けば、九州・北海道を除く、殆どの所へ行けるであろう。「でも、何で・・・」

 費用も掛かるし、体力いる。富山の山や北アルプスの山を登っておれば、何も他の山に登らなくても良いような気がするが、登った事のない山には行ってみたいものである。行ってみなければ、わからないのである。
 各頂きには、それなりの喜びを感じるし、その歴史や風土も伝わってくるような気がする。本当は、ゆっくり登り、山里の温泉に浸かり、更に近隣の小さな町村を散策するような余裕があれば、その山を充分に味わえるのであろうが、そんな事を出来るような人は、果たしているのであろうか?

 他の欲望は捨て、「夢の夢」としても、私には届かないであろう。でも、その「夢」を、目標として生きるのは、実に楽しいように思えるのである。例えそれが、富山の山になろうが、同じ山ばかりになろうが、「何時かは・・・」と思って登るのである。

 

7/19 私はすぐ「歳だから・・」とか「歳をとってしまう!」となど、年齢の事を書いて(言って)しまう。それは、きっと自分の弱さを、隠そうとしたり、慰めてもらおうとする時のように思う。

 過日、私よりず~っと若い人が、「歳だから・・」と言うのを耳にしてしまった。「え~っ」と、「何で!」と、あまり良い言葉ではない事に気が付いた。同時に、私よりもっと歳を重ねておられる方々が、たくさんおられるはずだし、「何を戯言など・・」とお叱りを受けかねないと思ってしまった。その証拠に、「お歳ですから・・」などと言われようものなら、何を言うのかと返すに違いない。

 これからは、そのような言葉を使わず、もうちょっと元気がほしいとか、パワーが欲しいとでも言おうか?何年経っても、「もう10年若かったら・・」などの言葉を繰り返さないためにも、自分の出来る範囲で鍛錬を怠らないようにしなければなるまい。照れ隠しは、自慢自惚れなどと共通するものがあるし、あくまでも、謙虚で鍛錬を怠らなければ、きっと、仲間も長く受け入れてくれるに違いない。



7/18 今日は嬉しい事が二つ。一つは、我らの仲間「ねぎちゃん」が、岳人8月号の写真コンテストに入賞された事である。我々は、剱岳や北方稜線の山々が、見慣れていて好きだからかもしれないが、その作品「登攀の朝」は、山岳写真家協会北陸支部展の「春剱黎明」に劣らないものであろう。素人評なれど、当たらずとも遠からずに違いない。「ねぎちゃん」本当におめでとう。

 もう一つは、「北ちゃん」が、田村氏と雨の中、小佐波御前山を歩いて来たという報告をもらった。お母様が危機を脱しられたやに聞く。今後の超人的な回復を願いたいものであり、「北ちゃん」が早く「好山病・・」に復帰される事を願いたいのである。



7/17 「山ノ神」は京都へ、娘は友達宅へ、残された私とムコ殿は、何を食べればよいのか分からず、近所の鶏肉店で、焼鳥とチキンカツを買い、後は飲めるだけ飲んでしまったという感じであった。それには後遺症があり、止めておけば良かったのに、HPの更新(紀行文)は、辻褄の合わぬ所が生じてしまった。

 正午に娘夫婦を駅まで送り、その足で、101回目の牛岳に登った。側溝のような登山道を、滑らぬようゆっくりと歩いた。そして、随分伸びたと思われる下草を刈るために、雨具を着て、手に鎌を持った。
 「何か良い事をしなければ!」などと、思うようになるという事は、それだけ歳を取ったという事の表れであろうか?
 「悪い事ではないので・・・」日頃の罪滅ぼし的な行動とでも言えば良いのかもしれない。しかし、イザ刈るとなると、何でもかんでも刈れば良いというものではない事に気が付く。

 花がある。これから花が咲く。山菜である。来年の事もある。などとなかなか鎌が入らなくなる。また、この一ヶ月内に整備されたのであろう予想を遙かに超えるほど手が入れられていた。その方々の事を思うと、ほんのちょっとだけ真似事をしてきた感じである。
 その刈られた残骸の処分の仕方が、もう少し、スマートなやり方がないだろうかと思った以外は、ゴミも落ちていないしきれいなものであった。牛岳を愛される方々に敬意を称するものであります。

