3/31 少雪ながら、3月は、それなりに山行を重ねた。ここに来て、元々ヤブが苦手な私は、行き先選定に苦慮している。例年3月末から4月末あたりが適期だと思う山に、行けそうもないからである。無理を避ける事もあるが、「山ノ神」の視線も気になり、企画自体が萎んでしまう。

 信じがたいが、明後日の予報も悪い。長い林道を歩こうか? それとも、屋根のある頂きを目指そうか? もっと先の話になるが、閉鎖されている林道を歩き、少しは高い頂きを目指そうか? どちらにしても、体力の他に気力を伴わなければならない。 p.m.11:30



3/30 あと5ヶ月すると60歳になる私が、「元ちゃん」 「元さん」と言われている。その愛称に、何の違和感もないのであるが、その呼び方において、私との付き合いの歳月を、計り知る事が出来る。

 HPのタイトルを、「元さんの山歩き」 に変更したのが、平成16年5月末であるから、「元さん」 と呼んでくれる方は、それ以降のお付き合いという事になる。それでも、やがて3年になるのであるから、結構長いのである。  山でのお付き合いは、下界のお付き合いと違って、中身が濃く、計りしれないものがある。

 「元ちゃん」は、幼年時代からの愛称であり、気恥ずかしさもあるが、その名を呼んでくれる友人・知人達には、それだけ歴史を感じ、深い仲と言った方が良いのかもしれない。
 幼年・少年時代からの知り合いや、親戚を除けば、そう 「元ちゃん」 と呼んでもらえれるわけもない。山に登らない友人達の奥様方からは、「本間さん」 よりは、「元三(げんぞう)さん」 が多い。その子供達にも、(特に女子の場合) 「元三さん」 と呼ばれる事が多く、結構響きが良いのである。

 「好山病・・」 の若き獅子達は、今更、年上の私に、「元ちゃん」 などと、言えるわけもないし、言われれば、私自身、身体がむず痒くなるであろう。それは、それでいいのである。彼らは、一日でも早く、私の事を 「元じい」 と呼びたいらしいし・・・・・

 でも、世の中は、可笑しなもので、私の事を 「元(もと)ちゃん」 と、呼んでくれる方もいる。そして、「元さん」 は、「元三(げんさん)」 を、もじったものだと、思っている方もあるようである。

 実力もない私の名だけが先行し、山中でお目に掛かって、がっかりされた方も多いと思う。「本当に申し訳ない。」 p.m.11:55



3/29 過日の町内会の総会でも、今日の事務引き継ぎの会合でも、「私は、まだ山に登りたいから・・」 「休日は、家にいないから・・」 などを訴え、周知に至ったと思っているが、そう上手くいくかは分からない。

 それにしても、次から次と、やる事が出来る。 そう大きくない町内で、行事も少ないからと、高を括っていたが、思い通りにはいかないようである。しかし、過去の担い手の方々は、そのような事を、やり遂げて来られたわけであるから、簡単に音を上げれない。

 ”山は逃げないではないか!” と言われるが、”山は逃げるのである。” 天候・休日・健康・気力などが備わってこそ行けるのであるが、歳を重ねる毎に、その機運が損なわれていくようである。危険を冒してまでやることもないが、チャンスを自ら摘んでしまうのがイヤなだけである。



3/28 今難し、ホットなメールが届いた。「大地」 で拾得したピッケルの持ち主からである。昨夜、我がHPの「山の情報」に、ピッケルの拾得の情報を載せたのであるが、全てを公表しなかった。画像で大きさや色などを載せた方が、紛失された方にしてみれば、より詳しく分ったのであろうが、当方としても、より正確にお渡しするために、ある部分を秘めたのであった。

 しかし、24時間もしない内に、友人が心当たりの方に連絡をし、私への連絡となったようである。私にしてみれば、信頼のある友人の知人であるから、何の疑いもなくお渡しする事になるが、それよりも、HPを通じて、人のために貢献出来た事が、非常に嬉しく感じている。

 そして、もしかしたら、「友人が、また一人増える。」 「ちょっとは、良いことをしたぞ!」 と、舞い上がり、HPが生き返るかもしれないなどと、余計な程に興奮してしまった。 p.m.11:10