 ゆっくり歩いても、汗でびしょ濡れ状態になってしまった。昨日・今日と二日間は、雨の中を片道1~2時間程度の低山歩きになってしまったが、久々に体重の減り方は、「好山病・・」との山行内容の違いを感じてしまった。



7/16 朝の雨で大猫山・大日岳は止める事にした。そして、こんな機会に、「ねぎちゃん」の写真展(日本山岳写真協会北陸支部展)を見に行こうと思った。プロ達はどんな写真を撮っているのかも興味があったし、いつも大きなカメラを携えている「ねぎちゃん」の写真も見たかったからである。(赤谷山からの春剱黎明は素晴らしかった。)

 降り続く雨の中、馬場島に向かった。雨でも意外と視界が良く、早月川沿いを走行中に、北方稜線が墨絵のように浮かび上がっていく様に、思わず車を止めてしまった。しかし、中山に登り始めてからは、もう、そのような事はなかった。

 使うはずがないのに、炊事用具や三脚などの入ったリックを担ぎ、手には傘とカメラを持って登ったのであるが、55分も掛かってしまった。途中、小杉から来たという、ずぶ濡れの若夫婦を追い越したが、こんな日にも登る人があるのかと、自分の事を忘れて嬉しかった。



7/15 お昼過ぎ、娘夫婦がやって来た。その事もあったが、今日の強雨で、完全に泊まりがけの山は諦めた。晩ご飯中、「好きな所へ行って来たら・・・」と言われたが、明朝「山ノ神」を駅に送り、お天気を見極めてから、行く先を決めることにした。と言っても、あまり遠く、また高い所へも出掛けられまい。低くとも、お山のてっぺんを踏めばいい。



7/14 今日のあの青空は、何だったんだ! 予報とはかけ離れた好天で、全国的にも、猛暑だったそうである。明日は曇り、明後日は雨だと言っても、そうそう信じられなくなって来ている。「実は・・・、梅雨は明けていた。」などという事になりかねない。

 キャンプは、ほぼ諦めているが、「悪い虫」が、どう動くか分からない。明晩、娘達の顔色を伺ってから決める事になるであろう。 p.m.10:15



7/13 一つ計画が可笑しくなると、なかなかやり返せない。「行ってもいいよ!」「行って来たら・・・」などと言われても、不思議なもので、なかなか気乗りがしない。また、こんな時に限って、お天気が良くなるのが常である。

 私はギリギリまで待って、決断をしたいと思っているが、何事も後悔の少ないように、いろいろ模索してみたい。その結果、その山行が、剱岳や薬師岳ばかりでなく、牛岳や中山であっても構わない。何処かへ行かなくては、何の連休だったのかと、こういう事で悩んでしまうかもしれない。 p.m.11:40



7/12 7月の第3日曜・月曜は、「剱沢キャンプ」の定着を目論んでいたのだが、ずーっと続けるとなると、なかなか上手くいかないものである。若い時から「一年に一度は」の思いがあったのだが・・・

 今年は残雪が多く、それなりのリスクはあるものの、何故かワクワクしていたのであるが、どうもその連休は雨模様である。  「山ノ神」は、別の楽しみで不参加となる好条件なのに、その予報は恨めしい。

 もう一つ私の心を迷わすのは、その連休に2ヶ月前に嫁いだ娘が、ダンナ共々来高すると言うのである。「好きなようにすれば・・・気晴らしに来るだけだから・・・・」決して趣味の邪魔をしないと言ってのけるが、親として些か心が痛むのである。
 スケジュール的には、出迎える事は出来ても、見送る事が出来ない事になる。見透かされているが、あまりにも冷たい親のようにも思う。東京へ行かないのは良いとしても、来高する時まで、放っておいていいものか・・・
 かといって行動を共にすることもないであろうから、いっその事、雨になり日帰りの山になれば、どちらも上手くいくのかもしれない。
 朝一番の電車で、しかも翌日は、最終の電車で帰高のスケジュールを、全く変える気配もない「山ノ神」は大物なのであろうか?



7/11 あまり高速に乗らない私がETCを付けた。何時かは行く遠征のためと、どうしても使わなければならない時のためであるが、イザという時の無けなしのへそくりを使い果たしてしまった感じである。

 白山の帰路、金沢西IC~金沢東IC間を試しに乗る計画を立てていた。ところが、金沢に詳しい「きくちゃん」の提案で、安養寺北から山側環状線?を通り、直接金沢・森本ICに行くのが早いし、得との提案に乗っかった。
 しかしである。私は金沢・森本ICから、能越自動車道・小矢部東までの料金を払うにあたって、850円の表示が出た。能越部分200円を引いても650円、この時間帯は半額だから通常1300円になる。このような短い区間(33キロ)の利用料金にしてみれば高すぎるような気がした。
 ETCのセットアップ時に、何か手違いがあったのではなかろうか? もしかしたら、高速道路株式会社側のミスではないかと思い込み、同じ福岡料金所で200円の通行料金を払って家に駆け込んだ。

 「可笑しい!」 「どうも、合点がいかない!」と、早速PCで調べてみたら、何と半額になる時間帯割引は、午後5時から8時までであった。私は、午前6時から9時までの同じ時間帯割引の表示を見誤って、勘違いしていた事になる。ちょっと腹が立っていたのが、自分の間違いであって、誰に文句を言う筋合いの物でなかった。唯、恥ずかしいだけの事である。
 でも、久しぶりに乗った高速は、お金を出すだけの事はあり快適であった。日頃の自分は、そのお金を使う事が出来ず、身体をより消耗させているのであるが、限度がある中で、好きな事をしているのであるから、少々の我慢をしなければならないのである。
 しかし、より遠くへ行きたい時や、これから忍び寄る体力の衰えには、この切符(カード)の助けを、必然的に借りなくてはならなくなるであろう。



7/10 登りがけから「こりゃどうなっているの?」と思うほど、お天気がだんだんと良くなって行った。白山もご多分にもれず、今年は残雪が多く、新緑を一段と引き立たせているように感じられた。多くの高山植物も、今か遅しと待ち構えているようで、多くの蕾を風に揺らしていた。そして、山頂からは、遠くの山々まで、見通せる大展望に恵まれ、メンバー全員がご満悦であった。
 室堂では、備え付けの大きなテーブルを囲み、充分すぎるほどの山の雰囲気を味わうに至ったが、下界は猛暑とも知らず、寒いと言って上着を纏うほど贅沢な時間を過ごした。
 それにしても、観光新道の下りは、「まだかまだか!」と思うほど長く感じ、別当出合に辿り着いた時は、思わずお互いの手を握ってしまった。市ノ瀬の永井旅館のお風呂に浸かったが、なかなか趣があり、小さな発見をしたような気がした。



7/9 「白山」は、雨だからちょっと気が引けた提案であったが、雨でも行く「好山病・・」はノリノリである。「仕事で行けないから悔しい。」と言うメンバーまでいる。砂防・観光新道のいずれにせよ、慎重に行動するよう心がけたい。 p.m.10:30



7/8 明日の日曜日は雨。明後日の月曜日は雨のち曇り。南海上には台風3号がいる。明日の天気も分からないから、明後日の天気などは、台風の進路や前線の動きによっては、どうなるか分からない。そのお天気の事や、「北ちゃん」の不参加も手伝って、モチベーションが下がっている。雨でも行くと言いながら、定例山行となると、決断が鈍る。 p.m.8:45