3/27 初雪山から下山中、1223mのピークを過ぎた頃であったろうか、変なおばさんと遭遇した。「初雪山に行かれるのか?」 と言う。 「いや、初雪山の帰りで、大地に向かっている。あなたは、初雪山に行かれるのか?」 と逆に問うと「大地」 だという。

 よくよく問いただすと、大地山頂で、自分が登って来た所が分からなくなり、足跡を辿って来たという。「でも、あなたの足跡と違うのじゃない!」 と言うと 「・・・・・・・」 「でも、良かった!後に付いて行く!」 と言い、そのスタイルは、夏靴にもんぺスタイル。
 懐かしさが漂うリックに、木製のカンジキをぶら下げている。小柄で年齢は不詳! 何せよく喋る。それでいて、結構身軽で足が速い。 「何かスポーツを、やっているのですか?」 と聞くと、 「運動音痴で、最近自分にあったスポーツを見付けた・・」 それが、どうも山登りであるらしい! 「お金もかからないし!」 とも言っていた。

大地山頂に戻り、キョロキョロした姿のおばさんに、「何処から来られたのか、分かりますか?」 と尋ねても、やはり返事がなく、今、辿って来た初雪方面を指さし、「ここから来られたのではないですか?」 言うと、 「そうなんですか!」 と言って、降りて行こうとした。宮ちゃんは、可笑しくてならぬと何も言わなかった。

 こんな事があって良いのだろうか? 山を始められた方にとって、人気上昇中の大地であっても、どちらかというと、マイナーな山である。少々経験を積まなければ、来られない山である。足跡(トレース)を追って来たのであろうが・・・足元ばかりを見てきた割には、自分の足跡を見失うなど、おかしな事を言っていた。

 先に擦れ違ったN君が、我々の食事をしている所を、通り過ぎようとしたので、先週同様、無理矢理にコーヒーを勧めたら、「おかしな足跡があった。」 その壺足のトレースの事に言及されたので、その経緯を説明した。
 N君曰く 「あなた方は、人命救助をした。」 と言ってくれた。何気なしに、鼻歌交じりで去っていったあのおばさんは、我々に遭わなければ、もっとその先に行き、滑落や時間切れで、ニュースの人になるのは必至であったろう。 p.m.11:40



3/26 かって、剱岳早月尾根日帰りを、健康(元気さ)のバロメーターに考えてた事があったが、失いつつある元気さに、そこまでしなくてもと思い、最近はハードルを低くしている。

 適期は短いが、大好きな初雪山へは、一年に一回は登りたいと思いつつも、今年はその機会に恵まれなかった。出来れば、ハードなスタイルよりは、楽しみながら登りたい山である。手前の大地山までは、悪天を掻い潜っても登る機会があっても、初雪山までは、条件が揃わなければ、なかなか届かない。

 大平からの初雪山の登頂はあっても、大地からの初雪山への機会を窺っていた「宮ちゃん」も、今月は、悉く予報のいたずらに妨げられ、来富の機会を失っていた。
 「好天」の予報には、半信半疑ではあったが、満を持して、初雪山を決断した。今年の暖冬・少雪は、真っ白な山容の初雪山のイメージから、程遠いものであったが、「少雪の初雪山を行く」をテーマにしてのラストチャンスを「宮ちゃん」と臨んだのである。
 いつも横やりを入れる「山ノ神」であったが、今回ばかりは、好山病女性軍(シスターズの名称が付けられたようだが・・)での西穂方面を選択してくれた事で、スムーズに事が運ぶ予定であった。

 しかし、「好天」の予報は、何処へ吹き飛んだのであろうか、登り始めから雲行きが怪しくなり、終いには、雪が舞うようになった。大地までは、何とか、それなりの展望もあったのであるが、初雪山への稜線を歩き始めるに、1300m超くらいから、風が強くなり、おまけに、ガスに覆われる羽目になってしまった。

 亀裂の入った斜面に腰まで落ちたり、雪庇に気付かぬ事もあった。行く手が、登りなのか、下りなのかも分からぬ状態に、「進むのも勇気・後退も勇気」 と顔を見合わせながら、判断に困った。
 知識の無さから、お守りくらいにしか使用しないGPSで、座標を読みながら、地図・コンパスを併用して、ホワイトアウト中の初雪山登頂は、きっと想い出深いものになる事であろう。
 最も、イザという時には、GPSのトラックバック機能を使用すればよいとの応援があったからに他ならない。

 下山中に、またまた、地元のN君に遭った。我々のトレースを追ってきたものであった。「しっかりしたトレースを付けて帰って!」 は、冗談であったのか、本心のコメントであったのか分からないが、彼もよく来るものだと感心してしまった。
 「午後から晴れ」の予報に変わっていると聞かされ、がっかりしながら、大地に向かったが、近付くに連れ、青空が見え始めてきた。

 殆ど、食べ物を口にせず、歩き放しだっただけに、時計を見てから、いっぺんにお腹がすいてしまった。風の当たらぬ場所を探しながら、腰を降ろしたのは、大地を通り過ぎ、20分ほど経った立木がある凹んだ場所であったが、午後1時40分頃であった。



3/25 初体験のあの凄い揺れは、家が壊れるのではないかと思ったし、何処へ逃げればいいのかと戸惑ってしまった。過去100年間で、地震による死者を出していない県は、富山県と山口県(もう一県何処だったか忘れてしまった。)だと言われるくらいに、地震への備えが疎かになっている。あの瞬間、もしかしたらと思いとても怖かった! そして、その後も余震が続いている。

 電話が掛かりにくい中、知人・友人や親戚の多くの方々から、お見舞いのメールを頂いた。こんな中、携帯メールに、「私は、身体には自信があります。」 という、エッチな迷惑メールが届いた。「何だよ!こんな時に・・」 と思ったが、「座布団、一枚!」 と怖い中で苦笑してしまった。

 余震があるかもしれないのに、明日も山に行くとは、キチガイ沙汰か? p.m.8:25

 

3/24 予報通り午後からお天気が崩れた。雨に風、そして、もっとも嫌な高温が伴っている。明晩から回復する予報を、すんなり信じるわけにはいかない。今月の休日は、悉く大荒れの予報であったが、実際には大ハズレが多かった。

 今回は、その逆であるから、どのように対処すれば良いのか戸惑っている。予報とは、早まったり、遅れたりする事が多く、特に、自分の都合の良いようにならない事が多い。
 今期のラストチャンスに、もう一度好きな山に行きたいのだが・・・ p.m.9:20



3/23 HPのアドレスを変えた頃から、カウントが2~3割減った。もしかしたら、原因は、そればかりでなく、「努力」 を怠っているからかもしれない。(更新しても、UPするのを忘れる事があるくらいですから・・・・・)

 でも、それで、ちょうど良いと思っている。私の山行スタイルが、過渡期に差し掛かっているし、HP(元さんの山歩き)も、大幅に方向転換しようと、模索中であるから・・・果たして、この頭で、新たなアイディアが生まれるのだろうか、ちょっぴり、疑問である事は間違いない。

 当欄に書き込むと、”私より私の事を知っている方々”に、やり込められてしまいそうだから、ちょっとや、そっとで書き込めない。こっちは、書き込んだら、忘れてしまっている事が多く、「エッ~」 と聞き直さなくてはいけない。「ケボ」 が、逆さまにならないようにと、願うのだが怪しいものだ!



3/22 坂には、「上り坂」 と 「下り坂」 の他に、「まさか」 がある。富山ハイキングクラブ7名の方々も、予期せぬ 「まさか」 に遭遇されたようであるが、本当に無事で良かった。
 このような事を教訓に、私自身も戒めなければと思ってしまった。何度登っても山は分からない。10回、20回登っても、毎週のように登っても、その都度、魔性のように、山は姿を変えるのである。そして、それが魅力でもある。 p.m.11:50



3/21 超長生きの方からみれば、私等の年齢も、一日に例えると、ようやく午後になったばかりのようである。しかし、現実に目を向ければ、年金・介護や、どのような薬を服用しているかになり、団塊の世代の我々は、定年退職という押し迫るものもある。

 その先、ずっと働き続けるか、それとも、今まで出来なかった事を、余力のある内に、やり始めるかなど、視野の持ち方次第では、選択肢は限りない程あるのだが・・・・・
 しかし、優雅で思い通りになる人などは、恐らくほんの一握りの方々であろう。経済的・体力的・家族の都合など、他にはわからぬハードルがある。