7/7 如何なる場合も、何とかその間隙を縫って、山行を模索するのが「好山病・・」なる所以であるが、人として、その道を誤るわけにはいかない。
 白木峰山行の折、次回の「好山病・・」定例山行の目的地を決めるに当たって、入院しておられる「北ちゃん」のお母様の事もあり、遠出を控え、尚且つ楽しく、そしていい加減に下山し、「北ちゃん」が病院にも行ける山行計画を模索していた。
 第一に「北ちゃん」お気に入りの大日平が浮上! 2000mを超えたら辛い田村氏にもちょうど良い。ゲートで時間的拘束があるが、大日岳山頂に拘らなければ、長時間大日平で山の味を楽しむ事が出来るであった。
 しかし、大猫山に登り、大猫平の残雪の状態を鑑みると、6日後であっても、場所を選べば、まだ雪のテーブルやベンチが作れるし、登頂組とのかい離も少ない。時間制限もなく、お天気さえ良ければ、皆の思いを達成するのではないかと、「北ちゃん」に、了承を取り付けた矢先に、「北ちゃん」のお母様の様態が芳しくないとの報告を受け、この企画に躊躇している。

 私(達)には、もう4人の親はいない。いろいろあっても親は親。「北ちゃん」も、山の事は頭から離れないであろうが、そこは我慢して、しばらくは、「あなたを育てて下さったお母様に付き添ってあげてください。」何をしてあげても、悔いは残るであろうが、少しでも、その悔いが少なくなるのを願いながら、お母様の奇跡的なご回復を祈る次第です。



7/6 先日の白木峰で静かな山を楽しんだ際、「北ちゃん」とHP作りの事について少々話し込んだ。時間を割く事や、その思い(意欲)に紆余曲折がありながら、今日に至っている事。何を訴えたいか、また他のHPにない特徴を如何に出すかであったろう。また、モチベーションを如何に保てるかも重要な課題であるで一致。その中で、いつも当欄で、止める止めるかもしれないを、繰り返している事に言及!自分自身との格闘であると述べてしまった。

 その中で、来年の8月の誕生日まで・・・あくまで推測であるが、その頃までに、カウント数も50万件に至るのではないかと思うので、何とか、後一年余り頑張りたいとの思いも続けた。
 その後、山登り続けている限り、何とか個性を出しながら、こぢんまりしたHPで、自分の記録と想い出を刻んでいきたいのである。 

 北ちゃん自身も、何度となく、存続の危機に立たされたようだが、カシミールやGPS、或いはビデオや動画などの多彩な知識で、難局を乗り越えられたようである。これからも彼にしかない、その特徴を個性として、負担の掛からぬ方向で、模索していきたいようであった。
 二人の共通した考え方として、巷には多くのガイドブックや地図が出回っており、またHPでも、それは素晴らしいもの、或いは、楽しくなるものが多い。だからでもないが、そんなに力まなくても、悩まなくても、自分自身が楽しみながらのHPでなければならないという事になった。
 一時代は終わった感じで、「北ちゃん」に、私ら年寄りは・・などと、慰めを買おうとしたら、「お~っと、元ちゃん、私はあんたより、6つも若いのです。一緒にしないでください。」と撥ね付けられた。「若い者から見れば一緒だよ!」と言おうとしたが、他人から見れば、やはり、それだけ私は落ちているのかと、ちょっとばかりショックであった。

 このところ、更新が遅れているが、それでも構わないようなHP作りになるかもしれないが、少し方向転換をしなければ、身体が持たないような気がする。「体力がないと眠れない。」と言う事をよく耳にするが、HP作りにも体力・気力がいるのである。
 遅れがちのHPではあるが、毎日のように続けなければならない。これまで、日記・帳簿など、これ程長く続けられた事がない。これも、一方的に書き続けながらも、所々に多くの方々から、アドバイスを受けているからなのかもしれない。



7/5 「あの歯痛はどうなったの?」「・・・・・!!」思うようにいかぬPCと同じで、その時は蹴飛ばしたいくらいなのに、喉元過ぎれば、「まあ~、そのうちに」になってしまう。私は歯痛より山を選んでしまったのだが、そのしっぺ返しが、そのうち、いや近々に来る事は間違いない。それよりも酷いのが「山ノ神」である。元来皮膚が弱く、ちょっとの虫刺されでも、すぐ化膿してしまうタイプである。

 一昨日の前白木峰と昨日の大猫山で、顔中が腫れ上がり、唯でさえ小さい目が、何処にあるかわからない状態となり、それは無惨である。長袖・虫除けスプレーなど、それなりの対応を施しているのであるが、その間隙を突かれているようである。少々の暑さを我慢しても、皮膚を露出しないようにしなければ、このような事の繰り返しなりそうである。ビールを飲まなければ、その被害は少ないと言っても、それだけは聞く耳を持たないようである。



7/4 白木峰の帰路・大長谷を走行中、口の中に激痛が走った。もう、運転をするのもイヤになるくらいの凄いものであった。恐らく、日頃から悩んでいる歯痛が悪化したのであろう。しかし、「明日は、何処へ行く?」の「山ノ神」の問いかけは、私の非常事態を全く考慮しない発言であった。何処かの山頂に立ちたい気持ちはあるが、全ては、歯科医院に行ってからであって、当然「明日は、牛岳か中山」が候補であった。
 家に戻ってから、「明日は晴れるみたい!」と、遠くへの思いを込めての「山ノ神」の発言に、明晩には、会合も控えているし、「そんな事が出来るわけがない。」と言ってしまった。

 HPの更新に早朝からPCの前に座ったが、「山ノ神」は、一向に起きて来る気配はない。陽が上がるにつれ、いたたまれなくなり、今から大猫山に行こうと「山ノ神」に告げた。やはり「えっ~」と言う返事になった。彼女は、「大根っこ山」と称して大猫山を苦手としているのである。「あんただけ、行って来られ!」を期待していたが、仕方なく準備を始めたようであった。8号線のラッシュに引っかかり、ちょっとイライラしたが、馬場島到着が午前9時半過ぎとなった。ブナクラ取水口には6~7台の車があったが、山菜採りなのだろうか、皆ブナクラ谷方面に出掛けたらしい。

 「ゆっくり時間を掛けて、行ける所まで」を暗に諭し、殆ど汗も掻かずの歩きになった。しかし、「山ノ神」にしてみれば、急登につぐ急登で、何度休んでも辛そうであった。1500mPでは、とうとう弱音が出てしまい「あんただけ、行って来られ!」となってしまった。そんなら、来なよかったがに ・・・」と言いにかかったが、辛うじて思い止まった。この先一週間も口を利かぬ日々を送るわけにも行かないからである。「こんなに虫のいる所に、2時間も3時間も置いていくわけにもいかぬ。フォローするから、大猫平まで行こうよ!それでなければ、一緒に下山しよう。」の説得には、些か心も動いたようで、「山ノ神」自信も、2~3度山頂を踏んでいるし、大猫平だけでも、その他に2~3度行っているわけであるから、重い腰をあげたのである。

 しかし、行かれた事のある方ならわかるであろうが、2~3ヶ所怖いと思えば怖い所があるのであるが、それはそれは大変な思いをしてしまった。しかし、3時間半余で、大猫平に着いたのであるから、手を煩わしたとはいえ、まずまずのタイムであった事に間違いない。
 ガスの中であっても、冷たいビールを飲む時のこの人の顔だけは、恵比寿様のような何とも言えぬニコニコ顔になり、幸せ一杯に見えてしまうのである。この世に、こんな美味しい物があるのかと思わせるのは良いのであるが、帰りは大丈夫なのかと心配したが、往路の事が忘れたかのように、「ドンマイ」の言葉が返って来た。

 山頂への斜面の残雪は少なくなっているが、大猫平は未だ多くの残雪に覆われていた。一瞬(5分ほど)のガスの切れ間があったが、私達を長く喜ばせてくれなかった。午後8時の会合に間に合わせる為に、大猫平を午後3時に発った。悔しい事に、今回も剱岳を望む事が出来なかったのであるが、ブナクラ取水口に近付くに連れて、また車に乗ってからの剱岳公園線では、素晴らしい剱を仰ぐ事になる。悔しさいっぱいの顔を見た「山ノ神」は、何時か泊まって、「家に午前9~10時頃までに、帰って来ればいいから・・・」などと慰めてくれたが、本当に私をそのように、解放してくれるのだろうか?