 迷惑は掛けたくないが、「ちょっぴり輝いていたい。」 「存在感を維持したい。」 これは、誰もが秘める共通の思いである。そして、人は皆、寂しがりやである。



3/20 私(達)は、月曜日中心の山行だけに、山中で登山者と出遭う機会は少ない。今年3回の「大地」行きでも、出遭ったのは、地元のN君だけである。それも、今年、2回も出遭った事になった。出遭っても、あまり話をした事がなく、その存在感だけがあった。
 そのN君に追いつき、抜き去った事に、「山ノ神」は、まるで鬼の首を取ったように喜んだ。そして、「まだ来ない。」 と山頂で余裕の言葉を発していた。
 しかし、N君は、カンジキで、しかも、ストックを持っているものの、使わないという、一風変わったスタイルだっただけに、必ずしも「山ノ神」に、軍配を上げる訳にいかないのであるが・・・・・

 日中、大沢野の「舞姫」が来訪。彼女も、何かを感じてくれたのかもしれないが、とにかく嬉しかった。休日の違いから、なかなか同行機会がないのであるが、それだけに積もった話があり、時間はすぐに流れた。

 同じ頃、好山病の重鎮である「北ちゃん」から、「もしかしたら、山に・・」 の少し気になるメールが届いた。高齢のお母様との事を、熟慮してのものであった。「それが正しいよ!でも・・」 の返事を出したが、これは、本人にしか分からない事で、我々が、とやかく言う事ではない。
 でも、「好山病・・」 は、このような有事に強い仲間なのである。そっと見守り、時には、励ましに行く・・・
 正しく、好山病に感染すれば、なかなか抜け出せない(治らない)のであるから・・・・・・

 町内会の総会があり、いよいよ「会長係」のスタートである。前途多難であるが、やるしかない。会則から外れ、「1年間に短縮して頂いた温情」 に報いるためにも、一生懸命やるしかない。



3/19 午後から雪の予報と、「山ノ神」の 「また行くの?」 が、脳裏から離れず、午前3時40分のアラームを無視してしまった。再び目を覚ましたのが、午前5時。「やっぱり行かなくては・・・」 フロントガラスに、雪が凍って付着。そして、魚津を通過する頃から、小雪が舞いだした。「まずいかも・・」 の雰囲気が漂い、「途中撤退」 までの言及には些か参った。当初は、初雪山までの計画だったのに・・

 夢創塾周辺は、積雪が少ないものの真っ白。今年の夢創塾からの大地は、過去2回とも638mからの雪。しかも、鍋倉山までの途中の雪が消えているものであった。今回はその点、直近2日間の降雪であろうか、495mから、スノーシューを付けても大丈夫であった。この重い雪に苦労していた地元のN君を、鍋倉山手前の尾根で、我々は捉えた。
 休日が同じだからか、20歳近く歳の差があるN君とは、この山域でよく出会う。奇人・変人のように思われているようであるが、今日初めて山頂でお話する機会があった。いや、風が吹く、そして寒い大地山頂で、無理矢理に引き留めたのである。彼は純情そのものであって、どちらかと言うと、変人・奇人は、私の方ではないかと思ってしまった。

 今回を含め、今月上旬と2回のキャンプを計画しながら、大地・初雪山を目指していたものとしては、必ずしも当たらなかった予報に、些か不満をもっている。しかし、これも自分自身の見極めが悪かった所為に他ならない。この山域での今年のキャンプ計画は終わったが、もう一度だけ頂きに立つ機会を設けたいと思っている。それには、天候と「山ノ神」の理解が必要である。



3/18 ハレルヤの「金剛堂山」 行きは、まずまずのお天気に恵まれた。結果的には10名の参加で、ワイワイと楽しい山行となった。時折、小雪が舞い、また青空が覗いたり変化のあるお天気であったが、山頂では、高岡ハイキングクラブの方々6名と、合同の会食となるシェルターを作り上げ、大型のタープに包まれた宴会は、延々と続いたのである。

 後、スノーバレースキー場上部までの稜線歩きは、私には、特別新鮮なものであった。ゲレンデの端を歩いて駐車場に戻ったのであるが、赤(黒)く焼けた皆の顔には、満足感が漂っていた。 p.m.10:30



3/17 明日は、ハレルヤ山行で「金剛堂山」である。私が幹事でないから、はっきりした事はわからないが、久しぶりに大方の参加が予定されるようである。
 その幹事は、歩く高気圧の異名を持つ筏井氏であるから、当初の予報が良い方向に傾いている。山頂から稜線を歩いて、スキー場に達するルートのようであるから、私には新鮮なものである。
 何時も何時も、運転をお願いする事になってしまっているのであるが、この時ばかりは、月に一度とか、年に何回かの山友と、一杯飲みながら、大いに山談義が出来る時なのである。 p.m.10:40



3/16 「どうなんですか?」 「大丈夫ですか?」 との半信半疑のようなお尋ねが増えるに付け、「山ノ神」が吠えた! 「HPに何を書いているの?」 である。

 「山ノ神」のコメントは、「注目を引こうと思って・・・」 「同情を求めようと思って・・・」 などと結構きつい。でも、私は、正直に綴っているだけ!