7/3 県東部の所々では、明け方強い雨を観測したらしいが、我々3人は、これこそと「静かな山」を求めて白木峰を目指した。ニッコウキスゲはもとより、好天も求めていなかったのであるが、今年の北陸は、「小雨」の如く、今日もパラパラと来たぐらいで、「山は来てみなければわからない。」を証明したような一日であった。

 「誰もいない山」を満喫しながらも、何かを求めて前白木峰を目指した。7月の前白木峰は、シャクナゲや、ツバメオモトも既に終わり、枝木だけが異様なくらいに背丈以上に伸び、我々の行く手を妨げた。「このくらいは、ヤブにははいらない。」と、ヤブ好きな「北ちゃん」が、いつもより元気に見えるから不思議なものだ。虫に刺されるやら、枝木に擦れるやらした「山ノ神」こそ、「未だ行くのか!」と、言う風であったが、それでも足元のススダケを見つけては、収穫の手を休めてはいなかった。

 往復3時間と、予想よりも遙かに時間を費やし、谷筋の雪を掻き集めて、浮島に戻ったのが、またまた午後2時を回っていた。ここでは「ゆったりした山」を堪能すれば、撤収が午後4時半、車に戻ったのが5時半になってしまった。家に戻れば、今日一日、白木峰に費やした時間は12時間を超えていた。
 しかし、約束をしていなかったとは言え、予定変更になった「ねぎちゃん」が、急遽白木峰に駆け付けてくれ、山頂付近で2時間も待機していてくれたのに、会えなく本当に申し訳なく思ったし残念であった。これもまた、想い出の一つとして、私の心の奥に、いつまでも残るのであろう。



7/2 「優柔不断」という言葉が嫌いであったハズなのに、最近はだんだんと、その嫌いな言葉の中に吸い込まれて行くような感じである。甘いも酸っぱいも分かってくると、世の中は面白くなくなってくる。角がとれたや、丸みを帯びたなどと、言われるようになるのであろうが、どれだけ反発しても、それだけのパワーは、残念だが既にない。

 調和を考えるあまり決断が鈍る。しかし、石橋を叩くのも悪くはない。ちょっと遅れてもの道はある。もしかしたら、もっと素晴らしい道があるかもしれないし、開けるかもしれない。「人生捨てたものではない。」の台詞が、これから現実味を帯びてくるような気もする。ちょっと努力した、ちょっと良い事をしたの配当や利子が、これから付いてくるのである。そうでなければ、不公平であり、帳尻が合わない。

 明日は、降るか降らないかは分からないが、あまり良さそうなお天気ではない。ニッコウキスゲにも、早い事はわかっているが、白木峰に行く事にした。歩きには物足りないかもしれないが、バリエーションは、如何なる時にもあるものである。屋根もあるし、また「静かな山」を味わって来る。 p.m.11:10



7/1 雨の予報であったけれだ、あまり降らなかった。入梅後の北陸高岡は、昨夜の強い雨以外雨らしい雨はない。でも、「カラ梅雨」などと思っていると、この後一気に来る事もあるから、気を付けなければいけない。 今度の連休(7/3~7/4)も、あまり良くない。いつもの事であるが、計画を変更すると意外と降らない。しかし、それほど拘る山行計画でない限り無理をする事もない。唯、山に浸かっておればさえ良いのであるから・・・・・
 用事を休日以外に片付けると言っても限界があり、このような時にすればいいのであるが、なかなかその勇気がない。冬タイヤから夏タイヤに、昨日ようやく交換したくらいで、ずぼらなんだから・・・・

 この頃の梅雨空と同じように私の心も鬱陶しい。如何に「極楽トンボ」のような性格であっても、人並みに悩みもあり、欲望もある。悩みは言ってもしょうがないから、絶対に言わない。欲望は、「あの山に登りたい。」や、「もう一万円小遣いがあれば・・」など、他人から見れば、極小さいものかもしれない。満たされれば、それ以上のものを望むから、同じような事かもしれない。