 以前は、「私が、あまり登場しないのでは・・」 などと、時折、私のHPを覗いていたようであるが、今は、そのマンネリ化に呆れてか、見ていないようである。それだけ、歳月は流れたようである。 p.m.11:50



3/15 「歩ければいい。」 と言いながらも、今月は、なかなか思い通りの山行が出来ないでいる。それは、お天気の所為であるが、もしかしたら、気力の減退や、ムード絡みによるところも、否定出来ないかもしれない。” そして、びしっとした姿勢で臨めば、お天気も、自ずと味方してくれるような気がしてならない。”

 でも、私には、もう 「唯、山頂を踏むだけの山は終わった。」 これからは、テーマを持って、納得の行く山行でありたいと思っている。自分の力量を見極めながら、そして楽しくである。



3/14 小悪魔ちゃんの訪問があった。落ち込んでいると思われているらしい私への激励が目的であったようである。「私は元気!」 を強調して、「山ノ神」共々飲み会に入った。気遣ってもらえる事に感謝しながら、延々と飲み続けた。気が付いたら、いつの間にか、大きく翌日に入り込んでいた。
 楽しかった。良い気分あった。しかし、お腹がいっぱいで、また太ったかもしれない。



3/13 小佐波御前小屋(小佐波御前山の避難小屋)で、大きなクシャミをしたら、腰が可笑しくなった。山行帰りに、スーパーに立ち寄る「山ノ神」を、車で待機中、足が攣り七転八倒、実に情けない。

 こんな事を、連日のように綴るものだから、大勢の方に心配させてしまうのだろう。大げさな所もあるかもしれないが、今更格好を付けても始まらないから、赤裸々とは言え自然体でいくしかない。

 体力・気力が、衰えていくのは致し方なく、それを、少なく・小さく出来ないものかと模索する。もしかしたら、それが、元気さを失った私(元さん)に映るのかもしれない。

 ず~っと、続けて来たから、多くの知人・友人が出来た。これは、神が授けてくれた 「ご褒美」 だと思っている。しかし、如何に、「継続は力なり」 と言えども、古いものは滅びていく宿命にある。

 今年が節目となる私の誕生日と、大勢の方が稼いで下さったカウンターが500,000件に達するのが、ちょうど同じ頃になりそうである。それまでに、何か新しい事を見いだせなければ、「元さんの山歩き」 も終焉を迎えるかもしれない。
 でも、何かで、また、何処かで、ちょっぴり輝いていたい私だけに、何とかしたい気持ちも大きいのである。 p.m.8:05



3/12 今回の山行はあまり気分が乗らなかった。当たらないと言えども「大荒れの予報」は尊重しなければならず、近間の低山に行き先を決めていた。前夜はゆっくり出来るし、朝起きも暗がりから準備をしなくてもよいから、気分的に楽である。
 それでも、午前5時50分に目覚ましをセットしたのであるが、気分の乗らない時は、そんなものなのだろうか、床の中で、1時間程ウトウトしてしまった。家には、もう一人遅い方がおられ、結果的に出発したのが、午前8時40分になってしまった。

 少々、タイヤを滑らしながらも、猿倉山の展望レストラン前まで車を上げた。「北ちゃん」と、真っ黒ネコさんの車が、スキー場の駐車場に止まっていたのを確認して、無理矢理、車を上げたのは、午前10時10分の遅い出発であったから、少しでも早くの思いからでもあった。

 しかし、田村氏を含む彼ら3人は、別ルートからの小佐波御前山を目指すものであって、トレースなど期待する事が出来なかった。もちろん彼らと約束した山行でもなかったが、何だか久しぶりのような気がして、御前山と林道終点で、「会えないかもしれないけれど・・・」のメールを打ってしまった。

 「山ノ神」と2人で、結構頑張ったのであるが、所用があってであろうが、痺れを切らした彼らが、下山し始めた直後の小佐波御前山開通記念碑までもう少しの所で、鉢合わせになってしまった。
 それでも、優しい彼らは、我々2人のために、甘くて美味しいケーキを、避難小屋に残して来てくれたのである。1時間弱避難小屋に滞在したのであるが、食事の時だけは、少人数は寂しいものである。「山ノ神」も、1人で冷たいビールを飲むものの、一向に気勢が上がらないようであった。 p.m.11:30



3/11 意外と暖かい。明日は雪マークがあるものの、暴風雪が消えた。大した山も登れないが、少しは気分が良くなるかもしれない。 a.m.9:20



3/10 信じ難いが、12日(月)は、暴風雪の予報である。そうなると、何処へでもの気持ちがあっても、予定は立てにくい。焦る事がないのだから、起きてから決めればいいのか・・・・



3/9 ネタがなくなったのであろうか、それとも気力が衰えているのか、この頃、同欄への執着心が薄らいできたような気がする。どうしても、その日の内に、書き込まなくてはの心意気がないようになってきたからである。

 でも、気力だけでは、やり通せない。やはり体力がいる。PCに例えれば、HDDに余裕がなく、増設も難しい。メモリーの拡張が出来ず、それも時折故障しがちである。ならば、締め切りを気にせず、ゆっくり自分のペースでキーボードを叩くしかない。



3/8 このところ諸会合が続き疲れている。また町内会のお世話するスタッフも決まらない。そして、ず~っと、続いている頭痛が治まらない。しかし、動けば何ともない。それが山歩きとなれば尚更良い。
 もしかしたら、止めなければなどと、うそぶいている我がHPに、さらけ出しているのが、憂さを晴らしてくれているのかもしれない。



3/7 久しぶりの降雪・積雪に、「山間部の雪量は、どうなんだろう?」 「 明日も降るから、しばらくは、雪山を楽しめる!」 などと、はしゃいでしまった。しかし、人間とは欲なもので、「下界では降らなくてもいいのに!」 「休日は降らなくてもいいのに!」 などになってしまう。

 標高800m超の日当たりの良い所で、雪が消えていたのを見ているだけに、今般の降雪・積雪で、少しは胸を撫で下ろしている。大幅な計画変更を、少しは回避出来るかもしれない。



3/6 起床後も気温は高く雨。真冬並みの気温の予報も、何処か疑心暗鬼のまま、車を走らせた。eiko女史の「何処でもいいから歩きたい。雨でも雪でも・・風が吹こうが・・」 それに、「行き先は、お任せ」まで付いた。

 雨・ミゾレが脳裏から離れず、食事の事も考えなければならなかったが、集合場所の立山町で気温が4°の表示を見てから、「上は雪」を確信した。eiko女史の「何処でもいい。」と「山ノ神」の「国立立山少年の家から林道歩きをして、高峰山に登りたい。」 を取り入れ、大辻林道入りをした。

 雪がチラ付く中、クタクタに歩けば、「ビールが上手い。」 「痩せる」など、思いは様々であるが、「身体をいじめれば、気分は爽快!」 の共通項がある。

 林道の雪の状態は、4月中旬以降の感じであるが、後に 「こんな事もあった。」 などと、語り継ぐ証人になると思えば、それはそれで楽しいものである。帰路は、大辻山経由の考えもあったが、視界が悪くても、お山のてっぺんで、気のあった山友と過ごすのは、それなりに楽しいもの・・・



3/5 諦めきれぬ3人は、何時でも引き返すつもりで大地に向かった。富山市内を通過した午前5時の気温は17°、時折、ハンドルを取られそうな強風に煽られたが、登山口の夢創塾に着いた頃は、殆ど風がなかった。

 鍋倉山に到着した瞬間、突風と共に、横殴りの雨に見舞われたが、結果的には、その一時だけの雨、南端の尾根沿い以外は、風をまともに受ける事もなかったのである。

 雨が近い展望は、先週にも劣らないものとなり、悪天予想を覆すものとなった。一週間前より、かなり雪量が減った感は歪めないが、大地ルート初めての吉尾氏は、盛んに「良い所だ! いい山だ!」 を連発しておられた。

 下山時の鍋倉山で、またポツリと来たのであるが、そのまま持ち堪え、車に乗ってから、1日分の雨が、いっぺんに降り出したような感じであった。



3/4 晴れるのも今日までらしい。予報によると、明日から明後日にかけて、相当荒れるようである。もう、何が何でもの元気はないが、降るか降らないか分からないし、やはり準備はしなければならない。でも、キャンプの計画は中止(延期)とした。
 予報より、悪くなる時もあれば、悪くならない時もある。幸い、まだ引き返す勇気は持ち合わせている。 p.m.7:30



3/3 38年の豪雪や、東京オリンピックの話題を出す毎に、大昔の事になってしまう。集団就職などの語句も死語であるようだ。10年一昔と言われるのであるから、当たり前の事かもしれない。親や先輩達に、戦前・戦中の話を聞かされる度に、「またかよ!」と嘆いていた自分が、今、それなのかもしれない。

 昔の年寄りと比べて、今の人達は若いなどと、口にする事が多いが、同年代の同志の慰め合いかもしれない。確かに昔の人と比べれば、小綺麗で身体も動くかもしれないが、ちょっと身体に異変を感じると、そう大変わりしないのではないかと思ってしまう。

 日の経つのも早い。そのものは変わらないにしても、20歳の1年は1/20であり、60歳の1年は1/60のなのだから、早く感じるのは当たり前かもしれない。

 古来中国では、 陰陽五行説からなのであろうか、季節を4つの色に例えてきたらしい。春は青、夏は朱(赤)、秋は白、冬は玄(黒)。この例えは、人生を表す比喩にも用いられているようである。

 「青春」は、遠くに過ぎ去ったにしても、まだ「朱夏」、或いは、「朱夏」と「白秋」の境辺りかと思っていたが、「白秋」と「玄冬」の境、もしくは、「玄冬」であるらしいと言われては、「へぇ~」と、声を出さずにはいられなかった。
 自分では若いと思っていても、他の人から見れば、自分の思いと随分懸け離れたものと思わざえるを得なかった。

 「青春」は、潤えたであろうか? 「朱夏」は、充実していたのであろうか? 「白秋」は、花を咲かせる事も出来なかったし、「玄冬」に、実を結ぶ事も出来ないであろう。ならば、先に戻って、やり直しなのであるが、気だけが焦って身体は動かない。

 車に例えれば、アクセルを踏んでもスピードが上がらず、サイドブレーキを引っ張ったままで、走っているようなものである。ブレーキも思うような時に踏めず、時々危ない目に遭うのである。
 外装は傷付き、塗装をやり直しても、その傷は、知らず知らずの内に浮かび上がって来る。エンジンは、辛うじて動いているものの、バッテリーは、時々根を上げてしまう。
 ライトは暗くて、見通しが悪く、クラクションも大きく響かない。悉く交換するパーツはないと言われ、たまに見付かるパーツは、必ずしも適合するとは言い切れない。

 しかし、団塊の世代の我々は、そう嘆き悲しむ事ばかりではない。何せ人数が多いのであるから・・・。仲間が多いのであるから・・・。きっと、趣味趣向が合う方々と出会うチャンスは必然的に多くある。
 朱(赤)と白は、ピンク(桃色)に、白と玄(黒)は、グレー(灰色)に、そんな気持ちになれば、我々は、まだまだ捨てたものではない。
 山も、そんな気持ちで接していきたいものである。



3/2 折角の機会であったのに、依然、予報が変わらず滅入っている。良い予報の場合は、すぐに変わったりするのにと、やっかみまでが出てしまう。日本中が悪いのであるから、遠くも行けない。日帰りでも、行き先の候補が浮かばない。雨の雪山はイヤなのである。せめて気温が、もう少し下がれば良いのに・・・



3/1 今日は、「今年の冬は・・」などと、記録的な暖冬の数字ばかりが、テレビ画面に流れるのを、ムズムズする鼻を擦りながら、自分の古傷を触られるような気持ちで眺めていた。
 このところの休日が、好天に恵まれ続けただけに、今度の休日(連休)のお天気が悪くてもしょうがないのであろうが、折角楽しみにしていたキャンプだけに心を暗くしている。「何処へも行かないわけがない・・」 のであろうが、意気込みが違ってしまうじゃない・・

 その後に、寒波が来るのであろうか、雪マークが付いて来た。今冬は、なかなか信用出来ないが、高所だけにも降雪があるなら、まだまだ雪山が楽しめるのであるが・・・